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Dec 7, 2020

11月の光景


ここ数年ずっと、おしゃれなテキスト系の人がどんどんNoteを使っていますよね。

どんなもんだろうと思って、自分でも開店休業状態だったアカウントのパスワードを頑張って思い出して、記事を書いてみました。文系社会人の「博士への長い道」アレシボ天文台、不思議な場所の2つです。後者はNoteにしか書いてません。使ってみて思うのですが、やっぱり書きやすいですね。ただこれなら昔好きだった、はてなダイアリーのほうが楽かなと。Noteのうまい活用法、誰か教えて下さい。


2020年11月2日 月曜日
久しぶりに会社に出社。必要なデータをとったり、紙の本をコピーしたり、書類に印鑑おしたり。佐野さんの追悼文集も読んだ。


2020年11月8日 日曜日
家族でボーリングに行く。最近のボーリング場は子供用に、単に玉を転がすだけの台のようなものを用意している。そしてガーターにボールが落ちないような工夫がされている。子供も楽しめる。そして、この日、15年ぶりのボーリングでスコア167点を叩き出す。すごい。

動かぬ証拠。(どや)



2020年11月9日 月曜日
気温が低くなってきて、朝のランニングが気持ちいい。走り出しは肌寒いけど5分もする
と火照ってくる、個人的に一番好きな感じ。

2020年11月10日 火曜日
この週はIGF2020、Norm Conferenceといいイベントがバッティングしていて、夜が忙しい。

2020年11月11日 水曜日
幼稚園の友達御一行が来る。子供たちはハイテンション。

2020年11月12日 木曜日
出社。昼過ぎに大事な会議があり、会議室から同僚みんなと参加する。
帰宅後、週末の旅行前に片付けなければ行けない仕事が大量にあり、午前4時まで。しか
し翌月頭の情報通信学会の予稿を締め切り3日前に提出したのは我ながら素晴らしい。

2020年11月13日 金曜日
家族旅行で蓼科へ。高速道路を走り諏訪南のインターチェンジを降りて5分ほど走ると、
林を抜ける、長野ではありふれた一般道になる。そこを走りながら、奥の山々とあわせて、地元に戻ってきたなという感覚を感じる。長野県はそれなりに広く蓼科にも諏訪にもなんのゆかりもないのだが。
弟が選んでくれたホテルは広くて、快適。
夜はリモートワークの達人を読む。在宅勤務が続く時代へのヒントが詰まっていて、メモを取りながら夢中で読んだ。

2020年11月14日 土曜日
朝、両親と弟達とその家族と合流して、ロープウェイにのる。雲の上から見下ろす外界の長めが素晴らしい。森林限界を超えた山上の景色は、妻も珍しかったらしい。人生最深の霜柱に遭遇する。

ホテルにチェックインし、棚田みたいなお風呂を楽しんで、夕食。両親・弟達から学位取得のお祝いをいただく。

2020年11月15日 日曜日
ホテルをチェックアウトしてから、諏訪湖の方へ下る。諏訪大社の中でもかなりマイナーな上社前宮を訪れる。境内に広場があり、オープンエアのカフェみたいなものがある。そこで地元の主婦が料理を振る舞ったりしている。一行全員でお昼ごはんを食べる。

年末年始は長野に帰れないけど、お互い元気に過ごそうと声を掛け合って、東京に戻る。しかし中央道が酷い渋滞で行きの6時間弱かかる。

2020年11月16日 月曜日
前日の渋滞6時間で背中が運転席の形に変形したようだ。いつもの仕事椅子に座ったら違
和感が酷い。
夜はFIRST Conference。一週間のオフラインイベントが、3日間のリモート開催になる
。しかし参加者同士の交流を促す仕掛けが随所に仕掛けられていてよかった。そしてコロナで活動低調になる組織が多い中、同僚たちが素晴らしいプレゼンをして会議に貢献したのは素直に素晴らしい。

2020年11月17日 火曜日
FIRSTカンファレンス続き。

2020年11月18日 水曜日
FIRSTカンファレンス続き。

2020年11月19日 木曜日
夜、アメリカの大学院生のインタビュー調査に協力する。

2020年11月21日 土曜日
博論を元にした出版の準備として、出版費用の助成を申請していた。この日、助成が「内定」したとの連絡をいただく。内定がどのくらいの割合で決定なのかがよくわからない。

2020年11月22日 日曜日
子供と公演へ。ゴーカートに乗る。ガソリンで走るので迫力ある。


2020年11月23日 月曜日
祖母の命日。

2020年11月25日 水曜日
日本シリーズがソフトバンクの圧勝で幕を閉じる。巨人は今年のセ・リーグで本当に強かった。それがあんなにあっさり、ボコボコにされるなんて・・・

2020年11月26日 木曜日
来年以降の新たな仕事の種が降ってくる。

2020年11月27日 金曜日
Macbook Proの電池が劣化し、電源がないと3分でシャットダウンしてしまう。サポートのチャットとのやり取りの結果、この認定修理サービス屋さんに持ち込む。が、電池交換だけでなく、SSDのファームアップデート、そしてそれにともなうディスクのフォーマット
が必要と言われる。しかも作業に1週間程度要すると。
電話会議で、数年前に霞が関を退職した人と再会。元気そうで嬉しい。

2020年11月28日 土曜日
富士山/河口湖方面へこの時期恒例のお墓参り旅行。今年はメンバーが1人増えて更ににぎやかに。





Nov 1, 2020

10月の光景

写真は一瞬でいろいろなものを切り取り、ストーリーを生み出す。ということを↓の写真から感じます。


2020年10月1日 木曜日

東証がシステム障害で終日取引停止。午後の早い段階ではサイバー攻撃でないという公式発表があり、ホッとする。


2020年10月2日 金曜日

この週の月曜から参加していた、夜のトレーニングが最終日。夜の12時近くにすべて終了。5日間だが、非常に濃密でよい勉強になった。

参考書としてサイバー攻撃の国際法 タリンマニュアル2.0の解説ビジュアルテキスト国際法Tallinn Manual 2.0を購入し、読みながら話を聞いた。特にサイバー攻撃の国際法は必須だった。これがないと講師が話している言葉を日本語に訳すことができない。


2020年10月5日 月曜日

オフィスへ出社。接客1件。夜はオンラインセミナーを聴講する。


2020年10月6日 火曜日

夜電話会議1件、その後に昨日のオンラインセミナーの続きを聴講する。


2020年10月7日 水曜日

「昭和37年4月2日から昭和54年4月1日までに生まれた男性」は風疹の予防接種を受けていない場合があるらしく、地元の自治体から風疹抗体検査と予防接種の助成の案内がきていた。小さい頃に、風疹で学校を休んだ記憶があるが念の為抗体検査を受けた。

翌週、検査の結果を聞きに行くと、見事に抗体なし。風疹と麻疹の混合ワクチンを打ってもらった。記憶が曖昧な人、みんなちゃんと検査しよう。今ならすべて無料でやってもらえる。


2020年10月9日 金曜日

数日涼しい日が続いたが、この日はさらに冷え込んだ。しかも朝から雨が降り続く。そんな中、朝ごはんをたべ、同僚と朝の短い電話会議をし、最近購入したドリッパーを使って、愛用のマグカップにコーヒーを入れる。外界と自分は雨の音で遮られている。

コロナがなければ、今頃スーツを着て、通勤電車に乗っていたんだろう。濡れた傘の扱いに窮屈な思いをしてたんだろう。革靴の中の靴下は濡れてしまっていたんだろう。そういうことを考えると、今の自分の生活は貴族みたいだなとも思う。

オンラインで会議3件、同僚が主催する勉強会が面白かった。


2020年10月12日 月曜日

隣の敷地の造成工事がはじまり、家がひどく揺れる。

幼稚園の運動会に参加し、仕事をし、来客の世話をし、夜は前職の人たちとの会合。盛りだくさんな1日だった。

幼稚園の運動会は本来であれば土曜日の予定だったが、天候不順で予備日のこの日に行われた。それでも5割くらいのご家庭で父親が参加していて、時代が変わったことを感じる。


