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Jun 11, 2010

僕らのアウトドアライフ (その2)

高校の時の部活、アウトドアライフ班(通称ODL)の話の続きです。後輩のニッシーから貴重な写真の提供があり、一部を使ってます。懐かしいぜ。

*ODLの実態
OutDoorLifeの名が示す通り、ODLのメインの活動はキャンプだったと思う。班室にはODL班備品の6人用ドームテント(割と性能よい)、コールマンのランタン、コッヘルセットなど一通りのキャンプ道具がそろっていた。春から秋は天気を見つつ、月に一度くらいキャンプにでかけた。いやもっと少なかったかもしれない。

[caption id="attachment_2166" align="alignnone" width="540" caption="河原で"][/caption]

近辺の山に荷物を運び上げ、焼きそばを作り、マシュマロを焼いた。夜遅くまで酒を飲み、火を囲んで語った。先生の悪口から将来の夢、先輩の失恋まで話題は尽きなかった。

ど田舎の町からさらに1時間ほど登った山頂なので夜には星座を探すの難しいほど大小の星が空を埋め尽くす。そんな空の下で、前島先輩が自分を彦星に例えて、織姫がどうこうと真顔で語っていた。笑いをこらえるのに必死だった。狸が現れ、蛾がランタンに特攻をしかけ、鹿は電信柱の陰から様子をうかがうストーカーの様にじとっと我々を観察していた。

そしてどんな時でも朝が来る。真夏でも明け方の森の中は静かで、空気が芯から冷えきっている。朝霧の中、重い体を鞭打って、前の夜の乱痴気騒ぎの後片付けをする。『宴の後」という言葉の持つ意味を噛み締めつつゴミ拾いをした。
ボーイスカウトではとうてい許されない、だらけたキャンプだった。誰も口にはしないが、椎名誠の「わしらは怪しい探険隊 (角川文庫)シリーズ」の東ケト会の破天荒さに影響を受けていたと今になれば思う。



*頑張らない、ゆとり教育の先駆けODL
ODLは本来、キャンプの仕方などを身につける事ができるという触れ込みであった。だが、僕はもともとボーイスカウトで小学校からキャンプにあけくれていた。おかげで中学生の時には既に、8人用のテントを1人で張るとか、木を組み合わせて竃をつくるとか、あたりまえのようにできたのである。安藤にしてもキャンプでは相当にベテランだった。僕らに新しく身につけるものはなかった。
やがて僕らが2年生になり活動の内容を決めるようになるが、いたずらに高度なキャンプを目指すようなことはしなかった。安全かつ簡単に登れる山を難しいシーズン、難しいルートを選んで登るのが登山家であるのなら、米を炊くのが面倒な時には「サトウのご飯」を持ち込むのがODLであるという暗黙の了解があった気がする。いや、なかったかもしれない。

その後、セクシーというニックネームの、全然セクシーじゃない男がODLに加わった。渡来僧が日本に仏教をもたらしたように、セクシーはODLに麻雀をもたらした。僕らは麻雀をした。ニッシーという後輩が入った。安藤に輪をかけて寡黙な後輩だった。放っといても自分ですくすく育つ子だった。まきさんという心優しい男とその弟のまさきが加わった。まきさんはランドナーという長距離を走るための自転車を持っていて、刺激を受けた僕らは一泊二日のロングライドにでたりした。

*喫茶ポプラでインダルジ!

[caption id="attachment_2165" align="alignnone" width="450" caption="懐かしいポプラ ”この時大学2年くらいで、班室に忍び込みODL日記とアルバムを回収した時のものです。byニッシー”"][/caption]

平日の放課後は班室にたまるか、駅前にある「ポプラ」という喫茶店で時間をつぶすのが定番だった。駅前にひっそりと佇む個人経営の喫茶店だった。マスターは常にテーブルの灰皿には消臭のためにコーヒーの出がらしを乾燥させたものを敷き詰めていた。消臭効果があるからと言っていたが、本当だろうか?
テスト前には高校生らしくポプラで勉強をしたりもした。語呂単という語呂合わせで覚える英単語の本が流行った。「indulge(快楽などにふけるの意)」の語呂合わせはこんなのだった。
「インド主(インドアルジ-> インダルジ -> indulge)は淫行に耽る」
本にはご丁寧にターバンを巻いたインド風の人がにやにやなにかをしている挿絵がついていた。インドでまじめに生きる方々、特にインド主の皆様に対してあまりに失礼な語呂合わせだ。
淫行のインパクトで僕らはindulgeという単語を完全にものにしたが、残念なことにテストに出なかった。それどころかmあれから10年以上、僕は人並み以上に英語に触れる仕事をしているが”インド主”には一度たりとも出くわした事がない。そもそも覚える必要がある単語だったのだろうか?

というわけでODLという名前のわりに、キャンプだけをしていたわけではなく、逆に屋内でダラダラしていたことが多かった。誰かの家で徹夜で麻雀したり、長野大の女の人と合コンしたり(!)、軟式野球班と険悪な雰囲気になったり、演劇班の劇を手伝ったりとヒマに任せていろいろな事をした。いろいろな事をしたので自分の過去を語る時に「OutDoorLife班に入っていた」と言い切る事に躊躇するのだとおもう。

*その後
高校卒業後、僕らはそれぞれ進学のため故郷を後にした。ODLのメンバーも今では結婚していたり、子供がうまれていたり、東京にいたり、上田にいたり色々な人生を送っているらしい。連絡も疎遠になった。

班長だった安藤は庭師という変わった職業を選び、その仕事の模様をブログに綴っている。地元では評判がすこぶるよく、僕の身の回りでは将来もっとも情熱大陸などの番組にとりあげられそうである。コンクリートに囲まれたオフィスで、ブログを通して、同じ釜のペヤングを食べた彼のぱきぱきとした仕事を見ると励まされる気がする。きっと他のODLのメンバーもそう思って自分の道で頑張っているのだと思う。

