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Aug 7, 2020

文系社会人の「博士への長い道」

はじめに

私は、2014年4月に慶應義塾大学政策・メディア研究科後期博士課程社会人コースに入学し、2019年9月に単位取得退学し、2020年7月に博士(政策・メディア)を授与された。以下に記すのは私自身の体験記である。特に社会人で、これから博士号を取ろうとする人の参考になればと思って書いている。

博士号取得への道のりは、百人百様である。文系、理系、医療系でも異なる。大学院によっても異なる。さらに言えば、同じ大学院で同じ先生の下で学んだ1つ上の先輩と、1つ下の後輩と私との違いも小さくない。博士課程での研究はユニークなものではなければならない、だからその研究の道のりも一様ではない。ここに振り返るのは毎年国内だけで10000人以上に授与される博士号のうちの1つの事例である。

私の事例は、①博士課程の社会人コースに属するいわゆる社会人ドクターだったこと、②ブログ界隈に珍しい文系の研究者であること、③修士号を持たずに博士課程に入った、という3つの特徴があると思う。


なぜ大学院か

私は、学部卒業以来、一貫してサイバーセキュリティ技術者として生きてきた。JPCERT/CCという非営利団体で働いている。JPCERT/CCは年間2万くらいのサイバー攻撃に関する報告を国内外から受け、その対応のアドバイスや攻撃の停止のための調整を行う組織である。

2010年くらいまで、基本的にこの世界は情報セキュリティと呼ばれていて、サイバー攻撃をするのは自己顕示欲にかられた若者か、金銭目的の犯罪者だった。ところが軍隊やインテリジェンス機関にハッキングを行う能力が備わり、国家によるサイバー攻撃がみられるようになってきた。そして、サイバー攻撃に関する国際的な調整は、技術のみならず、法律や政治や文化などの幅広い知識が求められるものに変化してきた。

そしてその時代の変化に追いつくための作業は一人では難しそうだった。国際政治や安全保障の分野について大学院で研究したいと思っていた。


博士号取得までの流れ


博士号取得にはとても時間がかかった。何にそんな時間がかかったのか自分でもよくわからない。


2013年

4月

情報セキュリティに関する国際ルールのあり方やサイバー戦争の時代に政府、企業、CSIRTがどうリスクコントロールしていくべきかという点に興味を持ち、もう一度大学で勉強したいと漠然と考えていた。

慶應のT先生がこの分野で研究実績豊富であったが、「2014/4より在外研究で日本を離れるため、大学院生を受け入れていない。」と個人Webサイトに明記されていた。T先生とはなにかの研究会で一度だけ会ったことがあった。Webサイトに乗っているアドレスにメールすると、一度話してみましょうということになり、藤沢で相談に乗っていただく。指導を引き受けていただけるということで1年後の2014年4月入学を目指すことに。


10月

博士課程の入試出願書類は、TOEFLの受験や学部時代の成績証明書の取得など時間がかかる作業が多かった。自分のように、修士課程を経ていない場合は、出願前に社会人として修士相当の研究実績を積んでいるので、博士課程への出願を許可するという紙をもらう必要がある。

出願時にプログラムを選ぶ。GR,HC,PS,EGなどの略称で表記される。同じ政策・メディア研究科の中でもプログラムによって作法や雰囲気がかなり違う。学位取得までの平均年数や取得率も違う気がする。しかし出願時点では、指導教員が所属するプログラム(私の場合はGR)を選ぶだけで、学生に選択の余地はない。入学後にプログラムを変更する人をたまに見た。


12月

入試は書類と面接で判定される。志願者と合格者の数が当時のWebサイトに掲載されていたが、たまに落ちる人がいるという程度である。進学を希望する理由や、提出した研究計画書に沿った穏やかな確認作業という印象だった。時間は20分と短い。


クリスマス前のSFCは全く人気がなかった。

3日後にオンラインで合否が発表された。「受験番号9W2505の方は入学試験に合格しました。」


2014年

4月

4月頭に大学院ガイダンスというオリエンテーションがあり、藤沢へ。学生証をもらうのと、メールなどの大学システムへのアクセスを得る。オリエンテーションでは基本的な学位取得までの流れが説明された。当時と今では学位取得プロセスが若干違う。参考までに大学院ガイドに示されている、現在のプロセスの説明資料を以下に示す。



プロセスが複雑に感じるかもしれない。博士課程修了と博士号取得の2つの流れが1つの作業として表現され、さらにこの流れが学生の作業を示すものではなく、大学院の事務手続きの流れを示すものだからだろう。例えば査読論文を書いてジャーナルに載せる、博士論文執筆という重要な作業が、ここでは触れられない。

大学院ガイダンスでは大学院のトップ(研究科委員長という)が教壇にたち、社会人でたった1年半で学位をとった人がいること、しかし学位取得率はそこまで高くないので頑張れと学生を鼓舞していた。当時のメモには「きっちり3年、できれば2年半で博士号を取得する」と書いてある。

入学前から準備をしていたので、早速この月にグローバル・ガバナンス学会大会での口頭発表を行う。


6月

博士課程最初の誤算がおきる。FIRSTという国際団体の理事選挙に出ることになり、めでたく当選した。昼夜土日を問わないメールの波、そして月に1-4回の深夜の電話会議がここから4年間続いた。昼の仕事(JPCERT)、夜の仕事(FIRST)、大学院の掛け持ちの結果、どの仕事も中途半端になり、どこにいっても「メールの返事できてなくてすいません。」から会話が始まるという、よろしくない状況に陥る。心理的多重債務者である。


FIRSTの理事と共に

この国際団体の仕事では、加盟を希望するスーダンやイランの組織の扱いを巡って、米国のOFAC規制などを理解することを強いられた。国際団体を標榜すれど、銀行口座が米国にあれば、米国の規制を受けるという当たり前を経験し、グローバル・ガバナンスや国際関係論を見る視点が少し変わった。経験は博論にも強く反映された。


9-12月

ワシントンD.C.で行われたTPRC42という国際会議でポスター発表を行った。これで博士の要件の1つ国際会議での発表をクリア。最大の難関は現地でポスターを印刷することだった。2度目があるなら、素直に国内で印刷して機内持ち込みする。

さらに大学院セミナーでのインフォーマル研究発表(10月)を行った。インフォーマルは特に合否がつくものではないのだが、初めて大学院の先生たちの前で発表をするということで、かなり緊張したことを覚えている。

まとめると2014年は誤算があったものの、入学前の準備のおかげで、きちんと成果を出せた年だった。


2015年

『サイバーセキュリティに関する国際連携の実態 日本におけるインシデント対応のデータ分析』などというタイトルで論文を書こうとしていた。が、5ページくらいのメモが出来上がっただけで、書き上げることができなかった。

論文が書けないのが苦しいので、研究というよりは勉強に逃避した。3ヶ月かけて、サイバーセキュリティの歴史をまとめた年表を作ったりした。良かれと思ってやったことだが、博論の中で1行も使うことなく結果的に無駄足だった。

2016年

前の年の12月に子供が産まれ、引っ越す。生活が激変する。およそ3ヶ月に1度の頻度でT先生にあう。そのたびに投稿できそうなジャーナルをおすすめしてもらう。『アフリカ諸国におけるサイバーセキュリティ政策』などと言うタイトルで書き始めたが、フィニッシュできず。

2015年と2016年は、まったく進捗のない2年間だった。


2017年

4月

知人からサイバー空間の規範を作る国際委員会を手伝うように頼まれる。時間的な余裕はないが、その経験で査読論文がかけるのではないかという下心もあり、関係各所にお願いして参加させてもらうことにした。後に、主査のT先生もこの委員会に関与していて、一緒に出張する機会が増えた。会議の空き時間などに、やっている研究へのアドバイスを貰えるようになって助かった。

この会議は本当に刺激的だった。単なるスパイ映画大好きおじさんだと思っていた人がMI6の元No.2だったり、ハッカー会議の創始者ジェフ・モスと喫煙所でいろんな雑談したり。ジョセフ・ナイには日本のアダルト動画事情を進講さしあげたので、人類の知の発展にもいくらか寄与したはずである。密室の議論の中からなんとか書ける部分を拾い集め、博論の中の一節として使うことができた。


エチオピアにて。


9月

丸2年なんの成果もなくT先生からも急ぐようアドバイスをもらう。グローバル・ガバナンス学会に主要国のサイバーセキュリティ戦略に関する分析する論文を投稿した。仕事の台湾出張と論文の締め切りがかぶる。日中はトレーニング講師をし、終わって夕方から朝まで論文書くという作業を2日連続する。2日目の徹夜の明け方、ファミマで買ったレモンジュースを飲みながら、「何故、自分はこんなつらい生活をしているのか」と台中の朝焼けに問うたことをよく覚えている。

結局、この論文は研究ノートとして採用されることになる。研究ノートというのは「学術論文としては認められないが、ジャーナルには掲載してあげますよ」という性格のもので、学位取得に必要な業績としてはカウントできない。査読論文2本という条件は翌年に持ち越される。論文の内容に全く満足できないが、なんにせよ、自分の書いたものがジャーナルに載ることがきまり、若干モチベーションがアップする。

