エドワード・スノーデンの自伝「Permanent Record」。話題の本なので読んでみた。邦訳は11月終わりに出るそうな。(2019/11/12追記。出版される。予約開始。)出版社の動き早くて驚く。
ノースカロライナ州に生まれ、沿岸警備隊の中で情報システムを担当する仕事をしていた父親の影響で早い時期に、コモドール64でプログラミングをしていた。母親や2人の姉妹と共に平和な家庭に育った。
2. THe Invisible Wall
スノーデン自身の家族と先祖の話。父親も、母親も、母方の祖先も、それぞれが軍や沿岸警備隊で働き国のために尽くした人であった。そのことをスノーデン自身が誇りに感じていることが伝わる。子供時代を通じてファミコンで様々なゲームを楽しんだ。ゼルダ、ロックマン、マリオカード、ストリートファイターなどの名前があがる。中でも好きだったのはスーパーマリオ。『マリオは一方向にしか進めず、「見えない壁のせいで」引き返すことはできない。マリオが教えてくれた「人生は引き返せない、前に進むだけ」はもしかすると人生で一番大切な教訓である。』
3. Beltway Boy
中学生ぐらいの時期になり、ワシントンD.C.とアナポリスの間、メリーランド州クロフトンに家族で引っ越す。母親はNSAで仕事を得た。場所柄、隣近所をみても、CIA・NSA・FBIなどで働く家庭が多い特殊な環境だった。親が子供に何の仕事をしているか話せない、お隣がどこに勤めているかわからない、そういう状態が普通であった。
4. American Online
父親が自宅にコンパック製のPC/AT機を買い、これに夢中になる。この時期にインターネットに出会い、そしてオンラインゲーム(具体的にUO)にハマる。1990年代のインターネットをスノーデンは「金のためでなく啓発のために人が働き、良識の集合による規制が行われた場所」と捉える。そして「それは私が経験した中で最も心地よい、栄えたアナーキーであった。」と懐かしんでいる。
5. Hacking
この章を通じて、学校というシステムに疑問を呈するスノーデンのハッカー体質がみてとれる。シラバスの内容を理解し、宿題をせずに好成績を取ろうとしたスノーデンに対して、教師は採点システムを書き換えるという方法で対抗する。スノーデンが、努力を惜しんでいると考えた教師は「君はその頭脳を仕事を避けるためでなく、ベストな仕事をするために使うべきだ。君には大きな才能がある。しかしここでの成績が君の人生に一生ついて回ることに気づいていないようだ。君自身の消えない記録(permanent record)を気にかけたほうがいい。」と語りかける。「消えない記録」という本書のタイトルがここで初めて顔を出す。ハッキングの技術も蓄え、ロスアラモス国立研究所のWebの脆弱性を指摘した顛末も描かれる。
6. Incomplete
高校に入り、父が家を出て、母が家を売り、姉とスノーデンといくつかの家を転々とした。淡々とした語り口だが、生活全般が一転して不安定になったことが伝わる。高校2年で昼夜逆転、成績壊滅、授業でもパソコンの前でも寝るなど生活が荒れる。なるべく早く社会にでて稼ぎたいと考えるようになったスノーデンは、高校卒業していなくとも入学できるコミュニティカレッジに出願し、入学する。
7. 9/11
スノーデン16歳頃の話。母は仕事に没頭し、炊事や洗濯などすべて自分でしていた。このころ日本語学校に通いはじめ、仲良くなった人たちからアニメなどについて聞くうちに、これに傾倒していく。日本語学校で知り合った女性を手伝う形でWebデザインの仕事をしていた。そしてそこで働いているときに9・11同時多発テロが発生した。
8. 9/12
9・11を経験して、自分の技術を国を守るために使いたいという気持ちが芽生える。しかしコンピューターの前の仕事だけでは刺激が少ないように思えた。そこで陸軍で働くことにした。沿岸警備隊で働いた祖先が多い家庭なので、陸軍という選択に母は一日泣き、父は技術の持ち腐れになると反対した。
9. X-Rays
陸軍のリクルーティングシステムについて若干の説明がされる。スノーデンは語学や計算のペーパーテストの結果が素晴らしく、18 X-Rayというカテゴリで入隊する。新兵トレーニングのかなり早い段階で立てなくなり、両側脛骨骨折の診断をうける。陸軍を去る。除隊の形式については、名誉でも不名誉でもなく、入隊取り消しに近い形だった。しかしそれは訓練中に汚させたという軍隊の失敗を覆い隠すためのものだったのかもしれない。
