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Mar 7, 2015

2月の光景

2月あたまはイギリスにいた。ネイティブの議論に食い込むのは難しい。
実はわたしは「NO」と言える日本という本に大いに感化された人間である。1989年に刊行された石原慎太郎と盛田昭夫によるこの本は、対欧米追従をやめNoと言える日本人になることを訴えている。

この本に影響され、勉強し、最近では相手が言っていることを理解できるようになった。Noと断言できるくらいのコミュニケーション能力は身につけた。


そして気づいた、僕らはもはや「Noといわない日本人」を目指していかないといけないんだと。理由はたくさんあるけどここでは2つだけ。


1、交渉の中でNoと言うのは非生産的
英語を母国語とする人たちは、驚くほどNoと言わない。振り返ってみれば、日本の会社の中でも会議で「いいえ、実現可能性はありません」「いいえ、XXという決まりがあるのでできません」「いや、賛成しません」とはあまり言わない。
交渉というのはお互いに妥協できるギリギリを探る作業であり、共通の価値観や共通の利益をどこかに見出す作業である。あいつの提案には賛成できないと思ってもNoと言うより、Yesといえる一部分を探し、その上でこちらに有利な提案をかぶせていかないといけない。

2、もはやNoと言える立場にない
GDPが世界2位の経済大国の時代、Japan as Number Oneの時代には外国が良きにつけ悪しきにつけ日本を特別扱いしてくれていた。残念ながら日本経済、ひいては国際社会における立ち位置というのは徐々に弱まりつつある。
大国であれば提案に対してNoと言えば、交渉相手が代案をもってくるのかもしれない。日本に対するそういう特別扱いは体感的に減っているし、これからもっと減るだろう

だから僕はNoと言わない日本人、しつこい交渉をする日本人になれたらよいと思う。
でもそれは結構難しいのだ。Noと言わないように相手の意見に反対するのは、発言の流れを読み、自分の妥協できる点を意識し、相手の真の狙いを知らずにはできない。

麻雀の世界では風牌(東南西北ってかいてあるやつ)は使い道が限定されていて、これを早めに捨てるのがセオリーだ。ところがこの世界の達人(雀鬼桜井氏)は弟子に一巡目に風牌をきることをやめさせている。当時意味が分からなかったが、セオリーにあえて逆らうことで、突き詰めて考えることを強いているのだろうと思う。
あれ、いつの間にか麻雀の話になってた。
ま、いっか。



服飾系の展示が充実。宝石の展示室はところせましと貴重な宝石がぎっしりならんでいて、逆に原宿の雑貨屋のアクセサリコーナーの様相だった。

よみますよみます。

今年もチョコケーキ。うまい

祖母がめでたく白寿。親戚一同でお祝い。
北陸新幹線たのしみですな。