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Oct 11, 2019

エドワード・スノーデンの自伝「Permanent Record」には何が書かれているか

エドワード・スノーデンの自伝「Permanent Record」。話題の本なので読んでみた。邦訳は11月終わりに出るそうな。出版社の動き早くて驚く。


構成

本書は3部構成となっている。1部は生い立ちから、CIAで働き始めるまでの過程を描く。2部はCIAとNSAで具体的にどのような業務を行っていたのかを、そして3部は内部告発を行うと決心してから、それを実行し、追われる身となってモスクワでの生活を始めるまでを描く。それぞれの部は10程度の章に分かれており、以下では章ごとにその内容を大雑把にまとめる。

第一部

1. Looking Through the Window
ノースカロライナ州に生まれ、沿岸警備隊の中で情報システムを担当する仕事をしていた父親の影響で早い時期に、コモドール64でプログラミングをしていた。母親や2人の姉妹と共に平和な家庭に育った。

2. THe Invisible Wall
スノーデン自身の家族と先祖の話。父親も、母親も、母方の祖先も、それぞれが軍や沿岸警備隊で働き国のために尽くした人であった。そのことをスノーデン自身が誇りに感じていることが伝わる。子供時代を通じてファミコンで様々なゲームを楽しんだ。ゼルダ、ロックマン、マリオカード、ストリートファイターなどの名前があがる。中でも好きだったのはスーパーマリオ。『マリオは一方向にしか進めず、「見えない壁のせいで」引き返すことはできない。マリオが教えてくれた「人生は引き返せない、前に進むだけ」はもしかすると人生で一番大切な教訓である。』

3. Beltway Boy
中学生ぐらいの時期になり、ワシントンD.C.とアナポリスの間、メリーランド州クロフトンに家族で引っ越す。母親はNSAで仕事を得た。場所柄、隣近所をみても、CIA・NSA・FBIなどで働く家庭が多い特殊な環境だった。親が子供に何の仕事をしているか話せない、お隣がどこに勤めているかわからない、そういう状態が普通であった。

4. American Online
父親が自宅にコンパック製のPC/AT機を買い、これに夢中になる。この時期にインターネットに出会い、そしてオンラインゲーム(具体的にUO)にハマる。1990年代のインターネットをスノーデンは「金のためでなく啓発のために人が働き、良識の集合による規制が行われた場所」と捉える。そして「それは私が経験した中で最も心地よい、栄えたアナーキーであった。」と懐かしんでいる。

5. Hacking
この章を通じて、学校というシステムに疑問を呈するスノーデンのハッカー体質がみてとれる。シラバスの内容を理解し、宿題をせずに好成績を取ろうとしたスノーデンに対して、教師は採点システムを書き換えるという方法で対抗する。スノーデンが、努力を惜しんでいると考えた教師は「君はその頭脳を仕事を避けるためでなく、ベストな仕事をするために使うべきだ。君には大きな才能がある。しかしここでの成績が君の人生に一生ついて回ることに気づいていないようだ。君自身の消えない記録(permanent record)を気にかけたほうがいい。」と語りかける。「消えない記録」という本書のタイトルがここで初めて顔を出す。ハッキングの技術も蓄え、ロスアラモス国立研究所のWebの脆弱性を指摘した顛末も描かれる。

6. Incomplete
高校に入り、父が家を出て、母が家を売り、姉とスノーデンといくつかの家を転々とした。淡々とした語り口だが、生活全般が一転して不安定になったことが伝わる。高校2年で昼夜逆転、成績壊滅、授業でもパソコンの前でも寝るなど生活が荒れる。なるべく早く社会にでて稼ぎたいと考えるようになったスノーデンは、高校卒業していなくとも入学できるコミュニティカレッジに出願し、入学する。

7. 9/11
スノーデン16歳頃の話。母は仕事に没頭し、炊事や洗濯などすべて自分でしていた。このころ日本語学校に通いはじめ、仲良くなった人たちからアニメなどについて聞くうちに、これに傾倒していく。日本語学校で知り合った女性を手伝う形でWebデザインの仕事をしていた。そしてそこで働いているときに9・11同時多発テロが発生した。

8. 9/12
9・11を経験して、自分の技術を国を守るために使いたいという気持ちが芽生える。しかしコンピューターの前の仕事だけでは刺激が少ないように思えた。そこで陸軍で働くことにした。沿岸警備隊で働いた祖先が多い家庭なので、陸軍という選択に母は一日泣き、父は技術の持ち腐れになると反対した。

9. X-Rays
陸軍のリクルーティングシステムについて若干の説明がされる。スノーデンは語学や計算のペーパーテストの結果が素晴らしく、18 X-Rayというカテゴリで入隊する。新兵トレーニングのかなり早い段階で立てなくなり、両側脛骨骨折の診断をうける。陸軍を去る。除隊の形式については、名誉でも不名誉でもなく、入隊取り消しに近い形だった。しかしそれは訓練中に汚させたという軍隊の失敗を覆い隠すためのものだったのかもしれない。

10. Cleard and in love
陸軍を去り、良い職を得るためにまずはTS/SCIという取得が難しい(時間がかかる)クリアランスを取ろうとした。クリアランス取得のための奇怪なプロセスと念入りな検査の様子が描かれる。この頃、後に結婚するリンジー・ミルズとhotornot.comというデーティングサイトを通じで知り合う。22歳のときに遂にクリアランスを取得し、NSAに契約職員として内定し、そしてリンジーと付き合い始める。

第二部

11. The system
二部ではNSAでシステム管理者として働くスノーデンの様子が描かれるが、それに先立って本章ではシステム管理という仕事やインターネットについて、馴染みのない読者むけの解説が行われる。合わせてスノーデン自身のサイバーリバタリアンとでも言うべきインターネット観が開陳される。インターネットは誰もが対等で、生活と自由と幸せを追求する場だった。そしてその考え方はアメリカの建国の意図と相似しているとスノーデンは言う。

12. Homo Contractus
米政府が契約を通じて、安全保障という本来の役割を放棄しているという批判が行われる。契約制度は予算を肥大させ、しかしその金が職員ではなく企業にはいり、また予算が何に使われたかの透明性を損なう。スノーデン自身は、「CIAが契約したBAEシステムと契約したCOMSO」つまり孫受け会社の契約職員となったが、COMSOのオフィスに行ったことはなく初日からCIAのオフィスで働いた。

13. Indoc
CIAで働き出した頃のスノーデンの姿が描かれる。新人教育の最後は組織を裏切ったスタッフが壁に繋がれている写真でおわる。CIAの現在のHQはラングレーでなくマクリーンである。スノーデンはマクリーンの中のあるビルでDS(Directorate of Support)の一員として、CIAの通信インフラの設置などの業務を行った。24時間のシフトオペレーションで夜勤になった際に、先輩社員がバカバカしいほど単純な仕事をしているのに閉口する。CIA本部とはいえ、映画に出てくるような緊張感、ひいては国を守っている感覚を得られる仕事ではなかった。夜の空いた時間に秘密情報を読んだ。CIA内部には新聞が報じる数日前に、より詳細な情報が存在した。海外勤務へのあこがれが増し、契約職員から政府職員へと異動を願い出た。契約職員と政府職員の違いはたった1つだけ、忠誠の誓いをし、合衆国憲法のために働くことを誓った。

14. The court of the hill
ワレントントレーニングセンター(通称ザ・ヒル)での研修について。スノーデンはTISOと呼ばれるCIAの現場の通信全般を担当する技術担当の職員を育成するプログラムに参加する。一度フィールドに出れば監視カメラから、太陽光パネルから、エアコンまで電気を使う機会はすべてTISOの管轄となる。幅広い知識が求められた。TISOは拠点を捨てて避難する際の、拠点内の情報の廃棄にも責任を持つ。軍隊の通信兵に似た宿命を背負い、CIAの多くの職種の中でも離婚率が高い。近くのボロボロのホテルでの合宿生活であったが、待遇改善を求めて、上層部と交渉をした。これで目をつけられ、スノーデン自身が全く希望していないジュネーブ勤務の辞令が下る。
またこの章では、古参職員が「CIAはHQなしでも機能するが、ワレントン無しでは動かない」と語るほどの重要性を持つ施設について、大まかな説明がなされる。

