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Jul 13, 2012

To: Tomoki Kuga , Subject: イソップ童話について


To: Tomoki Kuga
Subject: イソップ童話について

久我、元気でやってるか?こっちはあいかわらずだ。ゴキブリの出るホテル暮らしも板についてきた。

唐突だがイソップ童話の金の斧、銀の斧って妙な話だということに気づいたんだ。
「貴方が落としたのは、金の斧ですか、銀の斧ですか、それともこの普通の斧ですか?」という有名な正直さを試すあの質問って改めて考えると結構いいところをついてると思わないか?もしあれが金の斧と自分の斧の二択だったなら、美味しい話に目がない俺たちでさえも、価格差にひるんで普通の斧を選ぶ。ところが金と銀との三択だ。金に比べてちょっと安い銀の斧くらいなら、もらってしまってもいいと思えないか?
俺は気づいたんだ。こいつが神の巧妙な罠ということに。

つまりこういうことだ。あいつらは来る日も来る日も湖に人間が落としたおとしものを、探して歩きまわってる。
仮にも神なのに「ブクブクブクブク(湖から上がる)、おい人間、お前の落とした斧はこれか?」と聞くだけの単調な毎日なんて嫌気がさすにきまってる。もともとこの「遺失物回収及び人間への返還業務」ってのは神々の中でも下っ端の、入社2年目くらいの仕事だし、ごますりだけがうまい同期がちゃっかりバッカスなんかに収まって毎日酒池肉林を繰り広げているのを見た日には、惨めな気持ちにもなる気持ちもわからんでもない。

で、あいつらは「いっちょ人間をからかってやろう」と、こうなったんだな。最初はのどかな遊びだったんだ。湖底に転がっている流木なんかを持って
「ブクブクブクブク(湖から上がる)、おい人間、お前の落とした斧はこれか?」
「え?え?・・・神、おそれながらそれは私には木にみえるのですが???」
「ん?あれー!?」
なんてな。時には
「おお、それぞまさしく私の斧!ありがとうございます。これでな、こうしてな、エイ!エイ!ってこれ斧ちゃう!ただの木ー!」
ていうやり取りもあったんだろうな。とくに琵琶湖支店では。今思えばのどかな時代だったな。

やがて神はこの遊びにも飽きた。神はきづくわけだ。人間の葛藤する様を目の当たりにすることこそ至上ということに。で、試行錯誤の上で金の斧と人間が落とした斧の両方を持って行って「おまえの斧はどれか?」と問う形に一旦落ち着いたんだ。
俺は神ほど性格ネジ曲がってないがこれは確かに楽しいとおもうぞ。だって人間の前に、それさえあれば一生遊んで暮らせるエサをぶら下げるわけだからな。良心の呵責にすこしだけ耐えれば、その金の斧をてにいれられるわけだし。かくてこの「金の斧か落とした斧か」の二択で神は葛藤する人間を手玉にとって楽しんでいたわけだ。

久我、だがここで神は一つの誤算に気づく。人間が神の想像を越えて正直だったんだ。非公式に行われた調査では実に98%が自分の斧を選んでいたらしい。「せっかくブクブク上がってくのに、人間どもって意外と馬鹿正直でつまらんのう」「もっと葛藤を生む問はないのか」ということになった。
とりあえず二択から三択にするという大雑把な決定が、あまり現場をしらない偉い神々によってなされた。現場は金の斧と自分の斧にあと一つどんな選択肢を加えるか頭をなやませることになる。こういう大方針だけがふってくるという現場の悲しみ、俺は最近よくわかるようになってきた。まぁそれもよけいな話だ。本題にもどろう。

金の斧と銅の斧と普通の斧の三択は、金と銅と普通の鉄斧の一見して明らかな色の違いに、「あ、すいません、その一番地味な色の斧です。」と答える人間が続出した。最近よくメディアで草食系草食系って騒いでるけど、やはりその頃から人間は謙虚なものだったんだな。
仕方がないので、神は予算オーバーを承知で、金の斧とプラチナの斧と普通の斧の三択も試した。
「ブクブクブクブク(湖から上がる)、おい人間、お前の落としたのはこの金の斧か、プラチナの斧か、普通の斧か?」
これもアイデア倒れだった。普通の斧を選ぶ人間が続出した。出口調査したら「やはり金を取るのは気が引ける」というのに加えて「プラチナ?なにそれ?」「プラスチックでは木を切れないと思った」という感想が多かった。誤算だな。
ところで久我、俺はつい最近までプラチナってのは金より銀より安いものだとおもってたぞ。白金ていう字面からはどう考えても金になにか混ぜた安物の金属を想像するだろう。だから俺は悪くない。高級金属に安っぽい漢字をあてたやつが悪い。

まぁプラチナはさておき、神は次にダメ元で銀を試してみた。これが大ヒットした。つまり人間に大きな葛藤をそして神々に大きな感動をもたらしたんだ。
あとから考えれば話は早い、まず銀は色が人間が使ってる鉄の斧に似ている。もちろん瓜二つってわけじゃない。でも金の斧よりはだいぶ似ている。この色が人間に「これなら試しに銀の斧と答えて、あとで指摘されたら見間違えたことにして謝ればいいんじゃないか?」という葛藤をもたらしたんだな。
さらに金の斧と自分の斧の間に銀の斧というクッションをいれること。これが成功だった。金と答えるのは気が引けるが、真ん中の金より安そうな銀の斧なら、あわよくば。。。と人間が葛藤しだしたんだな。

