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Aug 30, 2020

8月の光景

 2020年8月2日 日曜日

子供と捕虫網を持って散歩していたら、中学生くらいの子に「なにか捕れましたか?」と声をかけられる。どうやらこのあたりの昆虫博士のようで、色々捕りやすいスポットを教えてもらい、しかもクワガタをプレゼントしてもらう。外出が難しいのでレジャーとしてキャンプを真剣に検討している。その一環で近所のスポーツ用品店にキャンプ用品の下見にでかけた。


2020年8月4日 火曜日

JPNIC主催のICANN報告会を聞きながら午後のExcel作業をする。やっぱりICANNでも欧米アジア全員参加の会議は日本時間23時開始らしい。そうなんだよね。未明の1時とかに会議始まるオーストラリア、ニュージーランドと比較すれば若干マシだけど、これは良くない。


2020年8月8日 土曜日

松戸にある山口先生の墓前に博士号取得の報告に行く。暑い日だった。墓前でビールで乾杯した。良い日だった。

その後、千葉の電車を乗り継いで、千葉ニュータウン中央駅へ。データセンターを色々見学して回る。グーグルがここにデータセンターを建設するという噂が流れていたが、結局確認はとれない。


2020年8月9日 日曜日

親族と甥っ子生誕やその他諸々をお祝いする。帰りがけに花火をして、子どもたちは楽しそう。


2020年8月10日 月曜日

7月中旬くらいから朝のランニングは暑すぎてウォーキングに切り替えていたが、このくらいから歩いているだけで暑すぎて健康に悪い気がしてきた。天気を見て殆どの日は朝歩かなかった。


2020年8月12日 水曜日

この日から金曜まで、割と神経を使う仕事を3日間する。もう参加は何回目だろうか。今年は深夜対応しないので気は楽である。

会社のOB達とオンライン飲み会。博士号取得を祝ってもらう。


2020年8月13日 木曜日

IGF2020のプログラムを見てたら、中国政府が自らの主張を繰り広げるためだけに企画したように見えるパネルがあり、登壇者としてフランス人の知人の名前が挙がっていた。メールして確認したら、やはり本人は知らないところで掲載されていた。IGFのプログラムこういうの多い。


2020年8月14日 金曜日

久しぶりに都内へ。打ち合わせ3つ。夜は学位取得のお祝いということで、本当に珍しい外食。感慨深い。帰りの電車に揺られながら、割と神経を使う仕事の締めの電話会議に参加する。仕切ってくれた同僚にはお疲れさまでしたと言いたい。


2020年8月17日 月曜日

NTTの「オールフォトニクスネットワーク」なる構想を知る。実用化のスケジュールはよくわからないが、インターネットと国際政治の未来を変える可能性のある、壮大な構想だなとおもった。さすがNTT。


2020年8月18日 火曜日

山本達也「革命と騒乱のエジプト ―ソーシャルメディアとピーク・オイルの政治学ー」という本を読む。本書の本筋ではないのだが、文明という言葉について「文明とは余剰エネルギーのことである」と切れ味よく説明していて、長年の疑問がいくつか晴れた。


2020年8月20日 木曜日

HHKB、日本語配列で刻印ありというのを買った。確かにキータッチは深くて気持ちいい。疲れにくい気もする。ただ、トラックパッドとのコンビネーションを要するMacBookでは外付けキーボードは苦しくないか?もうすこし足掻いてみるが、メルカリ行きしそうな気配。


2020年8月23日 日曜日

公園で遊んでから、図書館へ行く。ここのところの猛暑が一段落して、朝の時間帯の公園は涼しくて気持ちの良い天気だった。コンビニでレターパックを買ってきて、お世話になった人たちに博論を郵送する。


2020年8月25日 火曜日

毎年恒例の海外CSIRTとの定期会合のためにオフィスに出社する。毎朝夕にオンラインで話している同僚と、数カ月ぶりにリアルで顔を合わせるのは、「お久しぶり」とは違う不思議な感覚である。昼食は近所にある美味しいラーメン屋さんへ。古いプロジェクトの書類の発掘などをして遅めに帰宅。


2020年8月26日 水曜日

新領域の安全保障に関する研究会に参加することになり、その初回オンライン会合に参加する。Twitterで見かける有名人が多く参加してる。

午後は海外の人たちとの電話会議。短めのプロジェクトの進捗報告をする。前回の反省を踏まえ、きちんと発表原稿を作って練習をしたので発表自体の出来は悪くなかった(はず)。


2020年8月27日 木曜日

朝5時くらいに「カキッ」という音がして目が覚めた。口の中に違和感があって、すぐに詰め物が取れたことが分かった。ちょうどこの日予約をとっていたので、歯医者にいって詰めてもらう。来週も行くことに。


2020年8月28日 金曜日

Nextcomに書いた論文が公開される。博論の中身を平易に書き直したものなので、多くの人に読んでいただけると嬉しい。

「サイバーセキュリティの未来 ─米中対立の先に待ち構える三項対立─」という論文をKDDI総研のNextcom 43号に掲載頂きました。サイバー空間に起きているのは米中対立ではなく、グローバル企業をいれた三項対立と捉えようという内容です。無料ユーザ登録で本文ダウンロード可


卒業した高校の招待で、現在の1年生向けの講義を行う。コロナの影響ですべてZoomで行う。全部で14人の様々な分野のOBがそれぞれの経験に基づいた話をした。僕はもちろんサイバーセキュリティについて。高校生から「サイバー攻撃は違法というか、犯罪じゃないんですか?」という素朴な疑問が出てきた。そういう発想は大事。「日本は外国にサイバー攻撃していないんですか?」という質問も。5年前に同様の企画に協力したときは質問が皆無で自分の無力さを感じたが、今回は遠隔でも話がきちんと伝わった感覚があった。よかった。


2020年8月30日 日曜日

午前はアクアビーズなるおもちゃで遊ぶ。翌日からの国際会議の予習をする。大野和基編『未完の資本主義』を読む。クルーグマン、フリードマンなどへのインタビューを本にまとめたものだが、「テクノロジーが変える経済の形と未来」という副題にそって、編者が丁寧な補足説明を加え、鋭い質問をなげかけ、それをこなれた翻訳で紹介する。インタビュー本は、偉い人に喋らせればオッケーとばかりにやっつけ仕事な本が多い中、編集者の技量の重要性を再確認する良書であった。

Aug 18, 2020

7月の光景

大分遅くなりましたが、7月の光景です。7月31日に博士号取得しました(顛末の報告)。素直に嬉しいです。最後まで頑張ってよかった。

2020年7月1日 水曜日
毎年7月は人事異動が多く発生する。この歳になると「新たな職位に見合う職責を考える」ところから自分自身に求められる気がする。
夕方、子供とファミレスへ行きご飯を食べる。コーラ、カルピスソーダと炭酸のジュースを飲めて嬉しそう。

2020年7月4日 土曜日
博論修正。合間に雑誌に書いた原稿の初校確認した。
最近割と花屋に行く。この日はオンシジュームとシネンシスという花を買う。花の名前はメモしてないとすぐ忘れる。

連日フル稼働のプリンター

2020年7月5日 日曜日
博論修正。

校閲作業続く

2020年7月6日 月曜日
床屋の予約を入れていたが、仕事に熱中して気づいたら予約の時間を15分過ぎていた。電話で謝罪して予約入れ直す。なんとかこの日切り終えられてよかった。

2020年7月7日 火曜日
博士課程の最終試験のため久しぶりに都内へ出向く。副査の先生2名は遠隔から、副査1名と主査と自分自身は三田の部屋から参加した。マスクをしたままプレゼンしたら軽い酸欠状態になった。いくつか修正を課せられるものの、合格した。