[caption id="attachment_2170" align="aligncenter" width="440" caption="ODL ふぉえばー"][/caption]

Aug 4, 2009

婆者の最先端医療


亀の甲より年の功とはよくいったもので、お年寄りの話は役立つものである。がしかし、兄者の経験上、一つだけ知恵袋に頼ってはいけない分野がある。それは「怪我や病気の手当の方法」である。例えば「突き指をしたら、その指を引っぱる」がその代表格だ。現在の医学ではやってはいけないとされる誤った手当て/健康法をここでは婆者トンデモ医療と呼ぶことにし、その実態を紹介したい。


f:id:kkomiyama:20050710112447j:image





婆者トンデモ医療の悲惨な実態


兄者と弟者は怪我が絶えなかった。遊ぶ場所は野外だったし、殴り合いや蹴り合いの兄弟喧嘩を毎日していたからだ。怪我をした弟者達がどんな治療をうけたか具体例を紹介しよう。



軽い切り傷、擦り傷には唾液

唾液は婆者医療における万能薬である。とにかく何かあったら、「つばを付けておけば直る」そう信じられていた。


打ち身はよく揉む

打ち身などでできた青い痣はよく揉めば、青い部分が広がって消えていくと信じられていた。猿のように患部を揉んだよなぁ。あと同様に予防接種などの注射のあとも、よく揉めと教えられ、これも友人達と競うように高速で揉んだ。


やけどにはアロエ

やけどした時には鉢植えのアロエの葉を切り取り、皮をむき、中のゼリー状の部分を患部にあてる。アロエの臭いがつらかった。


風邪には長葱

風邪をひいたとき婆者が葱を刻んでタオルに巻き込んだ「特製ねぎタオル」を勝手に用意してきた。首の周りに葱をまいた経験のない読者がもしかしたらいるかもしれないので解説しておくと、葱の刺激臭は首からダイレクトに目と鼻を襲う。息もできないし、目も開けられない生き地獄である。あまりの評判の悪さから、以後禁じ手となった。



つまるところ、病気や怪我の回復を助けるどころか、逆方向に作用するのが婆者トンデモ医療なのである。



婆者だけでなかったトンデモ医療


婆者の名誉の為に付け加えるなら、この時代のお年寄りは多かれ少なかれこのような危険な知恵を持っている。モノも情報も少なかった生み出した時代の徒花とでも呼べばいいのだろうか。



蜂にさされたら小便

たとえば母方の爺者は「蜂にさされたらションベン」と信じこんでいた。兄者は、あるとき爺者の庭でミツバチにまぶたの辺りをさされた。そして蜂に刺された痛みより、爺者の小便を顔にかけられる恐怖に震えた。結局この時は母者が止めに入り、兄者は事なきをえている。



蜂にさされたら沢ガニ

この手の話で僕が聞いた中で一番面白かったのは、高校時代の同級生まきさんの逸話である。


彼がやはり蜂に刺されたとき、同居している婆者は「蜂にさされたら沢ガニが一番効く」と言ってきかなかったそうだ。そして自ら、近くの小川にいき沢ガニをつかまえ、それをすり鉢とすりこぎでミンチにした。


グッチャグッチャグッチャグッチャ・・・。


そして、できあがった沢ガニのミンチをまきさんの患部に塗りつけたらしい。まきさんの感想は「死ぬほど生臭い」の一言だった。


沢ガニの体表は雑菌の宝庫であり、そんなもののミンチを体に塗りたくるのは不衛生な事だと思われる。おもしろいですんだのは祖母譲りのまきさんの丈夫な体のお陰なので、皆さんは決してまねしないように。


そんなわけでお年寄りと住んでいると多かれ少なかれ、トンデモ医療の被害にはあうのである。


とはいえ


とはいえ可愛い孫の為に葱を刻み、沢ガニをつぶす婆者たちの愛を僕らはわすれない。


あの息もできない、目も開けられない状況に追い込まれて初めて弟者は健康の大切さを知り、日頃の乱れた生活を悔い改めさせられたのである。


Apr 18, 2009

奇跡の弟者 反逆のバーバ


予告通り、弟者以外にも兄者の人生に強い影響を与えたエピソードを紹介したい。まずはバーバである。婆者じゃないのでそこんとこよろしく。


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バーバのこと


兄者は小学校6年から10年ほどボーイスカウトをやっていた。それもわりと熱心な方であった。バーバというのは兄者のボーイスカウトの2つ年上の先輩のニックネームである。黙っていれば玉木宏似の端正な顔立ちの男前である。ボーイスカウトはかなり上下関係に厳しく、年上の班長をニックネームで呼ぶ事はかなり珍しい。起床時間を1時間間違えるとか、昼ご飯を食べた事をわすれるなどの積み重ねで馬場先輩からバーバへと降格されたのである。僕らはバーバ班長のもと雑用に励む、1年生ボーイスカウトだったのである。


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写真とバーバは無関係です。



飯ごう炊飯の鉄則 「初めちょろちょろ、中パッパ、赤子泣いてもふた取るな。」


ボーイスカウトに入隊すると覚えないといけないことがある。例えば国旗の掲揚の仕方、テントのはりかたなどだ。飯ごうでご飯をたくというのも基本中の基本で、新人にはこの仕事が回ってきた。


飯ごうでご飯を炊くときに覚えておくべき鉄則がある。「初めちょろちょろ、中パッパ、赤子泣いてもふた取るな。」である。意味するところは、「火加減は弱火から入って、徐々に強くする事、そして何があってもふたを開けてはならない。」である。