10. Cleard and in love
陸軍を去り、良い職を得るためにまずはTS/SCIという取得が難しい(時間がかかる)クリアランスを取ろうとした。クリアランス取得のための奇怪なプロセスと念入りな検査の様子が描かれる。この頃、後に結婚するリンジー・ミルズとhotornot.comというデーティングサイトを通じで知り合う。22歳のときに遂にクリアランスを取得し、NSAに契約職員として内定し、そしてリンジーと付き合い始める。
二部ではNSAでシステム管理者として働くスノーデンの様子が描かれるが、それに先立って本章ではシステム管理という仕事やインターネットについて、馴染みのない読者むけの解説が行われる。合わせてスノーデン自身のサイバーリバタリアンとでも言うべきインターネット観が開陳される。インターネットは誰もが対等で、生活と自由と幸せを追求する場だった。そしてその考え方はアメリカの建国の意図と相似しているとスノーデンは言う。
12. Homo Contractus
米政府が契約を通じて、安全保障という本来の役割を放棄しているという批判が行われる。契約制度は予算を肥大させ、しかしその金が職員ではなく企業にはいり、また予算が何に使われたかの透明性を損なう。スノーデン自身は、「CIAが契約したBAEシステムと契約したCOMSO」つまり孫受け会社の契約職員となったが、COMSOのオフィスに行ったことはなく初日からCIAのオフィスで働いた。
13. Indoc
CIAで働き出した頃のスノーデンの姿が描かれる。新人教育の最後は組織を裏切ったスタッフが壁に繋がれている写真でおわる。CIAの現在のHQはラングレーでなくマクリーンである。スノーデンはマクリーンの中のあるビルでDS(Directorate of Support)の一員として、CIAの通信インフラの設置などの業務を行った。24時間のシフトオペレーションで夜勤になった際に、先輩社員がバカバカしいほど単純な仕事をしているのに閉口する。CIA本部とはいえ、映画に出てくるような緊張感、ひいては国を守っている感覚を得られる仕事ではなかった。夜の空いた時間に秘密情報を読んだ。CIA内部には新聞が報じる数日前に、より詳細な情報が存在した。海外勤務へのあこがれが増し、契約職員から政府職員へと異動を願い出た。契約職員と政府職員の違いはたった1つだけ、忠誠の誓いをし、合衆国憲法のために働くことを誓った。
14. The court of the hill
ワレントントレーニングセンター(通称ザ・ヒル)での研修について。スノーデンはTISOと呼ばれるCIAの現場の通信全般を担当する技術担当の職員を育成するプログラムに参加する。一度フィールドに出れば監視カメラから、太陽光パネルから、エアコンまで電気を使う機会はすべてTISOの管轄となる。幅広い知識が求められた。TISOは拠点を捨てて避難する際の、拠点内の情報の廃棄にも責任を持つ。軍隊の通信兵に似た宿命を背負い、CIAの多くの職種の中でも離婚率が高い。近くのボロボロのホテルでの合宿生活であったが、待遇改善を求めて、上層部と交渉をした。これで目をつけられ、スノーデン自身が全く希望していないジュネーブ勤務の辞令が下る。
またこの章では、古参職員が「CIAはHQなしでも機能するが、ワレントン無しでは動かない」と語るほどの重要性を持つ施設について、大まかな説明がなされる。
15. Geneva
対外的には外交官の身分でジュネーブで勤務する。ジュネーブは国際ケーブルが多く通り、上空の軌道を通信衛星が通り、金融の流れの情報が集まるハブとスノーデンは言う。パーティを通じた協力者の開拓などに、少しだけ協力するも、その効率の悪さが印象に残る。大使館にはSIGINT業務にあたるNSAの職員がいた。様々なツールを持ち、情報へのアクセス権をもつ彼らにスノーデンは憧れた。
16. Tokyo
NSAの業務への憧れ、そして東京という土地への憧れもあり、CIAの職員を辞して、NSAの契約職員(デル社員)として東京にやってくる。リンジーとスノーデンは福生にすんで横田で働いた。NSAのパフィシックテクニカルセンター(PTC)は太平洋地域全体に対するサポートを提供していた。横田基地の建物の半分はPTCの管轄である。CIAを経験したスノーデンの身にNSAは情報の保全に甘さは残るものの、技術力は圧倒的だった。NSAの究極の夢は永遠である。全てのデータを永遠に保持し、完全な記憶装置を作り上げるという野望がある。消えない記録(permanent record)という本書のテーマが再び印象的に現れる。2001年に始まり、2004年の解釈変更でNSAがいかなる情報も令状なしに収集することを可能にしたSTELLARWINDプログラムについてもその証拠となる文書をどのように入手したかが明らかにされる。