2020年7月10日 金曜日
特別定額給付金が振り込まれる。これを見越して、既に在宅勤務の充実のために10万以上を使っている。椅子は本当に買ってよかった。

2020年7月11日 土曜日
博論の校閲作業。データセンターについての勉強をする。

2020年7月12日 日曜日
博論の校閲作業。


2020年7月13日 月曜日
ベッドを粗大ごみとして捨てる。階段を通らず、ベランダからロープで吊って庭に落とす。ロープの摩擦熱で大やけどする。
博論の校閲作業が終わり、大岡山の印刷所にデータを入稿。例年であれば製本した博論を藤沢の窓口に提出することが求められるが、少なくとも今年は基本的に郵送での提出となっている。ありがたいが、日程は逆に厳しくなっている。

2020年7月15日 水曜日
製本された博論が印刷所から届く。素早く記念写真をとって、すぐ郵便局へ持ち込んで、大学へ発送する。6年に及んだ博士課程も残すは研究科委員会(教授会)での承認を残すのみ。学生の自分にできることは終了である。感慨深い。

製本された博論

2020年7月16日 木曜日
昼は焼肉屋へ。軽いお疲れ様会。

2020年7月17日 金曜日
3ヶ月前から決まっていたどうしても外せない会議のために丸の内へ。2時間ほどの会議をしてから、大阪在住T氏とうどんを食べて、会社へ行く。
同僚のT氏から借りた情報処理学会誌を読む。お目当てはサイバー・ウォーズ特集だったが、小特集が「さようなら、意味のない暗号化ZIP添付メール」が大変面白い。情報処理学会やるなぁ。

久しぶりの外食!

2020年7月18日 土曜日
近所の回転寿司にいく。先端がすこし赤いトリ貝の寿司が並んだ皿をみて、「うさぎの耳だね」と言う子供の感覚は瑞々しい。その後、親戚の家に生まれた子供の顔を見に行く。
出身高校から講演の依頼があったが、依頼状の拡張子が.jtd。一太郎さん、ほんとお久しぶりですね。お元気にされていましたか。

2020年7月19日 日曜日
ZombieNationという名前の新しいgitのレポジトリを作る。何をするかはまだ内緒です。

2020年7月22日 水曜日
夜、水曜どうでしょうDVDを初めて開封して鑑賞する。博士課程が終わったら見ようと思って購入し、いつの間にか3年がたっていた。2020年に見ても面白さは色褪せない。


2020年7月25日 土曜日
来客あり。一緒に遊んだり、お風呂に入れたり、楽しく過ごす。

2020年7月26日 日曜日
夜は電話会議。その後深夜3時近くまで残っている仕事をやっつける。

2020年7月27日 月曜日
DAZNの1ヶ月無料トライアル期間が終わった。とりあえず解約。6月のプロ野球開幕以来、ベイスターズの試合を見ていた。今年は優勝狙えるんじゃないか。

2020年7月28日 火曜日
マツコの知らない世界で、キーボードが特集されたらしくTVerで見てみた。左右分離タイプは使ったことがないので一度試してみたい。キーボードにはいろんなこだわりがあった。ThinkPad信者として、Space Saver IIを使い続けていた数年間があった。Microsoftのエルゴキーボードが最高と思っていた時期もあった。東プレのリアルフォースはゴツすぎて合わなかった。そういう時期を経て、今もう一度キーボードにこだわってもいいのかなと思う。

2020年7月29日 水曜日
午前はオンラインセミナー。珍しくMS Teamsを使う。トゥギャザーモードが面白い。
夜は電話会議2件。明日の本番うまくいきますように。

2020年7月31日 金曜日
夕方に研究科委員会があったそうで、夜に先生からメール。続けて大学事務室からも学位授与が決まりましたとのメール。家族に早速お知らせする。






Aug 7, 2020

文系社会人の「博士への長い道」



はじめに

私は、2014年4月に慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科の後期博士課程社会人コースに入学し、2019年9月に単位取得退学し、2020年7月に博士(政策・メディア)を授与された。以下に記すのは私自身の体験記である。特に社会人で、これから博士号を取ろうとする人の参考になればと思って書いている。

博士号取得への道のりは、百人百様である。文系、理系、医療系でも異なる。大学院によっても異なる。さらに言えば、同じ大学院で同じ先生の下で学んだ1つ上の先輩と、1つ下の後輩と私との違いも小さくない。博士課程での研究はユニークなものではなければならない、だからその研究の道のりも一様ではない。ここに振り返るのは毎年国内だけで10000人以上に授与される博士号のうちの1つの事例である。

私の事例は、①博士課程の社会人コースに属するいわゆる社会人ドクターだったこと、②ブログ界隈に珍しい文系の研究者であること、③修士号を持たずに博士課程に入った、という3つの特徴があると思う。


なぜ大学院か

私は、学部卒業以来、一貫してサイバーセキュリティ技術者として生きてきた。JPCERT/CCという非営利団体で働いている。JPCERT/CCは年間2万くらいのサイバー攻撃に関する報告を国内外から受け、その対応のアドバイスや攻撃の停止のための調整を行う組織である。

2010年くらいまで、基本的にこの世界は情報セキュリティと呼ばれていた。サイバー攻撃をするのは自己顕示欲にかられた若者か、金銭目的の犯罪者だった。ところが軍隊やインテリジェンス機関にハッキングを行う能力が備わり、国家によるサイバー攻撃がみられるようになってきた。そして、サイバー攻撃に関する国際的な調整は、技術のみならず、法律や政治や文化などの幅広い知識が求められるものに変化してきた。

そしてその時代の変化に追いつくための作業は一人では難しそうだった。国際政治や安全保障の分野について大学院で研究したいと思っていた。


博士号取得までの流れ


博士号取得にはとても時間がかかった。何にそんな時間がかかったのか自分でもよくわからない。


2013年

4月

情報セキュリティに関する国際ルールのあり方やサイバー戦争の時代に政府、企業、CSIRTがどうリスクコントロールしていくべきかという点に興味を持ち、もう一度大学で勉強したいと漠然と考えていた。

慶應のT先生がこの分野で研究実績豊富であったが、「2014/4より在外研究で日本を離れるため、大学院生を受け入れていない。」と個人Webサイトに明記されていた。T先生とはなにかの研究会で一度だけ会ったことがあった。Webサイトに乗っているアドレスにメールすると、一度話してみましょうということになり、藤沢で相談に乗っていただく。指導を引き受けていただけるということで1年後の2014年4月入学を目指すことに。


10月

博士課程の入試出願書類は、TOEFLの受験や学部時代の成績証明書の取得など時間がかかる作業が多かった。自分のように、修士課程を経ていない場合は、出願前に社会人として修士相当の研究実績を積んでいるので、博士課程への出願を許可するという紙をもらう必要がある。

出願時にプログラムを選ぶ。GR,HC,PS,EGなどの略称で表記される。同じ政策・メディア研究科の中でもプログラムによって作法や雰囲気がかなり違う。学位取得までの平均年数や取得率も違う気がする。しかし出願時点では、指導教員が所属するプログラム(私の場合はGR)を選ぶだけで、学生に選択の余地はない。入学後にプログラムを変更する人は稀にいた。


12月

入試は書類と面接で判定される。志願者と合格者の数が当時のWebサイトに掲載されていたが、たまに落ちる人がいるという程度である。進学を希望する理由や、提出した研究計画書に沿った穏やかな確認作業という印象だった。時間は20分と短い。


クリスマス前のSFCは全く人気がなかった。

3日後にオンラインで合否が発表された。「受験番号9W2505の方は入学試験に合格しました。」


2014年

4月

4月頭に大学院ガイダンスというオリエンテーションがあり、藤沢へ。学生証をうけとり、メールなどの大学システムへのアクセスを得る。オリエンテーションでは学位取得の流れが説明された。当時と今では学位取得プロセスが若干違う。参考までに大学院ガイドに示されている、現在のプロセスの説明資料を以下に示す。



プロセスが複雑に感じるかもしれない。博士課程修了と博士号取得の2つの流れが1つの作業として表現され、さらにこの流れが学生の作業を示すものではなく、大学院の事務手続きの流れを示すものだからだろう。例えば、査読論文を書いてジャーナルに載せる、あるいは博士論文執筆という不可欠な作業が、ここでは触れられない。

