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Sep 23, 2016

SGR2016スピーチ原稿

SGR2016というチャリティカンファレンスで山口英先生についてスピーチをさせていただいた。先生を惜しむ人が全員チャリティカンファレンスに参加できたわけではもちろんない。イベントの趣旨からも内容は参加できなかった方にも伝える必要があると思い、ブログに置いておく次第。









改めて山口先生のご冥福をお祈りします。

Aug 28, 2016

8月の光景

諸事情により8月1日ー26日までを「8月の光景」として本エントリにまとめた。

まとめると禁煙と論文を書くことだけは頑張った。

8月1日
トランプの指名受諾演説をよむ。選挙についてはあえて何もいうまい。サイバーセキュリティを生業とする立場からは、大統領選を通じてクリントンの私用メール問題が争点として尾を引いていることは注目に値する。
夜、品川で飲み会。2018年春のイベント開催に向けた打ち合わせ。随分先だ。

8月2日
虎ノ門にあるエクセルシオールカフェは霞が関での会議の前後の時間調整に重宝する場所である。朝早くにそのエクセルシオールカフェを訪れたら、知り合い2人が打ち合わせをしていた。
終日会議。 結果はこちら

8月3日
午後GSECへ。

8月4日
昼、寄稿したIPA情報セキュリティ白書に関わったメンツでお昼ごはんという珍しいイベント。この白書は、編集者が優秀で、全体的なクオリティ高いのでお勧めである。
夕方、虎ノ門にあるエクセルシオールカフェで今度は指導教官の先生と打ち合わせ。

8月5日
午後からCISSPという情報セキュリティ資格の有資格者の集まりに顔をだす。資格の裾野が広がっている。新顔の人ともっとお話できればよかったと帰宅してからちょっと反省。


8月9日
朝起きたら妻が体調悪そう。子供をひきとってしばらく休ませる。会社遅刻。
以前から御世話になっていた取引先の方が、起業されることになった。しかもその業務がわりと近い分野ということで、その方と同僚とでお昼ごはんに。

8月10日
イヤフォンがまた断線。消耗品と割り切れないのでやるせない。
もっとひどいのはBOSEのノイズキャンセリングヘッドホンである。QC3,QC15と使っているが、耳に当たる部分などが機械より先に「へたる」。そして部品の交換ができないというね。。。
8月11日
国際団体の理事会で、来年度そして再来年度の仕事の分担の議論はじまる。大学院もあり、私生活も忙しくなる中どこまでを引き受けるかはよくよく考えないといかん。
夜、近所にお好み焼きを食べに行く

8月12日
午後会社を早退。久しぶりに妻外出のため、家で子供を寝かしつける。

8月13日
朝5時半に自宅発。実家に向かう。到着後すぐに墓参し迎え盆。13時半過ぎ盆の法要。親族が大勢集まって賑やかな祖母の新盆だった。ひ孫も沢山集まって祖母もきっと喜んでいるだろう。

つい先日生まれた甥っ子にも初めて会う。小さいが元気である。

8月14日
真田丸フィーバーに湧く上田市を満喫すべく市の文化施設で開催されている真田丸特別展を見に行く。蟄居中であった昌幸、信繁が金品を送ってくれた支援者にたいして送って礼状などおもしろかった。

夜東京に戻る。 



8月16日
定例となる深夜の電話会議。今回は夜中の1時まで。その後3時位まで寝付けず。

8月17日
近くにタルトが美味しいケーキ屋を開拓。今の会社につとめてちょうど10年になるが、今まで足元と行ってもいい場所にあるこのケーキ屋を知らずにきた。つねにどこかに新たな発見があるという謙虚な気持ちを私生活でも仕事でももちづづけたいものである。
なおこのケーキ屋はバイトのお姉さんもかわいい。 

 
中国出張中に自宅に送った絵葉書が到着。5月中旬に投函したので約3ヶ月。これは届いたからまだいいほうで、過去にベルギー、モーリシャス、タイから送った絵葉書は完全にどこかに消えた。一瞬で届くインターネットは素晴らしいな。

8月18日
ワシントンDC出張で行きあった人などの縁で品川にある会社を訪問。元上司にも久しぶりにあう。素晴らしく綺麗なオフィスで昼食をごちそうになる。 
帰社する際にスコールと鉢合わせる。東京は熱帯気候の自覚をもったほうがいいとおもう。
デモ機を並べるのはいいんだが、OSの更新求める(左)、なんかアップデート中(中)、WIFIつながってない(右)と悪い意味のデモンストレーション。


8月19日
山口先生の功績についてメディアの取材うける。来月のSGR2016の準備も順調にすすんでいるようである(伝聞)。僕もなにか喋る機会があるようである(希望)。

8月21日
ある『文民警察官の死』を見る。

1993年5月4日。タイ国境に近いカンボジア北西部アンピルで、UNTACに文民として初めて参加していた日本人警察官5人が、ポルポト派とみられる武装ゲリラに襲撃された。岡山県警警視、高田晴行さん(当時警部補・33歳)が殺害され、4人が重軽傷を負った。湾岸戦争以来、日本の悲願であった人的な国際貢献の場で起きた惨劇は検証されることなく、23年の月日が流れた。しかし、今、当時の隊員たちが重い口を開き始めている

