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Feb 20, 2017

1月の光景



トランプの就任演説を見る。中継では合間にトランプの就任を心から喜んで、演説を聞きに来た人たちが映しだされる。その嬉しそうな笑顔を見ていると、当然のことではあるがトランプの政策を支持し、「アメリカをもう一度偉大な国にしたい」人が沢山いることが伝わってくる。分断されつつアメリカをトランプはどう治めていくのだろうか?そして世界はどう変わっていくのだろうか?
期待よりも不安が大きい。

関連して、制度としてのアメリカ大統領について論じる待鳥 聡史著『アメリカ大統領制の現在』という本がとてもおもしろかった。世間で信じられて強いイメージと裏腹にアメリカ大統領には憲法・米国法において権限がないということを明らかにし、権限が無い中で議会への働きかけ、一般国民への訴え、大統領令など大統領の使える作戦を細かく論じている。


2017/1/1
31日の夜実家を抜け出して近所の神社にお参りに。コンビニでコーヒーを買っているときに年があけたようである。いつも通りのお正月。時間があったのでお墓参りにもいってきた。 

2017/1/2
母方の祖父母宅に年始の挨拶。次回はきちんとお年玉袋を持参しないといけないなと反省。

2017/1/3
一昨年亡くなった祖母の遺影と前から飾られていた祖父の遺影、大きさも額の質感も違うのが気になっていた。おそろいの額を購入し、写真の大きさを揃えて、仏壇の上に並べて飾る。うん、いい感じ。

2017/1/4
長野から東京への新幹線。

2017/1/5
仕事始め。年の瀬にアメリカ政府機関が公開した「ロシア情報機関が大統領選挙のさなかにサイバー攻撃をしかけた」という趣旨のレポートの中身が稚拙なことに驚く。政府はきちんと機能しているのだろうか?
夜、電話会議今年一回目。

2017/1/6
長年使ったソフトバンクをやめて、IIJmioという格安SIMに移行。「みおぽん」というアプリで高速通信のON/OFFを切り替えられるのが面白い。とりあえず何の問題もなく快適に使っている。(2月頭に請求がきた。基本料金は1900円とまさに格安だがしかし通話料で2600円かかっていた。それでもソフトバンク時代の半額以下だが、意外と通話料がかかるのだなぁ) 
大学の図書館前にあるカップラーメン自販機。今月2度お世話になる

2017/1/7
色々と買い物。布団と長年愛用していたコートを買い替える。今度は軽さと動きやすさを重視したダウンジャケットである。
このあたりで家族がインフルA型に感染し、バタバタする。
 
2017/1/10
知日派でしられる米国の要人を招いたワークショップに参加。4月から何か新しいことが始まるようで楽しみである。ワークショップを終えてビルをでるとキャンパス内にたくさんの黒塗りの車が停められていたのが印象的。 

2017/1/13
午前、大学院の打ち合わせ
午後、業界団体が主催する山口先生の追悼ライトニングトーク大会というのに参加する。話すよりも写真を見てもらったほうがいいだろうなと思ったので
喋らないライトニングトークになった。よかったんじゃないかな。

2017/1/14
ホームセンターへ。寝室の模様替えのために色々と購入。寝室が一気に快適になった。

2017/1/15
午後来客あり。途中で同僚から電話があり、急遽トラブル対応に。久しぶりに焦る。

2017/1/16
10時から田町で打ち合わせの予定だったが、前日のトラブル対応のためキャンセル。
やれることはやった。

2017/1/17
深夜の電話会議。翌4時位に寝る。

2017/1/19
借りていたビデオカメラに撮りっぱなしになっていたデータをパソコンに取り込んで整理。ついつい動画に見入ってしまった。

2017/1/21
大学院セミナーのため藤沢へ。この片道2時間はなんとかならないものか? 同門の後輩が無事博士候補になった。おめでたい。自分も頑張らないと。 

2017/1/22
夜羽田からフランクフルトを経由してスペインのバレンシアへ出張する。

2017/1/23
羽田ーフランクフルト間をビジネスクラスにアップグレードできたので比較的元気な状態でスペインについた。この国Uberは使えないらしい。
軽く仕事をしたあと、日本から参加している元同僚と早めの夕ご飯を食べてから、公式ソーシャルイベントに向かった。水族館を貸し切ったパーティーは素晴らしいが、ご飯が少なくて腹減った。 
 

2017/1/24
FIRST Regional Symposium初日。バレンシア地方政府の長官と会場を提供してくれた大学の学長がイベントの口火を切ったのは意外。FIRSTという組織に対する外部からの熱い視線を感じる今日このごろである。 
出張前に同僚と「バレンシアだけに街中にオレンジがあったりして?」などと軽口を叩いていたのだが、実際のバレンシアにはいたるところにオレンジの樹があって、見事な実がついている。恐れ入りました。

