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Jan 28, 2011

はてなは本当によくできていると思う

唐突だけれど最近ブログを書く機会が減っている。仕事がいそがしいとかいろいろ言い訳はあるのだけれども、大きな理由の一つははてな日記をやめて自前のサーバにWordPressを移してから「書くという行為」が億劫になったことである。

もちろんWordpressは本当に高機能で見た目もかっこ良くて、プラグインも豊富で言うこと無い。現在手に入るCMS(ブログアプリって感じ?)としては最高のものだと思う。だけどやっぱり「日々を日本語で記録するしかけ」としてははてな日記には遠く及ばない。それを実感した。

はてなが優れてるのは日本語の書きやすさと読みやすさだけが追求されているという点だ。スタイルで設定された行間のピッチやページの両脇のマージンなどが絶妙で読みやすい。そして自分の日記を見返しているときにワンクリックで加筆修正できるなどかゆいところに手が届く機能が標準で備わっている。はてな日記を使っている時には意識もしていなかったが、離れてみて初めて分かったはてなの地味なすごさである。

もう一つ今のブログに不満をもっているのはいかんともしがたいもっさり感である。理由ははっきりしている。僕のサーバがAmazonのEC2というクラウドサービスを使っていて、何をするにしても太平洋を越えて通信しているからだ。Amazonのクラウド技術の進歩の速さやそのソフトウェアの素晴らしさは認めつつも、Amazonはもうちょっとサクサク感を演出する対策をした方がいいのではとも思う。プログラミング言語のJavaは「なんかのろい」という最初のイメージを払拭するのに大分苦労してましたぜ?

そんなわけではてな日記に出戻ることを考えている今日この頃です。そして時間があったら最近読んだおすすめの本や美味しかったレストランなどを紹介したいと思う。

風邪をひいた


この2週間風邪をこじらせていて倦怠感というもののつらさをほぼ産まれて初めて味わっているところである。倦怠感はつらい。食欲があるのに食べれない。やる気はあるのに体が動かないというのがこんなにつらいとは思ってもみなかった。

会社の人や各方面に散々迷惑をかけつつも今は大分回復してきた。去年のラーメンのトッピングのほうれん草で食あたりして2日休んだ件といい、段々体は弱くなってる。意識して鍛えないと行けない年頃であることを実感した。

Jan 4, 2011

あけましておめでとうございます。2011年1月の風景

笑ってはいけないスパイをみていたら気づいたら日付が変わっていました。最悪です。
年々新年を迎えた時のワクワク感が減っているきがします。お年寄りが節目節目の行事を大切にするのは、目減りしたワクワク感を埋めるという目的もあるのかもしれません。とにかくつれづれに書いてみます。


[caption id="attachment_2316" align="alignnone" width="450" caption="今年もいった露天風呂"][/caption]



親戚で集って新年会をしたときに祖母が近所の人にもらったというイノシシ肉をもってきてくれました。祖母もイノシシ肉は初めてらしい。当然ぼくも初めて。豚汁の要領でイノシシ汁にしてみました。




[caption id="attachment_2317" align="alignnone" width="600" caption="祖母がくれたイノシシ肉"][/caption]


脂が厚くて肉は実質200gくらいでしょうか。

オリジナルイノシシ汁レシピ(6人分)

材料: イノシシ肉200g、ゴボウ1.5本、大根0.5本、にんじん0.5本、エノキ1束、長ネギ1本、しょうが1かけ味噌大さじ5、みりん、塩少々



  1. イノシシ肉は脂身を集めに残しつつ分解。薄くそぎ切りにして日本酒につける

  2. ゴボウは細かくささがき、にんじんは薄く切る。大根は5mm程度の厚さの銀杏切り

  3. 鍋にサラダ油少々とイノシシの脂身を50gほどいれて弱火で熱をいれ、イノシシ油を出す。

  4. イノシシ肉、ネギの青い部分、みじん切りした生姜を加えて軽く炒める。

  5. 肉が白くなったら、ゴボウと大根とにんじんを加える。

  6. 鍋に水を加えて10分くらい。時々灰汁を取る。取りすぎない

  7. 味噌を半分程度とネギの白い部分を加えてさらに10分くらい弱火で煮る。




イノシシ汁できあがり

心なしか豚汁よりこくがあって、あったまりました。美味しかったです。生姜はすりおろしてもいいかもしれません。

環境破壊が進行したせいで、里山のイノシシが民家の周辺に現れることが激増しているというニュースをみました。特に異常気象のせいで今年は出没件数が増えているそうです。このイノシシがどういった経緯で仕留められたのか定かではないのですが、地球のきしみによるものでないことを祈ります。

