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Dec 9, 2019

ミリオンマイラー達成記念。好きな空港、航空会社、国のトップ5

先月ミリオンマイラーになった。ANAという会社のマイレージカードを持っているのだが、この会社と提携するスターアライアンス加盟企業のフライトにのった距離が通算100万マイルを超えたのである。



我ながらなかなかの快挙だと思う。ANAはミリオンマイラーになると記念品として派手なバッジを送ってくるのだが、頻繁に飛行機に乗っていて、ミリオンマイラーのバッジをつけている人を見たことは片手で数えられるほどしかない。(50万マイルやダイヤモンドは毎回必ず見る。) 100万マイルはなかなか達成できないのである。羽田ーニューヨークなら75往復分とよばれているほど自分が飛行機に乗ったというのは素晴らしい。
今回はこの快挙(笑)を記念し、これまで訪れた/使った96の空港、29の航空会社、60カ国でそれぞれトップ5を勝手に決めていきたい。
ちなみに僕が今までに乗った飛行機を地図に書き出すと以下のようになる。




好きな空港部門

究極、空港という場所には飛行機を発着させるという目的があり、施設はどうしても似通ってしまう。しかし、その中でも不思議なカラーの違いがでてくる。そのカラーが好きなベスト5をあげていく。ホームとして使っている成田と羽田は除くことにした。

第5位

福岡。明太子が買える唯一の国際空港である。空港が市街地に近くアクセス最高である。その割に、早朝・夜まで便があるのがすごい。コードがFUKなのが時々ドキッとすると外国の人も言ってた。

第4位

バンコク(スワンナプーム)。アジアのハブ空港としては、一般にシンガポールのチャンギ空港が有名である。ところが実際に東南アジアを飛び回っている中で、ハブとして使ったのはバンコクである。理由はよくわからないが、東南アジア全般に直行便がない場合は、バンコクで乗り換えすることが多い。チャンギもバンコクも巨大な空港である。乗り換え時間が短い場合にゲートまで走ることもある。バンコクは構造が立体になっていて走りやすい。

第3位

サンフランシスコ空港。仕事でアメリカに行くことは多いが、入国管理、手荷物の扱いなどでサンフランシスコ空港はアメリカでもかなり上位に入る。アメリカ国内の他の空港がひどいだけにサンフランシスコが相対的によく見えている可能性もあるが。レンタカーでの移動も楽な空港である、。

第2位

ウィーン空港。サイズが小さく、デザインが近代的。使いやすい空港である。

第1位

イスタンブール空港。中東のハブ。旅をしているということを最も強く感じさせる空港である。独特のデザイン、行き先掲示板に分刻みで並ぶ見たこともない行き先への便、歩き回る様々な人種、服装の人たち、それらが渾然となって独特の空間になっている。加えてトルコ航空のラウンジが立派で寛げるというのも大きい。



好きな航空会社部門

多少飛行機に乗る人は、あの航空会社は絶対イヤだという話で盛り上がれるはずである。もちろん、僕にだって嫌いな航空会社はある。あるどころではない。しかし、ここではあえて好きな会社を、ポジティブに選んでいく。

第5位

ルフトハンザ航空。ブリュッセルエアラインと僅差である。両者ともに就航都市が多く、欧州らしい洗練されたサービスと定時運行へのやる気を感じる。ルフトハンザはビジネスクラス、ファーストクラスラウンジの上にファーストクラスターミナルというファーストクラス乗客専用ターミナルをフランクフルト空港に持っている。1度連れて行ってもらい、私は現代の龍宮城だと思った。詳しくは検索してほしい。

第4位

大韓航空。まさかの非スターアライアンス。多分人生で最初の頃に乗った会社で、機内食のビビンバに感動した記憶が20年以上生きている。それからCAさんの制服がかわいい。白と水色の一団が横切っていくのをみるとつい目で追ってしまう。

第3位

カタール航空。機内食が大変豪華である。ドバイのエミレーツ航空もそうだが、中東のエアラインのサービスは本当に採算が取れているのか疑わしいレベルである。そしてカタールの空港につくと街が無意味にライトアップされている。いいな、いいな、化石燃料があるっていいな。そう思いながら着陸する。

第2位

エチオピア航空。日本からアフリカ各地に行く場合、スターアライアスの場合空の玄関口になりうるのはアジスアベベ(エチオピア)、ヨハネスブルグ(南アフリカ)、ナイロビ(ケニア)くらいだろうか。そして成田からこの3つのどれかに行く場合、最短はエチオピア航空のアジスアベベ行きとなる。このフライトは成田-アジスアベベの直行と言いながら、昔は香港、今は韓国で止まる偽直行便である。しかし、仕事でアフリカに行くとなれば、偽だろうがなんだろうが、直行っぽい飛行機があるだけで、ありがたい。
エチオピア航空が偉大なのは、他の全てがルーズなアフリカで、欧米人が我慢できるサービスを展開できていることである。エチオピア人の勤勉さが生んだアフリカの奇跡である。アジスのラウンジでは時間帯によってはエチオピアコーヒーを振る舞うサービスがあってそちらもおすすめである。

第1位

ANA。日本にいる人は、JAL派とANA派に分かれる。特に僕より上の年代だと、フラッグシップキャリアとしてのJALの格式が響いているのかJAL派が多い気がする。JALとの比較でANAが良いのは、中国本土や欧米への海外直行便が多いことである。オセアニア方面以外は、基本的にJALよりANAが優秀というイメージがある。近年では機内食含めたサービスではANAよりもJALのほうが一段上という気がする。2社で競争していってほしい。(でも片方は会社更生法適用を受けてて、フェアな競争なのかという疑問は残るよね。)

好きな国

観光で行くとしておすすめしたい、というか自分が休みがとれたら行きたい国を独断と偏見で選んでいく。

第5位

スイス。スイスの山間の景色の美しさは筆舌に尽くしがたい。山育ちということもあり、山のある景色に対しての、本能レベルでの喜びがある。そしてスイスの山々は天気が悪くても、冬でもそこそこ見れるのである。どんな悪条件でもちゃんと観光として成立する、それがスイスの素晴らしさである。今はどこでも食べられるチーズフォンデュも本場はより美味しいような気がしてしまう。

第4位

グアム。実際、家族旅行でも行っている。きれいな海、英語が通じること、静かで落ち着いた町中で子供連れにとっても過ごしやすい。大抵の人は南の海といえばハワイを連想すると思う。そのハワイとの比較においては物価の安さ、近さ、時差の少なさがグアムのメリットだ。特に時差1時間(ハワイは5時間、しかも日付変更線を超える)は短い日程の旅行に大きな違いを生む。モーリシャスも、ゴールドコーストも、バリも捨てがたい。ただアクセスを重視してここはグアムとしたい。

第3位

ウクライナの東部は観光できるような状態ではないが、キエフは去年少しだけ訪れて大いに感動した。豊かな歴史、伝統のサッカーチーム、最高品質のウォッカ。最大の驚きは、普通のパン屋に売っている普通のパンが、日本よりだいぶ美味しいことである。日本円で3000円だせば、かなり高級なレストランでお腹いっぱいになる。

第2位

スペインのバルセロナ。ある程度の数のヨーロッパの国にいくと、どこも似たように見えてくる。たいてい中心部に教会があって、お城の跡があった、石畳の通りが続いて、、、街の根本的な作りが似ているのである。そう思ってヨーロッパをちょっと舐めだした頃に、バルセロナに行き、サグラダ・ファミリアに度肝を抜かれ、町中に点在するガウディの作品が調和する不思議な町並みに驚いた。夜はタパスバーに繰り出し、ローカルのおじちゃんと仲良く慣れれば最高である。

第1位

カナダのバンクーバー。春先の気候のいいアメリカ西海岸は極楽である。サンフランシスコやシアトルに世界中から、お金持ちが集まる理由の1つは間違いなくその快適にある。バンクーバーはそういった西海岸の天気を、もう少し涼しくした気候である。海も山もあり、ウィンタースポーツもできる。自転車に乗る人は、レンタル自転車で車道の中の自転車レーンを爆走するのも楽しい。アジア移民が多いため、中華から韓国料理から和食まで全て簡単に手に入る。

ここでおわるが、好きな航空会社よりも、好きな空港よりも、ひどい目にあった空港とか要注意な航空会社のほうが面白くなりそうだ。需要があればまた書きたいと思う。

Dec 2, 2019

11月の光景


宮本正興・松田素二編の改訂新版新書アフリカ史を4ヶ月くらいかけてようやく読み終えた。アフリカに旅するときに感じる様々な疑問の答えが見つかったし、それ以上に多くの謎をくれる本である。

たとえ人口一〇〇〇万人を有していてもアフリカの集団は「トライブ」と呼ばれ、人口数十万人であってもヨーロッパの集団は「ネイション」と呼ばれることには、白人優越主義が見え隠れしている。 loc.5920

国家機構の掌握が膨大な利権の源泉になるという事実がある。(中略)とりわけ地場民間資本の発展が遅れたアフリカにあっては、国家権力は魅力的であった。それはまさに「打出の小槌」だったのである。 loc.6182

