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Jun 23, 2010

THE COVE(イルカ漁反対映画)を見てまとめたメモ

イルカ漁に反対する映画"THE COVE"という映画があるが、なぜか日本では映画館上映されない。ネットで限定配信もされたようだが、僕は見られなかった。そんなわけでDVDを買って見てみた。



感想はいずれ書くとして、映画はいろいろな意味で多くの人に見てもらいたい内容だったので、見ながらとったメモをブログにのせてみる。

注意:
・基本的には映画の雰囲気をふんわりつかむためと割り切って読んでください。内容は僕が聞き取れた所だけ、しかも一度パッと見ただけなので甚だ心もとない。もし既に見た人がいらっしゃったら指摘は有り難く受けるし、修正します。
・ミステリーでもないですが、ネタバレとかそういうのを気にする人は読まない事をおすすめ




シーワールドは実はイルカの敵


海洋生物に関するカンファレンスをサンディエゴで行おうとしたが、Richard O'Barryの基調講演が直前でスポンサーから却下された。イベントのスポンサーは「シーワールド」だった。海洋生物に関する研究はシーワールドのような営利企業のスポンサリングが重要であるとのこと。

Richard O'Barryはイルカ漁に反対する活動家、ニカラグアやアメリカで不当に扱われているイルカを逃がすなどの「救出劇」を行っている。活動が過激なあまり何度も逮捕されている。同じような活動をしていたJane Tipsonは殺された。活動家になる以前はわんぱくフリッパーとして知られるテレビシリーズでイルカの調教している
リチャード「イルカは新しい環境のシンボルだ。」
リチャード「イルカが笑っているというのは大きな誤解。音でもコミュニケーションするがゆえに音に敏感。水族館などの閉鎖環境では循環機器のノイズが原因で死んだりする。本当にデリケートなんだ。」

イルカの性質を利用した太地町の漁


音に敏感なイルカの性質をつかって音で威嚇しおいつめる。漁の様子が映像で紹介される。

  1. 20隻程度の漁船、船の両舷から海中に鉄のパイプをのばす。漁師がパイプを叩いてノイズを出し、イルカをおいこむ。

  2. 逃げないように、沖側にネットをはる。一晩待つ。

  3. 翌朝シーワールドの担当者達が来て、見た目の良い、若い♀のバンドウイルカをイルカショー用として持って行く


太地町はショー用にイルカを世界各国に輸出しており、一頭あたり最大15万ドル程度で取引される。
このような方法で23000頭のイルカが毎年捕獲されている

IWCとイルカ漁の関係


誰か: IWCはクジラ保護に注力しているが、イルカはその対象外である。それはおかしい。
森下丈二の紹介。水産庁の官僚、ハンサム、日本の国益を代表している。他国代表の質問に居眠りしている場面が繰り返される。悪者として描かれる。

イルカ漁を隠したい太地町の人々とクルーの軋轢


カメラは太地町の漁師の人たちにも遠慮なく向けられる

  • カメラを隠そうとする人

  • 女性活動家を浜から押し出そうとする人

  • 帰れと怒鳴るように叫ぶ人

  • クルーのカメラに対して中指をたてて見せる人


クルー「見せしめだろうか、既に息絶えた子イルカの喉を斬ってみせた漁師がいたときには、腹がたった」
2003年シーシェパードはイルカ漁の実態をカメラに収めるため、太地町に人を派遣。イルカ用ネットを切断した。
公式に使途の交渉なども散発的に行われているが、市側からは立ち入り禁止区域を押し付けられたのみ。
漁の一部始終をカメラに収めたものはいない。

