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Oct 2, 2016

9月の光景

8月27日から9月終わりまでの光景。


8月27日

スコットランドのエジンバラへ出張

 

ホップをふんだんに使ったIPA。苦い


 


8月28-30日

終日会議


8月31日

市内の会議場視察。時間が余ったので一人で国立スコットランド博物館へ。クローン羊ドリーの剥製を見る。


絵になるなぁ


広い

チャーミングなドリーさん。




9月3日

帰国。このあたりから体調悪いにもほどがあるレベル。来月はちゃんと健康診断しよう。



9月5日

蒲田で会合。この街の雰囲気好き。

 


9月9日

終日会議。旧知のドイツ人が世界の最前線の大事な役目を担うことになった。めでたい。


9月10日

メガネを買いに郊外のショッピングセンターへ。生活の変化を感じる。

前のは壊れた

9月13日

近くのオシャレコーヒー屋さんに初めて入ってみる。ドリップ式で、豆を選ばせてくれる。


9月18-19日

学生時代の友人の結婚パーティー出席。前日に小諸の温泉にとまって、参列する。新郎新婦の人望だろう、田舎の町に大勢の関係者が集う。壮観。





9月20日

夜中1時まで電話会議、その後3時までトラブルの対応のメール処理。感情的なもつれは難しい。


9月21日

インターネットを活用し、世界中の遠隔参加者と議論するという会議の東京会場に参加。

スリランカやバヌアツ、パプアニューギニアなどと繋がるオンライン会議室



9月23日

山口先生追悼カンファレンスに参加。かんたんなスピーチを頼まれていた。喜んで引き受けた。

原稿を作り出してはじめて、これがとんでもなく難しい作業であることに気づいた。

思いでは限りなくある。問題はそれをいかに取捨選択するかである。


山口先生なら今何を伝えようとするだろうか?その気持ちを想像しようと試みたが、結局他人がいくら慮ったところで、本人の気持ちにどれだけ寄り添っているのかわからない。確認のしようがない。

たどり着いたのは(スピーチが)故人と自分の親しさのアピールにならないように、故人という触媒を利用した自分自身の意見表明とならないことを最優先に考えるという姿勢である。結果はブログ(スピーチ)の通り。

書いては消し、また書いては消し。本当に時間がかかった。


これも死という現実を受け入れる儀式の一つであると思う。貴重な機会を頂いた。



9月26日

朝イチで八重洲で打ち合わせ。打ち合わせが長引くのがつらいと感じるほどに体調悪い。夕方秋葉原で自分が主催する交流会。終わってから羽田に直行し、シンガポール経由インドネシアのバリへ。


Made's Warung

 9月27-29日

カンファレンスで講演したり、オープニングスピーチをしたり。

ちょうど大学院秋学期の履修登録であり、遅いインターネットを使ってWeb で履修登録を済ませる。

Legianの町並み




安芸クイーンと巨峰





Sep 23, 2016

SGR2016スピーチ原稿

SGR2016というチャリティカンファレンスで山口英先生についてスピーチをさせていただいた。先生を惜しむ人が全員チャリティカンファレンスに参加できたわけではもちろんない。イベントの趣旨からも内容は参加できなかった方にも伝える必要があると思い、ブログに置いておく次第。









改めて山口先生のご冥福をお祈りします。

Aug 28, 2016

8月の光景

諸事情により8月1日ー26日までを「8月の光景」として本エントリにまとめた。

まとめると禁煙と論文を書くことだけは頑張った。

8月1日
トランプの指名受諾演説をよむ。選挙についてはあえて何もいうまい。サイバーセキュリティを生業とする立場からは、大統領選を通じてクリントンの私用メール問題が争点として尾を引いていることは注目に値する。
夜、品川で飲み会。2018年春のイベント開催に向けた打ち合わせ。随分先だ。

8月2日
虎ノ門にあるエクセルシオールカフェは霞が関での会議の前後の時間調整に重宝する場所である。朝早くにそのエクセルシオールカフェを訪れたら、知り合い2人が打ち合わせをしていた。
終日会議。 結果はこちら

8月3日
午後GSECへ。

8月4日
昼、寄稿したIPA情報セキュリティ白書に関わったメンツでお昼ごはんという珍しいイベント。この白書は、編集者が優秀で、全体的なクオリティ高いのでお勧めである。
夕方、虎ノ門にあるエクセルシオールカフェで今度は指導教官の先生と打ち合わせ。

