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Apr 14, 2013

サイバー戦争と国際ルール作り。ここまでのあらすじ

いわゆるサイバー戦争について2013年4月時点での現況、特にノームの議論についての状況を整理してみた。私的な興味に基づいて調べた結果のとりまとめであることをご理解いただきたい。

サイバー空間とは

サイバー空間(Cyber-space)という言葉は「情報通信技術を用いて情報がやりとりされる、インターネットその他の仮想的な空間」ということで日本国内外において広く認識されている。 「インターネットその他の仮想的な空間」とあることからもわかるとおり、サイバー空間は無線通信ネットワークやインターネットに接続されていない閉域のネットワークまでを含むより大きな概念である。

サイバー戦争とは

サイバー戦争(Cyber-War)という言葉の定義は未だ検討がおこなわれている段階である。歴史を紐解けば、少なくとも1990年代前半には近い将来の脅威としてサイバー戦争を懸念する研究者がいた。当時は"Hyper War"、"Net War"そして"Cyber War"など呼ばれ定義も様々であった。

(インターネットの普及に伴いその上で起こる一般的な衝突をNet War、軍隊が行うものをCyber Warと呼び分ける程度の分類は行われていたようである。)

膨張する定義

この文章を書いている時点でサイバー戦争の定義は膨張を続けている。サイバー戦争という言葉が使われるのは主に2つのパターンのようである。

一つは行為者に着目するものであり、サイバー空間への攻撃の主体となる者が政府あるいは軍隊の場合にそれをサイバー戦争とするものである。もう一つは被害状況に注目し、その被害から政治的な目的が感じられるものをサイバー戦争とするものである。

特に後者の場合は過去十数年繰り返し行われてきた攻撃も戦争として捉えられる。

既存の戦時法と整合させる試み

戦時法や安全保障の専門家の間では、既存の法と整合させ、より厳密な定義を行おうとする動きがある。たとえばキングス・カレッジ・ロンドンのThomas Ridは”Cyber War Will Not Take Place”という論文でサイバー戦争の条件を"一に暴力性があること。第二に暴力的行為の先に目的があること。第三に政治的であること"と位置づけた。この3つをすべて満たすもののみをサイバー戦争とよぶということにすると、現在起きている事象はすべてその条件を満たさないためサイバー戦争は発生しておらず、また今後も起こる確率は低いという主張である。

サイバー戦争の実例

サイバー戦争についての定義がない状況ではあるものの、1)湾岸戦争時に米軍がイラク軍のネットワークに侵入しイラク軍の将校に投降をもとめるメールを送った 2)イスラエル軍のシリア空爆に際して事前にレーダーシステムを無力化する攻撃が行われた 3)人民解放軍が米国の国防省のネットワークから文書などを盗み出したなどという事例が、真偽が不明のまま「サイバー戦争」が起きている証拠として報道され、結果的にサイバー戦争の脅威が増しているという印象を与えている。

専門家は、現実に起きた(あるいは起きたとおもわれる)事象について評価するなかで、サイバー戦争を定義しようとしている。その際に多く引用される以下3つの事例について経緯を抑えておけば、今後の議論を理解しやすい。

標的型攻撃、APT攻撃

高度な手法を用いて、かつ執拗に同じ標的に対して侵入を試み、その情報を盗み出そうという試みがAPT攻撃などと呼ばれている。APT攻撃はさらに攻撃者のグループやその手法によって、細分化される。

特に話題に登るのは1990年代後半から行われていたとされるムーンライトメイズ(Moonlight Maze)、そして2003年頃に確認されたタイタンレイン(Titan Rain)である。どちらも米国の安全保障関連の組織、企業が狙われ、発覚したときには多くのデータが世界各地の攻撃者が所有すると思われるサーバに転送されていた。攻撃に使用されたIPアドレス、ツールなどから中国による攻撃とする説が多い。

最近では米国の民間企業がAPT1というグループが米国政府とその関連機関に対して行ったという攻撃の詳細を公表し話題になった。

エストニアへのDDoS攻撃

2007年4月から5月にかけてエストニアの政府や金融機関などのWebサイトに断続的にDDoS攻撃が行われた件である。各種手続きなどのオンライン化が進んでいるエストニア関係者に大きな動揺をもたらすのと同時に、その当時緊張関係にあったロシアの関与が噂された。当時のエストニア政府高官は攻撃を指示したのはロシアであると非難した。

その後NATOがサイバーセキュリティに関する専門機関CCDCOEをエストニアの首都タリンに設置するきっかけとなる。

Stuxnet

2010年に主にイランなど中東諸国で感染がみられる、USBドライブを媒介して感染を広げるタイプのウイルスとして報道される。後に稼働する条件などから推定してイランが保有する核燃料施設のウラン濃縮用遠心分離機を誤動作させるものと発覚した。

2012年6月にニューヨーク・タイムズがオバマ大統領とイスラエル政府がStuxnet作成に関与したと報じる

サイバー戦争への懸念

サイバー戦争の問題について今後の議論を進めるために、主要なプレーヤーがなにを問題として認識しているかを整理したい。

民間事業者の懸念

まずかつての戦場(陸海空)とちがい、サイバー戦争では民間が所有するインフラ(コンピューターやルータ)が戦場となる。これについてISPなどの通信事業者は自らが戦争行為に巻き込まれることを懸念する。

