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Dec 23, 2009

不気味の谷現象と外タレの日本語


ロボット工学の世界には"不気味の谷現象(Uncanny Valley)"という言葉がある。どんどん人らしさを増していくロボットを歓迎していた人間は、どこか特定のポイントにおいてその人らしさを受け入れられなくなるという仮説である。Wikipediaには以下の通りある。



日本のロボット工学者、森政弘が1970年に提唱した。森は、人間のロボットに対する感情的反応について、ロボットがその外観や動作においてより人間らしく作られるようになるにつれ、より好感的、共感的になっていくが、ある時点で突然強い嫌悪感に変わると予想した。


(中略)


人間とロボットが生産的に共同作業を行うためには、人間がロボットに対して親近感をもちうることが不可欠だが、「人間に近い」ロボットは、人間にとってひどく「奇妙」に感じられ、親近感をもてないことから名付けられた。


不気味の谷現象 Wikipediaより



人間への類似度と高感度をグラフにすると以下の図のような曲線を描くという主張である。


http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/c/c0/Wpdms_fh_uncanny_valley.jpg


この言葉を最初に目にしたときには直感的には理解できなかったのだが、最近のロボット開発やCG技術をみていると、確かにこの不気味の谷は存在すると思えるのである。



不気味の谷底に落ちちゃった? HRP-4C


ロボット開発は着実に進んでいて、現在開発されている多くのロボットはHONDAの有名なアシモなどとは比べ物にならないほど、人間らしい。


今年日本の研究機関が発表したHRP-4Cやココロが開発したDER2などは明確に「人間らしさ」を追求したロボットである。その甲斐あって、遠目にはわからないほど人間の女の子に近づいていると思う。



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その滑らかさに驚く一方で、得体のしれない気持ち悪さを感じるのは僕だけだろうか。ロボットはロボットらしく、もっとガンダムっぽい形であって欲しいものである。



外国人の日本語にある不気味の谷


で、ここからがこの日記の本題なんだけど、「ロボットの人間らしさ」と同じように「外国人の日本語能力」にも不気味の谷が存在すると思うのである。外国人がたどたどしいながらも、「はずめまして」などと簡単な日本語を話すことを微笑ましいと思いこそすれ、好感度が下がるなんて事はないはずだ。日本語上達するのに比例して、好感度はあがっていく。ところが、完全な日本語に達するまでの道のりのどこかで、いい知れぬ違和感と不快感を感じるレンジが少なくとも僕にはある。


ここでは身近な外タレの日本語力を大きく4つに分けて、「外国人の日本語における不気味の谷」の具体例を紹介したい。


単語だけ頑張りましたゾーン

一番初心者、単語だけ言ってますという最低ラインである。ビヨンセがコンサートに来て「こんにちは、おーさかー!」「ヒアウィーゴー ときおー!」などと言うだけで会場が盛り上がることを考えると、かける労力のわりに最も親近感がアップするのではなかろうか?ROIの高いゾーンである。


頑張れば文章になるゾーン

もうちょっと日本語レベルが上がるとリアディゾンのように短い文章で話せるようになる。「ポイしないで」と言うセリフをもし英語で言っていたら彼女に戻る場所はなかったはずだ。ケインコスギなんかもこのゾーンにはいる。日本語はたどたどしいけど、逆にそれが味になって物まねされたりする可能性もあるゾーンである。


ほぼネイティブゾーン

さらにさらに努力を重ねると、デーブ・スペクターやぱっくんの用にほぼネイティブといえるレベルに達する事ができる。おそらく本人に才能がないとなかなか達成できないレベルだろうと思う。声だけ聞いたら日本人と間違えかねないゾーンである。


不気味の谷ゾーン

さて、1つ飛ばしてしまったが「頑張れば文章になるゾーン」と「ほぼネイティブゾーン」の間に本題の不気味の谷ゾーンが存在する。ちゃんと日本語が喋れている、本人も日本語が話せると思っている、しかし日本人からみると何か奇妙な響きがして胸騒ぎがする危険なゾーンである。


例えばセルジオ越後なんかがその代表格だと思う。彼のサッカー解説を聞いてると、多分セルジオさんはこんなことが言いたいんだろうとセルジオさんの気持ちを斟酌・通訳させられるのがもどかしい。


俳優では金城武が不気味の谷のど真ん中にいらっしゃる。セリフ回しが重要なラブストーリーで微妙なイントネーションが違うのはもやもやする。


またレアケースではあるが「頑張れば文章になるゾーン」のタレントにセリフなどを短期集中で詰め込んで「ほぼネイティブゾーン」を目指した結果が中途半端に終わって、不気味の谷に不時着してしまう不幸なケースもある。このケースで強烈に印象に残っているのはケリー・チャンである。彼女が日本語のセリフで主演した映画「冷静と情熱のあいだ」は本当にひどかった。セリフが聞き取れなくて開演5分で見るのを諦めようかと思った。我慢して見続けた、映画の終盤には「ここまで棒読みの女優を相手にできる竹内豊ってすごい」というポジティブな解釈をした。


そんなわけで日本語レベルが「不気味の谷ゾーン」の外国人のみなさまには、是非頑張って「ほぼネイティブゾーン」を目指していただきたいと思うのである。あるいは不気味の谷ゾーンに入らないように、あえて日本語学習をやめるというのも日本社会で生き残っていく賢い立ち回り方と言えるかもしれない。