アフリカ史にアプローチするということは、これまで自分自身を支えてきた世界観を再考し再創造する営みでもある。 loc.220

四世紀にわたる奴隷貿易の結果、ヨーロッパ産の安価な金属製品や織物のために地元産業や工芸が衰退し、技術は停滞した。この期間に、アフリカの低開発化が進み、人種差別が深く根をおろした。 loc.3095

ヨーロッパの「文明国」は民主的な契約に基づいて国家を形成するが、「未開」なアフリカ人は首長のもとで停滞的な「部族生活」を営んでいるというイメージである。それは、アフリカ社会に彼らが実際に侵入する以前にヨーロッパにおいて発明された loc.3625

一九五七年三月、ゴールドコーストは、パン・アフリカニズムの理想を高く掲げるンクルマを指導者として、サハラ以南のアフリカで最初の独立国となった。国名は西アフリカの古代アフリカ帝国の名をとってガーナと命名された。 loc.5533


これでもまだこの本を読む気にならないそこのあなた。この本では、煮魚革命(loc.734)、バナナ革命(loc.951)、キャッサバ革命(loc.999)、豹の丘伝統(loc.1256)が語られますよ!知りたくはないですか? 煮魚という革命を。。。

2019/11/1 (Fri)
夜電話会議

2019/11/4 (Mon)
振替休日だが、終日仕事。夜アメリカの人と電話会議する。

2019/11/5 (Tue)
チームメンバー2人が海外出張で、お留守番をしていると、いろいろと仕事が捗る。そろそろ自分が率先して動き回る生活をやめてもいいんだなと思った。

2019/11/10 (Sun)
朝一、新宿のホテルで朝食食べながらの会議。夜は神田のオフィス近くで会食。普通の割烹屋だがビットコイン支払いができると聞いてびっくり。

2019/11/11 (Mon)
新宿の京王プラザホテルで朝食兼会議。この時期の恒例行事になりつつある。アメリカ人4人と自分という組み合わせでご飯食べた気があまりしない。

2019/11/12 (Tue)
IGFでのパネルディスカッション登壇について日本側のオーガナイザーをされている方と電話会議。ある程度様子は分かったが、やはりパネルはその場にならないとみえない。

2019/11/13 (Wed)
朝から接客、午後は霞が関へ会議に。

2019/11/14 (Thu)
午後は再び霞が関へ。

2019/11/16 (Sat)
いつもと違う感じの朝食を、ということで、朝から家族で近所のレストランへ行く。その後、ショッピングモールへ。ケンタッキーフライドチキンの花椒が効いたチキンは辛めだけどおいしい。


2019/11/17 (Sun)
午後、北京へ。なぜか成田発着便をとってしまい、成田まで。時間的にはそんなに変わらないが、心理的に羽田は近く、成田は遠い。
北京は想像以上に寒かった。ダウンジャケットを忘れてしまったことを後悔。
北京のホテルに付いたのが日付が変わる頃。ホテルの1Fに入っているコンビニで、おにぎりを買って食べる。

2019/11/18 (Mon)
午前は会議、午後は取引先を訪問。夜は現地に駐在している日本人の方に北京ダックに連れて行ってもらった。白酒飲んだら喉が熱い。その後、ホテルの地下の飲み屋で大学院生活のよもやま話。

2019/11/20 (Wed)
朝一で、元同僚が2人、ヨーロッパの人を連れて打ち合わせに来る。正統派のロビイストという感じで話がわかりやすい。
打ち合わせの後、みんなでのらぼーにうどんを食べに行く。
出張中に、取引先の方が出版された自著を送ってくださっていた。拝読。ロシアや北朝鮮や中国の分析がおもしろかった。

2019/11/21 (Thu)
朝一で打ち合わせ。新しい担当の方に紹介してもらう。夜は、Codeblueで久しぶりの再会を果たした前職の先輩と飲みに行く。新宿のドイツビール屋さんは空いてた。翌日朝一で藤沢に行くので、新宿から湘南台に電車で移動し、湘南台のホテルに一泊。なかなか寝付けず。

2019/11/22 (Fri)
朝一で藤沢キャンパスの学事窓口に博論や関連書類を提出しに出向く。博論厚さ2cmと関連書類厚さ1cmを学位審査委員4名にそれぞれつくるので、バインダーが8つ。重い。
提出しようとしたところ、案の定体裁の不備がみつかり、その場で文書を訂正し、キャンパス内のローソンへ印刷するために走る。約1時間ほどで提出完了。あとは研究科委員会よろしくお願いいたします(土下座)。
その後辻堂駅から都内へ。溜池で公的機関のCSIRTの皆さん向けの研修講師。講演は無事おわり、懇親会まで出させてもらった。主催者側が用意した情報セキュリティクイズ大会が非常に凝っていて、楽しかった。

2019/11/23 (Sat)
午前はプレゼン資料を作って、荷物をパッキング。午後は自宅で遊んでから、早めの夕食を回転寿司で食べる。
夕方遅く、羽田へ移動し、日付が変わる頃に、まずは羽田からウィーンまで。機内ではバトル・スタディーズ最新刊とWho controls the Internetを読む。バトスタはPL学園野球部OBがPL学園(作中ではDL学園)に入学した野球エリートを描くものでおもしろい。

2019/11/24 (Sun)
朝6時頃にウィーンからベルリンに到着する。ホテルでシャワーを浴びてから、早速、近所のカフェで昼食を兼ねた打ち合わせ。
環境に優しいガラスのストローを初めて使ったが飲みにくいったらない。でも環境には優しいからな。。。

ホテルに戻って翌日からの会議の準備をしてたら、夕食を食べずに寝てしまう。

2019/11/25 (Mon)
朝から会議。会場は広くて快適。

夜は近所のケバブ屋でハンバーガーとビールを買ってホテルでゆっくり。

2019/11/26 (Tue)
引き続き会議。メルケル首相とグテーレス事務総長が生で演説。

複数の市民団体が.orgトップレベルドメイン名を運営するPIRをISOCが投資会社に売却しないよう要請している。この件はIGF参加者の間でも関心が高い。以下の市民団体からのレターは「.Orgの管理はNGOコミュニティの意見を聞いて行われるべきである。ISOCが.Orgの管理をしないのであれば、NGOコミュニティとICANNがこれを管理するべきである。」という趣旨なのだが、正直自分たちが蚊帳の外なのが気に食わないという感情論の域を脱してない。ガールスカウトアメリカ連盟が名を連ねているのも???である。ベーデン・パウエル卿が生きてたら何ていうかね。タウンミーティングもやったらしい。
夜はGCSCのみんなとシックなレストランへ。

2019/11/27 (Wed)
朝ごはんは近所のマクドナルドに行く。ハッピーセット(子供向けセット)でポケモンのおもちゃが付いてくるらしく、ハッピーセットを注文した。ところが渡されたハンバーガーのセットにはおもちゃがのっていない。店員さんにおもちゃは?と聞くと、「あぁ、おもちゃいるのね?」みたいな感じで渡された。恥ずかしい。

IGFの登壇者をみていると、そのポジション(肩書だったり所属企業)だからよばれている人と、その人の話を聞きたいから呼ばれている人にわかれる。

夜は翌日のパネルの打ち合わせを兼ねたディナーをメキシコ料理屋で。

2019/11/28 (Thu)
午後2時から、各国の国会議員100名以上に対して、サイバー空間の規範の説明をするという予定が組まれていた。若干緊張して、ホテルの専用フロアに行くと、そこには数名の国会議員がいた。
熱心に聞いてもらえてよかったが、100名以上という話だったので期待はずれ。大きな会議だと時々こういう勘違いはおきるものである。
空き時間があったのでベルリン通信博物館を見学し、English Bookshopというその名もズバリの本屋へ行き、吟味の結果、How Democracies Dieを買う。

夜は日本の参加者で揃ってディナー。ドイツビールを楽しむ。

2019/11/29 (Fri)
機内ではHow Democracies Dieを読み、出張の報告書をこしらえる。機内でみたドキュメンタリー宇宙の奇石は、これでもかという映像美と、詳しい解説が面白かった。

2019/11/30 (Sat)
朝6時に羽田に着く。自宅には9時前に着き、納豆ご飯を食べてから、風呂入って寝る。










Oct 31, 2019

10月の光景

去年まで理事をしていたFIRSTで、ファーウェイの会員資格停止が決まった。北大の中国研究者が招かれて訪れた北京で拘束された。中国関連のいいニュースを聞かない月だった。

2019/10/1 (Tue)
APCERTの年次総会。オーストラリアが率いてきた体制が、マレーシアに引き継がれることが決まる。選挙の結果は順当といえるものだが、開票途中ではかなり心配になった。
フー。

2019/10/2 (Wed)
夜は元同僚と取引先(日本人、アメリカ人)の4人で火鍋を食べに行く。火鍋のあとはワインバーで軽くお話する。


2019/10/3 (Thu)
帰国。帰りの飛行機でKing Gnuの飛行艇を聞く。Apple Musicにあったのでダウンロード。
羽田からバスに乗るが、高速渋滞の影響で深夜に帰宅。

2019/10/4 (Fri)
朝から会社で勉強会。
春先に中国の知人から、重要インフラのサイバーセキュリティに関する国際会議の案内がきていて参加を前向きに考えていた。この日、主催者との連絡がとれなくなり、Webサイトも消滅したという連絡を同僚から受ける。チャイナすごいな。