硬直的な日本の制度が自衛隊の派遣を許さなかったのは仕方ない。しかしその結果警察官の人命を危険にさらすことは許されるのだろうか。アンピルという危険地域に派遣された、亡くなられた高田さんの同僚の警察官が、現地で非常に安く手に入る小銃を買って、いざというときに備えていたという告白が衝撃的だった。それを「ルール違反」として咎めることは難しい。

8月22日
香港から友人が来るのに合わせて飲み会を開く。東京近辺にすみ、セキュリティ業界で働く、外国人コミュニティというのを緩やかに作ることを目的として、これを毎月開催することにした。
英語堪能だったり、コミュ力が高い同僚がいるので、僕の仕事は案内メールおくるだけ。
台風のため山手線が止まるとか、危なっかしい状況下で人が沢山来てくれたのがありがたい。

8月24日
今年の後半に行くサウジアラビア出張だが、手続きが今まで訪れた色々な国と比べても格段にややこしい。幸い会社の管理部門の人は手馴れているので問題にはならないだろうが。
サウジアラビア国内でVPNを使うと逮捕されるという報道もある。

8月26日
引き続き図書館で調べ物。

たまたま書架に並んでいた「海底線百年の歩み」という日本電信電話公社海底線敷設事務所が編んだ本を読む。上海事変で便衣兵に襲撃された電信局舎の修繕の様子や、太平洋戦争末期に次々に沈められた ケーブル敷設船の記載など。読んでいて涙が止まらなくなる
 現在のNTT-WEマリンという会社が長崎に関連する史料館を持っているらしい。長崎に行く機会があれば是非立ち寄りたい。

夜録画していたバケモノの子を鑑賞。おもしろい。

最近よくいく一橋大の図書館
素敵なマンホール
奇妙なうごきをするアルパカ

Aug 10, 2016

7月の光景


今更であるが、スノーデン事件の発端となったジャーナリストによる映画シチズンフォーを見た。
最大の見どころは、安定した待遇を捨て、香港のホテルで物音におびえる生活をするスノーデンをカメラに捉えているところにある。
寝癖を直すスノーデン、ひげを剃るスノーデン、テレビに繰り返し流される自分自身を冷えた目線で眺めるスノーデン、恋人とチャットして涙ぐむスノーデン。 
僕には常識と正しい倫理観を持ち合わせた普通の人物に見えた。

さて7月の光景をば。。。

7月1日 (金)
ダッカで邦人7名がテロリストに殺されるというニュースが飛び込む。痛ましい事件である。ダッカで予定していた会議について会場変更するのかなどをメールで相談する。事件が起きたのは安全なエリアにあるオシャレなカフェ。ここでおそわれるならどこで食事をすればいいというのか。

7月2日 (土)
東京都議会選挙期日前投票。その後美味しい中華ランチ。 
麦茶の季節はじまる

7月5日 (火)
環境保護団体に攻め込まれる日本の企業と前職の先輩との打ち合わせをアレンジ。サイバーセキュリティも象牙も自らの事情を国際的に説明する努力を怠ってはならない。

7月8日 (金) 
有給をとって、実家へ帰省。
地元の焼きそばの名店。こうやってテークアウトできるとはしらなかった

7月9日 (土) 
人見知り激しく号泣する娘。夜縁側にバーベキューセットを出して、焼き鳥パーティー的な催し。

7月11日 (月)
イギリスから短期留学中の研究者とビールを飲みにいく。昨年まで修士をしていた後輩があとから加わる。

7月12日 (火)
アメリカ大使館で観光・商用のマルチビザの手続きに行く。時間5分前にいったのだが、前に400人以上の先客がいてびっくりする。これから留学する学生さんが多かったように思う。大使館は荷物持ち込みルールが厳しい。



7月13日 (水)
アフリカでもらった賞について会社のWebサイトにリリースが掲載される
http://www.jpcert.or.jp/english/pub/2016/PR20160617_africacert-award.html


7月15日 (金)
久しぶりに仕事で武蔵小杉に。駅の周辺が変わりすぎて迷子になりそう。懇親会で使った中華屋が美味だった

7月16日 (土)
車がリコール対象というお知らせが数ヶ月前にきていた。運転席エアバッグに不具合があるらしい。この日修理作業をしに行く。作業を店舗で待つ間に本を一冊読了。

7月17日 (日)
都知事選期日前投票に行く。毎回そうだけれど、今回は本当に誰に投票するか迷わされる選挙だった。
図書館でプトレマイオス世界図の展示というのをやっていたので見に行く。「驚くほど精確」というわけではない。
地中海と北アフリカ近辺
7月18日 (月)
学生時代の友人とその奥さんが遊びに来る。オシャレな羊羹もらった。

7月19日
弟の家に赤ちゃん誕生し、甥っ子が増える。

7月21日 (木)
2日連続で朝7時台の電話会議。

7月22日 (金)
産休中の同僚が娘をつれて会社に遊びに。丸々してて元気な赤ちゃん。

ポケモンGo配信開始。イーブイの名前をSparkyにしてから進化させると必ずシャワーズになるんだとか。

7月23日(土)
研究。とりあえず書きかけのファイルを毎日開く。

7月24日 (日)
久しぶりに成田エクスプレスを使って空港へ。現地時間13時頃米国着。ディナーを一緒に食べる予定だった取引先に電話したら、「今、パリ。8月の24日だと思ってた」と言われる。メールを見返したら自分が8月24日に誘ってた。残念。

7月25日 (月)
午前会議、ランチはフォー、午後ホテルで打ち合わせと仕事、夜中華料理屋で会食
アメリカではタバコを吸える場所が少ない。この出張は団体行動が多く、タバコを吸える時間があるかもよくわからない。ということで禁煙することにした。