15. Geneva
対外的には外交官の身分でジュネーブで勤務する。ジュネーブは国際ケーブルが多く通り、上空の軌道を通信衛星が通り、金融の流れの情報が集まるハブとスノーデンは言う。パーティを通じた協力者の開拓などに、少しだけ協力するも、その効率の悪さが印象に残る。大使館にはSIGINT業務にあたるNSAの職員がいた。様々なツールを持ち、情報へのアクセス権をもつ彼らにスノーデンは憧れた。

16. Tokyo
NSAの業務への憧れ、そして東京という土地への憧れもあり、CIAの職員を辞して、NSAの契約職員(デル社員)として東京にやってくる。リンジーとスノーデンは福生にすんで横田で働いた。NSAのパフィシックテクニカルセンター(PTC)は太平洋地域全体に対するサポートを提供していた。横田基地の建物の半分はPTCの管轄である。CIAを経験したスノーデンの身にNSAは情報の保全に甘さは残るものの、技術力は圧倒的だった。NSAの究極の夢は永遠である。全てのデータを永遠に保持し、完全な記憶装置を作り上げるという野望がある。消えない記録(permanent record)という本書のテーマが再び印象的に現れる。2001年に始まり、2004年の解釈変更でNSAがいかなる情報も令状なしに収集することを可能にしたSTELLARWINDプログラムについてもその証拠となる文書をどのように入手したかが明らかにされる。

17. Home on the Cloud
2011年、デルのCIA担当として米国に戻ったスノーデン。米情報機関向けプライベートクラウドを作る仕事をしていた。仕事のやりがいも、給与も大幅にアップし忙しく過ごしていたところにてんかんの発作があった。母親もてんかん持ちであったが、遺伝性ではないと聞いていた。信じてきた、国とインターネットという2つから裏切られ、最後に自らの身体からも裏切られた。

18. On the Couch
てんかんで車の運転ができなくなり、バージニアでおこなわれるCIAとの会議に参加することが困難になる。様々な病院に行き、検査を受け、治療を試み、薬を試した。特別休暇を取り、数週間母親の家に転がり込んで、ソファーでごろごろしてすごした。その間に権威主義国家における政変などに思いを巡らせた。何も隠すことがないからプライバシーは必要ないというよく見る論法について、スノーデンはそれは「何も主張することがないので、表現の自由は不要」と言うとの同じくらい馬鹿げていると注意をうながす。

第三部

19. The Tunnel
2012年にリンジーとハワイに引っ越す。温暖な気候とよりゆったりとした仕事内容が健康のために必要という考えであった。the TunnelとよばれるハワイのNSAの拠点に自転車で通える場所に家を借りた。収入は減り、新たな役割(MS Sharepointサーバの管理者)は寝ていてもできるような難易度だった。空いている時間を使って、NSAの内部文書を漁り始めたのは、大規模サーベイランスが本当に行われているのか?行われているのであればどのように?という疑問を解決するためだった。

20. Heartbeat
上司の許可を得て、Heartbeatというシステムを作った。サーバはスノーデンの席の近くに置かれた。NSAがアクセスできる全てのサーバから新着情報を収集し、まとめる機能を持つ。通信帯域を専有しないように気をつけた(それがどういうものか詳しい説明はない)。PRISM, upstream, TURBULENCEなどのプログラムについて概要を解説する。後に大量のファイルをジャーナリストに渡せたのは、Heartbeatにファイルが大量に集められ、整理されていたからである。スノーデンはNSAのような高度な技術者が集う組織において、人は疑ってもシステムを疑わない文化があると指摘する。つまり「誰か」が様々なサーバにアクセスし、大量のファイルをダウンロードしていたらすぐに咎められるが、それがシステムであれば何も怪しまれないということだ。

21. Whistleblowing
内部告発をするということについての一般的な理解を高めるための章。過去のNSAからの内部告発者の例をいくつか紹介する。

22. Fourth Estate
内部告発に至るまでにスノーデンが考慮したいくつかの点について。実はNSAによる大規模サーベイランスの告発をした人物は過去にもいる。彼らは特定のメディアにたよったり、Wikileaksに情報を渡すという戦略をとったが、その問題点と、それを克服するためのスノーデン自身の戦略が示される。またどのように証拠してインパクトのあるデータの選別や、どのメディアに情報を渡すかの検討が行われた。ローラ・ポイトラスグレン・グリンワルドに白羽の矢が立った経緯も描かれる。ジャーナリストへのコンタクトは、新たに調達したラップトップで、ハワイ中をドライブし、セキュリティの甘いWiFiアクセスポイントを使って行った。

23. Read, Write, Execute
本章すべてが、KRSOCからどのように大量の文書を持ち出したかということの解説にあてられる。基本的にはHeartbeatサーバからSDカードにファイルをコピーし、それを持ち出した。1つの文書を受け取り手によって微妙に異なるものにする技術(Single User Document)は様々なものがあり、持ち出したファイルから、それをスノーデンによるものと探知される可能性は低くなかった。匿名での告発をあきらめ、自らが告発者として名乗り出るしかなかった。

24. Encrypt
暗号化技術について一般の人の教養を高めるためのCryptoPartyという草の根の活動を支援していたスノーデンは、自らが勉強会を主催し、講師をつとめた。その経緯や参加者の関心がおよそ暗号化技術になかったことに対する失望の様子が描かれる。

25. The Boy
XKEYSCOREとNSA内部での倫理観に乏しいデータの取り扱われ方について。XKEYSCOREをつかって大統領や芸能人の名前を検索すればそれらの通信記録が見れた。監査は行われていたが、監査の目をかいくぐるのは容易かった。2013年3月から5月はハワイで過ごした。内部告発のための最終準備に忙しかったが、二度とアメリカには戻れない、少なくとも自由な生活をできないという覚悟を決めた。その期間の行動は死を覚悟した人間の行動に似ているのではないか。ジャーナリストとは香港で落ち合うことにした。香港を選んだ理由も詳しく語られる。リンジーとの別れの様子が印象的。ハワイの空港で東京行きの航空券を現金で買い、東京からはさらに香港行きを現金で買った。5月20日に香港についた。

26. Hong Kong
5月20日に香港についたが、ジャーナリスト(グレンとローラ)が到着するのは6月2日。それまでの間、ずっとホテルの部屋にこもり、怯えながらも、資料を使ってどのように効果的に説明をおこなうかのイメトレをしていた。ルービックキューブを目印に待ち合わせをして、1014号室に向かった。後にガーディアンのマカスキルが合流し、6月3日から9日までこの部屋で作業が行われた。6月5日にガーディアンが最初の記事を掲載し、以後段階的に報道がされた。内部告発をしたあとの身の振り方について、スノーデンの事前計画は十分でなかった。特定の国と交渉し、事前に亡命を申請していたわけでもなかった。スノーデンのビデオインタビューが公開される前後から、香港にいることがばれる。6月14日に米政府がサーベイランス法に基づき訴追をおこない、21日に正式に引き渡し要請がされた。香港政府から非公式に退去を求められた。

27. Moscow
支援者のアドバイスもあり、エクアドルに向かうことにした。香港から米国の領空を通らずにエクアドルにたどり着くルートは1つしかなかった。それがモスクワ経由だった。香港発モスクワ行きの飛行機にのった。モスクワでは情報機関の職員が待ち構えており、そこでロシア人の口から自らのパスポートが米国政府によって無効にされたこと、従ってロシアからエクアドルに向かう飛行機には乗れないことを告げられる。空港で立ち往生した。その間多くの国に対して亡命を要請したが、非公式に同情の意を示す国は多かったが、米国を敵に回してまで亡命を受け入れる国はなかった。スノーデンが空港にいることによる諸問題がおき、ロシア政府は8月1日に一時的亡命を許可した。