2019/10/5 (Sat)
娘の幼稚園の運動会。天気が良すぎて日向は日差しが辛いレベル。終わってからスーパー銭湯で風呂に入り、ご飯を食べてかえる。


2019/10/7 (Mon)
昼休みは銀座でランチを食べながら仕事の相談。その後霞が関で3件打ち合わせ。ちょっと時間の使い方が非効率。

2019/10/8 (Tue)
前からの知り合いの方が、日本の自動車会社のサイバーセキュリティを担当されることになりランチ。15時頃成田空港へ移動。
成田エクスプレスの中で電話会議1件。Paris Callへの組織としてのスタンスを明らかにするという宿題をもらう。Paris Call自体は非常にバランスがとれたいい文書だと思う。
これを弊センターのような技術集団が推すのが適切か? そして3年後に推したことがどう見えるか?という2つの疑問について自問する。
22時過ぎにアジスアベバに飛ぶ。

2019/10/9 (Wed)
朝6時にアジスアベバに到着。成田→ソウルインチョン→アジスアベバは年1回は必ず乗る。もはや手慣れたものである。
ホテルにチェックインした。今回は先方が手配してくれたハイアットリージェンシー アジスアベバにとまったが、今振り返ってもアフリカでこれまで止まってきた数々のホテルの中で一番快適だった。
別に豪華というわけではないが、全てが機能的である。
シャワーを浴びて、お昼前にアフリカ連合本部にいく。30分ほどのCSIRT構築支援に関するプレゼンテーションを終えた。政府の職員がプレゼンすると、ありがちなのが、成功事例だけを並べ立てるパターン。あえて我々が南太平洋で行ったキャパビルが割と失敗したという話をし、その教訓を伝えた。好評だった。


2019/10/10 (Thu)
FIRSTの理事を一緒に4年やったイギリス人と朝のレストランで一緒になり、久しぶりに気兼ねないおしゃべりと朝ごはん。僕は彼のことをしているし、彼も僕のことを信頼している。そういう関係が4年の財産だと改めて思う。
お昼はアジスアベバで働く日本人とアフリカ連合の偉い人と打ち合わせを兼ねたお昼ごはん。英語のボキャブラリーがないので、アフリカ連合の偉い人に失礼な言い方をしてしまったかもしれない。率直さの現れと好意的にとってくれることを祈る。ここ数年アフリカについて抱えていた謎のいくつかがとける。ホテルに戻ってから翌日の会議のための予習。
夜はホテルの1Fでウェルカムディナー。先週シンガポールで会った人たちがかなりいる。飛び回っているのは自分だけではないのだなぁ。



2019/10/11 (Fri)
終日アフリカ連合で会議。国連のOEWGとGGEのチェアが揃い踏み。アフリカ各国からは国連のレベルでもっとキャパビルを頑張ると宣言してほしいというお決まりのリクエスト。
その気持ちはよく分かるが、いろんな会議で聞く「途上国は支援が必要、もっと支援を」という発言はあまり状況を改善しないのではないか? 自分が途上国の外交官だったらどんな発言をするかを考える。


2019/10/12 (Sat)
朝ホテルをチェックアウトして、終日クローズド会議。ちょうど日本を台風が襲っていた時期であり、東京の自宅、長野の実家のことを不安に思いながら会議を聞く。午後早めに会議が終わった。3年間ありがとうございました。本当に貴重な経験をさせてもらった。委員会に、やたらインテリジェンスについて語りたがるおっちゃんがいたが、最終日にして初めてMI6のNo.2だったことを知る。



2019/10/13 (Sun)
17時に成田到着。洪水の影響を心配していたが、幸いなことに鉄道も動いていて、順調に帰宅できた。
委員をつとめている先生に簡易な報告のメールだけして寝る。

2019/10/14 (Mon)
朝から子供と遊びに行く。夜は回転寿司。
出張報告をまとめる。

2019/10/15 (Tue)
会社で集中して仕事。2時過ぎの会議を終えてから、赤十字国際委員会の主催する会議に参加する。日本橋に早稲田大学のサテライトキャンパスがあるとは知らなかった。
5年前にOECD関連で一緒に仕事した人が、ドイツの大学の先生になって参加していた。久しぶりの再会を喜ぶ。夜は懇親会。


2019/10/16 (Wed)
朝9時からの講演のために朝6時台に家を出る。会社でメールをチェックしてから会場へ行き講演。

2019/10/17 (Thu)
会社でストレス対策の勉強会。2つの分水嶺、不眠と食欲減退の症状がでたら、非常に危険なのでプロ(医者)に見てもらう。予防のためには①深呼吸、②ウォーキング、③自然と触れ合うなどが効果的。

2019/10/19 (Sat)
博論。全7章構成の中で書きにくくと困っていた4章をがんばる。

2019/10/20 (Sun)
引き続き博論と向き合う。4章は書き終わった。

2019/10/21 (Mon)
同じ分野の研究者の方々との飲み会@新橋。新橋はポケストップが多い。

2019/10/22 (Tue)
即位礼正殿の儀。朝から中国出張中の同僚とのやり取り。判断に迷う、急なメディア対応が発生しそうである。ある程度原をくくり、現地の判断でうごくよう依頼する。責任は自分が取るとは言ってないが、その覚悟である。

2019/10/24 (Thu)
朝から溜池で会議。午後嬉しい来客あり。インターネットの殿堂入り者に送られる盾の現物を見せていただく。


2019/10/25 (Fri)
午後、IGFベルリン対策会議のようなものがあり、参加する。

2019/10/26 (Sat)
博論のボリュームの目安は200ページと言われていた。自分はまだ170ページくらい。ただ先輩たちの博論はフォントが大きく、行間を広くとっていた気がする。
いくつか先人たちの博論の1ページあたりの字数を確認し、それに基づいて自分の原稿を計算しなおすと、既に240ページ書いた計算になる。
字数は足りている。あとはかっこいいサマリーというか全体を貫く芯のあるメッセージをバキッと書くだけである。このサマリーの出来が重要なのは分かっているので悩みは尽きない。

2019/10/27 (Sun)
引き続き博論と向き合う。翌日の講演の用意や溜まった仕事も片付ける。週末家族で過ごせないのはストレスフル。
12月に主催するEUとの会議の案内状を関係者に送信する。やらなきゃやらなきゃと1週間思い続けていたので、スッキリ。溜めるのは精神的によくないですな。

2019/10/28 (Mon)
午後に霞が関のおもーい会議で30分の講演。お題は「CSIRTとは何か」。重い会議での講演のポイントは、講演者自身が馬鹿に見えないギリギリのラインまで話を、噛み砕くことである。
そういう会議では誰も、「XXXがわからなかったのですが」という質問をしてこない。こちらがやりすぎなくらいに簡単な話をしない限り、歩み寄れない。
そんなわけでギリギリまで絞り込んだ話をした。質問はまったくなかったので、この試みが成功しているかは定かではない。今年の春先の週末をすべてつぎ込んだ論文が新たな仕事につながったことは素直に喜ばしい。
講演終了後に別の講演会の主催者との事前打ち合わせ。
夜は藤沢駅前のホテルに宿泊する。


2019/10/29 (Tue)
朝一でSFCの大学院での授業。東アジアなんたらという授業で、慶應と復旦大学と延世大学校を中継で繋ぐ。SFCのOBでもある元同僚のK氏に手伝ってもらう。
自分のパートの出来はイマイチだったが、K氏の部分で盛り返してよかったという感じ。
授業後、大学院の諸手続きについて窓口に確認にいく。湘南台でK氏と別れて渋谷で行われているCodeBlueカンファレンスへ。
聞きたかった、同僚の発表は既に終わってしまっていた。残念。
恵比寿で打ち合わせ1件の後に、目黒のホテルに宿泊。

2019/10/30 (Wed)
GCSCを一緒にやっていた知り合いがCodeblueのために来日しているということで、お願いしてクローズドな勉強会をセットした。
彼女はサイバー空間に国際法がどう適用されるかを専門家達が解釈した「タリンマニュアル2.0」の筆頭編集者である。出会ってから1年くらい、若いのにタリンマニュアルにめちゃくわしいという印象をもっていたが、彼女が書いていたと知ったときは驚いた。
諸々の都合で朝8時からの会議になってしまった。朝一で渋谷のホテルに行き、タクシーでオフィスへ。オフィスでは同僚が、導線の確保やコーヒーなどの用意を終えてくれていた。素晴らしい。
セミナーはサイバー空間の国際法全体について幅広く議論するというもので、正直ついていけない部分もあったが参加者からは大変好評だった。


Oct 30, 2019

講演のメモ。リース・ヴィフィル「Cyberspace – A Lawless Wild West or Orderly Chaos?」

リース・ヴィフィル「Cyberspace – A Lawless Wild West or Orderly Chaos?」

以下にメモを書くけど、結論というか一番大事なのは「現代の我々の前には2つの選択肢がある。1つはサイバー空間をこのまま無法地帯で放置すること、もう1つは完全ではないこと、弊害があることを受け入れた上でサイバー空間を統治する法をつくることである。」という言葉だと思いました。

