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Nov 1, 2018

10月の光景

ウクライナのキエフに行ってきました。

ホテルからちょっと歩くと、黄金の門という13世紀にモンゴル帝国に破壊された門の復元があります。モンゴル騎馬軍はこんな遠くまでやってきたのかとちょっと驚きます。

そこから坂を下っていくと(キエフはサンフランシスコばりに坂の多い町です)、陸上競技場くらいの大きさの広場があります。現地の人は広場のことをマイダンと呼ぶのだそうです。そう、ここがユーロマイダンなどとよばれるウクライナのEU加盟のゴタゴタを契機に死者が100名を超す暴動が起きた独立広場です。まだたった4年前の出来事です。今や市民が憩うただの広場なのですが、ところどころ英語とウクライナ語でこの広場で無辜の市民が、ロシアとつながりの強い政府によって殺されたということをアピールする、お金のかかった立て看板がたっています。

さらに、広場から地下鉄とバスを乗り継いで今度はマザーランドモニュメントという高い像があります。右手には剣を、左手にはソビエト連邦のシンボルがきざまれた盾を持っていて、僕が今まで見た像のなかでも飛び抜けて戦闘能力が高そうな像です。像の足元には大祖国戦争博物館という、現代的な博物館があります。ここではウクライナの第二次世界大戦の記憶を展示するのですが、ナチスドイツによって蹂躙された国土を、ウクライナ人の民族運動家が戦って取り戻したというのが主たるストーリーになってます。枢軸国であった日本も悪者として少しだけ登場します。最終セクションは現在進行中のクリミア危機やドンバス戦争などのウクライナ東部を巡る争いのコーナーです。蜂の巣になった自動車などが展示してあります。蜂の巣状態の自動車は多分他の博物館でも見たことがあります。ただ、2018年の日本の街角を走っていても違和感のない自動車がボロボロになっていると、印象も違います。この博物館の展示には時間経過という緩衝材があまりないのです。

ウクライナはEU加盟を果たし、親欧米国とみられています。しかし中国大量に兵器を輸入しているのもウクライナ。ミサイル技術を北朝鮮に売ってお金を得てるのもウクライナ。親露であるか親米であるか?といった2択の議論はこの国の複雑さを捉えきれないわけです。

さて、そんな歴史散歩を終えて会議に戻ると、会議受付担当の現地の若い女性に話しかけられました。日本が大好きとのこと。日本語の歌を歌えるというので、歌ってもらったら「ひとりんぼエンヴィー」。96猫が好きなのだそうです。イントネーションも完璧。キエフのホテルロビーでこの曲を生で聞くとはおもいませんでした。

マッキンダーという地政学の大家は、ウクライナや中東欧を海洋国と大陸国の縄張りが衝突するクラッシュ・ゾーンと言っています。地形の形を考えれば衝突が運命付けられているという主張は、そこに住む人にとっては鬱陶しい以外の何物でもないでしょう。せめて衝突が破壊だけでなく、なにかを創造することを祈りたいと思います。加えて、インターネットで政学が予言した運命を少しでも変えられたら、それは痛快だと思うわけです。ナイーブすぎですか?そうですか。



2018/10/5
新たなプロジェクトの正式なキックオフミーティング。未知の領域を開拓するプロジェクトだが、パートナーもこちらの担当者もしっかりしているので、個人的にはリラックスムード。
夜は神田で兄弟子的な存在と久しぶりにあって近況報告会。経験者のアドバイスはためになるし、楽しかった。

2018/10/6
午前、検討している幼稚園の運動会にいく。
11月末〆切の論文の構想をねっているのだが、全然はかどらない。盆栽よろしく、芽の出そうにない枝を勇気を持って刈る、つまり勉強してきたことを捨てるという作業が必要なのだが、その勇気がでない。

2018/10/7
朝、寝静まる家を出て、ウクライナへ移動
ウクライナのホテルに到着したのは日付変わって深夜1時。疲れた。

2018/10/8
午前会議主催者と打ち合わせをこなす。思った以上にしっかり準備が整っていた。

Uberを使って、キエフ市内の大祖国戦争博物館へ行く。常設展は第二次世界大戦、およびウクライナで大祖国戦争とよばれるナチスドイツとの抵抗先背負うをどう生き抜いたか、ナチスドイツに占領された時代がいかに悲惨であったかについて、念入りに展示を重ねる。
1Fの特別展にはクリミア危機・ウクライナ東部ドンバス紛争(2014年~)で銃撃を受けた車や亡くなった兵士の追悼の展示がある。まだ数年前の話であり、展示品のフレッシュさが、生々しい印象を与える。
1F、2Fと順路に従って展示を見て、戦争の悲惨さをこれでもかと復習したあと、最後に3Fの展望台にあがる。
展望台への階段は外からの光を取り込む作りになっていて、薄暗い常設展で打ちのめされた後には印象的である。階段を登ると、そこから現在のキエフの歴史的遺産だけでなく、市民の住むマンション、我々の日常の光景が目の前に広がる。
戦争は悲惨であり、我々の現在の日常はありがたいものであることを強く意識されるよう、博物館が設計されている。
展示の洗練されかたはエストニアのタリンにある占領博物館を彷彿とさせる。

