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Dec 2, 2021

11月の光景

 色々あって、ブログをかけてませんでした。この月の思い出深い写真だけを残します。












Nov 1, 2021

10月の光景

サボっていて、ブログをかけてませんでした。この月の思い出深い写真だけを残します。











Oct 1, 2021

9月の光景

 サボっていて、ブログをかけてませんでした。この月の思い出深い写真だけを残します。











Sep 3, 2021

アレシボ天文台 ~不思議な場所で考えるサイバーセキュリティ~

注: 2020年11月にNoteに書いた記事を再掲してます。

アレシボ電波天文台の閉鎖が決まった。慢性的な資金難が続いてきたところに、今年8月の施設の破損事故がダメ押しとなったそうだ。

アレシボ天文台がどんな場所であるか。知っている星座は北斗七星とオリオン座の2つという、天文にあまり興味がない私の目線でお届けしたい。ひょんなことから、2017年6月にそこを訪れたからだ。

もともとアレシボ天文台を訪れようと言い出したのは仲間のIT技術者である。我々はおよそ2週間にわたってプエルトリコのホテルで缶詰になってサイバーセキュリティの仕事をしていた。すべての日程が終わった日の午後、偶然空いた半日の自由時間があった。それを見越した彼はだいぶ前から天文台とコンタクトをとっていた。

実はこの時期、天文台は部外からの一般見学を受け入れていなかった。それを知った上で、仲間は交渉した。数往復のメールの結果、我々の見学は許された。が、奇妙な条件がついていた。「自分の専門分野について天文台のスタッフに授業すること」。我々はサイバーセキュリティの専門家なので、宇宙の話はできないと伝えたら、むしろ歓迎とのことだった。天文台の人は、宇宙とか電波とか天文に飽きてしまっているので、異分野の話を聞きたいらしいのだ。よくわからないが、USBメモリにStuxnetというコンピュータウイルスの話をするためのパワーポイントのファイルを入れて、ホテルを出た。

プエルトリコの首都サンファン、そこから車に1時間半ほど揺られた山の中に天文台はある。8人の仲間でお金をだして、タクシーを半日チャーターした。プエルトリコは海沿いこそ、開発されて都会的だが、全体としては「カリブ海に浮かぶのどかな島」のイメージを裏切らない、静かな場所である。首都のサンファンですらそんな感じなので、1時間半も走れば、人の気配がなくなる。天文台のあるアレシボという町の周辺は平飼いされている鶏が車道を歩くような、山の中である。

昼過ぎに天文台に着く。天文台の入り口のゲートは立派だった。こんなところに世界屈指の電波天文台があるなんて本当だろうか?いや、そもそも人がいるのか?という疑いの気持ちが湧いていたので、ゲートを見て一安心した。特にNASAのロゴは「文明の中の文明」という感じがして頼もしい。



そして、携帯電話や電波を発する機器の電源をオフにするよう厳重に注意される。ゲストセンターなどはなく、我々はスタッフが寝泊まりする棟の1Fに通された。天文台の敷地内は背の高い樹木に囲まれていて、昼間なのにうす暗い。通された部屋の中もだいぶ暗かった。くたびれ切った弾力のないソファーが、大きな部屋の中に飛び石のように置かれている。開放型の書架が10m暗い並んでいるが、並んだ本はどれも古そうで、手入れされたライブラリーには見えなかった。

やがて8人ほどの天文台で働くスタッフが部屋に入ってきた。みんな若い。ほとんどが天文学を学ぶ大学院生、あるいはポスドクと自己紹介していたが、高校生にも見える。簡単な自己紹介をしたあと、早速、入場料代わりのサイバーセキュリティに関するプレゼンをする。Stuxnetの話を中心に、最新のOS、最新のスマートフォンでも、凄腕の攻撃者に狙われたら無事では済まないというような話をした。興味深く聞いてくれたようだ。山のように質問がでる。なんだかんだで1時間半くらいみっちりサイバーセキュリティの話をする。

双方にサイバーセキュリティで話がふくらみ、訪問の趣旨をすっかり忘れかけた頃に、「じゃそろそろ」という感じで建物に案内される。本来は見学者向けの施設があるそうだが、なぜか天文台のスタッフと意気投合した我々は制御室がある建物に連れて行かれた。