大学院ガイダンスでは大学院のトップ(研究科委員長という)が教壇にたち、社会人でたった1年半で学位をとった人がいること、しかし学位取得率はそこまで高くないので頑張れと学生を鼓舞していた。当時のメモには「きっちり3年、できれば2年半で博士号を取得する」と書いてある。

入学前から準備をしていたので、早速この月にグローバル・ガバナンス学会大会での口頭発表を行う。


6月

博士課程最初の誤算がおきる。FIRSTという国際団体の理事選挙に出ることになり、めでたく当選した。昼夜土日を問わないメールの波、そして月に1-4回の深夜の電話会議がここから4年間続いた。昼の仕事(JPCERT)、夜の仕事(FIRST)、大学院の掛け持ちの結果、どの仕事も中途半端になり、どこにいっても「メールの返事できてなくてすいません。」から会話が始まるという、よろしくない状況に陥る。心理的多重債務者である。


FIRSTの理事と共に

この国際団体の仕事では、加盟を希望するスーダンやイランの組織の扱いを巡って、米国のOFAC規制などを理解することを強いられた。国際団体を標榜すれど、銀行口座が米国にあれば、米国の規制を受けるという当たり前を経験し、グローバル・ガバナンスや国際関係論を見る視点が少し変わった。経験は博論にも強く反映された。


9-12月

ワシントンD.C.で行われたTPRC42という国際会議でポスター発表を行った。これで博士の要件の1つ国際会議での発表をクリア。最大の難関は現地でポスターを印刷することだった。2度目があるなら、素直に国内で印刷して機内持ち込みする。

ポスタープレゼンテーションは初めてだった


さらに大学院セミナーでのインフォーマル研究発表(10月)を行った。インフォーマルは特に合否がつくものではないのだが、初めて大学院の先生たちの前で発表をするということで、かなり緊張したことを覚えている。

まとめると2014年は誤算があったものの、入学前の準備のおかげで、きちんと成果を出せた年だった。


2015年

『サイバーセキュリティに関する国際連携の実態 日本におけるインシデント対応のデータ分析』などというタイトルで論文を書こうとしていた。が、5ページくらいのメモが出来上がっただけで、書き上げることができなかった。

論文が書けないのが苦しいので、研究というよりは勉強に逃避した。3ヶ月かけて、サイバーセキュリティの歴史をまとめた年表を作ったりした。良かれと思ってやったことだが、博論の中で1行も使うことなく結果的に無駄足だった。

2016年

前の年の12月に子供が産まれ、引っ越す。通勤時間が長くなり、子育てで時間がとられ、厳しい時期だった。およそ3ヶ月に1度の頻度でT先生にあう。そのたびに投稿できそうなジャーナルをおすすめしてもらう。『アフリカ諸国におけるサイバーセキュリティ政策』などと言うタイトルで書き始めたが、フィニッシュできず。

2015年と2016年は、まったく進捗のない2年間だった。


2017年

4月

知人からサイバー空間の規範を作る国際委員会を手伝うように頼まれる。時間的な余裕はないが、その経験で査読論文がかけるのではないかという下心もあり、関係各所にお願いして参加させてもらうことにした。後に、主査のT先生もこの委員会に関与していて、一緒に出張する機会が増えた。会議の空き時間などに、やっている研究へのアドバイスを貰えるようになって助かった。

この会議は本当に刺激的だった。単なるスパイ映画大好きおじさんだと思っていた人がMI6の元No.2だったり、ハッカー会議の創始者ジェフ・モスと喫煙所でいろんな雑談したり。ジョセフ・ナイには日本のアダルト動画事情を進講さしあげたので、人類の知の発展にもいくらか寄与したはずである。密室の議論の中からなんとか書ける部分を拾い集め、博論の中の一節として使うことができた。


エチオピアにて。


9月

丸2年なんの成果もなく学位取得に黄色信号が灯る。T先生からも急かされる。グローバル・ガバナンス学会に主要国のサイバーセキュリティ戦略に関する分析する論文を投稿した。この論文の締め切りと仕事の台湾出張がかぶる。日中はトレーニング講師をし、終わって夕方から朝まで論文書くという作業を2日続けた。2日目の徹夜の明け方、ファミマで買ったレモンジュースを飲みながら、「何故、自分はこんなつらい生活をしているのか」と台中の朝焼けに問うたことをよく覚えている。原因はあきらかに計画性の無さであるのだが。

結局、この論文は研究ノートとして採用されることになる。研究ノートというのは「学術論文としては認められないが、ジャーナルには掲載してあげますよ」という位置付けで、学位取得に必要な業績としてはカウントされない。査読論文2本という条件は翌年に持ち越される。論文の内容に全く満足できないが、なんにせよ、自分の書いたものがジャーナルに載ることが決まり、若干モチベーションがアップする。

2018年

1月

前年から温めていたテーマ「北朝鮮のサイバー攻撃能力」に本格着手した。年明けからひたすら北朝鮮についての文献を読む。大学院4年目に予備知識が無い研究テーマに取り組むのは、今振り返ると危険な賭けだった。ただ、仕事とは全く関係ない、未知の領域を独力で開拓している実感があり、純粋に楽しかった。

セネガルで北朝鮮の技術者たちの渾身の作を見学した。



6月

FIRST理事の2度目の任期満了でお役御免となった。これを境に一気に執筆の時間が取れるようになる。InfoComレビューに北朝鮮のサイバー攻撃についての論文を投稿し、10月に受理される。これで査読論文1本クリアする。

北朝鮮の論文が書き終わった直後、「改めて、CSIRTとは何か」という問いに改めて向き合う論文を書きだす。


11月

学会発表を実施したのが2014年の2回だけだったので、T先生からもう1回やっておいたほうがいいというアドバイス。情報通信学会で口頭発表の機会をいただく

査読論文を2つを通すという博士号取得の条件を1つクリアし、年末には2本目の論文もほぼ書き上がっていた。FIRSTの理事をやめた2018年7月から、研究がペースアップし、12月までの6ヶ月で成果を積み上げられた。FIRST、今考えても大変だったんだな。


2019年

2月

前年書いた北朝鮮に関する論文を英語にして公開する


3月

アーミテージプログラムと呼ばれるに教育プログラムに参加し、ワシントンD.C.へ出張する。複数の教員と博士課程の大学院生が参加し、研究についてアーミテージ御大からコメントいただいたり、シンクタンカーや学生と意見交換するというものだった。研究についてアーミテージ氏の前で発表し、質問というよりも尋問にあう。他に院生が3人参加していて、大学院生活の修学旅行みたいな気分だった。

引率の先生たちのシンポジウムでの振る舞いも勉強になった。特にS先生が、スライドはおろかメモも持たずに、ロジカルかつ流暢に自分の国際情勢分析を披露しているのには度肝を抜かれた。そもそも会場に手ぶらで来てた。日本でも指折りの国際政治学者にお供して回るワシントンD.C.という街は、仕事で来る時には決して見せない顔をしていた。

同じく3月に、情報通信学会に「CSIRTと国際CSIRTコミュニティ」というテーマで論文を投稿した。6月に査読を通って出版される。CSIRTで実際働いてきた社会人経験を活かした論文で、良いトピックだった。この論文が終わった後、主査から博論の準備を始めるよう指示があり、構想を練り始める。もともとあった問題意識を、既存の国際関係論やグローバル・ガバナンス論にうまく接続させるかが大事だった。


5月

大学院セミナーでThesis Proposalという博論の計画発表を実施し、合格した。本格的に博論の執筆が始まる。2019年春夏の週末は、ほとんど一橋大学の図書館で過ごした。博論もやはり途中で筆が止まることはあった。そういう時は「今日は2行だけ書いて寝る」と自分に言い聞かせてWordファイルと向き合った。本当に参考文献を1つ追加して終わることもあったし、予想外に2ページくらい書けてしまうこともあった。