28. From the Diaries of Lindsey Mills
スノーデンのガールフレンドであるリンジーの日記の抜粋を通して当時の状況を伝える試み。5月23日の時点で彼女がスノーデンが香港にいると確信していたこと。スノーデンのSkypeのステータスメッセージが「ごめん。でもやらなければいけないことだった」と設定されていたことなど。当事者にしかかけない事が多い。中でも、6月9日にスノーデンのインタビューを見て「This was the man I loved, not the cold distant ghost I'd recently been living with」と書き残しているのは、リンジーの強さが伝わってくる。

29. Love and Exile
スノーデン自身の現在の生活について。モスクワ市内の普通のアパートでリンジーと暮らしている。

感想

スノーデンの内部告発については、様々な報道があり、ドキュメンタリーがあり、フィクションの映画まで作られている。それと比べた場合の本書の価値は、香港以降の足取りが少し明らかになったことである。アサンジを手助けした法律アドバイザーと共に行動し、たまたまロシアに亡命することになった流れは初見の情報が多かった。
未だにロシア政府と事前にコンタクトがあったという、噂がつきまとうスノーデンだが、本書には当然ながらそういう気配はない。スノーデン自身は、自らをアメリカという国家のために人生を捧げた両親や祖先の家庭で育った、ごく一般的な人間として見せようとしている。
ここでは本に何が書かれているかについて語ってきたが、もう一つの重要な視点は何が書かれなかったのかという点である。それは別の機会にまとめたい。

ガールフレンドのインスタグラムを見る限り、ロシアから一歩も出れない、クレジットカードを使えないなど様々な不便さはあるものの、仲良くモスクワで暮らしているようでなによりである。



Oct 3, 2019

9月の光景

エドワード・スノーデンの回想録「Parmanent Record」を読んでいる。『(インテリジェンスコミュニティで働くために)必要なのは100%潔癖なことではない。将来脅しの材料となるような隠し事がないことだ。』という言葉は納得してしまう。表と裏を使い分ければ分けるほど、人間的整合性が損なわれ人として圧力に弱くなる。

2019/9/1 (Sun)
アウトドアショップとカフェが複合した施設に遊びにいって、ご飯を食べる。ビルの中にテントがたっていて、その中にこしらえられたテーブルとイスでご飯を食べる。
エアコンがきいていて、手が汚れず、虫にさされない、それでもアウトドア気分という不思議な感覚。

2019/9/3 (Tue)
チームメンバーの誕生日ということで、昼休みにみんなで近所の鰻屋さんに行く。

2019/9/4 (Wed)
大学の友人と渋谷で飲み会。久しぶりに渋谷で降りたが、やっぱりにぎやかだ。
帰宅後、電話会議。


2019/9/5 (Thu)
元同僚と飲みに。急遽にもかかわらず7人集まって、OBの多方面での活躍を聞く。

2019/9/6 (Fri)
夕方歯医者

2019/9/7 (Sat)
自宅で博論の続き。途中で集中力が切れて7km走る。夜に娘を親戚の家に引き取りにいく。夜は2人で寝る。

2019/9/8 (Sun)
移転したお菓子屋さんにシュークリームを買いに。シュークリームは母親が作ってくれた手作りのやつが美味しかった。難しいらしいが、いつか自分で作りたい。
友人K氏が奥さんを連れて我が家に遊びに来る。お土産にもらったうさぎの人形のついたお菓子のバスケットが娘に刺さってた。
夜台風。


2019/9/9 (Mon)
台風のせいで朝から都内は電車が広範に運休していた。朝一からのセミナーは午後開始にリスケされたので、11時頃自宅を出る。13時少し前に文京区のIPAオフィス着。
ワークショップの進行を手伝った。夜は懇親会。日本の研修生が非常に積極的にいろいろな準備をしているのが印象的。


2019/9/14 (Sat)
午後に歯医者

2019/9/17 (Tue)
この日までに博論を9割仕上げて、学位審査委員会を立ち上げる手続きに入りたかったが、間に合わず。

2019/9/18 (Wed)
トラックボールを真面目に使ったことはなかったが、同僚が貸してくれたので試してみる。ボールが大きくなるとそれだけ操作しやすいかと思っていたが、意外とそうでもない。むしろ重くなって、細かい操作が難しくなる。3日間使った結論は、「Macbookのトラックパッドのほうが全然楽」である。

夜電話会議。

2019/9/20 (Fri)
咳がひどい。からんだ痰を吐き出そうと咳をすると肋骨が激しく痛む。
遊びに来た、子どもたちに癒やされつつも、翌日医者にいってきちんと治療することを覚悟。

2019/9/21 (Sat)
朝から形成外科へ。肋骨は折れているかもしれないが、レントゲンでは見えない。サポーターをもらい、同時に呼吸器科にいくことを進められる。その足で呼吸器科へ。神秘湯という漢方薬を処方される。
この日はほぼ使い物にならず。
大学の制度的にはこの日が単位取得満期退学の日。5年半お世話になりました。単位取得退学すると慶應のオンラインジャーナルのダウンロードができなくなる。そしてEduroamが使えなくなる。この2つだけなんとかして継続できないものか?
大学のサーバにおいていて個人WebサイトもGithub pagesに移す。http://www.sparky.jp/

夜回転寿司に行く。




2019/9/24 (Tue)
先日行った呼吸器科へ。血液検査の結果は問題なし。吸い込むタイプのステロイドと追加の漢方薬を処方される。

2019/9/25 (Wed)
韓国出張。朝4時半起き。車、バス、飛行機を乗り継いて昼頃韓国に着く。ソウルにある日本大使館のすぐ横のホテルに泊まったので、ホテルに行く道で慰安婦像の横を通る。平日の昼間だが抗議の集会が行われていた。参加者の多くが中学生、高校生であることに驚いたが、聞くところによれば学校の先生が授業の一環として集会に生徒を引率して参加しているとのこと。「安倍やめろ」という日本語のプラカードをもっている若い女性、「仲良くしよう」というプラカードをもっている年配の男性。小さな空間の中に、いろいろなメッセージがあったと思う。


夜はホストの韓国側のご招待でイタリア料理を食べに行く。
韓国側トップの大学教授のお父さんがこの日他界されたらしく、急遽ディナーを欠席。翌日以降のスケジュールも大幅に見直されることに。理由が理由なのでみんなとても協力的。

2019/9/26 (Thu)
朝ごはんを食べながら中国の研究者と漢方薬について語る。神秘湯という漢方薬を見て「ミステリアススープ!」と喜んでいた。漢方は中国由来の薬だと思っていたが、中国人には馴染みがないとのこと。
送迎バスに乗って高麗大学のキャンパスへ。キャンパスの敷地が広大で羨ましい。学長、学部長が揃い踏み。



2019/9/27 (Fri)
午前は会議の続き。合間にホテルをチェックアウトする。昼に会議がおわる。次回のホストは日本、楽しみである。
昼ごはんは参加者全員で仁寺洞(インサドン)に行き韓定食をいただく。その後o’sulloc(オソルロッ) TEA HOUSEでアイスクリームを食べる。


ホテルに戻って少しだけ仕事をして金浦空港へ移動。電車は乗ってしまえば楽だが、ノルマでのナビゲーションには改善の余地がある。

金浦空港は1年前と比較して大幅に改装されていた。スターアライアンスのラウンジがきれいになっていた。しかし、それでも狭いな。
羽田について、先生に大学の精算処理に必要な航空券の半券を託したら、シンガポール行きに乗るため乗り換えの手続き。韓国でもらったペーパーナイフは機内に持ち込めない。時間もないので廃棄せざるを得ない。