イルカ漁の全貌を撮ってやる大作戦


颯爽と太地町にイルカの撮影のためにあつめられたエキスパート達。

  • 岩にカモフラージュしたカメラ、水中にしかける水中カメラと録音機

  • 素潜りのエキスパートたち、水中にカメラをしかける担当

  • ラジコンのヘリコプターやおもちゃの飛行船にカメラを搭載。


メンバーのひとり「飛行船やヘリコプターを使う1つの理由は逮捕された時の印象アップだよ。」
47個の黒いトランクを日本に空輸、いきなり怪しまれてホテルの前に監視がつく。
リチャード?ルイ?「誰に尾行されいるのかわからなかったので、英語をしゃべれる日本人に聞いてみたら、『警察だよ』と教えてくれた」

まずは正面から網の近くによってみると、太地町の漁師に阻まれる。あきらめて一行が帰ろうとした頃に、網の向こうから傷ついて血だらけの子イルカが泳いできて力つきる。それを見て泣き崩れる美人ダイバー夫妻、談笑を続ける漁師との対比の構図。

イルカの肉は水銀に汚染されてイルカ?


リチャード「太地町の人々はこれは彼らの伝統で、おまえらが牛を食べるように、我々はイルカを食べている」と説明している。
東京(渋谷)でイルカ漁について聞く場面、「日本で毎年2万3000頭のイルカが殺されている事をご存知ですか?」
みんなその事実を知らない

リチャード「日本のメディアはイルカ漁を隠している。なぜならイルカは食物連鎖の頂点にいるため水銀に汚染されている事実を公にしたくないから。」
水産省の担当者 MORONUKI HIDEKI 「イルカを食べ過ぎない方がよいです。ただイルカの肉には貴重な栄養が含まれていますが」
IWC日本派遣団のお抱え弁護士(外国人)「市場にでまわる日本の基準値をオーバーするような汚染物質は含まれていない。日本の基準ではね。」
北大 遠藤哲也 「太地町で購入したイルカの肉から2000ppmの水銀が検出された。推奨値は0.4ppmであるにもかかわらず」

誰もたべない、イルカ肉はどこにいったのだろうか?


スコット・ベーカー「イルカはスーパーでクジラ肉として売られている。水銀はWHOの推奨値の20倍である」
唐突に水俣病の紹介。かつて水俣市で水銀の多量摂取に寄る疾病が流行したことを紹介
水俣病患者の家族の訴え「首はすわらん、耳は聞こえん、口きけん、味はわからん」
前出の水産省の担当者 「いるか肉によって水銀中毒がひきおこされ、水俣病のような自体が発生する可能性について)ありえないでしょう」と一蹴
リチャード「こういう危険(水俣を指してる?)を避けるためにも太地町の漁を辞めさせる必要がある」

イルカの声をきこう


反捕鯨の風潮を作り出したのはクジラの声を録音した1枚のレコードだった。「クジラは歌う」という事実が活動家を燃えさせた。
網にとらえられたイルカの声を録音して人々に聞かせれば同じ事がおきるのではないか?

深夜の水中マイク設置作戦はギリギリ成功。2人の警備員があっという間に近寄ってきた。

その間リチャードはホテルの従業員と市の職員風の人に尋問にあう
市職員「夜中にこそこそOPSの人たちがどこかにいったけど?」
リチャード「OPSと私は関係ない」としらを切る

水中に仕掛けたマイクを引き上げ、みんなで中身をきく。一頭のイルカの声だけが鋭く響く。
イルカの声は苦しんでいるようにも聞こえた。涙ぐむリチャード。

イルカは他の魚類を大量に食べてイルカ? 日本の戦略


リチャード「漁師は政府からイルカを減らす事で他の資源を保護していると言われているがそれは根拠がない」
2006年のサイエンス誌のとある論文を挿入「今のペースで漁業を行うと40年で立ち行かなくなる」
築地場内市場が写り、マグロが次々と取引され、買いたいされ、消費されて行く場面が早回しで続く。

1986年に商業捕鯨が再びIWCで許可された


IWCで日本に賛成するコメントを述べるセントルシアなどの代表団とそれを満足げに聞く森下氏
誰か:「日本の代表団は財政的に破綻した小国に、金銭援助の見返りに表をあつめている。」

イルカ漁を正統化するために、学校給食にイルカを採用させようという太地町が取り組みを薦めているが、これは町内でも議論が分かれているという。
太地町に住む5才と7才の男の子の父親「 給食は全部食べないといけない。学校給食にイルカは避けるべきではないか」
勇気を振り絞った発言の様。日本には「出る杙はうたれる」という諺があるが、彼も叩かれてしまうのか?