お世話になったキャンパス

自分がゼロから編み出した(と思っていた)、全体の核となるアイデアが、実は経済学の分野で既に指摘されていることを発見したときは血の気が引いた。先生に相談して、一連の研究をきちんと引用する形にした。が、知らずに博論執筆を終えて、第三者に指摘されたらと思うと怖い。


9月

200ページを超える原稿が出来て、主査と副査の先生に送り、アドバイスを頂く。博論以外の全ての条件を満たしたので、博士課程を単位取得退学した(9月21日)。研究科委員会で学位審査委員会立ち上げが決定される(12月4日)。

2020年

2月

学位審査委員会が立ち上がると博士課程は最終章である。ただ最終章も一筋縄ではいかなかった。公聴会(2月6日)では博論を発表したが、先生方から大きめの問題を指摘される。それを受けて2月は個別に先生方にアポをとって、どう修正したらよい博論になるかのアドバイスをもらう。地道に直す。


とにかく印刷して、赤入れして、直しての繰り返し。


7月

1つ直すと、また色々な問題が生じてくる、それを埋めてという作業を繰り返して、7月頭に最終試験を実施した。これは主査と副査と自分だけの口頭試問である。コロナウイルス感染症の影響で2名の先生が遠隔で参加された。最終試験でも、いくつかの修正要求があった。最終試験の翌週に、必死に誤字脱字の最終確認をし、博論を印刷製本し、SFCに郵送した。


最終試験はマスクしてプレゼンしたら、酸欠状態に。




大学図書館に納めた博論がこれ。

私はもちろん参加していないが、研究科委員会が7月31日に開催されて、投票の結果学位の授与がきまったという連絡をT先生からいただく。これで6年3ヶ月に及ぶ長い長い道のりがやっと終わったわけである。研究科委員会の審査結果は、その日のうちに大学の事務室からも、連絡がある。メールには「学位授与日は7月31日です。」と明記されているので、この日から晴れて博士を名乗って差し支えないはず。

9月18日に大学院の学位授与式があった。コロナのせいで、オンラインで式の動画が公開される。学位記受領代表に選ばれたので、式中に名前が読み上げられた。式の10日前に義塾総務部から封書で連絡がくる。

博士をとって何か変わったことはあるかを聞かれることがある。これだけの体力と時間とお金をつぎ込んだのだから、何かあるに違いないと思われているのかもしれない。今の所、変化は何も無い。驚くほど変わらない。これだけ本を読んだのだから、霧が晴れるようにとは言わないが、少しは世界がクリアに見渡せるようになってもバチは当たらないとおもう。だが現実は甘くない。テレビで活躍するような論客のように森羅万象を「それは要するにこういうことなんですよ!」と単純に解説することはできそうにない。社会はかつてより複雑で怪奇なものに感じられる。
ただ家族は喜んでくれた。80過ぎの祖母が、博論を毎日少しづつ読んでくれているそうだ。それは嬉しいし、良い孝行をしたと思う。


社会人院生の実態


勤務先の理解

社会人が博士課程に進む上で、勤務先の理解は重要である。学費を負担してくれる企業であれば言うことはない。大学院にも奨学金制度は様々あるが、年齢制限や社会人として給与所得がある人が給付対象から外れるものもあるからである。

私の場合は、勤務先は協力的であった。仕事のしわ寄せがいく同僚も快く送り出してくれた。それは研究テーマと業務の内容が近しいということが一番大きな要因だと思う。


通学

政策・メディア研究科の博士課程に授業はない。主査の先生のゼミに出るだけである。私が所属した研究室ではゼミは1-2ヶ月に1回の頻度で都内で開かれた。希望する院生が研究発表をして、先生と他の院生からのフィードバックを受ける。

時間的・地理的拘束はほとんどない。とにかく査読論文を書いて、研究業績を積み上げることだけが求められる。したがって政策・メディア研究科でも藤沢のキャンパスに行くのは年4回程度、大学院セミナーや窓口に出向く必要のある事務手続きのみであった。


費用

私は言ってみれば2.5年留年したので学費が人より高額になった。普通は休学するのではないか。私もそうしたかったが、外国語などの要件を満たしてしまうと休学できないというルールに阻まれた。

内容費用備考
学費¥5,200,000入学金なども含む。内訳は初年度116万、2-4年目98万、5年目73万、6年目半期 37万
TOEFL受験料¥25,000
大学院受験料¥35,630
学会の会費。3学会6年の合計¥80,0003学会6年の合計でこのくらい。
名刺¥7,000
海外学会出張¥230,000ホテル 38,749円、会議参加費 14000円、航空券 159,000円、ポスター印刷費 9,000円、空港タクシーなど 10,000円
国内学会出張¥26,000京都日帰り
研究に使用するソフトウェア¥54,000MendeleyとDropboxのサブスクリプション

液晶モニター
¥30,000博論執筆用
¥5,687,630


上の表に含まれていないものとしては、大学までの交通費、キャンパス最寄りのホテル宿泊代、切手代、印刷費、紙代、プリンターのインク代などがある。SFCは自宅からアクセスが悪く、公聴会の際は前泊した。先生との打ち合わせの直前になって博論の印刷をしなければいけなくなりコンビニで印刷する(5000円)とか、大学図書館に保管してもらうようにハードカバー製本する(15000円)とか、印刷費はかなり馬鹿にならない。

文系の研究者として書籍購入の費用は最も大きい。大学院にプログラム費という制度があり、1年に約10万程度の研究にかかる費用を申請すると大学が払ってくれる。2-4年目はこれを書籍購入の費用にあてていた。

海外学会発表は、様々な助成プログラムがあるので申請すれば大学に負担してもらえたと思う。ただし都内で働く社会人が、助成プログラムの申請のために会社を休んで、先生の印鑑をもらって、藤沢の窓口に行くとなった場合、どれだけの時間が失われるかを考えると、利用を躊躇してしまう。

総額は当初見積もりの2倍の600万円くらいだろうか。私の場合、勤務先からの補助はないので、これは純粋に自分の未来への投資である。もともと、海外の大学に修士を取りに行こうと思って貯めていたお金を使った。

時間

お金もそうだが、多くの社会人にとってより厳しいのは時間の確保だろう。「研究は短い時間でも毎日少しづつすることが重要」と、主査からは繰り返しアドバイスを受けていた。忙しい時期は通勤時間に読書する気力も無く、現実には、週末2日のうち1日にまとめて研究するというのが基本的なリズムだった。

読書のような細切れの時間でもできる作業と、執筆のような数時間邪魔されない環境で集中を要するものがある。後者は深夜家族が寝静まった3時くらいが一番捗る時間帯だった。

時間を作るため、いくつか削らざるをえなかったものがある。まず、大学院に入ってから夜に同僚や同業者と飲みに行く回数が激減した。そのような機会が好きで楽しんでいただけに最初のうちはストレスが溜まった。

ブログやTwitterもなにげに時間を取る。それだけではなく、ブログを書くと自分の中にある「書きたいという欲求」「社会に物申したい気持ち」がある程度満たされてしまう。成果として論文を考えている期間は、ブログやSNSからも距離を置いた。

なお、時間確保という点で一番大きな変化があったのは子供が生まれた時期である。子供は無限に時間がかかる。子育てと博士課程を両立するお母さんがいるらしいが、それは常人にできることではない。心のそこから尊敬する。

苦労したこと


先行研究を批判的に読む

研究の出発点として、先行研究を単に読むだけでなく、批判的に読んでいく必要がある。先行研究の課題を指摘できなければならないのである。長い社会人経験で、私はそれとは逆の能力を培ってきた。たとえば取引先とのやりとりで、自分にとって受け入れ難いことがあったとしても、無意識に共通の認識を探し、違いをすり合わせようとしていた。批判しないように意識的に努めてきた。染み付いた「違いに目をつぶり、共通点を探す癖」を自覚し、批判的に読み、批判的に聞くことができるようになるまで時間を要した。クリティカル・リーディング入門という本が参考になった。また、ゼミや大学院セミナーで他の人が質問しているのを聞いて徐々に身についてきた。


