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Sep 25, 2010

カメラ狂いの曾祖父の戦争

祖父が学徒出陣した話は、1つ前のエントリー「祖父と戦争」に書いたとおりである。
このエントリーでは酒に女に骨董にカメラにと放蕩を繰り返した曾祖父が、実は戦争中にその趣味でずいぶんと村人に感謝されたという話をしたい。

[caption id="attachment_2255" align="alignnone" width="600" caption="出征前の記念写真(左から祖父の姉、祖父、曾祖母、曾祖父)"][/caption]

この出征前の家族写真を見たときに、跡継ぎ息子を戦争にとられようとしているのにリラックスした笑顔の曾祖父の表情がすこし気にならなかった。 もしかしてこれで心置きなく遊べると思っていたりして? 母親にたずねたところ、曾祖父には曾祖父の戦争のエピソードがあるということがわかった。

戦中に曾祖父は戦争に行った留守家族を訪ねて写真をとったのだという。もちろん戦地の兵隊さんに家族の写真を届けるためである。
祖父の残した大量の乾板の中にはそういった「戦地の家族への笑顔」がたくさんのこされている。

その一部を紹介したい

[caption id="attachment_2272" align="alignnone" width="600" caption="はぜかけの稲の前で"][/caption]

[caption id="attachment_2273" align="alignnone" width="600" caption="干し柿?"][/caption]

[caption id="attachment_2274" align="alignnone" width="600" caption="小さい子供を残して出征した家庭だろうか"][/caption]

[caption id="attachment_2275" align="alignnone" width="600" caption="立ち方も似てしまうよね。家族だから。"][/caption]

[caption id="attachment_2276" align="alignnone" width="600" caption="右端に照れくさそうな少女"][/caption]

[caption id="attachment_2279" align="alignnone" width="600" caption="他にも多数"][/caption]

どれも農村の人々のかざらない笑顔と生活をそのまま伝える写真である。当時の写真は、人生の節目に一張羅をきて街中の写真館にいって写真をとってもらうというようなビッグイベントであるがゆえ、曾祖父が撮った写真は資料価値があるということで地元の市立博物館で特別展が開かれ、めぼしい作品は冊子にまとめられた。

その巻頭に祖父はこんな言葉を寄せている。
『太平洋戦争の末期に、父が村中の出征兵士の留守家庭を精力的に回り、戦地へ送る写真を提供していたことは、私は留守で知りませんでした。然し戦後の村人の間では、戦時中の好ましい話題として語られ、私にまでお礼をいわれました。(中略) こんなに村内を隈なく回ったのは、妻は「一人息子を戦場に送っている父の気持ちがそうさせたのでは」と言います。思っても居なかった妻の説も、頷けるところがあるような気が致します。』

どうしようもない遊び人の曾祖父も一人息子を思い、他の出征兵士を思い、村を駆け回っていたのである。

Sep 24, 2010

祖父と戦争

ここに一枚の写真がある。

歴史の教科書などにありがちな、変哲もない出征兵士を見送る写真だ。ただし見送られているのは僕の母方の祖父である。

[caption id="" align="alignnone" width="600" caption="右に立つのは両親である曾祖父と曾祖母"][/caption]

祖父が招集されたのは昭和18年、いわゆるひとつの学徒出陣というやつである。相模原の陸軍通信学校の兵科に入学し通信兵としての教育を受けた。その後満州に渡り、電信8連隊に所属した後、希望が通って北海道の室蘭通信所に赴任した。終戦時は室蘭通信所長を務めていたという。 曾祖父のアルバムには、祖父の運命を変えた一枚の紙切れも乾板写真として保存されている。一部モザイク。



[caption id="attachment_2266" align="alignnone" width="395" caption="入営を命ず"][/caption]


祖父は今も存命で、しかも元気である。ただし戦争の話をしたがらない。孫はもちろん、娘にもめったに戦争の話をしないという。

そんな祖父が珍しく思い出を語ってくれたことがある。正月にお屠蘇を飲みながら、太平洋戦争の時に日本軍の暗号が米軍に解読されていたってのは本当なのかを質問してみた時の事だ。

『大分前から、海軍の暗号書がとられたという噂は中でもあったな。。。』
『終戦の1年前くらいから、今度は陸軍の暗号書も漏れたんじゃないか?どうもおかしいぞ。って話があったよ』

祖父の記憶は鮮明で、僕は慌ててメモを用意した。
『通信兵は「暗号書」と「鍵」ってのを持たされていてだな、でも終戦で引き揚げてくるときにはそれを燃やせという指示が出た。』
『燃やせる場所が無くてだな、引き揚げるときの室蘭駅の駅長室のストーブを借りて焼いただ。』
『とっておいたらよかったかなぁ。』
元通信兵ならではの戦争の話、娘である僕の母親も初めて聞く話であったらしい。

祖父は終戦後、故郷に戻り、同じ村の女性を嫁にもらい、そこに母や叔父、伯母が生まれた。 祖父が満州で死んでいたら、シベリアに抑留されていたら、室蘭で死んでいたら、僕はこの世に生まれなかったことになる。

戦争がどうこうは置いておいて、祖父には生き抜いてくれてありがとうとしか言えない気がする。

[caption id="attachment_2258" align="alignnone" width="600" caption="子供の頃の祖父と当時としては珍しい自転車"][/caption]

そして改めて写真の説得力の強さに驚かされてます。

カメラ狂いの曾祖父が残した写真を貼ってみる

僕の曾祖父というのは家が傾くほどに遊び倒した、度を超えた趣味人であったそうだ。曾祖父の趣味の1つはカメラであった。ここでは曾祖父が残した写真の中からいくつかを淡々と紹介したい。

[caption id="" align="alignnone" width="454" caption="曾祖父(中央)と祖父(右)"][/caption]

[caption id="attachment_2239" align="alignnone" width="600" caption="明るい農村"][/caption]

[caption id="attachment_2243" align="alignnone" width="600" caption="鎌倉の大仏、今より周りがすっきりしている。"][/caption]



[caption id="attachment_2241" align="alignnone" width="454" caption="木村カエラを彷彿とさせる少女"][/caption]

[caption id="attachment_2242" align="alignnone" width="600" caption="座り姿にも風情がある旦那衆"][/caption]



[caption id="attachment_2244" align="alignnone" width="600" caption="これはどこだろう。東京のどこかかかな?"][/caption]



[caption id="attachment_2245" align="alignnone" width="458" caption="外国っぽいけどこれも多分東京。"][/caption]



[caption id="attachment_2246" align="alignnone" width="600" caption="約100年前のギャル"][/caption]

自分が撮った19世紀の乾板写真がデジタル化されインターネットで世に出るとは曾祖父もあっちの世界で驚いているに違いない。

破天荒な曾祖父とその息子である僕の祖父の話はいずれブログに書きたいと思う。