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Dec 20, 2014

初めての海外一人旅にいったら、さみしかったという記憶

ふと、学生時代のことを思い出した。フランスのドーヴィルという静かな街に海を見にいった生まれて初めての海外一人旅のことを。思い出が風化する前につづっておきたいだけなので、オチもなにもない。しかも字数が10000字を超えてる。

奇跡の卒業
学生時代の僕はひかえめにいってもかなりダメなやつだった。4年生の時、卒業までに取得しなければならない単位は34も残っていて、履修したのは34単位だった。つまり1つたりとも単位を落とすことが許されないという背水の陣だった。卒業できるだろうか?と不安だった。卒業者はまず掲示板に張り出される。肌寒い3月のある日、僕は死刑宣告をうける覚悟で通いなれた坂をのぼり、そして掲示板に自分の学生番号をみつけた。卒業出来たのである。我が生涯における3大幸運の1つ、神様からのプレゼント、完全なラッキーパンチであった。

運良く、卒業が決まった僕はふと「卒業旅行」なるものをしてみたいと思い立つ。4月から社会の一員として働きはじめる、その前に自由を謳歌してみたかったのだ。当時のITバブルのおかげで僕は時給のよいアルバイトをしており、懐は温かかった。
父親に「社会に出たら、長い休みは取れない。ヨーロッパなんかは今行かないといけないぞ!」と言われたのが説得力があり、行き先はヨーロッパに決めた。
ヨーロッパのどこか?そんなもんイギリスとフランスに決まっている。海外事情にうとい僕にとって大英博物館でミイラを見たい、ルーブル美術館でモナリザを生で見たいというのが数少ない具体的に描ける目標だった。

あてのないヨーロッパの旅
イギリスを数日旅してからユーロスターという鉄道でフランスに入った。パリは予想以上に楽しい町であった。ルーブル美術館は素人の僕でもわかるような有名作品がわんさかあった。ご飯もおいしかった。
パリを旅行して3日くらい。計画をたてずに旅行をしていた僕は時間を持て余してしまった。帰りの飛行機が出るのはまだ一週間ある。僕はパリの本屋で手に入れた地球の歩き方(フランス)を読み返し、行ける場所を考えることにした。食の都リヨンあるいはモンサンミッシェルは行ってみたいけれど遠い。そして飛行機にはこれ以上のりたくない(怖いから)。あまりに観光客が多い、いわゆるベタな場所はなんかかっこわるい気がする。
ほどほどに近く、ほどほどに遠く、ほどほどに人気だけれども、ほどほどに人気がないそんな場所を探していた。

そして見つけた。 『ドーヴィル(Deauville)』という町を。

パリから北に向かうノルマンディー地方の海沿いの町で、高速鉄道で数時間でいけるという。ビーチがきれいで夏には避暑に来るお金持ちでにぎわうらしい。さらに地球の歩き方にはドーヴィルからすぐ近くにはエトルタというさらにマイナーな町があって、おもしろい形の岩があるという。僕は直感でドーヴィルにかけてみることにした。

そして北の街へ、
高速鉄道はパリの北駅から出る。英語もしゃべれない、旅行経験もゼロに等しい僕が、どうやって切符を買ったのか定かでないが、とにかくやたらと駅構内を歩き回って、ドーヴィル行きの電車がでるプラットフォームを必死に探しあてた記憶だけはある。

なんとかドーヴィルについた。生まれて初めて外国で自分で行き先を決め、切符を買い、目的とする場所にたどり着いたという喜びを全身に感じながら駅の外にでる。
ひと気がない。
ドーヴィルは閑静を通り越して閑散とした町だった。3月の海辺の町なんてそんなものだと今となっては思う。駅前は人影がまばらで、コンビニもなく、バス停もなく、ホテルを予約しようと思ってたどりついた観光案内所は無人だった。

コンビニで1つだけおにぎりを買って食べたいくらいの空腹を感じて、駅の周りを探すとそこには一件だけ喫茶店があった。外から店内を覗き込むと、真っ暗で客はいない。怖いからやめようという気持ちは空腹に負け、僕はその店に足を踏み入れた。
「ボンジュール」
フランス語以外を話す気はないからねと言わんばかりの先制パンチを食らう。
つらい。 メニューを渡されたが、当然フランス語でかかれていて、読めない。パリでは英語メニューがあったのに…