前置き

なぜ法律が重要か?
  • そもそも法律とは社会契約を正当化するものである
  • 法律の中でも、国際法は、国際社会における国家の望ましい振る舞いを決める
国際法の価値
  • 国際社会の予測可能性をあげる。予測可能性は安定性を有む。
  • 国際法は、法の執行の可能性を高める。ただし国際法が執行されるのは、国家がその法が執行されることを望む場合のみであり、執行可能性は大いに不透明さが残る
現代の我々の前には2つの選択肢がある。1つはサイバー空間をこのまま無法地帯で放置すること、もう1つは完全ではないこと、弊害があることを受け入れた上でサイバー空間を統治する法をつくることである。

条約

条約は基本的には「良いもの」である
  • 1945に国連憲章がたちあがった。その目的は世界大戦を防ぐため
  • 2015年のパリ合意は、(失敗という声が多いが)地球温暖化を食い止めるための条約
  • ICCPR(市民的及び政治的権利に関する国際規約)は奴隷、差別、死刑、拷問などをへらすための条約
  • 変わり種として、日豪間では絶滅危惧の鳥を保護する日豪渡り鳥保護協定がある

サイバー空間を統治する条約

既存のサイバー空間をめぐる条約と呼べるものは少ないが存在する。
  • ブダペストコンベンション
  • SCOの合意(Code of Conduct)
  • 2013 EU Cyber Strategyは「New International Legal instrumentsを求めない」という立場を明らかにした
ブレグジットや米国の国際条約への冷淡さを見ても、2019年はグローバリズムが弱体しているタイミングであり、国際条約の議論をするのには厳しいタイミング。

新たな条約をつくる道

条約はまず最初に言葉の定義と、その条約のスコープを決めるところから始まる。Cyber securityという言葉の定義も定まっていない。一般に民主主義国はインフラへの攻撃を防ごうと、中露は情報面での攻撃を防ごうとしており、そのため民主主義国家はCyber Security対策をしようとし、中露はInformation Secuirty対策をしようとする。このような状況において、新たな条約で国際社会が合意する可能性は低いと言わざるを得ない。

次善の策は?

  • 新たな条約が難しいとして、次善の策は、現在ある国連憲章などをサイバー空間に拡大することである。
  • 国連憲章の2条4項において武力行使はUnlawfulである。サイバー作戦は武力行使の範疇と捉えれば、これを補足し、抑止できる。
  • どのようなサイバー作戦が武力行使とみなされるのか、専門家の検討が続いている。Tallinnマニュアルはこのような状況に指針を示すために作られた。(注: 講演者自身も筆頭編集者として参加している。)

日本の役割、チャンス

  • 日本政府は繰り返し、法の支配の推進を主張している。しかし、どの法がサイバー空間を支配するのかなどスタンスが不明瞭である。
  • 日本は国連の会合UNGGEとOEWGの両方に参加している。
  • 日本に求められるのは、国際法がサイバー空間にどのように適用されるかについて、日本の考えを明らかにすることである。これについてアメリカイギリスオランダは文書を公開している。当然ながら、どの文書も適法/違法のしきい値を明らかにしていない。それをしてしまうと自らの危険を高めるからである。

日本の技術コミュニティはどうすべきか

サイバー空間独立宣言でジョン・ペリー・バーロウはサイバー空間は国家などの規制を受けないとした。2019年現在、社会がサイバーへの依存を高めるており、サイバーセキュリティのリスクも上がり続けている。法律はそのリスクを低減するための手段である。

Oct 11, 2019

エドワード・スノーデンの自伝「Permanent Record」には何が書かれているか

エドワード・スノーデンの自伝「Permanent Record」。話題の本なので読んでみた。邦訳は11月終わりに出るそうな。(2019/11/12追記。出版される。予約開始。)出版社の動き早くて驚く。


構成

本書は3部構成となっている。1部は生い立ちから、CIAで働き始めるまでの過程を描く。2部はCIAとNSAで具体的にどのような業務を行っていたのかを、そして3部は内部告発を行うと決心してから、それを実行し、追われる身となってモスクワでの生活を始めるまでを描く。それぞれの部は10程度の章に分かれており、以下では章ごとにその内容を大雑把にまとめる。

第一部

1. Looking Through the Window
ノースカロライナ州に生まれ、沿岸警備隊の中で情報システムを担当する仕事をしていた父親の影響で早い時期に、コモドール64でプログラミングをしていた。母親や2人の姉妹と共に平和な家庭に育った。

2. THe Invisible Wall
スノーデン自身の家族と先祖の話。父親も、母親も、母方の祖先も、それぞれが軍や沿岸警備隊で働き国のために尽くした人であった。そのことをスノーデン自身が誇りに感じていることが伝わる。子供時代を通じてファミコンで様々なゲームを楽しんだ。ゼルダ、ロックマン、マリオカード、ストリートファイターなどの名前があがる。中でも好きだったのはスーパーマリオ。『マリオは一方向にしか進めず、「見えない壁のせいで」引き返すことはできない。マリオが教えてくれた「人生は引き返せない、前に進むだけ」はもしかすると人生で一番大切な教訓である。』

3. Beltway Boy
中学生ぐらいの時期になり、ワシントンD.C.とアナポリスの間、メリーランド州クロフトンに家族で引っ越す。母親はNSAで仕事を得た。場所柄、隣近所をみても、CIA・NSA・FBIなどで働く家庭が多い特殊な環境だった。親が子供に何の仕事をしているか話せない、お隣がどこに勤めているかわからない、そういう状態が普通であった。

4. American Online
父親が自宅にコンパック製のPC/AT機を買い、これに夢中になる。この時期にインターネットに出会い、そしてオンラインゲーム(具体的にUO)にハマる。1990年代のインターネットをスノーデンは「金のためでなく啓発のために人が働き、良識の集合による規制が行われた場所」と捉える。そして「それは私が経験した中で最も心地よい、栄えたアナーキーであった。」と懐かしんでいる。

5. Hacking
この章を通じて、学校というシステムに疑問を呈するスノーデンのハッカー体質がみてとれる。シラバスの内容を理解し、宿題をせずに好成績を取ろうとしたスノーデンに対して、教師は採点システムを書き換えるという方法で対抗する。スノーデンが、努力を惜しんでいると考えた教師は「君はその頭脳を仕事を避けるためでなく、ベストな仕事をするために使うべきだ。君には大きな才能がある。しかしここでの成績が君の人生に一生ついて回ることに気づいていないようだ。君自身の消えない記録(permanent record)を気にかけたほうがいい。」と語りかける。「消えない記録」という本書のタイトルがここで初めて顔を出す。ハッキングの技術も蓄え、ロスアラモス国立研究所のWebの脆弱性を指摘した顛末も描かれる。

6. Incomplete
高校に入り、父が家を出て、母が家を売り、姉とスノーデンといくつかの家を転々とした。淡々とした語り口だが、生活全般が一転して不安定になったことが伝わる。高校2年で昼夜逆転、成績壊滅、授業でもパソコンの前でも寝るなど生活が荒れる。なるべく早く社会にでて稼ぎたいと考えるようになったスノーデンは、高校卒業していなくとも入学できるコミュニティカレッジに出願し、入学する。

7. 9/11
スノーデン16歳頃の話。母は仕事に没頭し、炊事や洗濯などすべて自分でしていた。このころ日本語学校に通いはじめ、仲良くなった人たちからアニメなどについて聞くうちに、これに傾倒していく。日本語学校で知り合った女性を手伝う形でWebデザインの仕事をしていた。そしてそこで働いているときに9・11同時多発テロが発生した。

8. 9/12
9・11を経験して、自分の技術を国を守るために使いたいという気持ちが芽生える。しかしコンピューターの前の仕事だけでは刺激が少ないように思えた。そこで陸軍で働くことにした。沿岸警備隊で働いた祖先が多い家庭なので、陸軍という選択に母は一日泣き、父は技術の持ち腐れになると反対した。

9. X-Rays
陸軍のリクルーティングシステムについて若干の説明がされる。スノーデンは語学や計算のペーパーテストの結果が素晴らしく、18 X-Rayというカテゴリで入隊する。新兵トレーニングのかなり早い段階で立てなくなり、両側脛骨骨折の診断をうける。陸軍を去る。除隊の形式については、名誉でも不名誉でもなく、入隊取り消しに近い形だった。しかしそれは訓練中に汚させたという軍隊の失敗を覆い隠すためのものだったのかもしれない。

10. Cleard and in love
陸軍を去り、良い職を得るためにまずはTS/SCIという取得が難しい(時間がかかる)クリアランスを取ろうとした。クリアランス取得のための奇怪なプロセスと念入りな検査の様子が描かれる。この頃、後に結婚するリンジー・ミルズとhotornot.comというデーティングサイトを通じで知り合う。22歳のときに遂にクリアランスを取得し、NSAに契約職員として内定し、そしてリンジーと付き合い始める。

第二部

11. The system
二部ではNSAでシステム管理者として働くスノーデンの様子が描かれるが、それに先立って本章ではシステム管理という仕事やインターネットについて、馴染みのない読者むけの解説が行われる。合わせてスノーデン自身のサイバーリバタリアンとでも言うべきインターネット観が開陳される。インターネットは誰もが対等で、生活と自由と幸せを追求する場だった。そしてその考え方はアメリカの建国の意図と相似しているとスノーデンは言う。