17. Home on the Cloud
2011年、デルのCIA担当として米国に戻ったスノーデン。米情報機関向けプライベートクラウドを作る仕事をしていた。仕事のやりがいも、給与も大幅にアップし忙しく過ごしていたところにてんかんの発作があった。母親もてんかん持ちであったが、遺伝性ではないと聞いていた。信じてきた、国とインターネットという2つから裏切られ、最後に自らの身体からも裏切られた。
18. On the Couch
てんかんで車の運転ができなくなり、バージニアでおこなわれるCIAとの会議に参加することが困難になる。様々な病院に行き、検査を受け、治療を試み、薬を試した。特別休暇を取り、数週間母親の家に転がり込んで、ソファーでごろごろしてすごした。その間に権威主義国家における政変などに思いを巡らせた。何も隠すことがないからプライバシーは必要ないというよく見る論法について、スノーデンはそれは「何も主張することがないので、表現の自由は不要」と言うとの同じくらい馬鹿げていると注意をうながす。
2012年にリンジーとハワイに引っ越す。温暖な気候とよりゆったりとした仕事内容が健康のために必要という考えであった。the TunnelとよばれるハワイのNSAの拠点に自転車で通える場所に家を借りた。収入は減り、新たな役割(MS Sharepointサーバの管理者)は寝ていてもできるような難易度だった。空いている時間を使って、NSAの内部文書を漁り始めたのは、大規模サーベイランスが本当に行われているのか?行われているのであればどのように?という疑問を解決するためだった。
20. Heartbeat
上司の許可を得て、Heartbeatというシステムを作った。サーバはスノーデンの席の近くに置かれた。NSAがアクセスできる全てのサーバから新着情報を収集し、まとめる機能を持つ。通信帯域を専有しないように気をつけた(それがどういうものか詳しい説明はない)。PRISM, upstream, TURBULENCEなどのプログラムについて概要を解説する。後に大量のファイルをジャーナリストに渡せたのは、Heartbeatにファイルが大量に集められ、整理されていたからである。スノーデンはNSAのような高度な技術者が集う組織において、人は疑ってもシステムを疑わない文化があると指摘する。つまり「誰か」が様々なサーバにアクセスし、大量のファイルをダウンロードしていたらすぐに咎められるが、それがシステムであれば何も怪しまれないということだ。
21. Whistleblowing
内部告発をするということについての一般的な理解を高めるための章。過去のNSAからの内部告発者の例をいくつか紹介する。
22. Fourth Estate
内部告発に至るまでにスノーデンが考慮したいくつかの点について。実はNSAによる大規模サーベイランスの告発をした人物は過去にもいる。彼らは特定のメディアにたよったり、Wikileaksに情報を渡すという戦略をとったが、その問題点と、それを克服するためのスノーデン自身の戦略が示される。またどのように証拠してインパクトのあるデータの選別や、どのメディアに情報を渡すかの検討が行われた。ローラ・ポイトラスとグレン・グリンワルドに白羽の矢が立った経緯も描かれる。ジャーナリストへのコンタクトは、新たに調達したラップトップで、ハワイ中をドライブし、セキュリティの甘いWiFiアクセスポイントを使って行った。
23. Read, Write, Execute
本章すべてが、KRSOCからどのように大量の文書を持ち出したかということの解説にあてられる。基本的にはHeartbeatサーバからSDカードにファイルをコピーし、それを持ち出した。1つの文書を受け取り手によって微妙に異なるものにする技術(Single User Document)は様々なものがあり、持ち出したファイルから、それをスノーデンによるものと探知される可能性は低くなかった。匿名での告発をあきらめ、自らが告発者として名乗り出るしかなかった。
24. Encrypt
暗号化技術について一般の人の教養を高めるためのCryptoPartyという草の根の活動を支援していたスノーデンは、自らが勉強会を主催し、講師をつとめた。その経緯や参加者の関心がおよそ暗号化技術になかったことに対する失望の様子が描かれる。