2020年10月13日 火曜日

日米のデジタルエコノミーという非常にふんわりしたテーマのヒアリングに協力する。大した貢献もできず、出る必要はなかったと後に反省。夜はオンラインセミナーで講演。


2020年10月14日 水曜日

委員を務める会合の第2回会合。量子技術についての非常に練られたブリーフィングを受ける。サイバーの分野だとPost Quantum Encryptionは5年前くらいから、目の前の問題として議論されていた気がする。国際政治の専門家の感覚は量子技術をもうすこしおおらかに捉えているということが分かったのが、収穫だった。


2020年10月16日 金曜日

ITUのサイバーセキュリティ戦略の作成ハウツー文書の改定作業のための委員会に参加。2018年に出たばかりのものだが、たしかに中身に古さを感じる。この手の作業は担当者の当たり外れが大きい印象があるが、このプロジェクトは今の所アタリのようで一安心する。来年夏までのお付き合い。


2020年10月17日 土曜日

ボーイスカウト活動に励んでいた頃の記録を閲覧するために、三鷹(下井草)にある日本ボーイスカウト連盟の本部へ。日系移民が作った団(ボーイスカウトアメリカ連盟ゴールデンゲートディストリクト、サンフランシスコ・ベイエリアカウンシルの第12団)の記録があり、本来の目的ではないが興味深く読む。

ボーイスカウトの創始者、ベーデン・パウエルはボーア戦争で、町の一般の少年を活用した。それがボーイスカウトの発端となっていることは、大昔から知っていた。ただ、安全保障を勉強してから、ベーデン・パウエルの生涯を振り返ると、当時は気にならなかったことが色々と気になる。BPのMy Adventures as a Spy(スパイとしての冒険)はKindleで無料で読めるようなので、早速読んでみることにした。

資料充実、スカウトライブラリー


懐かしのあの本


2020年10月18日 日曜日

高野秀行「アヘン王国潜入記」を読了。筆者は約半年、ミャンマーと中国の国境地域にある実質的な自治区ワ州に住み込んで、現地の生活を調べた。アヘン栽培をし、阿片中毒になりながらも、最終的に一帯におけるアヘン栽培の総量が米国の情報機関の推計よりも大幅に少ない、つまり、黄金の三角地帯という問題設定がそもそも実態とかけ離れている可能性を指摘する。月並みだが、すごいという感想しか出てこない。アヘン吸引したときや、禁断症状の感覚を未経験ながらも理解した気にさせる。


2020年10月19日 月曜日

健康診断を受けるため秋葉原へ。今年からバリウムがない簡易バージョンの検査に変更になった。楽だけど、どうせなら見てもらいたい気がする。来年からは自費で受けよう。健康大事。


2020年10月22日 木曜日

在宅勤務が本格化した4月に椅子を購入した。数ヶ月前から回転させたときにキーキーと音がするのが気になっていた。修理を頼んでいたところ、この日の修理の人が来訪。10分とかけずシリンダーを交換し椅子は万全の状態に。もっと早く頼んでおけばよかった。

その後、午前はオンラインセミナーを聴講。「21世紀の先端技術、地政学と日米同盟:ゲームチェンジャーの可能性」というプログラムの一環として、在日米国大使館による後援のもと、慶應大学グローバルリサーチインスティテュート(KGRI)並びに沖縄科学技術大学院大学(OIST)との共催で行われた。サイバーセキュリティだけがテーマの会議ではないが、質問では5Gや脆弱性ディスクロージャーに議論が及んだ。責任ある脆弱性対応や、脆弱性対応の透明性確保は米国が先行している。

そして、米国は、様々な機会をつかって、他国に対して同様の制度を設けるよう提起している。脆弱性を使ってサイバー攻撃をする能力を持たない日本が、米国のような取り組みをする必要があるのか?と問われるとそこは素直に頷けない。


2020年10月24日 土曜日

友人家族が集まってハロウィンパーティーのようなもの。仮装した子どもたちは楽しそうである。

自分の博論がWebで公開されていた。数年前から博論は全文をWebで公開しなくてはならない。やむを得ない理由がある場合は要旨のみの公開で許される。どんどん外に出して、読んでもらった方がよい。


2020年10月26日 月曜日

朝のジョギングにはベストシーズンである。暑くなく、かといって寒すぎることもない。10分走るとじわりと汗ばむくらいのよい塩梅。


2020年10月27日 火曜日

IGF2020に向けて、その見どころを紹介するというイベントに参加する。参加したというよりは準備段階から積極的に口を出した。

IGFで議論される内容は、わかりにくい。社会の非常に大きな問題を前にすると、議論はどうしても理想論になったり、具体性を欠いたりする。だからわかりにくくなる。それを面白く伝えていくのが、僕みたいな人間の役割なんだとおもう。


2020年10月28日 水曜日

オフィスへ。取材が1件あり、2時間近くしゃべる。ランチにお気入りの寿司屋に久しぶりに顔を出すことができてよかった。


2020年10月29日 木曜日

日中韓のサイバーセキュリティの研究者が年に1度集まって話し合う、CJKサイバーセキュリティトラック2会議というのに参加してプレゼンする。本来であれば山形県の鶴岡市で1泊2日の会議をし、夜は美味しい日本酒でも、というところだった。残念である。しかし4-5時間のビデオ会議で信頼の維持は出来た。中国の個人情報保護法(案)への関心が高い。

夜はCodeblueの講演者3人との電話会議というかオンライン懇親会的なもの。


2020年10月31日 土曜日

子供たっての希望でサイゼリアへ食事に行く。2人であれこれ頼んで1100円。その後3時間みっちり泥団子を作る。なぜか知らない子の泥団子の面倒もみてやる。

サイゼリアの天井のフレスコ画

トルコのイズミルで大きな地震。心配である。

Oct 3, 2020

9月の光景

Facebookを使う機会が激減している。ほとんどチェックしていない。Twitterの方が面白いのである。もともとFacebookは仕事関連の繋がりが多い。仕事の連絡がFacebook経由でくることも少なからず。それに連れて、プライベートのことをFacebookに書きづらいと感じているのかもしれない。それ以上のプライベートな事柄を、誰もが読めるブログに書き連ねているのにだ。我ながらおかしな話である。


2020年9月1日 火曜日
深夜にシリアスな国際電話会議がある。参加者の一人が急に泣き出して、困惑した空気が広がる。珍しい。


2020年9月2日 水曜日
前日に続き、大事な国際電話会議がある。昨日泣いてた参加者が、今日は交渉相手を強めに脅していて、情緒不安定な感じがする。


2020年9月3日 木曜日
埼玉の田舎のキャンプ場へ。我が家から1時間も車を走らせれば、実家の長野に似たど田舎の風景が広がっていることを知って少し落ち着く。初めてのキャンプだったのでバンガローを借りる。テント張っているグループの1つが、2人でテントの外でパソコンカタカタしていて、驚いた


自然の川をせき止めた天然プールで存分に遊ぶ。


夕食は無難にカレーを作った。その後花火をして、焚き火をする。家族は特に焚き火が楽しいらしい。小中高と死ぬほどキャンプというか野営をしていた。こういうオートキャンプは初めての経験だが楽しい。キレイに乾燥され、切りそろえられて、割られた薪は、抜群に扱いやすい。


2020年9月4日 金曜日
朝は、ゆるキャンで仕入れた、肉まんをホットサンドメーカーで焼くという料理に挑戦する。美味しい。


帰宅したら実家から桃が届いていた。まなみという硬い品種の桃だが、甘みが強く、香りが高く、絶品だった。子供を体操教室に送り、まっている間にバートレットの「民主主義: デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか」をほぼ読み終える。制限時間があると集中して読書はかどる。