2階建ての建物だが、およそ天文台というイメージから想像される建物よりも、ジャングルの中の動物観察小屋のような趣のある建物である。ブンブンアレシボといえばわかってくれる人もいるかもしれない。警備もなにもない入り口、その後の長い廊下には電気がなくうす暗い。廊下や部屋の壁には手書きのメモ類がびっしり貼られている。その一種の乱雑さが、本当に何かの運用をしている部屋独特の、ハリボテじゃない空気を醸し出している。





道すがらも、天文台のスタッフが熱心に解説をしてくれる。長い廊下をゆっくり進んで、突き当りの部屋に入ると、正面に大きなガラス窓があり、そこから、ネットで見覚えのある電波望遠鏡の副鏡が突然視界に飛び込んでくる。これがアレシボ電波望遠鏡か。一堂呆気にとられて宙吊りになった物体を眺める。




研究者が、我々をオペレーション担当のスタッフに紹介してくれる。4-5人座るのが精一杯と思われる部屋には、弥生時代を彷彿とさせるPCと縄文時代の計測器が立ち並ぶ。机の上には、Windows 95の箱とインストールディスク(CD)が大事そうに置かれている。聞けば、未だにWindows 95という20年前のOSでしか動かないソフトが必要という。制御室では自然と話が天文台の資金面におよんだ。大口スポンサーであるNSFとの交渉の経過などについても聞いた気がする。細かいことは覚えてないが、スタッフの発言からはある種の諦め、「近い将来アレシボ天文台は稼働できなくなる」という覚悟を感じた。同時に、スタッフの口ぶりは天文台と老いた電波望遠鏡への労りと毅然としたやさしさに満ちていた。

制御室の前にある、広いテラスのような場所に出て、望遠鏡をより近くから見てみる。見れば見るほど奇妙な造形をしている。パラボラアンテナは現場では、左右の林に遮られその全容が見えないが、とにかく大きい。副鏡はパラボラの縁に立つ3つの塔から伸びるワイヤーで空中に固定されている。風で揺れたりはせず、かなりの重量がある感じがした。副鏡はよく見ると橋やハシゴがついている。メンテナンスのときにはそのハシゴを使って副鏡の中に入ると言っていた。登る役割だけは死んでもごめんだと思った。



1960年代に建設され、半世紀に渡って電波を受信し続けた望遠鏡。宇宙を愛し、素人にも気さくなスタッフ。周辺の林では鳥がさえずっている。アレシボは今日も平和である。

サイバーセキュリティの仕事をする我々の7名の誰も、「Windows95を使うことのセキュリティ上の問題」などという野暮なことは言わなかった。ほぼ全員が、活動資金の募金箱にお金を詰め込んだ。1つの時代を築いた電波望遠鏡が、静かに余生をすごす姿は、最新の科学に触れたときの興奮とは違う種類の、じわじわくるタイプの感動を我々に与えた。

最後に、スタッフ8名と我々訪問者7名とで望遠鏡を背景に記念写真を撮った。いい日だった。




天文台からの帰り道。周囲はすっかり暗くなっていた。タクシーの中で誰かが言った。
「俺たちの仕事って30年とか50年後になにか残るのかね?」
アレシボには50年たってなお人を集める魅力がある。サイバーセキュリティの分野に、というかデジタルの世界にそれに匹敵する魅力あるコンテンツはあまり思い浮かばない。
別の誰かがいった。
「みんなでイランのナタンツにコンピュータウイルス博物館つくろうよ。壊れた遠心分離機置けば、みんな見に来るでしょ。(注: 前述のStuxnetというウイルスはイランで遠心分離機を物理的に破壊したとされてます。)

というわけで皆様、50年後にイランでお会いしましょう。

Sep 2, 2021

8月の光景

  サボっていて、ブログをかけてませんでした。この月の思い出深い写真だけを残します。


夏休みに行った宮崎で「辛ラーメン」を頼んだところとても美味しかった。牛骨?ベースににんにく、ニラの旨味が凝縮されたスープに、ちょっとコンニャクのような冷麺風の麺をあわせる。ご当地グルメのようで、宮崎では何店かでだしていた。東京でも食べられる店があるらしく行ってみたい。(という自分のためのメモ。)










Aug 12, 2021

7月の光景

東京オリンピックが行われていた。テレビで見るオリンピックはなにか別の世界の出来事のように感じられた。一応同じ東京という空間にいるのにも関わらずである。
それでも、長い時間準備と運営に携わった方々の努力と諦めない心には素直に頭が下がる。
正直僕は、途中何回か、「オリンピックなんてできるわけない」と思った。


