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Feb 7, 2022

1月の光景

なかなか単著の原稿が書けなくて、精神的に追い込まれてきました。
これが、本当に書けないんだなぁ。

2022年01月1日
あけましておめでとうございます。実家で正月を迎えました。母方の祖母を訪ねて新年の挨拶。午後は父方の祖父母が眠るお墓にお参りに行く。

2022年01月2日
自宅の近辺を散策し、母校である小学校の校庭で凧揚げをした。雲ひとつ無い快晴、さらに無風だったのでなかなか飛ばず。


夕方、パスタを食べたりショッピングモールを冷やかしたり。

2022年01月3日
朝一で近所の家電量販店に行き、母が使うiPhone6をiPhone13に機種変更する。その後、データ移行をしたり。
実家でダラダラしたり、近辺を散歩したりした。夜は弟とオーセンティックなバーに行き、贅沢な時間を過ごす。


2022年01月4日
仕事はじめは実家からリモートで。もうすこしインターネット回線が早くないと仕事は厳しいかも。新年からチームメンバーも増え、やれることも広がりそう。
午後は、近所にいる専門家にヒアリングにお邪魔する。普段MLでしか会話したことのない人と、対面で会うのはやはり少しドキドキする。発芽コーヒーなるものを出す喫茶店で待ち合わせ。普通に美味しい。

2022年01月5日
久しぶりの実家、もう少しゆっくりしたかったが諸事情で東京に戻る。出掛けに母親がお茶を点ててくれた。

2022年01月13日
久しぶりに取引先とコーヒーを飲みながらの近況報告会。昔は海外のどこかで年に1回は会っていたがここのところご無沙汰だった。スマートホームのセキュリティを考えながら楽しいひととき。

2022年01月14日 (金)
同僚から新著を恵投いただく。
恵比寿で、昨年5月のイベントの打ち上げと称してパネリスト3人でネパール料理をいただく



2022年01月15日 (土)
フットサル教室に親子で参加。広がる緑の芝生の上で走っているだけで気持ちいいね。最高!


2022年01月16日(日)
トンガ沖の海底火山噴火が起き、現地との通信手段が途絶えたらしい。お見舞いのメッセージをFacebookから送るが既読にもならない。

2022年01月18日 (火)
夜遅くにアメリカの人と電話会議。

2022年01月19日 (水)
新しい財布をかってもらう。
この日の授業はだいぶ前から決まっていたゲストスピーカー回。ブリュッセルで働く現役の外交官の方に授業いただく。学生からのリアクションに結構温度の高いものがあり、嬉しい。

2022年01月23日 (日)
姪の5歳の誕生日ということで、親戚で集まる。

2022年01月24日 (月)
午後は内緒の電話会議をする。

2022年01月25日 (火)
FIRSTに加盟を希望する企業が引きも切らないのはよいことである。加盟のスポンサーは結構手間がかかるが、頑張って国際コミュニティに日本のCSIRTを送り出したい。

2022年01月26日 (水)
午後は大学で授業。その後新橋で打ち合わせ。以外に蕎麦がうまかった。遅くに帰る。


2022年01月29日 (土)
遠い昔、まだ小学生の頃、「こどもがつくるたのしいお料理」という本をかってもらった。その中に載っていた「ぼくのカレー」というのが得意料理で、何度も家族に振る舞っていたという記憶を思い出し、30年ぶりくらいに子供と作ってみた。玉ねぎを炒める行程が大変だけど、やっぱり美味しかった。

2022年01月30日 (日)
1月末日が締め切りの1万字弱をほぼ書き終える。締め切りを守ったことを自賛していきたい。




Jan 8, 2022

12月の光景

年末に帰省したところ、母からも弟からも、「最近ブログ書いてないね」と指摘を受け、やはり定期的な報告の手段としてブログは続けるべきと思いました。

12月はコロナ感染者数が束の間収まり、1年半ぶりに飲みに行ったりできた楽しい時間でした。

2021年12月01日 (水)
M1 iMacが自宅に届く。予算の都合でメモリは標準の8GBだからか、M1チップによって劇的に早くなった感じはしない。しかし家の電気代が減るといいなと思う。あと標準キーボードに搭載された指紋認証が便利です。

