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Aug 30, 2008

【奇跡の弟者】 亀者を殺したのは誰だ

弟者家はいろいろな動物を飼っていた。それぞれ思い出深いが、今日は亀の話。主人公は兄者である。そのとき兄者が飼っていたのはリクガメで、子供の手のひらを広げたぐらいの大きさであった。名前はつけていなかったが、ここでは慣例に従い亀者としておく。

亀は動きが力強く意外と素早い。野菜をあげればなんでもよく食べるので張り合いがある。表情豊かで、飽きない。そしてなにより甲羅に被われた見た目がかっこいい。インコなどと違って一緒に遊べるのもポイント高い。というわけで兄者にしては珍しく図書館の本で亀の飼い方を勉強し、日々せっせと亀者の餌やり、水の交換などのお世話をしていたわけである。そう兄者は亀者が大好きだった。

亀者の冬眠

春が過ぎ、夏が終わり、亀者と過ごす初めての秋がやってきた。兄者の亀の飼い方マニュアルにはこう書いてあった。

「亀は冬になると冬眠しなければなりません。こうやって冬眠させましょう。」

  1. 地面に30cmほどの穴を掘ります。
  2. そこに亀を置きます
  3. 空の植木鉢をひっくり返してその上に置きます
  4. 植木鉢の底の穴から土がはいらないように石で穴をふさぎましょう
  5. 上から土をかぶせましょう
  6. See you next year!

ご丁寧に図まで着いていた。これである。

 
真ん中の緑が亀。茶色が植木鉢

適当すぎないか?亀を生き埋めにしてないか?と小学生の兄者にも、腑に落ちない点が多かった図である。
たとえば弟者家のような雪国であれば、地面から30cm程度の深さだと冬には確実に気温が氷点下になり凍りつく。水は?なにより空気は?兄者は直感でこの方法は危険だと感じていたが、一方で、本には「亀は冬眠させないといけない」とも書いてあるわけである。悩んだ結果、兄者は本を信じることにした。専門家の書いた本に間違いがあるはずがないではないか。

秋も深まったある日のこと、兄者は弟者と共に亀者の冬眠の準備を行った。まったく本の通りにである。まず庭の比較的土が軟らかく掘りやすいところをスコップで掘る。小学生が30cm掘るのだからなかなか大変だ。(弟者に手伝わせた。)そうしてできた穴に大事な亀者をそっと置いた。

次に植木鉢を上から被せるところだが、兄者は亀者が冬眠から覚めた時になにか食べたくなるだろうという配慮のもと、亀者の好きな野菜をいくつか穴にいれておいた。亀者を思えばこそである。亀者に来春の再会を誓い、植木鉢を被せ、穴を石でふさぎ、上からそっと土を被せる。全ての作業がおわったあと、弟者が周辺をドスドス踏み固めていた気もするがそれはご愛敬というもの。

亀者の冬眠準備は本の指示通りおわった。兄者は一抹の不安を覚えつつも、本の内容を信じて亀者との再会を待つことにした。

 

亀者との再会

翌年の春、兄者は3月のまだ地面が雪に覆われている頃から、亀者が冬眠から覚めて、地上にはいあがってくるのを今や遅しと待っていた。

結局その春、亀者は冬眠から覚めなかった。
誰でもうっかり寝坊をするときはある。そう思って兄者は待った。

夏。亀者は冬眠から覚めなかった。
二度寝あるいはトラブルだろうか。辛抱強く待つことにした。亀者にだっていろいろな都合がある。

そうして亀者が冬眠から覚めないまま、次の冬が来た。
兄者は泣きたい気持ちになった。

もしかしたら亀者は兄者が見ていないところで冬眠から覚め、そして逃げていったのかもしれない。そんなことは冬眠させた場所を掘り返してみればすぐ分かることだが、兄者にそれは出来なかった。もしそこで亀者が死んでいたら・・・と思うと。

結局、亀者は冬眠から覚めたのか真相は分かっていない。ただ亀の飼育方法について調べてみると、最近では亀を冬眠させることは危険が伴う行為として認知されており、また冬眠させる場合にはいくつかの手順を踏む必要があることが分かった。20年前のあのマニュアル本の解説にはそんなこと書いてなかったのになぁ・・・

亀者の冬眠土葬は、本の内容を鵜呑みにせず、自分の直感を信じることの大切さを教えてくれた。

Aug 24, 2008

【奇跡の弟者】 弟者の華麗な食卓

極めて少数の読者にだけ好評な奇跡の弟者(おとじゃ)シリーズ第5弾。やはり兄者が小学校4年生くらいの時のお話。

 

