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Aug 2, 2014

7月の光景

7月はほぼ日本にいた。

今の会社の仕事において7月、8月の過ごし方はとても大事である。3月の年度末にむけてじわじわと忙しくなるパターンの中、夏は大きなイベントが少ない。
だから毎年3月の年度末になると思う。なぜ(比較的余裕のある)7・8月にもっと前倒しで仕事をやっつけておかなかったのかと。スラムダンクの三井寿の悔恨がほんとうによくわかるのである。

しかし今年は新たな役職について、大学院の研究もしている。比較的余裕のあるはずの7月も決して時間があるわけじゃない。そんななかで趣味の本を読んだり、実家に帰ってリフレッシュしたりと充実してすごせた。

でもやはり南の島で3日くらいボケーッとすごしたいなぁ。



Boston Museum

いただいた北海道メロンをつかったアイスクリーム。うまい

珍しい弁当のケースを各種取り揃えて売っている店

旧図書館は入り口が3階にあり、そこから各書庫におりていくというダンジョンのような作り

祖母の手作りおから

「くれてなお 命の限り 蝉しぐれ」ヤス、いいこというなぁ。

地元の映画館で現在上映中の劇団ひとり監督「青天の霹靂」のロケが行われ、その場所がそのままになっている

僕が Mt. fictionousと呼ぶ田舎の山

はじめて奈良の大学へ。
珍しいね。高校の同級会
今月のぐっときた言葉:
ラーメン屋においてあったAERAに小島慶子というラジオのパーソナリティがいいことを書いていた。
いかに問い、いかに答えるかの道すがら、自分に見えた風景は人とは違う。たとえ辿り着いた答えが同じであっても、自分の学びは固有のものであると思える人は豊かだ。けれど、自分の学びだけが優れていると思う人は孤独だ。あらゆる学びは、他者と繋がるためにあるのではないか?生活するために、誇りを持つために、孤独に耐えるために、それが自分一人の苦しみではないと知るために。 
"教育サイコー!②の5 小島慶子の幸複論", AERA,2014/5
学びは他者と繋がるためにあるというのは至言である。

Jul 27, 2014

「真理とは方向感覚」と鶴見俊輔は言った


日本人は何をめざしてきたのか ー知の巨人たちー 第2回は
番組の最後を、鶴見俊輔が平成9年にこたえた以下のインタビューで締めている。
とてもよい言葉なので書き起こす。

私にとっては戦後50年よりも戦中の方が重いんですよ。 
その戦中のほうが重いという感覚が重大だと思う。 

問題はね、真理は間違いから逆算される 
こういう間違いを自分がした 
その記憶は自分の中にはっきりある 

こういう間違いがあって 
こういう間違いがあった 
今もこういう間違いがある 
だけどこの間違いの道がこうあって 
それがゆっくり考えていけば 
それがある方向を指している
 
それが真理の方向だ
だから真理は方向感覚と考える
 
その場合には間違いの記憶を 
ぎゅうっと持ってることが必要なんだ
 これは消極的能力なのよ それはね
<中略> 
敗けたことは忘れない 
失敗したことは忘れない 
これは消極的能力だ 

原爆に撃たれた我らという考え方を強く持つ 
そこからやる 

戦中のさまざまな記憶を保ち続ける 
そこから 
 
それが未来だと思いますね


鶴見俊輔 平性9年3月放送 NHK「未来潮流」より

Jul 6, 2014

6月の光景

旅芸人も極まれり。1月で紅海の近く、黒海、バルチック海、大西洋の4つの海を見ながら仕事をする。


アタリュクトルコ空港のラウンジ、豪華絢爛。

ジブチは暑い。そして人も熱かった。


エストニアのタリンの旧市街

前衛的なお寿司



ホテルに見晴らしのいいサウナがついていて、これがとても気持ちよかったです。

タリン、自由の広場

手作りティラミス。濃厚でうまい!

ボストンはいたるところに「ゆとり」を感じさせる街でした。これはハンバーガ屋におかれたゲストブック。

選挙とおってよかった

憧れのMIT

一月の半分以上、ホテル暮らし

Jul 5, 2014

バッテリーテンケン

アフリカで日本の中古車は人気がある。日本で走っていた車が外装、内装そのままアフリカに持ち込まれる。そのせいでアフリカの知り合いが自分の車の液晶に「バッテリーテンケン」などというメッセージが表示されるたびに写真をとっておくってくる。英訳してあげるとたいそうよろこばれる。繰り返してたら、会ったこともない人からメールがくるように。

