おぉすげー。久しぶりに心の底からびっくりした。
前日の日記を書いている際にATOKが白痴を変換しないことに驚いていたところ、kyouhei氏から「毛唐も変換できない*1」というコメントをもらった。まさかと思って調べてみたらATOKが配慮して変換できないようにしている言葉は他にもザクザクある。たとえば「屠殺」「小人」。他にもたくさんあるのだが、全てを引用するとこの日記の見た目が刺激的になるのみならず、キーワード検索で難しい人たちがやってきそうなのでやめておく。
Google八分と似てるよね
Google八分という言葉がある。様々な理由によりGoogle様が特定サイトを検索結果に表示させないことだ。たとえば中国のGoogleでは天安門事件や、チベット関連の共産党に不都合なサイトがGoogle八分になっていると報道されている。ほとんどの人がGoogleを頼りに無限ともいえるWebの中から情報を探している状況下でGoogleの検索結果に表示されないサイトというのは、存在しないに等しいそうだ。
同様にATOKの変換候補から外れてしまった言葉はIME八分と言えないだろうか?『とさつ』とタイプして『屠殺』が出なかったら、たいていの人はあきらめて別の言葉使うはず。現代人の漢字運用能力を考えると変換候補に表示されない言葉は「存在しないに等しい」はずだ。
今までは「正しい日本語」というのはNHKの優秀な日本語オタクの皆さんが巷の空気を読みながらガイドラインを作って、それが浸透しているものと思っていた。つまりNHKが「正しい日本語」を決めていると。でもATOK(開発はジャストシステム)がこんな過剰な配慮をしているのであれば、日本語変換ソフトも正しい日本語を形成する、一つの、しかも結構強力な要素に成り得る。
変換ソフトは変換だけして欲しい
勘違いする人がいそうなので先に書くと、いまここで書きたいのは「日記に『小人』って書かせろ!」とか「言葉狩りがどうこう」とかそんな大それた話じゃない。日本語変換ソフトがそれらを変換候補として表示しないのはなぜ?という話。
日本語変換ソフトの仕事は特定の日本語に対して変換候補の漢字を提示すること、場にあった適切な言葉を選ぶのは使いこなす人間の仕事だ。少なくとも僕はそういう分業をしているのだと思っていた。にも関わらずATOKが余計なことをしてくれるのが腹立たしい。
この辺、似たことをもっときちんと考えている人のブログを見つけたので引用しておく。
法文や新聞がレギュレーションをかけるのは分かる。だがソフト屋は関係ないだろう、と言いたい。ワープロ(ソフト)は単なる道具だ。それ以上でも以下でもない。もっともJS*2は道具以上のものを目指してはいる。とびきりの優れ物であることは認める。しかし、それとてユーザーの能力を超えることはできない。なににせよ、ワープロが『第三のペン』となったことに浮かれて、考え違いをしてないか。
繰り返そう。ワープロは単なる道具だ。彫刻刀の平刃は危ないからとなくしてしまうのか。平も丸も角もなければ彫れるものも彫れぬ。言葉の淘汰は人の世の移ろいにまかせればいい。道具屋が介入すべき事柄ではない。
伽草子 2006年12月 http://blog.goo.ne.jp/yaraonn/d/20061211
同感です。
オプションならOK
ただしオプション機能として備わっていていると便利な機能だとは思う。オフィスで仕事のメール書くときはきわどい表現は使いたくない。そういうときはATOKを「政治的に正しいモード」に設定すると、「スチュワーデス」と打つと「客室乗務員」と変換してくれるとか。便利そうだ。そんな機能があったら絶対使う。ジャストシステムさんには是非そういうバージョンをリリースして欲しい。