7月26日 (火)
終日会議。夜久しぶりに会う人とご飯。
7月27日 (水)
終日会議。夜会食。場所は先方に任せ、言われるままについて行ったら、まさかの2日連続同じレストランだった。

7月28日 (木)
帰国の途へ。帰りもスターウォーズジェットだった!マイルを使ってアップグレードできたことも含め、今回は飛行機運が大変よい
満席につきヨーダはギャレーに


7月29日 (金)
14:30成田着。月島での業界団体会合へ直行。長旅の疲れを銭湯で洗い流す。

7月30日 (土)
終日ぐったり、ぼんやり。

7月31日 (日)
近所の図書館で2時間勉強、帰宅してから2時間仕事。携帯を落としたら打ち所が悪く、液晶に無数のヒビはいる。
何をやってもうまくいかない日というのはある。



Jul 3, 2016

6月の光景


6月1日 ボツワナで仕事の続き。同僚とメインの講師を受け持つ2日間の初日。滑り出し上々。ボツワナ人は勤勉である。夜はいつもの電話会議。翌々週の韓国のイベントもいろいろ細かいことを相談しないといけない。 
 
6月2日 6月のボツワナは朝晩がキリッと冷えて、過ごしやすい。 長野を髣髴とさせる。
仕事を無事終えて、夜は現地のスタッフや海外からのゲストとディナーに。19時集合ということだったが、人が集まりだしたのは20時くらい。結局寝れたのは24時過ぎ。
6月3日 5日間の研修が無事終了。夜21時から閉会式。馴染みのメンツが、300人くらいの参加者の前で、AfricaCERTの歴史を語り出した。そして「Suguru Yamaguchi」がいなければこの成功はなかったと。その功績をたたえてAfricaCERT功労賞が山口先生に授与された。代理人としてうけとり、必ず山口先生の親族にお渡しすると約束。その後驚いたことに、僕自身とJPCERTにも功労賞が贈られた。思いがけないことだが、その気持が嬉しかった。参考: 「山口先生へ」

6月4日 帰国の日。朝食を旧知の友人と一緒に食べてお世話になった件のお礼をする。9時前にチエックアウト。空港で時間が大分余ったのでローカルチェスをやっているおじさんたちに交じる。

6月8日 インターロップで講演。資料は講師控室でギリギリまで調整する。海浜幕張は遠いねぇ。

6月9日 ソウル出張へ。今回は出張期間がながいこと、僕が理事をやっている団体の活動を妻にも理解してもらいたいということで、妻と子供を連れて行くことにした。朝7時にクルマで自宅を出て羽田空港へ。初めての海外で心配していたが、機内でも娘はわりといい子にしていたらしい。夜、ホテル最上階でステーキ。ゴージャス。 
6月10日 終日会議。昼ごはんはホテルの部屋で待っている家族と近所のモールで食べる。夕方会議が終わってから、いつもなら他の理事と飲みに行くところだが、辞退し家族で散歩してから夕食。サムゲタンはいまいち。ホテルの近くにいい公園があった。
6月11日 終日会議。会議後に翌週の「山口英先生のお別れ会」用ビデオメッセージを撮影する。話していると色々思い出してしまい、言葉につまって、何度かNG出す。理事全員快く協力してくれて感謝。
6月12日 主催するカンファレンスの参加者が続々とソウルに集まっていて、ホテル内をあるけば必ず知り合いに声かけられる状態。翌日の開会式で話す内容の打ち合わせや、スポンサー企業の読み方など確認。夜ウェルカムイベント。懐かしい人達にあえるのはこのイベントのいいところである。

夕食をたべそこなう。
6月13日 カンファレンス初日。5時起きで、ゲストの座席、音響などの最終チェック。9時前に韓国の大臣と初日の基調講演者である大学教授をお出迎え。しばし裏の控室で大臣、教授と歓談した。カンファレンスは定刻通りに始まった。70カ国から670人の参加者を前に主催者の一人として歓迎の言葉をのべる。英語きつい。開会式後に韓国のプレス(30名ほど)のために記者会見。その後に途上国からの参加者との懇談など15分刻みスケジュール。夜はカンファレンススポンサーや現地協力組織、基調講演者などとディナー。娘も参加。キルナム先生といろいろ話す。 
  
