諸事情により写真は「あとのせ」予定です。
5/3 誕生日プレゼントにメガネを買ってもらう。その後新宿の高層ビルでランチ。それ以外のゴールデンウィークは原稿書き。
5/4 西小山のお気に入りの店の食べログの評価が低いと話題になっていた。(http://nikkan-spa.jp/593206) 食べログの採点には裏切られることが多い気がする。海外にいったときのYelpのスコアはほとんど間違いないんだけどなぁ。
5/8 途上国におけるセキュリティチーム構築支援を仕事で行っている。そのうちの一つで深刻な資金不足が発覚。できることは少ないが、やれることをやる。3年前の仕事の仕方に間違いはなかったのか自分に問う。組織が生き残れるような工夫が足りなかったのは間違いない。
5/8 トマ・ピケティの『Capital in the Twenty-First Century(21世紀の資本論)』が話題をさらっている。読みたいのだが、図書館にはなく、Amazonで3週間待ち。
5/9 情報セキュリティ人材が不足しているらしい。それも大幅に不足しているらしい。だから人材育成が大切らしい。戒めとして小田嶋隆のコラムを引用しておく。
「叩き上げの勝利者や、成り上がりの成功者は、往々にして、生まれつきのお坊ちゃまより残酷になる。というのも、彼を上昇せしめたのは、自らのスパルタンな精神性と努力であって、決して運やめぐり合わせではないと、少なくとも本人はそう信じ込んでいるからだ。とすれば、彼の目から見て、他人の貧困はもろな自己責任であり、他社の不運や不幸は努力不足以外の何物でもないということになる。彼らの主張は、煎じ詰めれば「オレを見習え」ということに尽きている。実際、その種の経済人の著書を読むとはじめから最後まで、『オレを見ろ』という以外のことは何も書かれていない。」小田嶋隆.地雷を踏む勇気(2011).技術評論社 p.197
セキュリティの人材育成は「俺を見ろ」になってはいけない。
5/10 行きつけのバーが諸事情で休業していた。ブログで閉店することがきまっていたことを知る。侘しい。
5/10 行きつけのバーが諸事情で休業していた。ブログで閉店することがきまっていたことを知る。侘しい。
今月の週末はほとんど大学図書館で論文をコピーして読んで、メモをつくるという作業に費やした。早稲田の大学図書館は軽食を出す喫茶店が併設されている。論文のコピーとともに頂くチーズケーキはおいしい。
しかし進捗は芳しくない。思ったように進まない。英語圏に生まれれば人生はどれだけ楽だっただろうと、考えても仕方ないことを。
5/13 サイバーセキュリティ専門家というへんてこな肩書でセミナーに参加。プライバシーの話は難しい。特にここのところの個人情報保護法改正における「準個人情報」なんて概念なんて、複雑なものは失敗する。絶対に失敗する。
5/22 これから続く飛行機の旅にそなえてBOSEのノイズキャンセリングヘッドホンを買い直す。長年愛用していたQC3はオンイヤーというタイプだったが、今回のQC15は包み込まれるタイプ。乾電池式という点も大きくかわった。
5/24 これだけ色々なところを飛び回っていたら万に一つの事故にあう可能性も高くなる。遺書というものを一応残しておこうと書き始める。
死んでしまったら地位も金も無用である。思いを巡らせて、どうやら僕の遺書は2部構成になることがわかった。
前半は家族が僕が死んでも困らないように残せるものを取り纏めること。ほぼ事務連絡である。そして後半は家族及び周囲の人たちに僕のことを「覚えておいてほしい」というお願いをすることである。自分は死ぬのに、忘れないでほしいというこの自己顕示欲にまみれた感情をどう説明すればよいのかわからない。
ついでに学校の先生が言っていた言葉を思い出す。「僕は毎日をこれ以上ないくらい精一杯生きている。だから明日死んでも悔いはないと思う。」彼は現代文の担当で、奇人変人揃いの教師陣の中でも一番切れ味が鋭い人だった。僕も自分なりの精一杯で生きていているつもりだが、先生の心境にはなれない。明日死んでしまったら、家族が心配だ。
長生きしたいと思う。でも、もし死んじゃったら、皆さんに「立派ではなかったが、良くも悪くも裏表のない人ではあった」と思っていただけたら本望である。