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May 17, 2017

4月の光景

阿部謹也という社会学者が、
「けれども一橋大学の場合は歴史学はいわゆるキャプテン・オブ・インダストリーをつくり出す上で必須の学問とはされておりませんでしたから、その意味では実学の中ではちょっと位置が違っていたということもありまして、一橋大学で歴史を勉強するということには常に大変な緊張を伴ったわけです。だれも口では言いませんけれども、友人たちがそれを陰に陽に突きつけてくるわけです。」
と自らのキャリアを振り返っている。これは非常にオモシロイ。読み進めると
どういうことかといいますと、大学に残るということは学問をつづけることを許されるということなんですけれども、しかしながら同級の友達に久し振りに会う。そのときに同じゼミナールのメンバーから、おまえいま何をやっているんだと聞かれます。そのときに、おれはこうこうこういうことをやっているということを言うわけですが、それが自分の同級生にとって全く無縁なことであってほならないというふうな意識が常にあるわけです。そしてそれは同時に私の友人関係だけでなくて、日本での付き合い、あるいはドイツでの付き合い。そういう付き合いの中で、自分がやっている学問が現実の社会の中で学問をやることを許されているわけではない人たちに向かってこういう意味があるんだということを常に言いたいという気持ちがあるわけです。口に出してこういう意味があるんだという必要はないのです。ただ、私が書いたものや、あるいは私の言動が、そういう人たちにとって何か意味があると感じられればいいという気持ちが常にある。こういうことは、断言はできませんが、帝国大学の史学科ではあり得ないのではないかと思います。つまり帝国大学の史学科の人たちは、経済学部や法学部の卒業生たちから陰に陽に、おまえの学問はどんな意味があるのかということを常に突きつけられてはいないと思うんです。」

多分、常に周囲からの「それって何の役に立っているの?」「なんで大事なの?」という問われ続ける環境に身をおくことが、言いかえればちょっとドキドキする立ち位置を渡り歩くのはとても鍛えられるということなんだと思う。

2017/04/01
昼は留守番。子供がご飯をちゃんと食べてくれないとイライラする。かなりイライラする。
夜遅くの便でマレーシアでの理事会参加のために飛ぶ。出発直前空港でメールを確認していたら、ここ数ヶ月ずっと気になっていた偽JPCERTドメイン問題が無事解決していた。気持ちよく出発。

2017/04/02
朝から10人ちょいで使うには手狭な会議室で会議。午後の会議を1時間ぬけて、日本の関係者との電話会議。年明けにイベントをする準備が始まる。 

2017/04/03
昼は2019年の6月に行うカンファレンスの会場であるマレーシアのホテルを視察。その後、王宮や国立モスク、旧クアラルンプール中央駅などをマイクロバスで回る。クアラルンプールを訪れるのは4回目だが市内を見て回ることはなかったので、良い機会だった。
夜は理事長主催ディナー。ディナーのあと、レストランからホテルまで普通のタクシー組、Uber組、徒歩組にわかれた。Uberは一見便利だが、配車依頼した車が到着するのが非常におそい。結論「マレーシアでのUberは改良の余地大。あの距離は徒歩がベスト」
張り替えたばかりの新品カーペット、剥がれているんじゃなくてこういうデザインだそうだ。客から不評で近日張替え予定。

こういう感じの会議になるのでしょう。






2017/04/04
午前まで会議にでて、午後日本への帰国便搭乗。夕方過ぎに自宅到着

2017/04/07
上司の一人が治療のため一時お休みにはいる。早く良くなるといい。

2017/04/08
図書館で論文読み込み。車でおくってもらうときに国立駅周辺の桜並木を車でとおる。
 
ちょっとさみしいけど今年のお花見はこれで。
夜iPhoneのiOSをアップデート。ファイルシステムがバージョンアップされたらしい。空き容量275MBから2.39GBに増える。すごい効率化だ。

2017/04/09
朝、散歩。小雨が降っているので子供を近所の体育館で遊ばせようと思ったが、「本日市長選挙の開票作業に体育館を使うため利用できない」との張り紙がある。
小雨と強風の中、乱れ飛ぶ桜の花びらをながめる。
午後、家族で投票に一応行く。    


2017/04/10
小説を読もうというサイトで評判の良い小説を電車の中でぼちぼちとよんでいる。
夜、神保町で同僚の送別会。退職だけでなくいろいろな人生の転機が同時に発生しているようだ。

2017/04/13
三田で大学院の打ち合わせ、その後藤沢にいってシステムのパスワードリセットやら履修申告やらの事務をすませる。夕方から都内にもどって仕事。
夜は新宿近くでオランダからのお客さんと会食。同僚と2人で休みを合わせて日本旅行しているらしい。同僚と旅行いくのはオランダでもよくあることじゃないとのこと。
一日のうち4時間以上電車に乗っていたことになる。どうにかならないかこの無駄なだけの時間。

2017/04/14
朝から接客。東京オリンピック開催が決まってから、「オリンピックのサイバーセキュリティに関連して協力をしたい」という海外の企業からの申し出を多く受けるが
怪しげなも提案が少なくない。そんななか今日は旧知の人で内容も勉強になるところがあった。
新聞社から寄稿の依頼があり、夜その直し作業。

2017/04/15
歯医者、散髪、そして明日からの旅行の準備。夜義父とみんなで食事。

2017/04/16
朝6時に家をでて成田へ。そこから3.5時間飛行機に乗ってグアムへ行く。気候がすばらしい。北朝鮮と関連があるのか、滞在中ホテルのロビーで制服姿の米軍関係者を多く見た。
 
2017/4/17
グアムなので特に気合をいれて見物するようなものも多くない。ホテル近くや、ショッピングモールでのんびり過ごす。

2017/04/18
グアム3日目。朝5時から電話会議。自室は家族が寝ているため、電話会議のできる場所を求めて彷徨う。WiFi接続があって、周りが静かという場所が このホテル内になかなかなかった。意外。
ずっと欲しかったFitbit(Charge2)を購入。これで生活習慣を改善していく。

2017/04/19
グアム4日目。この日は6時から電話会議。昼に以前来たときにとても美味しかったレストランを再訪した。相変わらず素晴らしい。

2017/04/21
グアム6日目。午前チェックアウトしたあと、繁華街の免税店へ。免税店の2Fにユナイテッド航空のチェックインカウンターがあり、ここで荷物を預けてから出発までの間お買い物をお楽しみくださいという趣旨らしい。その作戦にまんまとのせられ、がっつりお買い物をした。
帰路の便は空いていたのは良かったのだが、出発が1時間遅れ。結局車で自宅にたどりついたのは22時くらいか。

2017/04/24
流石にこの時期に一週間の休みをとっていたということで仕事の滞りぶりがおそろしい。歯を食いしばってメール処理。

2017/04/25
日本マイクロソフト社が主催するサイバー空間の規範に関するセミナー(http://news.mynavi.jp/articles/2017/04/27/mssecurity/)に登壇する。霞が関のイイノビルには初めて入ったが、なんか独特の雰囲気ある。規範に関する議論は抽象度が高く、多くの日本人にとって身近に感じることは難しいエリアである。できるだけ具体化して話すようにこころがける。
終了後関係者と打ち合わせ、および飲み会。