入り江でのイルカ漁をとらえた(映画のクライマックス)


夜間に侵入禁止区域に忍び込んで
・MandyとKirkは海の中へカメラとマイク設置
・Simonは岩に似せたカメラを設置
準備万端

岩陰のカメラからは夜明け前の浜辺で、タバコを吸いながら談笑する漁師達。画質音質ともにかなりクリア。

狭い区域に追い込まれるイルカ、20人程度の漁師達、船の上から細長い銛をかまえる。
カメラは水中カメラにスイッチ。イルカの声が聞こえる。やがて水色が上から赤黒くそまり、すぐにブラックアウト。
ここで湾を俯瞰するカメラに切り替わる。真っ赤にそまった海と黙々と銛をつきたてる漁師
ときおり最後の抵抗とばかりにじたばたするイルカが写る
最後は漁師が暖をとるために焚いたたき火を赤い海の水で消しさって行く




[caption id="attachment_2202" align="alignnone" width="600" caption="血の海"] [/caption]



ナレーションはなく、画面が強調される。

再びIWCの会議場


森下氏「イルカクジラを捕獲する方法は近年改良されており、短い時間で少ない苦しみで殺す事ができる。」
リチャード、会議場の外から会場に乱入する。お腹には液晶モニター、流れているのは太地町の漁で赤く染まった海

[caption id="attachment_2203" align="alignnone" width="300" caption="IWCに突撃したリチャード(リック・オバリー)"][/caption]

終幕


イルカ漁は毎年9月に行われる。あなたが動かない限り
イルカ漁を止めたい人はSMSするか takepart.com/thecoveにアクセス

ちなみにDVDで見てみるという方はこちらから(英語のみ、リージョンコード北米)
LINK

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Jun 12, 2010

鼻毛革命を起こしたNOOK(ヌーク)

*NOOK

ヒゲを抜くための毛抜きが欲しいとおもってデパートでNOOK(ヌーク)という面白い形の毛抜きを買ってみた。

[caption id="attachment_2180" align="alignnone" width="600" caption="パッケージからして毛抜きっぽくない"][/caption]

[caption id="attachment_2190" align="alignnone" width="600" caption="頭が丸い"][/caption]

普通の毛抜きと違って先が丸くなっているので、眉毛を整えるとかそういう細かい作業をする人には不便かもしれない。僕のように飛び出したヒゲを抜くのには先が尖っていると肌を刺さないように気をつかうこともないので、すこぶる快適である。

*鼻毛抜きとしてのNOOK
そして、この形状を眺めて「もしかして。。。」と閃いたので鼻毛を抜いてみた。何も考えなくても面白いように毛が掴める!抜ける!!!
ちなみに鼻毛は今までどうしていたかというと、こ んな形の専用鼻毛カッターをしばらく使ったが手入れが面倒なわりに切れない。諦めてここ数年は小型のハサミできっていたのだけど、ハサミでの鼻毛処理は地雷処理並みの集中力を要求される危険な作業である。鼻血と隣り合わせの緊張感に疲れ果て、あきらめかけたその時に現れた救世主がNOOK(ヌッ ク)だったのだ!