これが金の斧と銀の斧の起源だ。

久我、オチもなにもない長いメールを読んでくれてすまない。だがこの驚愕の事実にいきついた俺はこうも思うんだ。俺たちは時に誰かを連れて焼肉を食いに行き、特上カルビは高いけれど並を頼むとけち臭いと思われるのが嫌だという卑しい打算から中途半端に「上カルビ」を頼んでいないか?あれは多分焼肉の神の罠だ。そして寿司の神もえげつない。俺はこの前寿司屋でウニを頼んだが「前浜ウニと上ウニもありますけどどうしましょう?」という板前の形をした神に選択をせまられた。世の中神だらけだ。どうせ上カルビとカルビなんてたいして違わない。ていうか前浜ってなんだ?白浜より遠いのか?こいつらは多分湖の神と同じ思考回路で俺たち人間をもてあそんでいる。

だから久我、せめて世界で俺たち二人だけは、並にぎりを大きな声で頼める人間でいたいと思わないか。最後に久我、でもお前のおごりで行くなら絶対に特上ネギタン塩を頼もうと俺は心にきめている。

小宮山

Jul 1, 2012

6月の光景

体力的にも精神的にも余裕があり、ブログに書ける話も多い6月を振り返る。

5月30日
友人二人と久しぶりに渋谷で飲みに行く。駅から遠いワインバー。ひたすらビール。
ネパール電力事情を聞き、こりゃまだまだ情報セキュリティの出番は先だなと思った。


5月31日
緊急呼び出しを受け、八重洲口近辺でディナー。自分の考えを率直に伝えておいた。

6月2日
お台場にガンダムを見に行く。American Eagleの店ができていた。
前の場所のほうが背景がひろがっていて素敵だったけど、これはこれで。


6月6日
銀座に知人が店を出したと聞いて遊びにいく。バーでAKB48の総選挙中継をみる。少女たちの必死な戦いを、大人たちが笑いながら見るという構造はいかんね。

6月8日
小平のカレー屋へ。インドかとおもいきや、ネパール国旗が誇らしげに飾られるネパールレストランだった。静かで、お値打ちな店だった。

6月9日
「俺のパンチェッタ」クランクイン
主演の豚バラブロックAとB。二人合わせてギャラは1300円。

6月12日
友達と一時帰国中の彼氏と4人で飲みに。久々の正統派和食は特に生姜ご飯が美味しかった。海外との遠距離恋愛というのは大変そうだ。時差もあるし。二人の溝を埋めるのに大きな役割を果たしたアメーバピグとSkype、ITはときどき偉大だと思う。

6月13日
俺のパンチェッタ途中経過
だいぶ締まってきた。下にあるのが新兵器ピチっとシート。食材の水分を吸い取ります。
6月15日
弟の誕生日祝いに目黒の焼肉へ。レバ刺しは既に幻の料理と化している。がっつり食べて、飲みからさらに飲む。体重い。

6月16日
久々に予定の何もない週末だったので、新宿の映画館にヒット中のテルマエ・ロマエを見に行く。阿部寛の肉体美がすごい。原作のマンガも読んでみたいと思った。
映画館の左隣の席のカップルの彼氏が、席に着くときに右隣のカップルの彼氏に飲み物をぶちまけるという滅多にないハプニング。風呂映画を見に来て、シャワーを浴びてしまった右の彼氏に幸あれ。

6月17日
俺の燻製。燻製は事前に水分をきっちりとるのがKP(Kentaro's Point)。キッチンペーパーでしっかり拭いた笹かまは美味しい燻製になったけど、手を抜いたのは酸っぱい仕上がりに。そういや男子ゴハンは結局ケンタロウ氏降板するとか。残念だけど早く回復してほしいと思う。
チップは初心者向けといわれるリンゴ
おいしそうな色(と香り)に。


6月22日
学生時代のクラスメイトと飲みに行く。待ち合わせの時間を1時間半すぎたあたりでやっと全員集合するルーズさは相変わらずだが、神保町待ち合わせと言われれば神谷町にいくことなくちゃんと神保町にこれるようになった。日々是成長である。ちょっと遅いのが玉に瑕だけどね。

6月23日
俺のパンチェッタ完成記念カルボナーラ祝賀会

カルボナーラ作るのは苦手だったが、これはうまくできた!でもかけた時間に見合うかと言われると、、、市販のベーコンって安くて美味しいね
なお「俺のパンチェッタ」は全て彼女が作った。日本の田舎に生えていても「イタリアンパセリ」というのと同じ理屈である。

6月28日
半年ぶりに歯医者に検診に。小さな虫歯ができていると言われ、再度治療の日々がはじまることになる。悲しい。

6月29日
会社の人と飲みに行く。気がつけば周りはほとんど年下で、社会人経験年数が二桁になっている僕は既に中堅なのである。自らの経験を振り返ると説教臭い先輩から多くを学んだことはなく、逆に自分の道を突き進むカッコいい人の背中を追いかけていた時に学ばされた。というわけで飲み会でできることといえばちょっと多めにお金出すくらいである。