ラウンジで同僚2人と合流する。夜21:30に山口先生のインターネットの殿堂入りが公表される。


2019/9/28 (Sat)
未明に羽田を離陸。朝7時前にシンガポールにつき、Grabでホテルへ移動。朝ごはんを食べる。
ちょうどインターネットの殿堂入りセレモニーがネットで中継されており、山口先生のご家族が変わりに賞を受け取りスピーチする姿をシンガポールから見守る。生まれたときからインターネットが当たり前に存在する世代から、それを作り上げた世代への敬意が感じられるよいスピーチだった。この件、2年半に渡って、ずっと調整してきた。たとえどれだけ素晴らしい成果をあげていても、インターネットの殿堂に認めさせるためには、キャリアのどの部分に焦点をあて、誰に推薦してもらい、選考委員になにを評価してもらうかの戦略が必要になる。我ながらよく頑張れたと思う。
午後はオーストラリアの取引先と打ち合わせ。そのままディナーへ。オーストラリアと日本のコンビで4年間やってきた。わりとよいコンビネーションだったので残念である。

2019/9/29 (Sun)
朝から会議。
夜はディナー。シンガポールには今週、ASEANの閣僚が集まる会議、コモンクライテリアの会議、政府関係者向けIT会議、その他各種バイラテラルの会議が行われていて、関係者はみんなとても忙しそう。

2019/9/30 (Mon)
終日会議。同僚がプレゼンを行う。きっちり練習した成果が現れていてよかった。

夜は地元のシーフードレストランにチリクラブ、ブラックペッパークラブを食べに行く。手が汚れることを見越してティッシュ持参。

食後に1年前に宿泊し、キンドルを置き忘れたホテルに行き、1年ぶりに自分のキンドルと再開を果たす。その後、別のホテルに泊まっている同僚とホテルのバーで打ち合わせ。


久しぶりの覆麺はおいしすぎて危険


Sep 2, 2019

8月の光景

経済学者の正村公宏という人のことを知ったのはつい最近のことである。1993年の「産業主義を越えて」という著書で、正村は情報化社会を恐るべき正確さで予言している。
今後の先進社会では、技術的に可能なことをどこまでも追求したいという誘惑をしりぞけて、開発や応用を禁止しなければならないような先端的な領域が拡大するものと予想される(p.70)
これは現在のAIやLAWSの議論にそのまま当てはまる。Windows3.1の時代に、経済学者がである。こういう先見の明があるのはどういう生い立ちの人なのか、気になって調べたところ、正村は重度のダウン症の子供を持っていた。NHKスペシャルにとりあげられた様子が「心の絆を結び合う」というWebサイトに残っている。物言わぬ息子の、明瞭とは言えない潜在意識と会話をしようとする父親の姿がそこに浮かび上がる。正村は障害を持つ息子の子育てを経た経験を研究に活かし、福祉社会論という学問の地平を切り拓いた。良い学者の、良い研究の条件というのは人それぞれだろう。博覧強記、プレゼンがうまい、科研費を取るのが上手、賞をとっているなどよりも大事だと私が思うのは、その人の生き様が研究と相互依存していることだ。正村は子育てに苦しみ、楽しみ、そこから福祉社会論が生まれた。そういう研究からは巧拙を越えた圧力を感じる。
なお正村はこうも言っている。
20世紀を動かしたのは産業主義、民主主義、国民国家の3つである(p23-25)
21世紀を動かすのもその3つなのか、ゆくゆく考えてみたい。

2019/8/1 (Thu)
夜飲み会と手帳に書いてあるがどこいったっけ? AI Superpowerという本の日本語版が出版されると聞いているのだが、Amazonでみてもステータスが不明。英語の原書を買った。英語の本を読むのは日本語の10倍の時間がかかった。最近、嫌々ながらも英語でよんでいたら、英語でも飛ばし読みができるようになり、日本語の3倍くらいまでに読む時間が減ってきた。

2019/8/2 (Fri)
友人K氏とビールを飲みに行く。世界は動いていることを感じる。

2019/8/3 (Sat)
歯医者へ。1年ぶりに行ったら新たな虫歯ができていて、先生から心を入れ替えて治療するようにとお説教。反省する。


2019/8/4 (Sun)
図書館で博論の続き。2時過ぎに帰宅。子供と公園に行き、人工池と体育館で遊ぶ。ブランコの上達が凄まじい。

2019/8/6 (Tue)
辛いラーメンが食べたいと思い、ランチに有名な激辛ラーメンを食べにいった。その日の午後、強烈なにんにく臭で周囲に迷惑をかける。
ヨーロッパでは"Flight Shame"という運動があるらしい。環境に優しくない飛行機移動を「カッコ悪い」と捉える。個人が飛行機移動を少しでも減らす選択をすれば、その環境インパクトは絶大だという話。ヨーロッパだと確かにそうかもしれない。

2019/8/8 (Thu)
JPNICに行ったり、霞が関に行ったり。

2019/8/10 (Sat)
朝一で市民プールに子供とお出かけ。プールサイドは日焼けをしているおじさん達で埋め尽くされている。優雅でうらやましい、5年後は自分もあっち側にいきたいと思いつつ、目の離せない子供の監視。
夕方、初めて食べに行ったお好み焼き屋さんが美味しかった。

2019/8/11 (Sun)
娘を連れて散髪、公園。その後スーパーで3枚におろした新鮮なアジを買って、自宅で大葉とネギをつかってタタキにして食べる。ここ数年自分で作った食べ物で一番美味しい。
実家から夏の味覚、白桃が箱で送られてくる。地元の果物は美味しい。
ペットボトルをもって、30分以上かけて5km走る。暑い。


2019/8/13 (Tue)
お盆で電車は空いていて快適。

2019/8/15 (Thu)
考えさせられるブログを読んだ。『人生がソシャゲだとするなら、親とはゲーム開始後一番最初のガチャである。強いカードを引くことができれば、面白いくらいにうまくいく。ゴミみたいなカードを引けば、高確率でゴミみたいな人生を送ることになる。』という絶妙に軽妙な書き出しで語られる、筆者自身の毒親からの脱走の記録である。筆者は今現役の大学生らしい。強く生きている人に頑張ってほしいというのも失礼な話かもしれんが、頑張ってほしいと思った。そして改めて自分の現在の立場に占める、ガチャ運(親)の要素の大きさに思いを馳せる。
毒親から逃げて家出した大学生の話

この本編ともよべるものが筆者によって公開されているが、目次だけであまりにヘビーでまだ読めない。

2019/8/16 (Fri)
前回のベトナム旅行でスーツケースのフレームがものの見事に曲がってしまった。帰国後すぐにANAのカウンターにもっていき無償修理に出してもらう。
なおってよかった。気に入っているスーツケースなので長く使いたい。

2019/8/17 (Sat)
図書館で博論執筆の続き。夜は友人家族と回転寿司に。早く食べ終わった子どもたちをつれて、おもちゃコーナーで遊ぶ。

慶應大学と一橋大学は大学図書館利用の協定があり、どちらかの学生は両方の図書館を利用できる。この制度のおかげ、ここ数年、一橋大学図書館には大変お世話になった。人文系の資料充実度は素晴らしく、広大な敷地は締め切りでささくれ立つ心の慰めになった。単位取得満期退学に伴い、もう利用できないのは残念だが、感謝の念でいっぱいである。
一橋大学はマンホールも違う

2019/8/19 (Mon)
9月末にならないと言えないイベントの準備で、国内の関係者との調整。作文する。

2019/8/21 (Wed)
フランスからの来客。寿司を食べに行く。香港の混迷は先が見えない。しかし煮魚はうまい。



2019/8/22 (Thu)
夜は会社の懇親会で社内で軽食とビール。定期的にやっているが、出張と重なることが多く、久しぶりに出れた気がする。五一わいんの美味しいやつがあった。