2017/04/26
5月後半から6月の出張予定を立てているが、かなりきつい日程になっている。せめてそれまでちょっと体を鍛えて、同時に休めていかないといけない。
午後飯田橋で業界団体の勉強会。

2017/04/27
朝から頭痛がしていた。午後は頭をつかう、大事な会議があってどうなるかと思ったが会議が終わる頃には頭痛いの治ってた。そんな馬鹿な。
夜は四谷でガーナ赴任から帰国した人の「おかえりなさい会」に参加。世の中パワフルな人がいっぱいいるなぁ。

2017/04/28
夜、新卒で働いた会社の創業20周年パーティー。会社自体は既に買収されてしまったので、会社に残っている人3分の1というところか? 懐かしい顔多数。当時から紫色の靴に注いだお酒を飲むという奇習があってお酒の強くない僕にとっては鬼門であった、たまたま元社長に見つかって焼酎の一気をするハメに。終電で帰宅。 
 
誤字も愛嬌

2017/04/29
午前中は疲れがたまってたので至福の二度寝を楽しむ。2月にベトナムで買ってきたフォーでお昼ごはん。鶏ハムとパクチーがあったので大分いい感じ。フォーの茹で方も大分つかめてきた。お米や豆のように炊く前に水にさらしておくのが大事。 
 

 

Apr 8, 2017

3月の光景

どうでもいい話だが、高校生のときにゴロ合わせで英単語を覚える本が流行った。

例えば”concern”(関係する、心配する)という単語だったら「閑散、契機に関係するか心配」という感じに語呂合わせで英単語の意味を暗記しようという趣旨である。

”indulge”(~にふける、〜におぼれる)という単語の語呂が「インド主(あるじ)は快楽にふける」というものだった。横にはインド人のおじさんとちょっと淫靡な感じのインド人女性のイラストがそえられていた。

言うまでもなくインダルジの発音とインド主をかけているのだが、友達の安藤くんが「こんなのインド人がみたら激怒する」と言いだし、みんなで爆笑した。おかげで僕はindulgeの意味を一発で覚えたのである。

それから20年、indulgeという言葉を使う機会がないどころか、お目にかかったことももない。

全国の受験生、悪いことは言わない、語呂単はマジでやめておけ。




2017/03/01
朝から電話会議。忙しい。

2017/03/06
夏に受けないといけない健康診断がのびのびでこの日に。


2017/03/09
三田でシンポジウム。日中のサイバーセキュリティ研究者のシンポジウムに参加させていただいて3年目。中国のシンクタンクにも我々の活動内容がきちんと伝わっていて嬉しい。


2017/03/10
天井にプロジェクターが10台以上下がっているハイテク会議室で会議。


2017/03/12
お留守番。近所の川べりに遊びに行く。駐車場の精算機がたいそうお気に入りのようで離れてくれない。

2017/03/17
富士通JAIMSという組織が開催するGLIKという次世代リーダー向けの研修プログラムでサイバーセキュリティについて講演。
夜、長野へ移動


2017/03/18
ちょうどお彼岸なのでお墓参りにいく。明日スキー場に遊びに行こうということになり、急遽スポーツ用品店に出向いて、スキーウェアなど用意する

2017/03/19
スキー場に行き、ソリをする。スキー場に行くのは結構久しぶり。1才児は大興奮だった。
1時間くらい遊んでから、町にもどって回転寿司屋でお昼。地元だとスキー場が近いので子供が疲れたらすぐ帰れて良い。
夜、家で焼き鳥パーティー。
ここまでほぼ総て弟のお膳立て。ありがたいことである。


2017/03/21
朝7時過ぎに長野の実家を出る。会社に10時前着。新幹線の中では仕事ができる。長野からの通勤はできないこともなさそうだ。
深夜、恒例の電話会議。


2017/03/23
夜、珍しく飲み会に。このブログを読んでくれている人に新モスマンの由来を聞かれたが、その時ふと思いついたとしか答えられなかった。
正確には ブログの名前を決める前の日に麒麟というお笑い芸人の漫才にモスマンというのが出てきたのを見ていて、それに決めたのだが、麒麟に特別な思い入れも無いし、もはやそれがどんな漫才だったかも覚えていない。したがって思いつきという答えは間違っていないはずだ。
ブログと言えば、このブログのHTMLが(細かいことを気にしない僕が気になるレベルで)汚いので、どこかMarkdownとかでかける所に引越したい。


2017/03/24
昼、米国の取引先来日。軽く打ち合わせをしてお昼ごはんを食べる。なかなか報告できるような目覚ましい進捗がないのが歯がゆい。


2017/03/25
歯医者にいったり、仕事をしたり。昼過ぎ、DVDプレーヤーのファンから異音がしているのを修理するため電気屋へ。夕方娘が階段から落ちて頭打つ。あわてて病院へ。
なかなか大変だった。



2017/03/27
旧知のソマリア人から「今、東京に来ているんだけど食事でもいかないか」とお誘い。彼がソマリアの旱魃と飢饉に胸を痛めていたこと、状況がかなり深刻なことはもとから知っていた。食事じゃなくて「いろんな人を招いて勉強会」をすることを提案。急遽調整を行う。

午後会場提供いただくことになったDMM.com社の会場下見、その後喫茶店で企画書をスマホで書いて送る。パソコンなくてもなんとかなるもんだな。

夜六本木のメキシコ料理店で会食。ホストの気配りがすばらしい。


2017/03/29
秋に企画しているタンザニアでのイベントの準備会合。隔週でやっているが関係者全員がきっちりそろわない。そしてこの日はヨーロッパでサマータイムが始まったことを僕が気づいてなかったがゆえに参加者の集合がさらにバラバラになってしまった。
2グループにわけて2回会議する。


2017/03/30
朝、恵比寿でデジタルフォレンジックに関するパネルディスカッションに参加。主催者の準備がびっくりするぐらい緩い。初めて会う人多い。

サンドイッチを15分で食べて、渋谷にソマリア人の知人を迎えに行き、六本木へ直行。

急遽参加をよびかけたセミナーだが30人を超える参加があったのは嬉しい。ソマリアでの旱魃と飢饉が昔からの問題であり、当事者にしてみればいろいろと不満がたまる状況であるが、知人は穏やかな語り口で新しいアプローチの必要性をうったえていた。

質疑応答のセッションでも日本人の参加者から鋭い質問が沢山でてよかった。

反省点もあった。ソマリアあるいはモガデシュでの生活を知りたくて、会場にきていたソマリア人留学生に「たとえば恋人同士はFacebookとかで連絡とっているのか?」などと質問をなげかけたが、セミナーが終わってから、「人前でそういうことを口にするのはよろしくないので、(イベントの記録用)ビデオからはそのシーンを削除してほしい」との依頼あり。不用意だった。