[caption id="attachment_2183" align="alignnone" width="600" caption="面白いように抜ける鼻毛(および他の毛)"][/caption]

鼻毛革命と呼ぶに値する快適さである。毛抜きという、一件して改善の余地がないシンプルな道具も角を丸くするだけで、これだけ可能性が広がるのだから、恐れ入る。久しぶりに感動した。

この感動を皆さんに届けたく、Amazonの商品紹介のページを見たら、鼻毛もいけます的な事が書いてあった。1つ2000円という手頃な値段で、カラーバリエーションも豊富なのでこの機会にお一ついかが?ということでAmazonへのリンクを貼っておく。

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Jun 11, 2010

僕らのアウトドアライフ (その2)

高校の時の部活、アウトドアライフ班(通称ODL)の話の続きです。後輩のニッシーから貴重な写真の提供があり、一部を使ってます。懐かしいぜ。

*ODLの実態
OutDoorLifeの名が示す通り、ODLのメインの活動はキャンプだったと思う。班室にはODL班備品の6人用ドームテント(割と性能よい)、コールマンのランタン、コッヘルセットなど一通りのキャンプ道具がそろっていた。春から秋は天気を見つつ、月に一度くらいキャンプにでかけた。いやもっと少なかったかもしれない。

[caption id="attachment_2166" align="alignnone" width="540" caption="河原で"][/caption]

近辺の山に荷物を運び上げ、焼きそばを作り、マシュマロを焼いた。夜遅くまで酒を飲み、火を囲んで語った。先生の悪口から将来の夢、先輩の失恋まで話題は尽きなかった。

ど田舎の町からさらに1時間ほど登った山頂なので夜には星座を探すの難しいほど大小の星が空を埋め尽くす。そんな空の下で、前島先輩が自分を彦星に例えて、織姫がどうこうと真顔で語っていた。笑いをこらえるのに必死だった。狸が現れ、蛾がランタンに特攻をしかけ、鹿は電信柱の陰から様子をうかがうストーカーの様にじとっと我々を観察していた。

そしてどんな時でも朝が来る。真夏でも明け方の森の中は静かで、空気が芯から冷えきっている。朝霧の中、重い体を鞭打って、前の夜の乱痴気騒ぎの後片付けをする。『宴の後」という言葉の持つ意味を噛み締めつつゴミ拾いをした。
ボーイスカウトではとうてい許されない、だらけたキャンプだった。誰も口にはしないが、椎名誠の「わしらは怪しい探険隊 (角川文庫)シリーズ」の東ケト会の破天荒さに影響を受けていたと今になれば思う。



*頑張らない、ゆとり教育の先駆けODL
ODLは本来、キャンプの仕方などを身につける事ができるという触れ込みであった。だが、僕はもともとボーイスカウトで小学校からキャンプにあけくれていた。おかげで中学生の時には既に、8人用のテントを1人で張るとか、木を組み合わせて竃をつくるとか、あたりまえのようにできたのである。安藤にしてもキャンプでは相当にベテランだった。僕らに新しく身につけるものはなかった。
やがて僕らが2年生になり活動の内容を決めるようになるが、いたずらに高度なキャンプを目指すようなことはしなかった。安全かつ簡単に登れる山を難しいシーズン、難しいルートを選んで登るのが登山家であるのなら、米を炊くのが面倒な時には「サトウのご飯」を持ち込むのがODLであるという暗黙の了解があった気がする。いや、なかったかもしれない。

その後、セクシーというニックネームの、全然セクシーじゃない男がODLに加わった。渡来僧が日本に仏教をもたらしたように、セクシーはODLに麻雀をもたらした。僕らは麻雀をした。ニッシーという後輩が入った。安藤に輪をかけて寡黙な後輩だった。放っといても自分ですくすく育つ子だった。まきさんという心優しい男とその弟のまさきが加わった。まきさんはランドナーという長距離を走るための自転車を持っていて、刺激を受けた僕らは一泊二日のロングライドにでたりした。

*喫茶ポプラでインダルジ!