タルトの洗礼
しばらくまったく意味不明なメニューと格闘し、Tarte Normandiという文字を見つけたときはうれしかった。このノルマンディー地方で人気のタルトが出てくるんだろうと予想がついたからだ。コーヒーとTarte Normandiをオーダーしてみた。程なくして店主が飲み物とタルトを持ってくる。まさしく思い描いた、日本でもよくあるドライフルーツタルトだ。
さっそく食べようとすると店主がチッチッチと指を左右にふり、おもむろに茶色い液体をタルトにかけて右手に隠しもっていたライターの火を近づける。僕のタルトは一瞬青い炎につつまれた。どうやらブランデー(後にカルバドスというこの地方名産のお酒と判明)をかけて火をつけるという演出らしい。今で言うところのドヤ顔というやつでニコニコと僕をみつめる店主の手前「わおーー!」と大げさにおどろいてみせるフリをしたが、実のところ僕はまったくお酒が飲めなかった。カルピスサワー1杯で酔いつぶれて寝てしまうほどに弱かった。
なぜそのままで美味しいタルトにブランデーをかけてすべてをぶちこわしてしまうのか。意気消沈して食べたタルトはあたりまえだが「お酒の味」がした。
フランスでフランス語ができないことの難しさを実感した。
当時の写真は残っていない。これは雰囲気が似ているポートルイスでの一枚。


ドーヴィルの孤独
ドーヴィルではいろいろな経験をした。昼ご飯を食べにレストランに入ると、横で推定70台のおばあちゃん二人組がワインを二本空けているのには驚いた。レストランの少なさにも驚いた。もちろん道を歩いていても看板が気づきにくいだけだったのだろう。ただ当時の僕にはホテルの人や道行く人にレストランの場所を聞く度胸も英語力も無かった。冬のビーチは人の気配がなく寒々しかった。最初に入った何軒かの店で英語で話しかけて、あからさまに嫌そうなそぶりをされた。数日の間、言葉を交わすのはホテルのフロントの英語が堪能なスタッフだけ。孤独を感じる日々だった。

そうそうエトルタにもいってみた。タクシーに乗って30分くらい。白い砂浜の先に断崖がある光景はガイドブック通りに美しかった。持っていた使い捨てカメラで写真をとった。時間だけはあるのでウロウロ歩き回ったが記憶にのこるようなものはなかった。

帰りもタクシーにのったが、今度は45分もかかった。ぼったくられたのだろう。

こんな閑散とした町で日本人にも遭遇した。その日僕は手持ちのお金が尽きてしまい、銀行にでかけた。あいにくその日は銀行が定休日で両替できなかった日本円を片手に「明日まで残り少ない現金でどう生きのびるか?」を考えながら、すごすごとホテルに帰る道すがらだった。町のはずれで日本の若い女性4人組とすれ違った。すれ違い様向こうが「こんなところにも日本人いるんだねぇ」と話しているのが聞こえた。
事情を話して日本円を両替して欲しいとおねがいしてみるという案も浮かんだが、それを実行に移す勇気はなかった。

ドーヴィルにはけっきょく5泊くらいしただろうか。あの町でコミュニケーション能力ゼロの僕がどうやって過ごしていたのか今となっては不思議である。ただ新しいレストランを試すのが怖くて、例のタルトは滞在中三度もたべた。やることがなくホテルの部屋でただ寝ていた日もあった。

帰りの飛行機はシャルルドゴール空港発、韓国インチョン経由、成田行きだった。インチョンでの乗り換えでなぜか関空行きを待ち続けた僕は、搭乗口で間違いに気づいた。あわてて成田行のゲートに走った。飛行機は既に飛び立って影も形もなかった。
「旅にハプニングはつきもの♥」と書かれたガイドブックの字がにじんだ。

 反省もした。すこしだけ
 この文を読んだ方は旅が楽しかったのか疑問に思われるかもしれないが、僕は楽しかった。自分で行き先を選び、気ままに行動することが。日本に帰ってからは友達に経験をちょっと大げさにして伝えた。
「突然海がみたいと思いたって、北をめざしたよ。なんかみんなが行くような観光地はいやでさー」
「いやー、フランス人は全然英語下手だね」
計画性の無さや自分の英語力が足りてなかったことはすっかり棚にあげた。
 
一方でこの旅でコミュニケーションできないとどうにもならんという状況をはじめて経験した。世界は広く僕らが理解できない言葉で談笑し、昼間からワイン2本をあける怪物のようなおばあちゃんがいるということを知った。コミュニケーションがとれない世界で自分がどれだけ無力で孤独かを知った。世界ってやつを初めて実感した瞬間だった。