ちなみにZIPからもよこちゃんが卒業したのは、ダントツで今月もっとも悲しいニュースである。

6月30日
実家へ。
確かにサバ缶とたけのこの味噌汁は他の地方ではそんな食べないんだろうな。美味しいよ!
小学校の遊び場にて。昔はこの写真中央左の球体のさらに上に通路が伸びていて頂上の球体があった。時代の流れで上の部分は撤去されたらしい。レバ刺しがなくなり、「危険な」遊具が駆逐される時代であるが、それって正しいのだろうか。
と未来を憂うSparkyさんの像

Jun 4, 2012

5月の光景

たとえるなら5月特急という名の暴走列車があって、単にそれに振り落とされないように必死にしがみついた日々だった。

5月3日
吉祥寺に買い物に行く。ワイシャツやらベルトやら食器やら。メンチカツで有名なミートショップ サトウは実はコロッケもおいしい。メンチカツ目当ての行列ができている時でもコロッケは待たずに買えるので大変おすすめだ。


夜は魚秀で刺身や干物をいただく。新鮮な貝のうまさ=日本サイコー

 5月5日
短すぎるゴールデンウィークを心のなかで惜しみつつ、呪いつつ、出張する。フランクフルト経由、ブリュッセル経由、ギニアのコナクリで一時停泊し、ガンビアへ。30時間の移動時間は腰に来る。
今回、事前申請がまにあわずビザは現地で取ることになっていた。パスポートと現地取引先から送ってもらった招待状を片手に、「入国拒否されたらどうしよう?」という一抹の不安とともに入国管理局に突入する。細かいところは割愛するが、どうにか入国することはできた。

南国の象徴、マンゴー
5月9日
毎度のことながら、アフリカは治安の問題にくわえて、マラリアが怖い。昨年夏のタンザニア出張時には蚊帳完備のホテルにもかかわらず参加者(100人足らず)の何人かが会議最終日までにマラリアを発症して寝こむこととなった。 それまでマラリアにかかるのは運が悪い人だけとたかをくくっていたが、この事実を耳にするとむしろ運が良ければかからないと考えるのが正しいと思う。
今回は割り当てられた部屋の壁が穴あきで、蚊帳もなく、初日の夜は刺されまくった。二日目は昼間殺虫剤をまいてもらうように頼んでいたにもかかわらず、蚊がでた。深夜二時にホテルのフロントに苦情をいったところ、写真のスプレーをもらった。
いかにも効きそうである

5月10日
アフリカでの仕事は4回目であり、現地に顔見知りが増え、だんだんとやりやすくなってきた。この日はみんなで軽い打ち上げのため、お洒落レストランに繰り出し、夕ごはん。楽しい時間を過ごした。山口先生ごちそうさまでした。
@Green Manba
5月13日
久しぶりの休日。ハードな毎日がつづいていたので、翌日の仕事に備え寝るつもりであった。が、トレーニング参加者に「釣りにいかないか?」と誘われ、ガンビアの首都バンジュールの沖に出た。誘われることも嬉しかったし、マングローブの林の脇での釣りにも興味があった。
餌はエビの身。竿もシカケもだいぶ大雑把。それでもレディーフィッシュと現地の人が呼ぶ魚がたくさんつれた。
適当さ極まりないシカケ
大海に糸をたらし、そのくせなにもかんがえない至福のとき。
 ガンビアは治安がよく、現地の人達も親切で、今までのアフリカではありえないほどリラックスできたし、それが仕事に良い影響をもたらしてくれた気がする。

5月14日
いくつか気づいたことがある。人に何かを教えるとき、日本では先生が一方的に話し、黒板に書くというスタイルが普通である。僕らのクラスも意識することないままに、なんとなく、そんな日本の教室の再現を試みていたような気がする。
しかし過去の経験からアフリカではより双方向で会話をしながら、細かい発見を積み重ねる形があう気がしていた。思い切って授業の進め方を、グループワーク中心、ディスカッション重視に変えてみた。結果は大成功だった。

ディスカッションで、色々と検討するトレーニング参加者
5月16日
帰国する。ブリュッセルからフランクフルトまではルフトハンザに乗ったのだが、着陸前に背筋が凍るアナウンスを聞いた。
「機長です。これから着陸体制に入りますが飛行機によくわからないエラーというかトラブルがおきていて、えっとえっと英語で説明できないです。(ブツッ)」
ドイツ語ではなにやら説明していたようだが、英語が苦手な機長らしい。幸い飛行機は何事もなかったかのように着陸したが、アナウンスから着陸までの間は本当に生きた心地がしなかった。
あんなのは二度とごめんである。 
しかしフランクフルトから羽田までの飛行機では、この恐怖体験の埋め合わせなのかもしれないが、サッカー日本代表の香川選手が同じ便にのっていた。飛行機を降りると、フラッシュがパシャパシャ光っていて何事かと。香川はとても細かった。

