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Nov 19, 2011

初めての海外一人旅にいったら、なんかさみしかった話

ふと、学生時代のことを思い出した。フランスのドーヴィルという静かな街に海を見にいった生まれて初めての海外一人旅のことを。思い出が風化する前につづっておきたいだけなので、オチもなにもない。

 

大学生のころ僕はひかえめにいってかなりダメなやつだった。4年生の時、卒業までに取得しなければならない単位は34も残っていて、履修したのは34単位だった。つまり1つたりとも単位を落とすことが許されないという背水の陣だった。卒業できるだろうか?と不安だった。。通っていた大学では卒業者はまず掲示板に張り出される。肌寒い3月吉日、僕は死刑宣告をうけるつもりで通いなれた坂をのぼり、そして掲示板に自分の学生番号をみつけた。卒業出来たのである。我が生涯における5大幸運の1つ、神様からのプレゼント、完全なラッキーパンチであった。

 

運良く、卒業が決まった僕はふと「卒業旅行」なるものをしてみたいと思い立つ。4月から社会の一員として働きはじめる、その前に自由というものを謳歌してみたかったのだ。父親に「社会に出たら、長い休みは取れない。ヨーロッパなんかは今行かないとなかなかいけないぞ!」と言われたのが、妙に説得力があり、行き先は漠然とヨーロッパに決めた。

ヨーロッパのどこか?そんなもんイギリスとフランスに決まっている。海外事情にうとい僕には大英博物館にいきたい、モナリザを生で見てみたいというのが数少ない具体的に描ける目標だった。

 

イギリスを数日旅してからユーロスターという鉄道でフランスに入る。パリは予想以上に楽しい町であった。ルーブル美術館は素人の僕でもわかるような有名作品がわんさかあった。ご飯もおいしかった。

パリを旅行して3日くらい。計画をたてずに旅行をしていた僕は時間を持て余してしまった。帰りの飛行機が出るのはまだ一週間ある。僕はパリの本屋で手に入れた地球の歩き方(フランス)を読み返し、行ける場所を考えることにした。食の都リヨンあるいはモンサンミッシェルは行ってみたいけれど遠い。そして飛行機にはこれ以上のりたくない。あまりに観光客が多い、いわゆるベタな場所はなんかかっこわるい気がする。

ほどほどに近く、ほどほどに遠く、ほどほどに人気だけれども、ほどほどに人気がないそんな場所を探していた。

 

そして見つけた。 『ドーヴィル(Deauville)』という町を。

 

パリから北に向かうノルマンディー地方の海沿いの町で、高速鉄道で数時間でいけるという。ビーチがきれいで夏には避暑に来るお金持ちでにぎわうらしい。さらに地球の歩き方にはドーヴィルからすぐ近くにはエトルタというさらにマイナーな町があって、おもしろい形の岩があるという。僕は直感でドーヴィルにかけてみることにした。

 

高速鉄道はパリの北駅から出る。英語もしゃべれない、旅行経験もゼロに等しい僕が、どうやって切符を買ったのか定かでないが、とにかくやたらと駅構内を歩き回って、ドーヴィル行きの電車がでるプラットフォームを探し回った記憶だけはある。

 

なんとかドーヴィルについた。生まれて初めて外国で自分で行き先を決め、切符を買い、目的とする場所にたどり着いたという喜びを例えるなら「運転免許をとった直後の、右折すら避けたい頃に、一人でドライブにでかけて見事目的地にたどり着いた時」だ。

ドーヴィルは閑静を通り越して閑散とした町だった。3月の海辺の町なんてそんなものだと今になって思う。駅前は人影がまばらで、コンビニもなく、バス停もなく、ホテルを予約しようと思ってたどりついた観光案内所は無人だった。

 

コンビニで1つだけおにぎりを買って食べたいくらいの空腹を感じて、駅の周りを探すとそこには一見のレストランがあった。外から店内を覗き込むと、真っ暗で客はいない。怖いからやめようという気持ちは空腹に負け、僕はその店に足を踏み入れた。

「ボンジュール」

フランス語以外を話す気はないからねと言わんばかりの先制パンチを食らう。

つらい。 メニューを渡されたが、当然フランス語でかかれていて、読めない。パリでは英語メニューがあったのに…

まったく意味不明な文字の集合の中に、Tarte Normandiという文字を見つけたときはうれしかった。このノルマンディー地方で人気のタルトが出てくるんだろうと予想がついたからだ。コーヒーとTarte Normandiをオーダーしてみた。程なくして店主が飲み物とタルトを持ってくる。まさしく思い描いた、日本でもよくあるドライフルーツタルトだ。さっそく食べようとすると店主がチッチッチと指を左右にふり、おもむろに茶色い液体をタルトにかけて右手に隠しもっていたライターの火を近づける。僕のタルトは一瞬青い炎につつまれた。どうやらブランデー(後にカルバドスというこの地方名産のお酒と判明)をかけて火をつけるという演出らしい。今で言うところのドヤ顔というやつでニコニコと僕をみつめる店主の手前「わおーー!」と大げさにおどろいてみせるフリをしたが、実のところ僕はまったくお酒が飲めなかった。カルピスサワー1杯で酔いつぶれて寝てしまうほどに弱かった。