25. The Boy
XKEYSCOREとNSA内部での倫理観に乏しいデータの取り扱われ方について。XKEYSCOREをつかって大統領や芸能人の名前を検索すればそれらの通信記録が見れた。監査は行われていたが、監査の目をかいくぐるのは容易かった。2013年3月から5月はハワイで過ごした。内部告発のための最終準備に忙しかったが、二度とアメリカには戻れない、少なくとも自由な生活をできないという覚悟を決めた。その期間の行動は死を覚悟した人間の行動に似ているのではないか。ジャーナリストとは香港で落ち合うことにした。香港を選んだ理由も詳しく語られる。リンジーとの別れの様子が印象的。ハワイの空港で東京行きの航空券を現金で買い、東京からはさらに香港行きを現金で買った。5月20日に香港についた。
26. Hong Kong
5月20日に香港についたが、ジャーナリスト(グレンとローラ)が到着するのは6月2日。それまでの間、ずっとホテルの部屋にこもり、怯えながらも、資料を使ってどのように効果的に説明をおこなうかのイメトレをしていた。ルービックキューブを目印に待ち合わせをして、1014号室に向かった。後にガーディアンのマカスキルが合流し、6月3日から9日までこの部屋で作業が行われた。6月5日にガーディアンが最初の記事を掲載し、以後段階的に報道がされた。内部告発をしたあとの身の振り方について、スノーデンの事前計画は十分でなかった。特定の国と交渉し、事前に亡命を申請していたわけでもなかった。スノーデンのビデオインタビューが公開される前後から、香港にいることがばれる。6月14日に米政府がサーベイランス法に基づき訴追をおこない、21日に正式に引き渡し要請がされた。香港政府から非公式に退去を求められた。
27. Moscow
支援者のアドバイスもあり、エクアドルに向かうことにした。香港から米国の領空を通らずにエクアドルにたどり着くルートは1つしかなかった。それがモスクワ経由だった。香港発モスクワ行きの飛行機にのった。モスクワでは情報機関の職員が待ち構えており、そこでロシア人の口から自らのパスポートが米国政府によって無効にされたこと、従ってロシアからエクアドルに向かう飛行機には乗れないことを告げられる。空港で立ち往生した。その間多くの国に対して亡命を要請したが、非公式に同情の意を示す国は多かったが、米国を敵に回してまで亡命を受け入れる国はなかった。スノーデンが空港にいることによる諸問題がおき、ロシア政府は8月1日に一時的亡命を許可した。
28. From the Diaries of Lindsey Mills
スノーデンのガールフレンドであるリンジーの日記の抜粋を通して当時の状況を伝える試み。5月23日の時点で彼女がスノーデンが香港にいると確信していたこと。スノーデンのSkypeのステータスメッセージが「ごめん。でもやらなければいけないことだった」と設定されていたことなど。当事者にしかかけない事が多い。中でも、6月9日にスノーデンのインタビューを見て「This was the man I loved, not the cold distant ghost I'd recently been living with」と書き残しているのは、リンジーの強さが伝わってくる。
29. Love and Exile
スノーデン自身の現在の生活について。モスクワ市内の普通のアパートでリンジーと暮らしている。
未だにロシア政府と事前にコンタクトがあったという、噂がつきまとうスノーデンだが、本書には当然ながらそういう気配はない。スノーデン自身は、自らをアメリカという国家のために人生を捧げた両親や祖先の家庭で育った、ごく一般的な人間として見せようとしている。
ここでは本に何が書かれているかについて語ってきたが、もう一つの重要な視点は何が書かれなかったのかという点である。それは別の機会にまとめたい。
ガールフレンドのインスタグラムを見る限り、ロシアから一歩も出れない、クレジットカードを使えないなど様々な不便さはあるものの、仲良くモスクワで暮らしているようでなによりである。
構成
本書は3部構成となっている。1部は生い立ちから、CIAで働き始めるまでの過程を描く。2部はCIAとNSAで具体的にどのような業務を行っていたのかを、そして3部は内部告発を行うと決心してから、それを実行し、追われる身となってモスクワでの生活を始めるまでを描く。それぞれの部は10程度の章に分かれており、以下では章ごとにその内容を大雑把にまとめる。第一部