博物館は情報戦(Information Warfare)の主たる手段だなとあらためて。





2018/10/9
朝から会議。仕事のことで、ウクライナの関係者にお願いしたいことがあって、会議の脇で説明をした。理由は全く心当たりが無いのだが、相手が怒り出す。「だから?結論はなによ?」と感じの悪い反応だった。近年稀にみるキレられ方である。

夜、会食。昼夜と2食連続でボルシチを食べるが、サワークリームをちょっとびっくりするくらい入れるのが地元流らしい。前ウクライナ大統領ヤヌコーヴィチがウクライナ語苦手だという話を本で読んだので、真実かどうか地元の人に聞いてみた。ウクライナ人なら誰でもわかる不自然なロシア語風ウクライナ語らしい。

会食が終わって、ほろ酔いでレストランからホテルに戻る。ホテルのすぐ前で、3歩前を歩いていた背の高い男性が、短く「アッ」という声をあげて、僕の足の斜め前に落ちていた透明のビニール袋を拾い上げた。振り返ると、中身を見せてくれた。なんとビニール袋にはウクライナのお金の封緘紙付き札束が入っていた。
男性は思いがけぬ拾いものに、驚きつつも嬉しそう。求められたので握手する。そりゃそうだ。どう見積もっても日本円で40万円分くらいある。あと1秒先に気づけば、自分が拾えたのになぁと後悔する。次の瞬間、ビニール袋と札束の組み合わせ、場所の雰囲気、拾った男性の表情にふと違和感を覚える。さらに次の瞬間、脳裏を「東欧の札束詐欺」という言葉がよぎる。先週ネットでちらっと目にした。
なんか怪しい。なおも話しかけてこようとする男性に「おめでとう」とだけ言い残して足早にその場を去る。

ホテルのロビーについて、「札束 ウクライナ」で検索すると、出るわ出るわ。ウクライナでの典型的詐欺らしい。知識は身を護る(ときもある)。

ホテルの部屋にアイロンがなかったので、スタッフに持ってくるよう頼んでいたが、いつまでたっても持ってこない。英語が通じない中、身振り手振りの応酬の結果、このホテルにはアイロン部屋があることが判明。



2018/10/10
終日会議

2018/10/11
お昼ご飯をディナモ・キエフのホームスタジアムの近くで食べる。食欲が落ち気味。
昼食後に空港へ。Uberは本当に便利。キエフ発フランクフルト行きが説明なく欠航になり、キエフ発ミュンヘン行きが2時間近く遅延して、周りの皆さんはイライラをつのらせている。自分はミュンヘンでの乗り換え3時間半待ちという余裕たっぷりのスケジュールでよかった。
ミュンヘンから羽田行きの飛行機はゲートでビジネスクラスにアップグレードされた。離陸前から着陸2時間前まできっちり寝る。

乃木坂46のじこちゅうーで行こうはベトナムのどこでロケしたんだろう。

2018/10/13
CodeBlueのCFP落ちたと先月ここに書いたが、スピーカーの1人がキャンセルしたため、繰り上げ当選したとの連絡あり。うれしいけど、既に予定がガッチリはいっている。そして日程的に自組織が主催するイベントとも競合する。困った。

2018/10/14
子供と2人で自然と触れ合う機会を設けることを目的とした施設へ遊びに行く。小学生が焚き火をしてたり、柿をなげてあそんでたり。
泥遊びをさせてあげたいと思ったが、冷たくて尻込みしている。
畑に生えているブロッコリーを見た。

2018/10/15
少しだけ会社で仕事した後に、霞が関へ。ビルの中を行き来して、某省の違う人達とそれぞれ打ち合わせ。うまくいってくれるといい。
論文誌に投稿した原稿の査読結果が、本来の締切よりおよそ2週間早く帰ってきた。『掲載の適否は「適」となっております。』
条件付きでも通れば御の字と思っていた、無条件一発OKはありがたい。なによりも自分が社会的に価値があるだろうと思ったことが、すくなくとも査読者や編集者にはご理解いただけたことは励みになる。ギリギリまでお手数かけた指導教官の先生にお礼のメールする。

