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Dec 6, 2015

11月の光景

11/1 時計をオーバーホールにだす。本体には何も問題ないが革ベルトが痛む。金属ベルトをかってもよいのかもしれない。ついでにリュックサックを買い直したり、ノートカバーと整髪料を買ったり。久々に散財
夜、妻が墓参から帰宅。おみやげにベルトをもらう。

11/5 香港から取引先来日。食事を持ちかけられるも時間があわず会えずじまい。
引越しの見積もり依頼する。

11/6 元同僚と神田で飲む。リュックサックがお揃い。 
11/8  義父を含め家族で食事    

11/9 仕事で両国へ。ランチにちゃんこ鍋をいただく。おっきな豆腐をネギ醤油が入った味の濃いタレでいただく。美味しい。が、何をもってちゃんこ鍋なのかは未だによく分からない。
オリンピックを控えることもあり、都内のホテルはどこも強気の価格らしい。

11/10 この前の週に沖縄で開かれた会議の関係で海外からのお客さんが突発的に増える。結果10日と11日で面会1件、ランチ1件、ディナー1件。

11/12
夏におこなった高校生向け講座のアンケート集計結果がとどく。質問がまったくなかったことが軽くトラウマになっていたあの件である。アンケートを読むと話した内容自体はきちんと伝わっていることがわかって一安心
夕方、恵比寿でアフリカ関連の説明。最近日本企業から立て続けに「アフリカの話が聞きたい」と依頼があった。
深夜の電話会議。

11/13実家へ。
母方の祖父母の家に顔をだす。いつ行ってもお菓子や果物をかなり強くすすめてくれる。もちろん嬉しいが断り方も工夫がいる。何はともあれ夫婦揃って元気そうでなによりである。

11/14,15
実家近くに入院している父方の祖母を見舞う。点滴だけで栄養を摂っている状態だが、様子は安定していて年明けまでは大丈夫だろうなという印象をうけた。耳元で呼びかけても反応はなかった。

その後義理の母、義理の姉とその旦那さんを実家にお迎えする。みんなで温泉へ。天気が悪かったのが残念だが、楽しかった。なにより妻の家族のみなさんに地元のことを知ってもらえてよかった。




両親から様々なおみやげを貰って夜遅くに帰宅。
帰りの電車は指定席がとれないどころか、自由席も通路まで人があふれる状態。身重な妻も立ったまま東京へ戻る。長野新幹線が北陸まで伸びた影響で電車が混んでいる気がする。

11/16
朝一で羽田から韓国へ。喫茶店でプレゼン資料作成。ホテルの自室で恩師と打ち合わせ。夕食を一緒にとる。
『IPv4もそうですけど、技術者は同じ過ちを繰り返しますね。利用が増えるのを少なく見積もってあとから拡張に迫られるというのが大変おおいです。』 
みんなSuguruの復活を信じている。
合間にホテルからほど近い景福宮に立ち寄る。ちょうど衛兵の入れ替わりの時間だったらしくよいものが見れた 


11/17
イベントで講演。参加者の少なさが気になるが、与えられた枠でしっかりアピール。
韓国料理好きとしては、ソウルでの食生活は恵まれているのだが、コーヒーだけはまだまだ改良の余地が多い気がする。
夕方レセプション。
夜電話会議。出張中の電話会議はまた格別な辛さがある気がする。議題がややこしく、結局深夜2時頃まで。 
ランチのお寿司(韓国風)が秀逸

11/18
イベント2日目でも講演。フライトのためイベントを早退して帰国。
帰りしな初めて金浦空港横のロッテデパートに立ち寄ったが、お土産物コーナーの品揃え豊富でとてもよい。おすすめ。


11/19
打ち合わせの多い日。朝から竹橋→六本木→竹橋→溜池山王で打ち合わせ。六本木では大学の先生にあって経費精算の書類に印鑑をいただく。いろいろと公私にわたる助言をいただく。先生もいろいろ大変だったんだなぁ。。。

11/20
夕方、同じチームの仲間が用意に奔走していたセミナーに顔を出す。参加者の顔ぶれがかなり変わっている気がした。会場からの質問も鋭いものが多い。同僚のプレゼンは堂々としていてよかった。そして質疑応答で答えに窮した同僚を別の同僚がフォロー。ナイスチームプレー。
夜電話会議。

