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Dec 31, 2013
Dec 14, 2013
コートジボアール戦記 (16000字)
Sep 16, 2013
2013年8月の光景
仕事が忙しいからといって書くことがない、なんていう人生は間違っていると思ったからである。
秘密を守ることが仕事だからといって、黙っているのは思考停止と思われて致し方ないし、なにより品が良くないと思ったからである。
8月2日
電車の中吊りが目に留まった。「昼から飲もうと夏が言う。」サントリーオールフリーのコピーである。
ITを使って途上国支援をしようという皆様の飲み会に参加させていただく。楽しかった。
8月3日
朝起きて実家に電話。「たまには元気な顔をみせろよ」とのこと。思いたちその日の午後、帰省。夏の田舎は涼しい。新鮮で元気な果物や野菜をたくさん食べると、寿命が伸びる気がする。甥っ子が
8月7日
神保町で美味しいビールを飲みに。表に出ていないけど良い仕事をしている人がきっとたくさんいるのだろうと、この日の友人の話を聞いて改めて思う。
8月9日
大井町でお仕事。会場が綺麗!
8月10日
Evernoteのパクリのようなコーヒー豆をドトールでみかける。午後親戚でご飯。イタリアンが美味しかったが、トリッパ頼みすぎだった。
8月11日
モンゴルへ。直行便に空席はなく、北京経由の中華国際航空(エアチャイナ)に乗ったが、行きも帰りも3時間づつ遅延である。選り好みをできる身分ではないが、相手との約束がある仕事で使いたくはない。
8月14日
聞けば今は年中寒いモンゴルを訪れるのに一番いい季節だという。そのせいかモンゴルはとてもエネルギッシュな国という印象をうけた。人々は誇り高く、そして論理的だ。熱烈な歓迎に感謝しつつ、同僚と無事日程をおえた。
8月17日
新しいバーを開拓。いまいち。
8月19日
献本いただいた「サイバーセキュリティ読本」とこれまたおみやげに頂いたウガンダの手作りしおり。
NHKスペシャル 「忘れらた引揚者 ~終戦直後・北朝鮮の日本人~」を見る。終戦後の引き揚げは混乱を極めたと聞いているが、これもまた切実な物語であった。戦争経験の語り手がすくなくなる中、記憶が薄れる中、戦争の有り様をあえて放送し続けるNHKは本当に素晴らしい。
8月21日
取引先が何名か東京に出張。朝から晩まで会議の日々。合間にアートアクアリウムをみんなで見学。
8月24日
妻と弟を誘って焼き肉へ。うまかった。霜降りの肉はもたれるので赤身が美味しく感じる。
8月25日
モンゴルでお亡くなりになったMacbookのディスクを交換。半年前にはシステムボードを入れ替えているが、ディスクが飛ぶとそれはそれは大変である。しかもTimeCapsuleでのバックアップがなぜかとれていないという不運が・・・
復旧に励む。
8月26日
長い夏休みをとった知人が仕事に復帰し、久しぶりに飲みにいく。最近合う人ほとんどLINEを使ってるなぁ。
8月27日
Software Design 9月号で「screenはもう古い、いまどきはtmux」という趣旨の記事を読んで、早速brew installしようと思ったらMacのディスクが・・・ 2時間かけてなおす。tmuxはデフォルトでだいぶ使えるようになっているのが便利だが、使い込んだ.screenrcを捨てるほどのものではない。あくまでも現時点では。こうやって時代に取り残されていく。
8月30日
浅草で定期的に飲むという仲間内の集いが、今回はなじみの店が改装中につき押上で開催される。結局フラフラになって帰宅することになるのはいつもとかわらない。
8月31日
濃い目の茶色の革スニーカーは重宝するが、今のやつがヘタってきた。というわけで買い直す。
前に履いていて足型があうと感じたRockportに戻ることに。
Aug 11, 2013
宛先:久我 件名:ガンジー
久我、元気でやってるか?