 
※写真と本文は関係ありません。

 

華麗な食卓 弟者(大)の場合:

ある日の夕食前のこと。弟者(大)が前触れも無く泣き出した。何が起きたのかサッパリ分からないのだが、台所から母者がやってきて聞く。
母者「弟者どうしたの?」
さっきまで1人黙々と油粘土で遊んでいた弟者が泣きながら口元をぬぐう。その口元には灰緑っぽい色の粘土が!
母者「まさか粘土を食べた!?」

そう、弟者は粘土を食べた。そしてそのあまりの不味さに泣き出したのだった。凄いのは粘土を食べた理由だ。

  1. 夕食前なのでとってもお腹がすいていた。
  2. 粘土で遊んでいたら、いつの間にか「団子」を作っていた。丸々とした美味しそうな団子ができた。
  3. 粘土なのは知っているが、団子の形なので食べられる気がしてきた。
  4. 食べてみた。不味かった。泣いた。

粘土という現実の持つ意味が薄れ、団子という自分に都合の良い虚構との区別がつかなくなる。まるで連続殺人犯のような思考回路。哲学的ですらある。

この日から弟者(大)は粘土にチャレンジした食の革命家としてなを馳せる。しかし、弟者(大)の栄光は長くは続かなかった。しばらくして今度は弟者(小)が「セミの死骸」を食べたからである。

 

華麗な食卓 弟者(小)の場合:

三兄弟は色々な虫を飼っていて、セミはその中の一つだった。適当に世話をしていたからなのか飼育ケースの中で死んでしまった。そしてある日の夕食前、お腹を極限まで空かせた弟者の目にとまったわけである。

ちなみにこのとき弟者はセミの死骸を食し、その後しばらくの間、平気な顔で過ごしていた。「アレ?セミの死骸が無くなってる」という兄者の指摘で犯行が発覚したというわけである。セミの死骸を食べて、文字通り「何食わぬ顔」をしているところに大物感漂う弟者(小)であった。

 

華麗な食卓 兄者の場合:

兄者は優等生だったのでセミや粘土を食べたりはしなかった。さすがである。
しかし、そんなある日、兄者はスイミングスクールでいつも優しいコーチにこう言われたという。
「はーい、兄者君。鼻くそは食べちゃだめだからね~。」
団子ほどの独創性も無く、セミほどの勇気も無い。派手さは無いが、人としてとびっきり恥ずかしい。兄者はそういう星の下に生まれてきたようである。

 

わき上がる疑問:

果たして我々三兄弟はきちんとご飯を食べさせてもらっていたのだろうか?

Aug 20, 2008

ラスベガス

先週の話。砂漠地帯の乾いた空気、空の青と 黄色い地面の2色で構成される景色。
野暮ったいネオン。ポーカーテーブルの喧噪とスロットの電子音。はしゃいで走り回る子供。

「この街には住めない」、と思った。そんなことを思った都市は初めてだ。よっぽど相性が悪かったんだろうな。

Aug 17, 2008

【奇跡の弟者】 弟者のイナゴ採り

お食事前の方、バッタが嫌いな方、バッタが大好きな方は読まないでください。
kage.jpg
皆さんイナゴをご存じだろうか?稲刈りが終わった後の田んぼにはピョコピョコ跳ねている、ちょっと小ぶりなボディとつぶらな瞳がキュートなバッタである。有名な話ではあるが長野県などの日本の山間部の一部ではこのイナゴを「食べる」。人がバッタを食すのである。今日はその話をしたい。というかイナゴを食べていたという話を都会の人に話すと聞かれるポイントをFAQ形式にまとめてみた。

イナゴ採りFAQ v1.0 by Sparky
イナゴはいつ採れますか?
3兄弟のイナゴ採りは「明日はイナゴ採りにいくからな。」という父者の一言ではじまります。時期は9月終わりから10月、稲刈りが終わった後でした。夏の田んぼにもイナゴはいますが、青々してて不味そうです。
イナゴはどこで採れますか?
イナゴはどこの田んぼにもいます。というわけでイナゴ採りの場所は近所の田んぼであったり、祖父母の家の田んぼであったり毎回ばらばらでした。他所の家の畑から農作物を獲るのは窃盗ですが、他所の家の田んぼでイナゴを採っても誘拐にはならないようです。
イナゴはどうやって採りますか?
特別な道具はいりません手でとります。弟者のイナゴ採りにおいては、作戦開始前にたいてい母者から小さい茶色い紙袋(最近見ないですね)を渡されます。この袋にイナゴを生け捕ってこいということです。兄者、弟者(大)、弟者(小)はあまり頭がよくないので田んぼを走り回って3人一緒にイナゴを採ります。イナゴは稲刈り後の田んぼの稲の刈り残しの中に隠れていたり、土の割れ目にいることもありますが、たいていの場合無防備にぴょんぴょん跳ね回っています。
イナゴ採りのコツはなんですか?
強いて挙げるなら 1)後ろから近づくこと、2)ジャンプして着地した直後を狙うことの2点でしょうか。自転車に乗れない弟者(小)にも採れるので、コツがいるような難易度の高い作業ではありません。後ろから指2本でイナゴの胴体の部分をつかんだら、素早く紙袋の口をあけてイナゴをつっこみましょう。ここでモタモタしていると、採ったイナゴに逃げられます。30分もすれば紙袋の中でイナゴが威勢よく飛び跳ねていることでしょう。
イナゴ採りにおける注意点を教えてください?