1. Looking Through the Windowノースカロライナ州に生まれ、沿岸警備隊の中で情報システムを担当する仕事をしていた父親の影響で早い時期に、コモドール64でプログラミングをしていた。母親や2人の姉妹と共に平和な家庭に育った。
2. THe Invisible Wall
スノーデン自身の家族と先祖の話。父親も、母親も、母方の祖先も、それぞれが軍や沿岸警備隊で働き国のために尽くした人であった。そのことをスノーデン自身が誇りに感じていることが伝わる。子供時代を通じてファミコンで様々なゲームを楽しんだ。ゼルダ、ロックマン、マリオカード、ストリートファイターなどの名前があがる。中でも好きだったのはスーパーマリオ。『マリオは一方向にしか進めず、「見えない壁のせいで」引き返すことはできない。マリオが教えてくれた「人生は引き返せない、前に進むだけ」はもしかすると人生で一番大切な教訓である。』
3. Beltway Boy
中学生ぐらいの時期になり、ワシントンD.C.とアナポリスの間、メリーランド州クロフトンに家族で引っ越す。母親はNSAで仕事を得た。場所柄、隣近所をみても、CIA・NSA・FBIなどで働く家庭が多い特殊な環境だった。親が子供に何の仕事をしているか話せない、お隣がどこに勤めているかわからない、そういう状態が普通であった。
4. American Online
父親が自宅にコンパック製のPC/AT機を買い、これに夢中になる。この時期にインターネットに出会い、そしてオンラインゲーム(具体的にUO)にハマる。1990年代のインターネットをスノーデンは「金のためでなく啓発のために人が働き、良識の集合による規制が行われた場所」と捉える。そして「それは私が経験した中で最も心地よい、栄えたアナーキーであった。」と懐かしんでいる。
5. Hacking
この章を通じて、学校というシステムに疑問を呈するスノーデンのハッカー体質がみてとれる。シラバスの内容を理解し、宿題をせずに好成績を取ろうとしたスノーデンに対して、教師は採点システムを書き換えるという方法で対抗する。スノーデンが、努力を惜しんでいると考えた教師は「君はその頭脳を仕事を避けるためでなく、ベストな仕事をするために使うべきだ。君には大きな才能がある。しかしここでの成績が君の人生に一生ついて回ることに気づいていないようだ。君自身の消えない記録(permanent record)を気にかけたほうがいい。」と語りかける。「消えない記録」という本書のタイトルがここで初めて顔を出す。ハッキングの技術も蓄え、ロスアラモス国立研究所のWebの脆弱性を指摘した顛末も描かれる。
6. Incomplete
高校に入り、父が家を出て、母が家を売り、姉とスノーデンといくつかの家を転々とした。淡々とした語り口だが、生活全般が一転して不安定になったことが伝わる。高校2年で昼夜逆転、成績壊滅、授業でもパソコンの前でも寝るなど生活が荒れる。なるべく早く社会にでて稼ぎたいと考えるようになったスノーデンは、高校卒業していなくとも入学できるコミュニティカレッジに出願し、入学する。
7. 9/11
スノーデン16歳頃の話。母は仕事に没頭し、炊事や洗濯などすべて自分でしていた。このころ日本語学校に通いはじめ、仲良くなった人たちからアニメなどについて聞くうちに、これに傾倒していく。日本語学校で知り合った女性を手伝う形でWebデザインの仕事をしていた。そしてそこで働いているときに9・11同時多発テロが発生した。
8. 9/12
9・11を経験して、自分の技術を国を守るために使いたいという気持ちが芽生える。しかしコンピューターの前の仕事だけでは刺激が少ないように思えた。そこで陸軍で働くことにした。沿岸警備隊で働いた祖先が多い家庭なので、陸軍という選択に母は一日泣き、父は技術の持ち腐れになると反対した。
9. X-Rays
陸軍のリクルーティングシステムについて若干の説明がされる。スノーデンは語学や計算のペーパーテストの結果が素晴らしく、18 X-Rayというカテゴリで入隊する。新兵トレーニングのかなり早い段階で立てなくなり、両側脛骨骨折の診断をうける。陸軍を去る。除隊の形式については、名誉でも不名誉でもなく、入隊取り消しに近い形だった。しかしそれは訓練中に汚させたという軍隊の失敗を覆い隠すためのものだったのかもしれない。
10. Cleard and in love