11/21
大型家電量販店に新居につけるエアコンを下見にいく。新製品の時期で、特に昨年の商品が安くなるらしい。下見だけのつもりが結局3台買ってしまった。
ついでに服を選んで買ってもらう。今まで冬物が少なかったのでよかった。

11/22
大学図書館で論文コピー。
夜、昔よく行った居酒屋に行く。引っ越す前に一度来たいと思っていた。自家製ポテトチップスがいつもどおりおいしかった。またいつか。

11/23
前日に続き大学へ。
夜10時過ぎに母親から電話。祖母が亡くなったとのこと。つい9日前は元気だったので、驚く。できるだけ早く実家に帰ろうと決断。
その後また電話会議。葬式出張で2週間はいないものと思ってくれ宣言する。

11/24
朝早くに実家へ戻る。
前夜母や伯母、弟達が遅くまで頑張ったおかげで、祖母は自宅に安置されていた。すでに親戚がちらほら。
午後、伯母つまりは祖母の娘達やその家族が到着。賑やかになる。
夕方、喪主でもある父が出張先から緊急帰国。
通夜が28日、告別式が29日ということで日程が決まる。28日夜にコンゴに出発する必要があり、参加できないことになる。 
夜電話会議、出発を1日送らせてせめて通夜だけでもでれるようにできないか調整。

11/25
午前11時から枕経。ほぼ1日葬儀屋さんとのあれこれ。いわゆるおくりびとがやってきて祖母に最期のお化粧をほどこす。
自分の出張の日程変更はむずかしいようであるので、葬儀/告別式の出席をあきらめる。仕事で頑張ることが祖母に対する一番の供養と考えるようにした。
夜、下の弟とちょっといい酒を家で飲む。

11/26
喪中の連絡のはがきを印刷。親戚の子供に遊んでもらう。
親戚向けに当日の日程表を作って送る。
実家を発つ直前に最後に祖母と向き合う。今までずっとバタバタしていたので部屋に祖母と自分だけというのはこの日が初めて。火葬は3日後。たった3日後には祖母という「物体」がこの世からなくなるんだということを実感し、しみじみと悲しくなる。

新幹線で東京移動。2時間だけオフィスで仕事をする。午前中まで頭のなかには葬式のことしかなかったので、仕事の質の高低差がすごい。
明後日からのアフリカ出張の打ち合わせや、緊急の仕事を手早く片付けて帰宅。体力の限界を感じて、夜の電話会議は不参加。

11/27
朝から家の契約などのために、区役所・法務局などを回る。
夜の便で成田から香港、エチオピア経由でコンゴへ出発。 
機内で何冊か本がよめた。『世界史で学べ!地政学』は池上彰を彷彿とさるこなれた解説で最近読んだもののなかでは出色の一冊。『インターネット・ガバナンス 世界を決める見えざる戦い』 はちょっとむずかしかった。

11/28
コンゴ着。雨季の終わりとは聞いていたが暑い。
ホテルやレストランのスタッフの感じからコートジボアールを思い出す。
空港から直接会議に直行。予想よりもフランス語しか話せない参加者が多そう。 

11/29
コンゴでの仕事初日。コンゴ人は話好きである。アンゴラ人も。
夜はホテルの横のレストランで食事。原油採掘で汚染されまくった海をながめながらビール。
同じ頃行われている祖母の葬儀思いを巡らす。 

11/30
昼前、普段は超健康な同僚がダウン。コンゴの病院へ駆け込む。
今までアフリカに何度もいって体調を大きく崩さなかったのは、私や同行した当時の同僚たちが幸運であっただけであり、誰もが一寸先は闇ということを思い知らされる。
大変な一日だった。 
ポワントノワール駅。アフリカでも駅の周りは概して治安がよくない

しかし持つべきものは友である。ありがとう!

愛用のバッグとお別れ

最近覚えた油そば風そうめん。(めんつゆ、オイスターソース、ごま油を麺と和えるだけ。)








Nov 22, 2015

テロリズムの怖さを肌で感じたときのおはなし


人生で最も鋭くテロの危険を感じたのは2年前のジブチに1週間ほど出張したときのことだった。
アフリカなんてどこも等しく危ないと思われる方もいるかもしれないが、実際にはその危険度は国によっても、街によっても異なる。ジブチはテロが起きたことが無いということだけが自慢のような、国土の狭い、決して豊かではない国である。
今回は普段より安全な出張だと油断していた。