2017/1/26
昼アフリカの取引先が多分に感情的なことで揉めていると聞き、当事者3人とそれぞれ電話会議。それぞれに言い分は正しいところがある。特にお金に関連するところは僕自身が知らないことが多く、余計な口出しはできない。 
 
2017/1/28
帰国の途に就く。義理の姉が出産のため入院したそうで心配。

2017/1/29
午後空港到着して、昨夜姪っ子が無事生まれたことを知る。よかった。
病院に顔を見に行きたいところだが、深夜フライトでシャワーも浴びておらず、今日は家で休むことにする。

2017/1/30
いつもの仕事に加えて、来年度の計画を考えるのに若干頭をつかう。
午後時差ボケで大分眠くなる。多分脳みそ動いてない。 




バレンシアの中央マーケット。海の幸も肉も新鮮でほんとうに豊かな食生活が伺える。ドライトマトパックを1ユーロで購入

パエリア用のお鍋


 

Jan 29, 2017

入国管理での勾留体験記


アメリカは新しい大統領令による混乱が続いているようだ。多くの人が搭乗拒否、入国管理室での勾留などの憂き目にあっている。
「勾留(Detained)」ってのがどういう感じなのか、ご存じない方のために、去年3月に勾留されたときの模様をここに残しておく。


2016年3月19日 勾留されました
今回は初めてアメリカで入国審査のためパスポート取り上げられて別室に連行された。


入国審査官がパスポートをパラパラしていて、いつもどおりスタンプを押すかなと思ったら、ちょっとそこに立っとれと。
3分でお迎えの制服の人が来ました。ちょっと質問されるくらいかな、別に後ろめたいことしてないし、とおもって別室に移動する。
でかい待合室とガラス張りの取調室が何箇所かある。朝の6時。先客が5人くらい。
イメージ的には学校の教室。大きな、横に長い教壇が一段高いところにあってそこにコンピュータとかが並んでる。


とりあえず待合室のパイプ椅子で待つ。
横の韓国人の女の子は携帯電話を取り上げられ、パスコードを教えろと言われて泣きそうになってる。
後ろに座ってるヒスパニック系のタトゥーバリバリお兄さんは小さな声でブツブツ誰かを罵ってる。
トイレに行ったら注射器用のゴミ箱がある。


あかん、これ本格的なやつですね。


「私語厳禁、電子機器厳禁」と鋭く注意される。そうかKindleもだめなのか。


30分後くらいただただボーっとしていたら声がかかって取調室へ移動。かかりの人とマンツーマン。
大柄だが威圧的な感じはしない。
仕事は?名刺をだせ。住所は?両親の名前は?身長と瞳の色は?など聞かれる。
「身長と瞳の色はあなたが見たままではなかろうか」とか余計なことを答えるのを控え、淡々と質問に答える。
係官は一通りの内容を電話でだれかに報告して、また10分後くらいに別の質問をされるというのを繰り返す。


2セット目で「スーダンに行ったことは?」と聞かれ、ここでやっと自分が引っかかった理由が見えてきた。
そう3年前にスーダンに1週間くらい仕事に行ったのである。スーダンでの仕事の中身についてさらに聞かれ、正直に回答する。


この時点で1時間半拘束。乗り継ぎ便の搭乗が始まるので急いで欲しいとお願いするが、「その便には乗れだろうない」とつれないお返事。
「それより腹減っただろう、飯食うか?」と聞かれる。食べる気分じゃないので断ると、書類にサインを求められる。
読むと、「私は係官に食事を勧められたが、自分の意思で申し出を断りました」という書類。不法な取り調べと後から言われることを避けるための書類である。面白い。断ってから気になって周囲をみると、ペラペラのサンドイッチとヤクルトの容器サイズのリンゴジュースみたいのを配ってる。カツ丼なら食べたかった。
その後、日本の非営利団体の職員でありながら、アメリカのノースカロライナ州に登記された会社の役員でもあり、ついでに大学院生という状況について詰められる。電話の向こう側でネットで経歴を調べているようだ。
2時間半くらいたった所で、別の人が現れて、お沙汰と背景の説明がある。

曰く、日本で取得したESTAは無効にされた。今回は特別なVISAをこの場で発行するので出張は継続して構わない。次回以降はまたESTAを申請すること、申請が却下される可能性があり、その時は普通のVISAをとれとのこと。

何故別室に連行されたかというと、2月終わりからESTA申請時にスーダン、パキスタンなどへの渡航歴を申告することが求められることになった。僕はそれ以前にESTAをとっていたので、情報が不足していたため、今回の面接が必要になったということ。


「最後に何か質問は?」
「どうしたらこのような事態を防げたのでしょうか?」
「君にできることはなかった。お気の毒」

サインした書類のコピーとパスポートを返却され解放される。都合3時間の拘束でした。乗り継ぎ便を逃し、振替便を待つためヒューストン空港で15時間待ち。朝の5時に目的地について、朝9時から会議というきついスケジュールになりました。


いい経験になったし、これにめげずにスーダンでもイランでもパキスタンでも必要があれば僕は行くからね!