6月14日 この週は毎朝、プログラムの開始に先立って色々とアナウンスをする仕事があり、朝寝坊は許されない。朝の挨拶の後に日本の新聞社の取材サポートをする。昼ごろ、部屋にもどって妻のチェックアウトを手伝い、空港へのタクシーに乗せる。父業はこれにて終了である。
午後、アフリカで行うイベントの相談。夜、ホテルから歩いて有志が主催するサッカー大会を見に行く。
6月15日 この週もっとも忙しい日。朝食・昼食含めて全部会議。自社の若手が初めての海外での発表を無事終える。すばらしい。夕方ソウル郊外の競馬場に場所をうつして、カンファレンス参加者で晩餐会。晩餐会の準備についてはこの1年間結構いろいろ悩みぬいただけに、多くの人が楽しんでくれているのを見ながら、とても満たされた気持ちになる。
数名の知人からこの日東京で行われていた山口先生お別れ会の様子をメールなどで教えてもらう。アフリカでの活躍については僕が伝える責任があると思って色々手配したので、参加された皆さんに山口先生はアフリカ「でも」偉大だったということが伝わったのならうれしい。
6月16日 理事をやっているが、その任期は2年。この日の総会で選挙にのぞむ。無事当選。あと2年、組織の国際化に貢献していきたい。これまで一緒にやってきた仲間のうち2人が落選する。選挙の怖さ、いやらしさ、つらさはその経験がない人に説明しにくいが、嫌なものである。
6月17日 お昼前にカンファレンスの閉会式。カンファレンス担当理事のお仕事もほぼ終了である。お昼ごはんを同じ会社の若手と食べる。みんなソウルにいるのだが、座って話したのはこれが唯一。発表を経験した若手2人はそれぞれに達成感と課題を感じていて、期待したい。夕方東京行きの飛行機に乗り、自宅に着いたのは日付が変わって1時過ぎ。 
プエルトリコでまた会いましょう
6月18日 昼ごろ散歩に出て、家の近所で道に迷う。社会復帰しないと・・・
6月19日 日本に一時帰国している友人夫妻とその赤ちゃんとお昼ごはん。対して月齢変わらない友人の赤ちゃんが大きくてがっしりしててびっくりした。夜、一時帰国している義父を囲んでご飯。久しぶりの寿司美味い!
6月20日 ベトナムからの研修生との会議。夜懇親会
6月22日 朝電話会議。午後会議で久しぶりに武蔵小杉に行く。夜懇親会で行った中華料理がとてもおいしかった
6月23日 休暇をとって、丸一日子供の御世話をする。わかっていたけど、重労働である。
6月24日 事務局を務める協議会の年次総会。もはや僕が何もしなくても同僚が全てキビキビ回してくれている。頼もしい
6月28日 霞が関は人事異動の季節で、いろいろとあわただしい。夜八重洲でインターロップで御世話になった皆さんと打ち上げ。

Jun 7, 2016

5月の光景


僕が普段使っている腕時計は、使っていないと2日位で時を刻む事を放棄する。
今月は海外に出張したが、腕時計は家に置いていった。
2週間の出張から戻って、きっちり2週間分遅れた時計の針をもとに戻すには竜頭を根気よく回さないといけない。
竜頭を回しつつ、家族に自分が不在であったときの出来事を聞く。
大した事件はなくとも、色々とつもる話はあるものである。時計の針がもとに戻っても、話は尽きなかった。

アナログな腕時計の良さを再確認した。


5月3日 月1の電話会議で検討しきれなかった議題を話すための深夜の電話会議。課題はあるが前進している手応えがあるので嬉しい。ゴールデンウィークは電話会議と、決断を迫られらるメールが多くてなかなか気が抜けなかった。 
5月4日 午後集中して研究。
5月5日 ステーキ系の肉が食べたいと妻が言いだし、ファミレスで外食。久しぶりだがうまかった。
5月6日 久しぶりに気の置けない友人と二人だけで飲みに行く。地タコ浜蒸しうまい。リフレッシュ。三田にはまだまだいい店ありそう。
5月8日 ホームセンターに苗や種を買いに行く。ついでに肥料。夜寝ようと思ったところにY先生が病院に担ぎ込まれたという連絡。あわただしくなる。
5月9日 昼過ぎにY先生永眠との連絡。しばしボーっとする。深夜まで色々とメール処理。この日から数日ありえない量のメールを裁く。
5月11日 朝、家族のパスポート発行の手続きをするため役所へ。午後奈良へ。夕方にお通夜。奈良は雨だった。ほぼ一番乗りであった。人気のない斎場で顔を見てお礼を言えたのはなにより。奈良近郊のホテル泊。
この日の夜自分が企画していた集いがあったがあえなく不参加。
5月12日 奈良から出社。この日の奈良は雲一つない快晴。その青い空の下にはもうY先生がどこにもいないと思うと急に泣けてくる。午後会社で仕事。
5月13日 韓国で主催する国際会議には各国から参加者が予定されているが、中国とアフリカからの参加者に対して韓国政府がなかなかビザを発行してくれない。韓国の関係者に色々とお願いする。お願いぐらいしかできないねぇ。
5月14日 大学院セミナーがあるが欠席。家で留守番をする。夜たまたまテレビで「サイバー戦争の世紀」ってのをやってた。
5月17日 朝と夜に電話会議。
5月18日 今季一番大きな仕事の打ち合わせ。あきらかに細部を詰め切れてない。でも発車するしかな
い。見切り発車オーライ。なんとかなるでしょ。
5月19日 霞が関の普段つきあいのない人たちにサイバーセキュリティについて説明する。
5月21日 朝からお出かけ。カフェで朝食の後、新緑の玉川上水を散歩 
5月23日 中国の成都へ。パンダの故郷だそうです。空港からホテルまでで一悶着。違うホテルに連れてかれる。アフリカと思えば容易いものである。
5月24日 中国の国際会議に出席。短いプレゼンテーションをする。休み時間にメールでちょっとこじれていた件の当人と話すことができた。直接話せば向こうの言い分ももっともで、前向きな議論ができた。向き合って話すって大事ね。
5月25日 1日聞き仕事。昼間、割と神経を使う仕事。
夜、知人の中国人が成都名物の火鍋につれていってくれた。鍋には肉だけでなく、麺や餃子、わかめ、イカ、かまぼこまで入れる。辛いけど美味しい。瓶から直接のむビールも趣があっていい。大変気に入った。
5月26日 朝一で講演、今度は長めの講演。僕らが進めているプロジェクトに協力して欲しいという呼びかけ。中国語堪能な日本の若者に全面協力してもらって講演の最初は中国語で自己紹介、果敢につかみの笑いをとりにいく。「うける」というよりはみんなたどたどしい日本語をニヤニヤして聞いてくれていた。午後タイへ移動。タイ暑い。
5月27日 タイでお仕事。だんだんバンコクの鉄道システムになれてきた。アソークの繁華街にいい感じのバーを見つけた。
5月29日 夜空港で同僚と合流、アフリカのボツワナに向けて出発。
5月30日 15時頃ボツワナの首都ハボローネに到着。治安はとてもよい。17時ごろホテル会議室で各国から集った同僚と合流する。直前にいろいろなトラブルがあったようで、本来2人で回すはずの教室に講師が1人しかいない。さっそくお手伝いに回る。時差調整には仕事するのが一番か?ホテルのご飯はかなり美味しい。 
 