2017/03/31
退職者がわりとおおかった。それぞれの新天地での活躍を祈る。










Mar 11, 2017

『サイバーセキュリティの専門家』


サイバーセキュリティの専門家という肩書で世間に認知される仕事をして、10年以上がたった。


これは楽しい仕事である。我ながらいい仕事を選んだなと思っている。


サイバーセキュリティにかぎらず専門家は特定の分野について偏った勉強をしているので、キャリアの早い段階で著作なりなんなりの成果が世間に出る傾向がある。珍重されて偉い人と触れ勉強させてもらう機会を得られる。

そして、特定の分野について詳しくなると他の分野への想像力が培われることがある。新聞を例にあげてみよう。
サイバーセキュリティに関して新聞記事がでたとする。その分野の専門家であれば記事の内容が出鱈目ではないが、100%正しいものでないことを見抜くことができる。裏にあったあの出来事、意味のあったディテールが紙面の都合で載らない。
自分がインタビューを受けることもある。前の日徹夜で作ったけど、数字の正確性に自信のない資料がそのまま新聞記事に載るなんてのを経験するとメディアに書かれることというのはこの世で起きている出来事をある一部分だけ切り取った脆く儚いものであることがわかる。かっこよく言うとメディアから得られる情報に対する価値づけが相対化される。
すると、他の分野の記事でも、きっとこれはこういうことなんじゃないか?と想像力が働くようになるのである。

最後に付け加えると何かの分野を極めてみたいということでこの世界にはいったわけだが、幸か不幸かサイバーセキュリティに対する社会的な関心がましている。サイバーセキュリティですと自己紹介したときのリアクションは一昔前は「え、なにそれ?」であった。(次点は「おすすめのセキュリティソフトってなんですか?」)
最近だと「いや、本当に大事な分野ですよね(しみじみ)」といわれることが多い。やってることはなにも変わっていないのにである。



というわけで、サイバーセキュリティの専門家という仕事に不満はないのである。



あるのは不安である。

一つ目は専門家とは甘やかされやすい立場にあるということである。
理由は色々ある。
まず専門家はマスを相手にする仕事が少ない。学会誌に論文がのっても発行部数は少なく、読むのは内輪の人である。異なる視点・立場からの反論を期待するべくもない。
横のつながりの名目のもとに、専門家ギルドのようなものが形成され、運がいいと、社会への影響を無視したディテールについての延々とした議論がおこなわれる。運が悪いと馴れ合いが目的になる。
専門家は板挟みになる経験がすくない。上司と部下との、理想論と現実の予算との板挟みになってきれいでなくとも現実的な解を得るということがゼネラリストに比べて圧倒的に少ない。現実解に縛られないのは専門家の役割であるからよいが、現実解に敬意をはらわない言いっぱなしはまずい。そしてそれを「大所高所からの意見」と勘違いしだしたら老害まっしぐらである。

二つ目は専門家は未来を予想できないということである。
専門家は自らの分野について過去の出来事に精通している。しかし未来を予測することは極めて困難である。これは私だけの問題ではない。2016年の米大統領選挙についてアメリカ政治の専門家たちがどう予想していただろうか? 金融アナリストの市況予想がどれだけあたるだろうか?

我が身を振り返っても特に新しい技術のテクノロジーが流行る流行らないなんて、むしろ予想が外れたもののほうが多い。PDF文書、Webメール 、SNS、LINE 僕はすべてニーズなど無いし、流行るはずがないと思った。それはまだいい、自分の専門分野なんてもっとわからないことだらけだ。
「2020年の東京オリンピックで大規模なサイバー攻撃の脅威が!」なんていうが、起きるのかわからない。起こるかもしれないのだから備えることは必要だという意見には同意する。一方で日本企業から盗み出されている知的財産の流出を止めるほうが長い目で見て必要なんじゃないかとも思う。

未来を予想できないのは当然のことで、この問題に専門家はいろんなアプローチをとってきた。
例えば「2020年の東京オリンピックで大規模なサイバー攻撃 はおきるのでしょうか?」と問われたとき・・・
・ 「必ず起きます。というか皆さんが知らないだけですでに起きています」あるいは「絶対に起きません」という答えを口にできるのが劇場型専門家である。メディアに珍重される。
・ 「大規模の定義にもよりますが、XXの条件がYYだったと仮定して起きるという蓋然性は高からずといったところでしょうか」と起きるとも起きないとも言わず、何言ってるのかよくわからないのがモゴモゴ系専門家である。無害さが、政府主催の諮問会議などで珍重される。
・ サイバーセキュリティは歴史が浅いが、「私が先頭にたって対策に当たった過去のオリンピックでは、、、(以下20分武勇伝続く)。最終的には守るという強い気持ちが大事」という往年の名プレーヤー型専門家も今後現れてくるに違いない。
・ 「リオオリンピックでは3億件のサイバー攻撃がありました。Tokyo2020でも同様の事がおきるでしょう」と答えるのは歴史家系専門家である。劇場型とモゴモゴ型の中間あたりに位置する。個人的に上記3つより良心的だと考えられるのが、しかしこれもどうだ?かっこいいのかなぁ。。。

まとめると、専門家であることを口実に、現在と過去から、オリュンポスの神々のごとく超然とし客観的な評価を下せると妙な自信を持つ専門家がいる。専門家なら3年先を見通せると期待する専門外の人がそれ以上に多くいる。
それぞれの自信と期待の乖離が今後どこかで爆発することが2つめの不安だ。


なんのオチもないが、現時点での私の結論はこうなる。
  • サイバーセキュリティ専門家の仕事は楽しい。まだまだ知らないことだらけなので謙虚に勉強を続けたい
  • 未来について、世間からの問いに答えるという仕事は専門家の重要な役割ではあるが、劇場型になるつもりもない私自身の役割は少ない
  • だから誰かの問いに答える専門家から、自ら問いを立てる専門家に変わっていく必要がある

オリンピックが終わったあとぐらいにこの記事を読み返そうと思う。

備考:
ここでいう専門家とは自分が世界で一番くわしいといえる何か特定の分野/能力を持っている人のことである。その分野/能力をたまたま居合わせた現場の経験を昇華することによって得るのが専門家であり、最初から前人未到の領域を探して突き詰めていくのが研究者と分けて考えている。

写真に意味はない




Mar 6, 2017

2月の光景

2017/02/02
午後、神谷町にあるオランダ大使館へ。大使館というと警備厳重というイメージだがオランダ大使館はのんびりとしていた。

2017/02/06
写真スタジオに行きプロに写真を取ってもらう。待合室にはいくつか子供向け絵本がおいてあった。白雪姫の話は絶妙な挿絵のおかげで、「最後は美人が勝つ」という身も蓋もないメッセージに思えてしかたない。



2017/02/07
夜電話会議。秋にアフリカで行うイベントの企画会議。候補はモーリシャスとタンザニアの2つだ。それぞれに話を聞いて、3月頭には決断するのが僕の役割。仕事がやりやすく、アクセスが良く、キレイなビーチもあるモーリシャス。対するタンザニアはあれこれ大変だけれど、同時期に他組織主催のイベントが予定されており、アフリカ各地から多くの参加者を集めたいという我々の目的に適っている。