2018年

1月

前年から温めていたテーマ「北朝鮮のサイバー攻撃能力」に本格着手した。年明けからひたすら北朝鮮についての文献を読む。大学院4年目に予備知識が無い研究テーマに取り組むのは、今振り返ると非常に危険な賭けだった。ただ、仕事とは全く関係ない、未知の領域を独力で開拓している実感があり、純粋に楽しかった。

セネガルで北朝鮮の技術者たちの渾身の作を見学した。



6月

FIRST理事の2度目の任期満了でお役御免となった。これを境に一気に執筆の時間が取れるようになる。InfoComレビューに北朝鮮のサイバー攻撃についての論文を投稿し、10月に受理される。これで査読論文1本クリアする。

北朝鮮の論文が書き終わった直後、「改めて、CSIRTとは何か」という問いに改めて向き合う論文を書きだす。


11月

学会発表を実施したのが2014年の2回だけだったので、T先生からもう1回やっておいたほうがいいというアドバイス。情報通信学会で口頭発表の機会をいただく


2019年

2月

前年書いた北朝鮮に関する論文を英語にして公開する


3月

アーミテージプログラムと呼ばれるに教育プログラムに参加し、ワシントンD.C.へ出張する。複数の教員と博士課程の大学院生が参加し、研究についてアーミテージ御大からコメントいただいたり、シンクタンカーや学生と意見交換するというものだった。研究についてアーミテージ氏の前で発表し、質問というよりも尋問にあう。他に院生が3人参加していて、大学院生活の修学旅行みたいな気分だった。

引率の先生たちがシンポジウムのスピーカーとしてどう振る舞うのかを見るのも勉強になった。特にS先生が、スライドはおろか手元のメモも持たずに、ロジカルかつ流暢に自分の国際情勢分析を披露しているのには度肝を抜かれた。そもそも会場に手ぶらで来てた。名うての国際政治学者にお供して回るワシントンD.C.という街は、仕事で来る時には決して見せない顔をしていた。

同じく3月に、情報通信学会に「CSIRTと国際CSIRTコミュニティ」というテーマで論文を投稿した。6月に通る。CSIRTで実際働いてきた社会人経験を活かした論文で、良いトピックだった。この論文が終わった後、主査から博論の準備を始めるよう指示があり、構想を練り始める。もともとあった問題意識を、既存の国際関係論やグローバル・ガバナンス論にうまく接続させるかが大事だった。


5月

大学院セミナーでThesis Proposalという博論の計画発表を実施し、合格した。本格的に博論の執筆が始まる。ここから2019年夏の週末はほとんど一橋大学の図書館で過ごした。博論もやはり途中で筆が止まることはあった。そういう時は「今日は2行だけ書いて寝る」と自分に言い聞かせてWordファイルと向き合った。本当に参考文献を1つ追加して終わることもあったし、予想外に2ページくらい書けてしまうこともあった。


お世話になったキャンパス


9月

200ページを超える原稿が出来て、主査と副査の先生に送り、アドバイスを頂く。博論以外の全ての条件を満たしたので、博士課程を単位取得退学した(9月21日)。研究科委員会で学位審査委員会立ち上げが決定される(12月4日)。

2020年

2月

学位審査委員会が立ち上がると博士課程は最終章である。ただ最終章も一筋縄ではいかなかった。公聴会(2月6日)では博論を発表したが、先生方から大きめの問題を指摘される。それを受けて2月は個別に先生方にアポをとって、どう修正したらよい博論になるかのアドバイスをもらう。地道に直す。


とにかく印刷して、赤入れして、直しての繰り返し。


7月

1つ直すと、また色々な問題が生じてくる、それを埋めてという作業を繰り返して、7月頭に最終試験を実施した。これは主査と副査と自分だけの口頭試問である。コロナウイルス感染症の影響で2名の先生が遠隔で参加された。最終試験でも、いくつかの修正要求があった。最終試験の翌週に、必死に誤字脱字の最終確認をし、博論を印刷製本し、SFCに郵送した。


大学図書館に納めた博論がこれ。

私はもちろん参加していないが、研究科委員会が7月31日に開催されて、投票の結果学位の授与がきまったという連絡をT先生からいただく。これで6年3ヶ月に及ぶ長い長い道のりがやっと終わったわけである。


社会人院生の実態


勤務先の理解

社会人が博士課程に進む上で、勤務先の理解は重要である。学費を負担してくれる企業であれば言うことはない。大学院にも奨学金制度は様々あるが、年齢制限や社会人として給与所得がある人が給付対象から外れるものもあるからである。

私の場合は、勤務先は協力的であった。仕事のしわ寄せがいく同僚も快く送り出してくれた。それは研究テーマと業務の内容が近しいということが一番大きな要因だと思う。


通学

政策・メディア研究科の博士課程に授業はない。主査の先生のゼミに出るだけである。私が所属した研究室ではゼミは1-2ヶ月に1回の頻度で都内で開かれた。希望する院生が研究発表をして、先生と他の院生からのフィードバックを受ける。

時間的・地理的拘束はほとんどない。とにかく査読論文を書いて、研究業績を積み上げることだけが求められる。したがって政策・メディア研究科でも藤沢のキャンパスに行くのは年4回程度、大学院セミナーや窓口に出向く必要のある事務手続きのみであった。


費用

私は言ってみれば2.5年留年したので学費が人より高額になった。普通は休学するのではないか。私もそうしたかったが、外国語などの要件を満たしてしまうと休学できないというルールに阻まれた。

内容費用備考
学費¥5,200,000入学金なども含む。内訳は初年度116万、2-4年目98万、5年目73万、6年目半期 37万
TOEFL受験料¥25,000
大学院授業料¥35,630
学会の会費。3学会6年の合計¥80,0003学会6年の合計でこのくらい。
名刺¥7,000
海外学会出張¥230,000ホテル 38,749円、会議参加費 14000円、航空券 159,000円、ポスター印刷費 9,000円、空港タクシーなど 10,000円
国内学会出張¥26,000京都日帰り
研究に使用するソフトウェア¥54,000MendeleyとDropboxのサブスクリプション
液晶モニター¥30,000博論執筆用
¥5,687,630

上の表に含まれていないものとしては、大学までの交通費、キャンパス最寄りのホテル宿泊代、切手代、印刷費、紙代、プリンターのインク代などがある。

文系の研究者として書籍購入の費用は最も大きい。大学院にプログラム費という制度があり、1年に約10万程度の研究にかかる費用を申請すると大学が払ってくれる。2-4年目はこれを書籍購入の費用にあてていた。

海外学会発表は、様々な助成プログラムがあるので申請すれば大学に出してもらえたと思う。ただし都内で働く社会人が、助成プログラムの申請のために会社を休んで、先生の印鑑をもらって、藤沢の窓口に行くとなった場合、どれだけの時間が失われるかを考えると、利用を躊躇してしまう。

総額は当初見積もりの2倍の600万円くらいだろうか。私の場合、勤務先からの補助はないので、これは純粋に自分の未来への投資である。もともと、海外の大学に修士を取りに行こうと思って貯めていたお金を使った。

時間

お金もそうだが、多くの社会人にとってより厳しいのは時間の確保だろう。「研究は短い時間でも毎日少しづつすることが重要」と、主査からは繰り返しアドバイスを受けていた。忙しい時期は通勤時間に読書する気力も無く、現実には、週末2日のうち1.5日にまとめて研究するというのが基本的なリズムだった。

読書のような細切れの時間でもできる作業と、執筆のような数時間邪魔されない環境で集中を要するものがある。後者は深夜家族が寝静まった3時くらいが一番捗る時間帯だった。

時間を作るため、いくつか削らざるを得なかったものがある。まず、大学院に入ってから夜に同僚や同業者と飲みに行く回数が激減した。そのような機会が好きで楽しんでいただけに最初のうちはストレスが溜まった。

ブログやTwitterもなにげに時間を取る。それだけではなく、ブログを書くと自分の中にある「書きたいという欲求」がある程度満たされてしまう。成果として論文を考えている期間は、ブログやSNSからも距離を置いた。

なお、時間確保という点で一番大きな変化があったのは子供が生まれた時期である。子育てと博士課程を両立するお母さんがいるらしいが、本当に尊敬する。

苦労したこと


先行研究を批判的に読む

研究の出発点として、先行研究を単に読むだけでなく、批判的に読んでいく必要がある。先行研究の課題を指摘できなければならないのである。長い社会人経験で、私はそれとは逆の能力を培ってきた。たとえば取引先とのやりとりで、自分にとって受け入れ難いことがあったとしても、無意識に共通の認識を探し、違いをすり合わせようとしていた。批判しないように意識的に努めてきた。染み付いたこの癖を自覚し、批判的に読み、批判的に聞くことができるようになるまで時間を要した。クリティカル・リーディング入門という本がよかったが、それ以上にゼミや大学院セミナーで他の人が質問しているのを聞いて徐々に身についてきた。


分析の枠組みという言葉、論文とレポートの違い

論文を書き始めた頃、下書きを先生に見せた際に、「分析の枠組みがない」、「事実を積み重ねるだけではレポートであって、論文ではない」という指摘を何度か受けた。大学院で他の社会人院生が同様の発表をして「控えめに言って研究とは言えない」とバッサリ切られているのも目にしたので、この点が理解できていない人は潜在的に多くいるのだと思う。もちろん今は理解して、自分の各論文では明確に分析の枠組みを書いている。ただ人にうまく解説できないので、私は真に理解できていないのだと思う。

