そんな僕を見かねて先輩が助言をくれた。「こみやまさん、竿や手元や近くの海を見てはだめです。遠くをみて、そしてただ見るだけじゃなく遠くの一点を集中して見てください。たとえば遠くに見える、あの岸にある3角形の岩。あれだけをじっと見るんです。」 藁にもすがる気持ちで、僕は遠くの岩をひたすらに見続けた。船は揺れる、床は斜めになる、バケツは転がる。そんななか遠くの岸の1つの岩だけを見続けた。しばらくすると、自分でも驚くほどに、酔いがおさまった。遠くの動かない一点をみることによって、相対的に自分の姿勢がわかりやすくなり、三半規管が調整を行えるようになったというのがからくりだと思う。先人の知恵というのはすばらしいものである。見事船酔いから復活した僕はヒラメと鯖とおおきなアイナメを釣って、人生初の海釣りを首尾よく終えることができた。
さて、ここで書きたいのは釣りたてのヒラメの刺身がいかに旨いかについてではない。今の自分の状況とそれを生き抜くヒントを図らずもこの海釣りで得ていたということである。
エンジニアとして始まった僕の社会人経験はおよそ10年の旅をへて、岸をずいぶん離れた、潮のうねりが激しいところにさしかかっている。うねりは大小様々である。国内での選挙や海外の政変の変化によって引き起こされるうねりに翻弄されかと思えば、ものすごーく小さな人間関係の亀裂にあたふたさせられる。そして波はどの角度からもやってくる。スポンサーからも上司からも、上司の上司からも、同僚からも、海外の取引先からも。波はどれもユニークで、不規則で、制御不能だ。さらに数が半端じゃないときている。
こんなに波が激しいと、どうしても足下をみて、小さな波をみて、その一つ一つにそなえるようになってしまう。波に翻弄されているのである。このままでは激しく船酔いしてしまうこと確実である。
ではどうするか? 船酔いと一緒だ、遠くにある動かない一点を集中して見るのだ。たぶん僕の場合、遠くの一点というのは「誰もが安心してネットを使える社会」である。それがかなり遠いところにあることは知っているが、この際その距離はどうでもいい。そうやって遠くの一点を集中して見ていれば、手元や近くの変化に一喜一憂することなく、絶望することなく、驕ることなく、流されることなく、ぶれることなく仕事をしていける。 、、、いけるんじゃないかな?いけるといいな。
なお、ヒラメや各種岩手の海産物のうまさについては以前書いたブログを参照されたい。