5月31日 予定では聞き仕事の日だったのだが、やはり想定外のトラブルばかりで講師の一人として自分で言うのもなんだが活躍する。初アフリカの同僚はおもったよりも環境の変化に面食らっていないようで頼もしい。自宅に絵葉書を送る。届くのかな?


May 29, 2016

山口先生へ

山口先生へ


山口先生とは色々な仕事を一緒にさせてもらいました。私が勤務するJPCERTの国際担当理事として折にふれて色々なアドバイスをいただき、フィッシング対策協議会の会長として指導いただき、また国際的なセキュリティ対策組織FIRSTの理事として活躍される様子を近くで見ることができました。

ただなんといっても印象深いのはアフリカにCSIRT(コンピューターセキュリティ技術対策組織、CERT)をつくるという仕事を一緒にしたことです。2010年からの4年間2人で色んな所に仕事に行きました。今数えたら10カ国、67日、17万キロ。地球を約4周分も飛んだことになります。先生がキャリアの最後の時期に情熱を注いでいたものについてご家族や親しい友人の皆さんにも伝える意味があるのかと思い、誰もが読める場所(ブログ)にこれを残したいと思います。


山口先生は2010年から、毎年2回づつアフリカ各地に出向かれ、各国にCSIRTを作ることを目的に、現地の技術者をあつめて5日間程度の情報セキュリティに関する研修をされました。2010年春のルワンダを皮切りに、南アフリカ・ケニア・タンザニア・カメルーン・ガンビア・スーダンで研修を行いました。なぜこのようなプロジェクトが始まったのかについては後段に譲りたいと思います。


研修にはアフリカ各国から民間企業の技術者、官僚、教育機関などが参加しました。 そもそも当時のアフリカのインターネットコミュニティにおいて主要な関心といったらIPv6や特定のベンダーの機器の使いこなし方でした。要するにセキュリティに対する関心は今のアフリカからは想像できないほど低く、CSIRTをつくろうという意識はありませんでした。先生のアフリカでの仕事はそういう厳しい状況からスタートしました。


アフリカに飛び込んだ直後の山口先生を語る上でもう一つ。みなさん御存知の通り山口先生は情報セキュリティの世界における重鎮であり、日本にいれば下におかれることのない存在でした。でもアフリカでは勝手が違いました。アフリカでJPCERTやNAISTのことを知る人はいません。慣れない場所で我々はよそ者として仕事をはじめました。 「日本から来た奴らが、セキュリティの研修をしている。CSIRTとかいうのが大事だってよ」その程度にしか認知されていませんでした。

アジアや欧米で仕事をする場合、そこにはやはり信頼の貯金がすくなからずあるものです。アフリカでの最初の時期はこの貯金のなさに苦しめられました。会議主催者にプリンターを使わせてもらうのを断られて、泣く泣くヨハネスブルグの街で研修教材を印刷してくれる場所を探しました。研修中にネットワークが落ちても我々の部屋は対応が後回しなんてこともありました。


肩書や経歴があまり意味をもたないアフリカで「野生の山口英」はまたたく間に周囲の人間を魅了し、巻き込んでいきました。私には魔法のように見えました。いくつかの理由があったとおもいます。


先生は類まれなストーリーテラーでした。

技術者にはセキュリティ技術の面白さを伝え、アフリカ各国の官僚にはセキュリティ対策をすすめることの経済的なメリットを伝えました。先生がその豊富な経験を壇上で話しだすたびに、会議室の中の雰囲気がすこしづつ熱をおびていったのを懐かしく思い出します。先生は英語は堪能でしたが、多くの研修生は留学経験があったり、他の講師は英語圏から来ていたりする環境で言葉は強い武器にはなりませんでした。内容が面白いから、視点がユニークだから、彼らは先生の話に耳を傾け続けたのだと思います。

そして先生が勧めるのは多くの場合、理想と目の前の現実を天秤にかけて、ぎりぎり手が届きそうな解決策でした。先生はエンジニアリングの本質をアフリカでも繰り返されました。


先生はいつでもどこでも精力的に働かれました。

研修中は初歩的な質問にも懇切丁寧にこたえ、昼休みもご飯を食べながら指導に当たられ、夜はアフリカの指導者達と情報交換をしました。アフリカ人技術者コミュニティの中で、ちょっと有名になるくらい飲み込みのわるい技術者も、あきらめずに指導されました。そういう姿を見て、「他の国から来る偉そうな講師と今度日本から来た奴らは違うぞ」という印象がゆっくりと広がっていきました。