[caption id="attachment_2319" align="alignnone" width="600" caption="12/30の田舎町の駅前は賑わっていた"][/caption]


ぼくの生まれた町は景気の影響を受けて、全国でも有数の不景気な町だそうです。一緒に飲みにいった友達にも思うようにいかない話をききました。 イノシシ肉から環境の変化を感じるように、働けるのに仕事がない友人たちから不景気について考えさせられます。

さてさて今年1年の目標ですが、まずは仕事が増えて出張が激増する状況でも365日元気に暮らすことを1番の目標にしたいとおもいます。それから何度も目標に掲げながら挫折していますが、家計簿をつける習慣を今年こそ身につけたいと思います。


やるぞ2011!

Dec 10, 2010

11月の風景

写真で振り返る11月頃。

上野の国立博物館にいった。目当てははやぶさ関連の展示だったけど、宇宙凧イカロスの帆を見る事ができて嬉しかった。この帆はものスゴく薄い。打ち上げ時にはキレイに折り畳んで宇宙で展開するというのだから、高度な技術が必要だろう。体勢をかえるメカニズムも目から鱗でした。

[caption id="attachment_2304" align="alignnone" width="600" caption="宇宙凧イカロスの帆の1/4。想像してたよりでかい。"][/caption]

コンピューターセキュリティ関連のイベントに参加した。「若手が育ってない」とたびたび耳にするけど、ここに集まったの若手は 熱い。人は「育ってない」のではなく旧世代とは違うフィールドで勝負しているのだと思う。いろいろとお世話しつつも、自分自身がもっとがんばらんといかんと再認識した。

[caption id="attachment_2305" align="alignnone" width="600" caption="AVTokyoはもりあがっていた"][/caption]

Twitterには何度か書いたけど南アフリカのヨハネスブルグに出張した。世界で一番危険な街と言われているだけのことはある。夜は出歩きたくないと思った。まぁでもサンパウロも結構酷かったからな。とにかく今年はサンパウロ、ヨハネスブルグという危険な都市トップ2を経験したので、今後大抵の事では動じないと思う。

[caption id="attachment_2307" align="alignnone" width="600" caption="絶対近づいてはいけないダウンタウン。普通の光景に見えて建物のガラスが割れている。"][/caption]

[caption id="attachment_2306" align="alignnone" width="450" caption="ヨハネスブルグの市街地"][/caption]

南アフリカではトレーニングの講師をした。準備の時間がとれなかったわりにはうまくいったと思う。受講者アンケートの指摘も上司のアドバイスも次に同じような機会があったら、きちんと改善してやろう。

[caption id="attachment_2308" align="alignnone" width="600" caption="お客様の声"][/caption]

なにはともあれ終わっただけでこんなに嬉しく思える仕事は久しぶりです。いやー、すっきりすっきり。

Nov 9, 2010

忙しかった10月と「ヤリガイ」について考える

今年で社会人10年目になる。毎日仕事をしてお金を得るという生活を10年近くもしていることになる。先月はその10年の中でもっとも神経を使う局面が続いた。目つきが悪くなるという外見の変化以外にも、歯医者をさぼりだす、図書館の本を滞納する、家が汚れる、運動しなくなる、肌が荒れる、独り言が増えるなどの忙しい時の悪い癖が全て吹き出した。

