テーマが大きすぎて文章がまとまらないけど、とりあえずアップして後で余力があったら書き足すことにする。
クライマーズ・ハイという本を読んだ。『半落ち』で有名な作家横山秀夫の作品で日航機の御巣鷹山墜落を当時の群馬の地方新聞のベテラン社会部記者である悠木を主人公に描いた力作である。主人公が事件の一報を知った瞬間はこんな感じだ。
怒号ともつかぬ声が渦となって局を包んだ。「やられた!」誰かが発したその台詞が、局員全員の気持ちを言い当てていたかもしれない。
追い打ちを掛けるように「ピーコ」が乗客乗員数を流した。
五百二十四人------
部屋が一瞬、静まりかえった。
<中略>
「単独の航空機事故としては世界最大!」
資料室員の声を合図にフロアが正気に戻った。
「外回り全員のポケベルを呼べ!」
「東京だ!羽田を当たらせろ!」
「日航に電話ぶち込め!乗客名簿を急がせろ!」
悠木はドアの前に棒立ちしていた。
心に火が点いていた。
現場に飛びたい。
『クライマーズ・ハイ』横山 秀夫より
直後に”日航全権デスク”に任命された悠木は、様々な興奮と高揚と失望とをごちゃまぜにした一週間を過ごす。ちなみにクライマーズハイとは登山家が極限の恐怖に興奮状態になる状態のことで、筆者は大事故の後の主人公の奮闘を山登りになぞらえている。毎週月曜の朝になると「大地震が起きて会社も仕事もリセットされないかなぁ」と非日常を願うそこのあなたにうってつけの本だ。
で、その本を読んで大いに感銘を受けた後に、今度は放置していた蟹工船を読み始めた。プロレタリア文学の代表として知られている蟹工船は最近再流行しているらしいのだ。
ジイ――、ジイ――イと、長く尾を引いて、スパアクルが散った。と、そこで、ピタリと音がとまってしまった。それが、その瞬間、皆の胸へドキリときた。係は周章(あわ)てて、スウィッチをひねったり、機械をせわしく動かしたりした。が、それッ切りだった。もう打って来ない。
係は身体をひねって、廻転椅子をぐるりとまわした。
「沈没です!……」
頭から受信器を外(はず)しながら、そして低い声で云った。
「乗務員四百二十五人。最後なり。救助される見込なし。S・O・S、S・O・S、これが二、三度続いて、それで切れてしまいました」
それを聞くと、船長は頸とカラアの間に手をつッこんで、息苦しそうに頭をゆすって、頸をのばすようにした。
<中略>
――蟹工船はどれもボロ船だった。労働者が北オホツックの海で死ぬことなどは、丸ビルにいる重役には、どうでもいい事だった。
『蟹工船』小林多喜二
・・・蟹工船の冒頭に近い部分では425人の人がやけにあっさりと北の海の藻屑となっていた。もう少し場面を説明しておくと、物語の舞台となる蟹工船はオホーツク海のロシア領海近くで蟹をとって缶詰にするという作業をしている。舞台となっている蟹工船以外にも同様の船が数隻近くで同じ作業をしているわけである。
この直前の場面ではそんな数隻の一隻秩父丸が沈没しかけ、近くの船に必死で救助を求める信号を出す。当然のように救助に向かおうとする船長に対して、監督は秩父丸を見殺しにするように指示をする。救助に向かったら漁獲が減るし、秩父丸には保険がかけてあるので沈んだ方が会社が儲かることを理由にである。
作中とはいえ、こうあっさり425人も見殺されて、クライマーズ・ハイの感動がなんとなくしらけてしまった。
524人と425人。死んだ人の数にほとんど違いはない。にもかかわらず、それぞれの事件が「歴史に残る大惨事」と「どうでもいい事」というとらえ方をされていることが僕を混乱させるのである。
524人死んだくらいで、人が右往左往する現代の日本に生まれて自分は幸せであると思ったし、蟹工船を読んで「ここに登場するのは私たちの兄弟だ」などと言っている人の気持ちが全く分からなくなった。