久我、元気でやってるか?
唐突だがガンジーについて語りたい。
・・・いや、お前が今忙しいとか忙しくないとかは聞いていない。まぁ座ってくれ。
ガンジー=聖人という空気
ガンジーはインドが生んだ思想家であり、活動家だ。祖国インドを自らの手に取り戻そうと、ガンジーは非暴力、不服従の原則をかかげて、宗主国イギリスと戦った。この非暴力の印象が強いせいか、ガンジーはちまたで聖人君子のごとくとらえられている。
その端的な例が、ネットでよくみかける、「ガンジーも助走をつけて殴るレベルの」という形容詞だ。あの穏和で温厚なガンジーですら助走をつけて殴ってしまいたくなるレベルの理不尽さをもつものに使用される。 (私的なところで言えば今年のドラゴンズの高木守道監督の采配は俺の中でガンジーも助走をつけて殴るレベルだ。前任者がレジェンド落合だっただけにな。落差が激しすぎてな。)
実はかなりややこしいガンジーの言動
だがここで俺は大事なことを指摘したい。それはガンジーは決して聖人君子ではなかったという事実だ。例を2つあげる。
1.他人の望遠鏡を理不尽にも海へ投げ込むガンジー
そもそもガンジーは西洋文明全般について批判的だった。そしてあるとき「船旅で出会ったドイツ人の持っている望遠鏡に対してそのようなものがあるから欲望が止まらないので捨てるべきであるとして言い争いになったが、最終的には望遠鏡がなかったらそもそもこのような言い争いになることはなかったと説き伏せ海に望遠鏡を放り投げた。」 ソースはWikipediaなので真偽は怪しいが、事実だとすればめちゃくちゃな理屈だ。
2.嫁とイチャイチャしてたら父親の最期を看取れなかったガンジー
これはガンジーの自伝に本人が書いているので間違いない。死期の近い父親の看病で病院に詰めていたガンジーはある日、横で寝ていた妻に欲情し、妻を起こしあれこれして、病室に戻ってきたら父親が亡くなっていたという。
久我、おどろかないか。望遠鏡で海をみてたらよく分からない爺さんが近づいてきて、それを捨てろっていうんだぞ。当時の望遠鏡は高価だったと思う。そもそもその望遠鏡は爺さんになにひとつ迷惑かけていないし。それを説明しても最終的に投げ捨てられる。これこそ、ガンジーも助走をつけて殴るレベルの言いがかりだ。 ガンジーの父親もかわいそうだぞ。「く、くるしい、み、みずをくれ、、、」って言っても周りに息子がいないし、返事の代わりに隣の部屋からギシギシ聞こえるなか御臨終だからな。
つまり聖人ってなんなんだろうな?
これ以外にもガンジーはこの手の強烈な逸話を多く残している。だからガンジーを平和の象徴とか、温厚さの象徴ととらえるのは間違っていると思うんだな。
しかしだガンジーのそういうダメな部分を知ってなお、おれはガンジーは偉大だと思ったんだ。むしろガンジーが真に偉大なのは、そんな自分の恥部をあられもなくさらけ出す勇気とあくなき一貫性を追求しようという姿勢なのだと。
弱さをさらけ出した人間ほど強いものはないのだとすれば、ことさらに自分を強くみせる努力を求めるこの社会との付き合い方もかわってくると思わないか。
久我、だいぶ前置きが長くなってしまったが、、、そのつまりだ、、、まぁなんだ、、、
俺は禁煙に失敗した。実は結構前に失敗してて、今日まで言いそびれていた。あれだけみんなの前で大見得を切ってしまったというのもちょっとだけある。前に教えてもらった禁煙外来について今度詳しく話をきかせてくれな、、、いや、教えていただけませんでしょうか。
小宮山@もうすぐニューデリー