その後、仕事でもプライベートでもいろいろな場所にいったが、この時ほどの孤独を感じたことは一度もない。もし旅行の行き先がハワイのような日本語でも通じる場所だったら、あるいは僕が友達と旅していたら、今ほどコミュニケーションがとれないことに対する危機感をもっていないだろう。英語を頑張って勉強しようとは思わなかったかもしれない。そう考えると人生の一つの分岐点だったの言ってよいのではないか。

だからこそ
だから今、コミュニケーションがとれない世界で苦しんでいる人をみると、誰でも最初からうまくいくはずがないし、高い壁を感じた人の方が危機感を持つぶんだけこれから伸びるよといいたくなる。

いやちょっと違うな。最初からどんな壁もとっぱらって打ち解ける才能を持った人がいるのは事実だ。僕にその才能はないけれど、語学などのテクニックにすぐれていたり、人柄やエネルギーでまわりを引きつける人をたくさん見てきた。
だから僕がいいたいのは、もしあなたがそういう天才でなかったとしてもだ、あとからコミュニケーション能力は身につけられるから心配しなくていいということだ。

僕は今、フランス語ペラペラになって、もう一度ドーヴィルに行ってやろうと思っている。今度はあの喫茶店でタルト以外の何かを注文してやるんだ。。。

Dec 7, 2014

11月の光景

もう2014年も終わりかけですね。

誰が読んでいたとしても、誰も読んでなくても淡々と書き綴るこの前の月を振り返るブログ。最近一番の読者は自分だなときづきました。時々見返すと面白い。

11月1日、2日
中学の友達と飲みに行ったり、両親といきあったり。最近の車はハイテクすぎてよくわからない。

11月前半
本の原稿の最終チェック。出版社の編集の人の指摘が的確ですばらしい。というか専門家として恥ずかしい。

最近、深夜の電話会議が増えていて、慣れない英語で意思を伝えようとするとどうしても大声になりがちなことがあり、USBヘッドホンマイクを買う。微妙に音質が悪い。Macのビルトインのカメラ、マイク、スピーカーは本当によくできている。OSとハードを同じ人が作ることの大切さよ。

11月14日
少なくとも3年前から、みんなに協力してもらってやってきたプロジェクトがあえなく打ち切りとなる。とても悲しい。

11月15日
職場の先輩が担当している大学の講義を聞きに行く。知らない世界の話はいつも面白い。来年は中国に旅行にいきたい。

11月20日
部署の仲間と打ち上げ。6月のお祝い事の際にいただいたシャンパンをみんなであける。リラックス。

11月21日
人生10カ国目のとなるアフリカへ。今回の訪問先はインフラがとても整っている国で、治安もよく、その分仕事に集中することができた。良かった。具体的な様子はまた来月。


明大茶、頭良くなりそうだ。

学生時代の友達と五反田へ。レバーうまい

自家製ネギ油最高です

仕事に励む我々




今年のリンゴは蜜の入り方がすごい

Nov 10, 2014

よくわからないが使いやすい。美しくないが使いやすい。

私はIBM(今はLenovo)Thinkpadシリーズの愛用者である。Thinkpadの魅力はいろいろあるが一番は手に馴染むキーボードである。トラックポイント(キーボード真ん中の赤いポッチ)とキーボードの相性は抜群でホームポジションから手を離すことなく全ての作業が完結する。これを超えるキーボードはないと思っていた。

そんな私がMacbookに手を出したのはおそらく五年くらい前。以来、Macのカチャカチャするキーボードに違和感をいだきつつも、両方を使い続けてきた。

異変に気づいたのは最近のことだ。なんとなくMacbookのほうが打ちやすい、操作しやすいと感じてきたのだ。Macbookの広く取られたトラックパッドがしっくり馴染むようになってきた。Thinkpadのキーボードを触っていると窮屈な感じがする。

改めてキーボードを見比べてみて一つ気づいた。Macbookのキーボードはホームポジションとトラックパッドの中心が揃っておらず美しくない。Thinkpadのキーボードはシンメトリーで美しい。





だが(Thinkpadファンとしては悔しいことに)Macbookのほうが使いやすい。トラックパッドを使うのは右手だから、右寄りトラックパッドが使いやすく感じるのか?理由はよくわからない。

よくわからないが使いやすい。美しくないが使いやすい。

Apple製品のデザインについて美が強調されるが、Appleは使いやすさのためなら美しくないものも受け入れるということを、毎日お目にかかるキーボードが物語っているのではないか。