  1. 素早く捕まえることは重要ですが、その際あまり力を入れないでください。破裂します。

  2. イナゴの上にイナゴ(Inago on Inago)は格別仲が良いわけではなく、交尾中です。躊躇せず採ってしまいましょう。

  3. この時期のイナゴは茶灰色です。緑色のはイナゴではなく別のバッタなので採らないようにしましょう。

  4. イナゴ採り初心者の方は忘れがちですが、イナゴは飛びます。それも、意外と力強く飛びます。2次元の動きしかできない、と侮らないでください。


捕まえたイナゴをどう調理するのですか?
調理は母者の担当だったので、詳しくはしりませんが、紙袋の中のイナゴを熱湯に直接落としていました。即死です。弟者が間違えてイナゴでないバッタ(ショウリョウバッタなど)を採っていた場合、発覚するのはこの段階です。その後、甘辛く煮てカリカリな状態になったものが食卓にのります。

肝心のお味は?

エビや小魚の佃煮と味は似ています。ですから不味いワケではありません。ただし、イナゴの後ろ足部分はギザギザなトゲが一方向に出ているので、後ろ足はきちんと噛んで食べないと喉に引っかかることがあります。
イナゴ以外のバッタ、カブトムシ、クワガタやタガメは食べないのですか?
食べません!蜂の子は食べるけど・・・
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我が家の食卓においてはイナゴは当たり前な存在であった。しかし兄者が小学校の時分、クラスでイナゴを食べている家は小数だったので、長野県においてもそれほど一般的ではないのかもしれない。
母者は一度だけ、このイナゴを弁当にいれて兄者に持たせたことがある。中学の昼休み、心を躍らせながら兄者が弁当箱を開くと「弁当の真ん中にイナゴ。そして弁当箱のフタにイナゴのもげた足こびりついてる。おかずエリアにもイナゴのもげた足。」という日頃イナゴを食べている兄者をして食欲の失せる惨状であった。兄者の抗議により、弟者がイナゴ弁当を持たされることは無かったはずである。
少しだけまじめな話をすれば、兄者と弟者はこのような経験から自分たちが口にするものが野山を駆けめぐっていた命であったことを学んだ。自分が田んぼで捕まえたイナゴ、紙袋の中で威勢良く跳ねていたイナゴがおかずになっているという光景から。
そして今の子供達にも、その事実を知っておいて欲しいと思う。