振り返って、我ながら脳天気な書きぶりである。
それは係官がわりと紳士的だったとか、僕が旅慣れているとかいろいろな理由があるとおもう。
最も重要なのは、勾留の理由が「スーダンに渡航した」という自分の選択の結果だということが、早い段階でわかっていたからだ。
自らの出生国など、自分にはどうしようもない点が勾留の原因であったら、アメリカという国に大きく失望していたのは間違いない。
そしてアメリカは好きな国ではあるが、それでも「ホーム」ではない。あくまで「客」だから訪問して断られても、傷つくことはない。
でも、自分の国に帰ろうとしてこんな目にあったら、その人はそれでもその国を愛せるのだろうか。

さて最後に日本で生活していて、アメリカ旅行を控える日本人の皆さん向けにアドバイスを・・・

  • (稲川会とか山口組に所属していない ) 一般の日本人はVISAを免除されている。今まで通りESTAを申請してから渡航すればいい。
  • 万が一アメリカに入国できない場合、あなたをアメリカまで運んだ航空会社は「あなたを元の国に送り届ける責任」がある。したがって帰り道の飛行機は心配しなくてよい。
  • スーダン、イラン、イラク、シリア、リビヤ、ソマリア、イエメンへに2011/9以降に行った人は日本にあるアメリカ大使館にいってVISAをとる必要がある。念のために補足すると、このルールは昨年のあたまからすでに発効していて、新大統領令とは無関係だ。
  • 上記に該当する人はVISAを取っていたとしても、今後の入国が保証されているわけではない。万一、勾留されたら辛抱するしかない。「日本のパスポートは強い」なんて表現もあるとおり、確率的に我々日本人は勾留される可能性が最も低い国の1つである。 
  • (電子書籍ではなく)文庫本を一冊は手荷物にいれておくとよい。 
  • 僕のときも入国管理官はESTAのルール変更について細かく把握していなかった。システムのアップデートが遅れているとか言い訳していたが、まぁそんなものだろう。今回はその時以上に大幅に急にルールが変わったのであり、入国管理官も新しい上司がヤブからスティックに変なことを言い出して困っているに違いない。ビッグアイにルッキングしてあげてほしい
混乱が早く収束することを、祈ります。



Jan 5, 2017

12月の光景


11月27日
トレーニング2日目、同僚が頑張って無事終了。トレーニング会場がホテルの中華料理屋で驚く。

夜はガーナ人・フランス人の仕事仲間と打ち上げを兼ねて夕食。広い道路沿いのレストランにいく。道沿いで若者が騒いでいて落ち着かないので、2時間程度で早めにホテルに戻ることにした。お店の人にタクシーを呼ぶよう頼んだら「ちょっとまってろ」と言われる。3分ほどでキッチンからシェフがでてきた。まさかと思ったが、シェフの運転するクルマでホテルに戻り、日本円で300円程度お支払する。そういうバイトか。。。 
美しい島モーリシャス

11月28日
朝5時起床、6時半にホテルを出発してモーリシャス空港へ向かう。
ここからヨハネスブルグまで6時間、その後乗り換え待ち6時間、ヨハネスブルグからガーナのアクラまで7時間、アクラからワシントンD.C.まで11時間、ワシントンD.C.の空港からホテルまで渋滞のせいで1.5時間。占めて38時間の移動になった。
飛行機で隣の席が、初めて飛行機に乗る南アフリカ人の女の子だった。「飲み物は無料なのか?」という質問をされたのをキッカケに、機内エンターテイメントシステムの使い方等お世話をする。「日本は中国の一部なんだよね」とかつぶらな瞳で言ってくるのでドキドキした。
荷物失くなる↓
11月29日
予想通りD.C.は寒い。 朝9時にホテルチェックイン。近所の自然食志向のスーパーで買い出し。ホテルにもどって比較的高速なインターネットを駆使し、たまった仕事片付ける。
その後昼寝のつもりで寝たら起きたら夜8時になっていた。どうしてもラーメンがたべたくなりダウンタウンのラーメン屋に20分歩いて向かう。30分待たされたが、久しぶりの日本の味噌ラーメンは本当においしかった。ラーメン屋からの帰り道に北米でしか出現しないポケモンをゲット。

11月30日
昼頃、取引先との打ち合わせ。連絡不備で会議に遅刻。夕方タイ料理屋で打ち合わせをかねた遅い昼食。その後ホテルに戻って仕事。
偉い先生方との対談の仕事を受けることになり日程調整をその秘書さんとする。「7時から21時までの間で」僕の都合を教えてほしいといわれる。偉い人は仕事が好きだ。仕事が好きだから偉くなるのか。どっちにしても体力は才能だ。

12月1日
会議初日。
昼頃会議を抜け出して、別の取引先と打ち合わせ。大統領選挙でトランプが快勝したことについて色々聞く。
街は紅葉が綺麗である。
夜ご飯はUber Eatsを試してみる。ちゃんと届くが、ハンバーガーはいまいちだった。 