8月5日
午後からCISSPという情報セキュリティ資格の有資格者の集まりに顔をだす。資格の裾野が広がっている。新顔の人ともっとお話できればよかったと帰宅してからちょっと反省。


8月9日
朝起きたら妻が体調悪そう。子供をひきとってしばらく休ませる。会社遅刻。
以前から御世話になっていた取引先の方が、起業されることになった。しかもその業務がわりと近い分野ということで、その方と同僚とでお昼ごはんに。

8月10日
イヤフォンがまた断線。消耗品と割り切れないのでやるせない。
もっとひどいのはBOSEのノイズキャンセリングヘッドホンである。QC3,QC15と使っているが、耳に当たる部分などが機械より先に「へたる」。そして部品の交換ができないというね。。。
8月11日
国際団体の理事会で、来年度そして再来年度の仕事の分担の議論はじまる。大学院もあり、私生活も忙しくなる中どこまでを引き受けるかはよくよく考えないといかん。
夜、近所にお好み焼きを食べに行く

8月12日
午後会社を早退。久しぶりに妻外出のため、家で子供を寝かしつける。

8月13日
朝5時半に自宅発。実家に向かう。到着後すぐに墓参し迎え盆。13時半過ぎ盆の法要。親族が大勢集まって賑やかな祖母の新盆だった。ひ孫も沢山集まって祖母もきっと喜んでいるだろう。

つい先日生まれた甥っ子にも初めて会う。小さいが元気である。

8月14日
真田丸フィーバーに湧く上田市を満喫すべく市の文化施設で開催されている真田丸特別展を見に行く。蟄居中であった昌幸、信繁が金品を送ってくれた支援者にたいして送って礼状などおもしろかった。

夜東京に戻る。 



8月16日
定例となる深夜の電話会議。今回は夜中の1時まで。その後3時位まで寝付けず。

8月17日
近くにタルトが美味しいケーキ屋を開拓。今の会社につとめてちょうど10年になるが、今まで足元と行ってもいい場所にあるこのケーキ屋を知らずにきた。つねにどこかに新たな発見があるという謙虚な気持ちを私生活でも仕事でももちづづけたいものである。
なおこのケーキ屋はバイトのお姉さんもかわいい。 

 
中国出張中に自宅に送った絵葉書が到着。5月中旬に投函したので約3ヶ月。これは届いたからまだいいほうで、過去にベルギー、モーリシャス、タイから送った絵葉書は完全にどこかに消えた。一瞬で届くインターネットは素晴らしいな。

8月18日
ワシントンDC出張で行きあった人などの縁で品川にある会社を訪問。元上司にも久しぶりにあう。素晴らしく綺麗なオフィスで昼食をごちそうになる。 
帰社する際にスコールと鉢合わせる。東京は熱帯気候の自覚をもったほうがいいとおもう。
デモ機を並べるのはいいんだが、OSの更新求める(左)、なんかアップデート中(中)、WIFIつながってない(右)と悪い意味のデモンストレーション。


8月19日
山口先生の功績についてメディアの取材うける。来月のSGR2016の準備も順調にすすんでいるようである(伝聞)。僕もなにか喋る機会があるようである(希望)。

8月21日
ある『文民警察官の死』を見る。

1993年5月4日。タイ国境に近いカンボジア北西部アンピルで、UNTACに文民として初めて参加していた日本人警察官5人が、ポルポト派とみられる武装ゲリラに襲撃された。岡山県警警視、高田晴行さん(当時警部補・33歳)が殺害され、4人が重軽傷を負った。湾岸戦争以来、日本の悲願であった人的な国際貢献の場で起きた惨劇は検証されることなく、23年の月日が流れた。しかし、今、当時の隊員たちが重い口を開き始めている

硬直的な日本の制度が自衛隊の派遣を許さなかったのは仕方ない。しかしその結果警察官の人命を危険にさらすことは許されるのだろうか。アンピルという危険地域に派遣された、亡くなられた高田さんの同僚の警察官が、現地で非常に安く手に入る小銃を買って、いざというときに備えていたという告白が衝撃的だった。それを「ルール違反」として咎めることは難しい。