論文の書き方を指南する本を何冊か読んだ。結局一橋大学田中拓道先生の解説北海道大学鈴木一人先生の解説を繰り返し読んだのが一番よかった気がする。また、Kathryn L. Allen編 スタディスキルズ―卒研・卒論から博士論文まで、研究生活サバイバルガイドがおすすめである、論文の書き方だけでなく、情報収集の手法、口頭発表の仕方、悩みがちな人との接し方、コンパクトに一冊に解説されていておすすめである。


大学院特有の時間の流れ、持久力の大事さ

研究テーマを思いつき、主査に相談し、大学院でセミナーをし、博論を書き、公聴会をし、最終試験をする。短くても2年程度は同じテーマを考え続けることになるのではないか。そのあたりの「時の流れ」が年単位、期単位で決算する企業活動とは大きく異なる。大学院のほうが腰を据えて1つのテーマを追い易い。僕の場合も、サイバー空間のトリレンマという自身の分析の枠組みを1年くらい、ずっと頭の片隅に置いて弄り続けた。何かに興味を持ち、数年それに飽きないという知的持久力は、特に博士課程に必要かもしれない。


ささやかなアドバイス


指導教員はめぐり合わせもある

博士課程は、主査とよばれる先生との二人三脚に近い。「どんな先生に師事するかはかなり重要である」ということは様々な書籍に繰り返し述べられている。しかしながら、学生の研究指導を引き受けるかどうかの決定権は基本的に先生の側にあり、学生が指導教員を選べるという状況は珍しい。万一、学生側が選べる状況だったと仮定して、どういう先生を選ぶべきだろうか。研究指導に熱心かそうでないかを外側から推し量る方法はあるだろうか。

一般論として、定期的に博士号を取る学生が出ているのは文句なしによいサインだと思う。定期的の条件が3年に1人なのか、1年に3人なのかは分野にも、大学にもよりそうである。

もう1つ、大学教授の中には自分のWebサイトなどで、博士課程の指導の方針や学生に求める点を明確に示している人がいる(例1例2例3)。このように先生側が学生側に求めることを明確に提示しているのは、求められる条件が厳しかったとしても、よいサインだと思う。その先生の頭の中で学生指導のあり方が整理されていることの証拠である。そして学生とのギャップを埋めようと文章を書くのを厭わないことから、指導に熱心である確率が高い。

繰り返すが、そういう先生が指導を引き受けてくれるかは別の問題である。運とか縁とかめぐり合わせと呼ばれるものも重要である。


英語は気合で頑張れ

論文の査読、博論の審査、基準が不明確な博士課程の中で、外国語の要件だけははっきりしていた。TOEFL79-80点以上とれる程度に英語ができないと、博士はとれない。ところが博士課程には英語力の底上げができるような授業も制度もない。従って英語力が一定の基準に達しない場合、そこは自力で勉強することが求められる。


研究不正は駄目

研究不正は論外である。論外だが、現実に一定の割合で起こっている。私の大学院在学中にも、剽窃、捏造などの研究不正があり、学位が取り消しになった事例がある。気をつけたい。

オフラインで情報収集を

もし博士号取得を真剣に考えている場合、近くにいる経験者に直接聞いたほうが良い。博士課程の本当の楽しさも、辛さもインターネット上にはなかなか書きにくいものである。生存バイアスがかかるかもしれないので、修士をとったが博士課程に進まなかった人、単位取得満期退学をしたが博士号取得に至らなかった人の話など、両側から意見を聞けたらもっといい。



以上。

Jun 30, 2020

6月の光景

データの世紀という本を読んだ。アマゾンやグーグルなどのプラットフォーマーによって、個人のデータがどう利用されているのかをできるだけ身近な形で説明しようとする本である。就職サイトのリクナビによって企業に自分の情報を販売されていたことを知った学生は「それでもリクナビを使わない就活はありえないので、使い続ける」という選択をした。GAFA断ちを決意した記者は、取材のための下調べや、待ち合わせなどありとあらゆる局面で生産性が落ち、結局GAFA無しでは生きられないことを発見する。電話かショートメールが連絡手段となり、想定外の孤独を感じた記者は、頼みの綱の学生時代の友達を飲みに誘うが、皆に無視されたという。
「今どきショートメールなんて怪しさ満点。本人か疑った」と笑われた。ガラケー全盛期に培った友情のはずなのに、今やSNSの輪を外れると信頼が揺らいでしまう。』(データの世紀 loc.677)
だめな配偶者と別れられないみたいな状況がプラットフォーマーとユーザの関係にも起こっている。

2020年6月5日 金曜日
久しぶりに歯医者に。窓を全開にしてコロナ対策している。夜はFIRSTの2021年カンファレンスについて相談するための電話会議。

2020年6月6日 土曜日
学生時代の友人とオンライン飲み会

2020年6月7日 日曜日
招待有りの論文の執筆。仕上げの作業がなかなか集中力がいる。翌朝7時まで徹夜して仕上げる。徹夜明けにシャワー浴びて、スーツ着て、プロフィール用の写真をスマホで撮る。今回はこれでいいけど、次回はちゃんとしたカメラマンに撮ってもらいたい。

2020年6月10日 水曜日
モニター台を購入。夏で熱くなり、ノートPCの排熱のためにスペースを作るために買った。ついでに机の上からごちゃごちゃしたケーブルがなくなって気持ち良い。
ホンダのサイバー攻撃についての問い合わせ続く。

2020年6月12日 金曜日
前日から行われていた家の外構工事が終わる。見た目がスッキリしてちょっとスペースもできてよかった。コロナで自宅にいる時間が増え、家の中の改善に色々とお金を使うことが増えた。

2020年6月13日 土曜日
研究費で買ってもらった新しいプリンターが届く。エコタンクという大型のインクタンクを持っている。博論などの校正作業で大量に印刷するのは不可避なので、これで捗る。


2020年6月15日 月曜日
IGF2023は日本でやることが決まったらしい。アナウンスを見てびっくりした。

2020年6月16日 火曜日
午後、ロースクールの学生対象にサイバーセキュリティについて講義。スタバで買ってきてもらったアイストールラテを久しぶりに飲む。都会の味がする笑。


2020年6月19日 金曜日
新しいMacbook Airが届く。今度はストレージが1TBでデータの置き場所を気にしなくてよいのが嬉しい。しかし手持ちの2017年のオプションモリモリMacbook Proと比べて、若干遅い気がする。キーボードは深くなってとてもよい。
プロ野球が開幕する。無観客の試合でも、野球を見れるのは素直に嬉しい。


2020年6月20日 土曜日
翌週の国際安全保障学会のためのZoom接続テストおよびリハーサル。学会の運営というのは若手研究者のボランティアを前提としているようである。夜は学生時代の友人とオンライン飲み会

2020年6月21日 日曜日
博論の修正作業と、校正作業。今月2度めの徹夜。しかし6時位には終わった。目の前に1000匹の動き回るアリがいて、あなたの仕事はそのアリを一列に隙間なく並べることだとしたらどう思います? 書いている間はそんな気持ちでした。

2020年6月22日 月曜日
修正した博論を主査・副査の先生がたに送る。最終試験へ向けて準備着々。しかし公聴会のときと違って自信がない。頂きが近くなるにつれ、傾斜が急になる山である。

2020年6月24日 水曜日
昼休みの時間を使って、都知事選の期日前投票へ行く。段々と選挙がビックリ人間コンテストみたいになってきているのは気のせいだろうか。
新たな分野の研究に手を出そうと、文献調査を開始する。テーマはまだ言えないが、最初の数日で、良い研究になりそうな気がする。

2020年6月25日 木曜日
郵送された書類の確認などのため、神田にあるオフィスに赴く。4月上旬以来である。電車は普通に混んでいたし、世界は日常に戻っているようにも見える。昼過ぎにスリランカの知人と電話会議。割と意見の隔たりあり。
コーラが飲みたくて近所の薬局に行ったらオレンジバニラ味のコーラしか置いてなかった。意外と行ける!