陸軍を去り、良い職を得るためにまずはTS/SCIという取得が難しい(時間がかかる)クリアランスを取ろうとした。クリアランス取得のための奇怪なプロセスと念入りな検査の様子が描かれる。この頃、後に結婚するリンジー・ミルズとhotornot.comというデーティングサイトを通じで知り合う。22歳のときに遂にクリアランスを取得し、NSAに契約職員として内定し、そしてリンジーと付き合い始める。
第二部
11. The system二部ではNSAでシステム管理者として働くスノーデンの様子が描かれるが、それに先立って本章ではシステム管理という仕事やインターネットについて、馴染みのない読者むけの解説が行われる。合わせてスノーデン自身のサイバーリバタリアンとでも言うべきインターネット観が開陳される。インターネットは誰もが対等で、生活と自由と幸せを追求する場だった。そしてその考え方はアメリカの建国の意図と相似しているとスノーデンは言う。
12. Homo Contractus
米政府が契約を通じて、安全保障という本来の役割を放棄しているという批判が行われる。契約制度は予算を肥大させ、しかしその金が職員ではなく企業にはいり、また予算が何に使われたかの透明性を損なう。スノーデン自身は、「CIAが契約したBAEシステムと契約したCOMSO」つまり孫受け会社の契約職員となったが、COMSOのオフィスに行ったことはなく初日からCIAのオフィスで働いた。
13. Indoc
CIAで働き出した頃のスノーデンの姿が描かれる。新人教育の最後は組織を裏切ったスタッフが壁に繋がれている写真でおわる。CIAの現在のHQはラングレーでなくマクリーンである。スノーデンはマクリーンの中のあるビルでDS(Directorate of Support)の一員として、CIAの通信インフラの設置などの業務を行った。24時間のシフトオペレーションで夜勤になった際に、先輩社員がバカバカしいほど単純な仕事をしているのに閉口する。CIA本部とはいえ、映画に出てくるような緊張感、ひいては国を守っている感覚を得られる仕事ではなかった。夜の空いた時間に秘密情報を読んだ。CIA内部には新聞が報じる数日前に、より詳細な情報が存在した。海外勤務へのあこがれが増し、契約職員から政府職員へと異動を願い出た。契約職員と政府職員の違いはたった1つだけ、忠誠の誓いをし、合衆国憲法のために働くことを誓った。
14. The court of the hill
ワレントントレーニングセンター(通称ザ・ヒル)での研修について。スノーデンはTISOと呼ばれるCIAの現場の通信全般を担当する技術担当の職員を育成するプログラムに参加する。一度フィールドに出れば監視カメラから、太陽光パネルから、エアコンまで電気を使う機会はすべてTISOの管轄となる。幅広い知識が求められた。TISOは拠点を捨てて避難する際の、拠点内の情報の廃棄にも責任を持つ。軍隊の通信兵に似た宿命を背負い、CIAの多くの職種の中でも離婚率が高い。近くのボロボロのホテルでの合宿生活であったが、待遇改善を求めて、上層部と交渉をした。これで目をつけられ、スノーデン自身が全く希望していないジュネーブ勤務の辞令が下る。
またこの章では、古参職員が「CIAはHQなしでも機能するが、ワレントン無しでは動かない」と語るほどの重要性を持つ施設について、大まかな説明がなされる。
15. Geneva
対外的には外交官の身分でジュネーブで勤務する。ジュネーブは国際ケーブルが多く通り、上空の軌道を通信衛星が通り、金融の流れの情報が集まるハブとスノーデンは言う。パーティを通じた協力者の開拓などに、少しだけ協力するも、その効率の悪さが印象に残る。大使館にはSIGINT業務にあたるNSAの職員がいた。様々なツールを持ち、情報へのアクセス権をもつ彼らにスノーデンは憧れた。
16. Tokyo
NSAの業務への憧れ、そして東京という土地への憧れもあり、CIAの職員を辞して、NSAの契約職員(デル社員)として東京にやってくる。リンジーとスノーデンは福生にすんで横田で働いた。NSAのパフィシックテクニカルセンター(PTC)は太平洋地域全体に対するサポートを提供していた。横田基地の建物の半分はPTCの管轄である。CIAを経験したスノーデンの身にNSAは情報の保全に甘さは残るものの、技術力は圧倒的だった。NSAの究極の夢は永遠である。全てのデータを永遠に保持し、完全な記憶装置を作り上げるという野望がある。消えない記録(permanent record)という本書のテーマが再び印象的に現れる。2001年に始まり、2004年の解釈変更でNSAがいかなる情報も令状なしに収集することを可能にしたSTELLARWINDプログラムについてもその証拠となる文書をどのように入手したかが明らかにされる。