2021年07月01日 (木)
午後打ち合わせ1件。夜、アフリカのサイバーセキュリティ研修に参加させてもらう。イギリスの企業が作ったCTF用プラットフォームみたいなものをつかっていた。よく出来ていそうだが、VPNの遅延が遅くて耐えられない。

2021年07月03日 (土)
雨の中農作業。過酷。この日の教訓から農作業用のズボンと長靴をワークマンで購入した。

2021年07月05日 (月)
前日夜から胃腸が痛く寝れない。ほぼ一睡もできず。この日は仕事を休んで、今まで前を通りがかるだけで入ったことのなかった近くの病院でみてもらう。待合室で、買って放置していた三枝博音の技術思想の探求という読み応えある本と、読売朝刊を隅々まで読む。病院の待合室は読書捗るかもしれない。
前日は、家族の誕生日である。ちょっと遠くの花屋へ花束を買いに行く

2021年07月07日 (水)
午後、授業。その後、知人のお誘いで、1年半ぶりの対面での会食。濃厚な情報交換だったと思う。


2021年07月08日 (木)
朝歯医者、午後打ち合わせ2件の後に、EUの人たちとのセミナーを聴講する。

2021年07月09日 (金)
起: ナイジェリアの知人が日本の大学院に秋学期から入学するという嬉しいニュースあり。しかし、学費免除の対象から外れ、奨学金などないかという相談だった。
承: ちょうどその大学に留学中のミャンマー人の知人に、現役の学生の立場から奨学金などの情報を教えてもらおうとコンタクトした。
転: そのミャンマー人は秋に卒業だが、本国に帰れず、日本での職はなく八方塞がりであると知らされる。
結: ナイジェリア人の奨学金は一旦棚上げし、ミャンマー人の日本での就活を手伝うことに。

2021年07月10日 (土)
立川へ。

2021年07月14日 (水)
午後は大学で授業。会社の同僚のS氏、そして昔の同僚で今は大阪に住むU氏にゲストスピーカーとして授業をしてもらう。授業後のアンケートを読む限り、学生はやっぱり現場の話といわれると身近で楽しく感じるようである。

2021年07月15日 (木)
定期健康診断で秋葉原に。ついでにお昼ごはんは久しぶりの焼き肉。おいしかった。

2021年07月16日 (金)
朝早くに畑に行って、インゲン、モロッコいんげん、万願寺とうがらしを収穫した。この日は久しぶりにオフィスで仕事をする日だったので、朝収穫してきた野菜を同僚のM氏におすそ分け。料理上手な人に食材を使ってもらえるのはうれしい。

2021年07月21日 (水)
会社で四半期の活動を振り返る会議。

2021年07月24日 (土)
自宅に新じゃがが転がっているのを見ていると、フライドポテトが食べたくなった。大量に揚げて食べる。二度揚げするときの出し入れで、ポテトが崩れないように慎重な箸さばきが求められる。が、家で揚げたてのポテトはもちろん抜群に美味しかった。


2021年07月28日 (水)
午後は上期最後の授業のために、茗荷谷のキャンパスへ。最後の授業のあと開放感でテンションが上り、空っぽの教室でセルフィーを撮る。今冷静に振り返ると、よくわからない写真である。
自分が書いたことのないジャーナルから査読の依頼を受ける。師匠のT先生から落ちてきたというのもあるし、きちんとコメントできそうなテーマの論文だったので引き受ける。しかし、自分の原稿が滞っているのにという焦りはある。


2021年07月29日 (木)
ハワイのシンクタンクから唐突な仕事の依頼があり、打ち合わせ。ピンとこないが、自分が断ったら他に受けてくれる人いないことはよくわかるので、頑張って引き受けることにする。
午後は大手町の自衛隊大規模接種センターでワクチン2回目。周囲の家族も2回目の後は発熱に苦しんでいるので覚悟していく。


そういえばワクチン接種の前に、大好きな神保町のラーメン屋覆麺を久しぶりに訪問した。2年ぶり以上なのでどうせ忘れられているだろうと思っていたが、バッチリ覚えてくれていた。この店の大将は、客を送り出すときに「いってらっしゃい」と言ってくれる。カウンターに座って、自分以外の客の背中に投げかけられる「いってらっしゃい」を聞いていると、10年前にその「いってらっしゃい」に力をもらって午後の会議に戻った昔の自分がフラッシュバックしてくる。行きつけの店というのはいいものだと改めて思った。