まさにジブチに飛び立つという日、成田エクスプレスで空港に向かう車上で、一緒に出張する上司から「ジブチ市内で爆発があった。死者数名。テロのようである。」という連絡が入った。ここまできて出張をやめるわけにもいかず、我々は安全確保を再優先するということを第一に、予定通り日本から出国することにした。

恐る恐る降り立ったジブチはのどかな国だった。ヤギが道で昼寝をしていた。港で海に飛び込んで遊んでいる現地の子供達を見ているとこの街でテロがおきたとは信じがたかった。 
ヤギはそこら中にいる。

事件の内容も徐々にわかってきた。
  • 爆発は市内の外国人が集まることで有名なレストランで起きた。ソマリア人系移民が爆博物を持ち込む、いわゆる自爆テロだった。
  • 死者は3名、負傷者多数
  • アルシャバーブが犯行声明を発表した
  • このテロを受けて現地のフランス軍やスペイン軍は特別な警戒体制を敷いた
  • 現地のフランス人学校などのテロの標的になりやすい施設はそうそうに休業をきめた

現地にある日本大使館にも立ち寄った。大使館の人はこんな時期に訪問してしまった我々に同情しつつも、①不要の外出は控えること、②人が多い場所、特に繁華街に近づかないようにというアドバイスをくれた。国際会議に参加しないと仕事にならないため、後者のアドバイスに従うのは難しいなとおもった。幸い我々はジブチで一番高級で警備が厳重なホテルに泊まっていた。上司とは仕事が終わったらホテルに篭っていようと決めた。

というわけで我々は予定通り仕事を行った。繁華街は徹底的に避けた。いつもなら仕事終わりに現地のアフリカ人取引先と打ち上げと親睦を兼ねて、レストランに食事にいく。この時も、行こうと思ってレストランを事前に2つほど見繕っていたが、そのうちの一つがまさに自爆テロの発生したレストランであった。あと数日テロが発生するのが遅かったらどうなっていたんだろう? とにかく食事に行くのも自粛した。

というわけで神経質なまでに安全に気をつけていた我々に追い打ちをかける電話が日程の後半あたりにかかってきた。日本大使館からである。
要約すると「ジブチに駐留するフランス軍から、お泊りのホテルがテロの標的になっているという情報が入った。安全にはくれぐれも中止されたし。」
確かに初日にはたくさんいたスペインの兵士を今日はみかけていない。ロビーもなんだか人が少ない。

しかしである、我々はジブチにおいて最も警備が厳重と考えられるホテルに泊まっている。その場所が危険といわれてもどうすればいいというのか? ここではじめて僕はテロの怖さを理解することができた。
これまで通常の犯罪やトラブルを避けるために様々な対策をしてきた。このホテルに泊まったのもその一つである。しかしそういう行動パターンではテロを避けられない。むしろ標的となりかねないということを痛感した。街角で子供が遊んでいるくらい平和な国であっても、自分たちは襲われる可能性があるという不公平を嘆いた。

何よりも、誰かが自分たちに危害を加えようとしているかもしれないというのは、自分の全く知らない人間からの悪意というは想像することが難しく、とらえどころがない。東日本大震災のときも様々な惨事が起きた。それはしかし天災、あるいは人災の集合であって、誰かが誰かを殺そうとしているわけではない。エボラなどの伝染病は生命へのリスクと言う点ではテロよりも怖い。しかしそこに人間の悪意は介在しない。災害・伝染病などとテロの大きな差はそこにある。

この地球上に生きている同じ人間、あなたは顔も名前もしらない誰かがあなたを狙って殺そうとしているかもしれない。それがテロの恐怖なのであると知った。

結局我々は「爆発物によるテロであれば人が集まるところが狙われるであろう」という考えのもと、ホテルのレストランなどを使わず各自の部屋で食事を済ませることにした。上司が日本から持ってきたエースコックスーパーカップを分けてもらった。うまかった。
食後に何かあった時のために遺書めいたものを一応書いておいた。(そのことは帰国後ブログにもかいてた。)

結局我々はそのような落ち着かない夜を2回過ごし、仕事をきっちりこなし、無事にジブチから帰国した。滞在期間中新たなテロは発生しなかった。

この時私が感じた恐怖と同質のもの、しかしもっと大きな恐怖を、パリの市民は今感じている。私はジブチから日本に帰国した時点でリセットされたが、彼らの恐怖はたとえ実行犯が逮捕されたとしても、当分取り去られることはないだろう。だからパリの人に、冷静にふるまうことや普段通りに過ごすことを求めるのがどれだけ酷なのかも少しは分かる。ましてテロで親しい人を失った人の悲しみを思うと、本当に言葉がない。 
でもこの事だけはわかってもらえるたら嬉しい