12. Homo Contractus
米政府が契約を通じて、安全保障という本来の役割を放棄しているという批判が行われる。契約制度は予算を肥大させ、しかしその金が職員ではなく企業にはいり、また予算が何に使われたかの透明性を損なう。スノーデン自身は、「CIAが契約したBAEシステムと契約したCOMSO」つまり孫受け会社の契約職員となったが、COMSOのオフィスに行ったことはなく初日からCIAのオフィスで働いた。

13. Indoc
CIAで働き出した頃のスノーデンの姿が描かれる。新人教育の最後は組織を裏切ったスタッフが壁に繋がれている写真でおわる。CIAの現在のHQはラングレーでなくマクリーンである。スノーデンはマクリーンの中のあるビルでDS(Directorate of Support)の一員として、CIAの通信インフラの設置などの業務を行った。24時間のシフトオペレーションで夜勤になった際に、先輩社員がバカバカしいほど単純な仕事をしているのに閉口する。CIA本部とはいえ、映画に出てくるような緊張感、ひいては国を守っている感覚を得られる仕事ではなかった。夜の空いた時間に秘密情報を読んだ。CIA内部には新聞が報じる数日前に、より詳細な情報が存在した。海外勤務へのあこがれが増し、契約職員から政府職員へと異動を願い出た。契約職員と政府職員の違いはたった1つだけ、忠誠の誓いをし、合衆国憲法のために働くことを誓った。

14. The court of the hill
ワレントントレーニングセンター(通称ザ・ヒル)での研修について。スノーデンはTISOと呼ばれるCIAの現場の通信全般を担当する技術担当の職員を育成するプログラムに参加する。一度フィールドに出れば監視カメラから、太陽光パネルから、エアコンまで電気を使う機会はすべてTISOの管轄となる。幅広い知識が求められた。TISOは拠点を捨てて避難する際の、拠点内の情報の廃棄にも責任を持つ。軍隊の通信兵に似た宿命を背負い、CIAの多くの職種の中でも離婚率が高い。近くのボロボロのホテルでの合宿生活であったが、待遇改善を求めて、上層部と交渉をした。これで目をつけられ、スノーデン自身が全く希望していないジュネーブ勤務の辞令が下る。
またこの章では、古参職員が「CIAはHQなしでも機能するが、ワレントン無しでは動かない」と語るほどの重要性を持つ施設について、大まかな説明がなされる。

15. Geneva
対外的には外交官の身分でジュネーブで勤務する。ジュネーブは国際ケーブルが多く通り、上空の軌道を通信衛星が通り、金融の流れの情報が集まるハブとスノーデンは言う。パーティを通じた協力者の開拓などに、少しだけ協力するも、その効率の悪さが印象に残る。大使館にはSIGINT業務にあたるNSAの職員がいた。様々なツールを持ち、情報へのアクセス権をもつ彼らにスノーデンは憧れた。

16. Tokyo
NSAの業務への憧れ、そして東京という土地への憧れもあり、CIAの職員を辞して、NSAの契約職員(デル社員)として東京にやってくる。リンジーとスノーデンは福生にすんで横田で働いた。NSAのパフィシックテクニカルセンター(PTC)は太平洋地域全体に対するサポートを提供していた。横田基地の建物の半分はPTCの管轄である。CIAを経験したスノーデンの身にNSAは情報の保全に甘さは残るものの、技術力は圧倒的だった。NSAの究極の夢は永遠である。全てのデータを永遠に保持し、完全な記憶装置を作り上げるという野望がある。消えない記録(permanent record)という本書のテーマが再び印象的に現れる。2001年に始まり、2004年の解釈変更でNSAがいかなる情報も令状なしに収集することを可能にしたSTELLARWINDプログラムについてもその証拠となる文書をどのように入手したかが明らかにされる。

17. Home on the Cloud
2011年、デルのCIA担当として米国に戻ったスノーデン。米情報機関向けプライベートクラウドを作る仕事をしていた。仕事のやりがいも、給与も大幅にアップし忙しく過ごしていたところにてんかんの発作があった。母親もてんかん持ちであったが、遺伝性ではないと聞いていた。信じてきた、国とインターネットという2つから裏切られ、最後に自らの身体からも裏切られた。

18. On the Couch
てんかんで車の運転ができなくなり、バージニアでおこなわれるCIAとの会議に参加することが困難になる。様々な病院に行き、検査を受け、治療を試み、薬を試した。特別休暇を取り、数週間母親の家に転がり込んで、ソファーでごろごろしてすごした。その間に権威主義国家における政変などに思いを巡らせた。何も隠すことがないからプライバシーは必要ないというよく見る論法について、スノーデンはそれは「何も主張することがないので、表現の自由は不要」と言うとの同じくらい馬鹿げていると注意をうながす。

第三部

19. The Tunnel
2012年にリンジーとハワイに引っ越す。温暖な気候とよりゆったりとした仕事内容が健康のために必要という考えであった。the TunnelとよばれるハワイのNSAの拠点に自転車で通える場所に家を借りた。収入は減り、新たな役割(MS Sharepointサーバの管理者)は寝ていてもできるような難易度だった。空いている時間を使って、NSAの内部文書を漁り始めたのは、大規模サーベイランスが本当に行われているのか?行われているのであればどのように?という疑問を解決するためだった。

20. Heartbeat
上司の許可を得て、Heartbeatというシステムを作った。サーバはスノーデンの席の近くに置かれた。NSAがアクセスできる全てのサーバから新着情報を収集し、まとめる機能を持つ。通信帯域を専有しないように気をつけた(それがどういうものか詳しい説明はない)。PRISM, upstream, TURBULENCEなどのプログラムについて概要を解説する。後に大量のファイルをジャーナリストに渡せたのは、Heartbeatにファイルが大量に集められ、整理されていたからである。スノーデンはNSAのような高度な技術者が集う組織において、人は疑ってもシステムを疑わない文化があると指摘する。つまり「誰か」が様々なサーバにアクセスし、大量のファイルをダウンロードしていたらすぐに咎められるが、それがシステムであれば何も怪しまれないということだ。

21. Whistleblowing
内部告発をするということについての一般的な理解を高めるための章。過去のNSAからの内部告発者の例をいくつか紹介する。

22. Fourth Estate
内部告発に至るまでにスノーデンが考慮したいくつかの点について。実はNSAによる大規模サーベイランスの告発をした人物は過去にもいる。彼らは特定のメディアにたよったり、Wikileaksに情報を渡すという戦略をとったが、その問題点と、それを克服するためのスノーデン自身の戦略が示される。またどのように証拠してインパクトのあるデータの選別や、どのメディアに情報を渡すかの検討が行われた。ローラ・ポイトラスグレン・グリンワルドに白羽の矢が立った経緯も描かれる。ジャーナリストへのコンタクトは、新たに調達したラップトップで、ハワイ中をドライブし、セキュリティの甘いWiFiアクセスポイントを使って行った。

23. Read, Write, Execute
本章すべてが、KRSOCからどのように大量の文書を持ち出したかということの解説にあてられる。基本的にはHeartbeatサーバからSDカードにファイルをコピーし、それを持ち出した。1つの文書を受け取り手によって微妙に異なるものにする技術(Single User Document)は様々なものがあり、持ち出したファイルから、それをスノーデンによるものと探知される可能性は低くなかった。匿名での告発をあきらめ、自らが告発者として名乗り出るしかなかった。

24. Encrypt
暗号化技術について一般の人の教養を高めるためのCryptoPartyという草の根の活動を支援していたスノーデンは、自らが勉強会を主催し、講師をつとめた。その経緯や参加者の関心がおよそ暗号化技術になかったことに対する失望の様子が描かれる。

25. The Boy
XKEYSCOREとNSA内部での倫理観に乏しいデータの取り扱われ方について。XKEYSCOREをつかって大統領や芸能人の名前を検索すればそれらの通信記録が見れた。監査は行われていたが、監査の目をかいくぐるのは容易かった。2013年3月から5月はハワイで過ごした。内部告発のための最終準備に忙しかったが、二度とアメリカには戻れない、少なくとも自由な生活をできないという覚悟を決めた。その期間の行動は死を覚悟した人間の行動に似ているのではないか。ジャーナリストとは香港で落ち合うことにした。香港を選んだ理由も詳しく語られる。リンジーとの別れの様子が印象的。ハワイの空港で東京行きの航空券を現金で買い、東京からはさらに香港行きを現金で買った。5月20日に香港についた。

26. Hong Kong
5月20日に香港についたが、ジャーナリスト(グレンとローラ)が到着するのは6月2日。それまでの間、ずっとホテルの部屋にこもり、怯えながらも、資料を使ってどのように効果的に説明をおこなうかのイメトレをしていた。ルービックキューブを目印に待ち合わせをして、1014号室に向かった。後にガーディアンのマカスキルが合流し、6月3日から9日までこの部屋で作業が行われた。6月5日にガーディアンが最初の記事を掲載し、以後段階的に報道がされた。内部告発をしたあとの身の振り方について、スノーデンの事前計画は十分でなかった。特定の国と交渉し、事前に亡命を申請していたわけでもなかった。スノーデンのビデオインタビューが公開される前後から、香港にいることがばれる。6月14日に米政府がサーベイランス法に基づき訴追をおこない、21日に正式に引き渡し要請がされた。香港政府から非公式に退去を求められた。