2020年9月5日 土曜日
元々調子悪かった胃が、キャンプで完全にやられた。午前に病院に駆け込む。整腸剤や消化剤を処方してもらって様子をみることに。


2020年9月8日 火曜日
六本木で打ち合わせ、その後閑散とした六本木ヒルズで会食。いろいろなアドバイスをもらう。
その後オフィスに出社して、夕方まで仕事をする。



2020年9月10日 木曜日
Tung-Hui Hu著「A Prehistory of the Cloud」を貪るように読む。2016年の本だが、今の私の問題意識と似ている点が多くて、ハラハラしながら読む。


2020年9月11日 金曜日
思い立って昼ごはんは30分ほど自転車を飛ばしていくお気に入りのラーメン屋へ。その後スターバックスでラテを買う。今の状況で最大限贅沢した感じがしてとても満足。


2020年9月12日 土曜日
家庭内の情シス部門としてのお勤めをした後、子供とマクドナルドへ。2人で寝る。


2020年9月13日 日曜日
久しぶりに国際政治系の本が取り揃えられた「中央」図書館へ行く。読みたい本が多すぎる。戻ってから、持ち込まれたエビを焼き、チャーハンを作り、餃子スープを作ってみんなで昼ごはん。美味しいが疲れた。


2020年9月14日 月曜日
久しぶりに出社。久しぶりにお酒を数杯飲んだだけで、夜めちゃくちゃ気持ち悪くなる。


2020年9月15日 火曜日
大分涼しくなってきたので、朝の散歩をジョギングに切り替える。時間があればスクワットを5分くらいするようにした。お陰で調子がいい。


2020年9月16日 水曜日
結婚記念日を祝して、隣の駅の高級なお寿司屋さんに。いつもありがとう。



2020年9月17日 木曜日
夜遅くの電話会議1件。


2020年9月18日 金曜日
再び胃腸を診てもらいに医者へ。大分良くなってきたが同じ薬を処方してもらう。その後、お気に入りの中華料理屋へ。
この日は大学院の学位記授与式があった。政策・メディア研究科は9名が博士号を、39名が修士号を取得した。学位授与式博士学位記受領代表に選ばれたため、式の動画で塾長が名前を読み上げてくれた。式典があれば、壇上で学位記を直接受け取れたのでそれは残念である。ただ学業成績優秀者に選ばれるなんて、中学生以来なので素直に嬉しい。





2020年9月19日 土曜日
子供の歯が抜けた。自分が子供の頃は、上の歯は軒下へ、下の歯は屋根の上に投げると教わっていた気がする。最近は、寝る時に枕の下に置いておくと、歯の妖精がやってきてお菓子やコインと交換してくれるらしい。そういう話を子供として、夜コインを仕込んでおく。


2020年9月20日 日曜日
起きるなり、歯の妖精からのコインを見つけた子供がハイテンションで喜んでいてかわいい。
夜はピザを食べにいく。
ひょんな事からグローブマスター機墜落事故という、1953年に小平市に米軍の輸送機が墜落し、当時最大の129名の死者を出した大事故について知る。当時の写真や、現場にいた人にインタビューで、事故の大規模さが伝わるいいビデオがあった。



2020年9月21日 月曜日
隣の家の取り壊し工事がずっと行われていて、電話会議でノイズに気を使っていた。この辺りで取り壊しが佳境を迎え、家が定期的に「ドシーン」と揺れる。
公園は子供で溢れていた。しかも小学校や中学校の大きい子供が多かった気がする。どこにも遊びにいけないもんね。


2020年9月22日 火曜日
4連休の最後は、大きなアスレチックがある自然公園に行き、温泉につかり、そして家で焼き肉をした。


2020年9月26日 土曜日
家にあるけど、自分では使ったことのなかったずっしり重い鍋、ストウブを使って野菜とチキンの蒸煮みたいなものを作る。子供と図書館に行き、スタバのドライブスルーを初体験する。

夜はいつものメンバーでオンライン飲み会。厚木キャンパスが懐かしい。


2020年9月28日 月曜日
夕方から深夜にかけて、サイバーセキュリティと国際法に関するオンライントレーニングに参加する。5日間頑張ろう。


2020年9月29日 火曜日
アジアの人たちとの大きめの会議があるため出社する。この会議は、本来スリランカで行われる予定だった。内容は大幅に省略されたが、オンラインでも開催できてよかった。
夜はトレーニング。


2020年9月30日 水曜日
夜のトレーニングは1時に終わる予定だったが、グループワークが長引き3時まで。明け方に寝る。


Aug 30, 2020

8月の光景

 2020年8月2日 日曜日

子供と捕虫網を持って散歩していたら、中学生くらいの子に「なにか捕れましたか?」と声をかけられる。どうやらこのあたりの昆虫博士のようで、色々捕りやすいスポットを教えてもらい、しかもクワガタをプレゼントしてもらう。外出が難しいのでレジャーとしてキャンプを真剣に検討している。その一環で近所のスポーツ用品店にキャンプ用品の下見にでかけた。


2020年8月4日 火曜日

JPNIC主催のICANN報告会を聞きながら午後のExcel作業をする。やっぱりICANNでも欧米アジア全員参加の会議は日本時間23時開始らしい。そうなんだよね。未明の1時とかに会議始まるオーストラリア、ニュージーランドと比較すれば若干マシだけど、これは良くない。


2020年8月8日 土曜日

松戸にある山口先生の墓前に博士号取得の報告に行く。暑い日だった。墓前でビールで乾杯した。良い日だった。

その後、千葉の電車を乗り継いで、千葉ニュータウン中央駅へ。データセンターを色々見学して回る。グーグルがここにデータセンターを建設するという噂が流れていたが、結局確認はとれない。


2020年8月9日 日曜日

親族と甥っ子生誕やその他諸々をお祝いする。帰りがけに花火をして、子どもたちは楽しそう。


2020年8月10日 月曜日

7月中旬くらいから朝のランニングは暑すぎてウォーキングに切り替えていたが、このくらいから歩いているだけで暑すぎて健康に悪い気がしてきた。天気を見て殆どの日は朝歩かなかった。


2020年8月12日 水曜日

この日から金曜まで、割と神経を使う仕事を3日間する。もう参加は何回目だろうか。今年は深夜対応しないので気は楽である。

会社のOB達とオンライン飲み会。博士号取得を祝ってもらう。


2020年8月13日 木曜日

IGF2020のプログラムを見てたら、中国政府が自らの主張を繰り広げるためだけに企画したように見えるパネルがあり、登壇者としてフランス人の知人の名前が挙がっていた。メールして確認したら、やはり本人は知らないところで掲載されていた。IGFのプログラムこういうの多い。


2020年8月14日 金曜日

久しぶりに都内へ。打ち合わせ3つ。夜は学位取得のお祝いということで、本当に珍しい外食。感慨深い。帰りの電車に揺られながら、割と神経を使う仕事の締めの電話会議に参加する。仕切ってくれた同僚にはお疲れさまでしたと言いたい。


2020年8月17日 月曜日

NTTの「オールフォトニクスネットワーク」なる構想を知る。実用化のスケジュールはよくわからないが、インターネットと国際政治の未来を変える可能性のある、壮大な構想だなとおもった。さすがNTT。


2020年8月18日 火曜日

山本達也「革命と騒乱のエジプト ―ソーシャルメディアとピーク・オイルの政治学ー」という本を読む。本書の本筋ではないのだが、文明という言葉について「文明とは余剰エネルギーのことである」と切れ味よく説明していて、長年の疑問がいくつか晴れた。


2020年8月20日 木曜日

HHKB、日本語配列で刻印ありというのを買った。確かにキータッチは深くて気持ちいい。疲れにくい気もする。ただ、トラックパッドとのコンビネーションを要するMacBookでは外付けキーボードは苦しくないか?もうすこし足掻いてみるが、メルカリ行きしそうな気配。