2018/10/20
一難去ってまた一難。例の11月末締切のジャーナル。構想がまとまらず、黄信号。北朝鮮のミサイルというテーマは、一月の間いろいろ勉強したが、体系だった説明をすると必ず付け焼き刃であることがバレることを自覚するに至った。テーマとしては面白いが、これは一旦棚上げを決意。
CSIRTの国際関係をグローバル・ガバナンス論もしくは国際レジーム論の範疇で論じるということで決断をする。

2018/10/21
午前は近所のお祭りを冷やかしに行く。市長をはじめて生で見た。「市長」とかかれた派手なタスキをしていた。
図書館にいく。3歳未満児に図鑑はちょっと早いとは思いつつ、最近動物に興味を示しているので小学館の図鑑をかりる。夜寝る前に軽く説明すると、「これは何?」とか「このコウモリは大きい?」ある程度関心を示してくる。成長を感じられて素直に嬉しい。

2018/10/22
朝6時半に出発。羽田から上海虹橋空港へ向かう。出発が30分おくれ、天候のせいで飛行機は揺れ、空港からホテルまでのタクシーは渋滞につかまる。14時の会議開始の20分前に会場到着し、昼ごはん抜きで会議突入。
夜は中国の取引先がおすすめのレストランに10人を超える団体でいく。辛いけど美味しいものばかり。鳥と干し魚を冬瓜みたいな野菜と一緒に煮た塩煮がおいしかった。中華料理は本当にすばらしいなぁ。

2018/10/23
朝ホテルから会場までを歩く途中で道に迷う。Google Mapに頼り切った生活のつけがこういうところにでる。

会場について、一息ついたところで自分のプレゼンの順番が回ってくる。同僚が作ったスライドに基づいて、説明をする。
夜18時からディナー。中国のホストが余興を用意してくれていたが、出だしから「ミニスカチャイナドレスのお姉さんが踊る」というもので、目のやり場にこまる。
中国らしさ満載である。

2018/10/24
朝からオープンな会議。思ったほど地元の人の参加が多くない。今まで中国で参加した会議はどれも500人くらい集まっていたので、我々(FIRST.org)の知名度や宣伝は十分でないのだろう。

会議を抜けて、仕事の資料を購入するため書店へ。PLCの設定方法の解説本が平積みされていて、度肝を抜かれる。制御セキュリティの分野で中国は我々のはるか先をいっているのかもしれない。



夜、東欣酒家というレストランへ。同僚の地元の友人が市場で買ってきてくれた上海蟹をお店で蒸してもらう。上海蟹は小ぶりで味もあっさりしている。オスの蟹とメスの蟹、この時期はオスのほうが脂が乗っているという話を聞いたが、食べ比べるとたしかに全然違う。
身の味もオスのほうが旨味が多い。結局3杯(オスx2、メスx1)食べる。美味しかった。
ホテルにもどってVPNをつないで若干仕事。BBCが新疆ウイグル自治区に建設した「再教育施設」「ウイグル人収容所」について大掛かりな特集をしていたので、思わず読み耽る。中国国内では何がおきているか知る人はすくない。


2018/10/25
葱油拌麺と蘭州ラーメン(阿里蘭牛肉麺)を立て続けに。
同僚の海外初プレゼン終わる。本人はだいぶ緊張していたが、堅実なプレゼンだった。ホッとする。

夜はレセプションに出てから、何人かの日本人参加者とホテル近くのレストランへ。レセプションのフィンガーフードのせいか、色々食べてお腹いっぱいになっても1人45元。
米中関係がこじれている時期だけに、安倍総理大臣訪中を中国メディアは好意的に報じているという日本のニュースを読んだ。が、CCTVやいくつかの中国のチャンネルのニュースをみても、好意的って感じは特にない。現地の新聞はそもそも扱いが小さい。

2018/10/26
葱油餅(5元)を頬張りながらホテルへ。トレーニングの出だしを見届ける。関係者に挨拶をして、昼前に空港へ移動。
夕方羽田着。

2018/10/27-28
10月末尾に〆切の講演のスライドが3つあり、週末で2つやっつける。頑張りました。

2018/10/29
思い立って机を整理。山口先生の名刺がでてきた。他のものは全部思いきって捨てたが、これはとっておこう。



2018/10/30
朝一のウズベキスタンからの来客にはじまり、一日打ち合わせが続いた日。
CodeBlueのLaw&Policyトラックのスピーカー限定ディナー。T先生が一から十までお膳立てしてくださる。
ドイツ人とEUの行く末を案じる。

2018/10/31
午前会社で仕事。夕方、都内のホテルにチェックイン。
夜、翌日に行う会議のため来日した中韓の研究者とディナー。翌日の会議で発表する声明の文案について意見を求めるも、はぐらかされる。明日の会議が心配になる。
ホテルに戻って、最後の1つの資料を作って提出して寝る。