27. Moscow
支援者のアドバイスもあり、エクアドルに向かうことにした。香港から米国の領空を通らずにエクアドルにたどり着くルートは1つしかなかった。それがモスクワ経由だった。香港発モスクワ行きの飛行機にのった。モスクワでは情報機関の職員が待ち構えており、そこでロシア人の口から自らのパスポートが米国政府によって無効にされたこと、従ってロシアからエクアドルに向かう飛行機には乗れないことを告げられる。空港で立ち往生した。その間多くの国に対して亡命を要請したが、非公式に同情の意を示す国は多かったが、米国を敵に回してまで亡命を受け入れる国はなかった。スノーデンが空港にいることによる諸問題がおき、ロシア政府は8月1日に一時的亡命を許可した。

28. From the Diaries of Lindsey Mills
スノーデンのガールフレンドであるリンジーの日記の抜粋を通して当時の状況を伝える試み。5月23日の時点で彼女がスノーデンが香港にいると確信していたこと。スノーデンのSkypeのステータスメッセージが「ごめん。でもやらなければいけないことだった」と設定されていたことなど。当事者にしかかけない事が多い。中でも、6月9日にスノーデンのインタビューを見て「This was the man I loved, not the cold distant ghost I'd recently been living with」と書き残しているのは、リンジーの強さが伝わってくる。

29. Love and Exile
スノーデン自身の現在の生活について。モスクワ市内の普通のアパートでリンジーと暮らしている。

感想

スノーデンの内部告発については、様々な報道があり、ドキュメンタリーがあり、フィクションの映画まで作られている。それと比べた場合の本書の価値は、香港以降の足取りが少し明らかになったことである。アサンジを手助けした法律アドバイザーと共に行動し、たまたまロシアに亡命することになった流れは初見の情報が多かった。
未だにロシア政府と事前にコンタクトがあったという、噂がつきまとうスノーデンだが、本書には当然ながらそういう気配はない。スノーデン自身は、自らをアメリカという国家のために人生を捧げた両親や祖先の家庭で育った、ごく一般的な人間として見せようとしている。
ここでは本に何が書かれているかについて語ってきたが、もう一つの重要な視点は何が書かれなかったのかという点である。それは別の機会にまとめたい。

ガールフレンドのインスタグラムを見る限り、ロシアから一歩も出れない、クレジットカードを使えないなど様々な不便さはあるものの、仲良くモスクワで暮らしているようでなによりである。



Oct 3, 2019

9月の光景

エドワード・スノーデンの回想録「Parmanent Record」を読んでいる。『(インテリジェンスコミュニティで働くために)必要なのは100%潔癖なことではない。将来脅しの材料となるような隠し事がないことだ。』という言葉は納得してしまう。表と裏を使い分ければ分けるほど、人間的整合性が損なわれ人として圧力に弱くなる。

2019/9/1 (Sun)
アウトドアショップとカフェが複合した施設に遊びにいって、ご飯を食べる。ビルの中にテントがたっていて、その中にこしらえられたテーブルとイスでご飯を食べる。
エアコンがきいていて、手が汚れず、虫にさされない、それでもアウトドア気分という不思議な感覚。

2019/9/3 (Tue)
チームメンバーの誕生日ということで、昼休みにみんなで近所の鰻屋さんに行く。

2019/9/4 (Wed)
大学の友人と渋谷で飲み会。久しぶりに渋谷で降りたが、やっぱりにぎやかだ。
帰宅後、電話会議。


2019/9/5 (Thu)
元同僚と飲みに。急遽にもかかわらず7人集まって、OBの多方面での活躍を聞く。

2019/9/6 (Fri)
夕方歯医者

2019/9/7 (Sat)
自宅で博論の続き。途中で集中力が切れて7km走る。夜に娘を親戚の家に引き取りにいく。夜は2人で寝る。

2019/9/8 (Sun)
移転したお菓子屋さんにシュークリームを買いに。シュークリームは母親が作ってくれた手作りのやつが美味しかった。難しいらしいが、いつか自分で作りたい。
友人K氏が奥さんを連れて我が家に遊びに来る。お土産にもらったうさぎの人形のついたお菓子のバスケットが娘に刺さってた。
夜台風。


2019/9/9 (Mon)
台風のせいで朝から都内は電車が広範に運休していた。朝一からのセミナーは午後開始にリスケされたので、11時頃自宅を出る。13時少し前に文京区のIPAオフィス着。
ワークショップの進行を手伝った。夜は懇親会。日本の研修生が非常に積極的にいろいろな準備をしているのが印象的。


2019/9/14 (Sat)
午後に歯医者

2019/9/17 (Tue)
この日までに博論を9割仕上げて、学位審査委員会を立ち上げる手続きに入りたかったが、間に合わず。

2019/9/18 (Wed)
トラックボールを真面目に使ったことはなかったが、同僚が貸してくれたので試してみる。ボールが大きくなるとそれだけ操作しやすいかと思っていたが、意外とそうでもない。むしろ重くなって、細かい操作が難しくなる。3日間使った結論は、「Macbookのトラックパッドのほうが全然楽」である。

夜電話会議。

2019/9/20 (Fri)
咳がひどい。からんだ痰を吐き出そうと咳をすると肋骨が激しく痛む。
遊びに来た、子どもたちに癒やされつつも、翌日医者にいってきちんと治療することを覚悟。

2019/9/21 (Sat)
朝から形成外科へ。肋骨は折れているかもしれないが、レントゲンでは見えない。サポーターをもらい、同時に呼吸器科にいくことを進められる。その足で呼吸器科へ。神秘湯という漢方薬を処方される。
この日はほぼ使い物にならず。
大学の制度的にはこの日が単位取得満期退学の日。5年半お世話になりました。単位取得退学すると慶應のオンラインジャーナルのダウンロードができなくなる。そしてEduroamが使えなくなる。この2つだけなんとかして継続できないものか?
大学のサーバにおいていて個人WebサイトもGithub pagesに移す。http://www.sparky.jp/

夜回転寿司に行く。




2019/9/24 (Tue)
先日行った呼吸器科へ。血液検査の結果は問題なし。吸い込むタイプのステロイドと追加の漢方薬を処方される。

2019/9/25 (Wed)
韓国出張。朝4時半起き。車、バス、飛行機を乗り継いて昼頃韓国に着く。ソウルにある日本大使館のすぐ横のホテルに泊まったので、ホテルに行く道で慰安婦像の横を通る。平日の昼間だが抗議の集会が行われていた。参加者の多くが中学生、高校生であることに驚いたが、聞くところによれば学校の先生が授業の一環として集会に生徒を引率して参加しているとのこと。「安倍やめろ」という日本語のプラカードをもっている若い女性、「仲良くしよう」というプラカードをもっている年配の男性。小さな空間の中に、いろいろなメッセージがあったと思う。


夜はホストの韓国側のご招待でイタリア料理を食べに行く。
韓国側トップの大学教授のお父さんがこの日他界されたらしく、急遽ディナーを欠席。翌日以降のスケジュールも大幅に見直されることに。理由が理由なのでみんなとても協力的。

2019/9/26 (Thu)
朝ごはんを食べながら中国の研究者と漢方薬について語る。神秘湯という漢方薬を見て「ミステリアススープ!」と喜んでいた。漢方は中国由来の薬だと思っていたが、中国人には馴染みがないとのこと。
送迎バスに乗って高麗大学のキャンパスへ。キャンパスの敷地が広大で羨ましい。学長、学部長が揃い踏み。



2019/9/27 (Fri)
午前は会議の続き。合間にホテルをチェックアウトする。昼に会議がおわる。次回のホストは日本、楽しみである。
昼ごはんは参加者全員で仁寺洞(インサドン)に行き韓定食をいただく。その後o’sulloc(オソルロッ) TEA HOUSEでアイスクリームを食べる。


ホテルに戻って少しだけ仕事をして金浦空港へ移動。電車は乗ってしまえば楽だが、ノルマでのナビゲーションには改善の余地がある。

金浦空港は1年前と比較して大幅に改装されていた。スターアライアンスのラウンジがきれいになっていた。しかし、それでも狭いな。
羽田について、先生に大学の精算処理に必要な航空券の半券を託したら、シンガポール行きに乗るため乗り換えの手続き。韓国でもらったペーパーナイフは機内に持ち込めない。時間もないので廃棄せざるを得ない。

ラウンジで同僚2人と合流する。夜21:30に山口先生のインターネットの殿堂入りが公表される。


2019/9/28 (Sat)
未明に羽田を離陸。朝7時前にシンガポールにつき、Grabでホテルへ移動。朝ごはんを食べる。
ちょうどインターネットの殿堂入りセレモニーがネットで中継されており、山口先生のご家族が変わりに賞を受け取りスピーチする姿をシンガポールから見守る。生まれたときからインターネットが当たり前に存在する世代から、それを作り上げた世代への敬意が感じられるよいスピーチだった。この件、2年半に渡って、ずっと調整してきた。たとえどれだけ素晴らしい成果をあげていても、インターネットの殿堂に認めさせるためには、キャリアのどの部分に焦点をあて、誰に推薦してもらい、選考委員になにを評価してもらうかの戦略が必要になる。我ながらよく頑張れたと思う。
午後はオーストラリアの取引先と打ち合わせ。そのままディナーへ。オーストラリアと日本のコンビで4年間やってきた。わりとよいコンビネーションだったので残念である。