2020年8月23日 日曜日

公園で遊んでから、図書館へ行く。ここのところの猛暑が一段落して、朝の時間帯の公園は涼しくて気持ちの良い天気だった。コンビニでレターパックを買ってきて、お世話になった人たちに博論を郵送する。


2020年8月25日 火曜日

毎年恒例の海外CSIRTとの定期会合のためにオフィスに出社する。毎朝夕にオンラインで話している同僚と、数カ月ぶりにリアルで顔を合わせるのは、「お久しぶり」とは違う不思議な感覚である。昼食は近所にある美味しいラーメン屋さんへ。古いプロジェクトの書類の発掘などをして遅めに帰宅。


2020年8月26日 水曜日

新領域の安全保障に関する研究会に参加することになり、その初回オンライン会合に参加する。Twitterで見かける有名人が多く参加してる。

午後は海外の人たちとの電話会議。短めのプロジェクトの進捗報告をする。前回の反省を踏まえ、きちんと発表原稿を作って練習をしたので発表自体の出来は悪くなかった(はず)。


2020年8月27日 木曜日

朝5時くらいに「カキッ」という音がして目が覚めた。口の中に違和感があって、すぐに詰め物が取れたことが分かった。ちょうどこの日予約をとっていたので、歯医者にいって詰めてもらう。来週も行くことに。


2020年8月28日 金曜日

Nextcomに書いた論文が公開される。博論の中身を平易に書き直したものなので、多くの人に読んでいただけると嬉しい。

「サイバーセキュリティの未来 ─米中対立の先に待ち構える三項対立─」という論文をKDDI総研のNextcom 43号に掲載頂きました。サイバー空間に起きているのは米中対立ではなく、グローバル企業をいれた三項対立と捉えようという内容です。無料ユーザ登録で本文ダウンロード可


卒業した高校の招待で、現在の1年生向けの講義を行う。コロナの影響ですべてZoomで行う。全部で14人の様々な分野のOBがそれぞれの経験に基づいた話をした。僕はもちろんサイバーセキュリティについて。高校生から「サイバー攻撃は違法というか、犯罪じゃないんですか?」という素朴な疑問が出てきた。そういう発想は大事。「日本は外国にサイバー攻撃していないんですか?」という質問も。5年前に同様の企画に協力したときは質問が皆無で自分の無力さを感じたが、今回は遠隔でも話がきちんと伝わった感覚があった。よかった。


2020年8月30日 日曜日

午前はアクアビーズなるおもちゃで遊ぶ。翌日からの国際会議の予習をする。大野和基編『未完の資本主義』を読む。クルーグマン、フリードマンなどへのインタビューを本にまとめたものだが、「テクノロジーが変える経済の形と未来」という副題にそって、編者が丁寧な補足説明を加え、鋭い質問をなげかけ、それをこなれた翻訳で紹介する。インタビュー本は、偉い人に喋らせればオッケーとばかりにやっつけ仕事な本が多い中、編集者の技量の重要性を再確認する良書であった。

Aug 18, 2020

7月の光景

大分遅くなりましたが、7月の光景です。7月31日に博士号取得しました(顛末の報告)。素直に嬉しいです。最後まで頑張ってよかった。

2020年7月1日 水曜日
毎年7月は人事異動が多く発生する。この歳になると「新たな職位に見合う職責を考える」ところから自分自身に求められる気がする。
夕方、子供とファミレスへ行きご飯を食べる。コーラ、カルピスソーダと炭酸のジュースを飲めて嬉しそう。

2020年7月4日 土曜日
博論修正。合間に雑誌に書いた原稿の初校確認した。
最近割と花屋に行く。この日はオンシジュームとシネンシスという花を買う。花の名前はメモしてないとすぐ忘れる。

連日フル稼働のプリンター

2020年7月5日 日曜日
博論修正。

校閲作業続く

2020年7月6日 月曜日
床屋の予約を入れていたが、仕事に熱中して気づいたら予約の時間を15分過ぎていた。電話で謝罪して予約入れ直す。なんとかこの日切り終えられてよかった。

2020年7月7日 火曜日
博士課程の最終試験のため久しぶりに都内へ出向く。副査の先生2名は遠隔から、副査1名と主査と自分自身は三田の部屋から参加した。マスクをしたままプレゼンしたら軽い酸欠状態になった。いくつか修正を課せられるものの、合格した。


2020年7月10日 金曜日
特別定額給付金が振り込まれる。これを見越して、既に在宅勤務の充実のために10万以上を使っている。椅子は本当に買ってよかった。

2020年7月11日 土曜日
博論の校閲作業。データセンターについての勉強をする。

2020年7月12日 日曜日
博論の校閲作業。


2020年7月13日 月曜日
ベッドを粗大ごみとして捨てる。階段を通らず、ベランダからロープで吊って庭に落とす。ロープの摩擦熱で大やけどする。
博論の校閲作業が終わり、大岡山の印刷所にデータを入稿。例年であれば製本した博論を藤沢の窓口に提出することが求められるが、少なくとも今年は基本的に郵送での提出となっている。ありがたいが、日程は逆に厳しくなっている。

2020年7月15日 水曜日
製本された博論が印刷所から届く。素早く記念写真をとって、すぐ郵便局へ持ち込んで、大学へ発送する。6年に及んだ博士課程も残すは研究科委員会(教授会)での承認を残すのみ。学生の自分にできることは終了である。感慨深い。

製本された博論

2020年7月16日 木曜日
昼は焼肉屋へ。軽いお疲れ様会。

2020年7月17日 金曜日
3ヶ月前から決まっていたどうしても外せない会議のために丸の内へ。2時間ほどの会議をしてから、大阪在住T氏とうどんを食べて、会社へ行く。
同僚のT氏から借りた情報処理学会誌を読む。お目当てはサイバー・ウォーズ特集だったが、小特集が「さようなら、意味のない暗号化ZIP添付メール」が大変面白い。情報処理学会やるなぁ。

久しぶりの外食!

2020年7月18日 土曜日
近所の回転寿司にいく。先端がすこし赤いトリ貝の寿司が並んだ皿をみて、「うさぎの耳だね」と言う子供の感覚は瑞々しい。その後、親戚の家に生まれた子供の顔を見に行く。
出身高校から講演の依頼があったが、依頼状の拡張子が.jtd。一太郎さん、ほんとお久しぶりですね。お元気にされていましたか。

2020年7月19日 日曜日
ZombieNationという名前の新しいgitのレポジトリを作る。何をするかはまだ内緒です。

2020年7月22日 水曜日
夜、水曜どうでしょうDVDを初めて開封して鑑賞する。博士課程が終わったら見ようと思って購入し、いつの間にか3年がたっていた。2020年に見ても面白さは色褪せない。


2020年7月25日 土曜日
来客あり。一緒に遊んだり、お風呂に入れたり、楽しく過ごす。

2020年7月26日 日曜日
夜は電話会議。その後深夜3時近くまで残っている仕事をやっつける。

2020年7月27日 月曜日
DAZNの1ヶ月無料トライアル期間が終わった。とりあえず解約。6月のプロ野球開幕以来、ベイスターズの試合を見ていた。今年は優勝狙えるんじゃないか。

2020年7月28日 火曜日
マツコの知らない世界で、キーボードが特集されたらしくTVerで見てみた。左右分離タイプは使ったことがないので一度試してみたい。キーボードにはいろんなこだわりがあった。ThinkPad信者として、Space Saver IIを使い続けていた数年間があった。Microsoftのエルゴキーボードが最高と思っていた時期もあった。東プレのリアルフォースはゴツすぎて合わなかった。そういう時期を経て、今もう一度キーボードにこだわってもいいのかなと思う。

