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Sep 10, 2004

Tyler Hamiltonの日記 『アテネ五輪を振り返って』

hamilton.jpg
相変わらず日記が長すぎるんだよ!Tyler Hamilton。
アテネ五輪の自転車タイムトライアルで金メダルをとって本当にうれしそうなタイラー。
ブェルタでもそこそこ良い位置につけているハミー。
タグボート(愛犬)は死んでしまったけど頑張れ、鎖骨!
というわけで公式サイトの日記を適当に翻訳しました。
原文はこちらhttp://www.tylerhamilton.com/home1.html
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昨日アテネのオリンピックスタジアムで、聖火が消されるのを見るのはちょっと寂しかった。
妻と僕はスペインにいて閉会式をテレビで見ていた。
アテネにいたのが何週間も前のことの様に感じられる。
子供の頃からオリンピックは大好きだった。夏にツールドフランスをみるのとちょっと似てるよね?
毎日毎日チェックして、そこで起こるドラマの中毒者になってしまう。
ダイビングやカヤック、長距離走はオリンピックのたびについ見てしまう。
多分他のあまりメジャーではないスポーツの選手に親近感を持っているからだと思う。
会ったことも、それどころか名前を聞いたことすらなかった人のファンになってしまう
のだからビックリするよね。でもまぁそれがオリンピックというものなんだろう。
スポーツマンシップと情熱はアスリートの成績を左右する大きな要素だ。
そしてトップの選手でも下位の選手でも応援することの楽しみは変わらない。
アトランタのオリンピックのとき僕はUSサイクリングチームの第一補欠だった、
そして結局出場できなかった。なんとかシドニーのオリンピックの出場権を手に入れたときは
本当に夢が現実になった気分だった。オーストラリアを移動していると、町は興奮状態、
(オーストラリアの)人々はフレンドリーで世界中の人を歓迎していた。選手村はロードレースのコースからかなり遠く、チームはホテルに泊まることを選んだ。こうすることで僕らは毎日実際のコースでトレーニングができた。
ただお陰で、オリンピックに来ているのに、全く別のレースに出ているかんじがしていた。開会式と閉会式にも出れなかった、つまり「オリンピックの思い出」がほとんど無いんだ。
でも今回は違った。僕らは早めにアテネに入り選手村にチェックインした(もうオリンピックは終わったので選手村は高級住宅街に様変わりしている最中だとおもうけど)
そこは形がそっくりで色がパステルカラーに塗り分けられたの建物が立ち並んでいた。
これからここに住む人は頑張って庭や玄関をいじって自分の家だと分かるようにしないとね!そうじゃないと夜一杯やってから帰ってきたときに自分の家に辿り着けなくなっちゃうよ!
USサイクリングチームは全員、選手村の中のひとつの建物に宿泊した。屋根や上の階に警備員がいる事を除けば、大学の寮そっくりだった。
アメリカ人は要警護対象で国旗やバナー等アメリカっぽいものをバルコニー・窓・ドアに吊るすことは控えるよう要請されていた。
結果アメリカ人選手は普段よりもっと国旗が目立つよう頑張り、最終的に至る所で星条旗が飾られているのを見ることになった。
選手村の中も外もセキュリティは厳重だった。タクシーの運転手は選手村の入り口を見つけることすら出来なかった。入り口は本当に旨くカモフラージュされて隠されていた。
一番の思い出は選手村の中のカフェテリアだ。様々な体型・大きさのアスリートが沢山いて、それを見物できる。ある晩妻に電話して、本当に様々な形の完全な体がある事の驚きを語った。そう、彼らの体はまるで芸術品だった。
カフェテリアでは2つの大きな勝負があった。一つ目はマクドナルド。トレイに乗せてる食べ物を当てるんだ。僕が見た限り、ビッグマックは世界共通の食べ物らしい。
もうひとつはピンバッジの交換。みんな国名がわかるスウェットをきているので交換の相手をみつけるのは難しくない。Levi Liepheimer(こいつ→)levi.jpgは、
普段は大人しい奴なんだけど、ピン交換の鬼になってた。僕らのグループの中では彼が一番の数を持っていた。
. The ribbon on is credential probably weighed 10 kilos by the time he flew home, he had so many pins stuck through it.
ロードレース競技に関して僕はちょっとナーバスになっていた。気温がバクテリアを殺すオーブンのように高く、暑かった。見に来た観客もスタート前から大変そうだった。「長い一日になりそうだな」とおもっていた。この日の僕の目的は(ツールリタイア後)レースから遠ざかっていた脚の調子を試すこと、そして先導集団に潜りこめるか確かめることにあった。USチームはメダルを逃したけれども、個人的には満足の一日だった。来るタイムトライアルに備え体力を温存しておきたかったしね。ベッティーニとメルクスには脱帽だ。彼らがメダルを家に持って帰れるのはすばらしい事だ。
ロードレースの翌日、僕らは選手村を出て海沿いまで南下し、タイムトライアルのスタート・ゴール地点のすぐ近くのホテルにチェックインした。ロードレースが終わってから気候は少し涼しくなり、僕らはきっちりトレーニングができたし、アテネの外ののんびりした雰囲気を楽しんだ。
8月18日は僕にとって忘れられない日になった。今までの人生で僕はずっとアスリートとして生きてきた、そしてオリンピックで勝利することを夢見ていた。でもそれが実現するとは思っていなかった。レースの翌朝、目が覚めた瞬間、スーツケースにダッシュしてメダルが本当にそこにあることを確かめたよ。妻は首をふって「私も信じられないわ」と笑っていた。数日間は金メダルを取ったことを自分でも信じられなかったよ。
それは僕の人生で最良の日であると同時にDede Demet-Barry(女子個人ロードタイムトライアル 銀メダリスト) と ボビー・ジュリッチ(男子個人ロードタイムトライアル 銅メダリスト) にとっても忘れがたい日になったはずだ。半日で3人のアメリカ人が表彰台に上るなんて、めったにある事じゃないし、忘れられない出来事だ。
レースが終わって数日はアテネに留まることができてギリシャをリラックスして満喫することができた。妻も僕もギリシャは初めてだった。
その後はブェルタの準備をするために家に戻った。ブェルタに出場することはシーズン当初の計画にはなかったけど、出ることにした。今後のキャリアで何回グランツールを走れるかは分からない、だからブェルタも出れるときに出ておいたほうがいいとおもったんだ。
Thanks for reading.