2019/9/29 (Sun)
朝から会議。
夜はディナー。シンガポールには今週、ASEANの閣僚が集まる会議、コモンクライテリアの会議、政府関係者向けIT会議、その他各種バイラテラルの会議が行われていて、関係者はみんなとても忙しそう。

2019/9/30 (Mon)
終日会議。同僚がプレゼンを行う。きっちり練習した成果が現れていてよかった。

夜は地元のシーフードレストランにチリクラブ、ブラックペッパークラブを食べに行く。手が汚れることを見越してティッシュ持参。

食後に1年前に宿泊し、キンドルを置き忘れたホテルに行き、1年ぶりに自分のキンドルと再開を果たす。その後、別のホテルに泊まっている同僚とホテルのバーで打ち合わせ。


久しぶりの覆麺はおいしすぎて危険


Sep 2, 2019

8月の光景

経済学者の正村公宏という人のことを知ったのはつい最近のことである。1993年の「産業主義を越えて」という著書で、正村は情報化社会を恐るべき正確さで予言している。
今後の先進社会では、技術的に可能なことをどこまでも追求したいという誘惑をしりぞけて、開発や応用を禁止しなければならないような先端的な領域が拡大するものと予想される(p.70)
これは現在のAIやLAWSの議論にそのまま当てはまる。Windows3.1の時代に、経済学者がである。こういう先見の明があるのはどういう生い立ちの人なのか、気になって調べたところ、正村は重度のダウン症の子供を持っていた。NHKスペシャルにとりあげられた様子が「心の絆を結び合う」というWebサイトに残っている。物言わぬ息子の、明瞭とは言えない潜在意識と会話をしようとする父親の姿がそこに浮かび上がる。正村は障害を持つ息子の子育てを経た経験を研究に活かし、福祉社会論という学問の地平を切り拓いた。良い学者の、良い研究の条件というのは人それぞれだろう。博覧強記、プレゼンがうまい、科研費を取るのが上手、賞をとっているなどよりも大事だと私が思うのは、その人の生き様が研究と相互依存していることだ。正村は子育てに苦しみ、楽しみ、そこから福祉社会論が生まれた。そういう研究からは巧拙を越えた圧力を感じる。
なお正村はこうも言っている。
20世紀を動かしたのは産業主義、民主主義、国民国家の3つである(p23-25)
21世紀を動かすのもその3つなのか、ゆくゆく考えてみたい。

2019/8/1 (Thu)
夜飲み会と手帳に書いてあるがどこいったっけ? AI Superpowerという本の日本語版が出版されると聞いているのだが、Amazonでみてもステータスが不明。英語の原書を買った。英語の本を読むのは日本語の10倍の時間がかかった。最近、嫌々ながらも英語でよんでいたら、英語でも飛ばし読みができるようになり、日本語の3倍くらいまでに読む時間が減ってきた。

2019/8/2 (Fri)
友人K氏とビールを飲みに行く。世界は動いていることを感じる。

2019/8/3 (Sat)
歯医者へ。1年ぶりに行ったら新たな虫歯ができていて、先生から心を入れ替えて治療するようにとお説教。反省する。


2019/8/4 (Sun)
図書館で博論の続き。2時過ぎに帰宅。子供と公園に行き、人工池と体育館で遊ぶ。ブランコの上達が凄まじい。

2019/8/6 (Tue)
辛いラーメンが食べたいと思い、ランチに有名な激辛ラーメンを食べにいった。その日の午後、強烈なにんにく臭で周囲に迷惑をかける。
ヨーロッパでは"Flight Shame"という運動があるらしい。環境に優しくない飛行機移動を「カッコ悪い」と捉える。個人が飛行機移動を少しでも減らす選択をすれば、その環境インパクトは絶大だという話。ヨーロッパだと確かにそうかもしれない。

2019/8/8 (Thu)
JPNICに行ったり、霞が関に行ったり。

2019/8/10 (Sat)
朝一で市民プールに子供とお出かけ。プールサイドは日焼けをしているおじさん達で埋め尽くされている。優雅でうらやましい、5年後は自分もあっち側にいきたいと思いつつ、目の離せない子供の監視。
夕方、初めて食べに行ったお好み焼き屋さんが美味しかった。

2019/8/11 (Sun)
娘を連れて散髪、公園。その後スーパーで3枚におろした新鮮なアジを買って、自宅で大葉とネギをつかってタタキにして食べる。ここ数年自分で作った食べ物で一番美味しい。
実家から夏の味覚、白桃が箱で送られてくる。地元の果物は美味しい。
ペットボトルをもって、30分以上かけて5km走る。暑い。


2019/8/13 (Tue)
お盆で電車は空いていて快適。

2019/8/15 (Thu)
考えさせられるブログを読んだ。『人生がソシャゲだとするなら、親とはゲーム開始後一番最初のガチャである。強いカードを引くことができれば、面白いくらいにうまくいく。ゴミみたいなカードを引けば、高確率でゴミみたいな人生を送ることになる。』という絶妙に軽妙な書き出しで語られる、筆者自身の毒親からの脱走の記録である。筆者は今現役の大学生らしい。強く生きている人に頑張ってほしいというのも失礼な話かもしれんが、頑張ってほしいと思った。そして改めて自分の現在の立場に占める、ガチャ運(親)の要素の大きさに思いを馳せる。
毒親から逃げて家出した大学生の話

この本編ともよべるものが筆者によって公開されているが、目次だけであまりにヘビーでまだ読めない。

2019/8/16 (Fri)
前回のベトナム旅行でスーツケースのフレームがものの見事に曲がってしまった。帰国後すぐにANAのカウンターにもっていき無償修理に出してもらう。
なおってよかった。気に入っているスーツケースなので長く使いたい。

2019/8/17 (Sat)
図書館で博論執筆の続き。夜は友人家族と回転寿司に。早く食べ終わった子どもたちをつれて、おもちゃコーナーで遊ぶ。

慶應大学と一橋大学は大学図書館利用の協定があり、どちらかの学生は両方の図書館を利用できる。この制度のおかげ、ここ数年、一橋大学図書館には大変お世話になった。人文系の資料充実度は素晴らしく、広大な敷地は締め切りでささくれ立つ心の慰めになった。単位取得満期退学に伴い、もう利用できないのは残念だが、感謝の念でいっぱいである。
一橋大学はマンホールも違う

2019/8/19 (Mon)
9月末にならないと言えないイベントの準備で、国内の関係者との調整。作文する。

2019/8/21 (Wed)
フランスからの来客。寿司を食べに行く。香港の混迷は先が見えない。しかし煮魚はうまい。



2019/8/22 (Thu)
夜は会社の懇親会で社内で軽食とビール。定期的にやっているが、出張と重なることが多く、久しぶりに出れた気がする。五一わいんの美味しいやつがあった。

2019/8/23 (Fri)
日本シーサート協議会の会合で、CSIRTのあるべき姿についての講演をする。具体的に今何をすべきかを質疑でつっこまれて回答に窮す。それは人によっても場によっても異なりそうだ。中国や韓国と日本の関係が微妙な時期になり、CSIRTの国際連携にも厳しい目が向けられていることを再確認。しかし何よりも懐かしい顔ぶれにあえて良かった。

2019/8/24 (Sat)
朝全く執筆の気力が起きないので5kmラン。その後ペースを取り戻して7頁程書く。

2019/8/25 (Sun)
1日部屋にこもって、滞っていた8月末締め切り原稿の自分の部分を師匠にメール送付。

2019/8/27 (Tue)
神田のクラフトビールで暑気払い。


2019/8/28 (Wed)
夜、電話会議。電話会議はマイクとスピーカーの性能が重要である。特にマイクのハードウェア性能が重要。経験的に音質がいいのはiPhone -> Macbook -> Android携帯 -> Windows PCの順になる。要はApple製品はオーディオ周りが強い。昔はPolycomのSkype専用マイクを使っていたが、この日はYamahaのYVC-1000という10万円近くするスピーカーとマイクを使う。さすが専用デバイス、段違いに音質いい。多分スピーカーとマイクの位置が物理的に離れるのが一番聞いている。ボタン一発で環境を自ら診断してくれるのがすごい。アナウンスはブリティッシュアクセントである。ただでかいので会議参加人数が10人超えるくらいから真価を発揮しそうである。数名であればYVC-300が使い勝手がよい。

2019/8/31 (Sat)
長い文章を書くときに、エディタのこだわりなどは人並みにあるのだが、結局のところこの世はWord社会である。指導教官が、出版社が、大学の窓口が、ひいては世間がTexやMarkdownで書かれた何かを受け取ってくれない以上、Wordを受け入れるしかない。
そして真剣に使いだすと、書いている原稿が100頁を越えてくると初めて分かるのだが、Wordはかなり完成度の高い道具である。むしろベストといっていい。
Wordの数少ない問題点はgitとの相性の悪さである。特にgit diffで前のバージョンとの比較をしずらい。ある程度諦めていたが、同じ会社の人が書いたプログラムでかなりいい感じの差分がとれることを知り、手元の2台のパソコンにセットアップした。快適。もっと早くやればよかった。optexというツールが何なのか理解しないで、ただ説明に従うだけで、使えちゃってるのがすごい。