8月22日
香港から友人が来るのに合わせて飲み会を開く。東京近辺にすみ、セキュリティ業界で働く、外国人コミュニティというのを緩やかに作ることを目的として、これを毎月開催することにした。
英語堪能だったり、コミュ力が高い同僚がいるので、僕の仕事は案内メールおくるだけ。
台風のため山手線が止まるとか、危なっかしい状況下で人が沢山来てくれたのがありがたい。

8月24日
今年の後半に行くサウジアラビア出張だが、手続きが今まで訪れた色々な国と比べても格段にややこしい。幸い会社の管理部門の人は手馴れているので問題にはならないだろうが。
サウジアラビア国内でVPNを使うと逮捕されるという報道もある。

8月26日
引き続き図書館で調べ物。

たまたま書架に並んでいた「海底線百年の歩み」という日本電信電話公社海底線敷設事務所が編んだ本を読む。上海事変で便衣兵に襲撃された電信局舎の修繕の様子や、太平洋戦争末期に次々に沈められた ケーブル敷設船の記載など。読んでいて涙が止まらなくなる
 現在のNTT-WEマリンという会社が長崎に関連する史料館を持っているらしい。長崎に行く機会があれば是非立ち寄りたい。

夜録画していたバケモノの子を鑑賞。おもしろい。

最近よくいく一橋大の図書館
素敵なマンホール
奇妙なうごきをするアルパカ

Aug 10, 2016

7月の光景


今更であるが、スノーデン事件の発端となったジャーナリストによる映画シチズンフォーを見た。
最大の見どころは、安定した待遇を捨て、香港のホテルで物音におびえる生活をするスノーデンをカメラに捉えているところにある。
寝癖を直すスノーデン、ひげを剃るスノーデン、テレビに繰り返し流される自分自身を冷えた目線で眺めるスノーデン、恋人とチャットして涙ぐむスノーデン。 
僕には常識と正しい倫理観を持ち合わせた普通の人物に見えた。

さて7月の光景をば。。。

7月1日 (金)
ダッカで邦人7名がテロリストに殺されるというニュースが飛び込む。痛ましい事件である。ダッカで予定していた会議について会場変更するのかなどをメールで相談する。事件が起きたのは安全なエリアにあるオシャレなカフェ。ここでおそわれるならどこで食事をすればいいというのか。

7月2日 (土)
東京都議会選挙期日前投票。その後美味しい中華ランチ。 
麦茶の季節はじまる

7月5日 (火)
環境保護団体に攻め込まれる日本の企業と前職の先輩との打ち合わせをアレンジ。サイバーセキュリティも象牙も自らの事情を国際的に説明する努力を怠ってはならない。

7月8日 (金) 
有給をとって、実家へ帰省。
地元の焼きそばの名店。こうやってテークアウトできるとはしらなかった

7月9日 (土) 
人見知り激しく号泣する娘。夜縁側にバーベキューセットを出して、焼き鳥パーティー的な催し。

7月11日 (月)
イギリスから短期留学中の研究者とビールを飲みにいく。昨年まで修士をしていた後輩があとから加わる。

7月12日 (火)
アメリカ大使館で観光・商用のマルチビザの手続きに行く。時間5分前にいったのだが、前に400人以上の先客がいてびっくりする。これから留学する学生さんが多かったように思う。大使館は荷物持ち込みルールが厳しい。



7月13日 (水)
アフリカでもらった賞について会社のWebサイトにリリースが掲載される
http://www.jpcert.or.jp/english/pub/2016/PR20160617_africacert-award.html


7月15日 (金)
久しぶりに仕事で武蔵小杉に。駅の周辺が変わりすぎて迷子になりそう。懇親会で使った中華屋が美味だった

7月16日 (土)
車がリコール対象というお知らせが数ヶ月前にきていた。運転席エアバッグに不具合があるらしい。この日修理作業をしに行く。作業を店舗で待つ間に本を一冊読了。

7月17日 (日)
都知事選期日前投票に行く。毎回そうだけれど、今回は本当に誰に投票するか迷わされる選挙だった。
図書館でプトレマイオス世界図の展示というのをやっていたので見に行く。「驚くほど精確」というわけではない。
地中海と北アフリカ近辺
7月18日 (月)
学生時代の友人とその奥さんが遊びに来る。オシャレな羊羹もらった。