Nov 1, 2014

10月の光景

とりあえず写真だけ。
大学院のインフォーマル発表がおわって、先延ばし続けてきた論文かかなきゃ。

バーナード・ショーが書いた喜劇運命の人の一節
「イギリス人は生まれつき世界の支配者たる不思議な力を持っている。彼はあるものが欲しい時、それを欲しいということを彼自身にさえ言わない。彼はただ辛抱強く待つ。そのうちに、彼のほしいものの持ち主を征服することが彼の道徳的宗教的義務であるという燃えるような確信が、どういうわけか、彼の心に生じてくる。・・・・・・彼は効果的な道徳的態度を見つけ出すのに決して不自由することがない。自由と国民的独立とを振りかざしながら、世界の半分を征服し併合して植民と称する。またマンチェスターの粗悪品のために新しい市場が欲しくなると、まず宣教師を送り出して土人に平和の福音を教えさせる。土人がその宣教師を殺す。彼はキリスト教防衛のために武器を執って立つ。キリスト教のために戦い征服する。そうして天からの報いとして市場を手に入れる。(中略)彼は何事でも原則に基づいてやる。戦うときには愛国の原則に基づいている。どろぼうするときには、実業の原則に。他人を奴隷化するときには、帝国主義の原則に。・・・国王を支持するときには王党派の原則に、国王の首を切り落とすときは共和制の原則に基づく。彼の標語は常に義務である。しかしイギリス人は、その義務が自らの利益に反するようなものは敗者だということを決して忘れはしないのである。」

忘れてはならないのはこのイギリス人を風刺する一節をかいたショーもまたイギリス人ということだ。「国際政治とは何か」という本で中西寛はこう表現している。
ショウの喜劇はイギリス人に向けて書かれたもので、観客は苦笑したはずである。反省を促し、偽善を正す必要を再確認させる。そこに自己を客観化する目があり、精神に余裕が生まれる。「余裕が風刺をうむだけでなく、風刺が余裕を生む面がある」
風刺にかぎらず、余裕や笑いを大切にいきたいと思うね。








Oct 5, 2014

9月の光景

もう9月もおわっちゃいましたか。

明石家さんまがよく言われる「努力は必ず報われる」という言葉を否定して
「好きだからやってるだけよ、で終わっといた方がええね。これが報われるんだと思うと良くない。こんだけ努力してるのに何でってなると腹が立つやろ。 人は見返り求めるとろくなことないからね。見返りなしでできる人が一番素敵な人やね」 

エトールって読むのね。

航空会社としての競争はどうなるかわからない。でも多くの日本人に知ってほしい。
成田・羽田はスワンナプーム空港(タイ)、チャンギ空港(シンガポール)に大きく取り残されていることを。中東に含まれるのか微妙だがアタリュク空港(トルコ)の発着数の多さ・空港設備の素晴らしくて、もはや僕は成田とは別の次元にあることを。
その上で日本の航空産業の未来を見据えていかないといけない。


流行りモノの牛カツを食べにいく。美味しいけど、やっぱトンカツかな。

Ingressのおかげで近所を徘徊し、妙なものにも出会う。

あっきー、みきおめでとう

海綿とはこういうものなのですか

学会でのポスターセッション。ポスターを持参するかわりに現地で印刷する大作戦。なんとか成功。


ブルース・シュナイアー 「倫理的な正しさを考えてもしかたない。だって倫理的正しさの基準はかわるから。だからコンピュータシステムとしての正しさをもっと重視すべき。」 僕はよくわかったけど会場の人たちには伝わってなかったね。


梨のカクテル。中野で。


Sep 1, 2014

8月の光景

ミスチルのCandyという曲が好きだったことを思い出してヘビーローテーションな8月。

今月書き留めた言葉
・「大いなる精神は静かに忍耐する」(シラー) 集団的自衛権の解釈変更にともない何かと注目を集める自衛隊。陸自の幹部学校の校長が訓示で引用していた。
「研究」と「勉強」の違い (井庭崇) このブログはビシーッって感じで気持ち良い。
留年の仕方(青学野宿愛好会) 
今日は大学生なら誰でも憧れる「留年」について話したいと思います。 留年、憧れますよね。大学生活4年じゃ足りない。みんなそう思っている。 でも不思議とみなさん4年で綺麗に卒業していくんです。 なぜだろう?なぜ、みんな留年ができないんだろう。 私はずっと不思議でしょうがありませんでした。 
こういうの好きです。

会社の懇親会で図書カードをもらい、買ってみた。サイバー攻撃の描写があったり、RSA暗号と素因数分解の関係についてのくだりがあったり。最近の冒険モノにもはやITは不可欠なのかもしれない。高木さんが監修してる。小説としてスケールがおおきくてたのしかった。

ちょっと前のNHKの番組をきっかけに鶴見俊輔の本をよんでいる。おもしろい。

こんな大量の松茸はじめてみました。ごちそうさまでした。




長野産の桃。最高!