また、サイバー空間で軍隊と軍隊が直接衝突するのではなく、相互に他国の電力や鉄道やオンラインバンキングなどの重要なインフラを狙う可能性が高い。

さらにサイバー戦争への防御力を向上するために、民間事業者に対して、何らかの規制を加えようとする動きはすでに米国などでおきている。リチャード・クラークは自著で民間事業者にサイバー戦争対策を強制するよう働きかけたが、そこで様々な困難があったことを告白している。

サイバー戦争の脅威が事実であったとして、民間事業者に追加のセキュリティ対策を義務付けるのは、核戦争時代に電力会社に弾道弾迎撃ミサイルの設置を義務付けるのと同義であるという声がある。

軍隊の懸念

2012年9月防衛省はサイバー空間防衛の指針を示した。この中でサイバー攻撃の特性として以下をあげている。

  • (1)多様性 (主体、手法、目的、状況において)
  • (2)匿名性
  • (3)隠密性
  • (4)攻撃側の優位性
  • (5)抑止の困難性

原文はサイバー攻撃に対応することの難しさを、端的にまとめるものなので、ここで引用したが、世界各国の軍隊において概ね同様の認識がされているとおもわれる。

政府

(省略)

ノーム(国際規範)とCBM(信頼醸成装置)

サイバー戦争という見えない脅威への対応について、ノーム(国際規範)とCBM(信頼醸成装置)の確率に向けた努力が官民においてはじまっている。

ノームについて誤解を恐れず一言で単純化すれば「サイバー戦争のルール」である。現実の世界の戦争にも、核兵器の拡散を防止するルールがあり、捕虜の虐待を禁じるルールがある。サイバー空間でも同様のルールが必要ということである。

CBM(TCBMと呼ばれることも)として有名なのはキューバ危機のあとに、米ソ首脳の間に設置されたホットラインがある。敵対する勢力との間にも、事態が不要にエスカレートしないように直接対話できる窓口が必要であるという。

ノームとCBMの確立に向けた国際社会の主要な取り組みを、以下にプレーヤーごとにまとめる。

ロシアと中国

2011年9月にロシアと中国とタジキスタンとウズベキスタンが国連総会に”Internet code of conduct for information security”を作ることを提案した。ここでの中ロの提案の趣旨は以下のとおり。

  • インターネット上には国家の主権が認められ、従って国家の権利と責任が発生するということ
  • どの国家もインターネットを敵対的行為のために使用することは許されないこと(つまりインターネットの軍事利用を制限しようとしている)
  • インターネットを管理するより透明性の高い仕組みを作る必要があり、国連がそれを検討する上で主導的な立場を果たすこと

ロシアと中国と一括りにしてしまうのは乱暴であるが、少なくとも両国が国際社会に提案している内容からは、両国のゴールはサイバー戦争の脅威低減にとどまらず、米国とその関連機関が実効支配している(と彼らが考える)現在のインターネットのガバナンスを変えていくということにあるとおもわれる。

国連

国連の中では特にGGEとITUの取り組みについて書き留めておく。

UN GGE

国選総会は個別の問題について検討する政府専門家会合GGE(Group of Governmental Expert)を招集できる。メンバーは地域からの推薦により決定される。

情報セキュリティの分野では2004年にロシアの提案でGGEが構成されるが合意して声明を出すに至らなかった。 2009年に再度構成され2010年にサイバーセキュリティに関するノームの議論を続けるべきなど5項目の提案を含んだレポートを完成した。

2012年に再度構成され、2010年の提案をもとにより踏み込んだノームの具体案が提案されると期待されている。

ITU

国連の専門機関の一つであるITUはサイバー戦争について、ポジションを明確にとっていない。一方で中東政府機関などから情報を盗み出したとされるウイルスの分析を民間ベンダーと協力して行い、その結果を各国に提供するなど、サイバー攻撃対策に必要となる技術的な能力を高めている。

ロンドン会議

2011年9月にイギリス外相の呼びかけで開始。西側諸国の政府が中心に参加し、サイバー戦争への備えが必要であるのを認めつつも既存の国際法や関連制度を大きく変えたくないというスタンスをとる会議体である。

ロンドンでの初回の会合では、現時点でサイバー攻撃対策について強制力を持つ国際法を新設するのは時期尚早と結論付けた。2012年にブダペスト、2013年にソウルでの会議が予定されており、上記のメッセージを繰り返し発出していくと考えられている。

NATO CCDOE

タリン・マニュアルという文書が2013年3月に正式に公開された。国際法などの専門家の3年におよぶ検討をもとにつくられた。事務局としてこれをサポートしたのがNATO CCDOEである。

このマニュアル作成に関わった専門家によれば、目的は既存の国際法がサイバー空間にどのように適応されうるかを議論するためのたたき台づくりである。従ってサイバー戦争に関するノームのあり方を提案するのではなく、現状の国際法を説明することに主眼がおかれている。

タリン・マニュアルでは少なくとも5つの重要な問題提起が行われている。

  1. 戦争行為への直接的関与に関する構成要件
  2. サイバー攻撃の構成要件
  3. 中立性の原則はサイバースペースに適用されうるか
  4. 人道的支援を行う中立機関(例えば赤十字社)のサイバースペースでの立場
  5. 非政府組織によるサイバー攻撃の取り扱い

あくまで出発点とはいえ、海戦のあり方についてサンレモ・マニュアルが、空戦のあり方について"Manual on International Law Applicable to Air and Missile Warfare"が大きな役割を果たしたことを考えると、(サイバー戦争に関するノームの検討について)タリン・マニュアルがの今後の議論の土台となると見る専門家が多く、実際各所で引用されるようになっている。