2017/02/09
会社の歓送迎会。この組織も人が増えたなぁ。

2017/02/10
麻布十番で国際会議。あたりさわりのない発言に終始しがちな公式会議も時と場合と参加者のメンツによっては非常にエキサイティングな感じになる。不謹慎かもしれないが楽しかった。

2017/02/13
フラッシュボーイズ」図書館で邦訳を借りて呼んだがおもしろかった。
そもそも我々が通信をするときには100分の1秒単位の速度の違いは誤差だが、本書ではナノ秒(10億分の1秒)単位で通信速度を求める人々が描かれる。高速取引事業者と呼ばれる彼らはそのスピードを武器に、株式市場の売り注文と買い注文を先回りすることで利益を出す。これを可能にするのはアメリカに複数ある株式取引市場と投資銀行が抱えるプライベートな取引所「ダークプール」という複雑な構図である。
本書の後半では、高速取引を打ち破るためにIEXという「あえて遅延を発生させるダークプール」を立ち上げる主人公たちの物語である。何でもないコードを持ち出した従業員を企業秘密の漏洩として訴えたゴールドマン・サックスが、自らは高速取引の勝者とはなれないという打算のもとに、IEXでの取引量を増やすところで本書はおわる。
本書には描かれないが今でもIEXとその創業者ブラッド・カツヤマ氏は現役で、IEXは2016年に米証券取引委員会が認める証券取引所に出世したそうだ。

2017/02/14
夜結局合計3時間電話会議。決める内容の多さというより参加者の遅刻が目につく。

2017/02/15
自宅の一部で無線LANの接続がきれやすい。無線LAN中継器なるものを買ってみる。シグナルは強くなったが果たして効果あるのか?

2017/02/17
夜ニューヨークと電話会議。なかなか重い話が多く、気が滅入るので携帯をもって家の外を散歩しながら。

2017/02/18
最近行き帰りの通勤は本をよまずにAbemaTVで麻雀を見ていることが多い。RTDマンスリーリーグは解説含めて麻雀に集中できる工夫がいい。こうやってビジネスを成功させつつ、自分の極めたいことを追求できる藤田さんは真の成功者って感じがする。

2017/02/19
バレンタインデーです。

2017/02/21
タイの大学院生御一行を日本のIT企業にご案内。ゲーム開発の話を聞きたいという明確な目的があるのは良いが、アレンジはなかなか大変だった。受け入れ先企業の方のご厚意で有意義な半日。

この日は電話会議が合計7つあった。部屋に篭って、机の上にパソコン2台、携帯2台をおき常に臨戦態勢。遅刻の連絡、会議システムに入れない、PINがわからないなどの連絡が電話会議真っ最中にFacebook、Slack、メール、携帯電話、Skypeなどにバンバン入る。
この日の教訓: 会議と会議の間に10分でいいから時間をいれるべし。何もなければメモを残したりする時間に使える。

2017/02/23
遅めに出社、昼過ぎに成田へ。ホーチミン出張

2017/02/24
APRICOTの会期中に行われているSecurity Workshopの最終日を見学させてもらった。APRICOTでは2006年以来だろうか。いろんなところでAfriNICと無意識に比較してしまう。APRICOT/APNICよりもはやAIS/AfriNICのほうがもはや身近に感じる。
夕方に同僚とベトナムコーヒー屋で一服。日本は今プレミアムフライデーなんだってさ。

2017/02/25
APCERTの運営委員会。途中抜けだしてAPNICのイベント担当者と秋の台中で行われるAPNICとFIRSTとのイベント共催について議論。
APNICは色んな意味で雰囲気がのどかである。
夜は有志でローカルなレストランへディナーに行く。

2017/02/26
FIRST TCに参加。というか主催者の一人である。
会場外のテーブルで受付をしながら、昨日の打ち合わせの議事録作りと台中でのイベントの企画書づくり。Macbookだとタッチパッドで総ての作業が完結できるが、Let’s Noteだとマウスが欲しくなる。今回は出張にモバイルマウスを持ってきたが、この企画書づくりで大活躍だった。
別の同僚がプレゼンを無事終えたのを祝して夜は3人でディナー。
その後空港へ。あ、ホテルにダウンジャケット忘れた!

2017/02/27
朝6時、半袖ポロシャツで成田着。帰りの機内では爆睡していて、起きたら既にドアが空いていた。慌てて降機したら、機内にKindleと腕時計を忘れる。
脳が動いてない。出勤途中の皆さんの「あいつなぜ半袖?」という視線を感じつつ、やっとのことで帰宅。寒かった。
夜アフリカ関係者と電話会議。大分つまってきた。相変わらず取引先が全然時間通りに現れないのが気になる。こういうところで遅れる人は大事なところでも遅れるという経験あり。



路上でお坊さん風の人につかまり、<途中省略>、1000円とられる
冬晴れの空

Feb 20, 2017

1月の光景



トランプの就任演説を見る。中継では合間にトランプの就任を心から喜んで、演説を聞きに来た人たちが映しだされる。その嬉しそうな笑顔を見ていると、当然のことではあるがトランプの政策を支持し、「アメリカをもう一度偉大な国にしたい」人が沢山いることが伝わってくる。分断されつつアメリカをトランプはどう治めていくのだろうか?そして世界はどう変わっていくのだろうか?
期待よりも不安が大きい。

関連して、制度としてのアメリカ大統領について論じる待鳥 聡史著『アメリカ大統領制の現在』という本がとてもおもしろかった。世間で信じられて強いイメージと裏腹にアメリカ大統領には憲法・米国法において権限がないということを明らかにし、権限が無い中で議会への働きかけ、一般国民への訴え、大統領令など大統領の使える作戦を細かく論じている。


2017/1/1
31日の夜実家を抜け出して近所の神社にお参りに。コンビニでコーヒーを買っているときに年があけたようである。いつも通りのお正月。時間があったのでお墓参りにもいってきた。 

2017/1/2
母方の祖父母宅に年始の挨拶。次回はきちんとお年玉袋を持参しないといけないなと反省。

2017/1/3
一昨年亡くなった祖母の遺影と前から飾られていた祖父の遺影、大きさも額の質感も違うのが気になっていた。おそろいの額を購入し、写真の大きさを揃えて、仏壇の上に並べて飾る。うん、いい感じ。

2017/1/4
長野から東京への新幹線。

2017/1/5
仕事始め。年の瀬にアメリカ政府機関が公開した「ロシア情報機関が大統領選挙のさなかにサイバー攻撃をしかけた」という趣旨のレポートの中身が稚拙なことに驚く。政府はきちんと機能しているのだろうか?
夜、電話会議今年一回目。

2017/1/6
長年使ったソフトバンクをやめて、IIJmioという格安SIMに移行。「みおぽん」というアプリで高速通信のON/OFFを切り替えられるのが面白い。とりあえず何の問題もなく快適に使っている。(2月頭に請求がきた。基本料金は1900円とまさに格安だがしかし通話料で2600円かかっていた。それでもソフトバンク時代の半額以下だが、意外と通話料がかかるのだなぁ) 
大学の図書館前にあるカップラーメン自販機。今月2度お世話になる

2017/1/7
色々と買い物。布団と長年愛用していたコートを買い替える。今度は軽さと動きやすさを重視したダウンジャケットである。
このあたりで家族がインフルA型に感染し、バタバタする。
 
