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Jun 30, 2020

6月の光景

データの世紀という本を読んだ。アマゾンやグーグルなどのプラットフォーマーによって、個人のデータがどう利用されているのかをできるだけ身近な形で説明しようとする本である。就職サイトのリクナビによって企業に自分の情報を販売されていたことを知った学生は「それでもリクナビを使わない就活はありえないので、使い続ける」という選択をした。GAFA断ちを決意した記者は、取材のための下調べや、待ち合わせなどありとあらゆる局面で生産性が落ち、結局GAFA無しでは生きられないことを発見する。電話かショートメールが連絡手段となり、想定外の孤独を感じた記者は、頼みの綱の学生時代の友達を飲みに誘うが、皆に無視されたという。
「今どきショートメールなんて怪しさ満点。本人か疑った」と笑われた。ガラケー全盛期に培った友情のはずなのに、今やSNSの輪を外れると信頼が揺らいでしまう。』(データの世紀 loc.677)
だめな配偶者と別れられないみたいな状況がプラットフォーマーとユーザの関係にも起こっている。

2020年6月5日 金曜日
久しぶりに歯医者に。窓を全開にしてコロナ対策している。夜はFIRSTの2021年カンファレンスについて相談するための電話会議。

2020年6月6日 土曜日
学生時代の友人とオンライン飲み会

2020年6月7日 日曜日
招待有りの論文の執筆。仕上げの作業がなかなか集中力がいる。翌朝7時まで徹夜して仕上げる。徹夜明けにシャワー浴びて、スーツ着て、プロフィール用の写真をスマホで撮る。今回はこれでいいけど、次回はちゃんとしたカメラマンに撮ってもらいたい。

2020年6月10日 水曜日
モニター台を購入。夏で熱くなり、ノートPCの排熱のためにスペースを作るために買った。ついでに机の上からごちゃごちゃしたケーブルがなくなって気持ち良い。
ホンダのサイバー攻撃についての問い合わせ続く。

2020年6月12日 金曜日
前日から行われていた家の外構工事が終わる。見た目がスッキリしてちょっとスペースもできてよかった。コロナで自宅にいる時間が増え、家の中の改善に色々とお金を使うことが増えた。

2020年6月13日 土曜日
研究費で買ってもらった新しいプリンターが届く。エコタンクという大型のインクタンクを持っている。博論などの校正作業で大量に印刷するのは不可避なので、これで捗る。


2020年6月15日 月曜日
IGF2023は日本でやることが決まったらしい。アナウンスを見てびっくりした。

2020年6月16日 火曜日
午後、ロースクールの学生対象にサイバーセキュリティについて講義。スタバで買ってきてもらったアイストールラテを久しぶりに飲む。都会の味がする笑。


2020年6月19日 金曜日
新しいMacbook Airが届く。今度はストレージが1TBでデータの置き場所を気にしなくてよいのが嬉しい。しかし手持ちの2017年のオプションモリモリMacbook Proと比べて、若干遅い気がする。キーボードは深くなってとてもよい。
プロ野球が開幕する。無観客の試合でも、野球を見れるのは素直に嬉しい。


2020年6月20日 土曜日
翌週の国際安全保障学会のためのZoom接続テストおよびリハーサル。学会の運営というのは若手研究者のボランティアを前提としているようである。夜は学生時代の友人とオンライン飲み会

2020年6月21日 日曜日
博論の修正作業と、校正作業。今月2度めの徹夜。しかし6時位には終わった。目の前に1000匹の動き回るアリがいて、あなたの仕事はそのアリを一列に隙間なく並べることだとしたらどう思います? 書いている間はそんな気持ちでした。

2020年6月22日 月曜日
修正した博論を主査・副査の先生がたに送る。最終試験へ向けて準備着々。しかし公聴会のときと違って自信がない。頂きが近くなるにつれ、傾斜が急になる山である。

2020年6月24日 水曜日
昼休みの時間を使って、都知事選の期日前投票へ行く。段々と選挙がビックリ人間コンテストみたいになってきているのは気のせいだろうか。
新たな分野の研究に手を出そうと、文献調査を開始する。テーマはまだ言えないが、最初の数日で、良い研究になりそうな気がする。

2020年6月25日 木曜日
郵送された書類の確認などのため、神田にあるオフィスに赴く。4月上旬以来である。電車は普通に混んでいたし、世界は日常に戻っているようにも見える。昼過ぎにスリランカの知人と電話会議。割と意見の隔たりあり。
コーラが飲みたくて近所の薬局に行ったらオレンジバニラ味のコーラしか置いてなかった。意外と行ける!


