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May 2, 2012

9年のブランクを経て堂々のカムバックを果たす

9年のブランクを経て、最近はじめたことがある。タバコだ。また手を出してしまったという言い方が正確だ。

タバコをやめたのは9年前、思い立って、禁煙本を読んで、すぐ禁煙した。僕の場合、ニコチン中毒という感じではなかったので止めるのはそれほど難しいことではなかった。ただ長らく吸っていたことを周囲は知っていたので、禁煙を成功させたことについて褒められたり、本当に辞めたのか疑われたりしたものだった。
それから9年、今更ながらに、タバコをまた吸いたいという気分になった。しばらく我慢していたのだが、思い立って誕生日に自分にご褒美などと苦しい言い訳し、タバコを買った。
出張先のベトナムのホテルで手にはいるのはマルボロライトだけだった。湿気たマッチでおそるおそる火をつけ、煙を吸い込み南シナ海めがけて勢いよくはき出す。久しぶりに吸うタバコは意外なほどにうまかった。吐き出す煙を見ていると、不思議と気分がおちつく。




さて、ここで書きたいのは再びはじめたタバコのうまさではなく、喫煙者をとりまく環境がこの9年の間に劣悪になっているということである。


・タバコが高い

吸い始めた頃1箱220円だったものが、410円に値上げされている。1日1箱吸う場合、1ヶ月で10000円軽く超える計算になる。ホワイト学割が490円のこのご時世に、たまったものではない。さらに、これでも欧米と比べるとまだ安く、財務省は増税の好機をうかがっているというのだから恐ろしい。


・自動販売機でタバコが買えない

タスポ導入のニュースをそういえば何年か前にテレビで見たような気がする。自分に関係のないニュースであったのですっかり忘れていた。小銭を握りしめて近所の自動販売機の前で呆然と立ちつくした。大人になり好きに使えるお金が増えると、何かを「買えない」という状況に遭遇することはほとんどない。あるとすればそれは「(買うだけのお金はあるが)買えない(ということにして見送るという判断をした)」という状況である。久しぶりの逆立ちしても買えないという状況は5歳と時にコンビニにお小遣いの10円玉を4枚もって買い物に行き、何も買えず半べそで帰ってきたあの日以来、二度目である。

・タバコを吸う場所がない

昔は灰皿がどこにでもあった。会社の自席にも、公園にも、駅のホームにも、病院の待合室にも、飛行機のシートにですらも灰皿があった。それらが知らぬ間に消えていた。とにかくパッと目につく場所の灰皿は撤去されていったのである。千代田区のオフィス街では本当にタバコを吸える場所が少ない。このままいくと「平成の廃皿毀釈」として山川出版あたりの日本史教科書に載りかねない。
非喫煙者の方に聞きたい。最近タバコを吸っている人を見ましたか?と。見ていないはずだ。僕だってつい先日までタバコを吸う人が激減しているのだ思っていた。違うのである。喫煙者はあなたの見えないビルの影、狭い路地、自販機の横の小さな灰皿に寄り添いタバコをすっているのだ。ゴキブリのように。
聞くところによれば近頃は完全禁煙の雀荘/パチンコ屋もあるらしい。タバコを吸いたくても吸えない、世知辛い世の中である。


・ライターが重い

非喫煙者にはなんのことか分からないと思う。近頃の100円ライターは子供がいたずらして火をつけられないようにボタンが重くなっているのである。私は最初ボタンの固さに「壊れているのか」と疑い、やがて真相にきづいた。道具というものは改良が重ねられて使いやすくなっていくものである。そしてこの重さは僕にとって改悪だ。

・マイルドセブン・FKが売っていない。

昔吸っていたブランドは2011年に販売終了の憂き目にあっていた。もともと日本で6人くらいしかすっていない銘柄だったので、仕方のないことであるが。




ここまでつらつらと喫煙者にとって悲しい変化をとりあげてきたが、9年間で良い変化ももちろんあった。


・喫煙マナー向上

町中に吸い殻がおちていない。先日プラハを歩いている時には街のいたるところに吸い殻がたまっている悲しい光景を見た。日本でも昔はそんなものであった。これは9年間で劇的に改善されている。
歩きながらタバコを吸う人も少ない。歩行喫煙にスポットをあて、これを減らそうとしたJTのマーケティングキャンペーンの賜物ではないだろうか。


・喫煙者同士の連帯感が増している

僕の喫煙場所ビルの谷間の駐車場に設けられた吹きさらし喫煙スペースは紳士/淑女の社交場のようである。灰皿を中心に半径3mに等間隔に人が並ぶ。入るときは「ちょっと失礼」、吸い終わって離れるときは「お先に」という人もいるし言わない人もいるし、会釈をだけする人もいるが、総じてお互いへの気遣いはかつて感じなかったものである。
社会から虐げられているどころか、家族からも「お父さん煙草臭い」と嫌われる者同士が、やけにならず、紳士として振る舞う世界。言葉も年齢も地位も名誉も関係ない奇妙な連帯がそこには確かにある。




あえて言いたい、喫煙者よ立ち上がれ!と。
我々は訴える。汗して得たお金でタバコを買い、それを吸うのはコソコソするようなことではないと。
なぜビルの軒先で雨にうたれながら、風に吹かれながらタバコをすわないといけないのか?
我々は訴える。脱税が横行する現代において喫煙者は模範的納税者であると。
我々は訴える。肺ガン、脳梗塞のリスクがあがるのは事実であるけれど、そのことを直下型の巨大地震が来ることが確実な土地に住み続けることを選ぶきみたちに指摘される筋合いはないと言うことを。

そして私は、現在のところ「喫煙の際はベランダ」を厳しく躾けられている身であるが、換気扇下での喫煙を超近隣住人に許可して頂けるよう懇切丁寧に説明を続けたい。
風吹きすさび雪降り積もる冬までには。