分析の枠組みという言葉、論文とレポートの違い

論文の下書きを先生に見せた際に、「分析の枠組みがない」「事実を積み重ねるだけではレポートであって、論文ではない」などという指摘を受けた。大学院で他の社会人院生が、「控えめに言って研究とは言えない」とバッサリ切られているのも目にしたので、レポートと論文の違いという基本が理解できていない人は潜在的に多いはずである。今は理解して、自分の各論文では明確に分析の枠組みを書いている。ただ人にうまく解説できないので、私は真に理解できていないのだと思う。

この点を克服するために、論文の書き方を指南する本を何冊か読んだ。どれもよかったが、結局一橋大学田中拓道先生の解説北海道大学鈴木一人先生の解説を繰り返し読んだのが一番よかった気がする。Webで無料なのでぜひ一読いただきたい。また、Kathryn L. Allen編 スタディスキルズ―卒研・卒論から博士論文まで、研究生活サバイバルガイドも役に立った。論文の書き方だけでなく、情報収集の手法、口頭発表の仕方、悩みがちな人との接し方、コンパクトに一冊に解説されている。


大学院特有の時間の流れ、持久力の大事さ

研究テーマを思いつき、大学院でセミナーをし、博論を書き、公聴会をし、最終試験をする。短くても2年程度は同じテーマを考え続けることになるのではないか。そのあたりの「時の流れ」が年単位、期単位で決算する企業活動とは大きく異なる。大学院のほうが腰を据えて1つのテーマを追い易い。僕の場合も、サイバー空間のトリレンマという自身の分析の枠組みを1年くらい、ずっと頭の片隅に置いて弄り続けた。何かに興味を持つだけでなく、興味を失わない知的な持久力が求められている。

考えすぎて分からなくなるときは、紙に絵を書いて整理する



ささやかなアドバイス


指導教員はめぐり合わせもある

博士課程は、主査と呼ばれる指導教員の先生との二人三脚に近い。「どんな先生に師事するかはかなり重要である」ということは様々な書籍に繰り返し述べられている。しかしながら、学生の研究指導を引き受けるかどうかの決定権は基本的に先生の側にあり、学生が指導教員を選べるという状況は珍しい。万一、学生側が選べる状況だったと仮定して、どういう先生を選ぶべきだろうか。研究指導に熱心かそうでないかを外側から推し量る方法はあるだろうか。

一般論として、定期的に博士号を取る学生が出ているのは文句なしによいサインだと思う。定期的の条件が3年に1人なのか、1年に3人なのかは分野にも、大学にもよりそうである。

もう1つ、大学教授の中には自分のWebサイトなどで、博士課程の指導の方針や学生に求める点を明確に示している人がいる(例1例2例3)。このように先生側が学生側に求めることを明確に提示しているのは、求められる条件が厳しかったとしても、よいサインだと思う。その先生の頭の中で学生指導のあり方が整理されていることの証拠である。そして学生とのギャップを埋めようと文章を書いて語りかける姿勢から、指導に熱心である確率が高いといえる。

繰り返すが、そういう先生が指導を引き受けてくれるかは別の問題である。ここで、運とか縁とかめぐり合わせと呼ばれるものが必要になってくる。


英語は根性で頑張れ

論文の査読、博論の審査、基準が不明確な博士課程の中で、外国語の要件だけははっきりしていた。TOEFL79-80点以上とれる程度に英語ができないと、博士はとれない。ところが博士課程には英語力の底上げができるような授業も制度もない。従って英語力が一定の基準に達しない場合、自力で勉強することが求められる。


研究不正は駄目

研究不正は論外である。論外だが、現実に一定の割合で起こっている。私の大学院在学中にも、剽窃、捏造などの研究不正があり、学位が取り消しになった事例がある。気をつけたい。

オフラインで情報収集を

もし博士号取得を真剣に考えている場合、近くにいる経験者に直接聞いたほうが良い。博士課程の本当の楽しさも、辛さもインターネット上にはなかなか書きにくいものである。かく言う、私もここには書けないようなアドバイスがいくつかあって、それはあとに続く研究室の後輩だけに遺言として残した。

学位を取った人の経験は生存バイアスがかかってるかもしれないので、修士をとったが博士課程に進まなかった人、単位取得満期退学をしたが博士号取得に至らなかった人の話など、両側から意見を聞けるとなお良い。


最後にお願いを1つだけ。経験して心の底から思うのだが、博士課程の難しさの多くは、情報不足が原因である。学問を極めようとか、よい論文を書こうという気持ちはもちろん大切だが、それと同じくらい大学院の窓口に提出するあの書類の締切日と書き方みたいな些細な情報が重要だったりする。だからこそ、博士課程経験者の方は、自分の経験を後の世の人に伝えてあげてほしい。もちろん書ける範囲で構わない。匿名でかけるダイアリーなどやり方はいろいろある。



以上。

Jun 30, 2020

6月の光景

データの世紀という本を読んだ。アマゾンやグーグルなどのプラットフォーマーによって、個人のデータがどう利用されているのかをできるだけ身近な形で説明しようとする本である。就職サイトのリクナビによって企業に自分の情報を販売されていたことを知った学生は「それでもリクナビを使わない就活はありえないので、使い続ける」という選択をした。GAFA断ちを決意した記者は、取材のための下調べや、待ち合わせなどありとあらゆる局面で生産性が落ち、結局GAFA無しでは生きられないことを発見する。電話かショートメールが連絡手段となり、想定外の孤独を感じた記者は、頼みの綱の学生時代の友達を飲みに誘うが、皆に無視されたという。
「今どきショートメールなんて怪しさ満点。本人か疑った」と笑われた。ガラケー全盛期に培った友情のはずなのに、今やSNSの輪を外れると信頼が揺らいでしまう。』(データの世紀 loc.677)
だめな配偶者と別れられないみたいな状況がプラットフォーマーとユーザの関係にも起こっている。

2020年6月5日 金曜日
久しぶりに歯医者に。窓を全開にしてコロナ対策している。夜はFIRSTの2021年カンファレンスについて相談するための電話会議。

2020年6月6日 土曜日
学生時代の友人とオンライン飲み会

2020年6月7日 日曜日
招待有りの論文の執筆。仕上げの作業がなかなか集中力がいる。翌朝7時まで徹夜して仕上げる。徹夜明けにシャワー浴びて、スーツ着て、プロフィール用の写真をスマホで撮る。今回はこれでいいけど、次回はちゃんとしたカメラマンに撮ってもらいたい。

2020年6月10日 水曜日
モニター台を購入。夏で熱くなり、ノートPCの排熱のためにスペースを作るために買った。ついでに机の上からごちゃごちゃしたケーブルがなくなって気持ち良い。
ホンダのサイバー攻撃についての問い合わせ続く。

2020年6月12日 金曜日
前日から行われていた家の外構工事が終わる。見た目がスッキリしてちょっとスペースもできてよかった。コロナで自宅にいる時間が増え、家の中の改善に色々とお金を使うことが増えた。

2020年6月13日 土曜日
研究費で買ってもらった新しいプリンターが届く。エコタンクという大型のインクタンクを持っている。博論などの校正作業で大量に印刷するのは不可避なので、これで捗る。


2020年6月15日 月曜日
IGF2023は日本でやることが決まったらしい。アナウンスを見てびっくりした。

2020年6月16日 火曜日
午後、ロースクールの学生対象にサイバーセキュリティについて講義。スタバで買ってきてもらったアイストールラテを久しぶりに飲む。都会の味がする笑。


2020年6月19日 金曜日
新しいMacbook Airが届く。今度はストレージが1TBでデータの置き場所を気にしなくてよいのが嬉しい。しかし手持ちの2017年のオプションモリモリMacbook Proと比べて、若干遅い気がする。キーボードは深くなってとてもよい。
プロ野球が開幕する。無観客の試合でも、野球を見れるのは素直に嬉しい。


2020年6月20日 土曜日
翌週の国際安全保障学会のためのZoom接続テストおよびリハーサル。学会の運営というのは若手研究者のボランティアを前提としているようである。夜は学生時代の友人とオンライン飲み会

