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Oct 4, 2015

9月の光景


大学院は秋学期に突入しました。。。
ドナドナ自転車

9/4 ダブリンから帰国 
 
9/5 妻の検診に付き添い。この週くらいから深夜1時からの電話会議が週1では済まなくなり生活が逆転しだす。
9/10 アメリカの取引先と日本の方と夕食。浅草でひつまぶし
9/11 お客さんをたくさん招いて仕事。淡々としかしきっちりと準備をしてくれる同僚のおかげでとてもよい仕事ができたのではないかと思う。
9/14 いつも見ているプロフェッショナル仕事の流儀になんと元同僚の名和さんが登場。かっこよかった。 
9/17 休暇をとって長野へ日帰り。卒業した高校の一年生向けに90分の講義をする。(自分の高校時代を思えば贅沢はいえないが)高校生は子供から大人への変化のまっただ中にいて、大人として接するのは得策出なかったのかなぁ。質問の無さに大いに自身を失った。 
しかも雨だったのよね
9/20 割りと突然決まったインドネシアのバリへの出張。インドネシアの大学生は勢いがあった。シルバーウィークということで空港や飛行機が行楽ムードにつつまれていた。 
取引先にもらった民族衣装(バティック)
9/25 金曜は朝から仕事、夜9時過ぎの飛行機でガーナへ飛び立つ。


ガーナ大学内の塔。ここがアクラ市で一番の高台だそうだ



ガーナについてはまた10月の光景を書くときに振り返ってみたいとおもう

Sep 5, 2015

8月の光景


毎週のように深夜の電話会議をしていた。自分の英語力が足りないせいで、相手にとってぶっきらぼうに聞こえたりすることもしょっちゅうあるんだろうな。
TOEICが公開してたこの言い回し講座はなにげに参考になることがおおかった。

年金機構の情報流出事故の報告書が機構、厚労省、関係機関からほぼ同時に公表され、本件は一段落した。
今回まじめに参考人質問の中継を聞いていて発見したのは「国会議員が追求するのは対応の遅れのみ」であるということだ。
与党も野党も、従前の技術的な対策が充分であったか、セキュリティポリシーはきちんと遵守されていたかなどについて追求しない。理由はおそらく質問時間が非常に限られていること、そして追求する側の国会議員に技術的な理解が不足しているからである。結果、質問は繰り返し、「X日に発覚し、厚労省に報告するのにY日もかかった。その間Z日にはZ委員会があったにもかかわらずそこでも事故の報告がなかった。年金機構の対応の遅れが甚だしい。」という一点のみに集中する。
今後も同様の事件は残念ながら起きる。迅速な対応は何にも代えがたい、そのためなら多少の不正確さは許容されるということを肝に銘じた。


8月1日 勝沼へ。図らずも温泉にも立ち寄れてとてもリフレッシュ。

8月6日 先生と打ち合わせ
とにかく早く書く、締め切りの早い学会誌に投稿する。毎日ファイルをあける。一文字づつでも書く
8月7日 深夜の電話会議。来年夏まで隔週で続きます。 
8月某日 林家正蔵が絶賛していたツールー麺という冷やしラーメンをランチにいただく。うまい。

8月14日 久しぶりに武蔵小山で学生時代の友達と 


8月20日 夜お腹に手をあてているとポコっとたしかな感触が伝わってくる。生命が宿っていることを体で感じて、感動した。母子ともに今後も元気であることを祈る。 
8月22日 不動産会社と打ち合わせ。毎回待ち合わせ時間に遅刻してくるのはどうにかならんものか? 
8月24日 取引先を日本に招いて会議。地道な交流は続けることに価値がある。ランチ、夕食と取引先ととった。会議のアレンジをしてくれた同僚に感謝。

8月30日 ダブリンへ。とにかく寒い。フリース持ってくればよかった。


Aug 17, 2015

送信済みトレイは語る

前にも書いた気がするが、僕にとって仕事の忙しさをあらわす指標として送信メールの数を頼りにしている。メールを送信するという行為は考えないといけないものが多く、その回数が増えると脳みそが「忙しい」と感じるのだと思っている。逆に読む行為はわりと反射神経でも処理できる。
(他の指標、例えば出張日数や残業時間や受信したメール数なんかも試してみたが、どうも自分の中にある忙しさのバロメーターとはかけ離れている。)