その地域レベルでの動き

NATO CCDEOほど大掛かりでないものの、地域レベルでサイバーセキュリティに関する備えを進めようとする動きでは以下が代表例としてあげられる。

OSCE(欧州安全保障協力機構(OSCE)

イギリスの呼びかけでノームとCBMに関する議論が行われている。

SCO(上海協力機構)

SCOの中に情報セキュリティの部会がある。前述のInternet Code of ConductはSCOの成果物として国連総会に提出された。

民間

マイクロソフトなどの民間事業者は、(欧州安全保障協力機構やUNGGEで行われているノームの議論は重要であると認めつつも)議論は政府主導であり、今日のインターネットインフラの多くを所有する民間事業者の声が届きにくいと指摘する。現在のベストプラクティスやノームを十分に理解する民間事業者がサイバーの世界のノーム確立に主導的役割を果たしていくべきであるということである。

また多くのITベンダーが国境を超えてグローバルなビジネスを展開していることを考えると、グローバルベンダーがCBMの一つとなると考えるのも不自然でなく、その役割は大きい。

既存のセキュリティインシデント対応を行う組織であるCSIRTは国際的な横のつながりが強く、これがCBMの土台となりうるのではないかという議論もある。

終わりに

サイバー戦争がおこる/おこらないというのは少なくとも5年以上の前の議論であり、上記のグループにおいてはサイバー戦争に対するスタンスの違いはあるものの、それが近い将来起こるという認識が共通されている点は特筆に値する。物騒な時代である。そして多分、情報セキュリティと法律と安全保障の専門家が力を合わせないといけない時代でもある。

Mar 15, 2013

イイね!のインフレーション


イイね!インフレーションが起きている

私がFacebookを使い始めたのは2006年のことである。その頃からのFacebookユーザには是非自分のタイムラインをさかのぼっていただきたい。気づくはずだ、その当時Facebookでイイね!はほとんど使われていなかったということに。イイね!ボタンはあった。しかし我々は律儀にコメントしていたはずだ。たとえそれが「いいですね!」の一言であっても。

翻って2013年、街にはイイね!があふれている。「あー、仕事大変!」というぼやきに10イイね!、ありふれたラテアートの写真に50イイね!結婚でもしようものなら100イイね!は堅い。
昔なら5つイイね!を押してもらえたら、ちょっと優越感に浸れたのに、いまや「え?10イイね!だけ?」と感じる始末である。明らかにイイね!の価値は下がっている。

イイね!インフレの要因

イイね!インフレは直接的にイイね!の供給過多によって引き起こされた。ではなぜイイね!が供給過多となったか?理由を考えてみたい。

イイね!労働人口の飛躍的増加
2006年、それはMixi黄金期であった。Facebookは英語でかかれたよくわからないサイトというのが巷の評価だった。当然ユーザは少ない。ユーザが少ないと言うことは知り合いもFacebook上に少なかった。
それが今や一億総Facebook時代である。市長の号令で、市のホームページまでもがFacebookにつくられる時代である。私のネットワークにはずっと音信不通だった中学の同級生、マレーシアの山で一度あっただけのノルウェー人バックパッカーまでいる。
2006年とくらべて私のFacebookへの投稿を目にする人の数は確実に増えている。多くの人と繋がっている、ゆえにイイね!が積み重なる。

イイね!の質的変化
イイね!を押す我々の心境も変化してきた。
  • うーんコメント考える時間がないな、とりあえず押しておこう。→ コメント面倒イイね!
  • 田中部長またヨサゲなレストランにいった時の写真をアップしてる。たまには部下におごれよ?まぁいいや、ポチ→接待イイね!
  • なになに、アフリカには飢えている子供が今も、ふーん・・・一応社会問題に興味ある姿勢示しとくか、ポチ→公共イイね!
大してイイね!と思っていなくてもイイね!を押してしまう。人間とは面倒くさい生き物である。

イイだろう!の増加
私生活のあれこれにイイね!の数という見た目に明らかなインデックスを与えられた我々は、どうせならイイね!してもらいたいと考えがちである。
その結果、受け手の目線を意識した、イイね!が増えそうな内容を書き込みがちになる。
書きっぱなしのTwitterが馬鹿発見機となり、Facebookがリア充アピールの巣窟となった原因は、受け手の目線をどれだけ意識しているかの差が生み出した。

イイね!強迫症などの増加
最近私は、近所のバーテンダーさんと友達になった。彼はチンプンカンプンのはずの情報セキュリティの話であってもかならずイイね!してくれる。
これは接待イイね!ではないか?心優しく、仕事の忙しい彼に余計な気を遣わせているのではないか?そう心配した私は、直接彼に伝えた。「毎回イイね!を押す必要は無いんですよ。」と。いつも通りの穏やかな笑顔で彼はニッコリと応じた、「僕、そういう性分なんです。」と。
イイもワルいも関係ない、とにかくイイねを押さねばならない。そういう思いに駆られる人はもはやイイね!強迫症と呼ばれてしかるべきだ。マジメで几帳面な人にその傾向が顕著だ。
マジメなだけにイイね!を地道に量産する。インフレは加速する。

ノールックイイね!
日頃の生活を振り返り、殊勝な心がけを割と長文で書いたとき、イイね!がすぐに3つもついたらうれしいものである。誰がイイね!をしてくれたのか確認する。
私はそこで、3人がフィジー人とスーダン人とケニア人であることを知る。な、なぜだ?もちろん誰一人日本語を読めない。
賭けてもいい、彼らはノールックでイイね!をたたき込んだのだと。世界は広いのである。