2020年6月21日 日曜日
博論の修正作業と、校正作業。今月2度めの徹夜。しかし6時位には終わった。目の前に1000匹の動き回るアリがいて、あなたの仕事はそのアリを一列に隙間なく並べることだとしたらどう思います? 書いている間はそんな気持ちでした。

2020年6月22日 月曜日
修正した博論を主査・副査の先生がたに送る。最終試験へ向けて準備着々。しかし公聴会のときと違って自信がない。頂きが近くなるにつれ、傾斜が急になる山である。

2020年6月24日 水曜日
昼休みの時間を使って、都知事選の期日前投票へ行く。段々と選挙がビックリ人間コンテストみたいになってきているのは気のせいだろうか。
新たな分野の研究に手を出そうと、文献調査を開始する。テーマはまだ言えないが、最初の数日で、良い研究になりそうな気がする。

2020年6月25日 木曜日
郵送された書類の確認などのため、神田にあるオフィスに赴く。4月上旬以来である。電車は普通に混んでいたし、世界は日常に戻っているようにも見える。昼過ぎにスリランカの知人と電話会議。割と意見の隔たりあり。
コーラが飲みたくて近所の薬局に行ったらオレンジバニラ味のコーラしか置いてなかった。意外と行ける!


2020年6月27日 土曜日
11時から国際安全保障学会定例会。国際政治の教科書で名前をよく見る、大御所がたくさん参加している。午後の発表の討論者として。短めに発表者の研究の位置づけをまとめ、わかりやすい質問を2つ投げかける。

2020年6月29日 月曜日
朝の散歩で自宅の近くに花屋を見つける。財布を持ってなかったので見学だけ。


2020年6月30日 火曜日
昼ごはんは久しぶりに外でラーメン。親戚にめでたく男の子が誕生。友人夫妻から手作りの布マスクを頂く。鼻の部分に金属が入っているなど、とても使いやすい。ありがとう。
執筆した論文のゲラが届く。この雑誌では記者ハンドブックに準拠するそうで、山のように校閲のコメント入ってる。確認に勤しむ。会社でも公開文書の記述の拠り所になっているし、記者ハンドブック買ったほうがいいのかもしれない。






Jun 7, 2020

5月の光景

いよいよ夏っぽい天気になってきた。暑い日に通気性の良い短パンで、後ろから強めの扇風機をかけて仕事をすると、とても気持ちいい。スーツを着て、エアコンの聞いた部屋で仕事するより3倍気持ちいい。在宅勤務のいいところをまた1つみつけた。




2020年5月4日 月曜日
取引先とのZoom飲み会

2020年5月7日 木曜日
リングフィットアドベンチャーが届く。

2020年5月9日 土曜日
山口先生の命日。柏にあるお墓を訪れることはかなわないが、たまたま同僚の一人がお墓のあるお寺の近くに住んでいる。彼にカメラをもってお墓までいってもらう様子をZoomで中継、残りの人達は自宅から参加した。

2020年5月10日 日曜日
公園に行くも遊具は使用禁止。仕方ないのでモグラの穴を探して掘るという遊びで時間をつぶす。夜はたこ焼き器を使って家でたこ焼き。ソーセージやチーズなどの変わり種を試すも、結局タコが美味しいねという結論に。
母の日なので花束をプレゼント。


2020年5月11日 月曜日
家から少し遠いラーメン屋さんがスープと生麺の持ち帰りサービスを初めていると知り、早速店舗を訪れる。
ネギやチャーシュなどのトッピングもついて1人前540円。久しぶりの本格的なラーメンは、体にしみいる感覚。

2020年5月12日 火曜日
自宅の光がアップロード1Mbps出なかったので速くするために、1)WifiのAP買い替え、2)ISP乗り換え、3)IPoE利用、PPPoE避けるを段階的に実施。速度テストはISPや設備よりも計測する時間帯の影響が出やすいので、本当は毎日同じ時刻に測らないと意味ない。が、up 0.62 down 18.4が200を超えたので満足。遅いのはエキサイト光が悪いと決めつけ、エキサイト怒り状態だった。今、改めて振り返ると、原因は宅内のWifiにもあったし、なによりNTTのPPPoE向け網終端装置のキャパオーバーが大きい。


2020年5月14日 木曜日
子供が自分用の小さな机を、仕事部屋に持ち込んできた。仕事する父の横で勉強をするらしい。頑張れ!


2020年5月15日 金曜日
5月は税金の季節ですね。確定申告でお金がもどってきて、自動車税に、固定資産税を払う準備。午後は大学院のゼミ。発表を聞く。

2020年5月18日 月曜日
有斐閣のジュリスト 5 月号の特集はプラットフォーム規制の現在地。5つの法律家、実務家の論文で構成。巨大IT企業を規制する動きを解説するだけでなく、事業者の視点から規制すべきでない理由も語られる。どの論文がというより、特集全体として面白い。

  • 「自分は単なる場の提供者にすぎず,利用者の行為に起因する権利侵害には責任を負わない」というよく聞く主張を森亮二論文は「プラットフォームの抗弁」と表現。藤井・角田論文は「プラットフォーム事業者は営利企業で、公益を担うインフラ企業とは一線を画す」そして曖昧な空気感による萎縮を懸念。これらの法律家の議論に続く日本のネット企業を率いた別所氏の論文は、プラットフォーム以前の技術も批判にさらされた中を成長してきたと例示し、規制による萎縮という言い訳をしないで、企業は挑戦し続けるべきと結んでて、かっこいい。
  • いずれの論文でも、「一国二制度」「域外適用」など表現の違いはあれ、多国籍に活動するプラットフォーム事業者を一つの国のルールで縛ることの難しさに触れている。そこは検討の途上にあるようである。


2020年5月20日 水曜日
稲田 俊輔「南インド料理店総料理長が教えるだいたい15分!本格インドカレー」 のサバカレーレシピ。外食できない今、家でこんな美味しいカレーが食べられるなんて。長い時間煮込んでこそ美味しいというカレーの常識を超越するレシピ本である。



2020年5月21日 木曜日
家の外構工事について打ち合わせ。データセンターについての勉強開始。

2020年5月22日 金曜日
取引先との打ち合わせ、その後オンライン懇親会。オンライン飲み会で参加者15人くらいになると話す人が限られてしまうかもしれないという不安から、各自決められた時間で「自分史上最高の何か」を発表する会にした。玄人はだしの書家、ハンドボールマスター、滝巡りなど、仕事だけだとなかなか見えない個性が見える良い会となった。

2020年5月23日 土曜日
外出自粛になってから隔週でおこなっている学生時代の友人とのオンライン飲み会。定期イベント化。

2020年5月24日 日曜日
新鮮なアジを3尾。自分で3枚におろす。いつも動画でみているようにはいかないが、及第点。

2020年5月26日 火曜日
朝のジョギングをしながら聞き続けていた、Wind of ChangeというポッドキャストについてTwitterにまとめを投稿した。米CIAが冷戦中にロックバンドを使って情報工作をしたという内部情報を追跡した番組で45分x8エピソードの大作である。おすすめ。