2019/8/23 (Fri)
日本シーサート協議会の会合で、CSIRTのあるべき姿についての講演をする。具体的に今何をすべきかを質疑でつっこまれて回答に窮す。それは人によっても場によっても異なりそうだ。中国や韓国と日本の関係が微妙な時期になり、CSIRTの国際連携にも厳しい目が向けられていることを再確認。しかし何よりも懐かしい顔ぶれにあえて良かった。

2019/8/24 (Sat)
朝全く執筆の気力が起きないので5kmラン。その後ペースを取り戻して7頁程書く。

2019/8/25 (Sun)
1日部屋にこもって、滞っていた8月末締め切り原稿の自分の部分を師匠にメール送付。

2019/8/27 (Tue)
神田のクラフトビールで暑気払い。


2019/8/28 (Wed)
夜、電話会議。電話会議はマイクとスピーカーの性能が重要である。特にマイクのハードウェア性能が重要。経験的に音質がいいのはiPhone -> Macbook -> Android携帯 -> Windows PCの順になる。要はApple製品はオーディオ周りが強い。昔はPolycomのSkype専用マイクを使っていたが、この日はYamahaのYVC-1000という10万円近くするスピーカーとマイクを使う。さすが専用デバイス、段違いに音質いい。多分スピーカーとマイクの位置が物理的に離れるのが一番聞いている。ボタン一発で環境を自ら診断してくれるのがすごい。アナウンスはブリティッシュアクセントである。ただでかいので会議参加人数が10人超えるくらいから真価を発揮しそうである。数名であればYVC-300が使い勝手がよい。

2019/8/31 (Sat)
長い文章を書くときに、エディタのこだわりなどは人並みにあるのだが、結局のところこの世はWord社会である。指導教官が、出版社が、大学の窓口が、ひいては世間がTexやMarkdownで書かれた何かを受け取ってくれない以上、Wordを受け入れるしかない。
そして真剣に使いだすと、書いている原稿が100頁を越えてくると初めて分かるのだが、Wordはかなり完成度の高い道具である。むしろベストといっていい。
Wordの数少ない問題点はgitとの相性の悪さである。特にgit diffで前のバージョンとの比較をしずらい。ある程度諦めていたが、同じ会社の人が書いたプログラムでかなりいい感じの差分がとれることを知り、手元の2台のパソコンにセットアップした。快適。もっと早くやればよかった。optexというツールが何なのか理解しないで、ただ説明に従うだけで、使えちゃってるのがすごい。

Aug 1, 2019

7月の光景

今月は山口先生の先輩からの依頼でタイに行き、そこで山口先生の弟子とお参りをし、それ以外にも山口先生の存在を感じる場面が多かった。

2019/7/2 (Tue)
とある予算の使いみちについてオーストラリアのシンクタンクに相談するための電話会議。
師匠が賞をいただく。その授賞式にお招きいただきお祝いをする。一次会はいかにもなホテルのいかにもな宴会場。二次会は近所の海鮮居酒屋でろばた焼き。どっちかというと後者が楽しかった。




2019/7/3 (Wed)
朝一で霞が関へ。夕方は接客、その後会社の近くで取引先との懇親会に参加する。取引先は2年、長くて3年経てば顔ぶれがどんどん変わっていく。今の代の面々とも健全な関係が築けてよかった。
亡命した北朝鮮外交官の手記「三階書記室の暗号」を読む。中国はかなり真剣に北朝鮮に対して核開発から手を引くよう再三警告していたことをこの本で知る。

2019/7/4 (Thu)
人身事故で電車が止まっているが、朝の接客があり、乗車率200%の電車に意を決して飛び込む。満員電車内に人権はないなと。絶対に引っ越すことを改めて自分自身に誓う。

2019/7/5 (Fri)
朝9時からのアメリカにいる取引先との電話会議、終わってから霞が関、そして三田へ。翌週からのバンコク出張のために会社に戻ってエクセルと向き合う。

2019/7/6 (Sat)
夜遅くに羽田へ。

2019/7/7 (Sun)
日付変わって0時20分にタイへ向けて離陸。朝6時にはバンコク空港着。ここからタクシーに乗って、パトゥムターニー県(バンコクではない)にあるAITという大学へ。4日間の
インターネットガバナンスに関するサマーキャンプに講師として招かれた。

大学の近辺にはびっくりするぐらいなにもない。アメリカの田舎に近いなにもなさ。タクシーに30分乗ってショッピングモールに行き、買い物をしてご飯を食べる。






2019/7/8 (Mon)
終日聞き仕事。夜は参加者たちとディナー。

2019/7/9 (Tue)
ほぼ聞き仕事。夕方のパネルディスカッションに参加。もう一人のパネリストは人権活動家。
インターネット上での規制はできる限り行わないほうがよいという彼女と、適切な規制は必要であるという立場の自分。お互いのスタンスの違いはあったがパネルのあとに話してみると優れたバランス感覚を持つ人で、1時間ほど立ち話。



2019/7/10 (Wed)
11時から1時間半の講義。サイバーセキュリティガバナンスについて。
お昼過ぎから閉校式。このプロジェクトのリーダー/創設者であるキルナム・チョン先生にかわり、新たなリーダーが指名された。頑張れ新リーダー。
翌日の予定に備えて夕方5時頃にバンコク市内へタクシー移動。恐ろしい渋滞にはまり通常40分のところ、2時間かかる。

2019/7/11 (Thu)
MRTとBTSを乗り継いでBang Wa駅へ。そこからタクシーにのってマヒドン大学を訪問。授業というよりはファカルティ4名と学部生3名との会議を行う。現実に見える高度なサイバーセキュリティインシデントの傾向について。
その後大学構内を案内してもらってから、ワットパークナムというお寺へ。僕を招いてくれた、タイの大学の先生は山口先生の弟子である。
二人でお寺にいって功徳をしようというお誘いを断る理由はない。みようみまねの瞑想をして、故人を偲ぶ。
夜はタイの取引先とカニを食べに行く約束をしていたが、あまりに疲れてホテルで寝落ち。



2019/7/12 (Fri)
火曜に知り合った人権活動家の人とホテルで朝食。人権活動家というのは現実を顧みず、安全な立場からひたすら理想の社会を唱える集団だと私は誤解していたかもしれない。彼女の話をきけば、その仕事は明確に様々な危険と隣り合わせである。自らの命をかけてまで、他人の人権を改善したいというモチベーションはどこからくるのか?その1点についていろいろ突っ込んだ質問をした。
昼過ぎにバンコク発。深夜日付が変わる頃に帰宅。帰りの飛行機もAmazonプライムのジャイアント・ビーストを見る。

2019/7/13 (Sat)
タイ土産のマヒドン大学のマスコットクマぬいぐるみは娘にうけた。夜は回転寿司を食べにいく。安い回転寿司だが、久しぶりの寿司めちゃうまい。

2019/7/14 (Sun)
自宅で読書。胃がんのリスクチェックのためにピロリ菌検査をしてみる。結果は数日でWebもしくは郵送で送られてくる。とにかく健康には気をつけていきたい。

2019/7/15 (Mon)
自宅で読書。博論なかなか進まない。

2019/7/16 (Tue)

2019/7/17 (Wed)
自宅→霞が関→会社→霞が関という効率の悪い移動の日。最後の打ち合わせのあと、師匠のおごりで帝国ホテルのラウンジへ。作戦会議。

2019/7/19 (Fri)
家族旅行を機に禁煙をしようと思っていたので、1日早くiQOSを捨てる。
三田と赤坂見附でそれぞれ打ち合わせ。帰宅して夜中に海外の研究者のヒアリングに協力。エジンバラでの約束を果たせて一安心。