実は先月・今月とかなり精神的にも肉体的にもきつく、送信メールの数も増えているだろうと見込んで久しぶりにグラフを更新してみた。こんなかんじだ。(縦軸は伏せた。)

月別メール送信数 Aug 2008 - July 2015

薄灰色が仕事で送ったメール。2014年4月からはオレンジで表した大学院関連 、2014年6月からは青で表した国際NPOの理事仕事でそれぞれメールを送ることが増えている。

こうやって振り返ってみると、
・会社の仕事はゆるやかに減少させることに成功しつつある
・NPOには、思っていたよりも時間と精神力を注いでいることがわかる
・トータルのメール数は昔とくらべて大差ないこともわかった。体力的に2013年をピークに仕事をさばく能力が落ちているのかもしれないし、今の3つの仕事/研究の掛け持ちが負担なのかもしれない。

先月つらかった理由はNPOだったんだなと再確認した次第。時には送信済みトレイをゆっくり眺めるのお勧めですよ。



Aug 8, 2015

7月の光景

暑い。やっぱ来年からはちゃんと夏に夏休みをとろうとおもった。


7/2 某大学校へ講義にいく。よいディスカッションができてよかった。後日丁寧なアルバムが届いて感動。

7/3 妻の誕生日のお祝い
プラチナポークのグリル。添えてあるミル貝ときゅうりの取り合わせがすばらしい。夏らしい逸品

7/8 社会人になってまで博士号をとろうとする奇特な学生時代の友達と中野へ飲みにいく。年金機構はよくもわるくもセキュリティへの関心を高めたことを再確認 

7/11 ストレス解消に区民プールへ泳ぎにいく。 この時期やはり走るより泳ぐほうが気持ちいい。高校の先輩でもあるTessyさんの紹介で、母校の1年生向けに話をすることになる。

7/15 藤沢へ。発表後に修士の学生さんと飲みにいって、アドバイスしてもらう。 
緑がまぶしい

7/21 恒例の朝の電話会議をおえて、出社し、午後は大國魂神社へ戌の日参りにいく。その後義母、義姉と食事して帰宅。寝る前に夜の電話会議。今月深夜早朝の電話会議が多くて大変だった。
府中駅からこんなに近いとはおもわなんだ。

7/22 久しぶりのわりとフォーマルな会議。成果が見えにくい。

7/23 前の会社の同僚と渋谷で飲む。ほぼ10年ぶりにあう人もいた。基本的に人は年をとると太るんだな。

7/25 丸の内で食事会

7/26 前の週の引っ越し探しの続き。納得できる条件の物件がみつかったので前にすすめることにする。
帰宅後に論文を書いたりしてやっぱり煮詰まる。プールで500mだけ泳ぐ。この時期の区民プールは中学生がおおい。
7/28 健康診断でげっそりしたあとに、インターネットガバナンスに関する会議に参加。インターネットセキュリティに関する基本的な考え方、つまりセキュリティ対策はイノベーションや情報の円滑な共有によって生活を良くするための手段であり、決してゴールではないということを文章にしようというプロジェクトが動いていて、これに参加させてもらっている。



祖母にもらう

大手町でみつけた小さなカマキリ

Jul 5, 2015

6月の光景

最近妙に涙もろくなってきた。年もあるのかもしれないけど。
6/4 来日中のインドネシアの取引先と新宿でご飯

6/5 IGCJ(http://igcj.jp/news/2015/0528.html)で講演。インターネットガバナンスってのは、技術サイドには抽象度が高いし、あまりおもしろくない。政策サイドには緊急度が低く、そして難しい。そして日本のコミュニティには英語という高い壁がそびえたつ。でも新しい顔ぶれをこの分野に送り込み続けないと(今はいいけど)20年後がまずい。

6/7 友人が写真展をするということで新宿御苑のギャラリーへ。その名も "Fine Little Day" .
ヨーロッパの空気。

6/8 横須賀へお出かけ。忘れ物しまくり。学生とのディスカッションはおもしろい。

6/9 ドイツへ。15分刻みのスケジュールで疲れた。朝ごはんを食べながらご飯とかね疲れるよね。議論することの難しさを改めて感じた。仕事は難しいけど、いい勉強だ。

6/21 帰国 
6/24 ポン酢の味が恋しくなって新宿のふぐチェーン店へ。焼きふぐ美味いです。ちなみに焼きふぐという料理は30歳を超えて初めて知った。

6/27 祖母の調子が悪く見舞うため帰省 
TOKYO 2020への準備着々(だといいね)

早稲田通りが水没

この網棚から出る突起はなんだ?