海底ケーブルを旧ドイツ軍がもっていて、第一次大戦のあとに日米が所有権を争ったそうな。ヤップ島は要だった。

みなさま、一週間お疲れ様でした


サンディエゴはいい街。
水不足で、僕の到着前日はホテルが断水されてたらしい。

日程が厳しい出張だった・・・ Unitedにはできれば乗りたくないものだ。


Aug 2, 2014

7月の光景

7月はほぼ日本にいた。

今の会社の仕事において7月、8月の過ごし方はとても大事である。3月の年度末にむけてじわじわと忙しくなるパターンの中、夏は大きなイベントが少ない。
だから毎年3月の年度末になると思う。なぜ(比較的余裕のある)7・8月にもっと前倒しで仕事をやっつけておかなかったのかと。スラムダンクの三井寿の悔恨がほんとうによくわかるのである。

しかし今年は新たな役職について、大学院の研究もしている。比較的余裕のあるはずの7月も決して時間があるわけじゃない。そんななかで趣味の本を読んだり、実家に帰ってリフレッシュしたりと充実してすごせた。

でもやはり南の島で3日くらいボケーッとすごしたいなぁ。



Boston Museum

いただいた北海道メロンをつかったアイスクリーム。うまい

珍しい弁当のケースを各種取り揃えて売っている店

旧図書館は入り口が3階にあり、そこから各書庫におりていくというダンジョンのような作り

祖母の手作りおから

「くれてなお 命の限り 蝉しぐれ」ヤス、いいこというなぁ。

地元の映画館で現在上映中の劇団ひとり監督「青天の霹靂」のロケが行われ、その場所がそのままになっている

僕が Mt. fictionousと呼ぶ田舎の山

はじめて奈良の大学へ。
珍しいね。高校の同級会
今月のぐっときた言葉:
ラーメン屋においてあったAERAに小島慶子というラジオのパーソナリティがいいことを書いていた。
いかに問い、いかに答えるかの道すがら、自分に見えた風景は人とは違う。たとえ辿り着いた答えが同じであっても、自分の学びは固有のものであると思える人は豊かだ。けれど、自分の学びだけが優れていると思う人は孤独だ。あらゆる学びは、他者と繋がるためにあるのではないか?生活するために、誇りを持つために、孤独に耐えるために、それが自分一人の苦しみではないと知るために。 
"教育サイコー!②の5 小島慶子の幸複論", AERA,2014/5
学びは他者と繋がるためにあるというのは至言である。

Jul 27, 2014

「真理とは方向感覚」と鶴見俊輔は言った


日本人は何をめざしてきたのか ー知の巨人たちー 第2回は
番組の最後を、鶴見俊輔が平成9年にこたえた以下のインタビューで締めている。
とてもよい言葉なので書き起こす。

私にとっては戦後50年よりも戦中の方が重いんですよ。 
その戦中のほうが重いという感覚が重大だと思う。 

問題はね、真理は間違いから逆算される 
こういう間違いを自分がした 
その記憶は自分の中にはっきりある 

こういう間違いがあって 
こういう間違いがあった 
今もこういう間違いがある 
だけどこの間違いの道がこうあって 
それがゆっくり考えていけば 
それがある方向を指している
 
それが真理の方向だ
だから真理は方向感覚と考える
 
その場合には間違いの記憶を 
ぎゅうっと持ってることが必要なんだ
 これは消極的能力なのよ それはね
<中略> 
敗けたことは忘れない 
失敗したことは忘れない 
これは消極的能力だ 

原爆に撃たれた我らという考え方を強く持つ 
そこからやる 

戦中のさまざまな記憶を保ち続ける 
そこから 
 
それが未来だと思いますね


鶴見俊輔 平性9年3月放送 NHK「未来潮流」より

Jul 6, 2014

6月の光景

旅芸人も極まれり。1月で紅海の近く、黒海、バルチック海、大西洋の4つの海を見ながら仕事をする。


アタリュクトルコ空港のラウンジ、豪華絢爛。

ジブチは暑い。そして人も熱かった。


エストニアのタリンの旧市街

前衛的なお寿司



ホテルに見晴らしのいいサウナがついていて、これがとても気持ちよかったです。

タリン、自由の広場

手作りティラミス。濃厚でうまい!

ボストンはいたるところに「ゆとり」を感じさせる街でした。これはハンバーガ屋におかれたゲストブック。

選挙とおってよかった

憧れのMIT

一月の半分以上、ホテル暮らし