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Jun 4, 2012

5月の光景

たとえるなら5月特急という名の暴走列車があって、単にそれに振り落とされないように必死にしがみついた日々だった。

5月3日
吉祥寺に買い物に行く。ワイシャツやらベルトやら食器やら。メンチカツで有名なミートショップ サトウは実はコロッケもおいしい。メンチカツ目当ての行列ができている時でもコロッケは待たずに買えるので大変おすすめだ。


夜は魚秀で刺身や干物をいただく。新鮮な貝のうまさ=日本サイコー

 5月5日
短すぎるゴールデンウィークを心のなかで惜しみつつ、呪いつつ、出張する。フランクフルト経由、ブリュッセル経由、ギニアのコナクリで一時停泊し、ガンビアへ。30時間の移動時間は腰に来る。
今回、事前申請がまにあわずビザは現地で取ることになっていた。パスポートと現地取引先から送ってもらった招待状を片手に、「入国拒否されたらどうしよう?」という一抹の不安とともに入国管理局に突入する。細かいところは割愛するが、どうにか入国することはできた。

南国の象徴、マンゴー
5月9日
毎度のことながら、アフリカは治安の問題にくわえて、マラリアが怖い。昨年夏のタンザニア出張時には蚊帳完備のホテルにもかかわらず参加者(100人足らず)の何人かが会議最終日までにマラリアを発症して寝こむこととなった。 それまでマラリアにかかるのは運が悪い人だけとたかをくくっていたが、この事実を耳にするとむしろ運が良ければかからないと考えるのが正しいと思う。
今回は割り当てられた部屋の壁が穴あきで、蚊帳もなく、初日の夜は刺されまくった。二日目は昼間殺虫剤をまいてもらうように頼んでいたにもかかわらず、蚊がでた。深夜二時にホテルのフロントに苦情をいったところ、写真のスプレーをもらった。
いかにも効きそうである

5月10日
アフリカでの仕事は4回目であり、現地に顔見知りが増え、だんだんとやりやすくなってきた。この日はみんなで軽い打ち上げのため、お洒落レストランに繰り出し、夕ごはん。楽しい時間を過ごした。山口先生ごちそうさまでした。
@Green Manba
5月13日
久しぶりの休日。ハードな毎日がつづいていたので、翌日の仕事に備え寝るつもりであった。が、トレーニング参加者に「釣りにいかないか?」と誘われ、ガンビアの首都バンジュールの沖に出た。誘われることも嬉しかったし、マングローブの林の脇での釣りにも興味があった。
餌はエビの身。竿もシカケもだいぶ大雑把。それでもレディーフィッシュと現地の人が呼ぶ魚がたくさんつれた。
適当さ極まりないシカケ
大海に糸をたらし、そのくせなにもかんがえない至福のとき。
 ガンビアは治安がよく、現地の人達も親切で、今までのアフリカではありえないほどリラックスできたし、それが仕事に良い影響をもたらしてくれた気がする。

5月14日
いくつか気づいたことがある。人に何かを教えるとき、日本では先生が一方的に話し、黒板に書くというスタイルが普通である。僕らのクラスも意識することないままに、なんとなく、そんな日本の教室の再現を試みていたような気がする。
しかし過去の経験からアフリカではより双方向で会話をしながら、細かい発見を積み重ねる形があう気がしていた。思い切って授業の進め方を、グループワーク中心、ディスカッション重視に変えてみた。結果は大成功だった。

ディスカッションで、色々と検討するトレーニング参加者
5月16日
帰国する。ブリュッセルからフランクフルトまではルフトハンザに乗ったのだが、着陸前に背筋が凍るアナウンスを聞いた。
「機長です。これから着陸体制に入りますが飛行機によくわからないエラーというかトラブルがおきていて、えっとえっと英語で説明できないです。(ブツッ)」
ドイツ語ではなにやら説明していたようだが、英語が苦手な機長らしい。幸い飛行機は何事もなかったかのように着陸したが、アナウンスから着陸までの間は本当に生きた心地がしなかった。
あんなのは二度とごめんである。 
しかしフランクフルトから羽田までの飛行機では、この恐怖体験の埋め合わせなのかもしれないが、サッカー日本代表の香川選手が同じ便にのっていた。飛行機を降りると、フラッシュがパシャパシャ光っていて何事かと。香川はとても細かった。

5月18日
同居人AとJetstarでオーストラリアのゴールドコーストへ移動する。途中ケアンズでの乗り換えの際に待ち時間が6時間もあり、ケアンズの中心部まで朝ごはんを食べにいった。
翌日は友人の結婚式である。手配されたリムジン(!)に乗り込みゴールドコーストから30分ほどの場所にあるチャペルへ。
青空はすばらしかったが、それ以上に新郎新婦共に晴れやかな表情が印象に残ってる。
フラワーシャワーのあと
さてさて結婚式はここからが大変だった。まず教会での式が12:30開始、その後パーティーが16:00から24:00まで。つまりは丸一日かけて祝うのである。しかし日本とオーストラリアの結婚式のよいところをミックスしたとてもアットホームな結婚式だった。ご両親は日本人、思うようにならない歯がゆさもあったとおもう。そんななかで新婦のお父様の人生初の英語スピーチは想いがあれば気持ちは伝わるということを、コミュニケーションはテクニックではないということを、心底実感する忘れられない経験となった。

5月21日
結婚式がおわったばかりで疲れているに違いない、新郎新婦が僕らをドライブに連れて行ってくれた。だがしかし、彼の目的地であるアルパカ牧場は既に閉園!のうのうと草を食むアルパカを金網越しに見ることしかかなわなかった。
アルパカに触りたかった。
アルパカと写真とりたかった。
不穏な空気を察した新郎の「アルパカいないけど、空気が綺麗で、自然がいっぱいね!」というたどたどしくも真剣な日本語での言い訳は一生忘れない。結婚式での晴れがましい姿は忘れても、こっちの出来事は忘れない。笑。
とはいえ本当に自然は雄大で、道路脇に牛やひつじや野生のカンガルーをみることができた。
夕焼けのサーファーズパラダイス


5月23日
職場復帰。曜日の感覚含めすべてが微妙に狂っている状態であったが、未読メールを当社比1.3倍で処理する。

5月25日
上田に帰省。26日に行われる祖父の33回忌に参加するためであった。つまり祖父が亡くなった時僕は若干2歳で、祖父の思い出というものは全くといっていいほど無い。記憶がとぎれても血は繋がり、今後も繋がっていく。コンピューターシステムにおける未だ不完全なバックアップなどとくらべて、生物の世界での種を残すメカニズムというものの巧妙さには恐れ入る。


6月は忙しさの中で見落としてきたこと、意図して後回しにしたことを着実に埋め合わせていく月にしたいと思う。