7月19日
弟の家に赤ちゃん誕生し、甥っ子が増える。

7月21日 (木)
2日連続で朝7時台の電話会議。

7月22日 (金)
産休中の同僚が娘をつれて会社に遊びに。丸々してて元気な赤ちゃん。

ポケモンGo配信開始。イーブイの名前をSparkyにしてから進化させると必ずシャワーズになるんだとか。

7月23日(土)
研究。とりあえず書きかけのファイルを毎日開く。

7月24日 (日)
久しぶりに成田エクスプレスを使って空港へ。現地時間13時頃米国着。ディナーを一緒に食べる予定だった取引先に電話したら、「今、パリ。8月の24日だと思ってた」と言われる。メールを見返したら自分が8月24日に誘ってた。残念。

7月25日 (月)
午前会議、ランチはフォー、午後ホテルで打ち合わせと仕事、夜中華料理屋で会食
アメリカではタバコを吸える場所が少ない。この出張は団体行動が多く、タバコを吸える時間があるかもよくわからない。ということで禁煙することにした。



7月26日 (火)
終日会議。夜久しぶりに会う人とご飯。
7月27日 (水)
終日会議。夜会食。場所は先方に任せ、言われるままについて行ったら、まさかの2日連続同じレストランだった。

7月28日 (木)
帰国の途へ。帰りもスターウォーズジェットだった!マイルを使ってアップグレードできたことも含め、今回は飛行機運が大変よい
満席につきヨーダはギャレーに


7月29日 (金)
14:30成田着。月島での業界団体会合へ直行。長旅の疲れを銭湯で洗い流す。

7月30日 (土)
終日ぐったり、ぼんやり。

7月31日 (日)
近所の図書館で2時間勉強、帰宅してから2時間仕事。携帯を落としたら打ち所が悪く、液晶に無数のヒビはいる。
何をやってもうまくいかない日というのはある。



Jul 3, 2016

6月の光景


6月1日 ボツワナで仕事の続き。同僚とメインの講師を受け持つ2日間の初日。滑り出し上々。ボツワナ人は勤勉である。夜はいつもの電話会議。翌々週の韓国のイベントもいろいろ細かいことを相談しないといけない。 
 
6月2日 6月のボツワナは朝晩がキリッと冷えて、過ごしやすい。 長野を髣髴とさせる。
仕事を無事終えて、夜は現地のスタッフや海外からのゲストとディナーに。19時集合ということだったが、人が集まりだしたのは20時くらい。結局寝れたのは24時過ぎ。
6月3日 5日間の研修が無事終了。夜21時から閉会式。馴染みのメンツが、300人くらいの参加者の前で、AfricaCERTの歴史を語り出した。そして「Suguru Yamaguchi」がいなければこの成功はなかったと。その功績をたたえてAfricaCERT功労賞が山口先生に授与された。代理人としてうけとり、必ず山口先生の親族にお渡しすると約束。その後驚いたことに、僕自身とJPCERTにも功労賞が贈られた。思いがけないことだが、その気持が嬉しかった。参考: 「山口先生へ」

6月4日 帰国の日。朝食を旧知の友人と一緒に食べてお世話になった件のお礼をする。9時前にチエックアウト。空港で時間が大分余ったのでローカルチェスをやっているおじさんたちに交じる。

6月8日 インターロップで講演。資料は講師控室でギリギリまで調整する。海浜幕張は遠いねぇ。

6月9日 ソウル出張へ。今回は出張期間がながいこと、僕が理事をやっている団体の活動を妻にも理解してもらいたいということで、妻と子供を連れて行くことにした。朝7時にクルマで自宅を出て羽田空港へ。初めての海外で心配していたが、機内でも娘はわりといい子にしていたらしい。夜、ホテル最上階でステーキ。ゴージャス。 
6月10日 終日会議。昼ごはんはホテルの部屋で待っている家族と近所のモールで食べる。夕方会議が終わってから、いつもなら他の理事と飲みに行くところだが、辞退し家族で散歩してから夕食。サムゲタンはいまいち。ホテルの近くにいい公園があった。
6月11日 終日会議。会議後に翌週の「山口英先生のお別れ会」用ビデオメッセージを撮影する。話していると色々思い出してしまい、言葉につまって、何度かNG出す。理事全員快く協力してくれて感謝。
6月12日 主催するカンファレンスの参加者が続々とソウルに集まっていて、ホテル内をあるけば必ず知り合いに声かけられる状態。翌日の開会式で話す内容の打ち合わせや、スポンサー企業の読み方など確認。夜ウェルカムイベント。懐かしい人達にあえるのはこのイベントのいいところである。