なぜそのままで美味しいタルトにブランデーをかけてすべてをぶちこわしてしまうのか。意気消沈して食べたタルトはあたりまえだが「お酒の味」がした。

フランスでフランス語ができないことの難しさを実感した。

 

ドーヴィルではいろいろな経験をした。昼ご飯を食べにレストランに入ると、横で推定70台のおばあちゃん二人組がワインを二本空けているのには驚いた。レストランの少なさにも驚いた。もちろん道を歩いていても看板が気づきにくいだけだったのだろう。ただ当時の僕にはホテルの人や道行く人にレストランの場所を聞く勇気も英語力も無かった。冬のビーチは人の気配がなく寒々しかった。最初に入った何軒かの店で英語で話しかけて、あからさまに嫌そうなそぶりをされた。数日の間、言葉を交わすのはホテルのフロントの英語が堪能なスタッフだけ。孤独を感じる日々だった。

 

そうそうエトルタにもいってみた。タクシーに乗って30分くらい。白い砂浜の先に断崖がある光景はガイドブック通りに美しかった。持っていた使い捨てカメラで写真をとった。時間だけはあるのでウロウロ歩き回ったが記憶にのこるようなものはなかった。

 

帰りもタクシーにのったが、今度は45分もかかった。ぼったくられたのだろう。

 

こんな閑散とした町で日本人にも遭遇した。その日僕は手持ちのお金が尽きてしまい、銀行にでかけた。あいにくその日は銀行が定休日で両替できなかった日本円を片手に「明日まで残り少ない現金でどう生きのびるか?」を考えながら、すごすごとホテルに帰る道すがらだった。町のはずれで日本の若い女性4人組とすれ違った。すれ違い様向こうが「こんなところにも日本人いるんだねぇ」と話しているのが聞こえた。

事情を話して日本円を両替して欲しいとおねがいしてみるという名案が浮かんだが、それを実行に移す勇気はなかった。

 

ドーヴィルにはけっきょく5泊くらいしただろうか。あの町でコミュニケーション能力ゼロの僕がどうやって過ごしていたのか今となっては不思議である。ただ新しいレストランを試すのが怖くて、例のタルトは滞在中三度もたべた。やることがなくホテルの部屋でただ寝ていた日もあった。

 

この文を読んだ方は楽しかったのか疑問に思われるかもしれないが、僕にはこの旅は楽しかった。自分で行き先を選び、気ままに行動することが。日本に帰ってからは友達に経験をちょっと大げさにして伝えた。

「突然海がみたいと思いたって、北をめざしたよ。なんかみんなが行くような観光地はいやでさー」

「いやー、フランス人は全然英語下手だね」

計画性の無さや自分の英語力が足りてなかったことは棚にあげて。

 

ただこの旅でコミュニケーションできないとどうにもならんという状況をはじめて経験した。世界は広く僕らが理解できない言葉で談笑し、昼間からワイン2本をあける怪物のようなおばあちゃんがいるということを知った。コミュニケーションがとれない世界で自分がどれだけ無力で孤独かを知った。世界ってやつを初めて実感した瞬間だった。

 

その後、仕事でもプライベートでもいろいろな場所にいったが、あの時ほどの孤独を感じたことは一度もない。もしこの卒業旅行の行き先がハワイのような日本語でも通じる場所だったら、あるいは僕が友達と旅していたら、今ほどコミュニケーションがとれないことに対する危機感は抱くことはなかったかもしれない。そう考えるとやはり人生の一つの分岐点だったのではないかと思えて仕方ない。

 

だから今、コミュニケーションがとれない世界で苦しんでいる人をみると、誰でも最初からうまくいくはずがないし、高い壁を感じた人の方が危機感を持つぶんだけこれから伸びるよといいたくなる。

いやちょっと違うな。最初からどんな壁もとっぱらって打ち解ける才能を持った人がいるのは事実だ。僕にその才能はないけれど、語学などのテクニックにすぐれていたり、人柄やエネルギーでまわりを引きつける人をたくさん見てきた。

だから僕がいいたいのは、コミュニケーション能力は後天的にも身につくから心配しなくていいということなんだろうな。