12月2日
終日会議。夜はフォーを食べに行く。アメリカ政府のとても偉い人が気さくにみんなに話しかけていてびっくりする。 疲れていたとはいえ、積極的に議論に参加できなかったのは大いに反省するところである。

12月3日
今回の出張は本当に飛行機運がない。効率的なフライトを予約できないために、モーリシャス→ワシントンD.C.の移動が38時間の長旅になり、ワシントンD.C.からの帰国がきっつい日程になる。

12月4日
夕方成田着。自宅に到着したのは22時過ぎ

12月5日
朝イチからサウジアラビア大使館へビザ申請に行く。申請費用だけで8万円。

12月8日
朝から三田で大学院の会議。昼は汐留で会食。その後夜まで接客が続く。

12月9日
午後は打ち合わせ三連チャン。勤め先の20周年記念懇親会。懐かしい人達に会い楽しくすごす。

12月10日
大学図書館で研究の続き。かなり追い込まれてきました。
実家からりんごを送ってもらった。今年は日照時間が不作し、取れ高も味も低調とのこと。

12月11日
22時成田発のドバイ行きに搭乗。2泊5日のスケジュールでサウジアラビアに出張する。空港ラウンジも使えない長旅は結構きつい。荒みかけた心を潤すべく、東京駅の構内でかにめし弁当(2000円)を買う。器が蟹の形で面白い。それでも心が充分に潤わなかったので、バチバチという相撲マンガをKindleで大人買いする。噂通りのいい漫画!

12月12日
朝、サウジアラビアのジッダに到着。入国管理のところで時間がかかったものの手続きそのものはスムーズ。
昼はホテルの日本食レストランで「YakiUdon」を食べる。サラダが意外と美味しくて嬉しい。
数時間でベールをかぶった女性、ターバンや白装束の男性に目がなれる
メッカにも押し寄せる日本のマンガの影響
ジェッダ旧市街はこのように水平・垂直という常識にとらわれない建築が多く、(地震大国出身としては)見ていて心配になる。


12月13日
会議初日。今日は聞き仕事なので気楽。イスラム諸国会議機構(OIC)の本部のビルへ行く。
夜は予定されていた夕食会がキャンセルになったとのことで、旧知のブラジル人と食事をし、帰りに噴水を眺める。
噴水が見える海辺の公園は気持ちのいい夜風がふいていて、足取りも軽くなる。
「女性だけで外出できない」「ポケモンは禁止されている」「(女性は)家族以外の男性と話したら逮捕」とかサウジについては色々と聞いていたが、実際に来てみると表向きのルールと現実の生活にはだいぶ乖離がある。現実の生活はそんなに厳しく、堅苦しくない。
規則が厳しいことで有名なメッカのお膝元であるジッダでこれなので、首都のリヤドなどはもっと緩いという。
不思議とお酒を飲みたいという気持ちにはならない。

夜の散歩。釣りしてるひと多い

12月14日
朝一にホテルをチェックアウト。昨日と同じOICのビルで、今日はオープンカンファレンス。サウジアラビアのビジネスビザは取得に時間とお金がかかることから参加者は少なめ。イスラム圏の友人(マレーシア、インドネシア)は家族を同伴していることが多く、この会議が終わったらミニハッジをしにメッカに行くという。
メッカに行くことが許されない僕はホテルのテレビでカアバ周辺の生中継映像を見る。 

夜八時半の飛行機で、帰国の途につく。 
巡礼をした人は聖水を持ち帰ろうとする。お土産用聖水パックは一人二箱までときまっていて空港前は聖水パックと旅慣れない客でカオス。

12月15日
乗り換えのドバイ空港で、明らかに飛行機になれていないエチオピア人家族をゲートまで連れて行った。いいことをした。
夕方成田着

12月16日
朝から夕方までオフィスでいろいろ。

12月19日
来年2月に企業の社会人教育プログラムの講師依頼があり、その打ち合わせ。夕方『三田評論』の座談会。3人の討論者と1人の司会者に対して仰々しいテープレコーダーが3台。

12月20日
朝から会議続き。深夜に電話会議。FIRSTの来年度(1月はじまり)予算案がギリギリのタイミングで承認されて一安心。

12月21日
大学図書館で研究の続き。

12月22日
午後飯田橋で業界団体の集まりに参加。その後梅酒居酒屋で懇親会に参加し夜遅くに帰宅。

12月23日
娘1歳の誕生日。家族でお祝いをする。

12月24日
自宅で色々。

12月25日
一橋大の図書館へ。本読んでメモとっての繰り返し。足がさむさでプルプル震える。

12月26日
一橋大の図書館へ。午後歯医者の予約をいれていたが、殊の外作業が捗る日だったので、キャンセルし篭もりっぱなし。

12月30日
珍しく新幹線で実家へ。 
両親が用意してくれた一升餅を娘に背負わせてみる。予想通りギャン泣き。

12月31日
弟夫妻の第二子は放っておくと寝ていたり、手があまりかからない赤ちゃんのようだ。その様子におどろきつつ、今年も家族が無事であることを感謝して、年を納める。 

