2020年7月29日 水曜日
午前はオンラインセミナー。珍しくMS Teamsを使う。トゥギャザーモードが面白い。
夜は電話会議2件。明日の本番うまくいきますように。

2020年7月31日 金曜日
夕方に研究科委員会があったそうで、夜に先生からメール。続けて大学事務室からも学位授与が決まりましたとのメール。家族に早速お知らせする。






Aug 7, 2020

文系社会人の「博士への長い道」



はじめに

私は、2014年4月に慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科の後期博士課程社会人コースに入学し、2019年9月に単位取得退学し、2020年7月に博士(政策・メディア)を授与された。以下に記すのは私自身の体験記である。特に社会人で、これから博士号を取ろうとする人の参考になればと思って書いている。

博士号取得への道のりは、百人百様である。文系、理系、医療系でも異なる。大学院によっても異なる。さらに言えば、同じ大学院で同じ先生の下で学んだ1つ上の先輩と、1つ下の後輩と私との違いも小さくない。博士課程での研究はユニークなものではなければならない、だからその研究の道のりも一様ではない。ここに振り返るのは、毎年国内だけで10000人以上に授与される博士号のうちの1つの事例である。

私の事例は、①博士課程の社会人コースに属するいわゆる社会人ドクターだったこと、②ブログ界隈に珍しい文系の研究者であること、③修士号を持たずに博士課程に入った、という3つの特徴があると思う。


なぜ大学院か

私は、学部卒業以来、一貫してサイバーセキュリティ技術者として生きてきた。JPCERT/CCという非営利団体で働いている。JPCERT/CCは年間2万くらいのサイバー攻撃に関する報告を国内外から受け、その対応のアドバイスや攻撃の停止のための調整を行う組織である。

2010年くらいまで、基本的にこの世界は情報セキュリティと呼ばれていた。サイバー攻撃をするのは自己顕示欲にかられた若者か、金銭目的の犯罪者だった。ところが軍隊やインテリジェンス機関にハッキングを行う能力が備わり、国家によるサイバー攻撃がみられるようになってきた。そして、サイバー攻撃に関する国際的な調整は、技術のみならず、法律や政治や文化などの幅広い知識が求められるものに変化してきた。

そしてその時代の変化に追いつくための作業は一人では難しそうだった。国際政治や安全保障の分野について大学院で研究したいと思っていた。


博士号取得までの流れ


博士号取得にはとても時間がかかった。何にそんな時間がかかったのか自分でもよくわからない。


2013年

4月

情報セキュリティに関する国際ルールのあり方やサイバー戦争の時代に政府、企業、CSIRTがどうリスクコントロールしていくべきかという点に興味を持ち、もう一度大学で勉強したいと漠然と考えていた。

慶應のT先生がこの分野で研究実績豊富であったが、「2014/4より在外研究で日本を離れるため、大学院生を受け入れていない。」と個人Webサイトに明記されていた。T先生とはなにかの研究会で一度だけ会ったことがあった。Webサイトに乗っているアドレスにメールすると、一度話してみましょうということになり、藤沢で相談に乗っていただく。指導を引き受けていただけるということで1年後の2014年4月入学を目指すことに。


10月

博士課程の入試出願書類は、TOEFLの受験や学部時代の成績証明書の取得など時間がかかる作業が多かった。自分のように、修士課程を経ていない場合は、出願前に社会人として修士相当の研究実績を積んでいるので、博士課程への出願を許可するという紙をもらう必要がある。

出願時にプログラムを選ぶ。GR,HC,PS,EGなどの略称で表記される。同じ政策・メディア研究科の中でもプログラムによって作法や雰囲気がかなり違う。学位取得までの平均年数や取得率も違う気がする。しかし出願時点では、指導教員が所属するプログラム(私の場合はGR)を選ぶだけで、学生に選択の余地はない。入学後にプログラムを変更する人は稀にいた。


12月

入試は書類と面接で判定される。志願者と合格者の数が当時のWebサイトに掲載されていたが、たまに落ちる人がいるという程度である。進学を希望する理由や、提出した研究計画書に沿った穏やかな確認作業という印象だった。時間は20分と短い。


クリスマス前のSFCは全く人気がなかった。

3日後にオンラインで合否が発表された。「受験番号9W2505の方は入学試験に合格しました。」


2014年

4月

4月頭に大学院ガイダンスというオリエンテーションがあり、藤沢へ。学生証をうけとり、メールなどの大学システムへのアクセスを得る。オリエンテーションでは学位取得の流れが説明された。当時と今では学位取得プロセスが若干違う。参考までに大学院ガイドに示されている、現在のプロセスの説明資料を以下に示す。



プロセスが複雑に感じるかもしれない。博士課程修了と博士号取得の2つの流れが1つの作業として表現され、さらにこの流れが学生の作業を示すものではなく、大学院の事務手続きの流れを示すものだからだろう。例えば、査読論文を書いてジャーナルに載せる、あるいは博士論文執筆という不可欠な作業が、ここでは触れられない。

大学院ガイダンスでは大学院のトップ(研究科委員長という)が教壇にたち、社会人でたった1年半で学位をとった人がいること、しかし学位取得率はそこまで高くないので頑張れと学生を鼓舞していた。当時のメモには「きっちり3年、できれば2年半で博士号を取得する」と書いてある。

入学前から準備をしていたので、早速この月にグローバル・ガバナンス学会大会での口頭発表を行う。


6月

博士課程最初の誤算がおきる。FIRSTという国際団体の理事選挙に出ることになり、めでたく当選した。昼夜土日を問わないメールの波、そして月に1-4回の深夜の電話会議がここから4年間続いた。昼の仕事(JPCERT)、夜の仕事(FIRST)、大学院の掛け持ちの結果、どの仕事も中途半端になり、どこにいっても「メールの返事できてなくてすいません。」から会話が始まるという、よろしくない状況に陥る。心理的多重債務者である。


FIRSTの理事と共に

この国際団体の仕事では、加盟を希望するスーダンやイランの組織の扱いを巡って、米国のOFAC規制などを理解することを強いられた。国際団体を標榜すれど、銀行口座が米国にあれば、米国の規制を受けるという当たり前を経験し、グローバル・ガバナンスや国際関係論を見る視点が少し変わった。経験は博論にも強く反映された。


9-12月

ワシントンD.C.で行われたTPRC42という国際会議でポスター発表を行った。これで博士の要件の1つ国際会議での発表をクリア。最大の難関は現地でポスターを印刷することだった。2度目があるなら、素直に国内で印刷して機内持ち込みする。

ポスタープレゼンテーションは初めてだった


さらに大学院セミナーでのインフォーマル研究発表(10月)を行った。インフォーマルは特に合否がつくものではないのだが、初めて大学院の先生たちの前で発表をするということで、かなり緊張したことを覚えている。

まとめると2014年は誤算があったものの、入学前の準備のおかげで、きちんと成果を出せた年だった。


2015年

『サイバーセキュリティに関する国際連携の実態 日本におけるインシデント対応のデータ分析』などというタイトルで論文を書こうとしていた。が、5ページくらいのメモが出来上がっただけで、書き上げることができなかった。

論文が書けないのが苦しいので、研究というよりは勉強に逃避した。3ヶ月かけて、サイバーセキュリティの歴史をまとめた年表を作ったりした。良かれと思ってやったことだが、博論の中で1行も使うことなく結果的に無駄足だった。

2016年

前の年の12月に子供が産まれ、引っ越す。通勤時間が長くなり、子育てで時間がとられ、厳しい時期だった。およそ3ヶ月に1度の頻度でT先生にあう。そのたびに投稿できそうなジャーナルをおすすめしてもらう。『アフリカ諸国におけるサイバーセキュリティ政策』などと言うタイトルで書き始めたが、フィニッシュできず。