唐突だがガンジーについて語りたい。
・・・いや、お前が今忙しいとか忙しくないとかは聞いていない。まぁ座ってくれ。
ガンジー=聖人という空気
ガンジーはインドが生んだ思想家であり、活動家だ。祖国インドを自らの手に取り戻そうと、ガンジーは非暴力、不服従の原則をかかげて、宗主国イギリスと戦った。この非暴力の印象が強いせいか、ガンジーはちまたで聖人君子のごとくとらえられている。
その端的な例が、ネットでよくみかける、「ガンジーも助走をつけて殴るレベルの」という形容詞だ。あの穏和で温厚なガンジーですら助走をつけて殴ってしまいたくなるレベルの理不尽さをもつものに使用される。 (私的なところで言えば今年のドラゴンズの高木守道監督の采配は俺の中でガンジーも助走をつけて殴るレベルだ。前任者がレジェンド落合だっただけにな。落差が激しすぎてな。)
実はかなりややこしいガンジーの言動
だがここで俺は大事なことを指摘したい。それはガンジーは決して聖人君子ではなかったという事実だ。例を2つあげる。
1.他人の望遠鏡を理不尽にも海へ投げ込むガンジー
そもそもガンジーは西洋文明全般について批判的だった。そしてあるとき「船旅で出会ったドイツ人の持っている望遠鏡に対してそのようなものがあるから欲望が止まらないので捨てるべきであるとして言い争いになったが、最終的には望遠鏡がなかったらそもそもこのような言い争いになることはなかったと説き伏せ海に望遠鏡を放り投げた。」 ソースはWikipediaなので真偽は怪しいが、事実だとすればめちゃくちゃな理屈だ。
2.嫁とイチャイチャしてたら父親の最期を看取れなかったガンジー
これはガンジーの自伝に本人が書いているので間違いない。死期の近い父親の看病で病院に詰めていたガンジーはある日、横で寝ていた妻に欲情し、妻を起こしあれこれして、病室に戻ってきたら父親が亡くなっていたという。
久我、おどろかないか。望遠鏡で海をみてたらよく分からない爺さんが近づいてきて、それを捨てろっていうんだぞ。当時の望遠鏡は高価だったと思う。そもそもその望遠鏡は爺さんになにひとつ迷惑かけていないし。それを説明しても最終的に投げ捨てられる。これこそ、ガンジーも助走をつけて殴るレベルの言いがかりだ。 ガンジーの父親もかわいそうだぞ。「く、くるしい、み、みずをくれ、、、」って言っても周りに息子がいないし、返事の代わりに隣の部屋からギシギシ聞こえるなか御臨終だからな。
つまり聖人ってなんなんだろうな?
これ以外にもガンジーはこの手の強烈な逸話を多く残している。だからガンジーを平和の象徴とか、温厚さの象徴ととらえるのは間違っていると思うんだな。
しかしだガンジーのそういうダメな部分を知ってなお、おれはガンジーは偉大だと思ったんだ。むしろガンジーが真に偉大なのは、そんな自分の恥部をあられもなくさらけ出す勇気とあくなき一貫性を追求しようという姿勢なのだと。
弱さをさらけ出した人間ほど強いものはないのだとすれば、ことさらに自分を強くみせる努力を求めるこの社会との付き合い方もかわってくると思わないか。
久我、だいぶ前置きが長くなってしまったが、、、そのつまりだ、、、まぁなんだ、、、
俺は禁煙に失敗した。実は結構前に失敗してて、今日まで言いそびれていた。あれだけみんなの前で大見得を切ってしまったというのもちょっとだけある。前に教えてもらった禁煙外来について今度詳しく話をきかせてくれな、、、いや、教えていただけませんでしょうか。
小宮山@もうすぐニューデリー
Jul 1, 2013
宛先:久我 件名:魔法瓶と電子レンジさん
久我、元気でやってるか。
この前、久しぶりに近所のコンビニの前を通った。おじいちゃんの気分が味わいたいので、いつもの3分の1のスピードでしか歩けないという縛りを自分に課して、ものすごくゆっくりとコンビニの前を通った。そしたらな、東京ウォーカーの特集が目に飛び込んできた。表紙にはこうあった。
「取材拒否の雑誌に載らない店特集」
これはいかんだろ。誰かが「雑誌に載らない店特集」が雑誌にのることを疑問に思わないといけないだろう。横に並んでいる宇宙兄弟の漫画より、東京ウォーカーのほうがよほどサイエンス・フィクションだ。これを作った奴は宇宙人にちがいない。
久我、これが21世紀ってやつだ。世界は狂ってる。クルクルに狂ってる。そしてその狂気は何気ない形で俺たちの日常を蝕んでいるんだ。
例えば俺は昔から「魔法瓶」というやつがたいそう気に食わない。例えばだ、例えばの話、魔法瓶が以下の様なものであれば、、、
まほうびん【魔法瓶】