Facebook社によるイイね!緩和
本来イイね!の適切な価値を維持する役割を担う、Facebook社は意図的にイイね!安を引き起こしている。
たとえば先日のFacebookアプリのバージョンアップでイイね!ボタンが目立つ位置に大きく表示されるようになった。もっと気軽にイイね!してくださいというFacebook社の姿勢の好例である。その様はどこぞの中央銀行が金融緩和にひた走る様を彷彿とさせる。
「イイね!の番人」たるべき場を統べるものが、適切な価値を維持する役割を放棄し、ここにインフレは暴走機関車の勢いで加速する。

そして始まる「どうでもイイね!」時代

このおそろしいイイね!インフレの行き着く先にはどうでもイイねシンドロームが待っている。イイね!100個なんてなんて日常茶飯事、どうでもイイね!と感じられる時代である。ユーザーは常に新しい刺激を求めるのだ。
一度イイね!を緩和したFacebook社にインフレを止めるすべはない。シリコンバレーの優秀な頭脳を結集し、彼らはユーザを飽きさせないためにイイね!の増量を決意する。
そして、とてもイイね(イイね!2つ分)ボタンを導入し、さらにはゴールドイイね!(イイね!5つ分)を始める。
あとは10年に一度のイイね!(イイね!10個分)、10年に一度のイイね!をさらにうわまわるイイね!(イイね!15個分)、人生最初で最後のイイね!(イイね!100個分)と転落していく。最終的にマンモスイイね!を導入した直後に、サンミュージックの優秀な顧問弁護士により訴えられ、これを機に王国は崩壊するであろうというのが私の見立てである。

げに恐ろしき「どうでもイイね!」時代を生き残るにはどうしたらよいか?

簡単である。Mixiにもどるのだ。あのどうにもパッとしない、もっさりとした、しかし暖かいオレンジの世界に我々は帰るのだ。


最後になるが、このポストに関しては皆さん全力でイイね!を押していただきたい。お付き合いでもノールックでかまわない。そう私は細かいことは気にしない。しかしイイね!の数は気になる人間なのである。


お詫び:
2013年3月14日に公開した、イイね!のインフレを指摘するレポートにおいて、一部インフレをデフレと誤記しておりました。お詫びして訂正いたします。
なお、かような初歩的かつ重大な間違いを含む文章について既に11のイイね!をいただいており、図らずも筆者が指摘する、ノールックイイね!が(筆者の想像以上に)はびこっていることが証明されました。
イイね!中央銀行 チーフエコノミスト 

Feb 9, 2013

インフラを想う3冊 (本をまとめてオススメしてみるシリーズ)


おもしろい本だけど、一冊だけ読んでも輪郭が浮き上がってこない、パンチが弱い本がある。人にはオススメしにくいのだ。そういう本の中で別のなにかと組み合わせたら面白いと思えるものを紹介してみようと思う。僕にとって「鴨とネギ」でも、みなさんには「梅干しと鰻」なのかもしれないのだけれど。

インフラを想う3冊



一冊目の定刻発車はJRの鉄道システムが如何に発達し、現在の安定した輸送を行っているかを調べたノンフィクションである。著者が現在の鉄道の運用に欠かせない中央司令室を見学した際の描写は臨場感があり、なかなか心踊るものがあった。

本書のタイトルが問うている「なぜ正確なのか?」については、路線・車両・スタッフという有限資源をつかって、より多くの乗客と貨物を運ぼうとするには、ダイヤを作成しその通りに運用するというのが最善だからという趣旨の説明がなされていた。
多く運びたい、だから正確にしないといけないのである。インフラが貨物乗客の増加にあわせて進化し続ける生き物のように描かれ、守る仕事の難しさが伺える。

二冊目の空白の天気図は太平洋戦争の終戦期に広島の気象台の人々がいかに観測データに穴をあけないように努力したかを綴ったノンフィクションである。終戦時と広島というキーワードから予想できるように、原爆が投下された直後の広島が舞台だ。壊滅的な被害を受け、生き抜くことすら難しい状況のなか、それでも気象台は気象観測を続けた。急性放射線障害の後遺症で仲間がひとり、またひとりと倒れる中でも、時に家庭を犠牲にして観測の数字を積み重ねていく。。

天気予報を社会生活のインフラとするかは微妙なところであるが、予報の元となる気象データを日々記録し、後世に残していくことは我々の生活の基礎となっていると思う。時々、メディアで「観測史上最大の・・・」という前置きのニュースを目にすると、この非常事態にあっても後世のためにデータだけを残した人々のことを思わずにいられない。(というほどではないが、時々思い出す。)

ただし本書を読む限り、職員が絶えず観測を続けられた理由の一つに崇高な使命感があったのはもちろんのこととして、片方では習い性、よく言えば日頃の訓練によって維持されているものの多さを感じた。「すげー爆弾おちたけど、まぁ今日もいつも通り仕事しようや。」という。


三冊目のローマ人の物語〈27〉はローマ帝国の水道や道路などのインフラを紹介している。著者はローマ帝国が敵対者を侵略し、新たに支配下においた際には、まずその都市からローマに通じる道を作ったという事実を紹介している。「すべての道はローマに通ず」という副題の通りである。

