予告通り、弟者以外にも兄者の人生に強い影響を与えたエピソードを紹介したい。まずはバーバである。婆者じゃないのでそこんとこよろしく。
バーバのこと
兄者は小学校6年から10年ほどボーイスカウトをやっていた。それもわりと熱心な方であった。バーバというのは兄者のボーイスカウトの2つ年上の先輩のニックネームである。黙っていれば玉木宏似の端正な顔立ちの男前である。ボーイスカウトはかなり上下関係に厳しく、年上の班長をニックネームで呼ぶ事はかなり珍しい。起床時間を1時間間違えるとか、昼ご飯を食べた事をわすれるなどの積み重ねで馬場先輩からバーバへと降格されたのである。僕らはバーバ班長のもと雑用に励む、1年生ボーイスカウトだったのである。
写真とバーバは無関係です。
飯ごう炊飯の鉄則 「初めちょろちょろ、中パッパ、赤子泣いてもふた取るな。」
ボーイスカウトに入隊すると覚えないといけないことがある。例えば国旗の掲揚の仕方、テントのはりかたなどだ。飯ごうでご飯をたくというのも基本中の基本で、新人にはこの仕事が回ってきた。
飯ごうでご飯を炊くときに覚えておくべき鉄則がある。「初めちょろちょろ、中パッパ、赤子泣いてもふた取るな。」である。意味するところは、「火加減は弱火から入って、徐々に強くする事、そして何があってもふたを開けてはならない。」である。
ふたを取らずにどうやって炊きあがりを知るのか?そこが腕の見せ所なのである。
中途半端なプロは木の枝を飯ごうに押しあてて、その振動で炊け具合をみるが、真の漢は革手袋をして火にかけてある飯ごうを直接さわり、ときに軽く揺すってみる。重さ、揺らしたときの感じ、匂いを過去の経験とあわせると、ふたを開けずとも飯ごうの中身が手に取るようにわかる。ちょっとおこげができて、全体に火が通った状態のご飯を炊けるようになるためにボーイスカウト達は1年くらい試行錯誤を繰り返すのである。
反逆のバーバ
数年後、一人前に飯ごう炊飯ができるようになったと自負する兄者は後輩スカウトに偉そうにご飯の炊き方を指南する立場になる。「火をおそれちゃいかん」、「ふたを開けずに飯ごうの中を想像しろ」、「イマジネーションが大切だ」、「一日一度は飯ごう炊飯のイメトレをしろ」と。(いつも通り若干の誇張が含まれております)
その日、得意げに講釈を垂れている兄者のところへ、また別の後輩が血相を変えてやってきた。
後輩B「あ、兄者先輩、ば、バーバが、バーバが!」
兄者「バーバがどうしたの?」
後輩B「バーバが飯ごうのふたを開けてます!」
一同「なんだってぇーーーー。」
そのときの衝撃を何に例えたらいいのかちょっと分からない。バーバは確かに、開けてはならない飯ごうのふたを開けて、それどころかしゃもじで中のご飯をかき混ぜていた。恐る恐る聞いてみた「バーバなにしてんの?ふたは開けちゃ駄目だし、かき混ぜたら駄目でしょ。」
バーバは意に介さず平然と答えた「ん?あぁ大丈夫。こっちの方が美味しくなるから。」
信じられなかった。周りの指導者(大人)も他のボーイスカウト仲間もみんながバーバに冷たい視線を向けていた。さらに信じられないことに、食べ比べてみるとバーバがかき混ぜて炊いたご飯の方が明らかに美味しかったのである。何度かの実験を経て、この方法だと1年生ボーイスカウトでも、炊飯に失敗する事がなく、炊きあがりも早いことがわかった。バーバ式炊飯術は画期的な発明としてボーイスカウト仲間の間に広まって行った。
常識を疑うという事
今振り返るとバーバ式は理にかなっていると思える点が多い。
- 飯ごうは圧力鍋などと違って気密性がないので、ふたをあけても影響ない
- 目で確認した方が正確にご飯の状態を知ることができる
- たき火はコントロールが難しいので、むらなく熱を通すにはかき混ぜた方がよい
が、これらはあくまで後付けの理由である。常識を疑い、セオリーを踏み外して何かをするのは勇気がいることである。
当時の兄者達は田舎の中学生らしく「自由こそ全て」と考えていた。自由に生きるためにと、制服を改造したり、タバコを吸ってみたりしていたのである。そのくせ「ふたを取るな」と言われたら大人しく待っているだけだったのだから微笑ましいとしか言いようがない。
兄者がバーバに憧れたのは、その発想に真の自由を感じたからだと今にして思うのである。
補足だが、その後もバーバの常識にとらわれない飯ごう炊飯は続いた。炊きあがり寸前に生栗を放り込んだ「栗ごはん」、スパゲティの乾麺を混ぜ込んだ「そばめし」などである。試食した後輩は「固くて、痛いです。」という名言を残し、バーバは白いご飯に対するテロリストとしての地位を揺るぎないものにした。