2019/7/20 (Sat)
タクシー、リムジンバスを乗り継いで羽田空港へ。そこからハノイへ飛ぶ。6泊の家族旅行である。
ハノイではいきなりタピオカティー(Bubble Tea)を買いに行く。歯が痛くてタピオカが噛めない。


2019/7/21 (Sun)

2019/7/22 (Mon)
ホテルのプールで遊んだり。


ランチはハノイの名店、Green Tangerineへ。裏切らない。


2019/7/23 (Tue)
午前若干時間があまったのでフォーの名店、Pho Thinを訪問。ネギが嫌いな家族も喜んでたべていた。昼頃ベトナム航空の国内線でダナンへ移動。

ホテルのプールで遊んでから、妻が手配した出前の麺類を部屋で食べる。
ダナンでは洗濯物をランドリーサービスに出す予定だったが、量が多いので料金が馬鹿にならない。調べるとローカル向けのランドリーサービスがある。お値段は洗濯物1kg毎に100円と破格である。Google Mapのメッセージ機能を使って、このランドリー屋とチャットしていろいろ確認する。
結果、1)午前中に僕が洗濯物をホテルのフロントに預け、2)それをランドリー屋が回収、料金をチャットでお知らせ、3)夕方5時までに乾燥し畳んだ洗濯物をまたホテルのフロントに預ける という流れになった。結論から言えば諸々3.5kgの洗濯物をあずけ、350円で夕方にホカホカの洗濯物が帰ってきた。ホテルに頼んだらおそらく10倍以上かかったんだろう。

2019/7/24 (Wed)
朝からビーチで遊ぶ。砂浜の砂の質が思ったよりサラサラでよい。
2ヶ月前に仕上げた論文がやっと出版された。すかさずTwitterで宣伝!




2019/7/25 (Thu)
早朝、ホテルの静かな場所を探して、電話会議。ホテルの部屋に戻ると妻が腹痛を訴える。結局、妻はこの日ベッドで1日を過ごし、僕は娘と2人で遊ぶ。
朝食、プール遊び、市街地のペッパーランチで昼食、チョコレート店でお土産購入、プール遊び、風呂、おかゆの出前とる。なかなか疲れる。正直途中で倒れそうになる。

2019/7/26 (Fri)
ベトナム最終日。ホテルの朝食を食べてから荷造り。ダナン→ハノイ→羽田。
行きのフライトでスーツケースが壊れたので、引取修理の手続きをする。

2019/7/27 (Sat)
自宅についたのはこの日の未明。家族が寝付いたのが2時半くらい。その後いろいろして、結局4時に就寝。12時起床。

2019/7/28 (Sun)
再び始発に乗って羽田空港へ。北京への1泊2日の弾丸出張。もう3回目なのでいろいろ慣れました。
行きの飛行機は師匠おすすめのインドの核実験を描いたインド映画Parmanuというのを見る。インド目線なので核実験はみずからの生存のための命綱という前提である。斬新で面白い。


昼過ぎに北京の定宿にチェックイン。ジョギングをしようと思ったが、思った以上に外が暑いので、ホテルのジムのトレッドミルで4kmだけ走る。飛び込み競技の中継を見ながら走ってたらあっという間。夜は日中関係者が集って食事会。やることないので20時半に就寝。

2019/7/29 (Mon)
朝から30分ほど歩いて取引先のシンクタンクを訪問。近況報告と研究の方向性について意見交換。その後出して頂いたお弁当を食べて、空港に向かうタクシーに乗る。スコールのような豪雨で道路が一部冠水していた。飛行機も40分ほど遅延したが、とにかく帰国。
1泊2日で「ブス界へようこそ」「編集漂流記」「大統領失踪」の上巻を読み終える。

2019/7/30 (Tue)
予定通り歯医者に行き、前歯2本に詰め物をしてもらう。

2019/7/31 (Wed)
単位取得退学の手続きなどを済ませる。とにかく博論を進めないといけない。








Jun 30, 2019

6月の光景

G20に、オリンピックに、ラグビーにとサイバーセキュリティ業界が数年先のイベントにフォーカスする中、相変わらず今週と5年後くらいのことしか考えられない毎日である。

2019/6/2 (Sun)
ホームセンターでミニトマトときゅうりとしその苗を購入。プランターも大きめのものを新調する。家に帰って植える。
その後、近所の魚屋へ。茹でズワイガニとキンメダイのお頭とカマスの塩焼きを買って帰り、キンメダイは煮付ける。子供と公園に遊びにいったりする。
夜、サイバー空間と権威主義国家について考えていることを整理。世界のネットワークを大雑把に図にすれば、権威主義国家がいかに弱い影響力しかもってないかがよくわかる。

キャプションをつけるならアメリカの覇権ってとこか?
注文していたアンドロイドスマホ、Pixel 3aが届いて、セットアップ。

2019/6/5 (Wed)
修正を加えた原稿について編集部から採択決定の連絡あり。一安心。

2019/6/6 (Thu)
夕方6時に接客。感触は良かったが、後日期待していなかった返事をもらってがっくり。

2019/6/8 (Sat)
子供の幼稚園の参観日チックな催し。親戚に送り迎えしてもらい、幼稚園に行く。なんとなく幼稚園生活というものをイメージできてよかった。


昼前に電車にのって、帰省している元同僚とその家族と昼ごはんを食べに行く。駅の近くの公園で子供を遊ばせる。
髪の毛切りに行ったが、なんかちょっと角刈りっぽい仕上がり。
夕方、成田空港へ移動。まずは韓国へ。

2019/6/9 (Sun)
日付変わった直後くらいに韓国のインチョン着。ここで一度飛行機を降りて、エチオピアへと向かう。
エチオピア空港で、さらにウガンダのエンテベ空港行きに乗り換え。乗り換えの時間が迫っていて焦ったが、飛行機降りたところで留め置かれ、そこからバスでエンテベ行きの飛行機の足元へ。慣れ親しんだエチオピア空港のラウンジに今回は立ち寄れず。



2019/6/10 (Mon)
ウガンダには昼過ぎに到着する。空港からホテルまで渋滞のせいで2時間のタクシー(Uber)。ウガンダ(のカンパラ)はナイロビやセネガルというアフリカを代表とする大都市と比べると大分のんびりしている雰囲気。仕事はしやすそうだ。
タクシー社内で学会誌に掲載される論文の校正二稿のメールを受領。会場をちらっと下見して、ルームサービスでご飯を食べて、寝る。


2019/6/11 (Tue)
1日のトレーニング。制御セキュリティに関する講義を少しだけしたが、参加者にはいまいち実感のない話題だったようだ。
参加者の一人がファーウェイのウガンダ支社の従業員であったことから、「ファーウェイ製品を使用することのセキュリティ懸念」に関するディベートが始まり、それは面白かった。

参加者たちと
夜はフランスからの参加者と内緒の相談があると言われディナー。

2019/6/12 (Wed)
前の日は終日喋りまくったので、適度な体の疲れがあって、快眠できた。おかげで時差ボケきれいに抜ける。ウガンダ国内でエボラ出血熱の感染が確認されたというニュースが入り、会議会場にいる非アフリカ出身者の間にも若干の緊張が走る。タイミング悪いな。
ホテルのビジネスセンターで論文を印刷して、最終確認。いくつか問題点を指摘して、編集委員会にメール。これでこの案件は終了。
夜は講師全員が招待されるディナーをサボって、AfricaCERTの知人と近況報告のディナー。その後夜7時からBoFと言う名前の居残り特訓。6人ほどと昼間の会議では時間の関係で説明できなかったことについて話す。





2019/6/13 (Thu)
終日聞き仕事。しかしアフリカ地域にも潮目の変化が訪れている気がする。1つ目はAfriNICという地域インターネット組織への不信の連鎖。これは一部の個人の軽率な行動が積み重なっただけのようにも思えるが、アフリカの伝統だという人もいる。2つ目はサイバーセキュリティに対する国の関与の強化への期待。ウガンダというお国柄もあったのかもしれないが。
この日の夜も7時から9時までBoF。