17. Home on the Cloud
2011年、デルのCIA担当として米国に戻ったスノーデン。米情報機関向けプライベートクラウドを作る仕事をしていた。仕事のやりがいも、給与も大幅にアップし忙しく過ごしていたところにてんかんの発作があった。母親もてんかん持ちであったが、遺伝性ではないと聞いていた。信じてきた、国とインターネットという2つから裏切られ、最後に自らの身体からも裏切られた。
18. On the Couch
てんかんで車の運転ができなくなり、バージニアでおこなわれるCIAとの会議に参加することが困難になる。様々な病院に行き、検査を受け、治療を試み、薬を試した。特別休暇を取り、数週間母親の家に転がり込んで、ソファーでごろごろしてすごした。その間に権威主義国家における政変などに思いを巡らせた。何も隠すことがないからプライバシーは必要ないというよく見る論法について、スノーデンはそれは「何も主張することがないので、表現の自由は不要」と言うとの同じくらい馬鹿げていると注意をうながす。
第三部
19. The Tunnel2012年にリンジーとハワイに引っ越す。温暖な気候とよりゆったりとした仕事内容が健康のために必要という考えであった。the TunnelとよばれるハワイのNSAの拠点に自転車で通える場所に家を借りた。収入は減り、新たな役割(MS Sharepointサーバの管理者)は寝ていてもできるような難易度だった。空いている時間を使って、NSAの内部文書を漁り始めたのは、大規模サーベイランスが本当に行われているのか?行われているのであればどのように?という疑問を解決するためだった。
20. Heartbeat
上司の許可を得て、Heartbeatというシステムを作った。サーバはスノーデンの席の近くに置かれた。NSAがアクセスできる全てのサーバから新着情報を収集し、まとめる機能を持つ。通信帯域を専有しないように気をつけた(それがどういうものか詳しい説明はない)。PRISM, upstream, TURBULENCEなどのプログラムについて概要を解説する。後に大量のファイルをジャーナリストに渡せたのは、Heartbeatにファイルが大量に集められ、整理されていたからである。スノーデンはNSAのような高度な技術者が集う組織において、人は疑ってもシステムを疑わない文化があると指摘する。つまり「誰か」が様々なサーバにアクセスし、大量のファイルをダウンロードしていたらすぐに咎められるが、それがシステムであれば何も怪しまれないということだ。
21. Whistleblowing
内部告発をするということについての一般的な理解を高めるための章。過去のNSAからの内部告発者の例をいくつか紹介する。
22. Fourth Estate
内部告発に至るまでにスノーデンが考慮したいくつかの点について。実はNSAによる大規模サーベイランスの告発をした人物は過去にもいる。彼らは特定のメディアにたよったり、Wikileaksに情報を渡すという戦略をとったが、その問題点と、それを克服するためのスノーデン自身の戦略が示される。またどのように証拠してインパクトのあるデータの選別や、どのメディアに情報を渡すかの検討が行われた。ローラ・ポイトラスとグレン・グリンワルドに白羽の矢が立った経緯も描かれる。ジャーナリストへのコンタクトは、新たに調達したラップトップで、ハワイ中をドライブし、セキュリティの甘いWiFiアクセスポイントを使って行った。
23. Read, Write, Execute
本章すべてが、KRSOCからどのように大量の文書を持ち出したかということの解説にあてられる。基本的にはHeartbeatサーバからSDカードにファイルをコピーし、それを持ち出した。1つの文書を受け取り手によって微妙に異なるものにする技術(Single User Document)は様々なものがあり、持ち出したファイルから、それをスノーデンによるものと探知される可能性は低くなかった。匿名での告発をあきらめ、自らが告発者として名乗り出るしかなかった。
24. Encrypt
暗号化技術について一般の人の教養を高めるためのCryptoPartyという草の根の活動を支援していたスノーデンは、自らが勉強会を主催し、講師をつとめた。その経緯や参加者の関心がおよそ暗号化技術になかったことに対する失望の様子が描かれる。