ふたを取らずにどうやって炊きあがりを知るのか?そこが腕の見せ所なのである。


中途半端なプロは木の枝を飯ごうに押しあてて、その振動で炊け具合をみるが、真の漢は革手袋をして火にかけてある飯ごうを直接さわり、ときに軽く揺すってみる。重さ、揺らしたときの感じ、匂いを過去の経験とあわせると、ふたを開けずとも飯ごうの中身が手に取るようにわかる。ちょっとおこげができて、全体に火が通った状態のご飯を炊けるようになるためにボーイスカウト達は1年くらい試行錯誤を繰り返すのである。



反逆のバーバ


数年後、一人前に飯ごう炊飯ができるようになったと自負する兄者は後輩スカウトに偉そうにご飯の炊き方を指南する立場になる。「火をおそれちゃいかん」、「ふたを開けずに飯ごうの中を想像しろ」、「イマジネーションが大切だ」、「一日一度は飯ごう炊飯のイメトレをしろ」と。(いつも通り若干の誇張が含まれております)


その日、得意げに講釈を垂れている兄者のところへ、また別の後輩が血相を変えてやってきた。


後輩B「あ、兄者先輩、ば、バーバが、バーバが!」


兄者「バーバがどうしたの?」


後輩B「バーバが飯ごうのふたを開けてます!」


一同「なんだってぇーーーー。」


そのときの衝撃を何に例えたらいいのかちょっと分からない。バーバは確かに、開けてはならない飯ごうのふたを開けて、それどころかしゃもじで中のご飯をかき混ぜていた。恐る恐る聞いてみた「バーバなにしてんの?ふたは開けちゃ駄目だし、かき混ぜたら駄目でしょ。」


バーバは意に介さず平然と答えた「ん?あぁ大丈夫。こっちの方が美味しくなるから。」


信じられなかった。周りの指導者(大人)も他のボーイスカウト仲間もみんながバーバに冷たい視線を向けていた。さらに信じられないことに、食べ比べてみるとバーバがかき混ぜて炊いたご飯の方が明らかに美味しかったのである。何度かの実験を経て、この方法だと1年生ボーイスカウトでも、炊飯に失敗する事がなく、炊きあがりも早いことがわかった。バーバ式炊飯術は画期的な発明としてボーイスカウト仲間の間に広まって行った。


常識を疑うという事


今振り返るとバーバ式は理にかなっていると思える点が多い。



  • 飯ごうは圧力鍋などと違って気密性がないので、ふたをあけても影響ない

  • 目で確認した方が正確にご飯の状態を知ることができる

  • たき火はコントロールが難しいので、むらなく熱を通すにはかき混ぜた方がよい


が、これらはあくまで後付けの理由である。常識を疑い、セオリーを踏み外して何かをするのは勇気がいることである。


当時の兄者達は田舎の中学生らしく「自由こそ全て」と考えていた。自由に生きるためにと、制服を改造したり、タバコを吸ってみたりしていたのである。そのくせ「ふたを取るな」と言われたら大人しく待っているだけだったのだから微笑ましいとしか言いようがない。


兄者がバーバに憧れたのは、その発想に真の自由を感じたからだと今にして思うのである。



補足だが、その後もバーバの常識にとらわれない飯ごう炊飯は続いた。炊きあがり寸前に生栗を放り込んだ「栗ごはん」、スパゲティの乾麺を混ぜ込んだ「そばめし」などである。試食した後輩は「固くて、痛いです。」という名言を残し、バーバは白いご飯に対するテロリストとしての地位を揺るぎないものにした。


Mar 24, 2009

弟者のWBC


こんにちは、断然サッカーの方が好きなのに、WBCとなれば俄に日本を応援しだす節操のない兄者です。


今回のWBCが開幕する前に、弟者(中)は決勝と準決勝のチケットを買っていました。日本がベスト4残らなかったらどうするんだ?などと色々心配はしてみましたが、あけてビックリ。


日本は着々と勝ち進み、準決勝進出を決め、きちんと決勝まで残りました。たとえ明日負けようとも歴史的な2試合を生で見れるわけです。これぞまさしく「奇跡の弟者」


弟者伝説のためには



「目の前で繰り広げられるメキシコとベネズエラのWBC決勝戦。スカスカの観客席。まばらな歓声。心の隙間を埋めるように弟者はホットドッグをかじった。マスタードが入っていなかった。そいつは日本のいないWBCと同じ味がした。」



などという展開がベターでしたが、この際贅沢はいいますまい。明日は是非その強運を、いまいち乗り切れないイチローさんに分けてあげて欲しいものです。


追記 3/26


弟者がブログ書いてた。


http://d.hatena.ne.jp/comi026/20090325


Mar 9, 2009

弟者のガーデニング


自然をこよなく愛する弟者と兄者の家には緑がいっぱい。


ブロッコリー

小さなつぶつぶはすべて蕾って知ってました?今から花開くのが待ち遠しい!


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ジャガイモ

春を感じさせる芽吹き。紫のアクセントがとってもきれいで美味しそう!


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長ネギ

花見ができそうなほどの立派な花を咲かせました!


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いや、自然はすばらしい。そして長ネギはきれいだね!


Feb 12, 2009

予告


弟者シリーズは弟者2人によるミラクルを長野の田園風景と共にお送りしてきました。しかし幸か不幸か僕の周りには弟者以外にも変な方がいらっしゃるので、この際その辺も含めて書いて行く予定です。


予定


奇跡の弟者、スキー場で恫喝される

幼い頃からスキーに親しんでいた弟者と兄者。しかしゲレンデの支配者は意外な人物であった。


奇跡の弟者と焼却炉

兄者家の庭にあった焼却炉。そこは紙が灰にかわる神聖なドラマの舞台でした。


奇跡の宮者のヘアケア

いつも坊主刈の宮者は独創的なヘアケアをしていました。


奇跡のセクシー者

セクシー者のニックネームが語りかける一言の重み。


奇跡の兄者のサイクリング ~イノベーションのジレンマ~

ロード、マウンテンバイク、ママチャリ。1泊2日のサイクリングに行くならあなたはどれを選びますか?