テロリズムは弱者の戦い方である。目的は領土や財産を獲得することでなく、恐怖心を与えて相手方に何かを諦めさせる(放擲させる)ことにある。そして背景にはテロリスト自身の抱える弱者なりの恐怖が存在する。テロとの闘い、テロを根絶するための闘いというのは、力で相手を押さえつけることではなく、この社会の弱者の声に耳を傾け、偏りを正していくということではないだろうか。

今我々の前には大きな2つの分かれ道がある。恐怖にかられて、新たな恐怖を生み出す連鎖へすすむのか。他者の小さな恐怖に耳をかたむけ、それを理解しあう連鎖へ進むのか。
それは大統領や首相が大きな会議で話あって決るものではない。個人個人の非常に小さな選択の集合である。

だから、頑張れ人類。頑張れ俺たち。 
俺たち

Nov 3, 2015

10月の光景

メルカトルの呪い?地図のおはなしという記事が面白かった。
地図は、球体の情報をむりやり平面に表現したものです。したがって、平面に投影された地図は、距離、角度、面積のどこかに必ずひずみがあり、どのような図 法を用いても3つのひずみ全てを同時に解消することはできません。使用目的に応じた地図を選択することが大切になりますね。(出典:前述のリンク)

地球儀大事!
 

10月はガーナで始まった。

10/1  この日過去5年携わってきたプロジェクトが大きな成果を出して(当面の目標を)達成した。大きな達成感の中、現地で働く知人と夕食 。
この案件ほんと大変だったなぁ。次があるなら、もっとうまくやりたい。
そして、このプロジェクトを一緒に始めた2人の先輩達がここに居ないのがつくづく惜しい。


10/4  帰国。

10/5 夕食がさんまの塩焼きと炊き込みご飯。秋を実感。


10/8 長野から巨峰とシャインマスカットが届く。さらに秋を実感。考えてみると僕が子供の頃シャインマスカットなんてめったに見なかった。農家というと旧態依然の代名詞の様に思われているし、毎年同じことをしていると思いがちである。しかし果物農家なんてすごく時代の流れをみて試行錯誤しているに違いない。「変革か死か」とまでは言わないけど。

10/9 結婚記念日


10/10,11 家の打ち合わせ、家具選び、友達にベビー用品を譲ってもらいに行く。家の普請が順調そうでなにより。車選びも家具選びも大変ではあるが、(家そのものと比較すると)考えることがすくなくて楽である。

10/12 日本が祝日!ということに前日に気づき、一日をお得に過ごす。たまに食べるマクドナルドのフライドポテトはどうしてあんなに美味しいのだろう。



10/14   とっても短い海外出張。スーツを着て飛行機にのり、着替えはワイシャツとネクタイのみ。ビジネスマンの出張ってかんじ。

地下鉄を駆使して効率的にミーティングをして回って、夜の飛行機で帰国。ビジネスマンってか(略)


10/17 大学院セミナーで藤沢へ。同じ研究室の先輩が公聴会を行い、無事審査に通った。素晴らしい。

10/18 再び家具選びへ。帰りすがら空の上をブルーインパルスが通って行くのをみた。

10/19 実は数日前に大学院から封書が届いていた。「下期の履修申告に大至急窓口に来てください」。というわけで朝一で藤沢に行ってから出社。

10/24 沐浴の練習。

10/28-29 Codeblueというサイバーセキュリティに関する国際会議が日本で行われている関係で、知人が多数来日。久しぶりに3日続けて外へ飲みに行く。 CodeBlueの参加者は今年すでに600名程度に達しているらしい。このサイズはなかなかすごい。



10/30  サイバーセキュリティに関するキャリアを考えるというイベントでパネルのモデレートを仰せつかる。この手のイベントにしては珍しいくらい手作り感溢れる感じだったけど、それはそれでよかったのかなと。参加者のことを考えるともっと質疑の時間をとるよう工夫するべきだったと反省。