あらためて仕事をすることの難しさを感じるけれど、仕事にやりがいはあるし昔の自分よりは幅も奥行きも増しているはずである。

って所まで書いてふとおもったのだが、この「ヤリガイ」というのは河原に積み上げた石のごときぐらぐら揺れる言葉だと思った。理由はうまく説明できない。ただ僕は「ヤリガイがある仕事をしたい」という人よりは「楽しい仕事をしたい」と考える人と一緒に仕事をしたいと、そう思うのである。

この螺旋が途切れたらまた落ち着いて考えてみたいと思う。

[caption id="attachment_2295" align="alignnone" width="600" caption="空き缶達。バレル缶ってのがおもしろくて撮った1枚"][/caption]



[caption id="attachment_2293" align="alignnone" width="600" caption="べガス?ダラス?の青い空"][/caption]

同期の結婚式でまさかのナイアガラ 。ナカジおめでとう!!!


[caption id="attachment_2296" align="alignnone" width="600" caption="かつてはジャガイモだったなにか"][/caption]

Sep 28, 2010

結果報告: 走りました

約3ヶ月ほど前にエントリー「決意表明:走ります」に書いたとおり、第3回菅平スカイライントレイルランレースに参加しました。19kmを2時間43分で完走。何人中なのかはわかりませんが25位という満足できる結果でした。

コースは厳しい登りあり、平地あり、崖あり、登山道あり、牧場あり、笹藪あり、岩場ありと本当に自然の中を走った感じがしました。僕が長時間走ることが嫌いな理由の1つは退屈だからというものですが、今回は景色がめまぐるしく移ろって飽きませんでした。

直前のコース変更により15kmが19kmになるという初心者には悪夢のような出来事はあったものの、終わりよければそれでよしです。

[caption id="attachment_2285" align="aligncenter" width="448" caption="ゴール後の空はとくに青く綺麗だった"][/caption]


ずっと近くに住んでいて身近なはずの菅平の新たな魅力を発見出来たのがよかったです。
またこんな秋晴れの日に仲間を誘って、今度は同じコースをのんびりハイキングしたいと思いました。

Sep 25, 2010

カメラ狂いの曾祖父の戦争

祖父が学徒出陣した話は、1つ前のエントリー「祖父と戦争」に書いたとおりである。
このエントリーでは酒に女に骨董にカメラにと放蕩を繰り返した曾祖父が、実は戦争中にその趣味でずいぶんと村人に感謝されたという話をしたい。

[caption id="attachment_2255" align="alignnone" width="600" caption="出征前の記念写真(左から祖父の姉、祖父、曾祖母、曾祖父)"][/caption]

この出征前の家族写真を見たときに、跡継ぎ息子を戦争にとられようとしているのにリラックスした笑顔の曾祖父の表情がすこし気にならなかった。 もしかしてこれで心置きなく遊べると思っていたりして? 母親にたずねたところ、曾祖父には曾祖父の戦争のエピソードがあるということがわかった。

戦中に曾祖父は戦争に行った留守家族を訪ねて写真をとったのだという。もちろん戦地の兵隊さんに家族の写真を届けるためである。
祖父の残した大量の乾板の中にはそういった「戦地の家族への笑顔」がたくさんのこされている。

その一部を紹介したい

[caption id="attachment_2272" align="alignnone" width="600" caption="はぜかけの稲の前で"][/caption]

[caption id="attachment_2273" align="alignnone" width="600" caption="干し柿?"][/caption]

[caption id="attachment_2274" align="alignnone" width="600" caption="小さい子供を残して出征した家庭だろうか"][/caption]

[caption id="attachment_2275" align="alignnone" width="600" caption="立ち方も似てしまうよね。家族だから。"][/caption]

[caption id="attachment_2276" align="alignnone" width="600" caption="右端に照れくさそうな少女"][/caption]

[caption id="attachment_2279" align="alignnone" width="600" caption="他にも多数"][/caption]

どれも農村の人々のかざらない笑顔と生活をそのまま伝える写真である。当時の写真は、人生の節目に一張羅をきて街中の写真館にいって写真をとってもらうというようなビッグイベントであるがゆえ、曾祖父が撮った写真は資料価値があるということで地元の市立博物館で特別展が開かれ、めぼしい作品は冊子にまとめられた。

