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Sep 7, 2008

【奇跡の弟者】 憂鬱な銀杏拾いと音速の婆者

憂鬱なギンナン拾い
兄者の家には大きなイチョウの木があって、毎年秋になると頼んでもいないのにギンナンが鈴生りになる。兄者と弟者がもっとも嫌いな行事、「ギンナン拾い」が今年も催されるのである。
イチョウ.jpg
今も元気なそのイチョウの木
「ギンナン拾い」の手順はこうだ。

  1. ギンナンの木の根元から半径3m以内に古新聞を敷き詰める

  2. ギンナンを落とす。1)長い棒で枝をたたいて落とす、2)イチョウの木に登って枝をゆすって落とす、の2つのパターンがある

  3. 割り箸もしくはゴム手袋をしてギンナンを拾ってはビニール袋につめる

  4. 2と3を繰り返して新聞の上からギンナンがなくなったら終了


兄弟がこの行事が嫌いな理由は色々ある。
まず子供はギンナンの味が嫌いだ。さらにギンナンは臭い。
なによりの理由は兄者が単純作業を苦手としているという点だ。ギンナン拾いはイチョウの葉をよけながら地面に落ちた無数のギンナンを拾ってはビニールに詰めるという作業を黙々と2時間くらい行う。チマチマした作業が昔から大の苦手な兄者にとっては苦行でしかない。
音速の婆者
というわけで母者や父者の目を盗んでは弟者(大)とギンナン合戦をはじめたり、「いやぁ生のギンナンはおいしいなぁ!」とモグモグする迫真の演技を弟者(小)に見せつけたりと、なんとかして単調な作業にアクセントを加えようとする兄者であった。しかしそんな兄者を見張っていて、「口じゃなくて手を動かしなさい!」と鋭く叱責する人物がいる。
婆者(ばあじゃ)である。
「矍鑠(かくしゃく)とした」という形容詞はまさにこの人のためにあると、親戚の誰もが認める婆者。座右の銘は「働かざるもの食うべからず」の婆者。ギンナン拾いをサボろうとする兄者と弟者に向けられる視線はまるで受刑者を厳しく監視する看守のそれである。
そしてギンナン拾いをする婆者はすごい。なにがすごいって高齢にも関らず、割り箸を巧みにつかって弟者の2倍のスピードでギンナンを拾うところである。

  • 「サッ(イチョウの葉を割り箸でよける)」

  • 「パシッ(割り箸でギンナンを正確無比にキャッチ)」

  • 「ザッ(ギンナンを手元のビニール袋へ、この時目線は次のギンナンへ移動している)」


この一連の作業が流れる川のようにスムーズに行われるのである。
「うちの婆者はギンナン拾いの人間国宝」と紹介したら、誰もが納得してしまうに違いない。それほど見事なものであった。
戦後の混乱の中で4人の子供を育てあげた婆者。その婆者の背中から兄者と弟者は額に汗してコツコツと働くことの尊さを学んだのである。
都会のギンナン
こうして敬愛する婆者同志のもとで、社会主義的労働価値観の薫陶を大いにうけた兄者はやがて上京する。兄者を待っていたのは無意味にオサレな消費生活、かわいい女の子、そしてイチョウ並木であった。
ある日、そんな都会育ちの華やか女子大生達が「キャンパスのイチョウ並木で踏んじゃったの!」「ありえなーい」「くさーい」などギンナン一粒に過剰な反応をしていた。
「昔は毎年家族でギンナン拾いしててさ、婆者が早くて!・・・」とは言い出せないどころか「まじ?ありえね!」などとのっかってしまった兄者を責めないでやって欲しい。
ギンナンなど見たことも聞いたことも無いですよ、むしろギンナンて食べられるんですか?的リアクションを貫徹した兄者を、どうかどうか責めないでやって欲しい。
(婆者は92歳。今も元気です。)