2015年と2016年は、まったく進捗のない2年間だった。


2017年

4月

知人からサイバー空間の規範を作る国際委員会を手伝うように頼まれる。時間的な余裕はないが、その経験で査読論文がかけるのではないかという下心もあり、関係各所にお願いして参加させてもらうことにした。後に、主査のT先生もこの委員会に関与していて、一緒に出張する機会が増えた。会議の空き時間などに、やっている研究へのアドバイスを貰えるようになって助かった。

この会議は本当に刺激的だった。単なるスパイ映画大好きおじさんだと思っていた人がMI6の元No.2だったり、ハッカー会議の創始者ジェフ・モスと喫煙所でいろんな雑談したり。ジョセフ・ナイには日本のアダルト動画事情を進講さしあげたので、人類の知の発展にもいくらか寄与したはずである。密室の議論の中からなんとか書ける部分を拾い集め、博論の中の一節として使うことができた。


エチオピアにて。


9月

丸2年なんの成果もなく学位取得に黄色信号が灯る。T先生からも急かされる。グローバル・ガバナンス学会に主要国のサイバーセキュリティ戦略に関する分析する論文を投稿した。この論文の締め切りと仕事の台湾出張がかぶる。日中はトレーニング講師をし、終わって夕方から朝まで論文書くという作業を2日続けた。2日目の徹夜の明け方、ファミマで買ったレモンジュースを飲みながら、「何故、自分はこんなつらい生活をしているのか」と台中の朝焼けに問うたことをよく覚えている。原因はあきらかに計画性の無さであるのだが。

結局、この論文は研究ノートとして採用されることになる。研究ノートというのは「学術論文としては認められないが、ジャーナルには掲載してあげますよ」という位置付けで、学位取得に必要な業績としてはカウントされない。査読論文2本という条件は翌年に持ち越される。論文の内容に全く満足できないが、なんにせよ、自分の書いたものがジャーナルに載ることが決まり、若干モチベーションがアップする。

2018年

1月

前年から温めていたテーマ「北朝鮮のサイバー攻撃能力」に本格着手した。年明けからひたすら北朝鮮についての文献を読む。大学院4年目に予備知識が無い研究テーマに取り組むのは、今振り返ると危険な賭けだった。ただ、仕事とは全く関係ない、未知の領域を独力で開拓している実感があり、純粋に楽しかった。

セネガルで北朝鮮の技術者たちの渾身の作を見学した。



6月

FIRST理事の2度目の任期満了でお役御免となった。これを境に一気に執筆の時間が取れるようになる。InfoComレビューに北朝鮮のサイバー攻撃についての論文を投稿し、10月に受理される。これで査読論文1本クリアする。

北朝鮮の論文が書き終わった直後、「改めて、CSIRTとは何か」という問いに改めて向き合う論文を書きだす。


11月

学会発表を実施したのが2014年の2回だけだったので、T先生からもう1回やっておいたほうがいいというアドバイス。情報通信学会で口頭発表の機会をいただく

査読論文を2つを通すという博士号取得の条件を1つクリアし、年末には2本目の論文もほぼ書き上がっていた。FIRSTの理事をやめた2018年7月から、研究がペースアップし、12月までの6ヶ月で成果を積み上げられた。FIRST、今考えても大変だったんだな。


2019年

2月

前年書いた北朝鮮に関する論文を英語にして公開する


3月

アーミテージプログラムと呼ばれるに教育プログラムに参加し、ワシントンD.C.へ出張する。複数の教員と博士課程の大学院生が参加し、研究についてアーミテージ御大からコメントいただいたり、シンクタンカーや学生と意見交換するというものだった。研究についてアーミテージ氏の前で発表し、質問というよりも尋問にあう。他に院生が3人参加していて、大学院生活の修学旅行みたいな気分だった。

引率の先生たちのシンポジウムでの振る舞いも勉強になった。特にS先生が、スライドはおろかメモも持たずに、ロジカルかつ流暢に自分の国際情勢分析を披露しているのには度肝を抜かれた。そもそも会場に手ぶらで来てた。日本でも指折りの国際政治学者にお供して回るワシントンD.C.という街は、仕事で来る時には決して見せない顔をしていた。

同じく3月に、情報通信学会に「CSIRTと国際CSIRTコミュニティ」というテーマで論文を投稿した。6月に査読を通って出版される。CSIRTで実際働いてきた社会人経験を活かした論文で、良いトピックだった。この論文が終わった後、主査から博論の準備を始めるよう指示があり、構想を練り始める。もともとあった問題意識を、既存の国際関係論やグローバル・ガバナンス論にうまく接続させるかが大事だった。


5月

大学院セミナーでThesis Proposalという博論の計画発表を実施し、合格した。本格的に博論の執筆が始まる。2019年春夏の週末は、ほとんど一橋大学の図書館で過ごした。博論もやはり途中で筆が止まることはあった。そういう時は「今日は2行だけ書いて寝る」と自分に言い聞かせてWordファイルと向き合った。本当に参考文献を1つ追加して終わることもあったし、予想外に2ページくらい書けてしまうこともあった。


お世話になったキャンパス

自分がゼロから編み出した(と思っていた)、全体の核となるアイデアが、実は経済学の分野で既に指摘されていることを発見したときは血の気が引いた。先生に相談して、一連の研究をきちんと引用する形にした。が、知らずに博論執筆を終えて、第三者に指摘されたらと思うと怖い。


9月

200ページを超える原稿が出来て、主査と副査の先生に送り、アドバイスを頂く。博論以外の全ての条件を満たしたので、博士課程を単位取得退学した(9月21日)。研究科委員会で学位審査委員会立ち上げが決定される(12月4日)。

2020年

2月

学位審査委員会が立ち上がると博士課程は最終章である。ただ最終章も一筋縄ではいかなかった。公聴会(2月6日)では博論を発表したが、先生方から大きめの問題を指摘される。それを受けて2月は個別に先生方にアポをとって、どう修正したらよい博論になるかのアドバイスをもらう。地道に直す。


とにかく印刷して、赤入れして、直しての繰り返し。


7月

1つ直すと、また色々な問題が生じてくる、それを埋めてという作業を繰り返して、7月頭に最終試験を実施した。これは主査と副査と自分だけの口頭試問である。コロナウイルス感染症の影響で2名の先生が遠隔で参加された。最終試験でも、いくつかの修正要求があった。最終試験の翌週に、必死に誤字脱字の最終確認をし、博論を印刷製本し、SFCに郵送した。


最終試験はマスクしてプレゼンしたら、酸欠状態に。




大学図書館に納めた博論がこれ。

私はもちろん参加していないが、研究科委員会が7月31日に開催されて、投票の結果学位の授与がきまったという連絡をT先生からいただく。これで6年3ヶ月に及ぶ長い長い道のりがやっと終わったわけである。研究科委員会の審査結果は、その日のうちに大学の事務室からも、連絡がある。メールには「学位授与日は7月31日です。」と明記されているので、この日から晴れて博士を名乗って差し支えないはず。

9月18日に大学院の学位授与式があった。コロナのせいで、オンラインで式の動画が公開される。学位記受領代表に選ばれたので、式中に名前が読み上げられた。式の10日前に義塾総務部から封書で連絡がくる。

10月中旬に大学のレポジトリで博論が一般公開された。サイバーセキュリティに興味有る方は読んで欲しい。そして誤字脱字があったらそっと教えて欲しい。

博士をとって何か変わったことはあるかを聞かれることがある。これだけの体力と時間とお金をつぎ込んだのだから、何かあるに違いないと思われているのかもしれない。今の所、変化は何も無い。驚くほど変わらない。これだけ本を読んだのだから、霧が晴れるようにとは言わないが、少しは世界がクリアに見渡せるようになってもバチは当たらないとおもう。だが現実は甘くない。テレビで活躍するような論客のように森羅万象を「それは要するにこういうことなんですよ!」と単純に解説することはできそうにない。社会はかつてより複雑で怪奇なものに感じられる。
ただ家族は喜んでくれた。80過ぎの祖母が、博論を毎日少しづつ読んでくれているそうだ。それは嬉しいし、良い孝行をしたと思う。