奇跡の山下者と本気の川流れ

バディを組んで野山を駆け巡った高校時代の兄者と山下者。なんでもない判断ミスから死にかけました。


奇跡のバーバと時を止めるドリフト

男だったら四輪の免許とってドリフトだろ?恥ずかしながら、そんな時代がありました。


奇跡のリアル亀者の殺戮劇

読者投稿


奇跡の姫者の嫁入り

自らを「姫」とよぶ勇気ある女性の物語



上記に心当たりがあって、それはどうしても書いてくれるなという方はお早めに。


Jan 23, 2009

弟者のカフェモカ


カフェオレで世間を驚かせた弟者がまたやった。今度は自分なりのカフェモカを作っている現場をおさえた。


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せっかくコーヒーをいれたのに


我が家ではドリップ式のコーヒーメーカーがあり、手の空いた方が二人分のコーヒーを多めに作っておくことがある。この日は弟者がそのコーヒーをいれていた。*1弟者はコーヒーを半分ほどマグカップに注ぐ。


異変が起きたのはここからである。弟者は台所で砂糖を入れていた。大さじ1杯、2杯、3杯。ずいぶんたくさん砂糖をいれる。


兄者「砂糖の取り過ぎはよくないぞ。」


弟者「平気、これココアだから。」


兄者「そうかココアか。なら大丈夫だな。。。ん、ココア?なんでコーヒーにココア?」


もちろんこんな下手なノリ突っ込みはしていない。ノリ突っ込みはしていないが、驚いたのは事実である。



なぜコーヒーにココアなのか、弟者の主張:


弟者に真意を問いつめる。


兄者「なんでコーヒーにココアいれるんだよ!コーヒーが台無しだろ。」


弟者「いや、、、コヒアにした方がおいしいから、、、」


コヒア?弟者とその友人達(!)はその奇妙なオリジナルドリンクに「コヒア」という名前をつけているらしい。作り方はこうだ。




  1. コーヒーをいれる

  2. カップに3分目くらいコーヒーを注ぐ

  3. ココア(安い調整ココア)をティースプーンで山盛り3杯ほどいれて溶かす

  4. 牛乳を加えてよく混ぜる。お好みで電子レンジで温める



弟者の言い分はこうだ。「われわれは貧乏であるからこそ、工夫して生活のレベルをあげなくてはならない。20世紀の代表的な発明『プリンに醤油をかけるとウニになる』はそのような苦境の中で生まれたのである。コヒアは安いコーヒーと安いココアを混ぜることによって、極上のココアを作るすばらしい発明である。配分をかえることでカフェモカっぽく作ることも、ココアっぽく作ることも自由自在なのだ!」


いや待て、ときに落ち着け弟者。そのコヒアとやらは高くてまずい料理の横綱『生ハムメロン』のように素材の良いところを打ち消し合う最悪な組み合わせではないのか?



仕方ないので飲んでみた。そして結論


食わず嫌いはよろしくないので、弟者に促され出来立てのコヒアを一口試してみた。味はコーヒーよりココアに近い。コーヒーの苦みがココアの味に奥行きを与えている。とびきり美味いわけではないが、格別まずいわけでもない。リアクション芸人泣かせな中途半端さである。


その後数日熟考をかさねた。やはりコヒアはコーヒーとココアに対する侮辱であると結論するに至った。


せっかくコーヒー豆に生まれたのに。焙煎され、挽かれ、曲がりなりにもコーヒーになったのに。さぁ飲んでもらおうと思ったその瞬間にココアにされてしまう、その無念さがお前にわかるのか?コーヒーの気持ちになって考えたことはあるのか?プリンは醤油をかけられ、できそこないのウニとして食べられたいと思ってるのか?


違う。


コーヒーはコーヒーとして、プリンはプリンとして、メロンはメロンとして消費される権利をもっているのだ。それを人間のエゴで勝手にねじ曲げることは許されないのだ。


とりあえず田舎の君のご両親は「弟者は家ではコヒアなどという意味不明の飲み物を飲んで、発明がどうこう言ってる。おそらく変な宗教にハマっている」と報告しておく。



参考: 【奇跡の弟者】 弟者のカフェオレ


過去記事: 【奇跡の弟者】 バックナンバー8件




*1:このときタンクから水がなくなり、「ジュバババババ、ジュロッ、ズロロ」という下品極まりない音がするのが個人的には結構許せない。


Sep 7, 2008

【奇跡の弟者】 憂鬱な銀杏拾いと音速の婆者

憂鬱なギンナン拾い
兄者の家には大きなイチョウの木があって、毎年秋になると頼んでもいないのにギンナンが鈴生りになる。兄者と弟者がもっとも嫌いな行事、「ギンナン拾い」が今年も催されるのである。
イチョウ.jpg
今も元気なそのイチョウの木
「ギンナン拾い」の手順はこうだ。