2020年6月27日 土曜日
11時から国際安全保障学会定例会。国際政治の教科書で名前をよく見る、大御所がたくさん参加している。午後の発表の討論者として。短めに発表者の研究の位置づけをまとめ、わかりやすい質問を2つ投げかける。

2020年6月29日 月曜日
朝の散歩で自宅の近くに花屋を見つける。財布を持ってなかったので見学だけ。


2020年6月30日 火曜日
昼ごはんは久しぶりに外でラーメン。親戚にめでたく男の子が誕生。友人夫妻から手作りの布マスクを頂く。鼻の部分に金属が入っているなど、とても使いやすい。ありがとう。
執筆した論文のゲラが届く。この雑誌では記者ハンドブックに準拠するそうで、山のように校閲のコメント入ってる。確認に勤しむ。会社でも公開文書の記述の拠り所になっているし、記者ハンドブック買ったほうがいいのかもしれない。






Jun 7, 2020

5月の光景

いよいよ夏っぽい天気になってきた。暑い日に通気性の良い短パンで、後ろから強めの扇風機をかけて仕事をすると、とても気持ちいい。スーツを着て、エアコンの聞いた部屋で仕事するより3倍気持ちいい。在宅勤務のいいところをまた1つみつけた。




2020年5月4日 月曜日
取引先とのZoom飲み会

2020年5月7日 木曜日
リングフィットアドベンチャーが届く。

2020年5月9日 土曜日
山口先生の命日。柏にあるお墓を訪れることはかなわないが、たまたま同僚の一人がお墓のあるお寺の近くに住んでいる。彼にカメラをもってお墓までいってもらう様子をZoomで中継、残りの人達は自宅から参加した。

2020年5月10日 日曜日
公園に行くも遊具は使用禁止。仕方ないのでモグラの穴を探して掘るという遊びで時間をつぶす。夜はたこ焼き器を使って家でたこ焼き。ソーセージやチーズなどの変わり種を試すも、結局タコが美味しいねという結論に。
母の日なので花束をプレゼント。


2020年5月11日 月曜日
家から少し遠いラーメン屋さんがスープと生麺の持ち帰りサービスを初めていると知り、早速店舗を訪れる。
ネギやチャーシュなどのトッピングもついて1人前540円。久しぶりの本格的なラーメンは、体にしみいる感覚。

2020年5月12日 火曜日
自宅の光がアップロード1Mbps出なかったので速くするために、1)WifiのAP買い替え、2)ISP乗り換え、3)IPoE利用、PPPoE避けるを段階的に実施。速度テストはISPや設備よりも計測する時間帯の影響が出やすいので、本当は毎日同じ時刻に測らないと意味ない。が、up 0.62 down 18.4が200を超えたので満足。遅いのはエキサイト光が悪いと決めつけ、エキサイト怒り状態だった。今、改めて振り返ると、原因は宅内のWifiにもあったし、なによりNTTのPPPoE向け網終端装置のキャパオーバーが大きい。


2020年5月14日 木曜日
子供が自分用の小さな机を、仕事部屋に持ち込んできた。仕事する父の横で勉強をするらしい。頑張れ!


2020年5月15日 金曜日
5月は税金の季節ですね。確定申告でお金がもどってきて、自動車税に、固定資産税を払う準備。午後は大学院のゼミ。発表を聞く。

2020年5月18日 月曜日
有斐閣のジュリスト 5 月号の特集はプラットフォーム規制の現在地。5つの法律家、実務家の論文で構成。巨大IT企業を規制する動きを解説するだけでなく、事業者の視点から規制すべきでない理由も語られる。どの論文がというより、特集全体として面白い。

  • 「自分は単なる場の提供者にすぎず,利用者の行為に起因する権利侵害には責任を負わない」というよく聞く主張を森亮二論文は「プラットフォームの抗弁」と表現。藤井・角田論文は「プラットフォーム事業者は営利企業で、公益を担うインフラ企業とは一線を画す」そして曖昧な空気感による萎縮を懸念。これらの法律家の議論に続く日本のネット企業を率いた別所氏の論文は、プラットフォーム以前の技術も批判にさらされた中を成長してきたと例示し、規制による萎縮という言い訳をしないで、企業は挑戦し続けるべきと結んでて、かっこいい。
  • いずれの論文でも、「一国二制度」「域外適用」など表現の違いはあれ、多国籍に活動するプラットフォーム事業者を一つの国のルールで縛ることの難しさに触れている。そこは検討の途上にあるようである。


2020年5月20日 水曜日
稲田 俊輔「南インド料理店総料理長が教えるだいたい15分!本格インドカレー」 のサバカレーレシピ。外食できない今、家でこんな美味しいカレーが食べられるなんて。長い時間煮込んでこそ美味しいというカレーの常識を超越するレシピ本である。



2020年5月21日 木曜日
家の外構工事について打ち合わせ。データセンターについての勉強開始。

2020年5月22日 金曜日
取引先との打ち合わせ、その後オンライン懇親会。オンライン飲み会で参加者15人くらいになると話す人が限られてしまうかもしれないという不安から、各自決められた時間で「自分史上最高の何か」を発表する会にした。玄人はだしの書家、ハンドボールマスター、滝巡りなど、仕事だけだとなかなか見えない個性が見える良い会となった。

2020年5月23日 土曜日
外出自粛になってから隔週でおこなっている学生時代の友人とのオンライン飲み会。定期イベント化。

2020年5月24日 日曜日
新鮮なアジを3尾。自分で3枚におろす。いつも動画でみているようにはいかないが、及第点。

2020年5月26日 火曜日
朝のジョギングをしながら聞き続けていた、Wind of ChangeというポッドキャストについてTwitterにまとめを投稿した。米CIAが冷戦中にロックバンドを使って情報工作をしたという内部情報を追跡した番組で45分x8エピソードの大作である。おすすめ。


  • Wind of Changeは西ドイツのハードロックバンド スコーピオンズが1990年にアルバムに収録した曲。1991年1月にシングルカットされ、チャートを席巻した。ドイツだけで600万枚のセールス。冷戦で東西の行き来が少ない中、ソ連国内でも大ヒットし、自由化への期待を高めたと言われる。
  • パトリック・キーフ記者はCIAの複数の職員から、この曲はCIAがソ連の混乱を企図して作ってスコーピオンズに歌わせたという話を聞き、調査に乗り出す。キーフは政府に『スコーピオンズとCIAの関係」についての情報公開を請求するがもちろんゼロ回答。
  • CIAがポップカルチャーを使って情報操作をした例はいくつかある。映画アルゴで描かれたのは、CIAが映画会社を作って、偽の脚本まで書いて、偽映画のロケと偽って、イランに人質救出に向かった様子。 巨匠ルイ・アームストロングは国務省の企画に協力し、アフリカの27都市へのツアーを行った。動乱の真っ只中のコンゴでもコンサートをした。コンサートの4ヶ月後に、1961年1月にルムンバ首相が殺害される。この一件はCIAの関与が疑われている。
  • ソ連の情報機関はアメリカのロック音楽にかぎらずポップカルチャーの流入を警戒していた。ロックバンドは政府公認になって検閲を受け入れるか、非公認バンドで不自由を受け入れるかの2択だった。後者はテープにしかレコーディングできない、職業として認められないなどの不利益があった。1980年代レニングラード・ロック・クラブというKGBが目をつけたクラブが唯一ロックを演奏して良い場所だった。監視は行われたが、そこからキノーなどのロシアのバンドが育っていった。
  • ロックが敵視される状況の中、1989年8月にレーニンスタジアムでモスクワミュージックピースフェスが開催された。目的は青少年のアルコール、ドラッグ使用防止。ボン・ジョビ、スキッド・ロウ、モトリー・クルー、オジー・オズボーンが参加。バンドはアメリカからのチャーター機でモスクワへ。途中、ロンドンでスコーピオンズを拾う。機内で痛飲。オジー・オズボーンがトイレのドアを蹴り破るなど全員泥酔でモスクワ入りする。(アホくさくて好き) フェスの目的に合わないバンドが選ばれた理由は、ブルース・スプリングスティーン、ホイットニー・ヒューストンなどのよりアメリカを代表する人選をしなかったのか?理由はフェスがドク・マクギーという大物音楽マネージャの仕切りだったから。ドクは1年ほどかけてフェスの準備をしたが、そもそも前年に麻薬の密輸で起訴されていた。記者は、ドクと米政府の間で密輸に目をつぶる代わりに、ソ連にロック音楽を持ち込むという取引がなされたと疑い、本人に問うも否定される。
  • 記者は取材の総仕上げとして2020年1月にスコーピオンズのボーカル、Wind of Changeの作詞作曲者、クラウス・マイネを取材する。「曲はCIAが書いたか?」という問いをマイネは否定。「もらったばかりのヤマハのシンセサイザーで遊んでいて」「ミッキーマウスのノートに書いた」など回答は具体的。結論「CIAが曲を書いたという証明はできなかった」。しかし現代でもCIAはハリウッドにリエゾンを送っている。映画ゼロ・ダーク・サーティは拷問をビン・ラディンの場所を特定するために不可欠だったと描く。米国の情報操作は今も現在進行系であると記者は結ぶ。


2020年5月28日 木曜日
朝、ジョギングをしたら、公園の遊具が使えるようになっていた。夜はUNIDIR主催のセミナーに聴講。

2020年5月29日 金曜日
8:30からコロンビア大学SIPAとのセミナー。質問などしないといけないかと思ったが、聞いてるだけで時間終了。

2020年5月30日 土曜日
友人の子供2名が泊まりにくる。賑やかで楽しい。











May 15, 2020

4月の光景

大分書くのが遅くなりました。

遠隔勤務が続く。いろいろな理由でチャットに参加をするケースが増えた。SlackやMattermostのワークスペースが今月だけで3つ増えた。チャンネルはいくつ増えたんだろう。。。特に時差がある人達とのチャットは、過去に盛大に失敗した経験があるので、今度こそ既読スルーをあまりしないよう頑張りたい。

そして毎朝のランニングは継続できている。むしろ1日のなかで楽しみな時間である。



2020年4月7日 火曜日
オンライントレーニングのために久しぶりに出社。都内は空いている。会社で同僚が書いた論文が掲載されたジャーナルを読む。
佐々木勇人. 2020. “サイバー"兵器(ウェポン)"の軍備管理は可能か ー脆弱性情報管理によるアプローチの可能性ー.” CISTEC Journal (186): 192–99.