5月18日
同居人AとJetstarでオーストラリアのゴールドコーストへ移動する。途中ケアンズでの乗り換えの際に待ち時間が6時間もあり、ケアンズの中心部まで朝ごはんを食べにいった。
翌日は友人の結婚式である。手配されたリムジン(!)に乗り込みゴールドコーストから30分ほどの場所にあるチャペルへ。
青空はすばらしかったが、それ以上に新郎新婦共に晴れやかな表情が印象に残ってる。
フラワーシャワーのあと
さてさて結婚式はここからが大変だった。まず教会での式が12:30開始、その後パーティーが16:00から24:00まで。つまりは丸一日かけて祝うのである。しかし日本とオーストラリアの結婚式のよいところをミックスしたとてもアットホームな結婚式だった。ご両親は日本人、思うようにならない歯がゆさもあったとおもう。そんななかで新婦のお父様の人生初の英語スピーチは想いがあれば気持ちは伝わるということを、コミュニケーションはテクニックではないということを、心底実感する忘れられない経験となった。

5月21日
結婚式がおわったばかりで疲れているに違いない、新郎新婦が僕らをドライブに連れて行ってくれた。だがしかし、彼の目的地であるアルパカ牧場は既に閉園!のうのうと草を食むアルパカを金網越しに見ることしかかなわなかった。
アルパカに触りたかった。
アルパカと写真とりたかった。
不穏な空気を察した新郎の「アルパカいないけど、空気が綺麗で、自然がいっぱいね!」というたどたどしくも真剣な日本語での言い訳は一生忘れない。結婚式での晴れがましい姿は忘れても、こっちの出来事は忘れない。笑。
とはいえ本当に自然は雄大で、道路脇に牛やひつじや野生のカンガルーをみることができた。
夕焼けのサーファーズパラダイス


5月23日
職場復帰。曜日の感覚含めすべてが微妙に狂っている状態であったが、未読メールを当社比1.3倍で処理する。

5月25日
上田に帰省。26日に行われる祖父の33回忌に参加するためであった。つまり祖父が亡くなった時僕は若干2歳で、祖父の思い出というものは全くといっていいほど無い。記憶がとぎれても血は繋がり、今後も繋がっていく。コンピューターシステムにおける未だ不完全なバックアップなどとくらべて、生物の世界での種を残すメカニズムというものの巧妙さには恐れ入る。


6月は忙しさの中で見落としてきたこと、意図して後回しにしたことを着実に埋め合わせていく月にしたいと思う。

May 23, 2012

4月の光景

4月の光景を書くのが遅れました。もう5月はすぐそこです。

今年の3月は例年に増してバタバタでしたが、どうにかこうにか無事に年度末という大きな峠を越えることができました。

4月4日
アジア某国へ。仕事の内容はいつもとあまり変わらないけれど、周りの顔ぶれが違うのでそれなりに緊張する。今回の国際会議は議長が日本人で、それを支えるスタッフも日本人が多く、国際的に活躍する人たちと出会えたのがとても刺激になった。


4月8日
今日は日曜日、そして生まれて初めて異国で迎える誕生日である。午前は部屋でダラダラしていたら、ノックをする音が。寝ぐせのままドアを開けるとそこにはホテルのスタッフが数名、おろおろしてたらケーキを持って部屋にドカドカ入ってきた。聞いたら「チェックインの時のパスポートをチェックして、今日が誕生日だと知って!」とのこと。プライバシーなんてなんの意味もないさー。
午後は現地の知り合いと軽い観光兼ディナーへ。楽しかった。
ベトナムのご飯は生野菜が多く、どれも最高にうまい!


4月12日
帰国

4月13日
確定申告が無事終わり、還付金振込通知が来た。

4月21日
長く愛用していた靴が、まだ履けないことはないけれど、色落ちが激しいため捨てることにした。Rockportは歩きやすく、なおかつパッと見では革靴のようなので便利である。
おつかれ、古い靴


4月23日
プラハへ。飛行機はエアバスの最新鋭機A380-800である。でかい。重い。
総二階建て!しかし入ってしまえばフツーのヒコーキである。


4月27日
会議が終わった金曜の夜はみんなで会議の主催者の一人の誕生日を祝いにプラハの中心部にあるレストランへ。エスプレッソマティーニとか意外と美味しいらしい。そしてチェコのビールは美味しいと聞いてはいたが、僕には苦味が強くてのみにくかった。


4月28日
プラハから日本へ。プラハ空港にこんな店があってテンション上がってしまった。


さてさて以上4月ですが、旅はまだまだ続くのです。。。

May 2, 2012

9年のブランクを経て堂々のカムバックを果たす

9年のブランクを経て、最近はじめたことがある。タバコだ。また手を出してしまったという言い方が正確だ。

タバコをやめたのは9年前、思い立って、禁煙本を読んで、すぐ禁煙した。僕の場合、ニコチン中毒という感じではなかったので止めるのはそれほど難しいことではなかった。ただ長らく吸っていたことを周囲は知っていたので、禁煙を成功させたことについて褒められたり、本当に辞めたのか疑われたりしたものだった。
それから9年、今更ながらに、タバコをまた吸いたいという気分になった。しばらく我慢していたのだが、思い立って誕生日に自分にご褒美などと苦しい言い訳し、タバコを買った。
出張先のベトナムのホテルで手にはいるのはマルボロライトだけだった。湿気たマッチでおそるおそる火をつけ、煙を吸い込み南シナ海めがけて勢いよくはき出す。久しぶりに吸うタバコは意外なほどにうまかった。吐き出す煙を見ていると、不思議と気分がおちつく。