寝ない子はおばけに連れていかれるという救いも遊びもない怖い話。

Dec 21, 2016

頭良さげに見せようとして、頭悪さがバレる10の発言


ただ頭良さげにみせようとして、あるいは会議で存在感を出そうとして、逆効果になる発言というのもある。
今日は僕が独断と偏見で馬鹿がバレちゃう、頭良さげに見せる時の落とし穴となりかねない発言の例をあげたい。


1.「戦略的に考えましょう」
これを口に出す人の頭に戦略らしきものがあった試しがない。「Define YOUR strategy.」などと正面から受けて立つと、即興の戦略を5分ほど聞かされるか、全面戦争になる。遭遇したら扱いに困るタイプである。同様に「国益の観点から」などもたまに聞かれる。定義できないような大きな単語を小さな会議室に持ち込むのが馬鹿の特徴と言ってよいかもしれない。「言葉の車幅感覚」がないのである。

2.「グローバルスタンダードを意識して・・・」
こんなスケールのでかいことを言い出すやつのスタンダードは良くてアメリカンスタンダード。欧米圏の外のことを鑑みていないことが多い。
本当に「地球規模で標準」なんてめったにないのである。「それは本当にグローバルスタンダードなのでしょうか?アフリカでそんな話きいたことないなぁ・・・」と返して退散願う。

3.「本質的な議論をしようじゃないか」
自分が話したいテーマに「本質」という錦の御旗を無理やり掲げる。無意識に使う人と、議論を自分のほうに持っていくテクとして使っている人がいる。後者とはきちんと話せば妥協点を見つけられる。

4.「ケースバイケースです」「是々非々で対応しましょう」
わかってる。ケースによって決断の内容は違うよね。わかるんだけど、もう少し踏み込んでほしい。"It depends (on a case)"とドヤ顔で発言したそこの君。場面を2つくらい例示するのを目の前の外国人はあたりまえのように期待してるぞ!?

5.「〇〇部長がこういってたので、こうしたいです。」
君が考えてくれ。もしくはその部長をこの会議に呼んで、君は帰れ。

6.「コラボしていきましょう」
まだ「僕らはこうしたいので、お前らこれやれ」と言われたほうがまし。さらに協力をコラボと言い換えてくるあたりにただならぬ才能を感じる。だが、こっちも大人だ。「シナジーでウィンウィン族」とは過去にも渡り合ってきた。今日のところはフューチャールッキングでオプティミスティックな関係を希望しとくぜ!

7.「ここだけの話ですが」
時々はこの場でしか話せないことがあるとおもう。ただ毎度自慢げに「ここだけの話」を繰り出されると、秘密を守れるひとなのか? 秘密なこととそうじゃないことをきちんと切り分けられる人なのか?などと心配になる。こういうの、もしかしてセキュリティ業界だけなのかな?

8.「○○さんのこと尊敬してます!」
初対面でそう言われましても。自分を過大評価してくれる分にはありがたいし無害である。しかし、誰かを根拠なしに過大評価する人は、別の誰かを意味なく過小評価する予備軍である。怖い。触らぬ神に祟りなし。

9.「新しい枠組み」「今回のスキーム」「我々が目指すフレームワーク」
何をするかは決まっていないが、何かをしなくてはならないという窮地に追い込まれた人間が最後に頼るのが「枠組み」「スキーム」「フレームワーク」の三種の神器。
中身は実現可能性を度外視した夢物語が詰まっているので、正面から否定しずらい。
「すばらしいフレームワークですね、またお話きかせてください」と回答するのがオトナ。

10.「情報共有が必要」「教育が重要」
この2つが重要でないと言ってるわけではない。重要だと誰もがわかってることを改めて言うからお寒いのである。
「対象をXXに限定したYYのような教育が重要」と一歩踏み込んでくれたらすごく良い会議になるのにといつも思う。

おまけ. だらだら長く話す
よくありますよね。あの人「1点だけ質問させてください・・・」と切り出したのに、もう10分以上思い出や武勇伝を語っているぞ。。。って事。時々、頑張って会議に貢献しようと絞り出すように長話をする人がいて、それはそれでちょっと切ない。
会議に大量の配布資料を持ち込む人も、その場に持ち込むべき情報を絞れていないという点で同罪である。


じゃあデキル人は会議でどういう発言をするかというと、もうこれは一つである。

「わかりません」

会議で「わかりません」といえるのは間違いなくデキる人である。「そこよくわからないなぁ」「要するにこういうこと?」「それって具体的にどういうこと?」「たとえば?」と自分が分かっていないことをきちんと意思表示する人はそれ以外のことはきちんと理解している。
馬鹿は「自分がわかっていない」ということがわからないので、あるいはデキる人であるよう振る舞いたいので 「わかりません」とは絶対に言わない。