2021年12月02日 (木)
イタリアの大学院生を相手に日本のサイバーセキュリティの解説をした。授業後、6人の生徒からLinkedinの繋がり申請が来る。これまでLinkedinの友達は直接会ったことがある人に限定していたが、これからのご時世それでは広がりがない。というわけで、申請を受け入れる。

2021年12月03日 (金)
オーストラリアに旅立つ同僚を送り出すという口実で、同僚と池袋で火鍋を食べる。
久しぶりの火鍋は美味しいし、毎朝のようにビデオで顔を合わす同僚と久しぶりにお酒を飲むというのも貴重な機会だった。
また開催したい。

2021年12月05日 (日)
自転車屋をいくつか見て回る。子供の自転車はサイズが難しい。午後は大根の漬物の講習へ。塩や砂糖の分量だけでなく、重しの使い方が大事と学ぶ。
 

2021年12月07日 (火)
午前、情報操作に関する勉強会。

2021年12月08日 (水)
夜はIGFでパネルディスカッションの出番をこなす。中立性という非常に難しいテーマだった。CERT/CSIRTはどこまで中立の組織としてありつづけられるのだろうかと自問する。


2021年12月10日 (金)
朝8時からアメリカとの電話会議。連日深夜までIGFの聴講をしているので朝がきつい。

2021年12月14日 (火)
朝8時から慶應とコロンビア大学のプロジェクトで20分ほどの英語プレゼンテーションをする。午後は歯医者にいったあと、同僚の出張報告を聞く。夕方東大で講義、これも英語だった。英語での発表はたいてい原稿を用意するのだが、夕方の講義は準備不足だった。

2021年12月15日 (水)
午前は会社での会議、プレゼン1件をこなす。午後はいつもどおり大学で授業をした。

2021年12月16日 (木)
業界の友人たちと前から行きたかった渋谷の南インド料理屋に行く。待ち合わせより早めに渋谷に行き、狙っていたスニーカー(スタンスミス)を購入した。渋谷駅周辺、昔の宮下公園のあたりが変わったという話だけは聞いていたが実際に行ってみてびっくりした。
エリックサウスやっぱりすごい



2021年12月17日 (金)
昼は神戸からの来客とランチ。美味しいシンガポールチキンライスをいただく。現地の10倍くらいの値段がするが、なるほどと思わせる上品な美味しさでした。旧友の状況を聞き安心する。
途中で丸の内のアップルストアに立ち寄り、Magic Trackpadを購入した。Macbookに使い慣れた身として、iMacをマウスで使うのにはどうしても慣れることができなかった。
夜、バングラデシュに関する電話会議をする。

2021年12月18日 (土)
夜、ゼミの後輩であり、人生の先輩と近場でお酒を飲む。博士号取得(1年半前)を祝っていただいた。うれしい。
人気の居酒屋だが、カウンターまで満席だった。


2021年12月22日 (水)
年内最後の大学の授業の日だった。幼稚園が休みに入った子供を連れて行く。授業中は教室の一番後ろで静かにSwitchをしたり、あやとりをしたりしていた。幼稚園児にとって大学はキレイで楽しいところだそうだ。
もちろん、授業が終わった後のひとこま


2021年12月23日 (木)
中国と韓国の取引先との調整が、予想通り難しい局面を迎えて、心理的なストレスを感じる。

2021年12月28日 (火)
2年ぶりに実家に年越しのために帰省。1年半ぶりに両親、弟たち家族、祖母などと会う。スケート場に行き、懐かしの場所をめぐり、実家のインターネット周りを整える。