さて、ここで書きたいのは再びはじめたタバコのうまさではなく、喫煙者をとりまく環境がこの9年の間に劣悪になっているということである。


・タバコが高い

吸い始めた頃1箱220円だったものが、410円に値上げされている。1日1箱吸う場合、1ヶ月で10000円軽く超える計算になる。ホワイト学割が490円のこのご時世に、たまったものではない。さらに、これでも欧米と比べるとまだ安く、財務省は増税の好機をうかがっているというのだから恐ろしい。


・自動販売機でタバコが買えない

タスポ導入のニュースをそういえば何年か前にテレビで見たような気がする。自分に関係のないニュースであったのですっかり忘れていた。小銭を握りしめて近所の自動販売機の前で呆然と立ちつくした。大人になり好きに使えるお金が増えると、何かを「買えない」という状況に遭遇することはほとんどない。あるとすればそれは「(買うだけのお金はあるが)買えない(ということにして見送るという判断をした)」という状況である。久しぶりの逆立ちしても買えないという状況は5歳と時にコンビニにお小遣いの10円玉を4枚もって買い物に行き、何も買えず半べそで帰ってきたあの日以来、二度目である。

・タバコを吸う場所がない

昔は灰皿がどこにでもあった。会社の自席にも、公園にも、駅のホームにも、病院の待合室にも、飛行機のシートにですらも灰皿があった。それらが知らぬ間に消えていた。とにかくパッと目につく場所の灰皿は撤去されていったのである。千代田区のオフィス街では本当にタバコを吸える場所が少ない。このままいくと「平成の廃皿毀釈」として山川出版あたりの日本史教科書に載りかねない。
非喫煙者の方に聞きたい。最近タバコを吸っている人を見ましたか?と。見ていないはずだ。僕だってつい先日までタバコを吸う人が激減しているのだ思っていた。違うのである。喫煙者はあなたの見えないビルの影、狭い路地、自販機の横の小さな灰皿に寄り添いタバコをすっているのだ。ゴキブリのように。
聞くところによれば近頃は完全禁煙の雀荘/パチンコ屋もあるらしい。タバコを吸いたくても吸えない、世知辛い世の中である。


・ライターが重い

非喫煙者にはなんのことか分からないと思う。近頃の100円ライターは子供がいたずらして火をつけられないようにボタンが重くなっているのである。私は最初ボタンの固さに「壊れているのか」と疑い、やがて真相にきづいた。道具というものは改良が重ねられて使いやすくなっていくものである。そしてこの重さは僕にとって改悪だ。

・マイルドセブン・FKが売っていない。

昔吸っていたブランドは2011年に販売終了の憂き目にあっていた。もともと日本で6人くらいしかすっていない銘柄だったので、仕方のないことであるが。




ここまでつらつらと喫煙者にとって悲しい変化をとりあげてきたが、9年間で良い変化ももちろんあった。


・喫煙マナー向上

町中に吸い殻がおちていない。先日プラハを歩いている時には街のいたるところに吸い殻がたまっている悲しい光景を見た。日本でも昔はそんなものであった。これは9年間で劇的に改善されている。
歩きながらタバコを吸う人も少ない。歩行喫煙にスポットをあて、これを減らそうとしたJTのマーケティングキャンペーンの賜物ではないだろうか。


・喫煙者同士の連帯感が増している

僕の喫煙場所ビルの谷間の駐車場に設けられた吹きさらし喫煙スペースは紳士/淑女の社交場のようである。灰皿を中心に半径3mに等間隔に人が並ぶ。入るときは「ちょっと失礼」、吸い終わって離れるときは「お先に」という人もいるし言わない人もいるし、会釈をだけする人もいるが、総じてお互いへの気遣いはかつて感じなかったものである。
社会から虐げられているどころか、家族からも「お父さん煙草臭い」と嫌われる者同士が、やけにならず、紳士として振る舞う世界。言葉も年齢も地位も名誉も関係ない奇妙な連帯がそこには確かにある。




あえて言いたい、喫煙者よ立ち上がれ!と。
我々は訴える。汗して得たお金でタバコを買い、それを吸うのはコソコソするようなことではないと。
なぜビルの軒先で雨にうたれながら、風に吹かれながらタバコをすわないといけないのか?
我々は訴える。脱税が横行する現代において喫煙者は模範的納税者であると。
我々は訴える。肺ガン、脳梗塞のリスクがあがるのは事実であるけれど、そのことを直下型の巨大地震が来ることが確実な土地に住み続けることを選ぶきみたちに指摘される筋合いはないと言うことを。

そして私は、現在のところ「喫煙の際はベランダ」を厳しく躾けられている身であるが、換気扇下での喫煙を超近隣住人に許可して頂けるよう懇切丁寧に説明を続けたい。
風吹きすさび雪降り積もる冬までには。



Mar 31, 2012

3月の光景

もう年度末なんですね。去年の年度末といったら、311直後の混乱まっさかりでミネラルウォーターを調達しなければいけないとかそんなニュースが日本全土を覆いつくしていました。年度末というより世紀末だった昨年と比べたらどんなことも大したことないかのように思えるこの3月を振り返ります。

3月上旬
再びフィジーへ。今回は経由地が遠く、待ち時間が多く行きも帰りもほんとうにきつい移動でした。自分たちの仕事をきっちり終わらせたという達成感は、我々にはどうしようもない問題による無力感とほぼ等価でした。