道路というインフラを設備することは非支配国とローマ帝国の人と経済を密接に結びつけることに成功し、帝国が長きにわたり繁栄を維持するのに貢献した。僕のような悲観主義者の視点から考えなければならないのは、ローマに通ずる道は反乱分子がローマに攻め入る道にもなりえたということである。
道はローマ帝国を侵略の危険に晒す行為でもあったが、ローマ人がそのリスクをとってもインフラを整備するという判断をしたのは、ありきたりな言い方だが勇敢だ。

一冊目からは二冊目と違い、この本でのインフラは周囲を飲み込んでいく開放性をもっている。そしてそのような開かれたインフラを持つ国が覇権を握ったということは、この本のローマ帝国が、そしてその後の歴史の中でも特に今日もっとも成功している通信インフラ・インターネットを支配するアメリカが、身を持って証明していると思うのだ。インフラを全面的に開放して覇権に近づく。そういう発想の転換を僕らが迫られる時期はそう遠くないはずである。

毎日のようにお世話になっている、電気会社・上下水道会社・ガス会社・運輸会社・佐川急便、そして何よりも私にインフラの大切さをちょいちょい再確認させてくれるソフトバンクモバイルさんに感謝しつつ、このとりとめのない読書感想文をおわりたい。

Feb 8, 2013

陰口を慎んだほうがよい理由


これといった思想も、特定の宗教を信じることもなく生きている自分ではあるが、一つだけ気をつけている事がある。それは人の陰口を言わないことである。
なんと当たり前のこと、と驚かれる向きもあるかもしれない。しかし世の中には陰口と悪口が大好きな人がいる。そして「人の陰口はよくない」と道德を全面に掲げて否定する人もいる。そのどちらもちょっと違うとおもうのだ。

まず陰口を言っても問題を解決しない。ちなみに、あなたが、誰かの行動に腹が立ったとして、それをその「誰か」がいない場所で第三者に伝えるのがここでいうところの陰口である。
陰口は「誰か」の耳に届かない。腹がたったことを直接「誰か」に伝えれば改善される可能性が1%はある。しかし陰口は「誰か」の耳に届かない。永遠に改善されない。

まれに「誰か」の耳に届くこともある。陰口が第三者を経て、たいてい尾ひれがついて、「誰か」に伝わる。これはもとの陰口の内容に加えて、人伝に聞かされるというダメージが重なり、「誰か」の気分を害するだけである。改善の見込みはゼロであるばかりか、「誰か」の信頼をなくす。

次に陰口はコストがかかる。お金がかかるという意味ではない。頭をつかうということだ。陰口を言うという行為は、時と場合と同席する人によって自分の意見を変えるのであるから、高度に知的な営みである。子どもは砂場で遊んでいる他の子に「くさーーい!」と叫ぶが、大人は居酒屋あたりで「課長、くさくない?ヒヒヒ」とささやく。大人が汚れてしまったわけではない。大人は知的なのである。だがしかし、大人には国際情勢から親戚の葬式から高血圧対策まで考えなければいけないことがある。せめて陰口をやめることによってもっと楽に生きればよいのだ。

なお、我々は聖人君子でないので腹が立つ事はある。その時は我慢すればいいのである。我慢の限界を超えたら、その時は面と向かって言ってやればよいのである。思えば小さいからこのポリシーをもっていた私は中学時代になんにでもずけずけ発言したことから「介入関与」という仰々しいアダ名を頂戴した。なんとなく「内閣参与」と響きが似てるので将来的に私もその程度までは出世するのだと思う。その後の人生においても、「毒舌な○○さん」「きっつい性格」どころか「ちゃぶ台返し○○」と言われる始末である。子鹿のはかなさとエグザイルのボーカルの頭に線がない方のスタイルを兼ね備えている私が、こんなヒドイ言われかたをされるのはひとえに「言ってまう」ポリシーのせいと思われる。そう、それ以外考えられない。うん。

話がそれた。

陰口は慎むべきである。それは道德の問題でなく、経済の問題である。陰口を捨てることで、あなたは世界が良くなるチャンスを得る。シンプルな世界を得る。もしかしたら「介入関与」というアダ名を得る。また愉しからずやである。

Dec 16, 2012

11月の光景

 さてさて11月です。霜月です姉さん事件です。

今月は半ばに結婚という大きな行事があり、忙しいというよりもなにか落ち着かない気持ちを抱えた日々でした。

11月2日、3日
職場の上司や大学の友人に心温まるお祝いをしていただいた。ありがたいこと。

11月7日
オーストラリアから友人があそびにきて、久しぶりに4人で食事。

11月13-15日
京都へ出張しました。紅葉シーズンまっただ中の京都でホテルの確保などが大変だったようですが、会議が始まれば、外にあそびに行く時間はないわけで。ここでもいつものメンツに祝ってもらったり、プレゼントもらったり。
15日朝は奈良にすむ古い友人と朝ごはん。元気そうでなにより。東京に戻ってきてくれるとよいな。

11月17日

結婚式+パーティー。冷静に振り返る余裕は未だになく。特に写真を見返すのが恥ずかしいです。近くから、遠くからご参加いただいたかた、家族親族には心より感謝。
というわけでさらっと次へ。

11月22日
スーダンへ出張。もうアフリカも慣れてきて、「(乗り換え入れて24時間かからずに着く)スーダンは近いね。」なんて余裕で構えていると、やっぱり現地では大変な目にあうのです。今回はアルコール厳禁の国であったが故、仕事の後の乾杯はコーラ、もしくはノンアルコール・ビールになってしまい、それが結構つらかったです。お酒を飲む方ではないのですが、「飲めない」と言われると飲みたくなる。人の欲とは不思議なものです。




うかい亭から見上げる東京タワー



こちらを見上げるH君



















トマトのおでん!?