社会人院生の実態


勤務先の理解

社会人が博士課程に進む上で、勤務先の理解は重要である。学費を負担してくれる企業であれば言うことはない。大学院にも奨学金制度は様々あるが、年齢制限や社会人として給与所得がある人が給付対象から外れるものもあるからである。

私の場合は、勤務先は協力的であった。仕事のしわ寄せがいく同僚も快く送り出してくれた。それは研究テーマと業務の内容が近しいということが一番大きな要因だと思う。


通学

政策・メディア研究科の博士課程に授業はない。主査の先生のゼミに出るだけである。私が所属した研究室ではゼミは1-2ヶ月に1回の頻度で都内で開かれた。希望する院生が研究発表をして、先生と他の院生からのフィードバックを受ける。

時間的・地理的拘束はほとんどない。とにかく査読論文を書いて、研究業績を積み上げることだけが求められる。したがって政策・メディア研究科でも藤沢のキャンパスに行くのは年4回程度、大学院セミナーや窓口に出向く必要のある事務手続きのみであった。


費用

私は言ってみれば2.5年留年したので学費が人より高額になった。普通は休学するのではないか。私もそうしたかったが、外国語などの要件を満たしてしまうと休学できないというルールに阻まれた。

内容費用備考
学費¥5,200,000入学金なども含む。内訳は初年度116万、2-4年目98万、5年目73万、6年目半期 37万
TOEFL受験料¥25,000
大学院受験料¥35,630
学会の会費。3学会6年の合計¥80,0003学会6年の合計でこのくらい。
名刺¥7,000
海外学会出張¥230,000ホテル 38,749円、会議参加費 14000円、航空券 159,000円、ポスター印刷費 9,000円、空港タクシーなど 10,000円
国内学会出張¥26,000京都日帰り
研究に使用するソフトウェア¥54,000MendeleyとDropboxのサブスクリプション

液晶モニター
¥30,000博論執筆用
¥5,687,630


上の表に含まれていないものとしては、大学までの交通費、キャンパス最寄りのホテル宿泊代、切手代、印刷費、紙代、プリンターのインク代などがある。SFCは自宅からアクセスが悪く、公聴会の際は前泊した。先生との打ち合わせの直前になって博論の印刷をしなければいけなくなりコンビニで印刷する(5000円)とか、大学図書館に保管してもらうようにハードカバー製本する(15000円)とか、印刷費はかなり馬鹿にならない。

文系の研究者として書籍購入の費用は最も大きい。大学院にプログラム費という制度があり、1年に約10万程度の研究にかかる費用を申請すると大学が払ってくれる。2-4年目はこれを書籍購入の費用にあてていた。

海外学会発表は、様々な助成プログラムがあるので申請すれば大学に負担してもらえたと思う。ただし都内で働く社会人が、助成プログラムの申請のために会社を休んで、先生の印鑑をもらって、藤沢の窓口に行くとなった場合、どれだけの時間が失われるかを考えると、利用を躊躇してしまう。

総額は当初見積もりの2倍の600万円くらいだろうか。私の場合、勤務先からの補助はないので、これは純粋に自分の未来への投資である。もともと、海外の大学に修士を取りに行こうと思って貯めていたお金を使った。

時間

お金もそうだが、多くの社会人にとってより厳しいのは時間の確保だろう。「研究は短い時間でも毎日少しづつすることが重要」と、主査からは繰り返しアドバイスを受けていた。忙しい時期は通勤時間に読書する気力も無く、現実には、週末2日のうち1日にまとめて研究するというのが基本的なリズムだった。

読書のような細切れの時間でもできる作業と、執筆のような数時間邪魔されない環境で集中を要するものがある。後者は深夜家族が寝静まった3時くらいが一番捗る時間帯だった。

時間を作るため、いくつか削らざるをえなかったものがある。まず、大学院に入ってから夜に同僚や同業者と飲みに行く回数が激減した。そのような機会が好きで楽しんでいただけに最初のうちはストレスが溜まった。

ブログやTwitterもなにげに時間を取る。それだけではなく、ブログを書くと自分の中にある「書きたいという欲求」「社会に物申したい気持ち」がある程度満たされてしまう。成果として論文を考えている期間は、ブログやSNSからも距離を置いた。

なお、時間確保という点で一番大きな変化があったのは子供が生まれた時期である。子供は無限に時間がかかる。子育てと博士課程を両立するお母さんがいるらしいが、それは常人にできることではない。心のそこから尊敬する。

苦労したこと


先行研究を批判的に読む

研究の出発点として、先行研究を単に読むだけでなく、批判的に読んでいく必要がある。先行研究の課題を指摘できなければならないのである。長い社会人経験で、私はそれとは逆の能力を培ってきた。たとえば取引先とのやりとりで、自分にとって受け入れ難いことがあったとしても、無意識に共通の認識を探し、違いをすり合わせようとしていた。批判しないように意識的に努めてきた。染み付いた「違いに目をつぶり、共通点を探す癖」を自覚し、批判的に読み、批判的に聞くことができるようになるまで時間を要した。クリティカル・リーディング入門という本が参考になった。また、ゼミや大学院セミナーで他の人が質問しているのを聞いて徐々に身についてきた。


分析の枠組みという言葉、論文とレポートの違い

論文の下書きを先生に見せた際に、「分析の枠組みがない」「事実を積み重ねるだけではレポートであって、論文ではない」などという指摘を受けた。大学院で他の社会人院生が、「控えめに言って研究とは言えない」とバッサリ切られているのも目にしたので、レポートと論文の違いという基本が理解できていない人は潜在的に多いはずである。今は理解して、自分の各論文では明確に分析の枠組みを書いている。ただ人にうまく解説できないので、私は真に理解できていないのだと思う。

この点を克服するために、論文の書き方を指南する本を何冊か読んだ。どれもよかったが、結局一橋大学田中拓道先生の解説北海道大学鈴木一人先生の解説を繰り返し読んだのが一番よかった気がする。Webで無料なのでぜひ一読いただきたい。また、Kathryn L. Allen編 スタディスキルズ―卒研・卒論から博士論文まで、研究生活サバイバルガイドも役に立った。論文の書き方だけでなく、情報収集の手法、口頭発表の仕方、悩みがちな人との接し方、コンパクトに一冊に解説されている。


大学院特有の時間の流れ、持久力の大事さ

研究テーマを思いつき、大学院でセミナーをし、博論を書き、公聴会をし、最終試験をする。短くても2年程度は同じテーマを考え続けることになるのではないか。そのあたりの「時の流れ」が年単位、期単位で決算する企業活動とは大きく異なる。大学院のほうが腰を据えて1つのテーマを追い易い。僕の場合も、サイバー空間のトリレンマという自身の分析の枠組みを1年くらい、ずっと頭の片隅に置いて弄り続けた。何かに興味を持つだけでなく、興味を失わない知的な持久力が求められている。

考えすぎて分からなくなるときは、紙に絵を書いて整理する



ささやかなアドバイス


指導教員はめぐり合わせもある

博士課程は、主査と呼ばれる指導教員との二人三脚に近い。「どんな先生に師事するかが重要」ということは様々な書籍に繰り返し述べられている。(2021/01/05追記: 例えば指導教員の選び方についての具体的基準を示した良いブログ記事がある。)しかしながら、学生の研究指導を引き受けるかどうかの決定権は基本的に教員の側にある。学生が指導教員を選べるという状況は珍しい。万一、学生側が選べる状況だったと仮定して、どういう先生を選ぶべきだろうか。研究指導に熱心か、そうでないかを外側から推し量る方法はあるだろうか。

一般論として、定期的に博士号を取る学生が出ているのは文句なしによいサインだと思う。定期的の条件が3年に1人なのか、1年に5人なのかは分野にも、大学にもよりそうである。