というわけで現在の僕にできる、会議での人を理解する方法は「わかりませんを口にしたのが誰か判別法」であり、これは経験上そこそこ信頼できる。

若干毒を吐いてスッキリしたので、僕は明日の会議でおみまいする「グローバル戦略のためのフレームワーク」の資料作成にもどりますわぁ。


Nov 26, 2016

11月の光景


11月1日 奈良にあるけいはんなプラザで行われるAPEC-TELでの講演。途中「新祝園」という地名に驚く。7時に出発、12時過ぎ現地着、14時会議開始、17時半会議終了。ステージ状になった講演者席に座らされていたが、自分の持ち場が終わってからは資料作成に勤しむ。22時半帰宅。前夜の大学院資料作成の続き。

11月3日 大学院の関連で韓国でのワークショップに参加する。空港着が17時くらい。19時近くにホテル到着。そのまま先生達と打ち合わせをする。遅れる僕のためにディナーの料理を取っておいていただいたようで申し訳ない。


11月4日 朝から日中韓の研究者で会議。英語ー韓国語の同時通訳がはいるため、韓国側のスピーカーは全員母国語で話す。日中韓3ヵ国は英語が母国語でない「仲間」であると思っていたので、通訳前提に韓国語で話す韓国人に若干違和感を感じる。
夜は韓国ローカル居酒屋での懇親会に参加した。生きているタコやエイの腐ったやつなど珍味が並ぶ。どれも美味しかったが、韓国の若い大学院生は手を付けずじまい。韓国側の責任者の先生は昼間は強面だが、気さくな方だった。
ホテルに戻ってベッドに倒れ込んだらそのまま寝てしまう。



11月5日 朝7時まで爆睡。朝一で昨日の会議の議事録(のようなもの)をつくる。家族に頼まれていた「眉ティント」なるものを買うために色々聞き込みをする以外とくにすることもなく、昼過ぎに帰国。行きの飛行機では「シンゴジラ」を、帰りの飛行機では「君の名は」を見る。甲乙つけがたい面白さで、大ヒットも納得。夕方家に着く。

11月6日 明らかに体調不良。朝ごはんを食べて寝て、昼ごはんを食べて寝て、という感じで1日の大半を寝て過ごす。

11月7日 前日に続き体調イマイチだが、朝から夕方まで会議がみっちり。夕方帰宅して速攻寝る。

11月8日 体調復活。

11月9日 アメリカからのお客さんとランチミーティング。折しも大統領選の開票結果を横目で見つつのランチになった。トランプに決まりそうという報道があり、みんな絶句。夜は先月のイベントの打ち上げを社内の関係者とする。おっきな仕事を切り抜けて自信をつけた部下が誇らしい。

11月10日 アフリカでのビジネスを検討している企業と打ち合わせ。ウガンダの友人を紹介する。

11月11日
祖母の一周忌のため帰省。妻の運転で4時間足らずの道のり。
午後近所の整骨院へ。「おじいちゃんのカラダだね」とのこと。とほほ。

11月12日
昼に菩提寺に行き法要をする。その後御斎を市内の宴会場で。娘はわりとご機嫌で過ごしていて一安心。

11月13日
 昼過ぎに祖父母宅を訪問。娘は久しぶりに曾祖父母にあう。両親にはメッセージアプリで写真を常々送っているが祖父母はそういうわけにもいかない。紙の写真を送るべきかと思案する。その後両親、弟一家と温泉へ。食事が美味しい。

11月14日
温泉をチェックアウトして、両親と近所のベビー用品専門店へ行く。いろいろ買ってもらう。帰りは4時間半くらい

若き画伯(甥)が描いてくれた絵の数々


11月15日
金曜月曜と休んだので仕事たまり気味。昼ごはんを食べる暇もなし。
深夜の電話会議。終わりが深夜の1時。そこからさらに別の電話会議に拘束され、4時くらいに寝る。
11月16日
三田キャンパスへ。学祭準備でキャンパスが華やいでいる。中国の司法制度を専門に研究している人にいくつかヒントをもらう。先生とKさんと蕎麦屋でご飯食べて帰る


11月17日
取引先と忘年会。同僚が予約してくれた鳥料理が美味しかった。

11月18日
朝一から都心で会議。その後急遽入った会議のため曙橋へ。初めてこの駅降りた?夕方のORFのセッションを聴講する。



11月19日
午前は散髪へ、午後は歯医者へ。たまの休日。久しぶりにリラックスした休日だった

11月20日
午後成田へ。夕方の香港行きに搭乗するまえに成田空港で靴を磨いてもらう。1200円で新品の輝きを取り戻した。

11月21日
香港での会議初日。朝ごはんはホテルの近くのレストランで前からの知り合いのオーストラリア人と食べ、昼ごはんはこの会議に招待してくれた香港人と食べに行く
夜ホテルから15分歩いて本場四川のタンタン麺が売りの店にを食べにいく。うまかったけど、夜からお尻がちょっとヒリヒリする。