昼はお気に入りのお寿司屋さんに行く。閑古鳥が鳴いていた。


2020年4月8日 水曜日
誕生日。電話会議にログインしたら同僚がこんな粋なお祝いをしてくれた。


誕生日は家族に祝ってもらい、また実家の両親からもプレゼントをもらった。例年だとこの時期出張が多く、近年まれに見る充実した誕生日だった。

2020年4月17日 金曜日
元同僚とオンライン飲み会。椅子についてアドバイスもらう。

2020年4月20日 月曜日
長い時間家にいると、夜間にやたらとインターネット接続が遅いことに気づく。Youtubeのトップページがロードされないくらい。スピードを確認したらダウンロードが1Mbpsでていない。ISDNよりはちょっと早いかなレベル。手をうたねば。



2020年4月25日 土曜日
米中ハイテク覇権のゆくえ宇宙と安全保障を読む。宇宙と安全保障はAmazonなどでは取り扱わないようである。honto.jpという謎のサイトにユーザ登録して購入した。不便である。そして本は難しかった。

2020年4月27日 月曜日
無線LANの機器を入れかえ。新しいのは気持ちいい。IPoE対応の機器にしたが、Baffaloの製品はユーザインターフェイスが90年代から進歩ない。
午後、待ちに待った新しい椅子が届く。リクライニング以上に、安定感があるのが気に入った。椅子自体が30kg近くあるので多少のことではガタつかない。

2020年4月30日 木曜日
だいぶ前に買っていた暴走するネット広告を今更読む。漫画村の問題を、その漫画村を支えていた広告収入、広告を出稿していたクライアントをたどる作業を通じて描く。
スポンサーが絶対で、広告業界と事を構えたくないメディアはなかなか手が出ない領域に、取材班は意欲的に切り込んだ。すごい。



Apr 9, 2020

3月の光景

幸いなことに私は、海外とのやり取りが多い仕事柄、オフィスに出社せずともできる仕事が多い。従って3月前半ごろから感覚的には6-7割在宅勤務をしている。自宅勤務が増え、なんとなくコツのようなものを掴みだす。

まず、朝は通勤の代わりに30分ほど走る。Spotifyで聞いたことのない曲を聞きながら5kmほど走る。近所の川沿いの緑道を経て、大きな公園の中を周回して戻ってくるというコースである。春先の陽気も相まってこのジョギングはとても楽しい。頭と体をきちんと「起床」させたら、家族に「行ってきます」と告げて、部屋にこもる。

職場のチームメンバーとは朝と夕方にビデオ会議をする。コミュニケーションには音声で十分であり、ビデオを不要という意見はわかるが、ビデオでも顔をみることは大事だとおもう。ビデオ会議がなければパジャマで一日を過ごせてしまう。電話会議中に子供が部屋に入ってくる時には無理に止めず、あえて呼び込み挨拶をするよう促してみる。結果、父が部屋にこもっているときは、仕事をしていると理解してくれ、乱入は減った。

午前と午後に一回、キッチンに降りていきおやつやお茶を用意する。昼食は家族と食べることが多い。仕事は18時にはきっちり終える。日に2時間半以上の通勤の時間が浮いたので、残業する必要性はほとんどない。夜は本を読まなければいけないと思いつつ、ニンテンドースイッチで遊んでいることが多い。


2020年3月2日 月曜日
前日までの週末でコロナウィルスへの警戒度が上がったことを感じる。部署の遠隔勤務の計画を作り、出社しないでも業務を継続できる環境を整える。この時点で4月の頭には平常業務に戻るだろうなという感触。

2020年3月5日 木曜日
夜は東京タワーのふもとで会食。ラムチョップが美味。都心に一泊。





2020年3月6日 金曜日
朝から霞が関で会議。

2020年3月10日 火曜日
三田共用会議所で会議。先輩研究者がその設備の豪華さに感動していた。たしかにその名前からイメージされるよりはしっかりした施設である。
会議自体も非常に刺激に満ちた内容。パネルのモデレーションも特にそつなく終わる。夜は先生たちと三田駅近くの餃子が美味しい中華屋へ。



2020年3月11日 水曜日
アジア各国とのサイバー演習があり、部署丸ごと出勤となった。せっかくみんなオフィスにきたので、ということで夜は演習の打ち上げと称してビールを飲みに行く。
鳥をオーブンで丸焼きにした料理がおいしい。遠隔勤務は快適だが、息苦しくならないように、同僚や取引先とリラックスして別のことを話す時間や機会は意識的に作っていきたい。

2020年3月17日 火曜日
午後に、接客1件。原稿執筆の依頼だが、非常に好条件の仕事でホクホクである。他の仕事が減る今、考えて、物を書く仕事をきちんとしたい。

2020年3月20日 金曜日
5月のゴールデンウイーク辺りに予定されていた大きな仕事がキャンセルとなった。困った。夕方は、家族でふぐをご馳走になる。

2020年3月23日 月曜日
午前は会社で普通に仕事。午後は秋葉原に健康診断を受けに行く。昨年9月に予定していたものがだいぶ遅くなってしまった。
自宅で仕事の時に使っている椅子の座面が尖っていて気になる。代わりとなるものとして、ゲーミングチェアにするか、高級オフィス椅子にするか迷っていて、いくつか椅子のある店を巡る。

2020年3月31日 火曜日
会社を休み。リフレッシュにつとめる。

当初新型コロナウイルスは中国の武漢で大流行と報道され、中国の問題という認識だった。それが徐々に感染拡大し、イタリアやニューヨークで感染者と死者が増えるに連れ欧米の問題という認識に改まっていった。そしてこれを書いている4月5日現在、国内感染者は3500名超。日に100名以上のペースで新規感染者が増えている。その影響がどこまで広がるのか、誰にも予測ができない。個人的には海外出張などは2020年中は無理だろうと思っている。





Mar 2, 2020

2月の光景

今月読んだ本のなかで最大のヒットは益尾知佐子. 中国の行動原理 -国内潮流が決める国際関係-. 中央公論新社である。
近年、巷にはさまざまな『中国論』があふれている。だが、中国の『野心』『陰謀』が強調され、中国は自分の利益を拡大するために良からぬことを企んでいるという印象論で組み立てられていることが多い。このような視点から描かれる中国は、我々と同じ人間が作る社会ではなく、あたかも妖怪が闊歩する不思議の国のようである。こうした話の作り方は、中国共産党の半日宣伝と質的に大差ない。(p.iiより)
この本で益尾はエマニュエル・トッドらの研究の土台の上に、家族構造の差から両国の社会構造の違いを明らかにする。益尾によれば日中両国は親子関係が権威的(子が結婚後も同居)という共通点がある。一方で日本は兄弟関係が不平等(親の財産が均等配分されない)、中国は平等であるという相違点がある。その結果、中国では1人の老板(ボス)の下に差が無い複数の子というリーダーシップ構造ができあがる。日本では次男は三男より若干偉いというような階層構造ができあがり、子の間でも相互のやり取りが生まれる。 中国の社会秩序の4つの特徴である①権威が最高指導者に一点集中、②組織内分業はボスが独断で決める、③横のつながりがない、同列の部署はライバルである、④潮流に乗ろうとする、はこの家族構造の違いで説明できるという。


2020年2月4日 火曜日
新宿のホテルで朝ごはんを食べつつアメリカからのお客さんと情報交換。今年はオリンピックの影響で4月に行われるらしいインターロップでパネル登壇依頼。久しぶりのインターロップ楽しみ。

2020年2月5日 水曜日
夜は取引先と懇親会。終わってから自宅ではなく、湘南台のホテルへ。翌日の公聴会に備えて、前泊。

2020年2月6日 木曜日
朝5時に起きて、コンビニで急遽博論を印刷。250ページ印刷すると5000円くらいかかる。コンビニで印刷する量じゃない。11時くらいから公聴会。結果はギリギリ合格はしたものの、相当頑張らないと最終試験に耐えられないということのようである。今学期に全て終わると思って、あと少しと自分に言い聞かせていた部分があったので、精神的にはショックをうける。
お昼を挟んでキャンパス内で、同じ研究室の後輩に冷静なアドバイスをもらう。聞き上手で、話しながら落ち着きを取り戻せた。感謝。

2020年2月10日 月曜日
夜は赤坂でイタリアンを食べつつ、研究の相談。

2020年2月12日 水曜日
藤沢へ。学位審査委員会のメンバーではない研究科の先生に博論へのコメントをいただく。

2020年2月17日 月曜日
午後は三田へ。学位審査委員会のメンバーではない研究科の先生に博論へのコメントをいただく。結構クリティカルなコメントがあり、これは修正大変そうという感触。12日もそうだが、サイバーセキュリティは専門でない先生からのコメントにうまく反応するには、普段自分にとっては自明という部分についても、きっちり考えていないといけない。博論の中の、根拠が甘いなんとなくの部分が、次々明らかになってくる。

