- モーリシャスに3泊。相変わらず美しい島だが、タクシーの交渉が煩わしい。AfricaCERTの現状を見る
- 品川で講演
- モンゴルで6泊。色々事前に聞いていたのと違うことがあり、トラブルシューティング的な作業で徹夜。冬のモンゴルの寒さは過酷である。
- 中央大学の新しい学部、新しいビルでゲスト講義
- 年の瀬ギリギリにお世話になった方の訃報。悲しいことである。
2026年1月追記。お世話になった方の訃報は早貸淳子さんのことである。
長く闘病生活をされていた。思えば社会人生活を通じて一番指導を受ける機会が多かったかもしれない。いつも朗らかで、優しいかただった。日本語の書き方から、会議での立ち居振る舞いまで、様々なご指導いただいた。
ある日の夕方、私は早貸さんに会議室に呼び出されて、病気になったこと、手術によるブランク、その後療養することを伝えられた。驚きに言葉を失った私に早貸さんは続けた。その間、あなたにはこれをお願いしたいと思っている、という話だった。
今だから言えることだが、私は、その時退職あるいは休職して、留学しようとおもっていた。アメリカの大学院の出願書類を用意し終えたところだった。早貸さんを前に自分ができることはなにかを問うた結果、留学は忘れ、日本で仕事を頑張ろうと決意した。早貸さんはもちろん仕事で多くの業績を残された方だが、それ以外の一面もある。
バレンタインデーには社員一人ひとりにチョコレートをプレゼントしてくれた。バレンタインの風習は消えつつあり、早貸さんからのチョコのみをもって帰宅し、家族でいただくのが習慣となった。社員の誕生日、冠婚葬祭などについてはいつも気にかけていらっしゃった。ランチの時間に神保町近辺でうどんを食べにいったのも覚えている。「この、うどんはオーストラリア産の粉だね」と言っていた。
弊社と韓国のパートナーで覚書の締結のためのセレモニーをすることになり、韓国渡航が決まっていのだが、前日になって早貸さんのパスポートの有効期限が切れていることが発覚し、関係者全員が顔面蒼白になったことがあった。普段ミスがない早貸さんだからこそ、今でもあの時の各所へのお詫びの連絡は記憶に残っている。
席に相談しにいったら、パソコンでお子さんの学校のPTAの会報を編集されていたり、「私が何日も連続で料理しないと家の空気が暗くなるから」と夕飯のメニューを考えられていることもあった。社会人と母とを両立するのは、頭脳明晰な早貸さんをしても、色々なご苦労があったのではないかと推察する。
早貸さんは、私が好きなLinkin Parkをよく聞いていた。「昨夜、遅くまでLinkin Parkのアルバム流しながら仕事してたのよ。そしたら日本語の曲が流れてきて、疲れすぎているのかなーと思った」と言っていたのを覚えている。Linkin ParkのA Thousand Sunというアルバムに収録されているブリッジの曲で、マイク・シノダが日本語で歌う曲が実在する。
早貸さんに会いたいと思ったら、Linkin ParkのA Thousand Sunをもう一回聞くことにしよう。そうしよう。