Dec 2, 2021

11月の光景

 色々あって、ブログをかけてませんでした。この月の思い出深い写真だけを残します。












Nov 1, 2021

10月の光景

サボっていて、ブログをかけてませんでした。この月の思い出深い写真だけを残します。











Oct 1, 2021

9月の光景

 サボっていて、ブログをかけてませんでした。この月の思い出深い写真だけを残します。











Sep 3, 2021

アレシボ天文台 ~不思議な場所で考えるサイバーセキュリティ~

注: 2020年11月にNoteに書いた記事を再掲してます。

アレシボ電波天文台の閉鎖が決まった。慢性的な資金難が続いてきたところに、今年8月の施設の破損事故がダメ押しとなったそうだ。

アレシボ天文台がどんな場所であるか。知っている星座は北斗七星とオリオン座の2つという、天文にあまり興味がない私の目線でお届けしたい。ひょんなことから、2017年6月にそこを訪れたからだ。

もともとアレシボ天文台を訪れようと言い出したのは仲間のIT技術者である。我々はおよそ2週間にわたってプエルトリコのホテルで缶詰になってサイバーセキュリティの仕事をしていた。すべての日程が終わった日の午後、偶然空いた半日の自由時間があった。それを見越した彼はだいぶ前から天文台とコンタクトをとっていた。

実はこの時期、天文台は部外からの一般見学を受け入れていなかった。それを知った上で、仲間は交渉した。数往復のメールの結果、我々の見学は許された。が、奇妙な条件がついていた。「自分の専門分野について天文台のスタッフに授業すること」。我々はサイバーセキュリティの専門家なので、宇宙の話はできないと伝えたら、むしろ歓迎とのことだった。天文台の人は、宇宙とか電波とか天文に飽きてしまっているので、異分野の話を聞きたいらしいのだ。よくわからないが、USBメモリにStuxnetというコンピュータウイルスの話をするためのパワーポイントのファイルを入れて、ホテルを出た。

プエルトリコの首都サンファン、そこから車に1時間半ほど揺られた山の中に天文台はある。8人の仲間でお金をだして、タクシーを半日チャーターした。プエルトリコは海沿いこそ、開発されて都会的だが、全体としては「カリブ海に浮かぶのどかな島」のイメージを裏切らない、静かな場所である。首都のサンファンですらそんな感じなので、1時間半も走れば、人の気配がなくなる。天文台のあるアレシボという町の周辺は平飼いされている鶏が車道を歩くような、山の中である。

昼過ぎに天文台に着く。天文台の入り口のゲートは立派だった。こんなところに世界屈指の電波天文台があるなんて本当だろうか?いや、そもそも人がいるのか?という疑いの気持ちが湧いていたので、ゲートを見て一安心した。特にNASAのロゴは「文明の中の文明」という感じがして頼もしい。



そして、携帯電話や電波を発する機器の電源をオフにするよう厳重に注意される。ゲストセンターなどはなく、我々はスタッフが寝泊まりする棟の1Fに通された。天文台の敷地内は背の高い樹木に囲まれていて、昼間なのにうす暗い。通された部屋の中もだいぶ暗かった。くたびれ切った弾力のないソファーが、大きな部屋の中に飛び石のように置かれている。開放型の書架が10m暗い並んでいるが、並んだ本はどれも古そうで、手入れされたライブラリーには見えなかった。

やがて8人ほどの天文台で働くスタッフが部屋に入ってきた。みんな若い。ほとんどが天文学を学ぶ大学院生、あるいはポスドクと自己紹介していたが、高校生にも見える。簡単な自己紹介をしたあと、早速、入場料代わりのサイバーセキュリティに関するプレゼンをする。Stuxnetの話を中心に、最新のOS、最新のスマートフォンでも、凄腕の攻撃者に狙われたら無事では済まないというような話をした。興味深く聞いてくれたようだ。山のように質問がでる。なんだかんだで1時間半くらいみっちりサイバーセキュリティの話をする。

双方にサイバーセキュリティで話がふくらみ、訪問の趣旨をすっかり忘れかけた頃に、「じゃそろそろ」という感じで建物に案内される。本来は見学者向けの施設があるそうだが、なぜか天文台のスタッフと意気投合した我々は制御室がある建物に連れて行かれた。

