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Nov 22, 2015

テロリズムの怖さを肌で感じたときのおはなし


人生で最も鋭くテロの危険を感じたのは2年前のジブチに1週間ほど出張したときのことだった。
アフリカなんてどこも等しく危ないと思われる方もいるかもしれないが、実際にはその危険度は国によっても、街によっても異なる。ジブチはテロが起きたことが無いということだけが自慢のような、国土の狭い、決して豊かではない国である。
今回は普段より安全な出張だと油断していた。

まさにジブチに飛び立つという日、成田エクスプレスで空港に向かう車上で、一緒に出張する上司から「ジブチ市内で爆発があった。死者数名。テロのようである。」という連絡が入った。ここまできて出張をやめるわけにもいかず、我々は安全確保を再優先するということを第一に、予定通り日本から出国することにした。

恐る恐る降り立ったジブチはのどかな国だった。ヤギが道で昼寝をしていた。港で海に飛び込んで遊んでいる現地の子供達を見ているとこの街でテロがおきたとは信じがたかった。 
ヤギはそこら中にいる。

事件の内容も徐々にわかってきた。
  • 爆発は市内の外国人が集まることで有名なレストランで起きた。ソマリア人系移民が爆博物を持ち込む、いわゆる自爆テロだった。
  • 死者は3名、負傷者多数
  • アルシャバーブが犯行声明を発表した
  • このテロを受けて現地のフランス軍やスペイン軍は特別な警戒体制を敷いた
  • 現地のフランス人学校などのテロの標的になりやすい施設はそうそうに休業をきめた

現地にある日本大使館にも立ち寄った。大使館の人はこんな時期に訪問してしまった我々に同情しつつも、①不要の外出は控えること、②人が多い場所、特に繁華街に近づかないようにというアドバイスをくれた。国際会議に参加しないと仕事にならないため、後者のアドバイスに従うのは難しいなとおもった。幸い我々はジブチで一番高級で警備が厳重なホテルに泊まっていた。上司とは仕事が終わったらホテルに篭っていようと決めた。

というわけで我々は予定通り仕事を行った。繁華街は徹底的に避けた。いつもなら仕事終わりに現地のアフリカ人取引先と打ち上げと親睦を兼ねて、レストランに食事にいく。この時も、行こうと思ってレストランを事前に2つほど見繕っていたが、そのうちの一つがまさに自爆テロの発生したレストランであった。あと数日テロが発生するのが遅かったらどうなっていたんだろう? とにかく食事に行くのも自粛した。

というわけで神経質なまでに安全に気をつけていた我々に追い打ちをかける電話が日程の後半あたりにかかってきた。日本大使館からである。
要約すると「ジブチに駐留するフランス軍から、お泊りのホテルがテロの標的になっているという情報が入った。安全にはくれぐれも中止されたし。」
確かに初日にはたくさんいたスペインの兵士を今日はみかけていない。ロビーもなんだか人が少ない。

しかしである、我々はジブチにおいて最も警備が厳重と考えられるホテルに泊まっている。その場所が危険といわれてもどうすればいいというのか? ここではじめて僕はテロの怖さを理解することができた。
これまで通常の犯罪やトラブルを避けるために様々な対策をしてきた。このホテルに泊まったのもその一つである。しかしそういう行動パターンではテロを避けられない。むしろ標的となりかねないということを痛感した。街角で子供が遊んでいるくらい平和な国であっても、自分たちは襲われる可能性があるという不公平を嘆いた。

何よりも、誰かが自分たちに危害を加えようとしているかもしれないというのは、自分の全く知らない人間からの悪意というは想像することが難しく、とらえどころがない。東日本大震災のときも様々な惨事が起きた。それはしかし天災、あるいは人災の集合であって、誰かが誰かを殺そうとしているわけではない。エボラなどの伝染病は生命へのリスクと言う点ではテロよりも怖い。しかしそこに人間の悪意は介在しない。災害・伝染病などとテロの大きな差はそこにある。

この地球上に生きている同じ人間、あなたは顔も名前もしらない誰かがあなたを狙って殺そうとしているかもしれない。それがテロの恐怖なのであると知った。

結局我々は「爆発物によるテロであれば人が集まるところが狙われるであろう」という考えのもと、ホテルのレストランなどを使わず各自の部屋で食事を済ませることにした。上司が日本から持ってきたエースコックスーパーカップを分けてもらった。うまかった。
食後に何かあった時のために遺書めいたものを一応書いておいた。(そのことは帰国後ブログにもかいてた。)

結局我々はそのような落ち着かない夜を2回過ごし、仕事をきっちりこなし、無事にジブチから帰国した。滞在期間中新たなテロは発生しなかった。

この時私が感じた恐怖と同質のもの、しかしもっと大きな恐怖を、パリの市民は今感じている。私はジブチから日本に帰国した時点でリセットされたが、彼らの恐怖はたとえ実行犯が逮捕されたとしても、当分取り去られることはないだろう。だからパリの人に、冷静にふるまうことや普段通りに過ごすことを求めるのがどれだけ酷なのかも少しは分かる。ましてテロで親しい人を失った人の悲しみを思うと、本当に言葉がない。 
でもこの事だけはわかってもらえるたら嬉しい

テロリズムは弱者の戦い方である。目的は領土や財産を獲得することでなく、恐怖心を与えて相手方に何かを諦めさせる(放擲させる)ことにある。そして背景にはテロリスト自身の抱える弱者なりの恐怖が存在する。テロとの闘い、テロを根絶するための闘いというのは、力で相手を押さえつけることではなく、この社会の弱者の声に耳を傾け、偏りを正していくということではないだろうか。

今我々の前には大きな2つの分かれ道がある。恐怖にかられて、新たな恐怖を生み出す連鎖へすすむのか。他者の小さな恐怖に耳をかたむけ、それを理解しあう連鎖へ進むのか。
それは大統領や首相が大きな会議で話あって決るものではない。個人個人の非常に小さな選択の集合である。

だから、頑張れ人類。頑張れ俺たち。 
俺たち