夕食をたべそこなう。
6月13日 カンファレンス初日。5時起きで、ゲストの座席、音響などの最終チェック。9時前に韓国の大臣と初日の基調講演者である大学教授をお出迎え。しばし裏の控室で大臣、教授と歓談した。カンファレンスは定刻通りに始まった。70カ国から670人の参加者を前に主催者の一人として歓迎の言葉をのべる。英語きつい。開会式後に韓国のプレス(30名ほど)のために記者会見。その後に途上国からの参加者との懇談など15分刻みスケジュール。夜はカンファレンススポンサーや現地協力組織、基調講演者などとディナー。娘も参加。キルナム先生といろいろ話す。 
  
6月14日 この週は毎朝、プログラムの開始に先立って色々とアナウンスをする仕事があり、朝寝坊は許されない。朝の挨拶の後に日本の新聞社の取材サポートをする。昼ごろ、部屋にもどって妻のチェックアウトを手伝い、空港へのタクシーに乗せる。父業はこれにて終了である。
午後、アフリカで行うイベントの相談。夜、ホテルから歩いて有志が主催するサッカー大会を見に行く。
6月15日 この週もっとも忙しい日。朝食・昼食含めて全部会議。自社の若手が初めての海外での発表を無事終える。すばらしい。夕方ソウル郊外の競馬場に場所をうつして、カンファレンス参加者で晩餐会。晩餐会の準備についてはこの1年間結構いろいろ悩みぬいただけに、多くの人が楽しんでくれているのを見ながら、とても満たされた気持ちになる。
数名の知人からこの日東京で行われていた山口先生お別れ会の様子をメールなどで教えてもらう。アフリカでの活躍については僕が伝える責任があると思って色々手配したので、参加された皆さんに山口先生はアフリカ「でも」偉大だったということが伝わったのならうれしい。
6月16日 理事をやっているが、その任期は2年。この日の総会で選挙にのぞむ。無事当選。あと2年、組織の国際化に貢献していきたい。これまで一緒にやってきた仲間のうち2人が落選する。選挙の怖さ、いやらしさ、つらさはその経験がない人に説明しにくいが、嫌なものである。
6月17日 お昼前にカンファレンスの閉会式。カンファレンス担当理事のお仕事もほぼ終了である。お昼ごはんを同じ会社の若手と食べる。みんなソウルにいるのだが、座って話したのはこれが唯一。発表を経験した若手2人はそれぞれに達成感と課題を感じていて、期待したい。夕方東京行きの飛行機に乗り、自宅に着いたのは日付が変わって1時過ぎ。 
プエルトリコでまた会いましょう
6月18日 昼ごろ散歩に出て、家の近所で道に迷う。社会復帰しないと・・・
6月19日 日本に一時帰国している友人夫妻とその赤ちゃんとお昼ごはん。対して月齢変わらない友人の赤ちゃんが大きくてがっしりしててびっくりした。夜、一時帰国している義父を囲んでご飯。久しぶりの寿司美味い!
6月20日 ベトナムからの研修生との会議。夜懇親会
6月22日 朝電話会議。午後会議で久しぶりに武蔵小杉に行く。夜懇親会で行った中華料理がとてもおいしかった
6月23日 休暇をとって、丸一日子供の御世話をする。わかっていたけど、重労働である。
6月24日 事務局を務める協議会の年次総会。もはや僕が何もしなくても同僚が全てキビキビ回してくれている。頼もしい
6月28日 霞が関は人事異動の季節で、いろいろとあわただしい。夜八重洲でインターロップで御世話になった皆さんと打ち上げ。

Jun 7, 2016

5月の光景


僕が普段使っている腕時計は、使っていないと2日位で時を刻む事を放棄する。
今月は海外に出張したが、腕時計は家に置いていった。
2週間の出張から戻って、きっちり2週間分遅れた時計の針をもとに戻すには竜頭を根気よく回さないといけない。
竜頭を回しつつ、家族に自分が不在であったときの出来事を聞く。
大した事件はなくとも、色々とつもる話はあるものである。時計の針がもとに戻っても、話は尽きなかった。