奈良時代から平安時代にかけて現在の中国を経てヨーロッパから日本にもたらされた瓶の一種。その起源はイエス・キリストが厩で誕生した際に、従者たちが沸かしたお湯を入れた瓶に遡る。イスタンブール国際博物館に収蔵されている現存する最古の魔法瓶の中の液体は1800年を経た現在も摂氏80度を保っている。(2010年、ハーバード大学研究チームの赤外線温度測定に拠る) 温度維持のメカニズムは未だ解明されていない点が多い。なお日本の市場で魔法瓶として流通しているのは形や色で元祖を踏襲するものが多いが、概ね1年ほどで内部の水が室温と同じ温度に戻る。
これなら魔法の瓶と俺も呼びたい。使っていない時は床の間に並べておきたいとさえ思う。だが実際はどうだ?確かに魔法瓶にいれたお湯は冷めにくい。半日くらいは熱々を保ってくれる。しかしだ、魔法とはそんなチンケなものなのか?誤差程度の保温機能だけで「魔法の瓶」とはさすがにないだろう。まぁマーケティングっていわれればそれまでだけどな。
久我、俺はここであえて電子レンジさんの凄さを強調しなければならないと思う。電子レンジさんのほうがよっぽどマジカルなエクイップメントだということを。あれはあれだよ、横から電波みたいなのがビーって出て食べ物の中の水分子を震わせて瞬時に熱を発するらしいな、よくわからないけど。これはかなり魔法じゃないか? それだけじゃない。俺はときどき電子レンジのガラス窓から冷凍ご飯が温まり、ホカホカにされていく様をただじっと見ている。毎回想うんだ「ガラス隔てて向こう側が自分だったら死んだな」と。「今日も命拾いした」と。電波がどういう角度で出ているのかは分からないが、あんな頼りない仕切りだけでこちら側になんの影響も及ぼさない電子レンジさんは、市民の巻き添えを許さない心優しい暗殺者のようだ。
こんな画期的な家電の名前が電子レンジって名前なのはかわいそうじゃないか? しかも愛称「チン」だぞ? 英語だとなんだ、マイクロウェーブか? 微かな波あるいはびみょーな波だよ。そういえばそんな宗教があったな。そりゃパナウェーブか。
まぁいい。
とにかく今身近にあるものの中で一番マジカルなのは断トツに電子レンジさんであり、それを差し置いて冷めにくい瓶ごときが魔法を名乗るのが俺は全くゆるせない。
久我、ここまで読んでもしかしたらお前はこういうのかもしれない。「大豆を腐らせた食べ物が納豆で、豆乳を容器に納めて固めたのが豆腐なのはおかしい、逆ではないか」と。・・・そ、そういうのは屁理屈という。。。それはもう社会のルールだ。 もっと大人になれ。
じゃあ俺は寝る。
小宮山@白いご飯は1分20秒
Jun 9, 2013
To: Kuga, Subject: もし生まれ変わるなら
いや、フグ自体はいいんだ。なんか毒持ってるのも影のある男みたいでかっこいいじゃん?
刺もあるし。使い方よく分からないけど。
だから野生のフグはいいんだけど、とらふぐ亭の生け簀に入れられるフグには絶対になりたくないと思うんだ。
あそこのフグはたいてい養殖だろうから、大きいプールで育つわけだ。どこか片田舎の。
で、もうその段階でなんとなく自分の運命っていうかさ、なんとなーく朧気ながらだけれどもプロ野球選手にもロックスターにもなれないことを悟ると思うんだよね。
同じプールで仲良くなった友達もある朝とつぜんザバーって消えていくわけじゃん。「あれ、あいつどうしたんだろう」なんてメランコリックな気持ちになっちゃうこともあると思うんだよな。
でさ、そうやって鬱々と過ごしていると、今度は自分が絡め取られて運ばれるわけだ。多分池袋あたりのとらふぐ亭に。
ここでさすがに気づくよな。いくらフグでも。「俺、食べられちゃう、人間に食べられちゃう!」ってことに。
気づいた瞬間は目の前が真っ暗になって、歯がガクガク震えるだろうな。今までの人生が走フグ灯のように思い浮かぶかもしれない。叫びたいだろう、泣き喚きたいだろう。
だがしかしだ、久我。これはフグの悲運の一面でしか無い。フグの本当の悲しさは、あいつらが見てて面白いところなんだ。
昔、目黒には交差点の近くにとらふぐ亭があってな、俺はたまに信号待ちの時に水槽のフグを見てこんなことを考えていた。
「あー、こいつらなんも考えなくて毎日が日曜日でうらやましいなぁ」ってな。俺がそう思うほどに、あいつら揃いも揃ってだな、おっそろしく間抜けた表情してるぞ。口をパクパクしてな。パックパックってな。
見てて飽きないんだな。あの動きと顔が楽しくて。
あんな過酷な運命を生きている生き物に対して、「うらやましい」とか、俺はなんてアホだったんだと今ならおもうがな。ただ街角にあるあの生け簀を見て、かわいそうという気持ちがおきないのは、フグのあの姿形のコミカルさによるものだろうな。
およそ運命にはみはなされているが、笑いの神には愛された魚だと思う。
だが、久我、そんな生き様、悲しいとはおもわないか?