日本にいるときも、アフリカの技術者からのSkypeやメールに丁寧に返信していました。逆にアフリカにいるときには日本から新聞社からのコメント取りの電話があったり、要人からの相談があったり。その縦横無尽かつ年中無休の仕事ぶりには驚きました。


最大の武器はやはり笑顔だったのではないかとおもいます。

先生はアフリカの多くの人に愛されました。研修は我々日本人2人と現地の数名のボランティアの技術者のチーム、総勢5名程度で分担しておこなわれました。初期の頃、現地のチームの仕事ぶりには不安な所が多く、私と現地技術者の間では意見がぶつかることがありました。先生はそれを横目でみていて、たいてい日程の真ん中あたりでみんなを食事に連れて行ってくれました。先生のレストラン選びは妥協が一切なく、したがって連れて行ってもらうのはいつも街一番のレストランでした。先生を囲んでみんなでワイワイおしゃべりをしながらお酒を飲んで、その笑顔をみていると、なんとなく昼間の出来事を忘れて、翌日からも頑張れる気がしてきたものです。


さて先生がなぜアフリカを支援するプロジェクトを始めたのか、そしてその成果についてもお話しておきたいとおもいます。


プロジェクトが始まったのは2010年のことでした。大阪大学の先輩でもあるキルナム・チョン先生が「世界のまだインターネットに繋がっていない地域にインターネットコネクティビティを提供する」という大きなビジョンを掲げられ、そのビジョンの実現にはセキュリティが不可欠だということでJPCERT,、APCERT、そして現在の内閣サイバーセキュリティセンターを立ち上げた実績を持つ先生にお声がかかりました。キルナム先生は「アフリカにはだいたい50カ国の国がある。各国に2名づつCSIRTに必要な基本的知識と技術をもったトレーナー(講師)がいれば、あとは勝手にひろがっていくだろう。」とまずは100人のトレーナー育成という方針をたてました。それに従い先生がシラバスのようなものを作成され、その講義の一部を私がお手伝いしました。先生は同時に日本政府の偉い人にもかけあってお金を工面してもらう交渉もされました。


実際に仕事を初めて見ると、 100人のトレーナーという当初の目標は非現実的であることが発覚しました。アフリカは広大です。我々が実施する研修に人を送れない国もたくさんありました。そこで先生はAfricaCERTというアフリカ人によるアフリカのためのセキュリティ対策組織を設立し、その組織がアフリカ各地にさらにノウハウを伝えていくという、間接的なアプローチをとることにしました。このAfricaCERTという組織は先生が様々なノウハウを惜しみなく伝え、発破をかけ、2012年くらいから非公式に発足しました。その後アフリカ各地から加盟組織を増やし、各地で研修を行っています。

2015年9月にはガーナで最初の総会を開かれ組織として正式に発足しました。私はこれに参加したのですが、その会の中でAfricaCERTの創設に大きな貢献をした人として先生が紹介されていました。

先生が蒔いた種は、アフリカの技術者・官僚が大切に手入れをつづけたおかげで、今スクスクと成長を続けているところです。


2010年にこのプロジェクトを始める時に、私自身なぜアフリカを支援するのか、その意義がよくわかっていませんでした。セキュリティ対策を世界中で進めることは必要ですが、なにもアフリカでなくとも、アジア、南太平洋、中東などにもまだまだ困っている人がたくさんいたからです。

その価値に気付かされたのは2014年くらいになってからです。アフリカ発のサイバー攻撃がちらほら見えるようになってきました。それに呼応するように欧米やアジアの先進国からアフリカについて教えてほしいと問い合わせが来るようになってきたのです。「アフリカのセキュリティ対策について知りたかったら日本のJPCERTという組織に聞いてみるといい。色々と知ってる。」という評判ができつつありました。国際的な活動をする上で、自分たちしか知らない情報があるのはとても有利なことです。その他にも色々なよいことがありましたが、それはまた別の機会に譲りたいとおもいます。


山口先生がどの程度、この結果をイメージして「アフリカいくぞ」と決断されたのかはわかりません。当初は新しい場所に行ってみたいという好奇心にかられた単なる思いつきにも聞こえました。一方で山口先生のように博識で様々な事情に通じていると、5年後にアフリカへの関心が高まることをすべて見通していたのかもしれません。今はやはり後者だったのだろうと想像しています。


「アフリカの茶色い土を見ると、生きてるって実感する」先生はそう仰っていました。たしかに色々な危険や困難のおかげで、日々生きていることの素晴らしさを感じました。細かい困難を綴ればきりがありません。苦労自慢はカッコ悪いと先生に言われそうなので、ここでは割愛します。


どんな困難な状況でも山口先生は大抵のことを笑い飛ばしてまた黙々と仕事を続けていました。

そういう厳しくも楽しかった冒険がもうできないのは悲しいですが、共に挑んだ日々を幸せに思います。


ありがとうございました。


小宮山より 


2011年秋 カメルーンの首都ヤウンデにて
 

May 1, 2016

4月の光景



4月2日 お食い初め。朝からスーパーで鯛を取り寄せてもらって家で焼く。見えないところで準備している妻のおかげで様(さま)になった。その後近所に桜を見に。
4月3日 伯母の一周忌法要 。
親戚の女の子の持ってたおもちゃ。最近のおもちゃハイテク
4月6日 今年から所属することになった研究所の新年度会合。研究は自分の頭のなかで煮詰めるものなので、箱は関係ないのだけれど。心機一転がんばりたい。
花よりみかんがきになる
4月7日 藤沢へ。大学院の新年度ということで色々な学事手続き
4月8日 品川でエストニア人の研究者(最近の著作)を囲んだ、プライベートな意見交換会。自分にはお馴染みの分野だが、会場の多くは抽象度の高さに持て余し気味。そんな中で素早く本質を捉えている人がいて、素晴らしいなと思った。