日曜の朝ごはんはお弁当が部屋に置かれている。
もうバスタブがないのは平気になった

スバの景色
ホームパーティーで供されたカバという太平洋地域の伝統的な飲み物。木の根をすりつぶしてつくられ鎮静効果があるという。味は泥水。
海を望む
まだ暗いうちにホテルを出るためにパッキングをするとき、いつもKokuaのProgress(プロフェッショナル仕事の流儀のテーマ)をBGMにかけてる


3月11日
午前にフィジーから成田に到着し、昼頃帰宅した。震災1周忌のその時間には時差ボケと旅疲れで気絶するように寝ていた。

3月12日
年度末の仕事に復帰。毎日ヘビー級の仕事が続く。1週間のうち4日間スーツきないといけないっていうのもつらかった。

3月16日
故郷へ帰る友の送別会。また東京か広島で飲もうと約束し分かれる。3月は別れと出会いの季節である。

3月17日
両親と共に親戚の見舞いのため町田へ行く。帰りに損保ジャパンの美術館でゴッホのひまわりを見る。本物は絵の具による隆起が大きく、ひまわりという花を越えるエネルギーあふれる作品だった。
当然ホンモノは写真禁止

3月18日
ホワイトデーということで日頃の感謝を込め牛すじ赤ワイン煮込みをつくる。美味しかった。

3月19日
久しぶりに弟者と飲む。おそろしく細い路地の裏からさらに奥まったバーでウイスキーをいただく。いや高いって。
キルホーマンは青いのと赤いの。赤いのがうまかったね。

3月23日
DEFCON Japan 2nd Meetingにタイからの友人を連れて参加。共通の課題に向かっている人たちと楽しくお話できた。日本にいる外国人研究者の力をうまく借りる方法を考えていかないといかんね。

3月24日
いきなりインドネシアへ。フィジーから帰国したときの30時間移動の疲れが全く抜けていないのに加えて、フィジー→東京→インドネシア→東京の温度差が体にひびく。より具体的には腰と肩にひびく。

バリは二度目で前回はヌサドゥア地区、今回はレギャン地区のホテルに滞在した。外国人向けリゾートとして外界から隔離されたヌサドゥアは安全な分面白みにかける。レギャンはこの猥雑な感じが楽しい。
Kutaの街中に止まっているおしゃれな車

夕暮れのJalang Beach
まずは1年の仕事が無事終わって本当になりよりである。まわりの皆さんには感謝感謝。
最近無性にタバコを吸いたくなる時が増えた。タバコをやめてはや8年くらいたっていて、タバコを吸いたいと思ったことは今まで一度もなかったので自分でもこの欲求を持て余している。


Mar 4, 2012

2月の光景

2月の光景を振り返ってみる。

2月前半
長らく通っていた歯の治療がひと通りおわった。先生には「はい、じゃあ次は半年後に点検にきてください。ちゃんと毎日フロスするように。」と言われ、衛生士さんには「お疲れ様でした。」と言われた。


この冬焼き芋がマイブームである。きっかけは100円ローソンでうっている焼き芋。焼き芋って子供の頃の「とても高いもの」というイメージが焼き付いていたが、ローソンの焼き芋は100円でとても美味しい。牛乳を飲みつつ、焼き芋を頬張れば、これはかなり幸せな冬のおやつである。
これは安納芋を自宅のオーブンで焼いたもの

2月11日
ウイスキーワールドカップを開く。その後上司の家で生牡蠣を堪能。新鮮な牡蠣を少しだけ蒸して、そこにポン酢をかけたものはとても美味しかった。ごちそうさまでした。

 2月13,14日
仕事でバタバタしていたが、バレンタインにガトーショコラを食べれて幸せ。



2月28日
会議おわってから成田に直行し、フィジー出張。ATR42-500という今まで乗ったことのない機体だった。
ATR 42フランスイタリア航空機メーカーが合弁事業で興したATR製のターボプロップ双発旅客機である。42は標準の42席(ピッチ81cm)を意味する。Wikipediaより 
強い雨の中、空港から飛行機まで走って搭乗するってのはなんとも南国なことである。

ここから2012年6月終わりまでの自分のスケジュールは完全にブラック企業のそれであるが、誰に指図されたことでもなく、自分でやりたくてやってることなので万一どこかで行き倒れたとしても、その責は僕が負うものであるということを、遺族の皆さんにご理解いただきた。

あとはNHKスペシャルのヒューマンが面白かったし、サイバーテロ漂流少女という査読をした本が刊行された。そのへんもゆっくり書きたいんだけど、またの機会ってことで。



Feb 12, 2012

ウイスキーワールドカップ(決勝トーナメント編)

こんばんは。突然ですがウイスキーはオスキーでしょうか?
そろそろ笑ってくれる気になりましたか?
もう一度聞きますよ。ウイスキーはオスキーでしょうか?