  1. ギンナンの木の根元から半径3m以内に古新聞を敷き詰める

  2. ギンナンを落とす。1)長い棒で枝をたたいて落とす、2)イチョウの木に登って枝をゆすって落とす、の2つのパターンがある

  3. 割り箸もしくはゴム手袋をしてギンナンを拾ってはビニール袋につめる

  4. 2と3を繰り返して新聞の上からギンナンがなくなったら終了


兄弟がこの行事が嫌いな理由は色々ある。
まず子供はギンナンの味が嫌いだ。さらにギンナンは臭い。
なによりの理由は兄者が単純作業を苦手としているという点だ。ギンナン拾いはイチョウの葉をよけながら地面に落ちた無数のギンナンを拾ってはビニールに詰めるという作業を黙々と2時間くらい行う。チマチマした作業が昔から大の苦手な兄者にとっては苦行でしかない。
音速の婆者
というわけで母者や父者の目を盗んでは弟者(大)とギンナン合戦をはじめたり、「いやぁ生のギンナンはおいしいなぁ!」とモグモグする迫真の演技を弟者(小)に見せつけたりと、なんとかして単調な作業にアクセントを加えようとする兄者であった。しかしそんな兄者を見張っていて、「口じゃなくて手を動かしなさい!」と鋭く叱責する人物がいる。
婆者(ばあじゃ)である。
「矍鑠(かくしゃく)とした」という形容詞はまさにこの人のためにあると、親戚の誰もが認める婆者。座右の銘は「働かざるもの食うべからず」の婆者。ギンナン拾いをサボろうとする兄者と弟者に向けられる視線はまるで受刑者を厳しく監視する看守のそれである。
そしてギンナン拾いをする婆者はすごい。なにがすごいって高齢にも関らず、割り箸を巧みにつかって弟者の2倍のスピードでギンナンを拾うところである。

  • 「サッ(イチョウの葉を割り箸でよける)」

  • 「パシッ(割り箸でギンナンを正確無比にキャッチ)」

  • 「ザッ(ギンナンを手元のビニール袋へ、この時目線は次のギンナンへ移動している)」


この一連の作業が流れる川のようにスムーズに行われるのである。
「うちの婆者はギンナン拾いの人間国宝」と紹介したら、誰もが納得してしまうに違いない。それほど見事なものであった。
戦後の混乱の中で4人の子供を育てあげた婆者。その婆者の背中から兄者と弟者は額に汗してコツコツと働くことの尊さを学んだのである。
都会のギンナン
こうして敬愛する婆者同志のもとで、社会主義的労働価値観の薫陶を大いにうけた兄者はやがて上京する。兄者を待っていたのは無意味にオサレな消費生活、かわいい女の子、そしてイチョウ並木であった。
ある日、そんな都会育ちの華やか女子大生達が「キャンパスのイチョウ並木で踏んじゃったの!」「ありえなーい」「くさーい」などギンナン一粒に過剰な反応をしていた。
「昔は毎年家族でギンナン拾いしててさ、婆者が早くて!・・・」とは言い出せないどころか「まじ?ありえね!」などとのっかってしまった兄者を責めないでやって欲しい。
ギンナンなど見たことも聞いたことも無いですよ、むしろギンナンて食べられるんですか?的リアクションを貫徹した兄者を、どうかどうか責めないでやって欲しい。
(婆者は92歳。今も元気です。)

Aug 30, 2008

【奇跡の弟者】 亀者を殺したのは誰だ

弟者家はいろいろな動物を飼っていた。それぞれ思い出深いが、今日は亀の話。主人公は兄者である。そのとき兄者が飼っていたのはリクガメで、子供の手のひらを広げたぐらいの大きさであった。名前はつけていなかったが、ここでは慣例に従い亀者としておく。

亀は動きが力強く意外と素早い。野菜をあげればなんでもよく食べるので張り合いがある。表情豊かで、飽きない。そしてなにより甲羅に被われた見た目がかっこいい。インコなどと違って一緒に遊べるのもポイント高い。というわけで兄者にしては珍しく図書館の本で亀の飼い方を勉強し、日々せっせと亀者の餌やり、水の交換などのお世話をしていたわけである。そう兄者は亀者が大好きだった。

亀者の冬眠

春が過ぎ、夏が終わり、亀者と過ごす初めての秋がやってきた。兄者の亀の飼い方マニュアルにはこう書いてあった。

「亀は冬になると冬眠しなければなりません。こうやって冬眠させましょう。」

  1. 地面に30cmほどの穴を掘ります。
  2. そこに亀を置きます
  3. 空の植木鉢をひっくり返してその上に置きます
  4. 植木鉢の底の穴から土がはいらないように石で穴をふさぎましょう
  5. 上から土をかぶせましょう
  6. See you next year!

ご丁寧に図まで着いていた。これである。

 
真ん中の緑が亀。茶色が植木鉢

適当すぎないか?亀を生き埋めにしてないか?と小学生の兄者にも、腑に落ちない点が多かった図である。
たとえば弟者家のような雪国であれば、地面から30cm程度の深さだと冬には確実に気温が氷点下になり凍りつく。水は?なにより空気は?兄者は直感でこの方法は危険だと感じていたが、一方で、本には「亀は冬眠させないといけない」とも書いてあるわけである。悩んだ結果、兄者は本を信じることにした。専門家の書いた本に間違いがあるはずがないではないか。

秋も深まったある日のこと、兄者は弟者と共に亀者の冬眠の準備を行った。まったく本の通りにである。まず庭の比較的土が軟らかく掘りやすいところをスコップで掘る。小学生が30cm掘るのだからなかなか大変だ。(弟者に手伝わせた。)そうしてできた穴に大事な亀者をそっと置いた。

次に植木鉢を上から被せるところだが、兄者は亀者が冬眠から覚めた時になにか食べたくなるだろうという配慮のもと、亀者の好きな野菜をいくつか穴にいれておいた。亀者を思えばこそである。亀者に来春の再会を誓い、植木鉢を被せ、穴を石でふさぎ、上からそっと土を被せる。全ての作業がおわったあと、弟者が周辺をドスドス踏み固めていた気もするがそれはご愛敬というもの。

亀者の冬眠準備は本の指示通りおわった。兄者は一抹の不安を覚えつつも、本の内容を信じて亀者との再会を待つことにした。

 