11月22日
安倍トランプ会談について日本人はどう思ってる?と外国人複数名に聞かれて答えに窮した夜であった。
「これだけ早期に会談できたのは選挙前から正確に情勢を読んで、トランプ側と交渉していたということ。そこは素直にすごいとおもう。」
今後はそんな感じに返事しようと思います。
11月23日
 香港のカンファレンス3日目。会議初日から感じていたが香港人はプレゼンが巧みだ。写真を大きく使ったスライドでTEDばりに聴衆に語りかける。最初はすごいなと思っていたが3日目にして思うのは「何か物足りない」という思いだり多分会議で登壇している人はことごとく現場の仕事をしていない。一番使いこなしているのはPowerPoint もしくはkeynote という人種だと思う。
話は巧みだが、心がない感じである。
とはいえ表現力の高さには素直に敬意を表し、負けないように頑張りたい。

蟹の季節ですな 

11月24日
香港からモーリシャスへ移動。ヨハネスブルグで乗り換え。この空港に前来たときは山口先生と一緒だったなぁとか考える。

11月25日
午前、取引先との覚書に調印、がっちり握手という若干儀式めいた会議。
午後からアフリカ人技術者向けトレーニング。今回2度めとなる同僚を後ろから見守る。


11月26日
昼休み時間が豊富だったので海で泳ぐ。きもちいいです。朝から仕事のメール送っているのに返事がないとおもったら土曜日だった。






Nov 2, 2016

10月の光景

10月1日 バリから帰国。途中乗り換え空港であるバンコクで豪雨に見舞われ、乗継便を逃す。運良く30分後の同じ羽田行きに振り替えてもらったが、元の便ではプレミアムエコノミーの席がとれていたのに、エコノミーに振り返られてちょっと納得いかない。


10月3日 横浜国大へ。敷地の広さに圧倒される。国立大学ってやっぱすごいな。

敷地内で遭難できそうなキャンパス
10月5日 午後、業界団体ISOG-Jの集まり。そのまま月島で懇親会。日本酒の美味しい立ち飲み屋さん。立ち飲みは移動しやすくて懇親会向きである。

10月6日 会社に通勤せずに家で仕事。圧倒的スピードで仕事片付く。午後市役所にマイナンバーカードを受け取りに行く。

10月8日 本来なら研究発表のために学会に行くはずの日。進捗が悪く今回は見送り。 出来事をExcelのシートにまとめるというなんとも地味な作業を続ける。

10月9日 家で子供の世話など

10月11日 午後会社早退し、歯医者へ。初診だったが色々と丁寧に説明してくれる。印象はとてもよい。

10月12日 終日霞が関で会議。

10月15日 午前は研究。午後気晴らしに家からクルマでほど近い新鮮な魚介が売りの魚屋にいく。新鮮なさんまを買って塩焼きに。そして筋子を買って初めて自分でイクラを漬けてみた。600円/100gだった。
さんまも旬

10月16日 イクラうまくできた

10月18日 ここ数週間謎の寝不足だったが、この日かなり久しぶりに快眠。深夜の電話会議

10月19日 東京で行われる国際会議CodeBlueのおかげで来客増える。日本で定期的に国際カンファレンスを続けるというのはカンファレンス参加者以外にも様々な恩恵があることを実感する。

10月22日 朝一で富士山麓にある義祖父母の墓にお参り。慣れない温泉旅館に子供のご機嫌がななめ。


10月23日 温泉にゆっくりつかることも食事を堪能することもできないまま帰宅。御殿場から東名高速道路にのる。中央道に入りそこねたらしく下道を1時間ドライブ。

10月24日 秋のビッグイベント。 アジア各国からCSIRTをお迎えして年次会合とカンファレンスを開く。イベントのロジは同僚に任せっきり。国際会議のロジというのはいわゆる食事や宿泊や物理的な会議場所の調整などの仕事を指し、サブ(サブスタンスの略)は実際にそこで話される議題に関する仕事を指す。サブが重要と思われがちだが、大抵勝負はロジで決まる。参加者・スポンサーを招いたウェルカムカクテルイベントに参加してから帰宅。深夜の電話会議。
都内をバスで移動


10月25日 アフリカの関係者との打ち合わせ、FIRSTに関する問い合わせ対応、産休中の同僚の来訪など、色々いそがしい。来年2月にベトナムでFIRSTのイベントをやろうと調整をしていたが、現実的でない気がしてきた。撤退を決断。
風邪気味で体調優れない。夕方体に活を入れるべくとびきり辛い四川料理を食べてから帰宅。連続深夜の電話会議。進捗はあった。