蹴上とかいて「けあげ」、御陵とかいて「みささぎ」。京都の地名は風流です。

秋晴れの京都

インターネット閲覧制限の厳しさはマレーシア>インドネシア>>>>ミャンマー>>>>>>>>スーダンという印象

夜のナイル川と暗闇に浮き上がる「ホテル・カダフィ」隣国リビヤとの親密さをいたるところに感じる国でした。


旅は続く

Nov 18, 2012

10月の光景

いまさら、10月の光景。時間が無いので駆け足で。寒くなってきましたね。



久しぶりにKと渋谷で飲みに行く。やぎがいた。

ラオスで見たおそらくタイ語版MS-WORD。メニューに「あ」と書いてあるのが嬉しくて。

ISLSでISLA受賞記念のお話をさせていただく。日頃思うことをお話できた。その後別の会議で「あの時の話がおもしろかった」「おすすめポッドキャストを早速きいてる」と言っていただけて嬉しい。

実家からりんご。りんごといえば昔は圧倒的にフジだった。(たまに王林や紅玉) これは
秋映 というわりと新しい品種だそうで。

人生2回目の国内で一泊する出張。越後湯沢でお話させていただく。本当に体調が最悪で懇親会にいったら、会場にうずまくエネルギーに開始10分KOダウン。もうしわけない。
写真は同僚に教えてもらった「味らく茶や」のけんちんうどん。肉に見える具はすべて精進。疲れた体に染み渡る滋味深い一杯。

ラオスへ。現地で会ったこの道の先達が「この国は時間がかかる、短期ではなく、5年先を見て欲しい」とおっしゃられていた。メコン川で夕日をながめつつも、芽が出るに5年かかる花に毎日水をやり続けるのは自分の本分ではないのではないか?と自問自答する。

Oct 21, 2012

9月の光景

本来怠惰な私であるが、ブログの「◯月の光景」だけはきっちり翌月前半に書いていたつもりだ。今月はバタバタしていて書く暇がなかった。ちなみにこの記事についてはもはや誰かに読んでもらおうという意図はあまりなく、自分が前の月をちょっと落ち着いて振り返るためのものだが、それでもいつも通りのペースが守れないことにちょっとストレスをかんじる。

9月1日
もろもろ家の行事。田舎から両親が上京し忙しく過ごす。

9月5日
シンガポールへ。2年ぶりくらいだろうか?最終日にシンガポールの友人が地元のバーに連れて行ってくれた。嫌な予感はしていたが、やはりFlaming Lamborghiniというヒドイお酒を飲まされて撃沈した。


火をつけて上から落として、正直何がなんだかよくわからなかったのだが。

Garden By The Bayという近未来植物園がマリーナ・ベイ・サンズの裏にできていた。

9月8日
ガリガリ君コーンポタージュ味を食す。おそろしく忠実なコーンポタージュの味に怒りを通り越して畏敬の念を抱かざるをえない。赤城はすさまじい会社である。


9月12日
オーストラリアの人と会食。

9月後半
よく喋った2週間だった。

外国人を連れて浅草と秋葉原観光

久々にラーメン屋を開拓。煮干しラーメン。新宿 凪。ちじれた麺がスープと良く絡んでうまし。

家の近くのゲーセンでCool104に興じる。逃避である。
昼ごはんを食べてもどってきたら襟にてんとう虫が!と思ったらちっちゃいカメムシだったというオチ。
9月23日
iphone5発売。今回もソフトバンクのオンラインストアでゲット。iPhone4のホームボタンが効かなくなっていたのでそれが一番嬉しい。そしてAppleのマップソフトは評判どおり、最悪である。

9月27日
実家より果物届く。
この時期はまだフジには早く、送ってもらったのは陽光と秋映という品種らしい。おいしかった。

9月28日
弟夫婦に男の子生まれる。おめでとう!

9月30日
所要で銀座へ。

いくぞ10月。がんばれ10月。

Sep 8, 2012

8月の光景

今月はとにかく暑かった。僕はもともと夏休みをとるという習慣なく、観光地や交通機関が空いている秋口に休みをとることが多かったが、暑さに耐えながら仕事をするよりはすっぱり切り替えて遊び回ったほうが生産的だと思った。

8月3日
弟と目黒で焼肉。色々と話す。

8月5日
もろもろ準備のため都内を西に東に歩きまわる。
某ホテルの庭の錦鯉は立派だった。
ベルギービールの飲み比べ



チーズケーキおいしゅうございました。


8月17日
歓迎会および昨年度のプロジェクト打ち上げおよび個人的にもらった賞のお礼をかねて、みんなで焼肉に。おいしかった。ミニチュアラジコンヘリコプターをもらった。小さいのにちゃんと思った軌道を描いて飛ぶのはすごい。
ただし電池はすぐなくなる。
8月23日
あまりの暑さに長野に帰省。涼しい場所で昼寝をして過ごすはずだったが、実家が工事中で職人さんたちが出入りし、なおかつ家の中にシンナーの匂いが充満している。リフレッシュし損ねる。