本記事はウイスキーワールドカップ(予選リーグ編)からの続きです。
ウイスキーワールドカップ(以下ウ杯)は5人の審判があやふやな直感をもとに美味しいウイスキーを決める大会。29選手が8つの決勝トーナメントのイスをつかんだ。その顔ぶれは以下のとおり。(エントリー番号、銘柄名、実売価格の順です。)
A2 サントリー響17年 7765
B3 ザ・マッカラン 12年 3730
C3 ジェイムソン スタンダード 2020
D3 サントリー 白州 12年 6580
E2 ニッカウイスキー ザ ブレンド 45% 3070
F2 ヘネシーVSOP 8990
G3 サントリー ローヤル 2880
H3 ニッカウィスキーゴールド&ゴールド 1750
決勝トーナメントを前に
いよいよこの8選手の中からただ一人の王者が絞られる。

ウイスキーワールドカップ(予選リーグ編)

こんばんは。突然ですがウイスキーはオスキーでしょうか?

長らくビール以外飲めない私も、最近ウイスキーがおいしいと思えるようになりましてね、飲めるようになると、もっと安くて美味しいウイスキーはないかな?あのバカ高いウイスキーは本当にうまいのかな?なんてことに興味がわいてくるのです。

そんなわけで、カップやきそば以来久々に神をも恐れぬ仲間たちとウイスキー29種類が集結!ここに独断と偏見でうまいウイスキーを決める、ウイスキーワールドカップ(以下ウ杯)が開催されたわけです。

その結果を前編と後編に分けてブログにしました、まずは前編(予選リーグ編)をご覧下さい。

整列した29選手、心無しか緊張の面持ち


ウイスキーワールドカップルール
まずはウ杯のルールを説明しよう。

大会ルール

  • まず参加選手は予選リーグを戦う。くじ引きによりA組からH組までの8つのグループに分けた。予選リーグではグループ内の全てのウイスキーを担当する審判が2名で試飲する。おいしいと思う順番に点数をつけ、もっとも得点をあつめた選手が決勝トーナメントに進出する。
  • 決勝トーナメントは予選を勝ち抜いた8選手によるトーナメント戦である。審判5人が美味しいと思う選手を二者択一で選び、多数決で決めていく。
  • どちらも原則として試飲中に審判にはブランド名を知らせない。またウイスキーは水と1対1で割る。



くじ引きが終わりグループ毎に整列した各選手。箱に入ったままのボウモア12年選手(最前列左)は他の選手との交流を完全拒否。


審判
ウ杯の審判は総勢5名。いずれも酒は好きだけれどもウイスキーマニアではない。日頃ウイスキーが大好きという人は正しい知識に満ちた真っ当な審判をし、ウ杯のばかばかしさを損なうと判断し、今回はあくまでウイスキー素人5人が審判を行う。

  • 審判A: 30台男子。テキーラを中心になんでも飲む酒好き。味の表現の豊富さに定評有り。
  • 審判B: 40台男子。日本酒を中心になんでも飲むウインドサーファー。利き酒イベントでの勝利経験あり。
  • 審判C: 20台男子。なんでも勉強家。ウイスキーのうんちくをかたって、合コンでもてたい。写真撮影をあわせて担当。
  • 審判D: 20台女子。好きな酒はワイン、ウイスキー経験ほぼ0。
  • 審判E(自分): 30台男子。好きな酒はビール、ウイスキーは経験少ない。もっとも酒弱い。ウコンの力ドーピング済み。
基本的にウイスキーの細かい知識はなく楽しく飲めればそれでよいという面々である。本当はもっと呼んでワイワイやりたかったのだけど、文字通り酔狂なイベントなだけに断られまくったんです涙


予選リーグ

それでは29選手が8つの席を争った予選リーグの結果をA組から見ていく。選手の横に書いてある数字は実売価格を参考として記載した。(なお多くのウイスキーはインターネットでミニボトルセットを購入したので実際にはこんなにお金はかかっていない。コンビニで手に入る手軽なものから、海外のシングルモルトまで流通量の多いウイスキーを集めた。)
赤字が見事勝利し決勝トーナメントに進出を決めた銘柄である。


グループA

A2 サントリー響17年 7765
A3 ニッカ VSOP 2190
A4 サントリー オールド 1480

予想: 優勝候補最右翼の響17年選手に対して他の3選手がどう個性を発揮出来るかが見所。
結果:響17年とニッカVSOP 9点、スーパーニッカ 7点、サントリーオールド4点
同点の場合は2人の審判のうち主審の採点が優先されるというルールにしたがい、響17年が決勝に進出した。勝因は樽の香りが感じられる「ちゃんとしたウイスキー感」である。僅差でやぶれたニッカVSOPも甘くフルーティーと高評価された。


グループB
B1 ジョニーウォーカー赤 1250
B2 ニッカ 鶴 17年 8100
B3 ザ・マッカラン 12年 3730
B4 サントリー 山崎 12年 6157

予想: いずれ劣らぬ強豪ひしめく死のグループ。同じく優勝候補の鶴17年選手の独走を中堅の12年組2人がどう止められるかに注目。
結果:マッカラン12年 10点、鶴17年 8点、ジョニー赤 6点、山崎12年 4点
奇しくも2人の審判がまったく同じ判定をくだした。マッカランはその甘さと華やかさが評価された。鶴17年についてもバランスがよいと好評価で1位2位の差はわずか。「奥から安物感」などと酷評された山崎12年選手。コンディショニングに失敗したか?