2019/6/14 (Fri)
朝ホテルをチェックアウトし、会議会場へ行く。ナイジェリアのCERTの人がフィッシング詐欺について発表する中で、急に20人くらいの若者の記念写真を見せ「これがヤウヤウボーイズ。長年フィッシング詐欺などで荒稼ぎしていた。」と説明していた。ヤウヤウボーイズという名前が妙に新鮮。
会場の音響の手配や、遠隔からのプレゼンの準備などを手伝う。午後は1年に1度しか合わない上司もウガンダに現れ、短いながらも久しぶりの再会を果たせてよかった。



夜11時にウガンダからまずはブリュッセルへ。

2019/6/15 (Sat)
ウガンダ→ブリュッセル→フランクフルト→エジンバラと3つの飛行機をのりついで、エジンバラ空港に到着する。早速手荷物受取場所で、FIRST会議の常連参加者とに遭遇する。
夕方、同僚と合流。クレジットカードをもらう。これでご飯が食べられる。早速近所のピザ屋へ。
フラッと入ったお店だったが、結果的にこの週いちばんうまいピザが食べられて、大変よかった。

2019/6/16 (Sun)
昼過ぎ、カンファレンス会場でレジストレーションを済ます。夕方からアイスブレーカー。
4年間一緒に働いた元FIRST理事たちに挨拶まわり。参加者は1100人を超えているとのこと。組織運営は大変順調である。


毎年カンファレンスの週の木曜午後に総会が開かれ、理事選挙が行われる。5人の枠に候補者が5人だったが、この日の昼過ぎに6人目が立候補。選挙することが決定する。急遽東京の同僚にいろいろな仕事を依頼。

2019/6/17 (Mon)
朝起きたら朝日新聞の報道を知る。一言で言えばコインチェックの件は北朝鮮のグループによるものという国連の報告書などに疑問を呈するもの。使われたマルウェアの種類に踏み込んでいるのが新しい。裏とり。
2週間前に、CSIRT研究をしているロンドン大学のTanczer博士が、火曜日の基調講演者として招かれていることを知り、お昼ご飯に誘っていた。その人に、月曜日に早速時間を確保してもらい、いろいろ相談する。午後は1Fの会議室を使ってプライベートな打ち合わせ1件。その後アリババ社の知り合いと雑談。米政府のファーウェイへの対応についてはアリババもいろいろと考えるところがあったようである。
その後FIRSTの財務報告をするセッションへ。ボランティアの理事10人がすべてを取り仕切る体制を脱却し、CEOを雇ったのは非常に大きな一歩だと思う。過去にもなんども健闘されたが適任者がおらず諦めていたが、今回Executive Directorを引き受けてくれたChris Gibson氏は経歴、能力、コミュニティでの知名度を兼ね備える稀有な人材である。FIRST自体もコンスタントに2億-3億の収入が見込まれ、財務体質はかなり良い。
夜は、招待されたレセプションをサボって、T氏と2人で作戦会議。スコットランド流?マカロニ・アンド・チーズ(発音はマッカンチーズ)が美味しかった。


2019/6/18 (Tue)
昨日打ち合わせをしたTanczer博士の基調講演は、アカデミックな発表の色が濃いものだったが、参加者にもうけていたよう一安心。
午後はFIRST理事と打ち合わせ2件。1つは2021年に福岡で行われるFIRSTカンファレンスの準備に関するもの。もう1つはアジアにおけるFIRSTの活動に関するもの。
自分が理事だったときはこんな感じで、毎日多くの会議を入れられていた。「(理事時代の忙しさを)懐かしく思うか?」と現理事に聞かれた。正直離れてみて、よいコミュニティのために働いていたんだなと再度実感できる。コミュニティへの貢献は理事にならずともできるが、入ってくる情報量に大きな差がある。一参加者として参加したほうが、会いたい人と会う時間がとれたり、自社の業務を進められたりできるのは有意義だ。
夜は久しぶりに会う、日本の人数名と中華、その後バー。
きれいな町並み


2019/6/19 (Wed)
アメリカの政府の人と朝ごはんを食べながら情報交換。
セッションをいくつか冷やかす。夕方はバンケット。2年前に手配していたバンドの演奏を楽しむ。


この日のバンケットでFIRSTは「インシデントレスポンスの殿堂」というプログラムにそった、最初の殿堂入り者としてKPK氏を選んだ。氏の受賞スピーチは経験に裏打ちされ、かつ昨今のCSIRTの現状に、創始者としての懸念を感じさせるものだった。でも、ちゃんと聞いている人が少なかったね。

2019/6/20 (Thu)
朝一で取引先との朝食。その後会場の空いている場所をさがして、翌日発表をする同僚の最終リハーサルをする。昼はアジアのCSIRTのみんなと恒例の昼食会。午後にFIRSTの総会。応援していたT氏は見事当選。
夜は選挙で落ちてしまったが、4年間お世話になったCFOを誘ってピザへ。こぢんまりと彼の労をねぎらうつもりだったが、選挙の集計が間違っており、5位(当選)と6位(落選)の順位が入れ替わり、彼があと2年やるということを聞かされる。びっくり。あってはならないミスだが、労をねぎらう会から祝勝会に変わる。

2019/6/21 (Fri)
韓国の大学が編集する論文誌から査読のお仕事の依頼。テーマは興味あるところだが、自分の博論に時間を割かないといけないのでお断り。しかしよく見ているな。
朝は同僚の発表を聞いて、昼前にカンファレンスのクロージング。間髪入れずに2時からナショナルCSIRTだけの1.5日の会議が始まる。
夜は日本からの参加者と会食。その後少人数でバーへ。カウンターで話しかけてきた人が「チキュー」「メサンハイドレ」とか言っていた詳しく聞いていくと技術者としてJAMSTECが所有する地球深部探査船「ちきゅう」に乗り組んでいた人らしい。すごいな。

2019/6/22 (Sat)
朝4時起床。プレゼン資料づくり。こういうのは新鮮さが必要で、今週聞いたエッセンスを詰め込んで30分の発表の資料にしたてる。
昼過ぎに自分のプレゼンテーション。久しぶりに良い発表が出来た気がする。
夜は同僚と4人でお疲れ様の飲み会。疲れたので途中で離脱して寝る。

2019/6/23 (Sun)
朝ごはんをホテルで食べて、空港へ。Uberは需要と供給で料金のバランスを変えるらしい。この日は空港までの料金が通常の1.5倍。高いがしかたない。

2019/6/24 (Mon)
13時ころ東京着。電車が止まっているらしく、バスにのって自宅へ。
久しぶりにあった家族は喜んでいた。遅れていた父の日のプレゼントのクッキーをもらってほっこり。

2019/6/25 (Tue)
朝3時に目が冷めて、書類作業。普通に出社して、早めに帰宅する。

2019/6/26 (Wed)
午後、お世話になった方のご家族と面談。撮りためた写真をプリントして渡す。9月末に向けた準備を進めていく。

2019/6/27 (Thu)
3つ週末を潰したので休暇を取る。久しぶりにジョギングにいって、シャワーをあび、カレーを食べて、髪の毛を切って、シャワーをあび、夕ご飯を食べてシャワーをあびる。結果1日3シャワー。

 
子供と工作をしていると「おうちのひとにきってもらおう!」という作業を自分でやりたがる。「おうちのひと」の作業だと説明すると、自分も「うちに住んでいる、おうちのひと」であり、自分が切ってもいいという主張。筋が通っているので、切らせてあげた。言語の発達のスピードには驚く。