2017/1/10
知日派でしられる米国の要人を招いたワークショップに参加。4月から何か新しいことが始まるようで楽しみである。ワークショップを終えてビルをでるとキャンパス内にたくさんの黒塗りの車が停められていたのが印象的。 

2017/1/13
午前、大学院の打ち合わせ
午後、業界団体が主催する山口先生の追悼ライトニングトーク大会というのに参加する。話すよりも写真を見てもらったほうがいいだろうなと思ったので
喋らないライトニングトークになった。よかったんじゃないかな。

2017/1/14
ホームセンターへ。寝室の模様替えのために色々と購入。寝室が一気に快適になった。

2017/1/15
午後来客あり。途中で同僚から電話があり、急遽トラブル対応に。久しぶりに焦る。

2017/1/16
10時から田町で打ち合わせの予定だったが、前日のトラブル対応のためキャンセル。
やれることはやった。

2017/1/17
深夜の電話会議。翌4時位に寝る。

2017/1/19
借りていたビデオカメラに撮りっぱなしになっていたデータをパソコンに取り込んで整理。ついつい動画に見入ってしまった。

2017/1/21
大学院セミナーのため藤沢へ。この片道2時間はなんとかならないものか? 同門の後輩が無事博士候補になった。おめでたい。自分も頑張らないと。 

2017/1/22
夜羽田からフランクフルトを経由してスペインのバレンシアへ出張する。

2017/1/23
羽田ーフランクフルト間をビジネスクラスにアップグレードできたので比較的元気な状態でスペインについた。この国Uberは使えないらしい。
軽く仕事をしたあと、日本から参加している元同僚と早めの夕ご飯を食べてから、公式ソーシャルイベントに向かった。水族館を貸し切ったパーティーは素晴らしいが、ご飯が少なくて腹減った。 
 

2017/1/24
FIRST Regional Symposium初日。バレンシア地方政府の長官と会場を提供してくれた大学の学長がイベントの口火を切ったのは意外。FIRSTという組織に対する外部からの熱い視線を感じる今日このごろである。 
出張前に同僚と「バレンシアだけに街中にオレンジがあったりして?」などと軽口を叩いていたのだが、実際のバレンシアにはいたるところにオレンジの樹があって、見事な実がついている。恐れ入りました。

2017/1/26
昼アフリカの取引先が多分に感情的なことで揉めていると聞き、当事者3人とそれぞれ電話会議。それぞれに言い分は正しいところがある。特にお金に関連するところは僕自身が知らないことが多く、余計な口出しはできない。 
 
2017/1/28
帰国の途に就く。義理の姉が出産のため入院したそうで心配。

2017/1/29
午後空港到着して、昨夜姪っ子が無事生まれたことを知る。よかった。
病院に顔を見に行きたいところだが、深夜フライトでシャワーも浴びておらず、今日は家で休むことにする。

2017/1/30
いつもの仕事に加えて、来年度の計画を考えるのに若干頭をつかう。
午後時差ボケで大分眠くなる。多分脳みそ動いてない。 




バレンシアの中央マーケット。海の幸も肉も新鮮でほんとうに豊かな食生活が伺える。ドライトマトパックを1ユーロで購入

パエリア用のお鍋


 

Jan 29, 2017

入国管理での勾留体験記


アメリカは新しい大統領令による混乱が続いているようだ。多くの人が搭乗拒否、入国管理室での勾留などの憂き目にあっている。
「勾留(Detained)」ってのがどういう感じなのか、ご存じない方のために、去年3月に勾留されたときの模様をここに残しておく。


2016年3月19日 勾留されました
今回は初めてアメリカで入国審査のためパスポート取り上げられて別室に連行された。


入国審査官がパスポートをパラパラしていて、いつもどおりスタンプを押すかなと思ったら、ちょっとそこに立っとれと。
3分でお迎えの制服の人が来ました。ちょっと質問されるくらいかな、別に後ろめたいことしてないし、とおもって別室に移動する。
でかい待合室とガラス張りの取調室が何箇所かある。朝の6時。先客が5人くらい。
イメージ的には学校の教室。大きな、横に長い教壇が一段高いところにあってそこにコンピュータとかが並んでる。


とりあえず待合室のパイプ椅子で待つ。
横の韓国人の女の子は携帯電話を取り上げられ、パスコードを教えろと言われて泣きそうになってる。
後ろに座ってるヒスパニック系のタトゥーバリバリお兄さんは小さな声でブツブツ誰かを罵ってる。
トイレに行ったら注射器用のゴミ箱がある。


あかん、これ本格的なやつですね。


「私語厳禁、電子機器厳禁」と鋭く注意される。そうかKindleもだめなのか。


30分後くらいただただボーっとしていたら声がかかって取調室へ移動。かかりの人とマンツーマン。
大柄だが威圧的な感じはしない。
仕事は?名刺をだせ。住所は?両親の名前は?身長と瞳の色は?など聞かれる。
「身長と瞳の色はあなたが見たままではなかろうか」とか余計なことを答えるのを控え、淡々と質問に答える。
係官は一通りの内容を電話でだれかに報告して、また10分後くらいに別の質問をされるというのを繰り返す。


2セット目で「スーダンに行ったことは?」と聞かれ、ここでやっと自分が引っかかった理由が見えてきた。
そう3年前にスーダンに1週間くらい仕事に行ったのである。スーダンでの仕事の中身についてさらに聞かれ、正直に回答する。


この時点で1時間半拘束。乗り継ぎ便の搭乗が始まるので急いで欲しいとお願いするが、「その便には乗れだろうない」とつれないお返事。
「それより腹減っただろう、飯食うか?」と聞かれる。食べる気分じゃないので断ると、書類にサインを求められる。
読むと、「私は係官に食事を勧められたが、自分の意思で申し出を断りました」という書類。不法な取り調べと後から言われることを避けるための書類である。面白い。断ってから気になって周囲をみると、ペラペラのサンドイッチとヤクルトの容器サイズのリンゴジュースみたいのを配ってる。カツ丼なら食べたかった。
その後、日本の非営利団体の職員でありながら、アメリカのノースカロライナ州に登記された会社の役員でもあり、ついでに大学院生という状況について詰められる。電話の向こう側でネットで経歴を調べているようだ。
2時間半くらいたった所で、別の人が現れて、お沙汰と背景の説明がある。

曰く、日本で取得したESTAは無効にされた。今回は特別なVISAをこの場で発行するので出張は継続して構わない。次回以降はまたESTAを申請すること、申請が却下される可能性があり、その時は普通のVISAをとれとのこと。

何故別室に連行されたかというと、2月終わりからESTA申請時にスーダン、パキスタンなどへの渡航歴を申告することが求められることになった。僕はそれ以前にESTAをとっていたので、情報が不足していたため、今回の面接が必要になったということ。


「最後に何か質問は?」
「どうしたらこのような事態を防げたのでしょうか?」
「君にできることはなかった。お気の毒」

サインした書類のコピーとパスポートを返却され解放される。都合3時間の拘束でした。乗り継ぎ便を逃し、振替便を待つためヒューストン空港で15時間待ち。朝の5時に目的地について、朝9時から会議というきついスケジュールになりました。


いい経験になったし、これにめげずにスーダンでもイランでもパキスタンでも必要があれば僕は行くからね!



