5月4日
学生時代の友人二人と中野で真っ昼間から飲む。うちK氏は誕生日ということでおしゃれカフェでお祝い。その後中野の裏通りの落ち着く店へ。気分一新できるこういう休日は本当に貴重である。
5月6日
元同僚が一時帰国しており、家族を連れて遊びに来る。子供同士は3ヶ月違いだが、見てて個性ってのはあるんだなと改めて思う。美味しい中華を堪能。
5月8日
夜帰宅後から年に一度の抜き打ちチェックみたいな仕事はじまる。ゴールデンウィーク中でなくて本当によかった。
5月12日
読売新聞の朝刊に「サイバー人材アフリカに必要」というタイトルでエッセイを書いた。新聞の紙面というのは記者が書くものとばかり思っていた。自分で紙面にのる文章を書くというのは初めての経験。田舎の祖父母は信濃毎日新聞がシェアをしめる土地に住みながら長年の読売新聞愛読者である。祖父母孝行になったかもしれない。W記者に感謝。
5月13日
WannaCryと呼ばれる新種のワームが短期間で大流行ということで、自分は主に海外からの情報収集にあたる。
専門家同士で情報交換するメーリングリストがあるのだが、メールの数が過去にないレベルで多かった。そのあたりでやばいなという感触あり。
5月15日
WannaCryの余波続く。結果的にチームとしては適切な動きができたが、国内に被害が広がっていて、未だ復旧作業にあたっている人がいると思うとやるせない。
5月16日
深夜の電話会議。やってない宿題が多くて会議に出るのが嫌だったレベルです。
5月18日
夜、山口先生を偲ぶ職場の小さな集まりに顔をだす。その後会社に戻って22時から電話会議。GCSCという新たな議論の場で主に技術の分野のリード役を引き受けることになった。だいぶ昔に「修士論文とは思えない論文をかく学生」とこのブログに書いた人物も別分野のリード役になることとなったし、事務局を引っ張るA氏は業界随一の切れ者である。せめて脱落しないように頑張ろうと思う。
5月19日
大学院へ。9月末締め切り論文について先生に相談。
今年の2月から3月にかけてひっそり進めていたドメイン名紛争処理について、その体験記が公開された。各方面から賛否両論のリアクションがあって勉強になる。
5月20日
大学の事務室から連絡。そんなこと滅多にないので恐る恐るメールを読むと、読売新聞の記事をよんでSFC所属ということがわかったので、大学の 「メディア掲載情報」のリストに加えてよろしいかという問い合わせであった。よく見てるなぁ。
5月21日
小金井公園というところに初めて行ってみたが、遊ぶ場所は豊富だし、売店も充実しているし、駐車料金が高いこと以外は素晴らしい。主に砂場で遊ぶ。
5月22日
新宿でコンタクトレンズを買い足す。午後成田空港へ。ナイロビに向けて、まずはバンコクへ飛ぶ。
体調が悪くて機内食がほぼ喉を通らず。機内で見た"Hidden Figure"はまぁまぁ。
セキュリティキャンプでの講演依頼があり、その内容を機内で考えてみる。
5月23日
11:00にナイロビのホテル着。きれいで快適。シャワーを浴びて、FIRST Trainingの様子を見に行く。設備は素晴らしいし、参加者も積極的に参加しているようで安心した。
講師は初めてのアフリカに果敢に挑んでいたが、若干ストレスを感じているようであった。夜は彼女を囲んで軽く飲む。
5月24日
トレーニング初日。ほぼ1日喋り倒す。夜は同僚とフランス人の仲間とホテルで。夜風が冷たくて気持ちいい。
5月25日
トレーニング2日目。会場のネットワークにトラブルがあってトレーニング中断を余儀なくされたが、同僚が日本からワイヤレスのアクセスポイントを持ってきてくれていたおかげで、すぐ再開することができた。備えあれば憂いなし。
夜はヨーロッパ方面からの参加者と情報交換を兼ねて夕食を一緒にとる。
研究の続きを少しだけして寝る。
5月26日
朝一のセッションでプレゼン。主催者からの依頼に答えたプレゼンをつくっていったのだが、残り二人のパネリストは気にせず喋りたいことを喋ってた。
その後会議を抜けて、とある国際機関の人と会議。初めてあったのは4年前か? 彼の同僚が感じ悪かったのでなんとなく距離をおいて付き合ってきたが、彼自身は真摯な良い奴だ。色々と決めて一安心。
5月27日
午前、向こう数年間のAfricaCERTの方向性を話し合うための会議のはずであるが、どうにもバラバラ。
会議が終わった昼過ぎ、同僚がみんなを集めておいてくれて、トレーニングの反省会。
夜、レセプションがあってアフリカのリーダーたちとこういう場でしかできない相談をする。世界中見渡してもどんな組織も大なり小なり問題を抱えている。中堅と呼ばれる年になり、自分が介入する問題とそうでない問題を切り分けることが大事だと感じる。今ここで起きている問題には首をつっこまないことに決めた。
5月28日
朝ごはんをたべていたら、知り合いが集まってきていつのまにか打ち合わせに。どうでもいいけどアフリカのメロンはとてもおいしい。
大学を卒業したばかりというケニア人の若者に「いつか侍になりたいと思っている。どうやったらなれるのか?資格試験のようなものはあるのか」と問われて、飲んでたコーラを吹きそうになる。アフリカに来るといろいろな質問をされるが、ピカイチのパンチ力。
大学院の宿題、GCCSの宿題をするためにレストランにこもる。部屋は静かなんだけど、どうしてもダラダラしてしまう。
GCSCの方はおもったより重い。夜はルームサービスを頼むが、食欲が減退気味。
5月29日
ナイロビは昨日から時折雨模様である。
朝一で会議を一巡りし、参加者に挨拶したあとは昨日の宿題の残りをすすめることに。これ本当に重い。
下着類をホテルのランドリーサービスにだしたものが戻ってきた。ランドリーサービスってどうしてこんなに高いのか。。。
16時くらいにホテルから空港へ移動。ナイロビの空港のラウンジで横の席の若いアメリカ人がずっと電話している。「タンザニアはチャンスに溢れているけど同時に怖い」「あいつはすでに牢屋に入れられて2週間たってる」「1万ドルはなかなか」「大丈夫明日になればわかるはず」とか話していて聞いてて怖い。
19時ナイロビを立つ。
5月30日
エチオピア経由でバンコクへ。機内では『Mastering Bitcoin』を読む。ブロックチェーンの理論からBitcoin Walletの実装までを扱う本で技術書読んでワクワクするのは久しぶりである。超おすすめ。
バンコクで10時間の乗り換え待ち。バンコク市内で携帯電話の修理をしたら安そうと思いたち赴くもまさかの臨時休業。
5月31日
長い出張なので隙間の時間に読もうと思っていた『サピエンス全史』は全くすすまない。日本語版買うべきだった。
へとへとになり帰国。朝8時半に成田に着く。腕時計と携帯電話とPCが全部別のタイムゾーンになっている。もはやUTCに統一したほうがいいか?
長く一緒に働いた同僚が、5月末で退職。途中産休をはさんで、あしかけ10年以上。チームに欠かせないムードメーカーが去っていくのはさみしいことである。