だから久我、生まれ変わるとしたらフグだけは嫌なんだ。
小宮山@人間
Apr 14, 2013
サイバー戦争と国際ルール作り。ここまでのあらすじ
いわゆるサイバー戦争について2013年4月時点での現況、特にノームの議論についての状況を整理してみた。私的な興味に基づいて調べた結果のとりまとめであることをご理解いただきたい。
サイバー空間とは
サイバー空間(Cyber-space)という言葉は「情報通信技術を用いて情報がやりとりされる、インターネットその他の仮想的な空間」ということで日本国内外において広く認識されている。 「インターネットその他の仮想的な空間」とあることからもわかるとおり、サイバー空間は無線通信ネットワークやインターネットに接続されていない閉域のネットワークまでを含むより大きな概念である。
サイバー戦争とは
サイバー戦争(Cyber-War)という言葉の定義は未だ検討がおこなわれている段階である。歴史を紐解けば、少なくとも1990年代前半には近い将来の脅威としてサイバー戦争を懸念する研究者がいた。当時は"Hyper War"、"Net War"そして"Cyber War"など呼ばれ定義も様々であった。
(インターネットの普及に伴いその上で起こる一般的な衝突をNet War、軍隊が行うものをCyber Warと呼び分ける程度の分類は行われていたようである。)
膨張する定義
この文章を書いている時点でサイバー戦争の定義は膨張を続けている。サイバー戦争という言葉が使われるのは主に2つのパターンのようである。
一つは行為者に着目するものであり、サイバー空間への攻撃の主体となる者が政府あるいは軍隊の場合にそれをサイバー戦争とするものである。もう一つは被害状況に注目し、その被害から政治的な目的が感じられるものをサイバー戦争とするものである。
特に後者の場合は過去十数年繰り返し行われてきた攻撃も戦争として捉えられる。
既存の戦時法と整合させる試み
戦時法や安全保障の専門家の間では、既存の法と整合させ、より厳密な定義を行おうとする動きがある。たとえばキングス・カレッジ・ロンドンのThomas Ridは”Cyber War Will Not Take Place”という論文でサイバー戦争の条件を"一に暴力性があること。第二に暴力的行為の先に目的があること。第三に政治的であること"と位置づけた。この3つをすべて満たすもののみをサイバー戦争とよぶということにすると、現在起きている事象はすべてその条件を満たさないためサイバー戦争は発生しておらず、また今後も起こる確率は低いという主張である。
サイバー戦争の実例
サイバー戦争についての定義がない状況ではあるものの、1)湾岸戦争時に米軍がイラク軍のネットワークに侵入しイラク軍の将校に投降をもとめるメールを送った 2)イスラエル軍のシリア空爆に際して事前にレーダーシステムを無力化する攻撃が行われた 3)人民解放軍が米国の国防省のネットワークから文書などを盗み出したなどという事例が、真偽が不明のまま「サイバー戦争」が起きている証拠として報道され、結果的にサイバー戦争の脅威が増しているという印象を与えている。
専門家は、現実に起きた(あるいは起きたとおもわれる)事象について評価するなかで、サイバー戦争を定義しようとしている。その際に多く引用される以下3つの事例について経緯を抑えておけば、今後の議論を理解しやすい。
標的型攻撃、APT攻撃
高度な手法を用いて、かつ執拗に同じ標的に対して侵入を試み、その情報を盗み出そうという試みがAPT攻撃などと呼ばれている。APT攻撃はさらに攻撃者のグループやその手法によって、細分化される。
特に話題に登るのは1990年代後半から行われていたとされるムーンライトメイズ(Moonlight Maze)、そして2003年頃に確認されたタイタンレイン(Titan Rain)である。どちらも米国の安全保障関連の組織、企業が狙われ、発覚したときには多くのデータが世界各地の攻撃者が所有すると思われるサーバに転送されていた。攻撃に使用されたIPアドレス、ツールなどから中国による攻撃とする説が多い。
最近では米国の民間企業がAPT1というグループが米国政府とその関連機関に対して行ったという攻撃の詳細を公表し話題になった。
エストニアへのDDoS攻撃
2007年4月から5月にかけてエストニアの政府や金融機関などのWebサイトに断続的にDDoS攻撃が行われた件である。各種手続きなどのオンライン化が進んでいるエストニア関係者に大きな動揺をもたらすのと同時に、その当時緊張関係にあったロシアの関与が噂された。当時のエストニア政府高官は攻撃を指示したのはロシアであると非難した。
