そろそろ稲刈りの時期が近づいている。(写真は本文と関係なし)
先週は丸々一週間の休みをとって主に実家で静養した。遅い夏休みである。実家には時々帰っているが、いつも東京にとんぼ返りするので、こんなに長く帰っていたのはおそらく10年ぶりだ。
母方の祖父母を訪ね、今は長野で暮らしている昔の友人を訪ね、日帰り温泉に行き、アウトレットで買い物をしなどと休みらしいこともしてはみた。しかしメインはあくまで食べて寝ること。この時期の長野の気温はここちよく、よい静養になった。
介護をする者、介護される者、間を繋ぐ者
父方の祖母は今年92歳、年の割には元気であるものの、体力の衰えは確実に加速していて、お風呂に入るのも一苦労。いよいよもって本格的な「介護」を要する状態になってきた。そんな祖母を支えるために母親は長年続けてきた仕事を辞め、介護に専念することとなった。辞めた仕事というのは、母親が勉強してきた専門知識を活かせる数少ないものであり、個人的に母親がその辞めることには反対であったが、祖母が一人でいられないのだから仕方ない。
最近ではデイケアセンターというものがあり、昼間だけお年寄りを預かってくれたり、お風呂にいれてくれたりする。そういうところを利用すれば母親や家族の負担も大いに減るのだが、祖母はデイケアセンターを頑として拒むのである。
当初、このデイケア行きを拒むのは祖母の単なる我が儘と思っていたのだが、実家で色々な人から話を聞くとそうとも言い切れない面があることに気づかされる。たとえばデイケアセンターにいけば昼間から幼稚園よろしく歌を歌ったりゲームをしたりする。それが楽しいと思えるお年寄りとそうでないお年寄りがいるのは当然である。デイケアセンターにいけば他にも沢山お年寄りが来ていて、話し相手に困らないとも言われている。果たしてそうだろうか?人は年をとるにつれ、自分と似た層の人間とだけしか交流をもたなくなる。そんな状態で90歳を超えてから、デイケアセンターに来る見ず知らずのお年寄りと仲良くできるものだろうか。
介護する側にしてみれば、助かるデイケアセンターである。しかし介護されるお年寄りからしてみたらそこに行けば、自分の存在が「私」から「一老人」に成り下がり、みな均等に扱われてしまうのである。祖母が感じているのは、単に肉体的に居心地の悪さだけでなく、100年近く生きてきた自己が軽く扱われることにたいする危機感なのかもしれない。
このことを僕に教えてくれたのは母方の祖父母だ。現在八十台でまだ自活している二人は、介護される側の心理も介護する側の心理もよく理解しているのだった。二人を訪ね、話をして、父方の祖母に対する僕の考えが偏っていたことを思い知った。
この手の問題については正しい解が用意されているわけでない、本人と周囲の人間がその時々にお互いの意思を確認しあって、最善とおもえるものを選ぶしかない。しかし、「周囲の人間」ができるだけ多様な立場、考え方を持つ人であることが大事である。そんなことを感じたのであった。
ドライブ中の道の駅で撮影
「ちょっとお味噌買ってきて、ハイ」と渡された小銭入れ。結局味噌屋休業のため、ガキの使いで終わった。
祖父母宅の畑がなにやらリニューアル中。
家の周り。ツアーバスが来るほどに観光地化がすすんでいる。
逆光の小学校
車での移動中は退屈だったのでコブクロのシングルコレクションをループ。
君という名の翼は沁みた。