その巻頭に祖父はこんな言葉を寄せている。
『太平洋戦争の末期に、父が村中の出征兵士の留守家庭を精力的に回り、戦地へ送る写真を提供していたことは、私は留守で知りませんでした。然し戦後の村人の間では、戦時中の好ましい話題として語られ、私にまでお礼をいわれました。(中略) こんなに村内を隈なく回ったのは、妻は「一人息子を戦場に送っている父の気持ちがそうさせたのでは」と言います。思っても居なかった妻の説も、頷けるところがあるような気が致します。』

どうしようもない遊び人の曾祖父も一人息子を思い、他の出征兵士を思い、村を駆け回っていたのである。

Sep 24, 2010

祖父と戦争

ここに一枚の写真がある。

歴史の教科書などにありがちな、変哲もない出征兵士を見送る写真だ。ただし見送られているのは僕の母方の祖父である。

[caption id="" align="alignnone" width="600" caption="右に立つのは両親である曾祖父と曾祖母"][/caption]

祖父が招集されたのは昭和18年、いわゆるひとつの学徒出陣というやつである。相模原の陸軍通信学校の兵科に入学し通信兵としての教育を受けた。その後満州に渡り、電信8連隊に所属した後、希望が通って北海道の室蘭通信所に赴任した。終戦時は室蘭通信所長を務めていたという。 曾祖父のアルバムには、祖父の運命を変えた一枚の紙切れも乾板写真として保存されている。一部モザイク。



[caption id="attachment_2266" align="alignnone" width="395" caption="入営を命ず"][/caption]


祖父は今も存命で、しかも元気である。ただし戦争の話をしたがらない。孫はもちろん、娘にもめったに戦争の話をしないという。

そんな祖父が珍しく思い出を語ってくれたことがある。正月にお屠蘇を飲みながら、太平洋戦争の時に日本軍の暗号が米軍に解読されていたってのは本当なのかを質問してみた時の事だ。

『大分前から、海軍の暗号書がとられたという噂は中でもあったな。。。』
『終戦の1年前くらいから、今度は陸軍の暗号書も漏れたんじゃないか?どうもおかしいぞ。って話があったよ』

祖父の記憶は鮮明で、僕は慌ててメモを用意した。
『通信兵は「暗号書」と「鍵」ってのを持たされていてだな、でも終戦で引き揚げてくるときにはそれを燃やせという指示が出た。』
『燃やせる場所が無くてだな、引き揚げるときの室蘭駅の駅長室のストーブを借りて焼いただ。』
『とっておいたらよかったかなぁ。』
元通信兵ならではの戦争の話、娘である僕の母親も初めて聞く話であったらしい。

祖父は終戦後、故郷に戻り、同じ村の女性を嫁にもらい、そこに母や叔父、伯母が生まれた。 祖父が満州で死んでいたら、シベリアに抑留されていたら、室蘭で死んでいたら、僕はこの世に生まれなかったことになる。

戦争がどうこうは置いておいて、祖父には生き抜いてくれてありがとうとしか言えない気がする。

[caption id="attachment_2258" align="alignnone" width="600" caption="子供の頃の祖父と当時としては珍しい自転車"][/caption]

そして改めて写真の説得力の強さに驚かされてます。

カメラ狂いの曾祖父が残した写真を貼ってみる

僕の曾祖父というのは家が傾くほどに遊び倒した、度を超えた趣味人であったそうだ。曾祖父の趣味の1つはカメラであった。ここでは曾祖父が残した写真の中からいくつかを淡々と紹介したい。

[caption id="" align="alignnone" width="454" caption="曾祖父(中央)と祖父(右)"][/caption]

[caption id="attachment_2239" align="alignnone" width="600" caption="明るい農村"][/caption]

[caption id="attachment_2243" align="alignnone" width="600" caption="鎌倉の大仏、今より周りがすっきりしている。"][/caption]



[caption id="attachment_2241" align="alignnone" width="454" caption="木村カエラを彷彿とさせる少女"][/caption]

