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Sep 23, 2008

【奇跡の弟者】 弟者のカフェオレ

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割と最近の弟者(小)の話。

ある日、冷蔵庫の中に牛乳パックがあり、中には牛乳が一口分くらいしか残っていなかった。 兄者は飲み干してパックを捨ててしまおうと思い、牛乳パックを手に取った瞬間に弟者に鋭く呼び止められた。

「待って!こっちを先に飲んで、はい。」
未開封の牛乳パックを渡される。一口しか残っていないパックを嬉しそうに抱える弟者。

兄「え?古いのから先にのまないと!そのちょっとだけ残ったパックはどうすんだよ??」

「カフェオレにする。」

兄「ん? カフェオレ??」

「これをパック毎、思い切りふると牛乳が泡立ってカフェオレみたいになるから、 それをコーヒーに混ぜるとカフェオレ気分。いつもやってる。

兄「そうか。。。」

弟者くらいのレベルに達すると筋肉だけでスチームミルクすらこしらえてしまうのである。 嬉しそうにシャカシャカと自分なりのカフェオレを作る弟者を見て、さすがの兄者も涙が止まらなかったという。

Sep 15, 2008

ぼくのなつやすみ

 
そろそろ稲刈りの時期が近づいている。(写真は本文と関係なし)

先週は丸々一週間の休みをとって主に実家で静養した。遅い夏休みである。実家には時々帰っているが、いつも東京にとんぼ返りするので、こんなに長く帰っていたのはおそらく10年ぶりだ。

母方の祖父母を訪ね、今は長野で暮らしている昔の友人を訪ね、日帰り温泉に行き、アウトレットで買い物をしなどと休みらしいこともしてはみた。しかしメインはあくまで食べて寝ること。この時期の長野の気温はここちよく、よい静養になった。

介護をする者、介護される者、間を繋ぐ者

父方の祖母は今年92歳、年の割には元気であるものの、体力の衰えは確実に加速していて、お風呂に入るのも一苦労。いよいよもって本格的な「介護」を要する状態になってきた。そんな祖母を支えるために母親は長年続けてきた仕事を辞め、介護に専念することとなった。辞めた仕事というのは、母親が勉強してきた専門知識を活かせる数少ないものであり、個人的に母親がその辞めることには反対であったが、祖母が一人でいられないのだから仕方ない。

最近ではデイケアセンターというものがあり、昼間だけお年寄りを預かってくれたり、お風呂にいれてくれたりする。そういうところを利用すれば母親や家族の負担も大いに減るのだが、祖母はデイケアセンターを頑として拒むのである。

当初、このデイケア行きを拒むのは祖母の単なる我が儘と思っていたのだが、実家で色々な人から話を聞くとそうとも言い切れない面があることに気づかされる。たとえばデイケアセンターにいけば昼間から幼稚園よろしく歌を歌ったりゲームをしたりする。それが楽しいと思えるお年寄りとそうでないお年寄りがいるのは当然である。デイケアセンターにいけば他にも沢山お年寄りが来ていて、話し相手に困らないとも言われている。果たしてそうだろうか?人は年をとるにつれ、自分と似た層の人間とだけしか交流をもたなくなる。そんな状態で90歳を超えてから、デイケアセンターに来る見ず知らずのお年寄りと仲良くできるものだろうか。

介護する側にしてみれば、助かるデイケアセンターである。しかし介護されるお年寄りからしてみたらそこに行けば、自分の存在が「私」から「一老人」に成り下がり、みな均等に扱われてしまうのである。祖母が感じているのは、単に肉体的に居心地の悪さだけでなく、100年近く生きてきた自己が軽く扱われることにたいする危機感なのかもしれない。

このことを僕に教えてくれたのは母方の祖父母だ。現在八十台でまだ自活している二人は、介護される側の心理も介護する側の心理もよく理解しているのだった。二人を訪ね、話をして、父方の祖母に対する僕の考えが偏っていたことを思い知った。

この手の問題については正しい解が用意されているわけでない、本人と周囲の人間がその時々にお互いの意思を確認しあって、最善とおもえるものを選ぶしかない。しかし、「周囲の人間」ができるだけ多様な立場、考え方を持つ人であることが大事である。そんなことを感じたのであった。

 

 