国際連携のお仕事は、内容がどんなにくだらなく思えたとしても「相手がやったら10日かかるけど、自分達なら3分でできること」をみつけそれをコツコツ解決していくという仕事であると。ちいさーーーい親切の積み重ねが大事であると思うわけであります。



Jun 2, 2014

5月の光景


諸事情により写真は「あとのせ」予定です。

5/3 誕生日プレゼントにメガネを買ってもらう。その後新宿の高層ビルでランチ。それ以外のゴールデンウィークは原稿書き。






5/4 西小山のお気に入りの店の食べログの評価が低いと話題になっていた。(http://nikkan-spa.jp/593206) 食べログの採点には裏切られることが多い気がする。海外にいったときのYelpのスコアはほとんど間違いないんだけどなぁ。

5/8 途上国におけるセキュリティチーム構築支援を仕事で行っている。そのうちの一つで深刻な資金不足が発覚。できることは少ないが、やれることをやる。3年前の仕事の仕方に間違いはなかったのか自分に問う。組織が生き残れるような工夫が足りなかったのは間違いない。

5/8 トマ・ピケティの『Capital in the Twenty-First Century(21世紀の資本論)』が話題をさらっている。読みたいのだが、図書館にはなく、Amazonで3週間待ち。

5/9 情報セキュリティ人材が不足しているらしい。それも大幅に不足しているらしい。だから人材育成が大切らしい。戒めとして小田嶋隆のコラムを引用しておく。
「叩き上げの勝利者や、成り上がりの成功者は、往々にして、生まれつきのお坊ちゃまより残酷になる。というのも、彼を上昇せしめたのは、自らのスパルタンな精神性と努力であって、決して運やめぐり合わせではないと、少なくとも本人はそう信じ込んでいるからだ。とすれば、彼の目から見て、他人の貧困はもろな自己責任であり、他社の不運や不幸は努力不足以外の何物でもないということになる。彼らの主張は、煎じ詰めれば「オレを見習え」ということに尽きている。実際、その種の経済人の著書を読むとはじめから最後まで、『オレを見ろ』という以外のことは何も書かれていない。」小田嶋隆.地雷を踏む勇気(2011).技術評論社 p.197
セキュリティの人材育成は「俺を見ろ」になってはいけない。

5/10 行きつけのバーが諸事情で休業していた。ブログで閉店することがきまっていたことを知る。侘しい。

今月の週末はほとんど大学図書館で論文をコピーして読んで、メモをつくるという作業に費やした。早稲田の大学図書館は軽食を出す喫茶店が併設されている。論文のコピーとともに頂くチーズケーキはおいしい。
しかし進捗は芳しくない。思ったように進まない。英語圏に生まれれば人生はどれだけ楽だっただろうと、考えても仕方ないことを。

5/13 サイバーセキュリティ専門家というへんてこな肩書でセミナーに参加。プライバシーの話は難しい。特にここのところの個人情報保護法改正における「準個人情報」なんて概念なんて、複雑なものは失敗する。絶対に失敗する。

5/14 いろいろと疲れていたのでグアムへ逃亡。この週を逃せばまとまった休みは当分とれなかった。妻の友達から水着をいただいた。

5/22 これから続く飛行機の旅にそなえてBOSEのノイズキャンセリングヘッドホンを買い直す。長年愛用していたQC3はオンイヤーというタイプだったが、今回のQC15は包み込まれるタイプ。乾電池式という点も大きくかわった。

5/24 これだけ色々なところを飛び回っていたら万に一つの事故にあう可能性も高くなる。遺書というものを一応残しておこうと書き始める。

死んでしまったら地位も金も無用である。思いを巡らせて、どうやら僕の遺書は2部構成になることがわかった。
前半は家族が僕が死んでも困らないように残せるものを取り纏めること。ほぼ事務連絡である。そして後半は家族及び周囲の人たちに僕のことを「覚えておいてほしい」というお願いをすることである。自分は死ぬのに、忘れないでほしいというこの自己顕示欲にまみれた感情をどう説明すればよいのかわからない。

ついでに学校の先生が言っていた言葉を思い出す。「僕は毎日をこれ以上ないくらい精一杯生きている。だから明日死んでも悔いはないと思う。」彼は現代文の担当で、奇人変人揃いの教師陣の中でも一番切れ味が鋭い人だった。僕も自分なりの精一杯で生きていているつもりだが、先生の心境にはなれない。明日死んでしまったら、家族が心配だ。

長生きしたいと思う。でも、もし死んじゃったら、皆さんに「立派ではなかったが、良くも悪くも裏表のない人ではあった」と思っていただけたら本望である。

5/26 上田でのロケの思い出を語る大泉洋のラジオで「美味だれ焼き鳥」なる上田名物を知る。そんなの食べたことない。Wikipediaによると「すりおろしたニンニクが入った醤油ベースのたれに焼き鳥をつけたり、焼き鳥にたれをかけたりして食べるもの」であり、美味だれ焼き鳥の商標を抑えているのは上田市とのこと。帰った時にたべてみよう。