2020年2月19日 水曜日
朝一から電話会議も含めて、接客5件。産休に入る取引先、視察、元同僚の来訪とバラエティに飛んでいる。
合間に2020年度の仕事の計画に思いを巡らす。夏のオリンピックがどう仕事に影響するかがわからない。

2020年2月20日 木曜日
夜は大学院の仲間と新宿でビールを飲みに行く。衝撃の事実が次々と明かされ、自分の公聴会のダメージも和らぐ。持つべきものは先輩である。

2020年2月21日 金曜日
新型ウィルス対策のため、遠隔で勤務する。朝昼夕と同僚と電話会議しながら手探りですすめる。合間もビデオ会議システムにログインしたままにしていたが、自分の部屋で流していたラジオが向こう側に流れっぱなしだったらしい。終わっちゃうの残念、King Gnu井口理のオールナイトニッポン。
5月末までに1万文字の原稿の依頼が来る。招待有りの原稿というのは、よっぽどのことが無い限り、ちゃんと出版してもらえる。掲載されるかは完全な博打の査読論文を書くのとくらべて、今の気持ちは大富豪である。

2020年2月22日 土曜日
午前は劇を見に行く。午後は博論の続き。博論の分析の枠組みという、かなり土台の部分に手を入れるか迷う。


2020年2月23日 日曜日
子供とミートソースパスタをつくる。ミートソースが美味しくできて満足。「マルのイカ」が食べたいということでイカもおろしたが、イカ焼きにするなら皮を向かないほうが良かった。

2020年2月24日 月曜日
自宅で博論と仕事の続き。同僚のRSAカンファレンスのためのサンフランシスコ出張が突如キャンセルになる。仕方ない。この前後で、自分自身もルーマニア出張、福岡での会議、インタロップ、ロシアとアメリカからの来客1件づつがキャンセルになった。
夜、カンボジアへ向けて出発。

2020年2月25日 火曜日
朝10時ごろにカンボジア着。翌日のプレゼンの用意をしたり、同僚に借りた「中国の行動原理」を読み進める。そして、とにかく後書きがパワフルである。ぜひ、本を手にとって後書きを読んでほしい。

2020年2月26日 水曜日
終日会議、夜は懇親会。ラオスからの参加者が、日本に12年住んでいた人で驚いた。都内のラオス料理だったら吉祥寺のランサーンがおすすめと教えてもらう。聞けば、都内のタイ料理の多くはラオス人が経営しているという。確かに我が家の近くのインドカレー屋はたいていネパール国旗を飾っているし、ヨーロッパで見る寿司屋はたいてい韓国人が経営している。この現象になにか名前がつけられないものか。


2020年2月27日 木曜日
午前はプレゼン。午後の会議がおわってから、たまたまシェムリアップにきている知り合いと遅めのランチ。しこたまビールを飲んでから空港へ。

 

2020年2月28日 金曜日
朝7時に帰国。花粉は少なめ。IGF報告会に登壇の予定だったが、中止になった。両親と家族旅行に行く。羽田空港でシャワーを浴びて、上野駅から常磐線の特急と大洗駅へ。昼頃家族と合流して水族館へ。ダイオウグソクムシやタカアシガニを触れて大満足。夜はあんこう鍋を堪能する。

2020年2月29日 土曜日
温泉をチェックアウトして、イチゴ狩りへ行った。甘くて大きいイチゴに大満足である。



Feb 1, 2020

1月の光景

2020年1月1日
水曜日 新年あけましておめでとうございます。午後は祖母宅へ新年の挨拶に。

2020年1月2日 木曜日
午前はユニクロへ。年末父親に貸してもらったカシミアセーターがものすごく軽くて暖かくて快適で、自分の分を買う。 その後公園に遊びに行く。雲ひとつない快晴で、風もなく、気持ちの良い日。今年はいいことありそうである。 午後は親戚夫妻が来訪。博士課程の進捗を報告する。

2020年1月3日 金曜日
実家から東京へ移動。電車に忘れ物をして、かなり焦る。 会社のメール処理などを少しするが、今年は込み入った話が少ない。

2020年1月5日 日曜日
社会人学生Advent Calendar 2019をすべて興味深く読んだ。 自分も書きたかった。。。 近所の小学校のグラウンドで凧揚げをするが、うまく上がらず。

2020年1月8日 水曜日
翌日使うプレゼン資料の作成がおわらない。会社の近くのホテルのビジネスホテル泊。4時位までパワーポイントと格闘する。
この週にマイクロソフトの上級副社長ブラッド・スミスという人が書いたTools and Weaponsという本の存在に気づき、慌てて買って集中して読む。博論仕上げる前に気づけてよかったという感じ。加えて、この月に発表された業界の大御所の論文が、自分とかなり似たアプローチを使っていることをたまたま知り、肝を冷やす。

2020年1月11日 土曜日
科学館に遊びに行って、昔よく言った揚州商人のラーメンを食べて帰ってくる。
 インターネット・バブルの時代の古い本をいくつか読む。これからは「一人づつがホームページを持って発信するデジタル人類の時代」とか書かれていてなんとなく気恥ずかしい。

2020年1月12日 日曜日
夕方に成田空港からマレーシアへ向けて出発。成田第2ターミナルのユニクロでよく衣類を調達するが、その場所が移転していた。靴下を買って出発。

2020年1月13日 月曜日
 フィリピンでの火山噴火の影響で大分遅れてにマレーシア着。Grabを使うも車が捕まらないので、昔ながらのタクシーに乗った。クアラルンプール空港は市内へのアクセスが悪い。成田空港と同じくらい遠い。 ホテルに着くと「予約が確認できない」といわれる。確認したところ、KL市内には同名のホテルが2つあるということ、間違えて遠い方を予約したことが発覚した。 先に料金を支払い済みなので、泣く泣く30分かけて、予約していたホテルへ。この時点で朝5時半。10時からの面会のアポをばらして寝る、
  

2020年1月14日 火曜日
会議会場が冷蔵庫状態。これまでの経験で、東南アジアのホテルのクーラーの設定温度が低いことはしっていたし、その対策もしていた。それでも寒い。30分ほどのプレゼンテーションをする。好評だった。非常に知的なカンボジア人に会い、ここ最近の悩みを打ち明けたら、ポストノーマルサイエンスについての論文を送ってくれた。自分の問題意識をバッチリ捉えたもので、「先達はあらまほしきことなり」の一言。
会議が終わってからアメリカ人の知り合いとお茶をすることに。体が冷え切っていたので屋外のシートがあるカフェでコーヒーを飲みながら近況をアップデート。苦言も呈しておく。




2020年1月15日 水曜日
朝一でミャンマーへ移動。昼過ぎにヤンゴン着。およそ4年以上ぶりのヤンゴンは順調に発展している。 夜は現地の日本人数名と夕食へ。

2020年1月16日 木曜日
現地携帯電話会社と大学を訪問する。昼ごはんはホテルの近くにある、有名な麺料理の店へ。混雑で相席になった現地のおじさんが英語堪能でわりと話し込む。製紙業界で働いていて、日本の王子製紙とも取引があるそうな。日本の紙幣は軽くて質がいいが、それを実現するにはミャンマー産のパルプが不可欠らしい。お札をもつときに、パルプの原産地なんて考えたこともなかった。

2020年1月17日 金曜日
5月にコンゴ民主共和国で行われるイベントへの参加について問い合わせをうける。治安については経験的に許容範囲の内側にあるのだが、エボラのリスクがあってなんとも判断が難しい。先送り。

2020年1月18日 土曜日
午前は大学で授業をする。タクシーで2時間ほど走り、ヤンゴンコンピューター大学へ。50人ぐらいの修士の学生相手だった。ミャンマーの博士・修士の学生であっても、日本の大学の学部くらいのレベルの話をしないと伝わらない。 CERTとはなにかという話は本当に難しい。結局質疑応答含めて2時間話した。
夜は博論の最終仕上げをして、副査の先生たちにメールで送信。開放感から、ヤンゴンのバーで一人飲み。2杯で完璧に出来上がり、歌を歌いながら帰る。



2020年1月19日 日曜日 お昼ごはんを取引先をやめた10人のスタッフとみんなで食べる。8年前の院生たちは銀行、携帯キャリア、コンサル会社社長、大学教授とそれぞれのキャリアを歩んでいる。集まって火鍋をつつけるのは、過去の仕事をちゃんとやった自分へのご褒美であると考えることにした。日本から持参したキットカットを渡したが、その3倍位のお土産をいただく。
仕事の話をすれば、首都機能のヤンゴンからネピドーへの移転というのは、庶民には政府がネピドーとヤンゴンに2つあるという見え方をしているようである。ヤンゴンにいる人たちは、ネピドーをどこか格下にみているというか。 そして仏教が連帯の要であるこの国において、イスラム教徒への警戒感は高い印象。


2020年1月20日 月曜日
早朝7時くらいに成田着。夕方4時からの打ち合わせがあるため本当は会社にいくべきだが、体調も微妙であり、同僚に甘えて家に直行。寝る。 ANAからミリオンマイラータグが届いていた。やっほー。

