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Feb 25, 2011

海釣りと船酔いと会社と仕事の話

釣りにも海にも縁がない人生を送っているが、2年前に一度だけ先輩に海釣りに連れて行ってもらったことがある。季節は秋真っ盛り、僕らは岩手のとある湾でヒラメを釣りに行った。釣り船にのせられて30分ほど沖に出たのだが、その日は海が荒れていた。海は初心者にまったく優しくない。よく海に出ている先輩とその弟さんが「今日はひどい」といって気持ち悪くなるくらいの荒れ方なのだから、相当だったのだと思う。波は前から横から斜め後ろから釣り船をおそう。他の乗り物では味わえない3次元の揺れである。僕はあっという間に普段なら「運転手さんそこで停めてください」というレベルにまで気持ち悪くなった。が、そこは海のど真ん中である。このうねりから逃げるすべはない。絶望的だった。
そんな僕を見かねて先輩が助言をくれた。「こみやまさん、竿や手元や近くの海を見てはだめです。遠くをみて、そしてただ見るだけじゃなく遠くの一点を集中して見てください。たとえば遠くに見える、あの岸にある3角形の岩。あれだけをじっと見るんです。」 藁にもすがる気持ちで、僕は遠くの岩をひたすらに見続けた。船は揺れる、床は斜めになる、バケツは転がる。そんななか遠くの岸の1つの岩だけを見続けた。しばらくすると、自分でも驚くほどに、酔いがおさまった。遠くの動かない一点をみることによって、相対的に自分の姿勢がわかりやすくなり、三半規管が調整を行えるようになったというのがからくりだと思う。先人の知恵というのはすばらしいものである。見事船酔いから復活した僕はヒラメと鯖とおおきなアイナメを釣って、人生初の海釣りを首尾よく終えることができた。

さて、ここで書きたいのは釣りたてのヒラメの刺身がいかに旨いかについてではない。今の自分の状況とそれを生き抜くヒントを図らずもこの海釣りで得ていたということである。

エンジニアとして始まった僕の社会人経験はおよそ10年の旅をへて、岸をずいぶん離れた、潮のうねりが激しいところにさしかかっている。うねりは大小様々である。国内での選挙や海外の政変の変化によって引き起こされるうねりに翻弄されかと思えば、ものすごーく小さな人間関係の亀裂にあたふたさせられる。そして波はどの角度からもやってくる。スポンサーからも上司からも、上司の上司からも、同僚からも、海外の取引先からも。波はどれもユニークで、不規則で、制御不能だ。さらに数が半端じゃないときている。

こんなに波が激しいと、どうしても足下をみて、小さな波をみて、その一つ一つにそなえるようになってしまう。波に翻弄されているのである。このままでは激しく船酔いしてしまうこと確実である。

ではどうするか? 船酔いと一緒だ、遠くにある動かない一点を集中して見るのだ。たぶん僕の場合、遠くの一点というのは「誰もが安心してネットを使える社会」である。それがかなり遠いところにあることは知っているが、この際その距離はどうでもいい。そうやって遠くの一点を集中して見ていれば、手元や近くの変化に一喜一憂することなく、絶望することなく、驕ることなく、流されることなく、ぶれることなく仕事をしていける。 、、、いけるんじゃないかな?いけるといいな。

正直、もう帰りたい と思ってた時

なお、ヒラメや各種岩手の海産物のうまさについては以前書いたブログを参照されたい。