その後NATOがサイバーセキュリティに関する専門機関CCDCOEをエストニアの首都タリンに設置するきっかけとなる。
Stuxnet
2010年に主にイランなど中東諸国で感染がみられる、USBドライブを媒介して感染を広げるタイプのウイルスとして報道される。後に稼働する条件などから推定してイランが保有する核燃料施設のウラン濃縮用遠心分離機を誤動作させるものと発覚した。
2012年6月にニューヨーク・タイムズがオバマ大統領とイスラエル政府がStuxnet作成に関与したと報じる。
サイバー戦争への懸念
サイバー戦争の問題について今後の議論を進めるために、主要なプレーヤーがなにを問題として認識しているかを整理したい。
民間事業者の懸念
まずかつての戦場(陸海空)とちがい、サイバー戦争では民間が所有するインフラ(コンピューターやルータ)が戦場となる。これについてISPなどの通信事業者は自らが戦争行為に巻き込まれることを懸念する。
また、サイバー空間で軍隊と軍隊が直接衝突するのではなく、相互に他国の電力や鉄道やオンラインバンキングなどの重要なインフラを狙う可能性が高い。
さらにサイバー戦争への防御力を向上するために、民間事業者に対して、何らかの規制を加えようとする動きはすでに米国などでおきている。リチャード・クラークは自著で民間事業者にサイバー戦争対策を強制するよう働きかけたが、そこで様々な困難があったことを告白している。
サイバー戦争の脅威が事実であったとして、民間事業者に追加のセキュリティ対策を義務付けるのは、核戦争時代に電力会社に弾道弾迎撃ミサイルの設置を義務付けるのと同義であるという声がある。
軍隊の懸念
2012年9月防衛省はサイバー空間防衛の指針を示した。この中でサイバー攻撃の特性として以下をあげている。
- (1)多様性 (主体、手法、目的、状況において)
- (2)匿名性
- (3)隠密性
- (4)攻撃側の優位性
- (5)抑止の困難性
原文はサイバー攻撃に対応することの難しさを、端的にまとめるものなので、ここで引用したが、世界各国の軍隊において概ね同様の認識がされているとおもわれる。
政府
(省略)
ノーム(国際規範)とCBM(信頼醸成装置)
サイバー戦争という見えない脅威への対応について、ノーム(国際規範)とCBM(信頼醸成装置)の確率に向けた努力が官民においてはじまっている。
ノームについて誤解を恐れず一言で単純化すれば「サイバー戦争のルール」である。現実の世界の戦争にも、核兵器の拡散を防止するルールがあり、捕虜の虐待を禁じるルールがある。サイバー空間でも同様のルールが必要ということである。
CBM(TCBMと呼ばれることも)として有名なのはキューバ危機のあとに、米ソ首脳の間に設置されたホットラインがある。敵対する勢力との間にも、事態が不要にエスカレートしないように直接対話できる窓口が必要であるという。
ノームとCBMの確立に向けた国際社会の主要な取り組みを、以下にプレーヤーごとにまとめる。
ロシアと中国
2011年9月にロシアと中国とタジキスタンとウズベキスタンが国連総会に”Internet code of conduct for information security”を作ることを提案した。ここでの中ロの提案の趣旨は以下のとおり。
- インターネット上には国家の主権が認められ、従って国家の権利と責任が発生するということ
- どの国家もインターネットを敵対的行為のために使用することは許されないこと(つまりインターネットの軍事利用を制限しようとしている)
- インターネットを管理するより透明性の高い仕組みを作る必要があり、国連がそれを検討する上で主導的な立場を果たすこと
ロシアと中国と一括りにしてしまうのは乱暴であるが、少なくとも両国が国際社会に提案している内容からは、両国のゴールはサイバー戦争の脅威低減にとどまらず、米国とその関連機関が実効支配している(と彼らが考える)現在のインターネットのガバナンスを変えていくということにあるとおもわれる。
国連
国連の中では特にGGEとITUの取り組みについて書き留めておく。
UN GGE
国選総会は個別の問題について検討する政府専門家会合GGE(Group of Governmental Expert)を招集できる。メンバーは地域からの推薦により決定される。