夕方、ドイツのシンクタンクと日EUトラック2という名目の会議の相談。EUと日本での協力というのは本当に難しい。
21時就寝。
南インドのカレーうまい


2019/6/28 (Fri)
夜は飲み会。新たなプロジェクトがはじまる予感。
ラーメン屋で手榴弾型のなにかをぶら下げている人がいてこわい


2019/6/29 (Sat)
自宅で博論および翌週のタイでの講義資料づくり。博論の方は2週間の出張で、片時も忘れたつもりはないが、正直脳みそが切り替わって、原稿のマスをうめられるようになるためのウォームアップが必要だ。これやっぱり集中きらしたらだめだな。

Jun 2, 2019

5月の光景

その日のワシントンD.C.は朝から強めの雨が降っていた。僕は翌日のプレゼン資料をこしらえるために中心部のホテルで朝からひたすらパソコンと向き合っていた。昼頃、お腹が空いてきたが、近場にスーパーはない。Uber Eatsというサービスを使うことにした。誰かが代わりにレストランに行き、指定の商品を買って、指定の場所まで届けてくれるサービスである。

マクドナルドのハンバーガーセットをUber Eatsで注文して30分、ドライバーがホテルの前まで来たという通知がアプリからきたのでロビーまで降りたが、近くにそれらしい人はいない。GPSの情報では確実にドライバーがホテルの周りをウロウロしている。

強い雨の中に飛び出し、ドライバーを探した。ホテルの角をまがってすぐくらいの場所で、ボロボロの日本車があった。ワシントンD.C.の中心部では別の意味で目立つ車である。運転席に人はいなく、後部座席では5歳位の女の子がちょっと疲れた感じでゲームをしていた。ちょっとだけ目が合う。

そのまま坂を20メートルくらい登ったところで、マクドナルドの紙袋を持った黒人の女性を見つけた。太めの体を、ヨレヨレの黒いTシャツに包み、雨の中を傘を持たずウロウロしている。間違いないと思い、声をかけ、ハンバーガーを受け取った。女性は見た目通り疲れ切っているという感じの話し方をする人だった。

お礼をいって、ホテルに戻る道すがら気づいた。さっきの女の子はドライバーの女性の子供だったんだなと。Uber Eatsのドライバーに必要とされるものは少ない。子供を預けずに、お金を稼げる仕事はそう多くないだろう。でも、女の子は1日どれくらいの時間を自動車の後部座席で過ごすのだろう。今日だけなのだろうか、毎日なのだろうか。どこに住んでいて、ここまで配達にきたんだろう。この配達で一体いくらの実入りがあるんだろう。

そしてにわかに、いい大人が雨が鬱陶しいという理由でUber Eatsを使い、疲れた親子にハンバーガーを買ってきてもらうという行動に色々な疑問がわきはじめる。もちろん自分で行くことも出来た。だが、Uber Eatsは間違いなく今回の親子のような事情の人にとって利益のあるサービスなんだろう。それがなくなれば他にどんな仕事があるというのか。

なんとも処理に困るこのモヤモヤは約1年たった今も記憶に刻まれている。新たなオンラインサービスを使って、私が得たのはトランプが就任演説で言った「忘れ去られた人々」との邂逅だった。



2019/5/1 (Wed)
近所のプールに行く。波の出るプールが楽しかったが、子供は怖かったみたいだ。

2019/5/2 (Thu)
午後妻子は東京へ帰省。実家の作業スペースを片付ける。今の仕事用のリュックサックの肩紐がボロボロになっていて、新しいのをどれにするか迷っていたが、結局全く同じやつを購入。

2019/5/3 (Fri)
パソコンを持って、近所のコーヒー屋に行く。回りのおしゃべりがあってもあまり気にならず進む。

2019/5/4 (Sat)
5時起床。北向観音に厄払いのお祓いにいく。護摩行にも参加。朝早いが他にも2名の参加者(?)がいる。寒いお堂で冷え切った体を公衆浴場であたためてから帰宅。市立図書館へ川勝平太の文献を読みに行く。おもしろいおじさんだ。思ったよりはかどって、10ページの原稿をほぼ仕上げた。

というわけで午後は気分転換に釣具屋へ。バス釣りセットが4000円から売っていて、これなら試してもいいんじゃないか?という気になる。
店員さんと相談して、ルアーは難しい、手軽に魚を見たいだけなら渓流エサ釣りがいいだろうというアドバイスをもらう。
渓流竿4.5m、仕掛け、エサ(ミミズ)を購入する。弟もやってみたいとうことで2セット購入。
夜は庭でバーベキュー。鶏もも肉をそのまま1枚で焼いたのが美味しい。

2019/5/5 (Sun)
4時起床。渓流へヤマメ釣りへ。8時まで腰越橋付近で色々試行錯誤するも釣れず。
弟がネットで調べたスポットを見に行くと釣り人が多数。翌日はここに来ようということになる。
帰宅して自宅と近所のコーヒー店で研究プロポーザルの仕上げ。

2019/5/6 (Mon)
4時起床。再び渓流へヤマメ釣りへ。今日もボウズかと諦めかけたところにビビビっとイワナがヒット。カツンとかゴツンではなく、細かいビリビリビリという感じのあたり。ベテラン釣り師のおじさんがくれた3匹と合わせて合計4匹をお持ち帰り。塩焼きにして食べる。格別である。
午後昼寝。夜は後片付け。

2019/5/7 (Tue)
7時台の新幹線で上京というか帰京。会議の連続。夕方トリトンスクウェアへ。神田からはアクセスのよくない場所である。
夜は新橋で牡蠣を堪能。


2019/5/10 (Fri)
深夜電話会議。今までブログでも伏せてきたが、2021年のFIRSTカンファレンスが福岡に決定し、アナウンスされた。日本では2009年に開催されたことがあるが、30年の歴史で2度開催された国はアメリカとドイツと日本のみである。1年前からのもろもろがやっと外に出せる成果になって嬉しい。

2019/5/13 (Mon)
午後会社を休んで、三田キャンパスへ。副査の先生に博論計画へのコメントもらう。

2019/5/18 (Sat)
大学院セミナーでのThesis Proposal。25分の発表を行い、10分の質疑応答。先生たちからは多様な角度からのコメントがでた。
一部に自分の知識量の問題で質問の意味を正確に理解できてなかった。主査の先生から合格のメールをもらう。さてこれでひたすら博論を進めるのみである。
同じ研究室の人の公聴会を聞いたところで、SFCを出発。夜は子供の幼稚園の保護者会の集まり。仕事や大学とはまたぜんぜん違う人のつながりで新鮮である。

2019/5/20 (Mon)
子供のお守りをするために有給を取得。昼ごはんは妻と今まで行ったことのない寿司屋に行き、大学院セミナーパスしたお祝い。
幼稚園から帰ってきた子供とラーメンを食べにいく。
その後、姪っ子を保育園に迎えに行き、まとめて風呂に入れる。ここまで万事順調。
その後夜9時近くなったところで子供は疲れて不機嫌になりだす。
歯ブラシする間もなく寝る。

2019/5/21 (Tue)
Pixel 3aを買った。

2019/5/22 (Wed)
3月1日に投稿したジャーナル論文の査読結果がでる。「条件付き採択」。修正のポイントはそれなりにあるが、主査の先生曰く、だいぶ優しいコメントらしい。

2019/5/23 (Thu)
3年前から根回ししていた件で、粘り勝ちし、素晴らしい結果を出した。中身は9月末までは公開できないが、大変喜ばしい。

2019/5/25 (Sat)
自宅にこもって論文の修正。コメントの趣旨を理解するのが意外と難しい。

2019/5/29 (Wed)
ルーマニアからの来客あり。

2019/5/31 (Fri)
朝から都内のあちこちへ。気を利かせてバス移動を選んでみたら、バスが時刻表より20分遅れてくるという痛いミスもあり。
バスは読めないですな。
急な仕事で夜に予定されていた学生時代の同級生の壮行会をドタキャン。