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Dec 6, 2015

11月の光景

11/1 時計をオーバーホールにだす。本体には何も問題ないが革ベルトが痛む。金属ベルトをかってもよいのかもしれない。ついでにリュックサックを買い直したり、ノートカバーと整髪料を買ったり。久々に散財
夜、妻が墓参から帰宅。おみやげにベルトをもらう。

11/5 香港から取引先来日。食事を持ちかけられるも時間があわず会えずじまい。
引越しの見積もり依頼する。

11/6 元同僚と神田で飲む。リュックサックがお揃い。 
11/8  義父を含め家族で食事    

11/9 仕事で両国へ。ランチにちゃんこ鍋をいただく。おっきな豆腐をネギ醤油が入った味の濃いタレでいただく。美味しい。が、何をもってちゃんこ鍋なのかは未だによく分からない。
オリンピックを控えることもあり、都内のホテルはどこも強気の価格らしい。

11/10 この前の週に沖縄で開かれた会議の関係で海外からのお客さんが突発的に増える。結果10日と11日で面会1件、ランチ1件、ディナー1件。

11/12
夏におこなった高校生向け講座のアンケート集計結果がとどく。質問がまったくなかったことが軽くトラウマになっていたあの件である。アンケートを読むと話した内容自体はきちんと伝わっていることがわかって一安心
夕方、恵比寿でアフリカ関連の説明。最近日本企業から立て続けに「アフリカの話が聞きたい」と依頼があった。
深夜の電話会議。

11/13実家へ。
母方の祖父母の家に顔をだす。いつ行ってもお菓子や果物をかなり強くすすめてくれる。もちろん嬉しいが断り方も工夫がいる。何はともあれ夫婦揃って元気そうでなによりである。

11/14,15
実家近くに入院している父方の祖母を見舞う。点滴だけで栄養を摂っている状態だが、様子は安定していて年明けまでは大丈夫だろうなという印象をうけた。耳元で呼びかけても反応はなかった。

その後義理の母、義理の姉とその旦那さんを実家にお迎えする。みんなで温泉へ。天気が悪かったのが残念だが、楽しかった。なにより妻の家族のみなさんに地元のことを知ってもらえてよかった。




両親から様々なおみやげを貰って夜遅くに帰宅。
帰りの電車は指定席がとれないどころか、自由席も通路まで人があふれる状態。身重な妻も立ったまま東京へ戻る。長野新幹線が北陸まで伸びた影響で電車が混んでいる気がする。

11/16
朝一で羽田から韓国へ。喫茶店でプレゼン資料作成。ホテルの自室で恩師と打ち合わせ。夕食を一緒にとる。
『IPv4もそうですけど、技術者は同じ過ちを繰り返しますね。利用が増えるのを少なく見積もってあとから拡張に迫られるというのが大変おおいです。』 
みんなSuguruの復活を信じている。
合間にホテルからほど近い景福宮に立ち寄る。ちょうど衛兵の入れ替わりの時間だったらしくよいものが見れた 


11/17
イベントで講演。参加者の少なさが気になるが、与えられた枠でしっかりアピール。
韓国料理好きとしては、ソウルでの食生活は恵まれているのだが、コーヒーだけはまだまだ改良の余地が多い気がする。
夕方レセプション。
夜電話会議。出張中の電話会議はまた格別な辛さがある気がする。議題がややこしく、結局深夜2時頃まで。 
ランチのお寿司(韓国風)が秀逸

11/18
イベント2日目でも講演。フライトのためイベントを早退して帰国。
帰りしな初めて金浦空港横のロッテデパートに立ち寄ったが、お土産物コーナーの品揃え豊富でとてもよい。おすすめ。


11/19
打ち合わせの多い日。朝から竹橋→六本木→竹橋→溜池山王で打ち合わせ。六本木では大学の先生にあって経費精算の書類に印鑑をいただく。いろいろと公私にわたる助言をいただく。先生もいろいろ大変だったんだなぁ。。。