亀者との再会

翌年の春、兄者は3月のまだ地面が雪に覆われている頃から、亀者が冬眠から覚めて、地上にはいあがってくるのを今や遅しと待っていた。

結局その春、亀者は冬眠から覚めなかった。
誰でもうっかり寝坊をするときはある。そう思って兄者は待った。

夏。亀者は冬眠から覚めなかった。
二度寝あるいはトラブルだろうか。辛抱強く待つことにした。亀者にだっていろいろな都合がある。

そうして亀者が冬眠から覚めないまま、次の冬が来た。
兄者は泣きたい気持ちになった。

もしかしたら亀者は兄者が見ていないところで冬眠から覚め、そして逃げていったのかもしれない。そんなことは冬眠させた場所を掘り返してみればすぐ分かることだが、兄者にそれは出来なかった。もしそこで亀者が死んでいたら・・・と思うと。

結局、亀者は冬眠から覚めたのか真相は分かっていない。ただ亀の飼育方法について調べてみると、最近では亀を冬眠させることは危険が伴う行為として認知されており、また冬眠させる場合にはいくつかの手順を踏む必要があることが分かった。20年前のあのマニュアル本の解説にはそんなこと書いてなかったのになぁ・・・

亀者の冬眠土葬は、本の内容を鵜呑みにせず、自分の直感を信じることの大切さを教えてくれた。

Aug 24, 2008

【奇跡の弟者】 弟者の華麗な食卓

極めて少数の読者にだけ好評な奇跡の弟者(おとじゃ)シリーズ第5弾。やはり兄者が小学校4年生くらいの時のお話。

 

 
※写真と本文は関係ありません。

 

華麗な食卓 弟者(大)の場合:

ある日の夕食前のこと。弟者(大)が前触れも無く泣き出した。何が起きたのかサッパリ分からないのだが、台所から母者がやってきて聞く。
母者「弟者どうしたの?」
さっきまで1人黙々と油粘土で遊んでいた弟者が泣きながら口元をぬぐう。その口元には灰緑っぽい色の粘土が!
母者「まさか粘土を食べた!?」

そう、弟者は粘土を食べた。そしてそのあまりの不味さに泣き出したのだった。凄いのは粘土を食べた理由だ。

  1. 夕食前なのでとってもお腹がすいていた。
  2. 粘土で遊んでいたら、いつの間にか「団子」を作っていた。丸々とした美味しそうな団子ができた。
  3. 粘土なのは知っているが、団子の形なので食べられる気がしてきた。
  4. 食べてみた。不味かった。泣いた。

粘土という現実の持つ意味が薄れ、団子という自分に都合の良い虚構との区別がつかなくなる。まるで連続殺人犯のような思考回路。哲学的ですらある。

この日から弟者(大)は粘土にチャレンジした食の革命家としてなを馳せる。しかし、弟者(大)の栄光は長くは続かなかった。しばらくして今度は弟者(小)が「セミの死骸」を食べたからである。

 

華麗な食卓 弟者(小)の場合:

三兄弟は色々な虫を飼っていて、セミはその中の一つだった。適当に世話をしていたからなのか飼育ケースの中で死んでしまった。そしてある日の夕食前、お腹を極限まで空かせた弟者の目にとまったわけである。

ちなみにこのとき弟者はセミの死骸を食し、その後しばらくの間、平気な顔で過ごしていた。「アレ?セミの死骸が無くなってる」という兄者の指摘で犯行が発覚したというわけである。セミの死骸を食べて、文字通り「何食わぬ顔」をしているところに大物感漂う弟者(小)であった。

 

華麗な食卓 兄者の場合:

兄者は優等生だったのでセミや粘土を食べたりはしなかった。さすがである。
しかし、そんなある日、兄者はスイミングスクールでいつも優しいコーチにこう言われたという。
「はーい、兄者君。鼻くそは食べちゃだめだからね~。」
団子ほどの独創性も無く、セミほどの勇気も無い。派手さは無いが、人としてとびっきり恥ずかしい。兄者はそういう星の下に生まれてきたようである。

 

わき上がる疑問:

果たして我々三兄弟はきちんとご飯を食べさせてもらっていたのだろうか?

Aug 17, 2008

【奇跡の弟者】 弟者のイナゴ採り

お食事前の方、バッタが嫌いな方、バッタが大好きな方は読まないでください。
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皆さんイナゴをご存じだろうか?稲刈りが終わった後の田んぼにはピョコピョコ跳ねている、ちょっと小ぶりなボディとつぶらな瞳がキュートなバッタである。有名な話ではあるが長野県などの日本の山間部の一部ではこのイナゴを「食べる」。人がバッタを食すのである。今日はその話をしたい。というかイナゴを食べていたという話を都会の人に話すと聞かれるポイントをFAQ形式にまとめてみた。

イナゴ採りFAQ v1.0 by Sparky
イナゴはいつ採れますか?
3兄弟のイナゴ採りは「明日はイナゴ採りにいくからな。」という父者の一言ではじまります。時期は9月終わりから10月、稲刈りが終わった後でした。夏の田んぼにもイナゴはいますが、青々してて不味そうです。
イナゴはどこで採れますか?
イナゴはどこの田んぼにもいます。というわけでイナゴ採りの場所は近所の田んぼであったり、祖父母の家の田んぼであったり毎回ばらばらでした。他所の家の畑から農作物を獲るのは窃盗ですが、他所の家の田んぼでイナゴを採っても誘拐にはならないようです。
イナゴはどうやって採りますか?
特別な道具はいりません手でとります。弟者のイナゴ採りにおいては、作戦開始前にたいてい母者から小さい茶色い紙袋(最近見ないですね)を渡されます。この袋にイナゴを生け捕ってこいということです。兄者、弟者(大)、弟者(小)はあまり頭がよくないので田んぼを走り回って3人一緒にイナゴを採ります。イナゴは稲刈り後の田んぼの稲の刈り残しの中に隠れていたり、土の割れ目にいることもありますが、たいていの場合無防備にぴょんぴょん跳ね回っています。
イナゴ採りのコツはなんですか?
強いて挙げるなら 1)後ろから近づくこと、2)ジャンプして着地した直後を狙うことの2点でしょうか。自転車に乗れない弟者(小)にも採れるので、コツがいるような難易度の高い作業ではありません。後ろから指2本でイナゴの胴体の部分をつかんだら、素早く紙袋の口をあけてイナゴをつっこみましょう。ここでモタモタしていると、採ったイナゴに逃げられます。30分もすれば紙袋の中でイナゴが威勢よく飛び跳ねていることでしょう。
イナゴ採りにおける注意点を教えてください?