2020年1月22日 水曜日
戦略研究学会からメールがきていて、4月18日の学会で口頭発表の時間をいただけることになった。頑張って用意したい。 午後はスイスからの来客1件。スイス政府にもサイバーセキュリティを統括する組織が設けられるらしい。そのトップに就任する予定の人物だが、若くて民間出身。色々大変だろうけど頑張れ。その後、同僚のプレゼンテーションの練習。もともと教員をやっていた経験があり、練習不要なくらいに達者。安心。
King GnuのニューアルバムCeremonyを買う。「白日」や「飛行艇」はもちろんだが、「小さな惑星」が良い。iTunesだと曲単位で買うことが多く、アルバム買うのは5年ぶりくらいか。


2020年1月23日
霞が関で会議。入り口で電子機器取り上げられるタイプ。

2020年1月24日
朝一で電話会議。町中で静かな場所を探した結果、雑居ビルの非常階段をウロウロしながら2時間近く話す。不審者。
金曜日 大学で行われた半日のセミナー。基調講演のG氏は長年の知り合いであり、挨拶をしに参加。慶應大学サイバー文明研究センターとコロンビア大学でサイバーセキュリティ/インターネットガバナンスに関する協力の取組みがあるらしい。その後、G氏らと4人で軽く夕食に行く。ぶりと大根というオリジナルのピザがあって、うまく表現できないが、みんなに試してほしい美味しさ。しかしサイバー文明研究という言葉がどうも腑に落ちない。

2020年1月26日 日曜日
夜はひょんなことから自宅から近い焼肉屋にいく。外観はいかにも古臭いお店なのだが、肉質がよい。みんなで満足して帰宅。もっと早く行けばよかった。
unravelというアニメ主題歌にYoutubeで出会ったのがきっかけで、東京喰種の単行本を読み出す。思ったより怖くなくて面白い。


2020年1月27日 月曜日
同僚の誕生日で、ランチは天ぷらを食べに行く。やっぱり海老だな。
午後は言論NPOというシンクタンク主催の座談会に登壇。関連の記事。初めての場所、慣れないフォーマット、 いつもと違う客層だった。横に座ったのは兄弟子K氏。モデレーターからの質問を常にトップバッターで答えてくれた。K氏の発言を聞きながら頭を整理できたので、気持ちよく喋って、帰る。

2020年1月28日 火曜日
昼休みに元同僚のK氏来訪。寒いのでおでんを食べながら色々話す。
夕方北海道から元同僚のI氏来訪。近頃の楽天市場の状況を聞く。楽天の送料無料化はかなりやばそうだ。

2020年1月29日 水曜日
佐野さんがなくなった。その思い出の場所である新橋のビアライゼに同僚、元同僚と行く。ビアライゼは3回目。最初はなんかインパクトがないビールだなと思っていたが、徐々に絶妙な飲みやすさが素晴らしいと思えるようになってきた。

2020年1月30日 木曜日
午前はASEANからの研修生、午後はクウェート政府関係者の訪問を受ける。同じように自分たちの活動を説明してもリアクションが違って面白い、 クウェートはより現実的と言うか、具体的な話を好む印象。 昨夜に引き続き、博論の推敲のため夜ふかし。

2020年1月31日 金曜日
霞が関で会議。また電子機器を取り上げられる。夜は赤坂で取引先のみなさんと飲み会。知らない一面を発見し楽しかった。 公聴会の日程がアナウンスされ、いよいよだという感じ。


Dec 31, 2019

12月の光景

本厄の年で、お祓いの祈祷から1年が始まったが、終わってみれば仕事でも、研究でも成果がでた良い1年だった。自分自身の生活を取り戻しつつある1年と言える。

2019/12/1 (Sun)
博論印刷したり、審査のために仮綴じのファイルをつくったり。自宅のプリンタで500枚の印刷はつらい。


2019/12/4 (Wed)
大学院の教授会が開かれ、無事自分自身の学位審査委員会が立ち上がった。2月の公聴会に向けてラストスパートである。

2019/12/5 (Thu)
午後、翌週の会議の最終打ち合わせの電話会議。

2019/12/6 (Fri)
昔一緒に働いていたオーストラリア人が一時帰国中。田舎の駅前で待ち合わせて飲みに行く。独身の頃からの知り合いで、かつ同い年。手羽先を食べながら、お互いに境遇が変わり、考え方がかわってきたよねという話をする。友というのは良いものだ。

2019/12/7 (Sat)
週明け火曜の会議の案内を参加者に送付する。土曜にも関わらず霞が関の人は、30分くらいで返信が来る。余計なことだが、激務すぎないか心配である。

2019/12/9 (Mon)
麻布十番にある国際会館で言論NPOEUの取引先が主催する会議。サイバーセキュリティというよりは東アジア秩序全体を論じる会議であった。パネルのモデレーションをする。僕は英語が苦手で、ダラダラ長く喋らないので、意外とパネルのモデレーションには向いているのかもしれない。「デカップリング」という言葉を頻繁に効いた。



夜は、三田駅近くのアパホテルに泊まる。ホテルとしては本当に機能的でまた利用したいとおもった。

2019/12/10 (Tue)
大学で日EUサイバートラック2という会議をする。日本側の準備は、大学の先生と、先輩研究者Kさん、Wさん、自分の4人でほぼ行った。1年以上時間がかかった。
今回はKさんと自分で現場のロジ(コーヒー・弁当手配、資料印刷)をすべてした。会社で会議を開くする場合、自分でロジをやることはもうあまりない。その面倒さを忘れかけていたが、やってみると色々思い出す。今、僕の代わりにロジをやってくれている会社の人に感謝しようと思った。
会議の内容は、ドイツ風のかなり事細かな指示がでて作業する、参加者の負荷の高い文字通り「ワークショップ」だった。日本でこの形式は見たこと無いので、参加者の反応が怖い。
夜はファカルティクラブで懇親会。


2019/12/11 (Wed)
夜、同じ部署の新人さんの歓迎会。昨年までよくいったタイ料理屋さんに行く。新人さんは12月頭から入ったが、こころなしか部署の雰囲気が明るくなった。

2019/12/14 (Sat)
子供と朝ごはんを食べて、近所の公園に遊びに行く。2人でするシーソーは楽しい。昼はラーメンを食べに行く。もう親としての仕事は、交通に気をつけるとか最低限で済む。手がかからなくて助かる。コンビニで好きなお菓子をなんでも1つだけ買ってあげると伝えたところ、チップスターの箱を一つ一つじっくり見比べ、少しでも大きいチップスターを探そうとしていた。微笑ましい。

2019/12/15 (Sun)
火曜の授業の資料作り。

2019/12/16 (Mon)
朝から幼稚園の誕生日会という行事に参加する。昼過ぎに帰宅。夕方、歯医者へ。忙しい。

2019/12/17 (Tue)
午後は東大の大学院での英語の授業。15人ほどの学生に対して、北朝鮮のサイバー攻撃とStuxnetの話に基づいたディスカッションをしかける。念入りにスクリプトを用意したので、授業としては成立した。しかしながら英語の力があればもっとよくなるので歯がゆい。ちなみに東大近辺は本格的な中国料理屋が増えている。
その後、飯倉へ。知ってはいたのだが飯倉-赤羽橋のエリアは、座って仕事のできる喫茶店が少ない。地図で調べて、東京タワーに向かって坂を登ってたどり着いた喫茶店は全席喫煙可能。さらに15分ほど歩いて、路地裏に見つけた小さな喫茶店は、客がおらず良いかとおもったが、店主が大音量でテレビを見ていて仕事ができない。。。
夜は六本木でKさん主催の忘年会。忘年会というにはあまりにシックな雰囲気。こういうやり方もあるんだなと勉強になる。

2019/12/19 (Thu)
朝一で霞ヶ関へ。夕方電話会議。その後仕事に戻って、帰宅しようと思ったタイミングで「秋葉原にきて!」という急なお呼びがかかり、秋葉原へ。インターネットガバナンスについて語る。

2019/12/20 (Fri)
自社が主催する勉強会で30分強のサイバー空間の規範に関する講演をする。ここ最近、講演するときはCSIRTはおろか、サイバーセキュリティも知らない人が相手の「アウェー戦」が多かった。それと違い、この会は前提知識が行き届いていて、久しぶりに「ホーム戦」だった。内容について好意的なコメントがとても多く素直に嬉しい。
会議後は懇親会に出席し、夜はOB会に顔を出し、取引先の忘年会に飛び入り。いい日だった。

2019/12/22 (Sun)
子供のお祝い。

2019/12/23 (Mon)
午前はヒアリングで接客一件。時間に余裕があったので、普段は行けない、行列必至のラーメン屋に挑戦。午後は作文に勤しむ。


2019/12/25 (Wed)
朝起きたらサンタさんが子供用の自転車を持ってきてくれていた。午後は頭を使う仕事。夜は松屋で済ます。

2019/12/26 (Thu)
同僚も何名か冬休みに入って、なんとなくまったり冬休みモード。午後は霞ヶ関で打ち合わせ2件。間が空いてしまい虎ノ門の喫茶店で確定拠出年金制度について語る。

2019/12/27 (Fri)
会社最終日。午前中はヒアリング1件あり。1時間半よく喋った。ドラッグストアでミントを買ったらマウスと色遣いが同じだった。
夕方に納会。


 