情報セキュリティの分野では2004年にロシアの提案でGGEが構成されるが合意して声明を出すに至らなかった。 2009年に再度構成され2010年にサイバーセキュリティに関するノームの議論を続けるべきなど5項目の提案を含んだレポートを完成した。
2012年に再度構成され、2010年の提案をもとにより踏み込んだノームの具体案が提案されると期待されている。
ITU
国連の専門機関の一つであるITUはサイバー戦争について、ポジションを明確にとっていない。一方で中東政府機関などから情報を盗み出したとされるウイルスの分析を民間ベンダーと協力して行い、その結果を各国に提供するなど、サイバー攻撃対策に必要となる技術的な能力を高めている。
ロンドン会議
2011年9月にイギリス外相の呼びかけで開始。西側諸国の政府が中心に参加し、サイバー戦争への備えが必要であるのを認めつつも既存の国際法や関連制度を大きく変えたくないというスタンスをとる会議体である。
ロンドンでの初回の会合では、現時点でサイバー攻撃対策について強制力を持つ国際法を新設するのは時期尚早と結論付けた。2012年にブダペスト、2013年にソウルでの会議が予定されており、上記のメッセージを繰り返し発出していくと考えられている。
NATO CCDOE
タリン・マニュアルという文書が2013年3月に正式に公開された。国際法などの専門家の3年におよぶ検討をもとにつくられた。事務局としてこれをサポートしたのがNATO CCDOEである。
このマニュアル作成に関わった専門家によれば、目的は既存の国際法がサイバー空間にどのように適応されうるかを議論するためのたたき台づくりである。従ってサイバー戦争に関するノームのあり方を提案するのではなく、現状の国際法を説明することに主眼がおかれている。
タリン・マニュアルでは少なくとも5つの重要な問題提起が行われている。
- 戦争行為への直接的関与に関する構成要件
- サイバー攻撃の構成要件
- 中立性の原則はサイバースペースに適用されうるか
- 人道的支援を行う中立機関(例えば赤十字社)のサイバースペースでの立場
- 非政府組織によるサイバー攻撃の取り扱い
あくまで出発点とはいえ、海戦のあり方についてサンレモ・マニュアルが、空戦のあり方について"Manual on International Law Applicable to Air and Missile Warfare"が大きな役割を果たしたことを考えると、(サイバー戦争に関するノームの検討について)タリン・マニュアルがの今後の議論の土台となると見る専門家が多く、実際各所で引用されるようになっている。
その地域レベルでの動き
NATO CCDEOほど大掛かりでないものの、地域レベルでサイバーセキュリティに関する備えを進めようとする動きでは以下が代表例としてあげられる。
OSCE(欧州安全保障協力機構(OSCE)
イギリスの呼びかけでノームとCBMに関する議論が行われている。
SCO(上海協力機構)
SCOの中に情報セキュリティの部会がある。前述のInternet Code of ConductはSCOの成果物として国連総会に提出された。
民間
マイクロソフトなどの民間事業者は、(欧州安全保障協力機構やUNGGEで行われているノームの議論は重要であると認めつつも)議論は政府主導であり、今日のインターネットインフラの多くを所有する民間事業者の声が届きにくいと指摘する。現在のベストプラクティスやノームを十分に理解する民間事業者がサイバーの世界のノーム確立に主導的役割を果たしていくべきであるということである。
また多くのITベンダーが国境を超えてグローバルなビジネスを展開していることを考えると、グローバルベンダーがCBMの一つとなると考えるのも不自然でなく、その役割は大きい。
既存のセキュリティインシデント対応を行う組織であるCSIRTは国際的な横のつながりが強く、これがCBMの土台となりうるのではないかという議論もある。
終わりに
サイバー戦争がおこる/おこらないというのは少なくとも5年以上の前の議論であり、上記のグループにおいてはサイバー戦争に対するスタンスの違いはあるものの、それが近い将来起こるという認識が共通されている点は特筆に値する。物騒な時代である。そして多分、情報セキュリティと法律と安全保障の専門家が力を合わせないといけない時代でもある。
Mar 15, 2013
イイね!のインフレーション
イイね!インフレーションが起きている
イイね!インフレの要因
- うーんコメント考える時間がないな、とりあえず押しておこう。→ コメント面倒イイね!