参加者は約800名
今年もステッカーが蔓延しました



ホテルにほぼ篭もりっきり。


焼きふぐ

Jun 22, 2015

5月の光景

おくれてやってきた5月の光景。

GWは実家で集中して論文書く。進捗は・・・うーむ。
  • 5/10 いわゆるスーパー温泉へ。フナッシーのパーカーの色目が鮮やか。
  • 5/12 フィリピンへ出張。ボラカイは遠い。というか交通がよめない。フィリピン航空はまったくあてにならない。
  • 5/18 来日した元同僚とごはん。
  • 5/22 奈良へ日帰り
  • 5/25 本来なら毎年アフリカに出張する予定だった週。 今年は開催地がチュニジアの首都チュニスであった。4月におこった悲しい事件の余波もあり、出張を早くから断念。代わりにビデオレターを作っておくる。
  • 5/26 同僚の歓送迎会


母校建替えにつき仮設校舎が建設中

たけのこの季節

すさまじいホスピタリティでした。


ボラカイの日暮れ

久しぶりの池袋、初めての居酒屋

May 2, 2015

4月の光景



4/4 身内の不幸。前から良くないのは知っていた。急遽親戚宅を訪れる。翌週の告別式に仕事で参加できないのは申し訳ない。

4/8 大学院で先生に指導してもらう。学生証には一応博士課程2年と書いてあるけど、進級の観念はない。昨年よりもっと頑張って成果を出していかないといけない。

大学院生棟がレイアウト変更で超おしゃれに。見頃の桜と相まって素晴らしい眺め。

帰宅後に誕生日を祝ってもらう。

4/9 新橋の居酒屋。お酒も料理もすばらしかったの一言。お値段も手頃。




4/13 オランダのデン・ハーグへ

こじんまりと上品なホテル

新旧交じり合うハーグ市内

4/18 フランクフルトから韓国への飛行機にのろうとゲートにチケットをかざしたら、ゲートがあかず小さな紙切れが吐き出されてきた。”New Seat - Business Class”。こんなドラマチックなアップグレードは人生初。ついてる。

ソウルでお仕事。


初めて本格的なプルコギをいただく
 
4/30
イチゴが底値でうれしいな。



Apr 2, 2015

3月の光景

アフリカ人の取引先から面白い話を聞いた。無私の精神を持つ素晴らしい政治家の話である。

アフリカ諸国は人工衛星を持っていない。それでも衛星を通じた通信は必要であり、諸国は毎年5億ドルの衛星使用料をヨーロッパの会社に支払っていた。これを先進国による後進国からの搾取と看破したあるアフリカの政治家がいる。

彼はアフリカ人によるアフリカ人のためのアフリカの人工衛星が必要だと訴えた。長期的な支出を抑えらるし、なによりも科学技術人材を育てるには自前でやるしかないと。
膨大な資金を調達するため彼はまず先進国の支援機関や世界銀行と交渉を重ねた。誰も面と向かってアフリカの人工衛星のアイデアを否定しないが、交渉はずるずると長引いた。衛星使用料が減ることを先進国が嫌ったのかもしれない。

そこで彼はアフリカ各国が自ら資金を拠出し衛星を打ち上げようとした。さしあたって4億ドルの大金が必要だった。衛星の必要性を認めつつも、資金を出すことを渋るアフリカの大国を前に、彼は自分の国がコストの大半をカバーすると言い切った。結果彼の国が3億ドル、南アフリカ共和国が9000万ドル、ナイジェリアが1000万ドルを拠出し、RASCOMという国際企業をたちあげ、新たな衛星を打ち上げることにした。本拠地はコートジボアールのアビジャンにおかれた。(アビジャンは個人的に苦い思い出残る土地である。)

