「ドラゴンクエストIX 星空の守り人(以後、ドラクエ9)」が今週末発売される。お約束であるが度重なる延期を経ただけに楽しみである。
僕自身ドラクエに限らずゲームソフトを買ってもらうのには大変苦労した記憶がある。そこで今日はドラクエ9の発売日にそなえて「ドラクエは単なるゲームではない。努力の価値を覚え、現代社会を生き抜くための大切な勉強である」という主張をしたいと思う。
その昔ミュンヘン近くでみかけた、リアルほこら。本文と関係無し。
ストーリーがワンパターンなドラクエ
ドラクエシリーズはほとんど全て権力者からの依頼を受けて魔物退治にいく主人公という筋書きである。
もう少し細かく書くとドラクエの王道パターンとはこうだ。
- 毎回どこからか魔王が現れ、人々が幸せに暮らしていた世界を恐怖のどん底にたたきこむ。
- 頭を痛めた時の権力者(王様)から主人公に魔物退治の依頼がされる
- 主人公は王様の依頼をうけて平和維持軍的な活動を行う。
- 冒険の最後に魔王を退治すると、地位や名誉や富が王様から与えられる。
非常に単純である。
それを確認するために過去のドラクエシリーズの大まかなあらすじをまとめて、この記事の一番最後に表を載せた。
働けば報われるドラクエ
ストーリーが変らないということは、そのメッセージも変っていない。ドラクエシリーズが一作目より訴えていること、それは努力の大切さなのである。
ドラクエは毎回前半がだるい。装備はみすぼらしく、世界地図もなく、下手すると自分が誰かすらもよくわからない。プレーヤーはそんな状態でも王様の指示に従って魔物と戦い続ける。魔物と言っても序盤の敵は野良ウサギ程度である。レベル上げという名の無辜の命に対するテロ行為である。
「あぁ、王様の頼みとはいえ意味有るのかな?無意味な殺生はいかんて父ちゃんもいってたよな」
と疑問を覚える頃になると、見越したかのように王様から褒美やら、新しい武器やらが渡される。プレーヤーは働けば報われる事を感じ始める。
強くなっていくと行動範囲が広がり、お金持ちになり、周りからも羨望のまなざしを向けられ始める。痛快なのは最後のボスを倒した後の状態で旅が続けられることがある。王から与えられた使い切れないほどお金をもって、世界を旅してみる。それまで自分たちに批判的だった市民に話しかけると、手の平を返したかのように「ようこそ宿屋へ、おだいはけっこうです。ゆうしゃさま」「ゆうしゃさま、パフパフパフパフ!」ときたもんだ。
この世界に一貫しているのは、現体制のトップの命令を歯を食いしばってこなせば、その先には地位も名誉も金も女も自由自在のパラダイスがまっているという露骨な社会構造である。ドラクエという媒体を通して、このような世界に触れたプレーヤーは地味な経験値稼ぎの重要性や1ゴールドの大切さを学び、努力することを学ぶのだ。
それだけではない、ドラクエは我々をとりまく様々な矛盾を併せ飲むことを無意識のうちにプレーヤーに要求する。
人は必ずしも平等ではないという真実を教えてくれるドラクエ
ドラクエの主人公はロトという名門の血筋を引き、一般ピーポーには装備できない先祖代々の強力な武器で戦いを有利にすすめる。例えばドラクエ5では父に仕えていた召使いサンチョがそのまま息子である主人公に仕えるなど、勇者の子は勇者、召使いは一生召使いという社会の階層化および貧富の差をリアルにプレーヤーの鼻先に突きつけるのである。
天は人の上に人を作らずという有名な言葉があるが、それでは日本において天皇制が支持される理由、麻生←福田←安倍と二世三世議員ばかりが国家元首に選ばれる理由が説明できない。
勇者だけがロトの剣を装備できるように、天皇家の血筋を引くものだけが天皇になれる。勇者だけが仕える呪文があるように、麻生セメントの御曹司にしかできない仕事があり、鳩山一族にだけもたらされる富があるのである。