アイスベトナムコーヒーが美味しかった

Apr 29, 2014

4月の光景(2014年)

この4月は公私にいろいろなことが起きた。冷静に振り返ったりしたら、冷静でいられなくなるので出来る限りさらっといきたい。

社会人として博士課程に学ぶことになった。気づいたことを箇条書きで。

  • 博士課程は年齢層バラバラ。20台中後半が一番多いけど、40代、50代の人もいる。今のところ接点がないが、それぞれにわざわざ博士を取ろうとする目的を聞いてみたい気がする。
  • 外国人は意外と少ない。ガイダンス/入学式なんかは英語でも趣旨が伝えられるが、日本語を理解しないと情報量が圧倒的に落ちる。
  • 最近の学生のコミュニケーションはメールでなくLINEらしい。クラスLINEを作るとか、サークルの新歓でID交換とかバスの中でそんな会話が聞こえてくる。
  • 藤沢はやっぱり遠い。キャンパスまでバスに乗るしかないのだが、ここが神奈中バスか・・・
  • 入学の翌週末にさっそく学会発表の機会をいただいて京都にいってきた。面白かった。
  • 論文の概要を500ワードでという指示があった。日本語で800字ならだいたいこのくらいという感覚が英語だとまったくつかめず、苦労した。

そして小保方さん騒動の余波がすごい。「博士課程に」という話をすると、たいてい小保方さん騒動のことを持ちだされる。小保方さんの博士論文に大量のコピペが含まれているそうだ。
【STAP細胞】小保方氏の英語博士論文 冒頭26ページ中、20ページ分が米国立衛生研サイトとほぼ同じ - MSN産経west 

忙しいとはいえ、今はまだ忙しい理由をこうやって公にできるのだからストレスは少ない。振り返って、こっそり準備を進めていた去年の今頃は辛かったなぁ。



写真を順不同で。













Apr 19, 2014

親ばかと愛国心のあいだ

赤ちゃんはかわいいものだ。自分の子どもとなればなおさらだろう。我が子を世界一かわいいと思う親心は誰に咎められるものでもない。「うちの子は日本一、いや世界一かわいい」と言ってはばらない親がたくさんいる。
もし、同じく子を持つ親であるあなたが、我が子を世界一かわいいと思っているあなたが、目の前で別の人の自慢を聞かされたら、どう応じるだろう?

「いや、うちの子が世界一かわいい。したがって君のところは世界二位にかわいいね。おめでとう。」とは言わないはずだ。わが子かわいい自慢の場に順位付けは不要だ。うちの子が世界一かわいいというあなたとあなたの友達の思いは等価に正しいからである。

今、盛り上がるナショナリズムや愛国心というのはこの親ばかとよく似ている。

匿名掲示板などでは外国の人・政府・文化に対する否定的な書き込みが多い。サッカーチームの心ないサポーターがスタジアムの一角に「日本人限定」と掲示した。天皇はEmperorなのでKingやQueenよりも格上であり、日本の天皇が訪英したら英女王は上座をゆずらないといけないなんて主張する人もいる。雑誌は隣国の脅威を面白おかしくかきたて、敵愾心をあおる特集がならぶ。「だってそのほうが売れる」そうだ。
その後ろには日本は世界一いい国に違いないという思いがある。その後ろには反対側の出口でどう受け止められるかについて想像力が欠如している。

愛国心をもつことよいことだ。少なくとも地球の反対側にある遠い遠いどこかの国よりも、よく知っている自分の育った国に愛着を感じるのは自然だとおもう。今の我々があるのは多少なりとも日本という国のおかげだ。
愛国心をもつことはよいことだ。それは見ず知らずの子供より、自分の子供のほうが可愛いと感じるのと似た感情である。
愛国心をもつことはよいことだ。だからといって他の国と比較したり、不当に貶めるのは間違っている。

われわれは他国のひとが、自らを世界一いい国だと思うことを否定することはできない。
なぜなら世界一いい国の基準はたくさんあって、そして曖昧で、誰も順位をつけることはできない。

だから外国の人が「私の国は世界一いい国です。」と言ったら、「そうですね、日本も世界で一番いい国です。」と受ければいい。簡単なことだ、うちの子かわいい自慢を聞く態度で臨めばいい。



写真と本文につながりなし

Feb 28, 2014

2月の光景(2014年)





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ついに食べられなかった打ち込みうどん