  1. 素早く捕まえることは重要ですが、その際あまり力を入れないでください。破裂します。

  2. イナゴの上にイナゴ(Inago on Inago)は格別仲が良いわけではなく、交尾中です。躊躇せず採ってしまいましょう。

  3. この時期のイナゴは茶灰色です。緑色のはイナゴではなく別のバッタなので採らないようにしましょう。

  4. イナゴ採り初心者の方は忘れがちですが、イナゴは飛びます。それも、意外と力強く飛びます。2次元の動きしかできない、と侮らないでください。


捕まえたイナゴをどう調理するのですか?
調理は母者の担当だったので、詳しくはしりませんが、紙袋の中のイナゴを熱湯に直接落としていました。即死です。弟者が間違えてイナゴでないバッタ(ショウリョウバッタなど)を採っていた場合、発覚するのはこの段階です。その後、甘辛く煮てカリカリな状態になったものが食卓にのります。

肝心のお味は?

エビや小魚の佃煮と味は似ています。ですから不味いワケではありません。ただし、イナゴの後ろ足部分はギザギザなトゲが一方向に出ているので、後ろ足はきちんと噛んで食べないと喉に引っかかることがあります。
イナゴ以外のバッタ、カブトムシ、クワガタやタガメは食べないのですか?
食べません!蜂の子は食べるけど・・・
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我が家の食卓においてはイナゴは当たり前な存在であった。しかし兄者が小学校の時分、クラスでイナゴを食べている家は小数だったので、長野県においてもそれほど一般的ではないのかもしれない。
母者は一度だけ、このイナゴを弁当にいれて兄者に持たせたことがある。中学の昼休み、心を躍らせながら兄者が弁当箱を開くと「弁当の真ん中にイナゴ。そして弁当箱のフタにイナゴのもげた足こびりついてる。おかずエリアにもイナゴのもげた足。」という日頃イナゴを食べている兄者をして食欲の失せる惨状であった。兄者の抗議により、弟者がイナゴ弁当を持たされることは無かったはずである。
少しだけまじめな話をすれば、兄者と弟者はこのような経験から自分たちが口にするものが野山を駆けめぐっていた命であったことを学んだ。自分が田んぼで捕まえたイナゴ、紙袋の中で威勢良く跳ねていたイナゴがおかずになっているという光景から。
そして今の子供達にも、その事実を知っておいて欲しいと思う。

Aug 9, 2008

【奇跡の弟者】 弟者とほうれん草

極めて少数の読者にだけ好評な弟者シリーズ第3弾である。"弟者とほうれん草"と聞いて「弟者がほうれん草食べられなくてね~」といったほのぼのストーリーを予想された方はこのシリーズについて理解が不足しているので、復習してから読んでほしい。
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繰り返すが我が家は3人兄弟。それぞれの間が2歳、3歳違いで年も近い。兄弟ゲンカは日常茶飯事。特に夕食前がひどかった。成人でも空腹だと正常な判断力や他人を思いやる気持ちが半減するものである。いわんや人というよりはサルに近い兄者、弟者×2をやである。今振り返って、夕食前は"奇跡の弟者"のエピソードが生まれる、まさにゴールデンタイムであった。
これは兄者が小学校4年くらいのときのある冬の日のお話である。その日、兄者と弟者(大)と弟者(小)の3人は居間で仲良く夕方のテレビアニメをみていた。母者は台所で家族6人分の夕食作りでてんてこ舞いである。ひょんな事から兄弟ケンカになった。理由は覚えていないがこの日のケンカは長引いた。兄弟ケンカには明らかに潮時というものがあり、たいていの場合、お互いに空気を読んでゲームセットとなるわけであるが、この日はそうはならなかった。空腹のせいもあったと思う。空腹はあらゆる災いの元である。
ご近所まで響きわたる兄者と弟者(大)の奇声、もれ聞こえる弟者(小)の泣き声。長引くケンカに痺れを切らして、母者が居間に仲裁にやってきた。ケンカにも様々なプロトコルがあるがそのなかで最も強制力が強いのが「母者が出てきたら即解散、強制終了、Ctrl+Alt+Dlt」である。なにせ相手は世界の警察アメリカよりも敵に回すと怖くて、おせっかいな母者である。
が、この日のケンカは終わらなかった。母者が仲裁に入ってもなお、弟者(大)は強気にでた。「仲裁など必要ない、エルサレムは我々ユダヤ人に約束された地なのだ!パレスチナ人(兄者)は出て行け、アメリカ(母者)は引っ込んでろ」と。空腹のせいもあったと思う。繰り返すが空腹はあらゆる災いの元である。
頭に血が上った母者は咄嗟に手にしていたほうれん草で弟者をたたいた。その場にいた誰もが予想していなかったことに、ゴスッという鈍い音が部屋に響き渡った。弟者は静かにその場に崩れ落ち、一瞬の沈黙の後、大声で泣きながら悶絶していた。
「(ゴスッ?ほうれん草ならバサっとかパシって音がするんじゃないのか??)」
母者が手にしていたのは今夜の食卓に乗る予定のほうれん草だった。だいぶ前に下茹でされて冷凍庫でカチカチになったものだった。本来であればハリセン程度の攻撃力しかないはずのほうれん草が、凍ってこん棒と同じくらいの攻撃力になっていた。そしてそれがいたいけな弟者の頭部めがけて手加減なしで振り下ろされである。アーメン。
号泣する弟者(大)と「ただの葉っぱのつもりだった」と必死で弟者に謝っている母者の光景が目に焼きついている。そして今でも出来の悪い推理小説を読んでいて、「凶器は氷」だの「凶器は凍らせた七面鳥」だのと見るたびにあのときのゴスッという音が蘇ってくるのである。
しかしこの年になって振り返ると、茹でたほうれん草をそのまま冷凍しておくという行為に不自然さを感じる。そのまま食べるつもりなら都度茹でればいいわけだし。ひょっとすると母者は本気だったのではないか?ほうれん草ならあるいは過失致死くらいで済むと考えたのではないか?とも思える。
ともあれ、「ほうれん草で死にかける」などこれはもう奇跡。さすがは弟者というより他ない。

