祖父が学徒出陣した話は、1つ前のエントリー「祖父と戦争」に書いたとおりである。
このエントリーでは酒に女に骨董にカメラにと放蕩を繰り返した曾祖父が、実は戦争中にその趣味でずいぶんと村人に感謝されたという話をしたい。
[caption id="attachment_2255" align="alignnone" width="600" caption="出征前の記念写真(左から祖父の姉、祖父、曾祖母、曾祖父)"][/caption]
この出征前の家族写真を見たときに、跡継ぎ息子を戦争にとられようとしているのにリラックスした笑顔の曾祖父の表情がすこし気にならなかった。 もしかしてこれで心置きなく遊べると思っていたりして? 母親にたずねたところ、曾祖父には曾祖父の戦争のエピソードがあるということがわかった。
戦中に曾祖父は戦争に行った留守家族を訪ねて写真をとったのだという。もちろん戦地の兵隊さんに家族の写真を届けるためである。
祖父の残した大量の乾板の中にはそういった「戦地の家族への笑顔」がたくさんのこされている。
その一部を紹介したい
[caption id="attachment_2272" align="alignnone" width="600" caption="はぜかけの稲の前で"][/caption]
[caption id="attachment_2273" align="alignnone" width="600" caption="干し柿?"][/caption]
[caption id="attachment_2274" align="alignnone" width="600" caption="小さい子供を残して出征した家庭だろうか"][/caption]
[caption id="attachment_2275" align="alignnone" width="600" caption="立ち方も似てしまうよね。家族だから。"][/caption]
[caption id="attachment_2276" align="alignnone" width="600" caption="右端に照れくさそうな少女"][/caption]
[caption id="attachment_2279" align="alignnone" width="600" caption="他にも多数"][/caption]
どれも農村の人々のかざらない笑顔と生活をそのまま伝える写真である。当時の写真は、人生の節目に一張羅をきて街中の写真館にいって写真をとってもらうというようなビッグイベントであるがゆえ、曾祖父が撮った写真は資料価値があるということで地元の市立博物館で特別展が開かれ、めぼしい作品は冊子にまとめられた。
その巻頭に祖父はこんな言葉を寄せている。
『太平洋戦争の末期に、父が村中の出征兵士の留守家庭を精力的に回り、戦地へ送る写真を提供していたことは、私は留守で知りませんでした。然し戦後の村人の間では、戦時中の好ましい話題として語られ、私にまでお礼をいわれました。(中略) こんなに村内を隈なく回ったのは、妻は「一人息子を戦場に送っている父の気持ちがそうさせたのでは」と言います。思っても居なかった妻の説も、頷けるところがあるような気が致します。』
どうしようもない遊び人の曾祖父も一人息子を思い、他の出征兵士を思い、村を駆け回っていたのである。