4月11日 朝7時の電話会議から夜12時の電話会議まで。昼寝が必要。僕の脳みそは寝不足だとうごきません。
4月12日 ハーバード大ケネディスクール(通称ケネディスクール)の知人から論文へのコメント出しの依頼。兄弟子K氏の得意分野だったので、自分で読むのもそこそこにK氏にレビュー依頼。
ケネディスクールは色々と特殊な学校である。彼らが日本への修学旅行にきた際に飲みに行ったのだが「昨日は安倍総理を表敬した」と言われ、驚いた。卒業生が要職に上り詰めることがわかっているから、日本政府の対応も違うのだろう。
彼が書いている修士論文もホワイトハウス内のとても偉い人がクライアントであり、彼らを前にした報告会がおこなわれるとのこと。修論なのに政策決定者への直接的なインパクトを持ちうる。そんな大学院、僕は聞いたことがない。
10歳下にこういう論文をかかれてしまうと、自分は「現場の経験」をもっと打ち出さないと、価値を生み出せないということを痛感。

4月14日 IGCJの会合へ。自分が意見を求められているセキュリティに関する文書の議論が終わったところで、中座して電話会議をする。夜の電話会議のために帰宅したものの、相手が急用でキャンセル。
4月15日 夜、珍しく人材紹介業の人と電話会議。この10年、情報セキュリティ/サイバーセキュリティの分野の人手不足が常態化している。求人が安定してあるのはよいことである。
4月17日 論文の翻訳のお手伝い。辞書と原著を並べて訳文を確認していく。2時間だけのつもりだったのが結構時間かかった。内容は非常に面白い。
4月18日 免許更新のために府中運転免許試験場へ。駐車場が混んでて路肩で30分待ち。その後大学へ。郵便局でキャッシュカードの再発行など。
4月21日 秋葉原でとある国際団体の日本の加盟チームを集めた会合に参加。古参の加盟チームであっても担当者異動などで顔ぶれが変わっている。団体自体の活動実績や今後の大きな動きについて説明する。その後赤坂で別件の打ち合わせ兼ディナー。
4月22日 久しぶりに浅草で電気ブランを飲む。 
4月23日 翌週に控えた大きな会合の準備でバタバタ 
4月24日 義母の誕生日のお祝い
 
4月25日 高田の馬場へベトナム料理を食べにいく。その後ビリヤード。久しぶり。 
4月27-28日 帰省。娘は人生初の上田の家。娘が生まれる一ヶ月前に逝った父方の祖母(と祖父)の墓前でお礼と報告をする。皆に娘の面倒を見てもらっている間に、夫婦で買い物をすませる。
道の駅の干し野菜
真田丸効果でどこもちょっとづつ混んでいる。関係ないけどこれ男の子にはたまらないだろうな。
4月29日 母方の祖母の米寿のお祝いで温泉旅館へ泊まりに。母方の親戚が集まったので、娘のお披露目をする。祖母は人前に出ることを好まない性格だが、今回は思いを句にしたためていた

大樹にと
名づけし父の
思いをば
いまだ小木の
吾れ米寿なり
3人の子育て、姑の介護を経て、今は93になりままならない夫の面倒をみている88歳の祖母。頑丈な根と靭やかな強さをもつ女性であり、決して小さな木ではないと僕はおもった。これからも元気で長生きして欲しい。

4月30日 実家から東京へ。行きのパーキングエリアでゲットした渋滞予測の冊子をもとに動いた。結果渋滞にハマることはなかった。
夜6月のイベントの集客の速報値がメールできていた。驚くほど数字が悪い。ふーーー。

Apr 2, 2016

3月の光景

3年以上待ちわびていたDVDがとうとう先週発売された。「水曜どうでしょう ユーコン川160キロ~地獄の6日間~」である。本来なら今すぐにでも買いたいのだが、論文を一つ仕上げたときの「自分へのご褒美♥」としてとっておいている。誇張無しに先行予約ができるローソンでギリギリまで悩みぬいて、このストイックな決断をした男の中の男とは私のことである。
このDVDについてネタバレは絶対に許さない!

そんなわけで3月の光景を振り返っていく。



3月1日-3日 マレーシアで会議。3日間の会議でプレゼンを2つ頼まれていた。同じ人に喋らせないといけないほど参加者がいない閑散とした会議なのかとおもっていたが、開けてみるとかなり鋭い議論が行われる場だった。こういうことがあるから仕事は面白い。
仕事の上でも、大学の研究の上でも良い収穫があった。満足。

3月5日 両親と弟が遊びに来てくれる。ついでにホームセンターにいって懸案だった家の外構いじりが一気にはかどった。ツルハシと鍬とショベルをクルマのトランクにいれて上京してきた父親に感謝である。 
 