振り返って、我ながら脳天気な書きぶりである。
それは係官がわりと紳士的だったとか、僕が旅慣れているとかいろいろな理由があるとおもう。
最も重要なのは、勾留の理由が「スーダンに渡航した」という自分の選択の結果だということが、早い段階でわかっていたからだ。
自らの出生国など、自分にはどうしようもない点が勾留の原因であったら、アメリカという国に大きく失望していたのは間違いない。
そしてアメリカは好きな国ではあるが、それでも「ホーム」ではない。あくまで「客」だから訪問して断られても、傷つくことはない。
でも、自分の国に帰ろうとしてこんな目にあったら、その人はそれでもその国を愛せるのだろうか。

さて最後に日本で生活していて、アメリカ旅行を控える日本人の皆さん向けにアドバイスを・・・

  • (稲川会とか山口組に所属していない ) 一般の日本人はVISAを免除されている。今まで通りESTAを申請してから渡航すればいい。
  • 万が一アメリカに入国できない場合、あなたをアメリカまで運んだ航空会社は「あなたを元の国に送り届ける責任」がある。したがって帰り道の飛行機は心配しなくてよい。
  • スーダン、イラン、イラク、シリア、リビヤ、ソマリア、イエメンへに2011/9以降に行った人は日本にあるアメリカ大使館にいってVISAをとる必要がある。念のために補足すると、このルールは昨年のあたまからすでに発効していて、新大統領令とは無関係だ。
  • 上記に該当する人はVISAを取っていたとしても、今後の入国が保証されているわけではない。万一、勾留されたら辛抱するしかない。「日本のパスポートは強い」なんて表現もあるとおり、確率的に我々日本人は勾留される可能性が最も低い国の1つである。 
  • (電子書籍ではなく)文庫本を一冊は手荷物にいれておくとよい。 
  • 僕のときも入国管理官はESTAのルール変更について細かく把握していなかった。システムのアップデートが遅れているとか言い訳していたが、まぁそんなものだろう。今回はその時以上に大幅に急にルールが変わったのであり、入国管理官も新しい上司がヤブからスティックに変なことを言い出して困っているに違いない。ビッグアイにルッキングしてあげてほしい
混乱が早く収束することを、祈ります。



Jan 5, 2017

12月の光景


11月27日
トレーニング2日目、同僚が頑張って無事終了。トレーニング会場がホテルの中華料理屋で驚く。

夜はガーナ人・フランス人の仕事仲間と打ち上げを兼ねて夕食。広い道路沿いのレストランにいく。道沿いで若者が騒いでいて落ち着かないので、2時間程度で早めにホテルに戻ることにした。お店の人にタクシーを呼ぶよう頼んだら「ちょっとまってろ」と言われる。3分ほどでキッチンからシェフがでてきた。まさかと思ったが、シェフの運転するクルマでホテルに戻り、日本円で300円程度お支払する。そういうバイトか。。。 
美しい島モーリシャス

11月28日
朝5時起床、6時半にホテルを出発してモーリシャス空港へ向かう。
ここからヨハネスブルグまで6時間、その後乗り換え待ち6時間、ヨハネスブルグからガーナのアクラまで7時間、アクラからワシントンD.C.まで11時間、ワシントンD.C.の空港からホテルまで渋滞のせいで1.5時間。占めて38時間の移動になった。
飛行機で隣の席が、初めて飛行機に乗る南アフリカ人の女の子だった。「飲み物は無料なのか?」という質問をされたのをキッカケに、機内エンターテイメントシステムの使い方等お世話をする。「日本は中国の一部なんだよね」とかつぶらな瞳で言ってくるのでドキドキした。
荷物失くなる↓
11月29日
予想通りD.C.は寒い。 朝9時にホテルチェックイン。近所の自然食志向のスーパーで買い出し。ホテルにもどって比較的高速なインターネットを駆使し、たまった仕事片付ける。
その後昼寝のつもりで寝たら起きたら夜8時になっていた。どうしてもラーメンがたべたくなりダウンタウンのラーメン屋に20分歩いて向かう。30分待たされたが、久しぶりの日本の味噌ラーメンは本当においしかった。ラーメン屋からの帰り道に北米でしか出現しないポケモンをゲット。

11月30日
昼頃、取引先との打ち合わせ。連絡不備で会議に遅刻。夕方タイ料理屋で打ち合わせをかねた遅い昼食。その後ホテルに戻って仕事。
偉い先生方との対談の仕事を受けることになり日程調整をその秘書さんとする。「7時から21時までの間で」僕の都合を教えてほしいといわれる。偉い人は仕事が好きだ。仕事が好きだから偉くなるのか。どっちにしても体力は才能だ。

12月1日
会議初日。
昼頃会議を抜け出して、別の取引先と打ち合わせ。大統領選挙でトランプが快勝したことについて色々聞く。
街は紅葉が綺麗である。
夜ご飯はUber Eatsを試してみる。ちゃんと届くが、ハンバーガーはいまいちだった。 

12月2日
終日会議。夜はフォーを食べに行く。アメリカ政府のとても偉い人が気さくにみんなに話しかけていてびっくりする。 疲れていたとはいえ、積極的に議論に参加できなかったのは大いに反省するところである。

12月3日
今回の出張は本当に飛行機運がない。効率的なフライトを予約できないために、モーリシャス→ワシントンD.C.の移動が38時間の長旅になり、ワシントンD.C.からの帰国がきっつい日程になる。

12月4日
夕方成田着。自宅に到着したのは22時過ぎ

12月5日
朝イチからサウジアラビア大使館へビザ申請に行く。申請費用だけで8万円。

12月8日
朝から三田で大学院の会議。昼は汐留で会食。その後夜まで接客が続く。

12月9日
午後は打ち合わせ三連チャン。勤め先の20周年記念懇親会。懐かしい人達に会い楽しくすごす。

12月10日
大学図書館で研究の続き。かなり追い込まれてきました。
実家からりんごを送ってもらった。今年は日照時間が不作し、取れ高も味も低調とのこと。

12月11日
22時成田発のドバイ行きに搭乗。2泊5日のスケジュールでサウジアラビアに出張する。空港ラウンジも使えない長旅は結構きつい。荒みかけた心を潤すべく、東京駅の構内でかにめし弁当(2000円)を買う。器が蟹の形で面白い。それでも心が充分に潤わなかったので、バチバチという相撲マンガをKindleで大人買いする。噂通りのいい漫画!