ドライブ中の道の駅で撮影


「ちょっとお味噌買ってきて、ハイ」と渡された小銭入れ。結局味噌屋休業のため、ガキの使いで終わった。


祖父母宅の畑がなにやらリニューアル中。

 
家の周り。ツアーバスが来るほどに観光地化がすすんでいる。

 
逆光の小学校

車での移動中は退屈だったのでコブクロのシングルコレクションをループ。
君という名の翼は沁みた。

Sep 7, 2008

【奇跡の弟者】 憂鬱な銀杏拾いと音速の婆者

憂鬱なギンナン拾い
兄者の家には大きなイチョウの木があって、毎年秋になると頼んでもいないのにギンナンが鈴生りになる。兄者と弟者がもっとも嫌いな行事、「ギンナン拾い」が今年も催されるのである。
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今も元気なそのイチョウの木
「ギンナン拾い」の手順はこうだ。

  1. ギンナンの木の根元から半径3m以内に古新聞を敷き詰める

  2. ギンナンを落とす。1)長い棒で枝をたたいて落とす、2)イチョウの木に登って枝をゆすって落とす、の2つのパターンがある

  3. 割り箸もしくはゴム手袋をしてギンナンを拾ってはビニール袋につめる

  4. 2と3を繰り返して新聞の上からギンナンがなくなったら終了


兄弟がこの行事が嫌いな理由は色々ある。
まず子供はギンナンの味が嫌いだ。さらにギンナンは臭い。
なによりの理由は兄者が単純作業を苦手としているという点だ。ギンナン拾いはイチョウの葉をよけながら地面に落ちた無数のギンナンを拾ってはビニールに詰めるという作業を黙々と2時間くらい行う。チマチマした作業が昔から大の苦手な兄者にとっては苦行でしかない。
音速の婆者
というわけで母者や父者の目を盗んでは弟者(大)とギンナン合戦をはじめたり、「いやぁ生のギンナンはおいしいなぁ!」とモグモグする迫真の演技を弟者(小)に見せつけたりと、なんとかして単調な作業にアクセントを加えようとする兄者であった。しかしそんな兄者を見張っていて、「口じゃなくて手を動かしなさい!」と鋭く叱責する人物がいる。
婆者(ばあじゃ)である。
「矍鑠(かくしゃく)とした」という形容詞はまさにこの人のためにあると、親戚の誰もが認める婆者。座右の銘は「働かざるもの食うべからず」の婆者。ギンナン拾いをサボろうとする兄者と弟者に向けられる視線はまるで受刑者を厳しく監視する看守のそれである。
そしてギンナン拾いをする婆者はすごい。なにがすごいって高齢にも関らず、割り箸を巧みにつかって弟者の2倍のスピードでギンナンを拾うところである。

  • 「サッ(イチョウの葉を割り箸でよける)」

  • 「パシッ(割り箸でギンナンを正確無比にキャッチ)」

  • 「ザッ(ギンナンを手元のビニール袋へ、この時目線は次のギンナンへ移動している)」


この一連の作業が流れる川のようにスムーズに行われるのである。
「うちの婆者はギンナン拾いの人間国宝」と紹介したら、誰もが納得してしまうに違いない。それほど見事なものであった。
戦後の混乱の中で4人の子供を育てあげた婆者。その婆者の背中から兄者と弟者は額に汗してコツコツと働くことの尊さを学んだのである。
都会のギンナン
こうして敬愛する婆者同志のもとで、社会主義的労働価値観の薫陶を大いにうけた兄者はやがて上京する。兄者を待っていたのは無意味にオサレな消費生活、かわいい女の子、そしてイチョウ並木であった。
ある日、そんな都会育ちの華やか女子大生達が「キャンパスのイチョウ並木で踏んじゃったの!」「ありえなーい」「くさーい」などギンナン一粒に過剰な反応をしていた。
「昔は毎年家族でギンナン拾いしててさ、婆者が早くて!・・・」とは言い出せないどころか「まじ?ありえね!」などとのっかってしまった兄者を責めないでやって欲しい。
ギンナンなど見たことも聞いたことも無いですよ、むしろギンナンて食べられるんですか?的リアクションを貫徹した兄者を、どうかどうか責めないでやって欲しい。
(婆者は92歳。今も元気です。)