10月26日 風邪で朝起きれないかと思っていたが、意外と平気。前の日の葛根湯のおかげだろうか。イベントの招待側の立場で話す機会があるため久しぶりにスーツで出社。夜は参加者を招いたディナー。この頃家族も体調を崩していて気が気でない。

10月27日 ビッグイベント最終日。パネルの司会のお仕事はあるが、それ以上に翌週以降の仕事の調整が忙しい。控室でパソコンにむかう時間多し。イベントの後片付けをして、残っていた同僚と一杯だけ飲んで帰宅。良いイベントだった。天気にも恵まれた。
水天宮前駅直結のロイヤルパークホテルは落ち着いててとてもよかった


10月28日 所属する組織の20周年記念イベント。昼から半日のワークショップがあり、30分のプレゼン枠と諸先輩方3人と共に30分のパネルディスカッションをする。 プレゼンの方は準備不足が否めなかった。夕方から懇親会。本来なら来場者にお礼して回るところであるが、体調悪いため、18:30には帰宅。21:30就寝。長い一週間お疲れ様でした。

10月29日 久しぶりの休日。掃除、歯医者、読書、散髪、夕食の支度。翌週の大学院の関係の韓国出張で使うプレゼン資料をつくりだすが、PowerPointに慣れた体に、Keynoteは戸惑うことが多い。

10月30日 終日会議。社内の色んな人とのコミュニケーションが不足気味なので、久しぶりに話すと良くも悪くも発見が多い。諸事情で自分で企画していた夜の飲み会を欠席。 Oさんに迷惑かけた。

11月1日 奈良にあるけいはんなプラザで行われるAPEC-TELでの講演。途中「新祝園」という地名に驚く。7時に出発、12時過ぎ現地着、14時会議開始、17時半会議終了。ステージ状になった講演者席に座らされていたが、自分の持ち場が終わってからは資料作成に勤しむ。22時半帰宅。前夜の大学院資料作成の続き。
壇上で必死に内職

会社で貸与されているPCが電源入らなくなり、メーカは腐食が原因だという。開けてみると水をこぼしたとかではなく発熱し溶けている形跡あり。








Oct 2, 2016

9月の光景

8月27日から9月終わりまでの光景。


8月27日

スコットランドのエジンバラへ出張

 

ホップをふんだんに使ったIPA。苦い


 


8月28-30日

終日会議


8月31日

市内の会議場視察。時間が余ったので一人で国立スコットランド博物館へ。クローン羊ドリーの剥製を見る。


絵になるなぁ


広い

チャーミングなドリーさん。




9月3日

帰国。このあたりから体調悪いにもほどがあるレベル。来月はちゃんと健康診断しよう。



9月5日

蒲田で会合。この街の雰囲気好き。

 


9月9日

終日会議。旧知のドイツ人が世界の最前線の大事な役目を担うことになった。めでたい。


9月10日

メガネを買いに郊外のショッピングセンターへ。生活の変化を感じる。

前のは壊れた

9月13日

近くのオシャレコーヒー屋さんに初めて入ってみる。ドリップ式で、豆を選ばせてくれる。


9月18-19日

学生時代の友人の結婚パーティー出席。前日に小諸の温泉にとまって、参列する。新郎新婦の人望だろう、田舎の町に大勢の関係者が集う。壮観。





9月20日

夜中1時まで電話会議、その後3時までトラブルの対応のメール処理。感情的なもつれは難しい。


9月21日

インターネットを活用し、世界中の遠隔参加者と議論するという会議の東京会場に参加。

スリランカやバヌアツ、パプアニューギニアなどと繋がるオンライン会議室



9月23日

山口先生追悼カンファレンスに参加。かんたんなスピーチを頼まれていた。喜んで引き受けた。

原稿を作り出してはじめて、これがとんでもなく難しい作業であることに気づいた。

思いでは限りなくある。問題はそれをいかに取捨選択するかである。


山口先生なら今何を伝えようとするだろうか?その気持ちを想像しようと試みたが、結局他人がいくら慮ったところで、本人の気持ちにどれだけ寄り添っているのかわからない。確認のしようがない。

たどり着いたのは(スピーチが)故人と自分の親しさのアピールにならないように、故人という触媒を利用した自分自身の意見表明とならないことを最優先に考えるという姿勢である。結果はブログ(スピーチ)の通り。

書いては消し、また書いては消し。本当に時間がかかった。


これも死という現実を受け入れる儀式の一つであると思う。貴重な機会を頂いた。



9月26日

朝イチで八重洲で打ち合わせ。打ち合わせが長引くのがつらいと感じるほどに体調悪い。夕方秋葉原で自分が主催する交流会。終わってから羽田に直行し、シンガポール経由インドネシアのバリへ。


Made's Warung

 9月27-29日

カンファレンスで講演したり、オープニングスピーチをしたり。

ちょうど大学院秋学期の履修登録であり、遅いインターネットを使ってWeb で履修登録を済ませる。

Legianの町並み




安芸クイーンと巨峰