2階建ての建物だが、およそ天文台というイメージから想像される建物よりも、ジャングルの中の動物観察小屋のような趣のある建物である。ブンブンアレシボといえばわかってくれる人もいるかもしれない。警備もなにもない入り口、その後の長い廊下には電気がなくうす暗い。廊下や部屋の壁には手書きのメモ類がびっしり貼られている。その一種の乱雑さが、本当に何かの運用をしている部屋独特の、ハリボテじゃない空気を醸し出している。





道すがらも、天文台のスタッフが熱心に解説をしてくれる。長い廊下をゆっくり進んで、突き当りの部屋に入ると、正面に大きなガラス窓があり、そこから、ネットで見覚えのある電波望遠鏡の副鏡が突然視界に飛び込んでくる。これがアレシボ電波望遠鏡か。一堂呆気にとられて宙吊りになった物体を眺める。




研究者が、我々をオペレーション担当のスタッフに紹介してくれる。4-5人座るのが精一杯と思われる部屋には、弥生時代を彷彿とさせるPCと縄文時代の計測器が立ち並ぶ。机の上には、Windows 95の箱とインストールディスク(CD)が大事そうに置かれている。聞けば、未だにWindows 95という20年前のOSでしか動かないソフトが必要という。制御室では自然と話が天文台の資金面におよんだ。大口スポンサーであるNSFとの交渉の経過などについても聞いた気がする。細かいことは覚えてないが、スタッフの発言からはある種の諦め、「近い将来アレシボ天文台は稼働できなくなる」という覚悟を感じた。同時に、スタッフの口ぶりは天文台と老いた電波望遠鏡への労りと毅然としたやさしさに満ちていた。

制御室の前にある、広いテラスのような場所に出て、望遠鏡をより近くから見てみる。見れば見るほど奇妙な造形をしている。パラボラアンテナは現場では、左右の林に遮られその全容が見えないが、とにかく大きい。副鏡はパラボラの縁に立つ3つの塔から伸びるワイヤーで空中に固定されている。風で揺れたりはせず、かなりの重量がある感じがした。副鏡はよく見ると橋やハシゴがついている。メンテナンスのときにはそのハシゴを使って副鏡の中に入ると言っていた。登る役割だけは死んでもごめんだと思った。



1960年代に建設され、半世紀に渡って電波を受信し続けた望遠鏡。宇宙を愛し、素人にも気さくなスタッフ。周辺の林では鳥がさえずっている。アレシボは今日も平和である。

サイバーセキュリティの仕事をする我々の7名の誰も、「Windows95を使うことのセキュリティ上の問題」などという野暮なことは言わなかった。ほぼ全員が、活動資金の募金箱にお金を詰め込んだ。1つの時代を築いた電波望遠鏡が、静かに余生をすごす姿は、最新の科学に触れたときの興奮とは違う種類の、じわじわくるタイプの感動を我々に与えた。

最後に、スタッフ8名と我々訪問者7名とで望遠鏡を背景に記念写真を撮った。いい日だった。




天文台からの帰り道。周囲はすっかり暗くなっていた。タクシーの中で誰かが言った。
「俺たちの仕事って30年とか50年後になにか残るのかね?」
アレシボには50年たってなお人を集める魅力がある。サイバーセキュリティの分野に、というかデジタルの世界にそれに匹敵する魅力あるコンテンツはあまり思い浮かばない。
別の誰かがいった。
「みんなでイランのナタンツにコンピュータウイルス博物館つくろうよ。壊れた遠心分離機置けば、みんな見に来るでしょ。(注: 前述のStuxnetというウイルスはイランで遠心分離機を物理的に破壊したとされてます。)

というわけで皆様、50年後にイランでお会いしましょう。

Sep 2, 2021

8月の光景

  サボっていて、ブログをかけてませんでした。この月の思い出深い写真だけを残します。


夏休みに行った宮崎で「辛ラーメン」を頼んだところとても美味しかった。牛骨?ベースににんにく、ニラの旨味が凝縮されたスープに、ちょっとコンニャクのような冷麺風の麺をあわせる。ご当地グルメのようで、宮崎では何店かでだしていた。東京でも食べられる店があるらしく行ってみたい。(という自分のためのメモ。)