[caption id="attachment_2165" align="alignnone" width="450" caption="懐かしいポプラ ”この時大学2年くらいで、班室に忍び込みODL日記とアルバムを回収した時のものです。byニッシー”"][/caption]

平日の放課後は班室にたまるか、駅前にある「ポプラ」という喫茶店で時間をつぶすのが定番だった。駅前にひっそりと佇む個人経営の喫茶店だった。マスターは常にテーブルの灰皿には消臭のためにコーヒーの出がらしを乾燥させたものを敷き詰めていた。消臭効果があるからと言っていたが、本当だろうか?
テスト前には高校生らしくポプラで勉強をしたりもした。語呂単という語呂合わせで覚える英単語の本が流行った。「indulge(快楽などにふけるの意)」の語呂合わせはこんなのだった。
「インド主(インドアルジ-> インダルジ -> indulge)は淫行に耽る」
本にはご丁寧にターバンを巻いたインド風の人がにやにやなにかをしている挿絵がついていた。インドでまじめに生きる方々、特にインド主の皆様に対してあまりに失礼な語呂合わせだ。
淫行のインパクトで僕らはindulgeという単語を完全にものにしたが、残念なことにテストに出なかった。それどころかmあれから10年以上、僕は人並み以上に英語に触れる仕事をしているが”インド主”には一度たりとも出くわした事がない。そもそも覚える必要がある単語だったのだろうか?

というわけでODLという名前のわりに、キャンプだけをしていたわけではなく、逆に屋内でダラダラしていたことが多かった。誰かの家で徹夜で麻雀したり、長野大の女の人と合コンしたり(!)、軟式野球班と険悪な雰囲気になったり、演劇班の劇を手伝ったりとヒマに任せていろいろな事をした。いろいろな事をしたので自分の過去を語る時に「OutDoorLife班に入っていた」と言い切る事に躊躇するのだとおもう。

*その後
高校卒業後、僕らはそれぞれ進学のため故郷を後にした。ODLのメンバーも今では結婚していたり、子供がうまれていたり、東京にいたり、上田にいたり色々な人生を送っているらしい。連絡も疎遠になった。

班長だった安藤は庭師という変わった職業を選び、その仕事の模様をブログに綴っている。地元では評判がすこぶるよく、僕の身の回りでは将来もっとも情熱大陸などの番組にとりあげられそうである。コンクリートに囲まれたオフィスで、ブログを通して、同じ釜のペヤングを食べた彼のぱきぱきとした仕事を見ると励まされる気がする。きっと他のODLのメンバーもそう思って自分の道で頑張っているのだと思う。

[caption id="attachment_2170" align="aligncenter" width="440" caption="ODL ふぉえばー"][/caption]

Jun 4, 2010

僕らのアウトドアライフ(その1)

「部活なにやってた?」と聞かれるとちょっと困る。

「中学の時は剣道部、高校の時はボーイスカウト、大学は学園祭の実行委員をやってた。」と答える事が多い。剣道もボーイスカウトも学園祭も打ち込んだのでこれは嘘ではない。ただ、説明が長くなるので「高校の時はOut Door Life班に入っていた」という事実を伏せているだけである。大切な青春の1ページである高校時代のOut Door Life班(通称ODL)についてちょっと書いてみたい。