3月6日 近所に住む妻の友人O夫妻とその娘(1歳3ヶ月)来訪。大きく感じる

3月7日 一週間ぶりに出社すると書類の山。年度末を感じる。

3月8日 G7関連の会議に招待され、講演をしてくる。聞き手は外交官だった。経験上、サイバーセキュリティの話をしたときの外交官のリアクションは「登場人物が多すぎる」というものがおおい。たしかに2+2(外務省+防衛省)で議論できる既存の安保対話とくらべてサイバーは責任と権限が曖昧で面倒である。生物化学兵器や核兵器などの彼らが経験がある分野とのアナロジーで説明していくってのが今の時点でのこの問題への僕のアプローチ
会議後六本木の取引先A社に顔を出す。いつも思いたって行く感じだが、なんだかんだで色々と勉強させてもらって帰ってくる。その後、同じくA社につとめる別分野の友人と立ち話。楽しそうでよかった。
夜銀座で懇親会。懇親会の後に出社。

3月9-10日 業務が深夜におよび昼夜逆転の2日間 
会社の会議室にダンボール敷いて2泊。うぇーい。 

3月11日 午前2時まで仕事し、一旦仮眠。朝4時から電話会議、9時と10時からそれぞれ別の電話会議。
昼間立ち寄った 霞が関で経済産業省の前を通る。原発反対を訴えるテントの周りに取材陣が多い。あれから5年が経つ。

夜、六本木で衆議院議員の私的勉強会に、一学生として講演しにいく。慣れない仕事。議員は非常に聡明な方で政治家というもののイメージがかわった。

3月12日 論文書き 
3月13日 午前11時の便でヒューストン経由プエルトリコのサン・ファンへ。
今回の出張は入国審査で揉めに揉めた。今年1月に米国の入国管理制度が改正されたのが原因である。これまで日本人ならVISA無しで(ただしESTAという申請を事前にするが)入国できる。しかし9.11以降にスーダン、リビヤ、イランなどを訪れた人間はVISA無し入国が不可能となっていたのである。
細かくかけば色々あるが、ヒューストン空港での入国管理で別室で取り調べを受け、3時間拘束された。乗り換えの飛行機にまにあうはずがなく、空港のラウンジの床に寝て、14時間後の次の便をまった。本来なら日曜15時に現地到着のはずが、月曜5時到着になってしまった。会議間に合うのか???

3月14日 どたばたを乗り越え、朝6時半、会議が行われるホテル着。チェックインして朝ごはん、シャワーを済ませて9時から会議。妙なハイテンションで眠くはならなかった。夜の同僚とのディナーはさすがに勘弁してもらう。ホテル内で高くて美味しくない和食をたべ就寝。 
 
プエルトリコの名産といえばラム。特にバカルディーは年代物も手頃である
3月15日 東京での仕事がくすぶっていて、それを横目で調整しながら、会議。夜ホテル内でサンドイッチ。うまい。日本のサブウェイみたいなチェーンのサンドイッチなんだけど、パンを焼いてくれるところがポイント高い。

3月16日 終日会議。昼休みの時間を利用して海で泳いでみる。午後の会議により集中できた。
理事会内で自分が任されているプロジェクトの進捗が芳しくない。担当者を任命して、その人物に一任していたのだが進んでいないようである。任命責任を英語でなんというのか定かではないが、穴埋めは自分の仕事である。多分人に仕事を任せる方法について僕は一から勉強したほうがよいのである。
夜、ホテルの外を歩いてみたくなり、20分ほど歩いて中華料理をたべにいく。高くて美味しくない。 Yelpを参考に結構吟味してこの結果なので、サン・ファンの食生活攻略は難易度高め。
仕事をする環境としては最高であり、最低である。
3月17日 終日会議。夜地元銀行のCSIRTの担当者と食事。食後、合言葉を言わないと入れない秘密のバーに連れて行ってもらう。
3月18日 サンファンからヒューストン経由で成田へ。帰りは非常にスムーズ。
2017年6月のカンファレンス会場の下見を兼ねた今回の出張。サン・ファンとプエルトリコをすっかり好きになった。きっと来年の会議も成功すると思う。しかしまずは自分の担当の今年6月の韓国ソウルである。 

3月19日 午後成田着 


3月20日 時差ボケのせいか午前は妙に元気、仕事をやっつける。午後電池切れ。ひたすら寝る。大学院から封書がきている。進級。来年度は3年生である。。。


3月21日 妻の友達とその息子(3歳)が遊びにくる。個人的に男の子は楽。
髪の毛を切る。初めて近所の1000円 カットに行ってみた。シャンプーしてくれないので帰ってすぐ自分で洗う必要があるが、早いし安いし多分また行くとおもう。


3月23日 変な夢をみて目を覚ました。「プラハ行きをご登場のSparky様ゲートにお急ぎください。当機間もなく登場を締め切ります。」 起きたら6時55分。7時から大事な電話会議だった。虫の知らせってこういうことか。。。


3月24日 朝電話会議を寝坊ですっ飛ばす。前日の件があって、自分の体内時計を過信した。
 昼にマレーシア人の取引先とランチへ。マレーシア人だが米企業のシンガポール法人に在籍し、期間限定で東京勤務。インターナショナルである。


3月26日 家族で外出。地元の人気洋菓子店が休業にはいるということで食べ納めのシュークリームを買いに。
庭園のなかに佇む洋菓子屋なのである
ついでに庭の踏み石や砂利を買い足す。四川料理のお昼ごはんの後に作業をする。これでひとまず外構は一段落。 

3月27日 妻が友人の結婚式へ。午後は娘とお留守番。仕事をしながら面倒見るつもりだったがそれどころじゃない。

3月31日 昼におもめの焼肉を食べたら、午後激しい頭痛。そこに因果関係があるかどうかはわからないのだけど。