- 田中部長またヨサゲなレストランにいった時の写真をアップしてる。たまには部下におごれよ?まぁいいや、ポチ→接待イイね!
- なになに、アフリカには飢えている子供が今も、ふーん・・・一応社会問題に興味ある姿勢示しとくか、ポチ→公共イイね!
そして始まる「どうでもイイね!」時代
最後になるが、このポストに関しては皆さん全力でイイね!を押していただきたい。お付き合いでもノールックでかまわない。そう私は細かいことは気にしない。しかしイイね!の数は気になる人間なのである。
お詫び:
2013年3月14日に公開した、イイね!のインフレを指摘するレポートにおいて、一部インフレをデフレと誤記しておりました。お詫びして訂正いたします。
なお、かような初歩的かつ重大な間違いを含む文章について既に11のイイね!をいただいており、図らずも筆者が指摘する、ノールックイイね!が(筆者の想像以上に)はびこっていることが証明されました。
イイね!中央銀行 チーフエコノミスト
Feb 9, 2013
インフラを想う3冊 (本をまとめてオススメしてみるシリーズ)
おもしろい本だけど、一冊だけ読んでも輪郭が浮き上がってこない、パンチが弱い本がある。人にはオススメしにくいのだ。そういう本の中で別のなにかと組み合わせたら面白いと思えるものを紹介してみようと思う。僕にとって「鴨とネギ」でも、みなさんには「梅干しと鰻」なのかもしれないのだけれど。
インフラを想う3冊
一冊目の定刻発車はJRの鉄道システムが如何に発達し、現在の安定した輸送を行っているかを調べたノンフィクションである。著者が現在の鉄道の運用に欠かせない中央司令室を見学した際の描写は臨場感があり、なかなか心踊るものがあった。
本書のタイトルが問うている「なぜ正確なのか?」については、路線・車両・スタッフという有限資源をつかって、より多くの乗客と貨物を運ぼうとするには、ダイヤを作成しその通りに運用するというのが最善だからという趣旨の説明がなされていた。
多く運びたい、だから正確にしないといけないのである。インフラが貨物乗客の増加にあわせて進化し続ける生き物のように描かれ、守る仕事の難しさが伺える。
二冊目の空白の天気図は太平洋戦争の終戦期に広島の気象台の人々がいかに観測データに穴をあけないように努力したかを綴ったノンフィクションである。終戦時と広島というキーワードから予想できるように、原爆が投下された直後の広島が舞台だ。壊滅的な被害を受け、生き抜くことすら難しい状況のなか、それでも気象台は気象観測を続けた。急性放射線障害の後遺症で仲間がひとり、またひとりと倒れる中でも、時に家庭を犠牲にして観測の数字を積み重ねていく。。
天気予報を社会生活のインフラとするかは微妙なところであるが、予報の元となる気象データを日々記録し、後世に残していくことは我々の生活の基礎となっていると思う。時々、メディアで「観測史上最大の・・・」という前置きのニュースを目にすると、この非常事態にあっても後世のためにデータだけを残した人々のことを思わずにいられない。(というほどではないが、時々思い出す。)
ただし本書を読む限り、職員が絶えず観測を続けられた理由の一つに崇高な使命感があったのはもちろんのこととして、片方では習い性、よく言えば日頃の訓練によって維持されているものの多さを感じた。「すげー爆弾おちたけど、まぁ今日もいつも通り仕事しようや。」という。
三冊目のローマ人の物語〈27〉はローマ帝国の水道や道路などのインフラを紹介している。著者はローマ帝国が敵対者を侵略し、新たに支配下においた際には、まずその都市からローマに通じる道を作ったという事実を紹介している。「すべての道はローマに通ず」という副題の通りである。
道路というインフラを設備することは非支配国とローマ帝国の人と経済を密接に結びつけることに成功し、帝国が長きにわたり繁栄を維持するのに貢献した。僕のような悲観主義者の視点から考えなければならないのは、ローマに通ずる道は反乱分子がローマに攻め入る道にもなりえたということである。