ドラクエは少なくともSPA!より冷徹に世界を見つめている。
社会の不条理を教えてくれるドラクエ
より根深い問題としては特権階級である勇者の一族と死の商人(武器商人)との関係が深いことがあげられる。特にトルネコと呼ばれる武器商人はドラクエ4においては集金などの汚れ仕事を一手に引き受ける代わりに、勇者に同行した。それ以前にもトンネルを堀り、通行料によって投資を回収した事業が「そのあまりに資本主義的なやり口はいかがなものか(赤旗新聞)」と一部で反感を招いていた。この一行では冒険の仲間としては明らかに不適切な美人踊り子姉妹マーニャとミネアが同様に問題視されているが、彼女達と勇者の間を取り持ったのもトルネコと噂されている。
つまり勇者も必ずしも聖人君子ではない。むしろ大きい悪を倒すためには小さなルール違反には目をつぶろう。プレーヤーはゲームを通してそんな事を学ぶのである。大同小異、呉越同舟、自公連携にも通じる世界のルールはドラクエが教えてくれる。
まとめ
つまりドラクエは現実逃避でもなければ、仮想世界での遊興でもない。これは子供を現実の社会と向き合わせる立派な教育である。冒険を通して、努力の大切さ、清濁併せ飲む事の重要性を子供がその手で獲得する唯一無二の機会である。
少年よドラクエを買え。気づいたかもしれないけど、この記事の目的は「子供は勉強しなさい」という思考停止した考えによりドラクエを買ってもらえない子供を一人でも減らす事にある。
この記事を印刷して、お父さんお母さんに読ませるんだ。だめ押しに「僕もお父さんのように立派な社会人になりたい。そのためにはドラクエでこの社会の有様を一から勉強したい!」と言えば完璧だ。
僕は少年じゃないので、自分で買う。
なお本記事は近日中に「ファイナルファンタジーはゲームではない、反体制のプロパガンダである。」に続く予定である。とかく比較されがちな二大作品であるが、その世界観が対局にある事を書きたい。
おまけ ドラクエのストーリー
(一番左側は主人公がその世界の体制に属するのか否かを表している。)
体制 or 反体制 | 発売年 | 作品名 | ストーリー | 主人公 |
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体 | 1986 | DQ1 | 竜王が現れて世の中メチャクチャ。ラダトーム王の依頼。 | 主人公はロトの末裔 |
体 | 1987 | DQ2 | 邪悪な神官ハーゴンから世界をまもるために王子と王女が力を合わせる。 | 主人公は同じくロトの末裔。全員ボンボン。 |
体 | 1988 | DQ3 | 世界征服を企む魔王バラモスを倒すために勇者が戦いに出る。 | 主人公の父オルテガも同業。死んだことになっている |
体 | 1990 | DQ4 | 世界征服を魔王を倒すために勇者達が戦いに出る。 | 主人公は孤児。官(神官、王宮戦士、魔法使い)民(武器屋や踊り子)連携の大プロジェクト |
- | 1992 | DQ5 | DQ史上初めて倒すべき悪がなんとなくあいまい。メインは母親や嫁探し。 | 主人公は王様の息子だが光の教団に奴隷として扱われていた。 |
体 | 1995 | DQ6 | 自分探しパートがあるものの基本的には魔王と大魔王をたおすことが目標。 | 主人公は表の世界では王子 |
体 | 2000 | DQ7 | 大陸と天上の神殿を復活させ、魔王を倒すことが目標。 | 主人公は漁師の息子 |
体 | 2004 | DQ8 | 道化師ドルマゲスの呪いでカエルに帰られた王とお妃の魔法を解くために旅する。後半はどこからか現れた暗黒神との戦い。 | 主人公は18歳の元近衛兵。 |
- | 2009 | DQ9 | 不明 | 主人公は天使 |