Aug 1, 2019

7月の光景

今月は山口先生の先輩からの依頼でタイに行き、そこで山口先生の弟子とお参りをし、それ以外にも山口先生の存在を感じる場面が多かった。

2019/7/2 (Tue)
とある予算の使いみちについてオーストラリアのシンクタンクに相談するための電話会議。
師匠が賞をいただく。その授賞式にお招きいただきお祝いをする。一次会はいかにもなホテルのいかにもな宴会場。二次会は近所の海鮮居酒屋でろばた焼き。どっちかというと後者が楽しかった。




2019/7/3 (Wed)
朝一で霞が関へ。夕方は接客、その後会社の近くで取引先との懇親会に参加する。取引先は2年、長くて3年経てば顔ぶれがどんどん変わっていく。今の代の面々とも健全な関係が築けてよかった。
亡命した北朝鮮外交官の手記「三階書記室の暗号」を読む。中国はかなり真剣に北朝鮮に対して核開発から手を引くよう再三警告していたことをこの本で知る。

2019/7/4 (Thu)
人身事故で電車が止まっているが、朝の接客があり、乗車率200%の電車に意を決して飛び込む。満員電車内に人権はないなと。絶対に引っ越すことを改めて自分自身に誓う。

2019/7/5 (Fri)
朝9時からのアメリカにいる取引先との電話会議、終わってから霞が関、そして三田へ。翌週からのバンコク出張のために会社に戻ってエクセルと向き合う。

2019/7/6 (Sat)
夜遅くに羽田へ。

2019/7/7 (Sun)
日付変わって0時20分にタイへ向けて離陸。朝6時にはバンコク空港着。ここからタクシーに乗って、パトゥムターニー県(バンコクではない)にあるAITという大学へ。4日間の
インターネットガバナンスに関するサマーキャンプに講師として招かれた。

大学の近辺にはびっくりするぐらいなにもない。アメリカの田舎に近いなにもなさ。タクシーに30分乗ってショッピングモールに行き、買い物をしてご飯を食べる。






2019/7/8 (Mon)
終日聞き仕事。夜は参加者たちとディナー。

2019/7/9 (Tue)
ほぼ聞き仕事。夕方のパネルディスカッションに参加。もう一人のパネリストは人権活動家。
インターネット上での規制はできる限り行わないほうがよいという彼女と、適切な規制は必要であるという立場の自分。お互いのスタンスの違いはあったがパネルのあとに話してみると優れたバランス感覚を持つ人で、1時間ほど立ち話。



2019/7/10 (Wed)
11時から1時間半の講義。サイバーセキュリティガバナンスについて。
お昼過ぎから閉校式。このプロジェクトのリーダー/創設者であるキルナム・チョン先生にかわり、新たなリーダーが指名された。頑張れ新リーダー。
翌日の予定に備えて夕方5時頃にバンコク市内へタクシー移動。恐ろしい渋滞にはまり通常40分のところ、2時間かかる。

2019/7/11 (Thu)
MRTとBTSを乗り継いでBang Wa駅へ。そこからタクシーにのってマヒドン大学を訪問。授業というよりはファカルティ4名と学部生3名との会議を行う。現実に見える高度なサイバーセキュリティインシデントの傾向について。
その後大学構内を案内してもらってから、ワットパークナムというお寺へ。僕を招いてくれた、タイの大学の先生は山口先生の弟子である。
二人でお寺にいって功徳をしようというお誘いを断る理由はない。みようみまねの瞑想をして、故人を偲ぶ。
夜はタイの取引先とカニを食べに行く約束をしていたが、あまりに疲れてホテルで寝落ち。



2019/7/12 (Fri)
火曜に知り合った人権活動家の人とホテルで朝食。人権活動家というのは現実を顧みず、安全な立場からひたすら理想の社会を唱える集団だと私は誤解していたかもしれない。彼女の話をきけば、その仕事は明確に様々な危険と隣り合わせである。自らの命をかけてまで、他人の人権を改善したいというモチベーションはどこからくるのか?その1点についていろいろ突っ込んだ質問をした。
昼過ぎにバンコク発。深夜日付が変わる頃に帰宅。帰りの飛行機もAmazonプライムのジャイアント・ビーストを見る。

2019/7/13 (Sat)
タイ土産のマヒドン大学のマスコットクマぬいぐるみは娘にうけた。夜は回転寿司を食べにいく。安い回転寿司だが、久しぶりの寿司めちゃうまい。

2019/7/14 (Sun)
自宅で読書。胃がんのリスクチェックのためにピロリ菌検査をしてみる。結果は数日でWebもしくは郵送で送られてくる。とにかく健康には気をつけていきたい。

2019/7/15 (Mon)
自宅で読書。博論なかなか進まない。

2019/7/16 (Tue)

2019/7/17 (Wed)
自宅→霞が関→会社→霞が関という効率の悪い移動の日。最後の打ち合わせのあと、師匠のおごりで帝国ホテルのラウンジへ。作戦会議。

2019/7/19 (Fri)
家族旅行を機に禁煙をしようと思っていたので、1日早くiQOSを捨てる。
三田と赤坂見附でそれぞれ打ち合わせ。帰宅して夜中に海外の研究者のヒアリングに協力。エジンバラでの約束を果たせて一安心。

2019/7/20 (Sat)
タクシー、リムジンバスを乗り継いで羽田空港へ。そこからハノイへ飛ぶ。6泊の家族旅行である。
ハノイではいきなりタピオカティー(Bubble Tea)を買いに行く。歯が痛くてタピオカが噛めない。


2019/7/21 (Sun)

2019/7/22 (Mon)
ホテルのプールで遊んだり。


ランチはハノイの名店、Green Tangerineへ。裏切らない。


2019/7/23 (Tue)
午前若干時間があまったのでフォーの名店、Pho Thinを訪問。ネギが嫌いな家族も喜んでたべていた。昼頃ベトナム航空の国内線でダナンへ移動。

ホテルのプールで遊んでから、妻が手配した出前の麺類を部屋で食べる。
ダナンでは洗濯物をランドリーサービスに出す予定だったが、量が多いので料金が馬鹿にならない。調べるとローカル向けのランドリーサービスがある。お値段は洗濯物1kg毎に100円と破格である。Google Mapのメッセージ機能を使って、このランドリー屋とチャットしていろいろ確認する。
結果、1)午前中に僕が洗濯物をホテルのフロントに預け、2)それをランドリー屋が回収、料金をチャットでお知らせ、3)夕方5時までに乾燥し畳んだ洗濯物をまたホテルのフロントに預ける という流れになった。結論から言えば諸々3.5kgの洗濯物をあずけ、350円で夕方にホカホカの洗濯物が帰ってきた。ホテルに頼んだらおそらく10倍以上かかったんだろう。

2019/7/24 (Wed)
朝からビーチで遊ぶ。砂浜の砂の質が思ったよりサラサラでよい。
2ヶ月前に仕上げた論文がやっと出版された。すかさずTwitterで宣伝!




2019/7/25 (Thu)
早朝、ホテルの静かな場所を探して、電話会議。ホテルの部屋に戻ると妻が腹痛を訴える。結局、妻はこの日ベッドで1日を過ごし、僕は娘と2人で遊ぶ。
朝食、プール遊び、市街地のペッパーランチで昼食、チョコレート店でお土産購入、プール遊び、風呂、おかゆの出前とる。なかなか疲れる。正直途中で倒れそうになる。

2019/7/26 (Fri)
ベトナム最終日。ホテルの朝食を食べてから荷造り。ダナン→ハノイ→羽田。
行きのフライトでスーツケースが壊れたので、引取修理の手続きをする。

2019/7/27 (Sat)
自宅についたのはこの日の未明。家族が寝付いたのが2時半くらい。その後いろいろして、結局4時に就寝。12時起床。

2019/7/28 (Sun)
再び始発に乗って羽田空港へ。北京への1泊2日の弾丸出張。もう3回目なのでいろいろ慣れました。
行きの飛行機は師匠おすすめのインドの核実験を描いたインド映画Parmanuというのを見る。インド目線なので核実験はみずからの生存のための命綱という前提である。斬新で面白い。


昼過ぎに北京の定宿にチェックイン。ジョギングをしようと思ったが、思った以上に外が暑いので、ホテルのジムのトレッドミルで4kmだけ走る。飛び込み競技の中継を見ながら走ってたらあっという間。夜は日中関係者が集って食事会。やることないので20時半に就寝。

2019/7/29 (Mon)
朝から30分ほど歩いて取引先のシンクタンクを訪問。近況報告と研究の方向性について意見交換。その後出して頂いたお弁当を食べて、空港に向かうタクシーに乗る。スコールのような豪雨で道路が一部冠水していた。飛行機も40分ほど遅延したが、とにかく帰国。
1泊2日で「ブス界へようこそ」「編集漂流記」「大統領失踪」の上巻を読み終える。

2019/7/30 (Tue)
予定通り歯医者に行き、前歯2本に詰め物をしてもらう。

2019/7/31 (Wed)
単位取得退学の手続きなどを済ませる。とにかく博論を進めないといけない。