*入部
中学3年間で剣道にとことん嫌気がさしていた僕は高校で剣道を続ける気はなかった。そして入学当初の班活紹介でOut Door Life班というキャンプにくり出すだけの班活動があることをしった。(ちなみに僕の出身高校含め、その近辺ではなぜか部活を班活と呼ぶ。班活、班長、サッカー班、野球班である。)
1年生向けのオリエンテーションで、それぞれの班活が前に出て5分程度の活動紹介をする。ユニフォームを着てばしっと活動を紹介する班が多い中、ODLは私服の3年生3人くらいがドームテントをもってきてなにやら喋っていた。周りの1年生も戸惑う、その発表の様子は僕の好奇心を多いに刺激した。
入部希望者は部活毎に指定された場所に訪れると上級生が詳しい説明をしていることになっていた。僕は第2理科室にODL班の説明を聞きにいった。主に3年生がアルバムや旅行記を見せてくれた。毎年ではないが、無人島にキャンプにいったりした代もあるとか、オリエンテーションのぼそぼそした説明からは意外なほどまじめな活動をしているようだった。
*もう1人の1年生
第2理科室には僕以外にもう一人だけ1年生がいた。あまり喋らない安藤という人だった。愛想が悪いのではなくシャイな奴だということは後から知った。
この日、確か近所の公園にみんなでくり出し、あまり喋らない安藤が初めて僕に話しかけてきた。
「火貸してくれない?」
あまりに唐突な第一声だったが、愛用のZippoを貸しつつ、なんか仲良くなれそうだと安心した記憶がある。
*自由のはじまり
安藤とは対照的に陽気で面倒見がいい浅黒い男前の3年生がいた。前島先輩という。
「迷ってるなら、絶対入った方がいい。ODLはいい奴が多いし、大学のサークルのようだ。とにかく自由だ。」
応援団長もしている前島先輩は熱い男だった。前島先輩の勢いに押されたわけではないが、僕はなんとなくボーイスカウトとは違う緩い雰囲気が気に入っていた。
「そうですね。ODLに入ります。」
そう口にした。前島先輩は僕の決断に喜び、讃え、そして最後にこう付け加えた。
「俺はODL班じゃなくて、天文気象班だけどね。」
ODLはどこまでも自由だった。

[caption id="attachment_2160" align="alignnone" width="600" caption="班室"][/caption]

(長くなったので続く。)

Jun 3, 2010

夜中に携帯が確変に突入することについて

携帯電話をつかって最後に誰かに電話をしたのはいつであったか?そのくらい電話をする機会は少ない。そして携帯に届くメールは日に数通である。つまり基本的に音がならない僕の携帯であるのだが、時々狂ったように受信を始めることがある。これを僕は携帯の確変モード突入とよんでいる。

確変モードの根源は大抵において、「姫」というニックネームのある同級生である。「姫」が下々に「バーベキューしない?」とメールをする。このとき仲間全員をCCに入れて送信するという風習がある。

たとえばAさんからB,C,D,E,Fさんへの飲み会のお誘いに対して、全員がAさんに参加の可否を連絡し、ついでに近況を連絡し、それにAさんが返信し、さらにBさんが話に加わり、それを横目にEさんとFさんが別の飲み会の話をする、というような無限連鎖状態である。これを食らうとメーラーはこんな感じになってしまう。


[caption id="attachment_2146" align="alignnone" width="526" caption="無惨にうめつくされたインボックス"][/caption]


これはパソコンなので見るのも、削除するのも楽だけど昔は普通の携帯電話だったので、埋め尽くされたメールを見て青ざめたものである。仲間の中には「彼女からもらった、何度も読み返したいとっておきメール」が押し出される様に削除されてしまったというような悲しい経験をしたやつもいる。

みんなが結婚したり、子供ができたりとなかなか携帯が確変に入ることも少なくなってきたが、昔からの友達のあいかわらずさを実感出来る機会として僕は実は楽しみにしている。

年に2回くらいまでならだけどね。

Jun 1, 2010

中華炒め

中華料理はおいしい。どこで食べてもだいたい美味しい。なかでも外さないのが炒め物である。和食の感覚だとおどろくようなきゅうりや桃などを絶妙なバランスでかけあわせて、1つの炒め物にするその技術はすばらしいと思う。

[caption id="attachment_2139" align="alignnone" width="600" caption="香港で食べたエビと何かの炒め物。おいしかった。"][/caption]

中でも僕が好きなのはイカのブラックビーンソース炒めである。あの味が好きで、家でも再現したくて、今回香港にいったときに様々な調味料を買ってきた。黒豆ラー油、ウェイパー、甜麺醤、老酒、干し海老、干し野菜などなど。

それを使って、今日はもやしとイカをブラックビーンソース炒めにしてみた。想像と全く違うものができあがった。ニンニクとショウガを油で炒めればなんとなーく中華の雰囲気を醸し出す事はできるが、中華料理屋さんのあの炒め物の味にたどり着くのはなかなかに難しそうだ。