道はローマ帝国を侵略の危険に晒す行為でもあったが、ローマ人がそのリスクをとってもインフラを整備するという判断をしたのは、ありきたりな言い方だが勇敢だ。
一冊目からは二冊目と違い、この本でのインフラは周囲を飲み込んでいく開放性をもっている。そしてそのような開かれたインフラを持つ国が覇権を握ったということは、この本のローマ帝国が、そしてその後の歴史の中でも特に今日もっとも成功している通信インフラ・インターネットを支配するアメリカが、身を持って証明していると思うのだ。インフラを全面的に開放して覇権に近づく。そういう発想の転換を僕らが迫られる時期はそう遠くないはずである。
毎日のようにお世話になっている、電気会社・上下水道会社・ガス会社・運輸会社・佐川急便、そして何よりも私にインフラの大切さをちょいちょい再確認させてくれるソフトバンクモバイルさんに感謝しつつ、このとりとめのない読書感想文をおわりたい。
Feb 8, 2013
陰口を慎んだほうがよい理由
これといった思想も、特定の宗教を信じることもなく生きている自分ではあるが、一つだけ気をつけている事がある。それは人の陰口を言わないことである。
なんと当たり前のこと、と驚かれる向きもあるかもしれない。しかし世の中には陰口と悪口が大好きな人がいる。そして「人の陰口はよくない」と道德を全面に掲げて否定する人もいる。そのどちらもちょっと違うとおもうのだ。
まず陰口を言っても問題を解決しない。ちなみに、あなたが、誰かの行動に腹が立ったとして、それをその「誰か」がいない場所で第三者に伝えるのがここでいうところの陰口である。
陰口は「誰か」の耳に届かない。腹がたったことを直接「誰か」に伝えれば改善される可能性が1%はある。しかし陰口は「誰か」の耳に届かない。永遠に改善されない。
まれに「誰か」の耳に届くこともある。陰口が第三者を経て、たいてい尾ひれがついて、「誰か」に伝わる。これはもとの陰口の内容に加えて、人伝に聞かされるというダメージが重なり、「誰か」の気分を害するだけである。改善の見込みはゼロであるばかりか、「誰か」の信頼をなくす。
次に陰口はコストがかかる。お金がかかるという意味ではない。頭をつかうということだ。陰口を言うという行為は、時と場合と同席する人によって自分の意見を変えるのであるから、高度に知的な営みである。子どもは砂場で遊んでいる他の子に「くさーーい!」と叫ぶが、大人は居酒屋あたりで「課長、くさくない?ヒヒヒ」とささやく。大人が汚れてしまったわけではない。大人は知的なのである。だがしかし、大人には国際情勢から親戚の葬式から高血圧対策まで考えなければいけないことがある。せめて陰口をやめることによってもっと楽に生きればよいのだ。
なお、我々は聖人君子でないので腹が立つ事はある。その時は我慢すればいいのである。我慢の限界を超えたら、その時は面と向かって言ってやればよいのである。思えば小さいからこのポリシーをもっていた私は中学時代になんにでもずけずけ発言したことから「介入関与」という仰々しいアダ名を頂戴した。なんとなく「内閣参与」と響きが似てるので将来的に私もその程度までは出世するのだと思う。その後の人生においても、「毒舌な○○さん」「きっつい性格」どころか「ちゃぶ台返し○○」と言われる始末である。子鹿のはかなさとエグザイルのボーカルの頭に線がない方のスタイルを兼ね備えている私が、こんなヒドイ言われかたをされるのはひとえに「言ってまう」ポリシーのせいと思われる。そう、それ以外考えられない。うん。
話がそれた。
陰口は慎むべきである。それは道德の問題でなく、経済の問題である。陰口を捨てることで、あなたは世界が良くなるチャンスを得る。シンプルな世界を得る。もしかしたら「介入関与」というアダ名を得る。また愉しからずやである。