  • Wind of Changeは西ドイツのハードロックバンド スコーピオンズが1990年にアルバムに収録した曲。1991年1月にシングルカットされ、チャートを席巻した。ドイツだけで600万枚のセールス。冷戦で東西の行き来が少ない中、ソ連国内でも大ヒットし、自由化への期待を高めたと言われる。
  • パトリック・キーフ記者はCIAの複数の職員から、この曲はCIAがソ連の混乱を企図して作ってスコーピオンズに歌わせたという話を聞き、調査に乗り出す。キーフは政府に『スコーピオンズとCIAの関係」についての情報公開を請求するがもちろんゼロ回答。
  • CIAがポップカルチャーを使って情報操作をした例はいくつかある。映画アルゴで描かれたのは、CIAが映画会社を作って、偽の脚本まで書いて、偽映画のロケと偽って、イランに人質救出に向かった様子。 巨匠ルイ・アームストロングは国務省の企画に協力し、アフリカの27都市へのツアーを行った。動乱の真っ只中のコンゴでもコンサートをした。コンサートの4ヶ月後に、1961年1月にルムンバ首相が殺害される。この一件はCIAの関与が疑われている。
  • ソ連の情報機関はアメリカのロック音楽にかぎらずポップカルチャーの流入を警戒していた。ロックバンドは政府公認になって検閲を受け入れるか、非公認バンドで不自由を受け入れるかの2択だった。後者はテープにしかレコーディングできない、職業として認められないなどの不利益があった。1980年代レニングラード・ロック・クラブというKGBが目をつけたクラブが唯一ロックを演奏して良い場所だった。監視は行われたが、そこからキノーなどのロシアのバンドが育っていった。
  • ロックが敵視される状況の中、1989年8月にレーニンスタジアムでモスクワミュージックピースフェスが開催された。目的は青少年のアルコール、ドラッグ使用防止。ボン・ジョビ、スキッド・ロウ、モトリー・クルー、オジー・オズボーンが参加。バンドはアメリカからのチャーター機でモスクワへ。途中、ロンドンでスコーピオンズを拾う。機内で痛飲。オジー・オズボーンがトイレのドアを蹴り破るなど全員泥酔でモスクワ入りする。(アホくさくて好き) フェスの目的に合わないバンドが選ばれた理由は、ブルース・スプリングスティーン、ホイットニー・ヒューストンなどのよりアメリカを代表する人選をしなかったのか?理由はフェスがドク・マクギーという大物音楽マネージャの仕切りだったから。ドクは1年ほどかけてフェスの準備をしたが、そもそも前年に麻薬の密輸で起訴されていた。記者は、ドクと米政府の間で密輸に目をつぶる代わりに、ソ連にロック音楽を持ち込むという取引がなされたと疑い、本人に問うも否定される。
  • 記者は取材の総仕上げとして2020年1月にスコーピオンズのボーカル、Wind of Changeの作詞作曲者、クラウス・マイネを取材する。「曲はCIAが書いたか?」という問いをマイネは否定。「もらったばかりのヤマハのシンセサイザーで遊んでいて」「ミッキーマウスのノートに書いた」など回答は具体的。結論「CIAが曲を書いたという証明はできなかった」。しかし現代でもCIAはハリウッドにリエゾンを送っている。映画ゼロ・ダーク・サーティは拷問をビン・ラディンの場所を特定するために不可欠だったと描く。米国の情報操作は今も現在進行系であると記者は結ぶ。


2020年5月28日 木曜日
朝、ジョギングをしたら、公園の遊具が使えるようになっていた。夜はUNIDIR主催のセミナーに聴講。

2020年5月29日 金曜日
8:30からコロンビア大学SIPAとのセミナー。質問などしないといけないかと思ったが、聞いてるだけで時間終了。

2020年5月30日 土曜日
友人の子供2名が泊まりにくる。賑やかで楽しい。











May 15, 2020

4月の光景

大分書くのが遅くなりました。

遠隔勤務が続く。いろいろな理由でチャットに参加をするケースが増えた。SlackやMattermostのワークスペースが今月だけで3つ増えた。チャンネルはいくつ増えたんだろう。。。特に時差がある人達とのチャットは、過去に盛大に失敗した経験があるので、今度こそ既読スルーをあまりしないよう頑張りたい。

そして毎朝のランニングは継続できている。むしろ1日のなかで楽しみな時間である。



2020年4月7日 火曜日
オンライントレーニングのために久しぶりに出社。都内は空いている。会社で同僚が書いた論文が掲載されたジャーナルを読む。
佐々木勇人. 2020. “サイバー"兵器(ウェポン)"の軍備管理は可能か ー脆弱性情報管理によるアプローチの可能性ー.” CISTEC Journal (186): 192–99.

昼はお気に入りのお寿司屋さんに行く。閑古鳥が鳴いていた。


2020年4月8日 水曜日
誕生日。電話会議にログインしたら同僚がこんな粋なお祝いをしてくれた。


誕生日は家族に祝ってもらい、また実家の両親からもプレゼントをもらった。例年だとこの時期出張が多く、近年まれに見る充実した誕生日だった。

2020年4月17日 金曜日
元同僚とオンライン飲み会。椅子についてアドバイスもらう。

2020年4月20日 月曜日
長い時間家にいると、夜間にやたらとインターネット接続が遅いことに気づく。Youtubeのトップページがロードされないくらい。スピードを確認したらダウンロードが1Mbpsでていない。ISDNよりはちょっと早いかなレベル。手をうたねば。



2020年4月25日 土曜日
米中ハイテク覇権のゆくえ宇宙と安全保障を読む。宇宙と安全保障はAmazonなどでは取り扱わないようである。honto.jpという謎のサイトにユーザ登録して購入した。不便である。そして本は難しかった。

2020年4月27日 月曜日
無線LANの機器を入れかえ。新しいのは気持ちいい。IPoE対応の機器にしたが、Baffaloの製品はユーザインターフェイスが90年代から進歩ない。
午後、待ちに待った新しい椅子が届く。リクライニング以上に、安定感があるのが気に入った。椅子自体が30kg近くあるので多少のことではガタつかない。

2020年4月30日 木曜日
だいぶ前に買っていた暴走するネット広告を今更読む。漫画村の問題を、その漫画村を支えていた広告収入、広告を出稿していたクライアントをたどる作業を通じて描く。
スポンサーが絶対で、広告業界と事を構えたくないメディアはなかなか手が出ない領域に、取材班は意欲的に切り込んだ。すごい。



Apr 9, 2020

3月の光景

幸いなことに私は、海外とのやり取りが多い仕事柄、オフィスに出社せずともできる仕事が多い。従って3月前半ごろから感覚的には6-7割在宅勤務をしている。自宅勤務が増え、なんとなくコツのようなものを掴みだす。

まず、朝は通勤の代わりに30分ほど走る。Spotifyで聞いたことのない曲を聞きながら5kmほど走る。近所の川沿いの緑道を経て、大きな公園の中を周回して戻ってくるというコースである。春先の陽気も相まってこのジョギングはとても楽しい。頭と体をきちんと「起床」させたら、家族に「行ってきます」と告げて、部屋にこもる。

職場のチームメンバーとは朝と夕方にビデオ会議をする。コミュニケーションには音声で十分であり、ビデオを不要という意見はわかるが、ビデオでも顔をみることは大事だとおもう。ビデオ会議がなければパジャマで一日を過ごせてしまう。電話会議中に子供が部屋に入ってくる時には無理に止めず、あえて呼び込み挨拶をするよう促してみる。結果、父が部屋にこもっているときは、仕事をしていると理解してくれ、乱入は減った。

午前と午後に一回、キッチンに降りていきおやつやお茶を用意する。昼食は家族と食べることが多い。仕事は18時にはきっちり終える。日に2時間半以上の通勤の時間が浮いたので、残業する必要性はほとんどない。夜は本を読まなければいけないと思いつつ、ニンテンドースイッチで遊んでいることが多い。


2020年3月2日 月曜日
前日までの週末でコロナウィルスへの警戒度が上がったことを感じる。部署の遠隔勤務の計画を作り、出社しないでも業務を継続できる環境を整える。この時点で4月の頭には平常業務に戻るだろうなという感触。

2020年3月5日 木曜日
夜は東京タワーのふもとで会食。ラムチョップが美味。都心に一泊。





2020年3月6日 金曜日
朝から霞が関で会議。

2020年3月10日 火曜日
三田共用会議所で会議。先輩研究者がその設備の豪華さに感動していた。たしかにその名前からイメージされるよりはしっかりした施設である。
会議自体も非常に刺激に満ちた内容。パネルのモデレーションも特にそつなく終わる。夜は先生たちと三田駅近くの餃子が美味しい中華屋へ。