12月12日
朝、サウジアラビアのジッダに到着。入国管理のところで時間がかかったものの手続きそのものはスムーズ。
昼はホテルの日本食レストランで「YakiUdon」を食べる。サラダが意外と美味しくて嬉しい。
数時間でベールをかぶった女性、ターバンや白装束の男性に目がなれる
メッカにも押し寄せる日本のマンガの影響
ジェッダ旧市街はこのように水平・垂直という常識にとらわれない建築が多く、(地震大国出身としては)見ていて心配になる。


12月13日
会議初日。今日は聞き仕事なので気楽。イスラム諸国会議機構(OIC)の本部のビルへ行く。
夜は予定されていた夕食会がキャンセルになったとのことで、旧知のブラジル人と食事をし、帰りに噴水を眺める。
噴水が見える海辺の公園は気持ちのいい夜風がふいていて、足取りも軽くなる。
「女性だけで外出できない」「ポケモンは禁止されている」「(女性は)家族以外の男性と話したら逮捕」とかサウジについては色々と聞いていたが、実際に来てみると表向きのルールと現実の生活にはだいぶ乖離がある。現実の生活はそんなに厳しく、堅苦しくない。
規則が厳しいことで有名なメッカのお膝元であるジッダでこれなので、首都のリヤドなどはもっと緩いという。
不思議とお酒を飲みたいという気持ちにはならない。

夜の散歩。釣りしてるひと多い

12月14日
朝一にホテルをチェックアウト。昨日と同じOICのビルで、今日はオープンカンファレンス。サウジアラビアのビジネスビザは取得に時間とお金がかかることから参加者は少なめ。イスラム圏の友人(マレーシア、インドネシア)は家族を同伴していることが多く、この会議が終わったらミニハッジをしにメッカに行くという。
メッカに行くことが許されない僕はホテルのテレビでカアバ周辺の生中継映像を見る。 

夜八時半の飛行機で、帰国の途につく。 
巡礼をした人は聖水を持ち帰ろうとする。お土産用聖水パックは一人二箱までときまっていて空港前は聖水パックと旅慣れない客でカオス。

12月15日
乗り換えのドバイ空港で、明らかに飛行機になれていないエチオピア人家族をゲートまで連れて行った。いいことをした。
夕方成田着

12月16日
朝から夕方までオフィスでいろいろ。

12月19日
来年2月に企業の社会人教育プログラムの講師依頼があり、その打ち合わせ。夕方『三田評論』の座談会。3人の討論者と1人の司会者に対して仰々しいテープレコーダーが3台。

12月20日
朝から会議続き。深夜に電話会議。FIRSTの来年度(1月はじまり)予算案がギリギリのタイミングで承認されて一安心。

12月21日
大学図書館で研究の続き。

12月22日
午後飯田橋で業界団体の集まりに参加。その後梅酒居酒屋で懇親会に参加し夜遅くに帰宅。

12月23日
娘1歳の誕生日。家族でお祝いをする。

12月24日
自宅で色々。

12月25日
一橋大の図書館へ。本読んでメモとっての繰り返し。足がさむさでプルプル震える。

12月26日
一橋大の図書館へ。午後歯医者の予約をいれていたが、殊の外作業が捗る日だったので、キャンセルし篭もりっぱなし。

12月30日
珍しく新幹線で実家へ。 
両親が用意してくれた一升餅を娘に背負わせてみる。予想通りギャン泣き。

12月31日
弟夫妻の第二子は放っておくと寝ていたり、手があまりかからない赤ちゃんのようだ。その様子におどろきつつ、今年も家族が無事であることを感謝して、年を納める。 

















寝ない子はおばけに連れていかれるという救いも遊びもない怖い話。

Dec 21, 2016

頭良さげに見せようとして、頭悪さがバレる10の発言


ただ頭良さげにみせようとして、あるいは会議で存在感を出そうとして、逆効果になる発言というのもある。
今日は僕が独断と偏見で馬鹿がバレちゃう、頭良さげに見せる時の落とし穴となりかねない発言の例をあげたい。


1.「戦略的に考えましょう」
これを口に出す人の頭に戦略らしきものがあった試しがない。「Define YOUR strategy.」などと正面から受けて立つと、即興の戦略を5分ほど聞かされるか、全面戦争になる。遭遇したら扱いに困るタイプである。同様に「国益の観点から」などもたまに聞かれる。定義できないような大きな単語を小さな会議室に持ち込むのが馬鹿の特徴と言ってよいかもしれない。「言葉の車幅感覚」がないのである。

2.「グローバルスタンダードを意識して・・・」
こんなスケールのでかいことを言い出すやつのスタンダードは良くてアメリカンスタンダード。欧米圏の外のことを鑑みていないことが多い。
本当に「地球規模で標準」なんてめったにないのである。「それは本当にグローバルスタンダードなのでしょうか?アフリカでそんな話きいたことないなぁ・・・」と返して退散願う。

3.「本質的な議論をしようじゃないか」
自分が話したいテーマに「本質」という錦の御旗を無理やり掲げる。無意識に使う人と、議論を自分のほうに持っていくテクとして使っている人がいる。後者とはきちんと話せば妥協点を見つけられる。

4.「ケースバイケースです」「是々非々で対応しましょう」
わかってる。ケースによって決断の内容は違うよね。わかるんだけど、もう少し踏み込んでほしい。"It depends (on a case)"とドヤ顔で発言したそこの君。場面を2つくらい例示するのを目の前の外国人はあたりまえのように期待してるぞ!?

5.「〇〇部長がこういってたので、こうしたいです。」
君が考えてくれ。もしくはその部長をこの会議に呼んで、君は帰れ。

6.「コラボしていきましょう」
まだ「僕らはこうしたいので、お前らこれやれ」と言われたほうがまし。さらに協力をコラボと言い換えてくるあたりにただならぬ才能を感じる。だが、こっちも大人だ。「シナジーでウィンウィン族」とは過去にも渡り合ってきた。今日のところはフューチャールッキングでオプティミスティックな関係を希望しとくぜ!

7.「ここだけの話ですが」
時々はこの場でしか話せないことがあるとおもう。ただ毎度自慢げに「ここだけの話」を繰り出されると、秘密を守れるひとなのか? 秘密なこととそうじゃないことをきちんと切り分けられる人なのか?などと心配になる。こういうの、もしかしてセキュリティ業界だけなのかな?

8.「○○さんのこと尊敬してます!」
初対面でそう言われましても。自分を過大評価してくれる分にはありがたいし無害である。しかし、誰かを根拠なしに過大評価する人は、別の誰かを意味なく過小評価する予備軍である。怖い。触らぬ神に祟りなし。

9.「新しい枠組み」「今回のスキーム」「我々が目指すフレームワーク」
何をするかは決まっていないが、何かをしなくてはならないという窮地に追い込まれた人間が最後に頼るのが「枠組み」「スキーム」「フレームワーク」の三種の神器。
中身は実現可能性を度外視した夢物語が詰まっているので、正面から否定しずらい。
「すばらしいフレームワークですね、またお話きかせてください」と回答するのがオトナ。

10.「情報共有が必要」「教育が重要」
この2つが重要でないと言ってるわけではない。重要だと誰もがわかってることを改めて言うからお寒いのである。
「対象をXXに限定したYYのような教育が重要」と一歩踏み込んでくれたらすごく良い会議になるのにといつも思う。