Aug 9, 2008

【奇跡の弟者】 弟者とほうれん草

極めて少数の読者にだけ好評な弟者シリーズ第3弾である。"弟者とほうれん草"と聞いて「弟者がほうれん草食べられなくてね~」といったほのぼのストーリーを予想された方はこのシリーズについて理解が不足しているので、復習してから読んでほしい。
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繰り返すが我が家は3人兄弟。それぞれの間が2歳、3歳違いで年も近い。兄弟ゲンカは日常茶飯事。特に夕食前がひどかった。成人でも空腹だと正常な判断力や他人を思いやる気持ちが半減するものである。いわんや人というよりはサルに近い兄者、弟者×2をやである。今振り返って、夕食前は"奇跡の弟者"のエピソードが生まれる、まさにゴールデンタイムであった。
これは兄者が小学校4年くらいのときのある冬の日のお話である。その日、兄者と弟者(大)と弟者(小)の3人は居間で仲良く夕方のテレビアニメをみていた。母者は台所で家族6人分の夕食作りでてんてこ舞いである。ひょんな事から兄弟ケンカになった。理由は覚えていないがこの日のケンカは長引いた。兄弟ケンカには明らかに潮時というものがあり、たいていの場合、お互いに空気を読んでゲームセットとなるわけであるが、この日はそうはならなかった。空腹のせいもあったと思う。空腹はあらゆる災いの元である。
ご近所まで響きわたる兄者と弟者(大)の奇声、もれ聞こえる弟者(小)の泣き声。長引くケンカに痺れを切らして、母者が居間に仲裁にやってきた。ケンカにも様々なプロトコルがあるがそのなかで最も強制力が強いのが「母者が出てきたら即解散、強制終了、Ctrl+Alt+Dlt」である。なにせ相手は世界の警察アメリカよりも敵に回すと怖くて、おせっかいな母者である。
が、この日のケンカは終わらなかった。母者が仲裁に入ってもなお、弟者(大)は強気にでた。「仲裁など必要ない、エルサレムは我々ユダヤ人に約束された地なのだ!パレスチナ人(兄者)は出て行け、アメリカ(母者)は引っ込んでろ」と。空腹のせいもあったと思う。繰り返すが空腹はあらゆる災いの元である。
頭に血が上った母者は咄嗟に手にしていたほうれん草で弟者をたたいた。その場にいた誰もが予想していなかったことに、ゴスッという鈍い音が部屋に響き渡った。弟者は静かにその場に崩れ落ち、一瞬の沈黙の後、大声で泣きながら悶絶していた。
「(ゴスッ?ほうれん草ならバサっとかパシって音がするんじゃないのか??)」
母者が手にしていたのは今夜の食卓に乗る予定のほうれん草だった。だいぶ前に下茹でされて冷凍庫でカチカチになったものだった。本来であればハリセン程度の攻撃力しかないはずのほうれん草が、凍ってこん棒と同じくらいの攻撃力になっていた。そしてそれがいたいけな弟者の頭部めがけて手加減なしで振り下ろされである。アーメン。
号泣する弟者(大)と「ただの葉っぱのつもりだった」と必死で弟者に謝っている母者の光景が目に焼きついている。そして今でも出来の悪い推理小説を読んでいて、「凶器は氷」だの「凶器は凍らせた七面鳥」だのと見るたびにあのときのゴスッという音が蘇ってくるのである。
しかしこの年になって振り返ると、茹でたほうれん草をそのまま冷凍しておくという行為に不自然さを感じる。そのまま食べるつもりなら都度茹でればいいわけだし。ひょっとすると母者は本気だったのではないか?ほうれん草ならあるいは過失致死くらいで済むと考えたのではないか?とも思える。
ともあれ、「ほうれん草で死にかける」などこれはもう奇跡。さすがは弟者というより他ない。

Aug 3, 2008

水上でキャニオニング

一言で言えば「爽快」だった昨日の思い出。
うだるような暑さを吹き飛ばすため、群馬県の水上までキャニオニングにいってきた。
自由が丘に朝八時半に集合。集合早すぎるだろうと思っていたが関越が前橋~渋川あたりで事故渋滞10km110分というエマージェンシーで、結局30分以上遅刻。やっぱり車はつらい。
そして、水上にあるガイド会社のベースからマイクロバスに乗って40分ほど山をのぼるとそこにはキンキンに冷えた渓流が流れていた。いざキャニオニングスタートです。
キャニオニングが何か分からない人も下の写真をみればなんとなく雰囲気はつかめると思う。
watershower.gif
基本的にガイドさんが全部遊び方を教えてくれるので、真似していればOK。滝壺にのまれてみたり、川を流れてみたり、後ろから流されてみたり。これは相当楽しいね。個人的には滝をすべるより高いところから川面に飛び込むのが楽しかった。でもコンタクトを流されるのが怖いので基本目はつぶらなくてはいけないのが残念!
川に入っているのはだいたい1時間半くらい。外はうだるように暑いのに、川の水は冷たくて終わりの方は寒さの余りガクガクブルブルに。
帰り道のマイクロバス、冷えた体が外の日差しと夏の風で徐々に溶かされている感覚の気持ちよさはちょっと言葉では表現できそうにない。今年の夏のいい思い出になりそうだ。
自由が丘にもどってから、4人でイタリア料理に。コースを空腹の余り、1時間ちょっとで完食。解散。まさるさん、須原、久我お疲れ様でした。
バッポ アンジェロ(BABBO ANGELO)/自由が丘/ピザ、イタリアン
そして、今回お世話になったForest & Water のブログにトラックバックしてみるテスト。