Aug 3, 2008

【奇跡の弟者】 弟者(小)も交通事故にあう

数日前に書いた【奇跡の弟者】 弟者、交通事故にあう と対をなすエピソード。前の記事を読んでない方はまずそちらを一読されることをおすすめする。
我が家には弟者(おとじゃ)が2人いて、弟者(大)がバイクと正面衝突をするという事件があった。この話はその数年後。こんどの主役は弟者(小)、当時確か高校生である。
ある日、弟者(小)から「デパートの駐車場を自転車で走っていたら車にはねられた」という衝撃的な電話があった。電話をかけられるくらいなので弟者(小)の命に別状はないとはいえ、母者は現場のデパートの駐車場へと急いだ。
既に弟者(小)と「弟者(小)をはねたボケナス」と警察による現場の確認が行われていた。母者はまず弟者(小)に事情をたずねた。
弟者(小)が答える。
1. デパートの駐車場をそれほどスピード出さずに直進していた
2. と、突然弟者(小)の左側から車が現れ、避けるまもなくはねられた
3.命に別状はないが、自転車のフレームが曲がるくらい激しい衝突だった
傍らには、乗れないくらいに変形してしまった自転車がうち捨てられている。
この状況を見た母者の心境はご想像いただけると思う。
普段は心優しい母者が怒った。そしてボケナスと警察に詰め寄った。駐車場のような場所でスピードを出すのは言語同断であると。自転車に気づかないとは何事だ?ちゃんと前みていたのですか?と。
もっともな言い分である。ボケナスはぐうの音もでないようだった。みかねた警察官が間に入る。「・・・う~ん、お母さんちょっと(弟者をはねた)車もみてください。」
言われてボケナスの車を確認する。あれほど強く弟者(小)をはねとばしたにもかかわらずフロントのバンパー、ボンネットにはかすり傷一つない。横にまわってみる。運転席の扉は何らかの外からの強い衝撃によってベッコリへこんでいた。
どう見ても、車に対して弟者(小)が横から猛スピードで突入した形跡です。本当にありがとうございました。
母者は振り上げたこぶしを下ろす場所がなくてつらかったらしいが、弟者(小)を何度問い糾しても記憶が曖昧で埒があかないので仕方ない。ボケナスと警察に謝って帰宅したという。
ちなみにこの件、数年経った今も、弟者(小)は自ら車に自転車で特攻をしかけたと認めていない。真相は藪の中なのである。
一つだけ確かなのは、兄者が今後、交通事故にあうときに弟者2人を超えるおもしろエピソードに巡り会うことはないということだ。当時の母者の対応も含めて【奇跡の弟者】に相応しいエピソードのように思える。

Aug 1, 2008

【奇跡の弟者】 弟者、交通事故にあう

いまから数年前に起きた本当の話。我が家には弟者(おとじゃ)が2人いるんだが、これは弟者(大)の話。
ある日「弟者(大)がバイクにはねられた」という衝撃的なニュースが我が家に飛び込んできた。自転車に乗っていてバイクと正面衝突したらしい。家族の誰もが「弟者は大丈夫か?」ではなく「なぜ自転車がバイクと正面衝突?」と思った。
以下は弟者(大)自身の回想による。

  1. ある晴れた昼下がり、弟者はママチャリにのって見晴らしの良い、広い道路を走っていた。田舎の道路なので当然走ってるのは弟者のみである

  2. そこに正面からバイクがやってくるのが見えた。バイクも弟者の自転車に気づいたようだった

  3. 道の真ん中を堂々と走っていた弟者は、ゆっくりと左側に避けた

  4. バイクも右側(つまり弟者がよけた方)に避けた

  5. 「いかん」と思った弟者は右側に避けた

  6. バイクも左側(つまり弟者がよけた方)に避けた

  7. 「いかんいかん」と思った弟者はあせって左側に避けた

  8. バイクも、、、(以下略)


かくして何の障害物もない、見晴らしの良い道での、自転車とバイクの正面衝突という起こるはずのない事故は起きた。
弟者にとって厳しかったのは、最終的にぶつかった際に弟者が右側(つまりバイク左側)に避けた状態であったことである。言うまでもなくこの社会で車両は左側走行が原則であり、何かあればお互いが左側に避けるべきなのである。従って、この正面衝突は基本的な原則に逆らったアウトローな弟者に大いに責任があり、というわけで弟者に金銭的な補償は一切なかったという。
幸いなことに、互いにスピードはそれほど出ていなく、弟者の怪我はかすり傷程度であった。以後周囲からは「自転車でバイクに正面衝突する勇敢な男」として哀れみを買った弟者である。
そんな弟者が先月、海外へ旅立った。かの国では車は右ハンドル、車両は右側走行と聞く。兄者として、今、弟者に伝えたいのは「今度は右に避けろ」ということ。そして「体に気をつけて夢をかなえてこいよ」ということである。