2020年6月27日 土曜日
11時から国際安全保障学会定例会。国際政治の教科書で名前をよく見る、大御所がたくさん参加している。午後の発表の討論者として。短めに発表者の研究の位置づけをまとめ、わかりやすい質問を2つ投げかける。

2020年6月29日 月曜日
朝の散歩で自宅の近くに花屋を見つける。財布を持ってなかったので見学だけ。


2020年6月30日 火曜日
昼ごはんは久しぶりに外でラーメン。親戚にめでたく男の子が誕生。友人夫妻から手作りの布マスクを頂く。鼻の部分に金属が入っているなど、とても使いやすい。ありがとう。
執筆した論文のゲラが届く。この雑誌では記者ハンドブックに準拠するそうで、山のように校閲のコメント入ってる。確認に勤しむ。会社でも公開文書の記述の拠り所になっているし、記者ハンドブック買ったほうがいいのかもしれない。






Jun 7, 2020

5月の光景

いよいよ夏っぽい天気になってきた。暑い日に通気性の良い短パンで、後ろから強めの扇風機をかけて仕事をすると、とても気持ちいい。スーツを着て、エアコンの聞いた部屋で仕事するより3倍気持ちいい。在宅勤務のいいところをまた1つみつけた。




2020年5月4日 月曜日
取引先とのZoom飲み会

2020年5月7日 木曜日
リングフィットアドベンチャーが届く。

2020年5月9日 土曜日
山口先生の命日。柏にあるお墓を訪れることはかなわないが、たまたま同僚の一人がお墓のあるお寺の近くに住んでいる。彼にカメラをもってお墓までいってもらう様子をZoomで中継、残りの人達は自宅から参加した。

2020年5月10日 日曜日
公園に行くも遊具は使用禁止。仕方ないのでモグラの穴を探して掘るという遊びで時間をつぶす。夜はたこ焼き器を使って家でたこ焼き。ソーセージやチーズなどの変わり種を試すも、結局タコが美味しいねという結論に。
母の日なので花束をプレゼント。


2020年5月11日 月曜日
家から少し遠いラーメン屋さんがスープと生麺の持ち帰りサービスを初めていると知り、早速店舗を訪れる。
ネギやチャーシュなどのトッピングもついて1人前540円。久しぶりの本格的なラーメンは、体にしみいる感覚。

2020年5月12日 火曜日
自宅の光がアップロード1Mbps出なかったので速くするために、1)WifiのAP買い替え、2)ISP乗り換え、3)IPoE利用、PPPoE避けるを段階的に実施。速度テストはISPや設備よりも計測する時間帯の影響が出やすいので、本当は毎日同じ時刻に測らないと意味ない。が、up 0.62 down 18.4が200を超えたので満足。遅いのはエキサイト光が悪いと決めつけ、エキサイト怒り状態だった。今、改めて振り返ると、原因は宅内のWifiにもあったし、なによりNTTのPPPoE向け網終端装置のキャパオーバーが大きい。


2020年5月14日 木曜日
子供が自分用の小さな机を、仕事部屋に持ち込んできた。仕事する父の横で勉強をするらしい。頑張れ!


2020年5月15日 金曜日
5月は税金の季節ですね。確定申告でお金がもどってきて、自動車税に、固定資産税を払う準備。午後は大学院のゼミ。発表を聞く。

2020年5月18日 月曜日
有斐閣のジュリスト 5 月号の特集はプラットフォーム規制の現在地。5つの法律家、実務家の論文で構成。巨大IT企業を規制する動きを解説するだけでなく、事業者の視点から規制すべきでない理由も語られる。どの論文がというより、特集全体として面白い。

  • 「自分は単なる場の提供者にすぎず,利用者の行為に起因する権利侵害には責任を負わない」というよく聞く主張を森亮二論文は「プラットフォームの抗弁」と表現。藤井・角田論文は「プラットフォーム事業者は営利企業で、公益を担うインフラ企業とは一線を画す」そして曖昧な空気感による萎縮を懸念。これらの法律家の議論に続く日本のネット企業を率いた別所氏の論文は、プラットフォーム以前の技術も批判にさらされた中を成長してきたと例示し、規制による萎縮という言い訳をしないで、企業は挑戦し続けるべきと結んでて、かっこいい。
  • いずれの論文でも、「一国二制度」「域外適用」など表現の違いはあれ、多国籍に活動するプラットフォーム事業者を一つの国のルールで縛ることの難しさに触れている。そこは検討の途上にあるようである。


2020年5月20日 水曜日
稲田 俊輔「南インド料理店総料理長が教えるだいたい15分!本格インドカレー」 のサバカレーレシピ。外食できない今、家でこんな美味しいカレーが食べられるなんて。長い時間煮込んでこそ美味しいというカレーの常識を超越するレシピ本である。