妻が仕事の上で一段落。お疲れ様でした。



Oct 4, 2015

9月の光景


大学院は秋学期に突入しました。。。
ドナドナ自転車

9/4 ダブリンから帰国 
 
9/5 妻の検診に付き添い。この週くらいから深夜1時からの電話会議が週1では済まなくなり生活が逆転しだす。
9/10 アメリカの取引先と日本の方と夕食。浅草でひつまぶし
9/11 お客さんをたくさん招いて仕事。淡々としかしきっちりと準備をしてくれる同僚のおかげでとてもよい仕事ができたのではないかと思う。
9/14 いつも見ているプロフェッショナル仕事の流儀になんと元同僚の名和さんが登場。かっこよかった。 
9/17 休暇をとって長野へ日帰り。卒業した高校の一年生向けに90分の講義をする。(自分の高校時代を思えば贅沢はいえないが)高校生は子供から大人への変化のまっただ中にいて、大人として接するのは得策出なかったのかなぁ。質問の無さに大いに自身を失った。 
しかも雨だったのよね
9/20 割りと突然決まったインドネシアのバリへの出張。インドネシアの大学生は勢いがあった。シルバーウィークということで空港や飛行機が行楽ムードにつつまれていた。 
取引先にもらった民族衣装(バティック)
9/25 金曜は朝から仕事、夜9時過ぎの飛行機でガーナへ飛び立つ。


ガーナ大学内の塔。ここがアクラ市で一番の高台だそうだ



ガーナについてはまた10月の光景を書くときに振り返ってみたいとおもう

Sep 5, 2015

8月の光景


毎週のように深夜の電話会議をしていた。自分の英語力が足りないせいで、相手にとってぶっきらぼうに聞こえたりすることもしょっちゅうあるんだろうな。
TOEICが公開してたこの言い回し講座はなにげに参考になることがおおかった。

年金機構の情報流出事故の報告書が機構、厚労省、関係機関からほぼ同時に公表され、本件は一段落した。
今回まじめに参考人質問の中継を聞いていて発見したのは「国会議員が追求するのは対応の遅れのみ」であるということだ。
与党も野党も、従前の技術的な対策が充分であったか、セキュリティポリシーはきちんと遵守されていたかなどについて追求しない。理由はおそらく質問時間が非常に限られていること、そして追求する側の国会議員に技術的な理解が不足しているからである。結果、質問は繰り返し、「X日に発覚し、厚労省に報告するのにY日もかかった。その間Z日にはZ委員会があったにもかかわらずそこでも事故の報告がなかった。年金機構の対応の遅れが甚だしい。」という一点のみに集中する。
今後も同様の事件は残念ながら起きる。迅速な対応は何にも代えがたい、そのためなら多少の不正確さは許容されるということを肝に銘じた。


8月1日 勝沼へ。図らずも温泉にも立ち寄れてとてもリフレッシュ。

8月6日 先生と打ち合わせ
とにかく早く書く、締め切りの早い学会誌に投稿する。毎日ファイルをあける。一文字づつでも書く
8月7日 深夜の電話会議。来年夏まで隔週で続きます。 
8月某日 林家正蔵が絶賛していたツールー麺という冷やしラーメンをランチにいただく。うまい。

8月14日 久しぶりに武蔵小山で学生時代の友達と 


8月20日 夜お腹に手をあてているとポコっとたしかな感触が伝わってくる。生命が宿っていることを体で感じて、感動した。母子ともに今後も元気であることを祈る。 
8月22日 不動産会社と打ち合わせ。毎回待ち合わせ時間に遅刻してくるのはどうにかならんものか? 
8月24日 取引先を日本に招いて会議。地道な交流は続けることに価値がある。ランチ、夕食と取引先ととった。会議のアレンジをしてくれた同僚に感謝。

8月30日 ダブリンへ。とにかく寒い。フリース持ってくればよかった。


Aug 17, 2015

送信済みトレイは語る

前にも書いた気がするが、僕にとって仕事の忙しさをあらわす指標として送信メールの数を頼りにしている。メールを送信するという行為は考えないといけないものが多く、その回数が増えると脳みそが「忙しい」と感じるのだと思っている。逆に読む行為はわりと反射神経でも処理できる。
(他の指標、例えば出張日数や残業時間や受信したメール数なんかも試してみたが、どうも自分の中にある忙しさのバロメーターとはかけ離れている。)

実は先月・今月とかなり精神的にも肉体的にもきつく、送信メールの数も増えているだろうと見込んで久しぶりにグラフを更新してみた。こんなかんじだ。(縦軸は伏せた。)

