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Feb 8, 2013

陰口を慎んだほうがよい理由


これといった思想も、特定の宗教を信じることもなく生きている自分ではあるが、一つだけ気をつけている事がある。それは人の陰口を言わないことである。
なんと当たり前のこと、と驚かれる向きもあるかもしれない。しかし世の中には陰口と悪口が大好きな人がいる。そして「人の陰口はよくない」と道德を全面に掲げて否定する人もいる。そのどちらもちょっと違うとおもうのだ。

まず陰口を言っても問題を解決しない。ちなみに、あなたが、誰かの行動に腹が立ったとして、それをその「誰か」がいない場所で第三者に伝えるのがここでいうところの陰口である。
陰口は「誰か」の耳に届かない。腹がたったことを直接「誰か」に伝えれば改善される可能性が1%はある。しかし陰口は「誰か」の耳に届かない。永遠に改善されない。

まれに「誰か」の耳に届くこともある。陰口が第三者を経て、たいてい尾ひれがついて、「誰か」に伝わる。これはもとの陰口の内容に加えて、人伝に聞かされるというダメージが重なり、「誰か」の気分を害するだけである。改善の見込みはゼロであるばかりか、「誰か」の信頼をなくす。

次に陰口はコストがかかる。お金がかかるという意味ではない。頭をつかうということだ。陰口を言うという行為は、時と場合と同席する人によって自分の意見を変えるのであるから、高度に知的な営みである。子どもは砂場で遊んでいる他の子に「くさーーい!」と叫ぶが、大人は居酒屋あたりで「課長、くさくない?ヒヒヒ」とささやく。大人が汚れてしまったわけではない。大人は知的なのである。だがしかし、大人には国際情勢から親戚の葬式から高血圧対策まで考えなければいけないことがある。せめて陰口をやめることによってもっと楽に生きればよいのだ。

なお、我々は聖人君子でないので腹が立つ事はある。その時は我慢すればいいのである。我慢の限界を超えたら、その時は面と向かって言ってやればよいのである。思えば小さいからこのポリシーをもっていた私は中学時代になんにでもずけずけ発言したことから「介入関与」という仰々しいアダ名を頂戴した。なんとなく「内閣参与」と響きが似てるので将来的に私もその程度までは出世するのだと思う。その後の人生においても、「毒舌な○○さん」「きっつい性格」どころか「ちゃぶ台返し○○」と言われる始末である。子鹿のはかなさとエグザイルのボーカルの頭に線がない方のスタイルを兼ね備えている私が、こんなヒドイ言われかたをされるのはひとえに「言ってまう」ポリシーのせいと思われる。そう、それ以外考えられない。うん。

話がそれた。

陰口は慎むべきである。それは道德の問題でなく、経済の問題である。陰口を捨てることで、あなたは世界が良くなるチャンスを得る。シンプルな世界を得る。もしかしたら「介入関与」というアダ名を得る。また愉しからずやである。