2019/12/28 (Sat)
来年の4月に戦略研究学会の大会が名古屋であるらしく、発表を申し込む。

2019/12/29 (Sun)
翌日からの帰省に備えて、冷蔵庫の在庫一掃セール。レモンと春菊と長ねぎを組み合わせて作られたレモン風味の鳥うどんがとても美味しかった。

2019/12/30 (Mon)
実家に。ニンテンドースイッチを持って帰り、甥っ子と遊ぶ。

2019/12/31 (Tue)
メガネを買いに近所のショッピングモールへ。昼食後に墓参り。甥っ子がToioという新しい面白いおもちゃをもってきた。ブラウザベースのエディタをつかって簡単なScratchプログラミングをする。最新のコンピュータ技術を使って、復元した美空ひばりに『今でも昔の歌を 気づくと口ずさんでいます 振り向けば幸せな時代でしたね』と懐古させるのは、見てて複雑な気持ち。

Dec 9, 2019

ミリオンマイラー達成記念。好きな空港、航空会社、国のトップ5

先月ミリオンマイラーになった。ANAという会社のマイレージカードを持っているのだが、この会社と提携するスターアライアンス加盟企業のフライトにのった距離が通算100万マイルを超えたのである。



我ながらなかなかの快挙だと思う。ANAはミリオンマイラーになると記念品として派手なバッジを送ってくるのだが、頻繁に飛行機に乗っていて、ミリオンマイラーのバッジをつけている人を見たことは片手で数えられるほどしかない。(50万マイルやダイヤモンドは毎回必ず見る。) 100万マイルはなかなか達成できないのである。羽田ーニューヨークなら75往復分とよばれているほど自分が飛行機に乗ったというのは素晴らしい。
今回はこの快挙(笑)を記念し、これまで訪れた/使った96の空港、29の航空会社、60カ国でそれぞれトップ5を勝手に決めていきたい。
ちなみに僕が今までに乗った飛行機を地図に書き出すと以下のようになる。




好きな空港部門

究極、空港という場所には飛行機を発着させるという目的があり、施設はどうしても似通ってしまう。しかし、その中でも不思議なカラーの違いがでてくる。そのカラーが好きなベスト5をあげていく。ホームとして使っている成田と羽田は除くことにした。

第5位

福岡。明太子が買える唯一の国際空港である。空港が市街地に近くアクセス最高である。その割に、早朝・夜まで便があるのがすごい。コードがFUKなのが時々ドキッとすると外国の人も言ってた。

第4位

バンコク(スワンナプーム)。アジアのハブ空港としては、一般にシンガポールのチャンギ空港が有名である。ところが実際に東南アジアを飛び回っている中で、ハブとして使ったのはバンコクである。理由はよくわからないが、東南アジア全般に直行便がない場合は、バンコクで乗り換えすることが多い。チャンギもバンコクも巨大な空港である。乗り換え時間が短い場合にゲートまで走ることもある。バンコクは構造が立体になっていて走りやすい。

第3位

サンフランシスコ空港。仕事でアメリカに行くことは多いが、入国管理、手荷物の扱いなどでサンフランシスコ空港はアメリカでもかなり上位に入る。アメリカ国内の他の空港がひどいだけにサンフランシスコが相対的によく見えている可能性もあるが。レンタカーでの移動も楽な空港である、。

第2位

ウィーン空港。サイズが小さく、デザインが近代的。使いやすい空港である。

第1位

イスタンブール空港。中東のハブ。旅をしているということを最も強く感じさせる空港である。独特のデザイン、行き先掲示板に分刻みで並ぶ見たこともない行き先への便、歩き回る様々な人種、服装の人たち、それらが渾然となって独特の空間になっている。加えてトルコ航空のラウンジが立派で寛げるというのも大きい。



好きな航空会社部門

多少飛行機に乗る人は、あの航空会社は絶対イヤだという話で盛り上がれるはずである。もちろん、僕にだって嫌いな航空会社はある。あるどころではない。しかし、ここではあえて好きな会社を、ポジティブに選んでいく。

第5位

ルフトハンザ航空。ブリュッセルエアラインと僅差である。両者ともに就航都市が多く、欧州らしい洗練されたサービスと定時運行へのやる気を感じる。ルフトハンザはビジネスクラス、ファーストクラスラウンジの上にファーストクラスターミナルというファーストクラス乗客専用ターミナルをフランクフルト空港に持っている。1度連れて行ってもらい、私は現代の龍宮城だと思った。詳しくは検索してほしい。

第4位

大韓航空。まさかの非スターアライアンス。多分人生で最初の頃に乗った会社で、機内食のビビンバに感動した記憶が20年以上生きている。それからCAさんの制服がかわいい。白と水色の一団が横切っていくのをみるとつい目で追ってしまう。

第3位

カタール航空。機内食が大変豪華である。ドバイのエミレーツ航空もそうだが、中東のエアラインのサービスは本当に採算が取れているのか疑わしいレベルである。そしてカタールの空港につくと街が無意味にライトアップされている。いいな、いいな、化石燃料があるっていいな。そう思いながら着陸する。

第2位

エチオピア航空。日本からアフリカ各地に行く場合、スターアライアスの場合空の玄関口になりうるのはアジスアベベ(エチオピア)、ヨハネスブルグ(南アフリカ)、ナイロビ(ケニア)くらいだろうか。そして成田からこの3つのどれかに行く場合、最短はエチオピア航空のアジスアベベ行きとなる。このフライトは成田-アジスアベベの直行と言いながら、昔は香港、今は韓国で止まる偽直行便である。しかし、仕事でアフリカに行くとなれば、偽だろうがなんだろうが、直行っぽい飛行機があるだけで、ありがたい。
エチオピア航空が偉大なのは、他の全てがルーズなアフリカで、欧米人が我慢できるサービスを展開できていることである。エチオピア人の勤勉さが生んだアフリカの奇跡である。アジスのラウンジでは時間帯によってはエチオピアコーヒーを振る舞うサービスがあってそちらもおすすめである。

第1位

ANA。日本にいる人は、JAL派とANA派に分かれる。特に僕より上の年代だと、フラッグシップキャリアとしてのJALの格式が響いているのかJAL派が多い気がする。JALとの比較でANAが良いのは、中国本土や欧米への海外直行便が多いことである。オセアニア方面以外は、基本的にJALよりANAが優秀というイメージがある。近年では機内食含めたサービスではANAよりもJALのほうが一段上という気がする。2社で競争していってほしい。(でも片方は会社更生法適用を受けてて、フェアな競争なのかという疑問は残るよね。)

好きな国

観光で行くとしておすすめしたい、というか自分が休みがとれたら行きたい国を独断と偏見で選んでいく。

第5位

スイス。スイスの山間の景色の美しさは筆舌に尽くしがたい。山育ちということもあり、山のある景色に対しての、本能レベルでの喜びがある。そしてスイスの山々は天気が悪くても、冬でもそこそこ見れるのである。どんな悪条件でもちゃんと観光として成立する、それがスイスの素晴らしさである。今はどこでも食べられるチーズフォンデュも本場はより美味しいような気がしてしまう。

第4位

グアム。実際、家族旅行でも行っている。きれいな海、英語が通じること、静かで落ち着いた町中で子供連れにとっても過ごしやすい。大抵の人は南の海といえばハワイを連想すると思う。そのハワイとの比較においては物価の安さ、近さ、時差の少なさがグアムのメリットだ。特に時差1時間(ハワイは5時間、しかも日付変更線を超える)は短い日程の旅行に大きな違いを生む。モーリシャスも、ゴールドコーストも、バリも捨てがたい。ただアクセスを重視してここはグアムとしたい。

第3位

ウクライナの東部は観光できるような状態ではないが、キエフは去年少しだけ訪れて大いに感動した。豊かな歴史、伝統のサッカーチーム、最高品質のウォッカ。最大の驚きは、普通のパン屋に売っている普通のパンが、日本よりだいぶ美味しいことである。日本円で3000円だせば、かなり高級なレストランでお腹いっぱいになる。

第2位

スペインのバルセロナ。ある程度の数のヨーロッパの国にいくと、どこも似たように見えてくる。たいてい中心部に教会があって、お城の跡があった、石畳の通りが続いて、、、街の根本的な作りが似ているのである。そう思ってヨーロッパをちょっと舐めだした頃に、バルセロナに行き、サグラダ・ファミリアに度肝を抜かれ、町中に点在するガウディの作品が調和する不思議な町並みに驚いた。夜はタパスバーに繰り出し、ローカルのおじちゃんと仲良く慣れれば最高である。

第1位

カナダのバンクーバー。春先の気候のいいアメリカ西海岸は極楽である。サンフランシスコやシアトルに世界中から、お金持ちが集まる理由の1つは間違いなくその快適にある。バンクーバーはそういった西海岸の天気を、もう少し涼しくした気候である。海も山もあり、ウィンタースポーツもできる。自転車に乗る人は、レンタル自転車で車道の中の自転車レーンを爆走するのも楽しい。アジア移民が多いため、中華から韓国料理から和食まで全て簡単に手に入る。

ここでおわるが、好きな航空会社よりも、好きな空港よりも、ひどい目にあった空港とか要注意な航空会社のほうが面白くなりそうだ。需要があればまた書きたいと思う。