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Mar 15, 2013

イイね!のインフレーション


イイね!インフレーションが起きている

私がFacebookを使い始めたのは2006年のことである。その頃からのFacebookユーザには是非自分のタイムラインをさかのぼっていただきたい。気づくはずだ、その当時Facebookでイイね!はほとんど使われていなかったということに。イイね!ボタンはあった。しかし我々は律儀にコメントしていたはずだ。たとえそれが「いいですね!」の一言であっても。

翻って2013年、街にはイイね!があふれている。「あー、仕事大変!」というぼやきに10イイね!、ありふれたラテアートの写真に50イイね!結婚でもしようものなら100イイね!は堅い。
昔なら5つイイね!を押してもらえたら、ちょっと優越感に浸れたのに、いまや「え?10イイね!だけ?」と感じる始末である。明らかにイイね!の価値は下がっている。

イイね!インフレの要因

イイね!インフレは直接的にイイね!の供給過多によって引き起こされた。ではなぜイイね!が供給過多となったか?理由を考えてみたい。

イイね!労働人口の飛躍的増加
2006年、それはMixi黄金期であった。Facebookは英語でかかれたよくわからないサイトというのが巷の評価だった。当然ユーザは少ない。ユーザが少ないと言うことは知り合いもFacebook上に少なかった。
それが今や一億総Facebook時代である。市長の号令で、市のホームページまでもがFacebookにつくられる時代である。私のネットワークにはずっと音信不通だった中学の同級生、マレーシアの山で一度あっただけのノルウェー人バックパッカーまでいる。
2006年とくらべて私のFacebookへの投稿を目にする人の数は確実に増えている。多くの人と繋がっている、ゆえにイイね!が積み重なる。

イイね!の質的変化
イイね!を押す我々の心境も変化してきた。
  • うーんコメント考える時間がないな、とりあえず押しておこう。→ コメント面倒イイね!
  • 田中部長またヨサゲなレストランにいった時の写真をアップしてる。たまには部下におごれよ?まぁいいや、ポチ→接待イイね!
  • なになに、アフリカには飢えている子供が今も、ふーん・・・一応社会問題に興味ある姿勢示しとくか、ポチ→公共イイね!
大してイイね!と思っていなくてもイイね!を押してしまう。人間とは面倒くさい生き物である。

イイだろう!の増加
私生活のあれこれにイイね!の数という見た目に明らかなインデックスを与えられた我々は、どうせならイイね!してもらいたいと考えがちである。
その結果、受け手の目線を意識した、イイね!が増えそうな内容を書き込みがちになる。
書きっぱなしのTwitterが馬鹿発見機となり、Facebookがリア充アピールの巣窟となった原因は、受け手の目線をどれだけ意識しているかの差が生み出した。

イイね!強迫症などの増加
最近私は、近所のバーテンダーさんと友達になった。彼はチンプンカンプンのはずの情報セキュリティの話であってもかならずイイね!してくれる。
これは接待イイね!ではないか?心優しく、仕事の忙しい彼に余計な気を遣わせているのではないか?そう心配した私は、直接彼に伝えた。「毎回イイね!を押す必要は無いんですよ。」と。いつも通りの穏やかな笑顔で彼はニッコリと応じた、「僕、そういう性分なんです。」と。
イイもワルいも関係ない、とにかくイイねを押さねばならない。そういう思いに駆られる人はもはやイイね!強迫症と呼ばれてしかるべきだ。マジメで几帳面な人にその傾向が顕著だ。
マジメなだけにイイね!を地道に量産する。インフレは加速する。

ノールックイイね!
日頃の生活を振り返り、殊勝な心がけを割と長文で書いたとき、イイね!がすぐに3つもついたらうれしいものである。誰がイイね!をしてくれたのか確認する。
私はそこで、3人がフィジー人とスーダン人とケニア人であることを知る。な、なぜだ?もちろん誰一人日本語を読めない。
賭けてもいい、彼らはノールックでイイね!をたたき込んだのだと。世界は広いのである。

Facebook社によるイイね!緩和
本来イイね!の適切な価値を維持する役割を担う、Facebook社は意図的にイイね!安を引き起こしている。
たとえば先日のFacebookアプリのバージョンアップでイイね!ボタンが目立つ位置に大きく表示されるようになった。もっと気軽にイイね!してくださいというFacebook社の姿勢の好例である。その様はどこぞの中央銀行が金融緩和にひた走る様を彷彿とさせる。
「イイね!の番人」たるべき場を統べるものが、適切な価値を維持する役割を放棄し、ここにインフレは暴走機関車の勢いで加速する。

そして始まる「どうでもイイね!」時代

このおそろしいイイね!インフレの行き着く先にはどうでもイイねシンドロームが待っている。イイね!100個なんてなんて日常茶飯事、どうでもイイね!と感じられる時代である。ユーザーは常に新しい刺激を求めるのだ。
一度イイね!を緩和したFacebook社にインフレを止めるすべはない。シリコンバレーの優秀な頭脳を結集し、彼らはユーザを飽きさせないためにイイね!の増量を決意する。
そして、とてもイイね(イイね!2つ分)ボタンを導入し、さらにはゴールドイイね!(イイね!5つ分)を始める。
あとは10年に一度のイイね!(イイね!10個分)、10年に一度のイイね!をさらにうわまわるイイね!(イイね!15個分)、人生最初で最後のイイね!(イイね!100個分)と転落していく。最終的にマンモスイイね!を導入した直後に、サンミュージックの優秀な顧問弁護士により訴えられ、これを機に王国は崩壊するであろうというのが私の見立てである。

げに恐ろしき「どうでもイイね!」時代を生き残るにはどうしたらよいか?

簡単である。Mixiにもどるのだ。あのどうにもパッとしない、もっさりとした、しかし暖かいオレンジの世界に我々は帰るのだ。


最後になるが、このポストに関しては皆さん全力でイイね!を押していただきたい。お付き合いでもノールックでかまわない。そう私は細かいことは気にしない。しかしイイね!の数は気になる人間なのである。


お詫び:
2013年3月14日に公開した、イイね!のインフレを指摘するレポートにおいて、一部インフレをデフレと誤記しておりました。お詫びして訂正いたします。
なお、かような初歩的かつ重大な間違いを含む文章について既に11のイイね!をいただいており、図らずも筆者が指摘する、ノールックイイね!が(筆者の想像以上に)はびこっていることが証明されました。
イイね!中央銀行 チーフエコノミスト