[caption id="attachment_2242" align="alignnone" width="600" caption="座り姿にも風情がある旦那衆"][/caption]



[caption id="attachment_2244" align="alignnone" width="600" caption="これはどこだろう。東京のどこかかかな?"][/caption]



[caption id="attachment_2245" align="alignnone" width="458" caption="外国っぽいけどこれも多分東京。"][/caption]



[caption id="attachment_2246" align="alignnone" width="600" caption="約100年前のギャル"][/caption]

自分が撮った19世紀の乾板写真がデジタル化されインターネットで世に出るとは曾祖父もあっちの世界で驚いているに違いない。

破天荒な曾祖父とその息子である僕の祖父の話はいずれブログに書きたいと思う。

Sep 3, 2010

総合火力演習の思い出

晴れ渡る御殿場の空、僕は2人の同僚とショーの開始を待っていた。
目の前には白い雲をまとって悠然と富士山がそびえていた。
まだ10時だというのに情け容赦なく日差しが僕らに絡んでくる。
ポカリスエットで喉を潤しながら「富士山は近すぎると姿に風情がなくなってよろしくない」などと一人思っていた。

[caption id="attachment_2220" align="alignnone" width="600" caption="90式戦車"][/caption]

やがて50m先の広場に鷹揚な感じで90式戦車が走りこんできて、僕らに背を向け、2km先の目標に対戦車りゅう弾を放った。
腹に響くような「ドスーン」という音がし、一瞬の静寂の後に目標が黒煙に包まれる。
ものすごい殺傷力をひめた兵器なのだろうが爆発はあくまで爽やかで暴力性がない。一風変わった花火大会と理解して、その後のミサイルやら機銃やらヘリコプターやらを堪能することにした。

横では後輩が露店で買ってきたソーセージを食べていた。それを見てコンビニでかってきたキノコの山を思い出した。
開けてみると、そこには目を覆いたくなる光景がひろがっていた。イチゴは溶け乱れ、キノコはいりみだれる。あぁキノコの山。

今日虚空に向かって放たれた火力の、あの膨大なエネルギーは、時空の歪みをたどって、僕のキノコの山を殲滅した。
そう考えるとすべてがうまくつながる。キノコ無念。

[caption id="attachment_2227" align="alignnone" width="600" caption="スタッフがおいしくいただきました。"][/caption]

総合火力演習の写真


[caption id="attachment_2222" align="alignnone" width="300" caption="総攻撃。上空のヘリと、地上の戦車の数がすごい"][/caption]

[caption id="attachment_2223" align="alignnone" width="300" caption="ヘリコプターは車もはこべるんです。"][/caption]

[caption id="attachment_2235" align="alignnone" width="600" caption="人の多さをパノラマで"][/caption]

ちなみに


総合火力演習は陸上自衛隊が大量に実弾を豪快にぶっ放す様を一般に公開するイベントである。チケットは無料であるが非売品で、抽選で手に入るのだが倍率が高いという。いつかみてみたいとは思っていたのだが、今年はたまたま陸自の友達にチケットをもらえたのである。ありがとう、つねっち。

Jul 5, 2010

決意表明:走ります

9月の終わりに菅平高原で行われるトレイルラン15kmにエントリーしました。

そもそも「ジョギング」「ゴルフ」「ワインを飲んでうんちくを語る」の3つだけは絶対にするまいと固く心に誓って30年以上生きてきたわけですが、こうなってしまった以上はきちんとゴールしたいと思います。

9/25に山道を15km走るという目標を考えて逆算すると、、、
9月上旬 皇居3週(15km)を完走、林試の森公園(山道に近い)を一定ペースで1時間走る
8月上旬 皇居2週をそこそこ走れるレベルに。会社から家まで(11km)を完走
7月中旬 皇居1週(5km)を走り切る
という感じでハードルを越えて行けば、まぁ行けるのかなと。

今週末は道具を買ったり、ついでに水泳にいってみたりしました。
[caption id="attachment_2214" align="alignnone" width="300" caption="区民プール"][/caption]

さぁて頑張ります。林試の森公園を一緒に走る人も募集中。