11/20
夕方、同じチームの仲間が用意に奔走していたセミナーに顔を出す。参加者の顔ぶれがかなり変わっている気がした。会場からの質問も鋭いものが多い。同僚のプレゼンは堂々としていてよかった。そして質疑応答で答えに窮した同僚を別の同僚がフォロー。ナイスチームプレー。
夜電話会議。

11/21
大型家電量販店に新居につけるエアコンを下見にいく。新製品の時期で、特に昨年の商品が安くなるらしい。下見だけのつもりが結局3台買ってしまった。
ついでに服を選んで買ってもらう。今まで冬物が少なかったのでよかった。

11/22
大学図書館で論文コピー。
夜、昔よく行った居酒屋に行く。引っ越す前に一度来たいと思っていた。自家製ポテトチップスがいつもどおりおいしかった。またいつか。

11/23
前日に続き大学へ。
夜10時過ぎに母親から電話。祖母が亡くなったとのこと。つい9日前は元気だったので、驚く。できるだけ早く実家に帰ろうと決断。
その後また電話会議。葬式出張で2週間はいないものと思ってくれ宣言する。

11/24
朝早くに実家へ戻る。
前夜母や伯母、弟達が遅くまで頑張ったおかげで、祖母は自宅に安置されていた。すでに親戚がちらほら。
午後、伯母つまりは祖母の娘達やその家族が到着。賑やかになる。
夕方、喪主でもある父が出張先から緊急帰国。
通夜が28日、告別式が29日ということで日程が決まる。28日夜にコンゴに出発する必要があり、参加できないことになる。 
夜電話会議、出発を1日送らせてせめて通夜だけでもでれるようにできないか調整。

11/25
午前11時から枕経。ほぼ1日葬儀屋さんとのあれこれ。いわゆるおくりびとがやってきて祖母に最期のお化粧をほどこす。
自分の出張の日程変更はむずかしいようであるので、葬儀/告別式の出席をあきらめる。仕事で頑張ることが祖母に対する一番の供養と考えるようにした。
夜、下の弟とちょっといい酒を家で飲む。

11/26
喪中の連絡のはがきを印刷。親戚の子供に遊んでもらう。
親戚向けに当日の日程表を作って送る。
実家を発つ直前に最後に祖母と向き合う。今までずっとバタバタしていたので部屋に祖母と自分だけというのはこの日が初めて。火葬は3日後。たった3日後には祖母という「物体」がこの世からなくなるんだということを実感し、しみじみと悲しくなる。

新幹線で東京移動。2時間だけオフィスで仕事をする。午前中まで頭のなかには葬式のことしかなかったので、仕事の質の高低差がすごい。
明後日からのアフリカ出張の打ち合わせや、緊急の仕事を手早く片付けて帰宅。体力の限界を感じて、夜の電話会議は不参加。

11/27
朝から家の契約などのために、区役所・法務局などを回る。
夜の便で成田から香港、エチオピア経由でコンゴへ出発。 
機内で何冊か本がよめた。『世界史で学べ!地政学』は池上彰を彷彿とさるこなれた解説で最近読んだもののなかでは出色の一冊。『インターネット・ガバナンス 世界を決める見えざる戦い』 はちょっとむずかしかった。

11/28
コンゴ着。雨季の終わりとは聞いていたが暑い。
ホテルやレストランのスタッフの感じからコートジボアールを思い出す。
空港から直接会議に直行。予想よりもフランス語しか話せない参加者が多そう。 

11/29
コンゴでの仕事初日。コンゴ人は話好きである。アンゴラ人も。
夜はホテルの横のレストランで食事。原油採掘で汚染されまくった海をながめながらビール。
同じ頃行われている祖母の葬儀思いを巡らす。 

11/30
昼前、普段は超健康な同僚がダウン。コンゴの病院へ駆け込む。
今までアフリカに何度もいって体調を大きく崩さなかったのは、私や同行した当時の同僚たちが幸運であっただけであり、誰もが一寸先は闇ということを思い知らされる。
大変な一日だった。 
ポワントノワール駅。アフリカでも駅の周りは概して治安がよくない

しかし持つべきものは友である。ありがとう!

愛用のバッグとお別れ

最近覚えた油そば風そうめん。(めんつゆ、オイスターソース、ごま油を麺と和えるだけ。)