【奇跡の弟者】 弟者(小)も交通事故にあう

数日前に書いた【奇跡の弟者】 弟者、交通事故にあう と対をなすエピソード。前の記事を読んでない方はまずそちらを一読されることをおすすめする。
我が家には弟者(おとじゃ)が2人いて、弟者(大)がバイクと正面衝突をするという事件があった。この話はその数年後。こんどの主役は弟者(小)、当時確か高校生である。
ある日、弟者(小)から「デパートの駐車場を自転車で走っていたら車にはねられた」という衝撃的な電話があった。電話をかけられるくらいなので弟者(小)の命に別状はないとはいえ、母者は現場のデパートの駐車場へと急いだ。
既に弟者(小)と「弟者(小)をはねたボケナス」と警察による現場の確認が行われていた。母者はまず弟者(小)に事情をたずねた。
弟者(小)が答える。
1. デパートの駐車場をそれほどスピード出さずに直進していた
2. と、突然弟者(小)の左側から車が現れ、避けるまもなくはねられた
3.命に別状はないが、自転車のフレームが曲がるくらい激しい衝突だった
傍らには、乗れないくらいに変形してしまった自転車がうち捨てられている。
この状況を見た母者の心境はご想像いただけると思う。
普段は心優しい母者が怒った。そしてボケナスと警察に詰め寄った。駐車場のような場所でスピードを出すのは言語同断であると。自転車に気づかないとは何事だ?ちゃんと前みていたのですか?と。
もっともな言い分である。ボケナスはぐうの音もでないようだった。みかねた警察官が間に入る。「・・・う~ん、お母さんちょっと(弟者をはねた)車もみてください。」
言われてボケナスの車を確認する。あれほど強く弟者(小)をはねとばしたにもかかわらずフロントのバンパー、ボンネットにはかすり傷一つない。横にまわってみる。運転席の扉は何らかの外からの強い衝撃によってベッコリへこんでいた。
どう見ても、車に対して弟者(小)が横から猛スピードで突入した形跡です。本当にありがとうございました。
母者は振り上げたこぶしを下ろす場所がなくてつらかったらしいが、弟者(小)を何度問い糾しても記憶が曖昧で埒があかないので仕方ない。ボケナスと警察に謝って帰宅したという。
ちなみにこの件、数年経った今も、弟者(小)は自ら車に自転車で特攻をしかけたと認めていない。真相は藪の中なのである。
一つだけ確かなのは、兄者が今後、交通事故にあうときに弟者2人を超えるおもしろエピソードに巡り会うことはないということだ。当時の母者の対応も含めて【奇跡の弟者】に相応しいエピソードのように思える。

Aug 1, 2008

【奇跡の弟者】 弟者、交通事故にあう

いまから数年前に起きた本当の話。我が家には弟者(おとじゃ)が2人いるんだが、これは弟者(大)の話。
ある日「弟者(大)がバイクにはねられた」という衝撃的なニュースが我が家に飛び込んできた。自転車に乗っていてバイクと正面衝突したらしい。家族の誰もが「弟者は大丈夫か?」ではなく「なぜ自転車がバイクと正面衝突?」と思った。
以下は弟者(大)自身の回想による。

  1. ある晴れた昼下がり、弟者はママチャリにのって見晴らしの良い、広い道路を走っていた。田舎の道路なので当然走ってるのは弟者のみである

  2. そこに正面からバイクがやってくるのが見えた。バイクも弟者の自転車に気づいたようだった

  3. 道の真ん中を堂々と走っていた弟者は、ゆっくりと左側に避けた

  4. バイクも右側(つまり弟者がよけた方)に避けた

  5. 「いかん」と思った弟者は右側に避けた

  6. バイクも左側(つまり弟者がよけた方)に避けた

  7. 「いかんいかん」と思った弟者はあせって左側に避けた

  8. バイクも、、、(以下略)


かくして何の障害物もない、見晴らしの良い道での、自転車とバイクの正面衝突という起こるはずのない事故は起きた。
弟者にとって厳しかったのは、最終的にぶつかった際に弟者が右側(つまりバイク左側)に避けた状態であったことである。言うまでもなくこの社会で車両は左側走行が原則であり、何かあればお互いが左側に避けるべきなのである。従って、この正面衝突は基本的な原則に逆らったアウトローな弟者に大いに責任があり、というわけで弟者に金銭的な補償は一切なかったという。
幸いなことに、互いにスピードはそれほど出ていなく、弟者の怪我はかすり傷程度であった。以後周囲からは「自転車でバイクに正面衝突する勇敢な男」として哀れみを買った弟者である。
そんな弟者が先月、海外へ旅立った。かの国では車は右ハンドル、車両は右側走行と聞く。兄者として、今、弟者に伝えたいのは「今度は右に避けろ」ということ。そして「体に気をつけて夢をかなえてこいよ」ということである。