2020年3月11日 水曜日
アジア各国とのサイバー演習があり、部署丸ごと出勤となった。せっかくみんなオフィスにきたので、ということで夜は演習の打ち上げと称してビールを飲みに行く。
鳥をオーブンで丸焼きにした料理がおいしい。遠隔勤務は快適だが、息苦しくならないように、同僚や取引先とリラックスして別のことを話す時間や機会は意識的に作っていきたい。

2020年3月17日 火曜日
午後に、接客1件。原稿執筆の依頼だが、非常に好条件の仕事でホクホクである。他の仕事が減る今、考えて、物を書く仕事をきちんとしたい。

2020年3月20日 金曜日
5月のゴールデンウイーク辺りに予定されていた大きな仕事がキャンセルとなった。困った。夕方は、家族でふぐをご馳走になる。

2020年3月23日 月曜日
午前は会社で普通に仕事。午後は秋葉原に健康診断を受けに行く。昨年9月に予定していたものがだいぶ遅くなってしまった。
自宅で仕事の時に使っている椅子の座面が尖っていて気になる。代わりとなるものとして、ゲーミングチェアにするか、高級オフィス椅子にするか迷っていて、いくつか椅子のある店を巡る。

2020年3月31日 火曜日
会社を休み。リフレッシュにつとめる。

当初新型コロナウイルスは中国の武漢で大流行と報道され、中国の問題という認識だった。それが徐々に感染拡大し、イタリアやニューヨークで感染者と死者が増えるに連れ欧米の問題という認識に改まっていった。そしてこれを書いている4月5日現在、国内感染者は3500名超。日に100名以上のペースで新規感染者が増えている。その影響がどこまで広がるのか、誰にも予測ができない。個人的には海外出張などは2020年中は無理だろうと思っている。





Mar 2, 2020

2月の光景

今月読んだ本のなかで最大のヒットは益尾知佐子. 中国の行動原理 -国内潮流が決める国際関係-. 中央公論新社である。
近年、巷にはさまざまな『中国論』があふれている。だが、中国の『野心』『陰謀』が強調され、中国は自分の利益を拡大するために良からぬことを企んでいるという印象論で組み立てられていることが多い。このような視点から描かれる中国は、我々と同じ人間が作る社会ではなく、あたかも妖怪が闊歩する不思議の国のようである。こうした話の作り方は、中国共産党の半日宣伝と質的に大差ない。(p.iiより)
この本で益尾はエマニュエル・トッドらの研究の土台の上に、家族構造の差から両国の社会構造の違いを明らかにする。益尾によれば日中両国は親子関係が権威的(子が結婚後も同居)という共通点がある。一方で日本は兄弟関係が不平等(親の財産が均等配分されない)、中国は平等であるという相違点がある。その結果、中国では1人の老板(ボス)の下に差が無い複数の子というリーダーシップ構造ができあがる。日本では次男は三男より若干偉いというような階層構造ができあがり、子の間でも相互のやり取りが生まれる。 中国の社会秩序の4つの特徴である①権威が最高指導者に一点集中、②組織内分業はボスが独断で決める、③横のつながりがない、同列の部署はライバルである、④潮流に乗ろうとする、はこの家族構造の違いで説明できるという。


2020年2月4日 火曜日
新宿のホテルで朝ごはんを食べつつアメリカからのお客さんと情報交換。今年はオリンピックの影響で4月に行われるらしいインターロップでパネル登壇依頼。久しぶりのインターロップ楽しみ。

2020年2月5日 水曜日
夜は取引先と懇親会。終わってから自宅ではなく、湘南台のホテルへ。翌日の公聴会に備えて、前泊。

2020年2月6日 木曜日
朝5時に起きて、コンビニで急遽博論を印刷。250ページ印刷すると5000円くらいかかる。コンビニで印刷する量じゃない。11時くらいから公聴会。結果はギリギリ合格はしたものの、相当頑張らないと最終試験に耐えられないということのようである。今学期に全て終わると思って、あと少しと自分に言い聞かせていた部分があったので、精神的にはショックをうける。
お昼を挟んでキャンパス内で、同じ研究室の後輩に冷静なアドバイスをもらう。聞き上手で、話しながら落ち着きを取り戻せた。感謝。

2020年2月10日 月曜日
夜は赤坂でイタリアンを食べつつ、研究の相談。

2020年2月12日 水曜日
藤沢へ。学位審査委員会のメンバーではない研究科の先生に博論へのコメントをいただく。

2020年2月17日 月曜日
午後は三田へ。学位審査委員会のメンバーではない研究科の先生に博論へのコメントをいただく。結構クリティカルなコメントがあり、これは修正大変そうという感触。12日もそうだが、サイバーセキュリティは専門でない先生からのコメントにうまく反応するには、普段自分にとっては自明という部分についても、きっちり考えていないといけない。博論の中の、根拠が甘いなんとなくの部分が、次々明らかになってくる。

2020年2月19日 水曜日
朝一から電話会議も含めて、接客5件。産休に入る取引先、視察、元同僚の来訪とバラエティに飛んでいる。
合間に2020年度の仕事の計画に思いを巡らす。夏のオリンピックがどう仕事に影響するかがわからない。

2020年2月20日 木曜日
夜は大学院の仲間と新宿でビールを飲みに行く。衝撃の事実が次々と明かされ、自分の公聴会のダメージも和らぐ。持つべきものは先輩である。

2020年2月21日 金曜日
新型ウィルス対策のため、遠隔で勤務する。朝昼夕と同僚と電話会議しながら手探りですすめる。合間もビデオ会議システムにログインしたままにしていたが、自分の部屋で流していたラジオが向こう側に流れっぱなしだったらしい。終わっちゃうの残念、King Gnu井口理のオールナイトニッポン。
5月末までに1万文字の原稿の依頼が来る。招待有りの原稿というのは、よっぽどのことが無い限り、ちゃんと出版してもらえる。掲載されるかは完全な博打の査読論文を書くのとくらべて、今の気持ちは大富豪である。

2020年2月22日 土曜日
午前は劇を見に行く。午後は博論の続き。博論の分析の枠組みという、かなり土台の部分に手を入れるか迷う。


2020年2月23日 日曜日
子供とミートソースパスタをつくる。ミートソースが美味しくできて満足。「マルのイカ」が食べたいということでイカもおろしたが、イカ焼きにするなら皮を向かないほうが良かった。

2020年2月24日 月曜日
自宅で博論と仕事の続き。同僚のRSAカンファレンスのためのサンフランシスコ出張が突如キャンセルになる。仕方ない。この前後で、自分自身もルーマニア出張、福岡での会議、インタロップ、ロシアとアメリカからの来客1件づつがキャンセルになった。
夜、カンボジアへ向けて出発。

2020年2月25日 火曜日
朝10時ごろにカンボジア着。翌日のプレゼンの用意をしたり、同僚に借りた「中国の行動原理」を読み進める。そして、とにかく後書きがパワフルである。ぜひ、本を手にとって後書きを読んでほしい。

2020年2月26日 水曜日
終日会議、夜は懇親会。ラオスからの参加者が、日本に12年住んでいた人で驚いた。都内のラオス料理だったら吉祥寺のランサーンがおすすめと教えてもらう。聞けば、都内のタイ料理の多くはラオス人が経営しているという。確かに我が家の近くのインドカレー屋はたいていネパール国旗を飾っているし、ヨーロッパで見る寿司屋はたいてい韓国人が経営している。この現象になにか名前がつけられないものか。


2020年2月27日 木曜日
午前はプレゼン。午後の会議がおわってから、たまたまシェムリアップにきている知り合いと遅めのランチ。しこたまビールを飲んでから空港へ。

 

2020年2月28日 金曜日
朝7時に帰国。花粉は少なめ。IGF報告会に登壇の予定だったが、中止になった。両親と家族旅行に行く。羽田空港でシャワーを浴びて、上野駅から常磐線の特急と大洗駅へ。昼頃家族と合流して水族館へ。ダイオウグソクムシやタカアシガニを触れて大満足。夜はあんこう鍋を堪能する。

2020年2月29日 土曜日
温泉をチェックアウトして、イチゴ狩りへ行った。甘くて大きいイチゴに大満足である。