母の友達が届けてくれたグリーンゼブラというトマト。これで完熟。
短い夏休み明けの週は毎日飲みに行く用事があった。

8月28日
 海外からのお客さんと神宮へ野球観戦に行った。ヤクルトの先発は石川。大学の時に一度くらいは野球部の応援にいけばよかったなぁ。

ビールの売り子はお札を綺麗に折って、写真のように持ち歩く。その目的は、、、わからない。


8月30日
 浅草へ飲みに行く。お目当ては東京スカイツリー。これはこれで綺麗だけれど東京タワーの骨組みを見せるライティングが僕は好きだ。同僚の赤ちゃんはいつのまにか一人歩きできるようになっていた。
ビールはグラスとジョッキとムサシから選べる。スカイツリーの634Mにちなんで一杯が634ml!
8月31日
アフリカの諸問題を取材してきたジャーナリストの方、NPOでアフリカの食育にとりくむ方、高校の同級生という変則的なメンバーで飲みにいく。共通項はアフリカという事くらいだったが、とても刺激的な話が聞けて、楽しかった。

Aug 3, 2012

自分メモ:出張の時の持ち物リスト

昨年のべ85日も海外出張したため、持ち物リストがだいぶ「枯れて」きた。というわけでその中から、絶対役立つお勧めグッズを紹介したい。2ch的に言うなら「海外出張のときにあると捗るもの」である。

フリースもしくはダウンジャケット
暑い国もあれば寒い国もある。暑さは服を脱げばなんとかなるけれども、寒さはたえがたいので、寒さ対策はぬからないようにしたい。どんな暑い国にいくときであっても室内は冷蔵庫のようにエアコンがきいていることがおおく、羽織るものは必須だ。3年くらいフリースをつかっていたが、最近発売されたユニクロのダウンはたたむととてもコンパクトになり、なにより軽いのでおすすめだ。
ダウンジャケットは遮光カーテン替わりにも使用できるすぐれもの



無印のパスポートケース
出張はとかく持ち歩く書類が多い。
パスポート以外にもEチケットの控え、ボールペン、マイレージカード、ホテルの予約書、クレジットカード、航空券、領収書の類、現地通貨、預けた荷物のタグ、入国に必要な書類、税関申告書、メモ帳などなど。
これらをカバンのいろいろなところに分散していたために空港でまごついたりすることがよくあったのだが、無印で売っているパスポートケースを買ってからはそんな煩わしいこととは無縁である。
パスケースはA4の紙が折りたためば入る大きめサイズでポケットがたくさん付いている。どれも旅行に必要な機能を考えこまれた作りになっている。
キーリングがついていてスーツケースの鍵などもおさまる。よくできてる。
もちろんTUMIやポーターはじめ多くのブランドが同様の商品をうっているが、無印のものは安い(1155円)のと、軽いこと、そして成田空港のターミナルで買えるところが特にポイントが高い。Webストアはこちら



アイマスク
エコノミークラスでの長時間移動は疲れる。にもかかわらず到着後すぐに仕事があって、機内できちんと寝ないといけないケースは多い。
機内で寝るために耳栓や消音ヘッドフォンを用意していたのだが、最近気づいたのは音をさえぎるより光をさえぎったほうがずっと眠りやすいということだ。アイマスクはとてもオススメである。
アイマスクをしているのはキャビンアテンダントにたいしての「私は寝るので起こさないでください」というわかりやすい意思表示にもなるので、食事などで起こされることもなくなる。
僕は昔もらったカタール航空のものを使い続けているが、高いものではないので買ってもいいかもしれない。



お菓子
具体的には野菜ジュースやキットカットのようなチョコレート菓子をかばんにいれて持って行く。出張中は生活リズムが乱れがちだ。そして時間通りに朝ご飯をたべられない場合、夜中に到着して近辺でレストランがない場合、空腹をまぎらわすためのお菓子をもっていると救われる。

インスタンス味噌汁もしくはインスタントお吸い物
僕はパン生活が続くとたいていアミノ酸が恋しくなるので、味噌汁もしくはお吸い物は欠かせない。加賀麩不室屋の宝の麩だと大変テンションあがるのだが、これは高いので持って行くとしても一出張につき一食分である。大抵はインスタント味噌汁である。なお気をつけるべきは割り箸も忘れずに持っていくことである。食器が一切ホテルの部屋で唯一見つかったストローを折って味噌汁の中のワカメを追いかけたことがあるが、あれはまさに徒労だった。

ドルとユーロ
カードが通用しない場面はいまだに多い。カード社会といわれるアメリカであっても、チップや少額のお昼ご飯などは現金が必要だ。いわんや途上国をやである。どこの国に行く時であっても予備にドルとユーロを10000円分くらい予備としてカバンに忍ばせている。日本円が両替できないときもあるのでここは必ずドルとユーロである。


僕には必要ないもの
逆にあまり持っていても意味がないと僕が思うのが、1)SIMフリー携帯と現地で調達するSIMカード 2)VISA、Master以外のクレジットカードの2つである。まず携帯だが、時差のある場所に行った場合、連絡は基本的に携帯よりもメールが便利である。そして僕が出張する場所ではたいていインターネット接続が保証されている。わざわざ現地で使える携帯を準備せずともSkypeの方が安くて音質がいいわけで。
次にクレジットカードだが、受け付けてもらえる率はVISAが最強で、だいぶ離れた次点がマスターカードである。他のカードは保険程度にしかならない。
あとは変圧器も最近のACアダプターはほとんど対応しているため必要に迫られたことがない。