おまけ. だらだら長く話す
よくありますよね。あの人「1点だけ質問させてください・・・」と切り出したのに、もう10分以上思い出や武勇伝を語っているぞ。。。って事。時々、頑張って会議に貢献しようと絞り出すように長話をする人がいて、それはそれでちょっと切ない。
会議に大量の配布資料を持ち込む人も、その場に持ち込むべき情報を絞れていないという点で同罪である。


じゃあデキル人は会議でどういう発言をするかというと、もうこれは一つである。

「わかりません」

会議で「わかりません」といえるのは間違いなくデキる人である。「そこよくわからないなぁ」「要するにこういうこと?」「それって具体的にどういうこと?」「たとえば?」と自分が分かっていないことをきちんと意思表示する人はそれ以外のことはきちんと理解している。
馬鹿は「自分がわかっていない」ということがわからないので、あるいはデキる人であるよう振る舞いたいので 「わかりません」とは絶対に言わない。

というわけで現在の僕にできる、会議での人を理解する方法は「わかりませんを口にしたのが誰か判別法」であり、これは経験上そこそこ信頼できる。

若干毒を吐いてスッキリしたので、僕は明日の会議でおみまいする「グローバル戦略のためのフレームワーク」の資料作成にもどりますわぁ。


Nov 26, 2016

11月の光景


11月1日 奈良にあるけいはんなプラザで行われるAPEC-TELでの講演。途中「新祝園」という地名に驚く。7時に出発、12時過ぎ現地着、14時会議開始、17時半会議終了。ステージ状になった講演者席に座らされていたが、自分の持ち場が終わってからは資料作成に勤しむ。22時半帰宅。前夜の大学院資料作成の続き。

11月3日 大学院の関連で韓国でのワークショップに参加する。空港着が17時くらい。19時近くにホテル到着。そのまま先生達と打ち合わせをする。遅れる僕のためにディナーの料理を取っておいていただいたようで申し訳ない。


11月4日 朝から日中韓の研究者で会議。英語ー韓国語の同時通訳がはいるため、韓国側のスピーカーは全員母国語で話す。日中韓3ヵ国は英語が母国語でない「仲間」であると思っていたので、通訳前提に韓国語で話す韓国人に若干違和感を感じる。
夜は韓国ローカル居酒屋での懇親会に参加した。生きているタコやエイの腐ったやつなど珍味が並ぶ。どれも美味しかったが、韓国の若い大学院生は手を付けずじまい。韓国側の責任者の先生は昼間は強面だが、気さくな方だった。
ホテルに戻ってベッドに倒れ込んだらそのまま寝てしまう。



11月5日 朝7時まで爆睡。朝一で昨日の会議の議事録(のようなもの)をつくる。家族に頼まれていた「眉ティント」なるものを買うために色々聞き込みをする以外とくにすることもなく、昼過ぎに帰国。行きの飛行機では「シンゴジラ」を、帰りの飛行機では「君の名は」を見る。甲乙つけがたい面白さで、大ヒットも納得。夕方家に着く。

11月6日 明らかに体調不良。朝ごはんを食べて寝て、昼ごはんを食べて寝て、という感じで1日の大半を寝て過ごす。

11月7日 前日に続き体調イマイチだが、朝から夕方まで会議がみっちり。夕方帰宅して速攻寝る。

11月8日 体調復活。

11月9日 アメリカからのお客さんとランチミーティング。折しも大統領選の開票結果を横目で見つつのランチになった。トランプに決まりそうという報道があり、みんな絶句。夜は先月のイベントの打ち上げを社内の関係者とする。おっきな仕事を切り抜けて自信をつけた部下が誇らしい。

11月10日 アフリカでのビジネスを検討している企業と打ち合わせ。ウガンダの友人を紹介する。

11月11日
祖母の一周忌のため帰省。妻の運転で4時間足らずの道のり。
午後近所の整骨院へ。「おじいちゃんのカラダだね」とのこと。とほほ。

11月12日
昼に菩提寺に行き法要をする。その後御斎を市内の宴会場で。娘はわりとご機嫌で過ごしていて一安心。

11月13日
 昼過ぎに祖父母宅を訪問。娘は久しぶりに曾祖父母にあう。両親にはメッセージアプリで写真を常々送っているが祖父母はそういうわけにもいかない。紙の写真を送るべきかと思案する。その後両親、弟一家と温泉へ。食事が美味しい。

11月14日
温泉をチェックアウトして、両親と近所のベビー用品専門店へ行く。いろいろ買ってもらう。帰りは4時間半くらい

若き画伯(甥)が描いてくれた絵の数々


11月15日
金曜月曜と休んだので仕事たまり気味。昼ごはんを食べる暇もなし。
深夜の電話会議。終わりが深夜の1時。そこからさらに別の電話会議に拘束され、4時くらいに寝る。
11月16日
三田キャンパスへ。学祭準備でキャンパスが華やいでいる。中国の司法制度を専門に研究している人にいくつかヒントをもらう。先生とKさんと蕎麦屋でご飯食べて帰る


11月17日
取引先と忘年会。同僚が予約してくれた鳥料理が美味しかった。

11月18日
朝一から都心で会議。その後急遽入った会議のため曙橋へ。初めてこの駅降りた?夕方のORFのセッションを聴講する。



11月19日
午前は散髪へ、午後は歯医者へ。たまの休日。久しぶりにリラックスした休日だった

11月20日
午後成田へ。夕方の香港行きに搭乗するまえに成田空港で靴を磨いてもらう。1200円で新品の輝きを取り戻した。

11月21日
香港での会議初日。朝ごはんはホテルの近くのレストランで前からの知り合いのオーストラリア人と食べ、昼ごはんはこの会議に招待してくれた香港人と食べに行く
夜ホテルから15分歩いて本場四川のタンタン麺が売りの店にを食べにいく。うまかったけど、夜からお尻がちょっとヒリヒリする。




11月22日
安倍トランプ会談について日本人はどう思ってる?と外国人複数名に聞かれて答えに窮した夜であった。
「これだけ早期に会談できたのは選挙前から正確に情勢を読んで、トランプ側と交渉していたということ。そこは素直にすごいとおもう。」
今後はそんな感じに返事しようと思います。
11月23日
 香港のカンファレンス3日目。会議初日から感じていたが香港人はプレゼンが巧みだ。写真を大きく使ったスライドでTEDばりに聴衆に語りかける。最初はすごいなと思っていたが3日目にして思うのは「何か物足りない」という思いだり多分会議で登壇している人はことごとく現場の仕事をしていない。一番使いこなしているのはPowerPoint もしくはkeynote という人種だと思う。
話は巧みだが、心がない感じである。
とはいえ表現力の高さには素直に敬意を表し、負けないように頑張りたい。

蟹の季節ですな 

11月24日
香港からモーリシャスへ移動。ヨハネスブルグで乗り換え。この空港に前来たときは山口先生と一緒だったなぁとか考える。

11月25日
午前、取引先との覚書に調印、がっちり握手という若干儀式めいた会議。
午後からアフリカ人技術者向けトレーニング。今回2度めとなる同僚を後ろから見守る。


11月26日
昼休み時間が豊富だったので海で泳ぐ。きもちいいです。朝から仕事のメール送っているのに返事がないとおもったら土曜日だった。