もう1つ、大学教授の中には自分のWebサイトなどで、博士課程の指導の方針や学生に求める点を明確に示している人がいる(例1例2例3)。このように先生側が学生側に求めることを明確に提示しているのは、求められる条件が厳しかったとしても、よいサインだと思う。その先生の頭の中で学生指導のあり方が整理されていることの証拠である。そして学生とのギャップを埋めようと文章を書いて語りかける姿勢から、指導に熱心である確率が高いといえる。

繰り返すが、そういう先生が指導を引き受けてくれるかは別の問題である。ここで、運とか縁とかめぐり合わせと呼ばれるものが必要になってくる。博士課程の入り口の最大の関門である。


英語は根性で頑張れ

論文の査読、博論の審査、基準が不明確な博士課程の中で、外国語の要件だけははっきりしていた。TOEFL79-80点以上とれる程度に英語ができないと、博士はとれない。ところが博士課程には英語力の底上げができるような授業も制度もない。従って英語力が一定の基準に達しない場合、自力で勉強することが求められる。


研究不正は駄目

研究不正は論外である。論外だが、現実に一定の割合で起こっている。私の大学院在学中にも、剽窃、捏造などの研究不正があり、学位が取り消しになった事例がある。気をつけたい。

オフラインで情報収集を

もし博士号取得を真剣に考えている場合、近くにいる経験者に直接聞いたほうが良い。博士課程の本当の楽しさも、辛さもインターネット上にはなかなか書きにくいものである。かく言う、私もここには書けないようなアドバイスがいくつかあって、それはあとに続く研究室の後輩だけに遺言として残した。

学位を取った人の経験は生存バイアスがかかってるかもしれないので、修士をとったが博士課程に進まなかった人、単位取得満期退学をしたが博士号取得に至らなかった人の話など、両側から意見を聞けるとなお良い。


最後にお願いを1つだけ。経験して心の底から思うのだが、博士課程の難しさの多くは、情報不足が原因である。学問を極めようとか、よい論文を書こうという気持ちはもちろん大切だが、それと同じくらい大学院の窓口に提出するあの書類の締切日と書き方みたいな些細な情報が重要だったりする。だからこそ、博士課程経験者の方は、自分の経験を後の世の人に伝えてあげてほしい。もちろん書ける範囲で構わない。匿名でかけるダイアリーなどやり方はいろいろある。



以上。

Jun 30, 2020

6月の光景

データの世紀という本を読んだ。アマゾンやグーグルなどのプラットフォーマーによって、個人のデータがどう利用されているのかをできるだけ身近な形で説明しようとする本である。就職サイトのリクナビによって企業に自分の情報を販売されていたことを知った学生は「それでもリクナビを使わない就活はありえないので、使い続ける」という選択をした。GAFA断ちを決意した記者は、取材のための下調べや、待ち合わせなどありとあらゆる局面で生産性が落ち、結局GAFA無しでは生きられないことを発見する。電話かショートメールが連絡手段となり、想定外の孤独を感じた記者は、頼みの綱の学生時代の友達を飲みに誘うが、皆に無視されたという。
「今どきショートメールなんて怪しさ満点。本人か疑った」と笑われた。ガラケー全盛期に培った友情のはずなのに、今やSNSの輪を外れると信頼が揺らいでしまう。』(データの世紀 loc.677)
だめな配偶者と別れられないみたいな状況がプラットフォーマーとユーザの関係にも起こっている。

2020年6月5日 金曜日
久しぶりに歯医者に。窓を全開にしてコロナ対策している。夜はFIRSTの2021年カンファレンスについて相談するための電話会議。

2020年6月6日 土曜日
学生時代の友人とオンライン飲み会

2020年6月7日 日曜日
招待有りの論文の執筆。仕上げの作業がなかなか集中力がいる。翌朝7時まで徹夜して仕上げる。徹夜明けにシャワー浴びて、スーツ着て、プロフィール用の写真をスマホで撮る。今回はこれでいいけど、次回はちゃんとしたカメラマンに撮ってもらいたい。

2020年6月10日 水曜日
モニター台を購入。夏で熱くなり、ノートPCの排熱のためにスペースを作るために買った。ついでに机の上からごちゃごちゃしたケーブルがなくなって気持ち良い。
ホンダのサイバー攻撃についての問い合わせ続く。

2020年6月12日 金曜日
前日から行われていた家の外構工事が終わる。見た目がスッキリしてちょっとスペースもできてよかった。コロナで自宅にいる時間が増え、家の中の改善に色々とお金を使うことが増えた。

2020年6月13日 土曜日
研究費で買ってもらった新しいプリンターが届く。エコタンクという大型のインクタンクを持っている。博論などの校正作業で大量に印刷するのは不可避なので、これで捗る。


2020年6月15日 月曜日
IGF2023は日本でやることが決まったらしい。アナウンスを見てびっくりした。

2020年6月16日 火曜日
午後、ロースクールの学生対象にサイバーセキュリティについて講義。スタバで買ってきてもらったアイストールラテを久しぶりに飲む。都会の味がする笑。


2020年6月19日 金曜日
新しいMacbook Airが届く。今度はストレージが1TBでデータの置き場所を気にしなくてよいのが嬉しい。しかし手持ちの2017年のオプションモリモリMacbook Proと比べて、若干遅い気がする。キーボードは深くなってとてもよい。
プロ野球が開幕する。無観客の試合でも、野球を見れるのは素直に嬉しい。


2020年6月20日 土曜日
翌週の国際安全保障学会のためのZoom接続テストおよびリハーサル。学会の運営というのは若手研究者のボランティアを前提としているようである。夜は学生時代の友人とオンライン飲み会

2020年6月21日 日曜日
博論の修正作業と、校正作業。今月2度めの徹夜。しかし6時位には終わった。目の前に1000匹の動き回るアリがいて、あなたの仕事はそのアリを一列に隙間なく並べることだとしたらどう思います? 書いている間はそんな気持ちでした。

2020年6月22日 月曜日
修正した博論を主査・副査の先生がたに送る。最終試験へ向けて準備着々。しかし公聴会のときと違って自信がない。頂きが近くなるにつれ、傾斜が急になる山である。

2020年6月24日 水曜日
昼休みの時間を使って、都知事選の期日前投票へ行く。段々と選挙がビックリ人間コンテストみたいになってきているのは気のせいだろうか。
新たな分野の研究に手を出そうと、文献調査を開始する。テーマはまだ言えないが、最初の数日で、良い研究になりそうな気がする。

2020年6月25日 木曜日
郵送された書類の確認などのため、神田にあるオフィスに赴く。4月上旬以来である。電車は普通に混んでいたし、世界は日常に戻っているようにも見える。昼過ぎにスリランカの知人と電話会議。割と意見の隔たりあり。
コーラが飲みたくて近所の薬局に行ったらオレンジバニラ味のコーラしか置いてなかった。意外と行ける!


2020年6月27日 土曜日
11時から国際安全保障学会定例会。国際政治の教科書で名前をよく見る、大御所がたくさん参加している。午後の発表の討論者として。短めに発表者の研究の位置づけをまとめ、わかりやすい質問を2つ投げかける。

2020年6月29日 月曜日
朝の散歩で自宅の近くに花屋を見つける。財布を持ってなかったので見学だけ。


2020年6月30日 火曜日
昼ごはんは久しぶりに外でラーメン。親戚にめでたく男の子が誕生。友人夫妻から手作りの布マスクを頂く。鼻の部分に金属が入っているなど、とても使いやすい。ありがとう。
執筆した論文のゲラが届く。この雑誌では記者ハンドブックに準拠するそうで、山のように校閲のコメント入ってる。確認に勤しむ。会社でも公開文書の記述の拠り所になっているし、記者ハンドブック買ったほうがいいのかもしれない。