出張持ち物リスト
というわけでまとめてリストにすると以下のとおりである。
◎は必ず持って行くもので、なおかつ機内に持ち込むもの
○は必ず持って行くもので、荷物を預ける場合にはその中にいれるもの
しるしがないのは仕事内容や出張先や季節などによって持って行くかどうか判断が必要なもの



衣類(ランドリーバッグに収納)
○下着
○靴下
○ダウンジャケットもしくはフリース
水着(兼短パンとして利用できるもの)
ヒートテック上下(寒冷地への出張のみ)
サンダル
ランニングシューズとNike+
帽子

スーツ(スーツ袋に収納)
スーツ
ネクタイ
ワイシャツ
革靴(もしくは革靴に見える靴)
ベルト

生活用品
◎メガネ
○コンタクトレンズ 日数分
○歯ブラシとフロス
○T字ひげそり
○ローション
○爪切り、耳かき
○割り箸
温泉気分になれる入浴剤
薬(正露丸と消化剤と整腸剤)
虫除けスプレーと蚊取り線香(マラリアなどの伝染病の危険がある地域のみ)
日焼け止め
お菓子
インスタント味噌汁

仕事用品
◎筆記用具
◎パソコン

◎パソコンの電源アダプタ

○名刺、名刺入れ

○会社ポロシャツ

○現地用携帯電話

○iPhone

○Road Warrior+小さいパワーケーブル

○充電器 (カメラ用、携帯用、iPhone用USB)

カメラ


その他小物
◎パスポート
◎パスポートケース
◎腕時計
◎イヤホン
◎アイマスク
◎クレジットカード
◎イエローカード(黄熱病などの予防接種履歴)
◎ 旅程表
◎マイレージカード
◎ドルとユーロを少々
○日本円少々
○控えの財布とVISAのクレジットカード
ノイズキャンセリングヘッドフォン
文庫本
ガイドブック/地図
ジップロック
折りたたみ傘

安全で快適な旅を!!!

Aug 1, 2012

7月の光景

7/1
久しぶりに森見登美彦の新作を読む。ペンギン・ハイウェイ。透明度の高いさわやかな夏の空気が漂っていてよかった。実際には東京はうだる暑さだったわけですが。

7/2
健康診断

7/3
出張続きで最近顔を出せていなかった業界の集まりに参加させてもらう。横の繋がりは自分の役割をわきまえるという意味において重要である。

7/4
誕生日お祝いディナー。今年もいい年になることを祈る。

7/7
人生3回目となるフィジー出張。前回は無力感に打ちひしがれて帰ってきたが、今回は手応えあった。あぁよかった。
海辺でのんびり釣りを楽しむ人々
空港近くを走る、さとうきび運搬のための鉄道

ごきぶりの出るホテルにかざられる絵。この場所にこの絵はきついです。

7/12
フィジーの首都スバにおける社交場とも呼ばれるBad Dog Cafeというバーに皆で飲みにいく。こっちの人は飲みに誘うとほぼ間違いなく「オッケー、いくいく」と返事をするが実際には現れない。その辺の感覚の違いをやっと肌で感じられる程度に感度がよくなってきた。

7/17
前日にフィジーから帰国。リハビリを兼ねたエライ人とのミーティングをさくさくこなす。この暑さでスーツ着るとか狂気の沙汰である。

GMOのオフィスは左側の絵がセクシーである。受付のお姉さんもモデルっぽい。
夜は新宿のホテルでISLAの表彰式に行く。こんなかしこまった賞をいただくのはもちろん人生初であり、最後になるかもしれないので、彼女を同伴。自分のしていることをそれなりに説明しているつもりではいるものの、こういう場に参加することで仕事の雰囲気をより理解してもらえたようである。欧米ではよく見るけど家族やパートナー同伴するのは大事かもね。
このような機会を与えてくれた皆様にこの場で感謝。

シャンパン堂々
7/17 表彰式でフレンチディナー、7/18 会食フレンチディナー、7/19 翌日のパネルディスカッションの打ち合わせをかねたフレンチディナー
大阪からきてくれたり、マレーシアからきてくれたりしてそれぞれに刺激的なディナーでした。ただね、、、、フレンチ確変で胃がつらいよね。

同じく7/19
3年ほど前に遊び心でつくってYoutubeにアップロードした動画が、ブログなどで取り上げられアクセス急増。
コメントがたくさんついてちょっと嬉しい。

7/20
久しぶりに母校に。いろいろと変わっていた。
こんなホールができている。
学食がおしゃれなカフェ風に様変わりし、メニューが「西郊の森」とか「常盤木」とか一見してなにもわからないものに変わっていたのが一番のおどろき。

7/22
フィリピンへ。東京に新宿、渋谷、池袋と大きな待ちがあるように、マニラもエルミタ、マカティ、ケソンなどとそれぞれ車で30分から2時間ほどの距離に街が点在している。問題は直線距離にして10km程度の移動が渋滞のおかげで恐ろしく時間がかかるということ。
車疲れし、最終日にタクシー代として250ペソ(500円)を払えばいいところを2500ペソ(5000円)払うという痛恨のお大尽。あー。
マニラは巨大都市です!
ジプニー。米軍の払い下げのトラックを改造した小型バスで庶民の足として使われている。現地の友人に頼んで一度だけ乗ってみた!
7/28
東京での仕事に復帰。フィリピンでのご飯を食べそこねるほどの小忙しい毎日のせいで絶対やつれた自信があったが、体重は一定。人体とは不思議である。