25. The Boy
XKEYSCOREとNSA内部での倫理観に乏しいデータの取り扱われ方について。XKEYSCOREをつかって大統領や芸能人の名前を検索すればそれらの通信記録が見れた。監査は行われていたが、監査の目をかいくぐるのは容易かった。2013年3月から5月はハワイで過ごした。内部告発のための最終準備に忙しかったが、二度とアメリカには戻れない、少なくとも自由な生活をできないという覚悟を決めた。その期間の行動は死を覚悟した人間の行動に似ているのではないか。ジャーナリストとは香港で落ち合うことにした。香港を選んだ理由も詳しく語られる。リンジーとの別れの様子が印象的。ハワイの空港で東京行きの航空券を現金で買い、東京からはさらに香港行きを現金で買った。5月20日に香港についた。
26. Hong Kong
5月20日に香港についたが、ジャーナリスト(グレンとローラ)が到着するのは6月2日。それまでの間、ずっとホテルの部屋にこもり、怯えながらも、資料を使ってどのように効果的に説明をおこなうかのイメトレをしていた。ルービックキューブを目印に待ち合わせをして、1014号室に向かった。後にガーディアンのマカスキルが合流し、6月3日から9日までこの部屋で作業が行われた。6月5日にガーディアンが最初の記事を掲載し、以後段階的に報道がされた。内部告発をしたあとの身の振り方について、スノーデンの事前計画は十分でなかった。特定の国と交渉し、事前に亡命を申請していたわけでもなかった。スノーデンのビデオインタビューが公開される前後から、香港にいることがばれる。6月14日に米政府がサーベイランス法に基づき訴追をおこない、21日に正式に引き渡し要請がされた。香港政府から非公式に退去を求められた。
27. Moscow
支援者のアドバイスもあり、エクアドルに向かうことにした。香港から米国の領空を通らずにエクアドルにたどり着くルートは1つしかなかった。それがモスクワ経由だった。香港発モスクワ行きの飛行機にのった。モスクワでは情報機関の職員が待ち構えており、そこでロシア人の口から自らのパスポートが米国政府によって無効にされたこと、従ってロシアからエクアドルに向かう飛行機には乗れないことを告げられる。空港で立ち往生した。その間多くの国に対して亡命を要請したが、非公式に同情の意を示す国は多かったが、米国を敵に回してまで亡命を受け入れる国はなかった。スノーデンが空港にいることによる諸問題がおき、ロシア政府は8月1日に一時的亡命を許可した。
28. From the Diaries of Lindsey Mills
スノーデンのガールフレンドであるリンジーの日記の抜粋を通して当時の状況を伝える試み。5月23日の時点で彼女がスノーデンが香港にいると確信していたこと。スノーデンのSkypeのステータスメッセージが「ごめん。でもやらなければいけないことだった」と設定されていたことなど。当事者にしかかけない事が多い。中でも、6月9日にスノーデンのインタビューを見て「This was the man I loved, not the cold distant ghost I'd recently been living with」と書き残しているのは、リンジーの強さが伝わってくる。
29. Love and Exile
スノーデン自身の現在の生活について。モスクワ市内の普通のアパートでリンジーと暮らしている。
感想
スノーデンの内部告発については、様々な報道があり、ドキュメンタリーがあり、フィクションの映画まで作られている。それと比べた場合の本書の価値は、香港以降の足取りが少し明らかになったことである。アサンジを手助けした法律アドバイザーと共に行動し、たまたまロシアに亡命することになった流れは初見の情報が多かった。未だにロシア政府と事前にコンタクトがあったという、噂がつきまとうスノーデンだが、本書には当然ながらそういう気配はない。スノーデン自身は、自らをアメリカという国家のために人生を捧げた両親や祖先の家庭で育った、ごく一般的な人間として見せようとしている。
ここでは本に何が書かれているかについて語ってきたが、もう一つの重要な視点は何が書かれなかったのかという点である。それは別の機会にまとめたい。
ガールフレンドのインスタグラムを見る限り、ロシアから一歩も出れない、クレジットカードを使えないなど様々な不便さはあるものの、仲良くモスクワで暮らしているようでなによりである。