グループC
C1 ワイルドターキー 8年 700ml 2362
C2 ジャックダニエル ブラック 1799
C3 ジェイムソン スタンダード 2020
C4 ニッカ ピュアモルト 竹鶴 12年 3980

予想;海外勢の中で竹鶴12年選手は国産のプライドを見せられるか?
結果:ジェイムソン 10点、ワイルドターキー8年と竹鶴12年 7点、ジャックダニエル黒 4点
ジェイムソンは審判に「チーズに合う、重い、頑固オヤジ」などとコメントされ苦戦しているかに見えたが、勝負結果は圧勝であった。ターキー8年は香りが甘くスパイシーで飲みやすいと好評。竹鶴12年には「フツー、遅れて華やかさがやってくる感じが高校デビューって感じ」というコメントがついた。ジャックダニエル黒は人によって「コーヒー感、化学薬品感」があり、苦めなのではないかと推察される。



D1 ボウモア12年     3043
D2 フォアローゼズ     1280
D3 サントリー 白州 12年 6580
D4 サントリー響12年 3999

予想:B組に次ぐ死のグループか。個性派ボウモア選手を審判がどう判断するかが分かれ目。響12年選手も前評判高い。
結果:白州12年 10点、響12年とボウモア12年 7点、フォアローゼス 4点
白州12年は「香りでおびきよせておいて、全然違う味でおどろかせる」「ワイルドバットフォーマル、千代の富士(現九重親方)のよう」と圧倒的な支持を得て貫禄勝ちであった。ボウモアは潮味のみがクローズアップされ、響12年は「天才なのに練習嫌いで世界チャンプになれないボクサー」というな謎の評価をうけた。


グループE
E1 オールドパー 12年 2835
E2 ニッカウイスキー ザ ブレンド 45% 3070
E3 ニッカ 竹鶴 12年スリムボトル 3980
E4 ブラックニッカ 300

予想:E組はニッカお家騒動グループ。ウ杯ならではの大番狂わせがおこせるか?ブラックニッカ選手の奇跡に期待したい。
結果:ザブレンドと竹鶴12年 9点、ブラックニッカとオールドパー12年5点
竹鶴とザブレンドが好評価を得、主審ジャッジでザブレンドが決勝トーナメントに進出した。「竹鶴は刺激的でつんつんしている不良のよう」という評価に対して、ザブレンドは審判両方が「よくわからないけどバランスがよく一番好きな味」という試合巧者ぶりを発揮した。なおブラックニッカは「新歓コンパでのまされたあの思い出がフラッシュバックする」というベテランらしさをのぞかせた。

グループF

F1 ザ・グレンリベット 2312
F2 ヘネシーVSOP 8990
F3 サントリー 山崎 10年 3675

予想:最高年俸をほこるヘネシーVSOP選手が中心か。あれでもヘネシーってブランデーだよね?グレンリベットと山崎がウイスキーの意地をみせることができるか?
結果:ヘネシー と山崎10年 9点、グレンリベット6点
主審ジャッジでヘネシーが決勝トーナメント進出した。ヘネシーは香りがとてもよく、飲んだ後もその甘みが上品に口の中に広がるという。日本のウイスキーと勘違いした審判もいた。定番シングルモルトのグレンリベットは低調。山崎10年ははかなく可憐な味がするという高評価とアルコール臭がたち酸味があるという評価に大きくわかれた。

グループG
G1 トリス 400
G2 シーバスリーガル 12年 2150
G3 サントリー ローヤル 2880

予想:トリスのCMの吉高由里子が好きだ!!!
結果:ローヤル 10点、シーバスリーガル12年 8点、トリス 6点
開幕戦から飲み続けた結果審判にも疲れが見えだしたGグループ。ローヤルが勝利した。トリスについては甘みがつよく、シーバスリーガルよりも好きという審判もいた。

グループH
H1 ジンビーム ホワイト 1280
H2 ジョニーウォーカー黒 2399
H3 ニッカウィスキーゴールド&ゴールド 1750

予想:英米日のお手頃価格選手によるリーグで結果が興味深い。
結果: G&G 10点、ジョニ黒とジンビームホワイト 7点
G&G選手は完全ノーマークであったが、「透明度が高いプールの様」という評にもあるようにスッキリとした味が多いに評価された。ジンビーム含めバーボンはその匂いがだめという審判がいたため評価が低調である。負けてしまったがジョニ黒は渋く激辛な複雑な味が「大人の酒」という評価に繋がった。


いよいよ決勝
こうして8強がきまった。

A2 サントリー響17年 7765
B3 ザ・マッカラン 12年 3730
C3 ジェイムソン スタンダード 2020
D3 サントリー 白州 12年 6580
E2 ニッカウイスキー ザ ブレンド 45% 3070
F2 ヘネシーVSOP 8990
G3 サントリー ローヤル 2880
H3 ニッカウィスキーゴールド&ゴールド 1750

本命響17年選手や死のBグループを生き残ったマッカラン選手が勝つのか?それともG&G選手やジェイムソン選手のようなお手軽価格クラスが飲みやすさに乗じて勝つのか?そしてブランデーであるヘネシー選手がこのまま勝ち進んだ場合、果たして大会はどうなってしまうのか?ウ杯はいよいよ白熱の決勝トーナメントへと続く。


いずれ劣らぬ猛者ぞろいの8強。ウイスキーワールドカップを制するのは果たして。


続きを読む -> ウイスキーワールドカップ(決勝トーナメント編)