2021年07月30日 (金)
朝起きると36.9度と発熱していて、体もだるいが、仕事ができないというほどの思い副反応ではない。11時くらいまで普通に仕事をする。ところがその後どんどん体が重くなっていく。仕事は切り上げ、ベットでダラダラする。この日の夕方38.3度まで上昇したが、夜になるとどんどん熱が下がっていく。

2021年07月31日 (土)
朝起きると熱は37.1度。しかし前日に比べると、体は楽である。子どもたちとニンテンドースイッチで遊ぶ。接種後48時間後の、夕方にはほぼ平常に戻った。深刻な副反応がなくてよかった。
日本語論文③の査読結果が学会から送られてくる。結果は大勝利ではないが、修正すれば載せてもらえそうな気配あり。もうひと頑張り、粘ろう。












Aug 11, 2021

6月の光景

毎月、遅れてもきちんと書いていた「x月の光景」。6月の光景を仕上げるのが8月11日という過去最大の時間差が生まれております。
理由は特にありません。

2021年06月04日 (金)
朝4時からの電話会議。ヨーロッパとアメリカの合意の結果、アジアが割を食うというのはよろしくない。

2021年06月07日 (月)
家族でキッザニアに行く。なお前日にはお台場の科学未来館と船の科学館の宗谷を見学するというプチ修学旅行である。大変たのしかった。
夜からRightsConという、サイバーと人権問題に関するカンファレンスが始まる。眠い目をこすりながら参加する。

2021年06月09日 (水)
午後はいつもどおり、大学で授業。この日は旧知のK氏にゲスト講義をお願いする。リモート授業だったが、カメラオンに協力してくれる学生が多く、普段とは違う感触。

2021年06月10日 (木)
同僚がFIRSTの理事選挙に出馬していて、この日が開票と結果発表の日。ドキドキしながら結果を聞いていたが、結果は圧勝と言って差し支えないものだったとおもう。おめでとう。そして頑張れ。

2021年06月11日 (金)
朝、ジョギング。気持ちいい。

2021年06月12日 (土)
畑でピーマン、万願寺とうがらし、伏見甘長を収穫。

2021年06月13日 (日)
新宿へお勉強に出かける。

2021年06月15日 (火)
ベトナムの技術者向け、トレーニングをオンラインで実施した週、その初日。ベトナム側の参加者数十名はホテルの一室に集まっている。こちらは各自の自宅からオンラインで。

2021年06月18日 (金)
久しぶりに部署のメンバー全員が、オフィスに勢揃い。久しぶりに昼ごはんを一緒に食べにいく。

2021年06月19日 (土)
農業講習を朝から2時間みっちり聞いた。その後、雨の中で農作業。

2021年06月23日 (水)
大学の授業、今日から学生はオンラインか対面かを自分で選択する。

2021年06月26日 (土)
ほぼ徹夜で、30日締切の日本語論文③の執筆作業。

2021年06月27日 (日)
大手町の自衛隊大規模接種センターでワクチン1回目。噂で聞いていたとおり、迷うことも長時間待たされることもなく、あっという間に接種が終わった。久しぶりに人がたくさん集まっているところに来たのでなんとなくワクワクしてしまう。帰りに蘭州牛肉麺を食べて帰る。神保町エリアもいろいろな店が潰れてしまっていた。
なお、この後もワクチンの副反応は軽めの筋肉痛で腕が上がりにくい程度で済んだ。

2021年06月30日 (水)
授業、学生のいない教室でひとり語り。その後、無人の教室で執筆中の日本語論文③の仕上げ。電車の中で何度も読み直して、締め切り15分前にメールで投稿完了。