アナログな腕時計の良さを再確認した。


5月3日 月1の電話会議で検討しきれなかった議題を話すための深夜の電話会議。課題はあるが前進している手応えがあるので嬉しい。ゴールデンウィークは電話会議と、決断を迫られらるメールが多くてなかなか気が抜けなかった。 
5月4日 午後集中して研究。
5月5日 ステーキ系の肉が食べたいと妻が言いだし、ファミレスで外食。久しぶりだがうまかった。
5月6日 久しぶりに気の置けない友人と二人だけで飲みに行く。地タコ浜蒸しうまい。リフレッシュ。三田にはまだまだいい店ありそう。
5月8日 ホームセンターに苗や種を買いに行く。ついでに肥料。夜寝ようと思ったところにY先生が病院に担ぎ込まれたという連絡。あわただしくなる。
5月9日 昼過ぎにY先生永眠との連絡。しばしボーっとする。深夜まで色々とメール処理。この日から数日ありえない量のメールを裁く。
5月11日 朝、家族のパスポート発行の手続きをするため役所へ。午後奈良へ。夕方にお通夜。奈良は雨だった。ほぼ一番乗りであった。人気のない斎場で顔を見てお礼を言えたのはなにより。奈良近郊のホテル泊。
この日の夜自分が企画していた集いがあったがあえなく不参加。
5月12日 奈良から出社。この日の奈良は雲一つない快晴。その青い空の下にはもうY先生がどこにもいないと思うと急に泣けてくる。午後会社で仕事。
5月13日 韓国で主催する国際会議には各国から参加者が予定されているが、中国とアフリカからの参加者に対して韓国政府がなかなかビザを発行してくれない。韓国の関係者に色々とお願いする。お願いぐらいしかできないねぇ。
5月14日 大学院セミナーがあるが欠席。家で留守番をする。夜たまたまテレビで「サイバー戦争の世紀」ってのをやってた。
5月17日 朝と夜に電話会議。
5月18日 今季一番大きな仕事の打ち合わせ。あきらかに細部を詰め切れてない。でも発車するしかな
い。見切り発車オーライ。なんとかなるでしょ。
5月19日 霞が関の普段つきあいのない人たちにサイバーセキュリティについて説明する。
5月21日 朝からお出かけ。カフェで朝食の後、新緑の玉川上水を散歩 
5月23日 中国の成都へ。パンダの故郷だそうです。空港からホテルまでで一悶着。違うホテルに連れてかれる。アフリカと思えば容易いものである。
5月24日 中国の国際会議に出席。短いプレゼンテーションをする。休み時間にメールでちょっとこじれていた件の当人と話すことができた。直接話せば向こうの言い分ももっともで、前向きな議論ができた。向き合って話すって大事ね。
5月25日 1日聞き仕事。昼間、割と神経を使う仕事。
夜、知人の中国人が成都名物の火鍋につれていってくれた。鍋には肉だけでなく、麺や餃子、わかめ、イカ、かまぼこまで入れる。辛いけど美味しい。瓶から直接のむビールも趣があっていい。大変気に入った。
5月26日 朝一で講演、今度は長めの講演。僕らが進めているプロジェクトに協力して欲しいという呼びかけ。中国語堪能な日本の若者に全面協力してもらって講演の最初は中国語で自己紹介、果敢につかみの笑いをとりにいく。「うける」というよりはみんなたどたどしい日本語をニヤニヤして聞いてくれていた。午後タイへ移動。タイ暑い。
5月27日 タイでお仕事。だんだんバンコクの鉄道システムになれてきた。アソークの繁華街にいい感じのバーを見つけた。
5月29日 夜空港で同僚と合流、アフリカのボツワナに向けて出発。
5月30日 15時頃ボツワナの首都ハボローネに到着。治安はとてもよい。17時ごろホテル会議室で各国から集った同僚と合流する。直前にいろいろなトラブルがあったようで、本来2人で回すはずの教室に講師が1人しかいない。さっそくお手伝いに回る。時差調整には仕事するのが一番か?ホテルのご飯はかなり美味しい。 
 
5月31日 予定では聞き仕事の日だったのだが、やはり想定外のトラブルばかりで講師の一人として自分で言うのもなんだが活躍する。初アフリカの同僚はおもったよりも環境の変化に面食らっていないようで頼もしい。自宅に絵葉書を送る。届くのかな?