2020年5月21日 木曜日
家の外構工事について打ち合わせ。データセンターについての勉強開始。

2020年5月22日 金曜日
取引先との打ち合わせ、その後オンライン懇親会。オンライン飲み会で参加者15人くらいになると話す人が限られてしまうかもしれないという不安から、各自決められた時間で「自分史上最高の何か」を発表する会にした。玄人はだしの書家、ハンドボールマスター、滝巡りなど、仕事だけだとなかなか見えない個性が見える良い会となった。

2020年5月23日 土曜日
外出自粛になってから隔週でおこなっている学生時代の友人とのオンライン飲み会。定期イベント化。

2020年5月24日 日曜日
新鮮なアジを3尾。自分で3枚におろす。いつも動画でみているようにはいかないが、及第点。

2020年5月26日 火曜日
朝のジョギングをしながら聞き続けていた、Wind of ChangeというポッドキャストについてTwitterにまとめを投稿した。米CIAが冷戦中にロックバンドを使って情報工作をしたという内部情報を追跡した番組で45分x8エピソードの大作である。おすすめ。


  • Wind of Changeは西ドイツのハードロックバンド スコーピオンズが1990年にアルバムに収録した曲。1991年1月にシングルカットされ、チャートを席巻した。ドイツだけで600万枚のセールス。冷戦で東西の行き来が少ない中、ソ連国内でも大ヒットし、自由化への期待を高めたと言われる。
  • パトリック・キーフ記者はCIAの複数の職員から、この曲はCIAがソ連の混乱を企図して作ってスコーピオンズに歌わせたという話を聞き、調査に乗り出す。キーフは政府に『スコーピオンズとCIAの関係」についての情報公開を請求するがもちろんゼロ回答。
  • CIAがポップカルチャーを使って情報操作をした例はいくつかある。映画アルゴで描かれたのは、CIAが映画会社を作って、偽の脚本まで書いて、偽映画のロケと偽って、イランに人質救出に向かった様子。 巨匠ルイ・アームストロングは国務省の企画に協力し、アフリカの27都市へのツアーを行った。動乱の真っ只中のコンゴでもコンサートをした。コンサートの4ヶ月後に、1961年1月にルムンバ首相が殺害される。この一件はCIAの関与が疑われている。
  • ソ連の情報機関はアメリカのロック音楽にかぎらずポップカルチャーの流入を警戒していた。ロックバンドは政府公認になって検閲を受け入れるか、非公認バンドで不自由を受け入れるかの2択だった。後者はテープにしかレコーディングできない、職業として認められないなどの不利益があった。1980年代レニングラード・ロック・クラブというKGBが目をつけたクラブが唯一ロックを演奏して良い場所だった。監視は行われたが、そこからキノーなどのロシアのバンドが育っていった。
  • ロックが敵視される状況の中、1989年8月にレーニンスタジアムでモスクワミュージックピースフェスが開催された。目的は青少年のアルコール、ドラッグ使用防止。ボン・ジョビ、スキッド・ロウ、モトリー・クルー、オジー・オズボーンが参加。バンドはアメリカからのチャーター機でモスクワへ。途中、ロンドンでスコーピオンズを拾う。機内で痛飲。オジー・オズボーンがトイレのドアを蹴り破るなど全員泥酔でモスクワ入りする。(アホくさくて好き) フェスの目的に合わないバンドが選ばれた理由は、ブルース・スプリングスティーン、ホイットニー・ヒューストンなどのよりアメリカを代表する人選をしなかったのか?理由はフェスがドク・マクギーという大物音楽マネージャの仕切りだったから。ドクは1年ほどかけてフェスの準備をしたが、そもそも前年に麻薬の密輸で起訴されていた。記者は、ドクと米政府の間で密輸に目をつぶる代わりに、ソ連にロック音楽を持ち込むという取引がなされたと疑い、本人に問うも否定される。
  • 記者は取材の総仕上げとして2020年1月にスコーピオンズのボーカル、Wind of Changeの作詞作曲者、クラウス・マイネを取材する。「曲はCIAが書いたか?」という問いをマイネは否定。「もらったばかりのヤマハのシンセサイザーで遊んでいて」「ミッキーマウスのノートに書いた」など回答は具体的。結論「CIAが曲を書いたという証明はできなかった」。しかし現代でもCIAはハリウッドにリエゾンを送っている。映画ゼロ・ダーク・サーティは拷問をビン・ラディンの場所を特定するために不可欠だったと描く。米国の情報操作は今も現在進行系であると記者は結ぶ。


2020年5月28日 木曜日
朝、ジョギングをしたら、公園の遊具が使えるようになっていた。夜はUNIDIR主催のセミナーに聴講。

2020年5月29日 金曜日
8:30からコロンビア大学SIPAとのセミナー。質問などしないといけないかと思ったが、聞いてるだけで時間終了。

2020年5月30日 土曜日
友人の子供2名が泊まりにくる。賑やかで楽しい。