RASCOMが試験的な打ち上げに成功し、いよいよこれからというところである政治家は政変により失脚し、「アフリカの人工衛星」の夢は頓挫した。
政治家の名前はムアンマル・アル=カッザーフィー。日本では残虐な独裁者カダフィ大佐として知られている男である。
カダフィはまたリビヤの若者が海外の大学などで学ぶ際の費用を政府が全額負担する仕組みをつくりあげた。若者達はその制度を利用し、留学し、そして皮肉なことにカダフィの独裁を批判するグループの中心人物となっていった。

全て人づての話である。細かいところは記憶違いもあるかもしれない。しかしいずれにせよ、カダフィの功績を評価する人が一定数いるということに私は驚いた。
カダフィに関して180度異なる見方があるように、この世には唯一の正義も純粋な悪人もいない。
世界から争いを減らすためには正義と悪という二項対立にとらわれない我慢強さ、そして「正義のため」という美名のもとに行われるあれこれを疑ってかかる謙虚さが必要だ。

チョー意識高い系である私は、人生の早い段階で、そのことをガンダムにおける連邦とジオンの対立から学び、そして今回の件で確信を強めたのである。

ガンダムもまた偉大である。

さて3月の写真を数枚。


2年ぶりのヤンゴン、ミャンマー。景気がよくて、街中建設ラッシュ

お昼休みに皇居で

川面を覆う桜の花びら。ドブ川にも春は等しく訪れる。

Mar 7, 2015

2月の光景

2月あたまはイギリスにいた。ネイティブの議論に食い込むのは難しい。
実はわたしは「NO」と言える日本という本に大いに感化された人間である。1989年に刊行された石原慎太郎と盛田昭夫によるこの本は、対欧米追従をやめNoと言える日本人になることを訴えている。

この本に影響され、勉強し、最近では相手が言っていることを理解できるようになった。Noと断言できるくらいのコミュニケーション能力は身につけた。


そして気づいた、僕らはもはや「Noといわない日本人」を目指していかないといけないんだと。理由はたくさんあるけどここでは2つだけ。


1、交渉の中でNoと言うのは非生産的
英語を母国語とする人たちは、驚くほどNoと言わない。振り返ってみれば、日本の会社の中でも会議で「いいえ、実現可能性はありません」「いいえ、XXという決まりがあるのでできません」「いや、賛成しません」とはあまり言わない。
交渉というのはお互いに妥協できるギリギリを探る作業であり、共通の価値観や共通の利益をどこかに見出す作業である。あいつの提案には賛成できないと思ってもNoと言うより、Yesといえる一部分を探し、その上でこちらに有利な提案をかぶせていかないといけない。

2、もはやNoと言える立場にない
GDPが世界2位の経済大国の時代、Japan as Number Oneの時代には外国が良きにつけ悪しきにつけ日本を特別扱いしてくれていた。残念ながら日本経済、ひいては国際社会における立ち位置というのは徐々に弱まりつつある。
大国であれば提案に対してNoと言えば、交渉相手が代案をもってくるのかもしれない。日本に対するそういう特別扱いは体感的に減っているし、これからもっと減るだろう

だから僕はNoと言わない日本人、しつこい交渉をする日本人になれたらよいと思う。
でもそれは結構難しいのだ。Noと言わないように相手の意見に反対するのは、発言の流れを読み、自分の妥協できる点を意識し、相手の真の狙いを知らずにはできない。

麻雀の世界では風牌(東南西北ってかいてあるやつ)は使い道が限定されていて、これを早めに捨てるのがセオリーだ。ところがこの世界の達人(雀鬼桜井氏)は弟子に一巡目に風牌をきることをやめさせている。当時意味が分からなかったが、セオリーにあえて逆らうことで、突き詰めて考えることを強いているのだろうと思う。
あれ、いつの間にか麻雀の話になってた。
ま、いっか。



服飾系の展示が充実。宝石の展示室はところせましと貴重な宝石がぎっしりならんでいて、逆に原宿の雑貨屋のアクセサリコーナーの様相だった。

よみますよみます。

今年もチョコケーキ。うまい

祖母がめでたく白寿。親戚一同でお祝い。
北陸新幹線たのしみですな。