月別メール送信数 Aug 2008 - July 2015

薄灰色が仕事で送ったメール。2014年4月からはオレンジで表した大学院関連 、2014年6月からは青で表した国際NPOの理事仕事でそれぞれメールを送ることが増えている。

こうやって振り返ってみると、
・会社の仕事はゆるやかに減少させることに成功しつつある
・NPOには、思っていたよりも時間と精神力を注いでいることがわかる
・トータルのメール数は昔とくらべて大差ないこともわかった。体力的に2013年をピークに仕事をさばく能力が落ちているのかもしれないし、今の3つの仕事/研究の掛け持ちが負担なのかもしれない。

先月つらかった理由はNPOだったんだなと再確認した次第。時には送信済みトレイをゆっくり眺めるのお勧めですよ。



Aug 8, 2015

7月の光景

暑い。やっぱ来年からはちゃんと夏に夏休みをとろうとおもった。


7/2 某大学校へ講義にいく。よいディスカッションができてよかった。後日丁寧なアルバムが届いて感動。

7/3 妻の誕生日のお祝い
プラチナポークのグリル。添えてあるミル貝ときゅうりの取り合わせがすばらしい。夏らしい逸品

7/8 社会人になってまで博士号をとろうとする奇特な学生時代の友達と中野へ飲みにいく。年金機構はよくもわるくもセキュリティへの関心を高めたことを再確認 

7/11 ストレス解消に区民プールへ泳ぎにいく。 この時期やはり走るより泳ぐほうが気持ちいい。高校の先輩でもあるTessyさんの紹介で、母校の1年生向けに話をすることになる。

7/15 藤沢へ。発表後に修士の学生さんと飲みにいって、アドバイスしてもらう。 
緑がまぶしい

7/21 恒例の朝の電話会議をおえて、出社し、午後は大國魂神社へ戌の日参りにいく。その後義母、義姉と食事して帰宅。寝る前に夜の電話会議。今月深夜早朝の電話会議が多くて大変だった。
府中駅からこんなに近いとはおもわなんだ。

7/22 久しぶりのわりとフォーマルな会議。成果が見えにくい。

7/23 前の会社の同僚と渋谷で飲む。ほぼ10年ぶりにあう人もいた。基本的に人は年をとると太るんだな。

7/25 丸の内で食事会

7/26 前の週の引っ越し探しの続き。納得できる条件の物件がみつかったので前にすすめることにする。
帰宅後に論文を書いたりしてやっぱり煮詰まる。プールで500mだけ泳ぐ。この時期の区民プールは中学生がおおい。
7/28 健康診断でげっそりしたあとに、インターネットガバナンスに関する会議に参加。インターネットセキュリティに関する基本的な考え方、つまりセキュリティ対策はイノベーションや情報の円滑な共有によって生活を良くするための手段であり、決してゴールではないということを文章にしようというプロジェクトが動いていて、これに参加させてもらっている。



祖母にもらう

大手町でみつけた小さなカマキリ

Jul 5, 2015

6月の光景

最近妙に涙もろくなってきた。年もあるのかもしれないけど。
6/4 来日中のインドネシアの取引先と新宿でご飯

6/5 IGCJ(http://igcj.jp/news/2015/0528.html)で講演。インターネットガバナンスってのは、技術サイドには抽象度が高いし、あまりおもしろくない。政策サイドには緊急度が低く、そして難しい。そして日本のコミュニティには英語という高い壁がそびえたつ。でも新しい顔ぶれをこの分野に送り込み続けないと(今はいいけど)20年後がまずい。

6/7 友人が写真展をするということで新宿御苑のギャラリーへ。その名も "Fine Little Day" .
ヨーロッパの空気。

6/8 横須賀へお出かけ。忘れ物しまくり。学生とのディスカッションはおもしろい。

6/9 ドイツへ。15分刻みのスケジュールで疲れた。朝ごはんを食べながらご飯とかね疲れるよね。議論することの難しさを改めて感じた。仕事は難しいけど、いい勉強だ。

6/21 帰国 
6/24 ポン酢の味が恋しくなって新宿のふぐチェーン店へ。焼きふぐ美味いです。ちなみに焼きふぐという料理は30歳を超えて初めて知った。

6/27 祖母の調子が悪く見舞うため帰省 
TOKYO 2020への準備着々(だといいね)

早稲田通りが水没

この網棚から出る突起はなんだ?

参加者は約800名
今年もステッカーが蔓延しました



ホテルにほぼ篭もりっきり。


焼きふぐ