Jun 16, 2021

5月の光景

5月のまとめを書くのが、6月の半ばになってしまう。忙しくなってきました。

あの駅に、初めて降り立ちました。


2021年05月01日 (土)
カラスノエンドウの笛で遊ぶ。音の高低、音量の多少でまとめると、こんな感じでした。


2021年05月02日 (日)
庭先のプランターに買ってきたオクラとシソの苗を植える。オクラは今年初挑戦。夜は餃子。



2021年05月03日 (月)
須田祐子「データプライバシーの国際政治」勁草書房を読み終える。国家間のデータプライバシーを巡る争いを描く。特に欧米として括られることの多い米国とEUの間の戦争を、セーフハーバーアレンジメント→プライバシーシールド→GDPRと遷移していく制度を通じて描く。米国とEUは、国際線の旅客の氏名データ(PNR)、金融機関の送金指示データ(SWIFT)を巡っても熾烈な綱引きをしていた。巨大IT企業を抱える米国は「自由な情報の流通」に例外を作りたくない。データ移転を通称貿易や技術政策として扱う。対するEUは、WW2前後に個人情報濫用の悲劇を経験し、プライバシーは不可侵の個人の権利とみなす。筆者は近未来予想図としてEU影響圏(データ保護法)と米影響圏(APEC CBPR)の併存の可能性を予想する。プライバシーとデータ保護については戦いの構図が、東西対決でも南北対決でもなく環太平洋vs欧州となりうるというのは面白い。GDPR微かに分かる程度の知識だったので、SWIFTやPNRの交渉の歴史は初見で、勉強になった。ちょっと高い本だけどその価値アリ。


2021年05月08日 (土)
地元のレンタル農園に空き区画があるということで、急遽仲間に入れてもらうことに。ほぼ毎週、農作業の講習を受ける必要があるという、わりと真剣なレンタル農園である。時間がかかりそうだが、こんなことをできるのはコロナの時期だけだろうと思う。区画には枝豆、トマト、ピーマン、唐辛子類、インゲン、とうもろこしが既に植えてある。夏の収穫が楽しみ。


2021年05月16日 (日)
Kosseff, Jeff. 2019. The Twenty-Six Words That Created the Internet読了。インターネット以前、出版社や新聞は紙面について流通者としての責任を問われた。現代の米IT企業は通信品位法230条の中の1パラグラフによって、その責任を大幅に免除されている。目の付け所がユニークで面白い。英語が面倒という人のために、6月中旬に邦訳書が出版される

2021年05月17日 (月)
午後、会議とセミナーが1件づつ。ヨーロッパの人たちがいっぱい。

2021年05月19日 (水)
慶應のサイバー文明センター主催の勉強会、今回のお題はデータフリーフローウィズトラスト。霞が関の担当の人が説明してくれるんだけど、やっぱり狙いがわからん。
午後は大学の授業。

2021年05月20日 (木)
未来工学研究所の50周年記念セミナーに出させてもらう。パネリストは全員門前仲町の未来工学研究所のオフィスに集合する。
門前仲町はあまり縁のないエリアなので、せっかくの機会に美味しいラーメン屋を開拓すべく「らーめん こうかいぼう」へ。毎日食べられるという売り文句通りの優しいラーメンだった。雨降りしきる中40分並んでセミナーの集合時間に間に合わないんじゃないかとドキドキ。

セミナーのお題は「日本外交・安全保障政策の針路: ネットワーク依存型社会の課題」。中継設備も、モデレーターも、他のパネリストも素晴らしく、割と面白いセミナーになったのではなかろうか。その模様はYoutubeでご覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=ou1yugAzX3c



セミナー帰りに門前仲町のモスバーガーにはいり、夕方からの別の会議に参加する。インターネットガバナンスは重要だけど、議論に爽快感があまりない。

2021年05月21日 (金)
朝一でメキシコの通信事業者と電話会議。
3月に書いていた英語論文②が公開される。プロの編集者がレイアウトしてくれたのできれい。
10年前、南太平洋に島嶼国全体のために働く地域CSIRT/CERTを作ろうというJICAプロジェクトに携わらせてもらいました。大失敗に終わりました。その悲しい経験の原因を考察し、自分を戒め、頑張ってくれたメンバーの努力を供養するために書きました。


2021年05月22日 (土)
子供を連れてロボットプログラム教室の体験に参加する。

2021年05月24日 (月)
午後、100名程度の前で20分のプレゼンテーションしていたが、自宅のネットワークが不調で一度会議システムから落ちてしまう。Wifiではなく、IPoE接続の先で混雑が発生している模様。この日から毎分pingを打つプログラムで、疎通を確認したが全く問題ない。厄介。speedtest-cliをインストールしたり、久々に簡単なプログラムを書く。

2021年05月26日 (水)
朝ジョギングに行く代わりに畑に行って雑草を抜き、トマトとピーマンの脇芽をとる。その後仕事をする。野良仕事とデスクワークをこんな華麗に行き来できるなんて、すごい時代になったもの。リモートワークありがたいです。

2021年05月27日 (木)
イスラエルの企業のヒアリング依頼に応じる。

2021年05月30日 (日)
畑の帰りに、近所の農園が平飼いしている烏骨鶏の卵を買う。卵自体はスーパーで買う普通のものより2周りくらい小ぶり。黄身はレモンイエローとでもいえそうな自然な黄色。味の違いはわからなかった。